それでも、何とかやってます~by尚古堂~

電車で酔っ払いに絡まれていたOLさんを助けるような事もなく、中国でお見合いをするようなこともなく、ただただ平凡な毎日・・・でも、それでもいいやと思えるようになった今日この頃。

2017年03月

ここからは、加藤晴美氏が2009年に執筆した論文

『大崎下島御手洗における花街の景観と生活』

から、「オチョロ舟」と呼ばれる船乗り相手の売春制度と
それに携わった人たち、更に地元の人たちがどの様に
接していたのかについて見ていきたいと思います。


まず、「オチョロ舟」というシステムですが
入港してきた船の船員さん相手に一夜を共にするというもので
本来法律で貸し座敷と呼ばれるところでのみ売春を行えるはずでしたが
黙認という形で、沖合いに停泊している船に直接女性を届け
そこで行為を行っていたのです。

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具体的には、各『オナゴヤ』(置屋)がそれぞれ「オチョロ舟」を仕立てていて
(中には、複数の『オナゴヤ』で1隻共有していたケースもあったとか)
当日くじ引きで順番を決め、船が入港してきたらくじで決まった順番で
「営業」をかけ、合意に至ったら船に女性を上げて一旦オチョロ舟は戻り
翌日、女性を迎えに行っていました。

しかし、「馴染み」というか「お得意さん」の船が入ってきた時は
くじ順に関係なくその船に行くことは認められていました。

「オチョロ舟」を操っていた船頭さんは「チョロ押し」と呼ばれ、
船側との交渉は「チョロ押し」が行っていました。

交渉が過熱してくると「チョロ押し」は、うまく値段を吊り上げていき
逆に客が付かなかった場合は、稀に自腹を切って料金を割引きしたり
時には自身で料金を負担して女性に客が全く付かないというような事態を
避けていたとのことです。

この「チョロ押し」、
オチョロ舟の船頭の他にオナゴヤの主人の手伝いもしていて
新しく入ってくる女郎さんの引き取りや場合によっては
逃げた女郎さんが見つかった時に身柄を受け取りに
行くようなことをしています。

女性たちはオチョロ舟で待っている間、飲み物やちょっとした食べ物を
小舟に積んで売りに来る人からお菓子などを買って、花札などをしながら
時間をつぶしていたそうです。

この女性たち、本名で「商売」することはなく源氏名を名乗っていましたが
先の大戦前頃までは

『〇〇千代』

『〇〇奴』

など古風な名前が多かったのですが戦後は

『〇〇子』

 と名乗ることが多かったそうです。

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前のほうで

『「馴染みの船が入ってくると・・・」』

と書きましたが、女性たちは船に乗り込むと甲斐甲斐しく
船員さんに尽くしていました。

洗濯や繕い物をしたり、時には次の入港時までに
編み物でセーターなどを作ってプレゼントしたりと
それこそ九州の若松を出航した機帆船が文字通り
『競漕するかのごとく御手洗を目指していた』
のです。

このような女性がどこから御手洗に来たのかですが
彼女らが自身の経歴を語ることはほとんどなかったようですが
四国や炭鉱の多い筑豊から来たと見られています。

たいていの場合、御手洗に来るまでに他の場所で女郎をした経験があり、
昭和12年の中国新聞には、17歳の芸妓がその境遇に耐えかねて
服毒自殺した、という記事が掲載されています。

彼女は父親を亡くしたことから6人の兄弟のために尋常小学校6年(11~12歳)
の時、250円の前借金で木江の遊郭で芸妓見習いとなり、15歳の時には
前借金が750円に膨らんで御手洗の遊郭に「くら替え」したのですが、常々

『自分ほど不幸な者はないから死にたい』

と言っていたそうです。


このような女性の事を御手洗の人たちは

『ベッピンさん』

と呼んでいたそうです。

そんな「ベッピンさん」にも2通りのタイプがあるようで
親兄弟の生活費や学費を賄う為に身売りされた「ベッピンさん」は
性格がおとなしいとか優しいと言われ、馴染みの客が付きやすかった
ようですが、別のタイプは身体に刺青を入れたり薬物中毒が疑われる
ベッピンで、そんな人は

『アバレモン』

と呼ばれて人気がなかったそうです。


この後、
御手洗の町で「ベッピンさん」がどの様に見られていたのかなどは
次回、触れさせて頂きます。





 

私も何度となく訪問している『みはらし温泉』で、
レジオネラ菌の集団感染が発覚し、40人以上が感染し
一人の方が亡くなられたとの報道がありました。

事態の発覚後、みはらし温泉は自主休業していましたが
感染者から検出されたレジオネラ菌と温泉で採取された検体の
DNA型が一致したことから、広島県は正式に営業停止を命令しました。


