トレーナーは、しょうゆ顔LEGEND

“こどもの国”からやってきた“おにいさんの”ブログ。。。笑。(パーソナルトレーナー武田明人さんのやさしい世界観)

成長しようとしない

え、ただのだめな子じゃない。。。



そうでしょうか。。。



じゃあ、どうして、だめな子って決め付けるんですか???



・・・・



・・・・



ぴーんときましたか???


何かに気づきましたか???



・・・・



だめだと決め付ける。だから成長しなければ。。。それってようは、、、「逃げ」じゃないでしょうか???その前に、ダメじゃない、と認めることが大事じゃないでしょうか???だめじゃない。だから、大丈夫。勝手に成長します。なぜなら、、、それだけ、自分を、全肯定してるから。自分の価値を、存分に、認めてるから。

だから、認めた自分に見合う「結果」があとから伴うんだよね。。。ダメだから、成長する。ダメに映るだろうことも素敵な部分で、じつはダメじゃないから、自信を持つ。永遠に前者は後者に勝てないんだと思うんです。

これで、いいんだ。そう思うところから、ものの本質が見え、行動が違ってきます。そういう所作を、うちのウエイトトレーニングでやってるんです。頑張らなくても、大丈夫なんだ、と。実際、ほんとうに、大丈夫なんですから!!むしろ、余計な成長が、つまり、余計な筋出力や、余計な体の動かし方が、かえって結果を損ねるんです。

だって、、、

「元々あった成長」「約束されてた成長」を「余計な成長」が奪ってしまうから。



・・・・



自分を信じて、落ちればいいんです。(落ちる:::私の提唱する動作法)



築いたものなんか、なくせばいいんです。



そのときはじめて、、、自分に「あった」自信に気づくんだ。「ない」「だめだ」と思うから、余計な成長に走るんだ。だめだと思う自分がいるだけで、本当は、だめなんかじゃないんだ。そういう人が行動するから、ふさわしい行動とふさわしい取組みになり、頑張ってないのに、結果がついてくるんだ。



体づくり。。。



そのコツは???



「ずばり!体作りをしないこと!!」



見た目はあくまで見た目。それが自分の価値ではないんだ!!ほんとうは、そのままですばらしいんだ!!だから、すばらしい自分に見合う行動をしましょうよ!!さ、頑張らない!!さ、今を楽しもう!!それを楽しもう!!

俺は、夢を持たないことが、夢以上のものをかなえるんだと本気で思うし、運動面では実際そうだった。夢を持つことで、その未来志向が、「今」の「充実」を奪うからだ。それよりも、「今」に「価値」を見い出せないだろう。だって、夢をかなえていない・叶っていない「ダメな自分」というスタートなんだから。。。



本気で自分を信じるって、そういうことだと思うし、ウエイトは、力を入れないし、何かを起こさないことで、機能的に動けるんだ。だから、自然で、自然である以上、そういう身体が自然に、手に入るんだ。手を施してない自然な体。それは、余計なものを剥いで剥いで、、、帰化し、あった自信を思い出すためなんだ。



どうですか???それでも成長したいですか???私は成長したい人をわざわざ止めるようなことはしません。でも、「私の手で」そうするつもりはありませんので、成長したい人からトレーニングの依頼があっても、私はお断りしています。

成長するな。それを体で味わってもらうこと。成長なんかしなぅて良かったんだ!と相手に感じてもらうことのお手伝い。私にはそれしかできません。でも、それが、いちばん、うまくいくのです。すべては、自分を信じる気持ちです。あとは素直な気持ち。


わくわく(♪)

あさって24日月曜、大仙公園日本庭園にて、予定どおり、夜間演奏会。なかなか告示されなかったので、台風の影響か、と思ってたけど、アップされてて良かった。五重奏みたいです。

あの場所だから、良いんです。体で味わおう。楽しもう。。。

今から庭園にも行こう。気分をほぐして。。。たからさんにも合えればうれしい。。。あさっても。。。っておいおい。。。


追伸:19時前です。お外を歩くと、お月さんが、まんまるにあと1歩。。。そうか、、、その演奏会は、たしか、、、「観月」(かんげつ)の宴だったような。。。そうかそうか。。。うわ~!いいことばっかだな。。。嬉しいな。。。わくわく。。。




思いありきの結果

これは、実際に味わった話で、意識ができた話。気がついた話。でも人が聞いたらぼんやりでうつろな話。数年前、ネガティブな同僚がいて、俺も彼が話しかけてくる言葉に対応が困惑し、避けたくなってた。口をついてはネガティブ言葉。同じ事実でもネガティブな解釈。聞いてるこっちまでいやな気分。彼を見ただけでこっちがいやな気分。

とそこまで思い、もしかしたらこれは、俺が招いた結果じゃないか、と、今度は俺自身があえて気分よくしてみた。世の中はやさしい、みたいに。そしたら彼に話しかけられたとき、ネガティブ言葉がなく、楽しい話題が多かった。でもまた、こいついやだな、と思ってしまうと、また、彼からはいついもどおりのネガティブワールドだった。

うそみたいな話だけど、今、もういちど整理してみると、、、自分の意識を変えたことで、相手までもが変わっていた。世界ごと変わった、というか、もしかしたら、違う世界へ移動