これは元々レジオネラ菌について『感染症の予防及び感染症の患者に対する
医療に関する法律』について規定がなかった為に汚染施設の消毒などの
行政措置が出来なかったものを是正する為に、2003年の法改正で
「四類感染症」に指定したためです。

レジオネラ菌自体は、自然界に普通に存在する真性細菌で
水の多い場所で繁殖しています。
(つまり、温泉などは繁殖に好適な環境なのです。)

これらが飛沫感染などで肺に入ると、特に抵抗力のない人は
肺炎などを発症し、レジオネラ肺炎の場合致死率は15~30%と
かなり高くなっています。

厄介なことにレジオネラ菌自体が通常の環境下では長期間生存できるため
除菌する為には塩素消毒を行い、入浴施設では定期的に湯船の湯を落とし
清掃しなければなりません。

施設側の会見では

『(要旨)お湯を落としての清掃などを行うように定めていたが
実際に行われていたか確認まではしていなかった』

との事で、どうも現場レベルでは清掃などに関して
手抜きが横行していたことが疑われます。

この事自体、業種を問わず行われていることで
特に細かい手順を定めているような作業では現場では大抵、

『この位(省略しても)いいだろう』

と、手順の省略が行われると次から次に省略するようになり
気がついたら最初の作業とは違うものになっていた・・・
というような話はざらにあります。

一番好適な例が

東海村JCO臨界事故 

で、ウラン溶液が臨界に達しないように専用の設備を用いて
作業を進めるようにしていたのですが、裏マニュアルを作成し
時間短縮のためにウラン溶液をバケツで取り扱い、
更に別の施設でそれを扱ったことから臨界状態になり
二人が死亡、667人が放射線被曝を受けました。


つまり、上層部が知らないところで下の者は如何に手抜きをするか
常に考えているということを知っておく必要があります。

また、現場の作業者も作業の効率化を考えるのはいいことですが
効率化=手抜きとなっては、万が一の事態が起きた際
冗談抜きで責任を追及されることになりかねません。


まだ事態は継続中でみはらし温泉の営業再開という
話はとてもできません。


今は病気になられた方の回復を願い、
亡くなられた方のご冥福をお祈りします。




 

大長から少し離れた所に、御手洗の町があります。

御手洗の町は狭く、駐車場は町の外れにあり
そこから歩いて散策することになります。

駐車場の近くにあるのが
御手洗休憩所です。

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こちらで無料の観光地図を手に入れ
持参した「大崎下島御手洗における花街の景観と生活」の地図と
照らし合わせ、どこに何があるのかを確認しました。

ぼちぼち、歩きます。

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少し歩くと、御手洗桟橋がありました。

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現在こちらには、1日2便の快速船が寄港していますが
便利とは言えず、大長港を基点として観光するのが
効率的かと思います。

外はいい天気で
絶好のお散歩日和です。

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青空の下歩くのはとても気持ちよく
海から吹きつける風は少し冷たく感じましたが
むしろ火照った身体を上手く冷やしてくれ
ありがたい限りです。

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先述の「大崎下島御手洗における花街の景観と生活」
に掲載されている地図には、その頃どの辺にどのような人が住んでいて
どこがどんな施設だったのかという概略図が掲載されていて、
現在まで大きな災害などがなかったことから建物なども
そのまま残されているようで、海に面した道路沿いにある警察
(交番)を基点に見ていけば、それらがよく分かります。

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で、それらの写真を撮りながら
「これが検番で」
とかやろうと思ったのですが、よくよく考えてみたら
それらの住居には現在も人が住んでいて、それらの人が
もしも過去の経緯を知らずに住んでいるとしたら
このような場所(ブログ)で
「ここは昔「べっぴんさん」が住んでいて・・・」
とかやられたら、さすがにいい気はしないだろうと思い至り
警察以外の場所について詳説はしないこととしました。

ここで勘のいい方はお気付きだと思いますが
御手洗の町は、そう言ったいわゆる「女郎」さんが
特定の区画に集められて囲われていたわけではなく
意外にも、御手洗の町の中に住居をあてがわれて生活し、
地元の住民をそれを受け入れていたようなのです。

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次回、
「大崎下島御手洗における花街の景観と生活」
から、その辺の事情を見ていきたいと思います。




 

以前も話しましたが、母の実家が大長にある関係で
ちょくちょくここには来ていました。

現在は、竹原に向かう快速船1航路のみの運航ですが
当時は、今治や松山、尾道に広島、それに蒲刈経由で仁方と
文字通り各地を結ぶ交通の結節点として機能していて
ひっきりなしに船が出入りしていたのです。

ここが大長港です。

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待合所は写真右手にありますが後ほど、
詳しくご案内します。

まずは皆さん気になっている写真中央の

『アレ』

から。

最近見かけることの少なくなった電話ボックスの上に
こんな物が乗っています。

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毎時00分になると上下に分かれて、
白いネコが踊りだす・・・って、
サザエさんかい!

と、ひとりボケツッコミをしてみました。

これは元々、昭和何年だか忘れましたが
大長の表玄関、大長港に何か作ろうとして
作られたオブジェで、大長といったらみかん、と
これが作られたのでした。

確か全国紙でも当時取り上げられたと記憶していて
目的は達成できたと思いました。

ただ、木江もこれを上回る『モノ』を作っていて
当時天満桟橋にあった電話ボックスの上に櫂伝馬のオブジェを
対抗して作ったのです。

しかし、そのオブジェがまた秀逸なもので
波を乗り切る櫂伝馬の漕ぎ手が全員、鯛だったのです。

もちろんこれも、全国紙に取り上げられたのですが
どちらかと言うと失笑?的な感じでした。

大長港の桟橋は2連式になっていて、これは
先述の通り各地に向かう船の発着を効率よく捌く為でした。

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また、これとは別にフェリー発着の為のスロープも
近くに設けられていましたが、自動車の利用が増えてくると
駐車スペースが不足していたので、新設されたのが小長港の
ターミナルです。

そういえば、
この看板も昔からあったものです。

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遠くには、
これから向かおうとする御手洗の町並みを
見ることが出来ます。

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そしていよいよ、
昔ながらの待合所に入ります。

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木のベンチが並ぶ、古めかしい待合所には
昔の時刻表が一部残されています。

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よく見ると、廃止された航路の時刻表は紙で覆って隠しているだけで
ひょっとしたらまだ、残っているのかもしれません。

更に、昔の広告看板がまだ多数、
残されています。

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注意してみると分かることですが
ここに掲示されている広告はすべて今治にあるお店や病院のもので
竹原や呉のものがないことに注意が必要です。

つまり、
大長まで来ると経済的なつながりは竹原や呉よりも
むしろ、今治とより強くなっているのでは・・・?
と思わせる内容だからです。

確かに、関前村(岡村や大下、小大下が属する自治体。
今治市と合併した)が近接していることもあって通常でも
愛媛と広島のテレビ局が同時に見られる環境下にあるし
実際の話、木江からでも今治の高校に通っていた人も
居たほどだったので、もう少しこの辺の交流環境について
検証してみる必要がありそうです。


次回は、
ようやく御手洗の町に入ります。








 

昨日は大崎上島町議会選挙の投開票日でした。

実は今回、あえてこの選挙に触れなかったのは
何故か今回に限っていわゆる「しがらみ」と言うものに縛られてしまい
言うに言えない状況に置かれてしまったからです。

ですがもう、選挙も終わって選挙結果が確定したようなので
結果だけでもここで触れておこうと思います。

以下、得票数順に

・氏名
・年齢
・得票数

と記載していきます。

1  浜田 幸造  67  578.382

2  水橋 直行  44  499

3  越田 賢一  49  475

4  渡辺 年範  63  453

5  閑田 大祐  43  382

6  信谷 俊樹  67  381

7  尾尻 康二  64  360

8  道林 清隆  67  336

9  森若 巌   69  333

10 前田 太   57  331 

11 上青木 至  69  286

12 浜田 明利  75  258.617 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

13 菅 富範   67  234 


得票数の中に小数点で表示されているものがありますが、
これはいわゆる「案分票」・・・
今回は、「浜田さん」とかかれた得票があり、どちらに投票されたのか
分からない場合、その候補者の選挙全体の得票率によって分配される
という制度によるもので、どちらの「浜田さん」か分からないような時は、
今回の選挙におけるその候補の得票率によって分配されたものなのです。


当選した人の年齢をみてみると

70代     一人

60代     七人

50代     一人

40代     三人

となっていて、
主力は60代ですが40代という若手からも3人選出されたことは
将来に向けて希望を託すことの出来る世代を選出しようという
意識の現われだと素直に思います。

もちろん、年配者の経験に基づく知恵というのも決して捨て置く
ことの出来ないものなので、願わくば若手の提案を年配者が
如何に生かすように物事を運んでくれるのか
注視していきたいものだと思います。


本当なら、先述のような事情で完全に無視するつもりでしたが
前回選挙の際に書いた記事のタイトルが紛らわしいものだったので
今回選挙の結果だと勘違いして訪問されたケースがびっくりするほど
多かったので急遽、今回の記事を上げました。




 

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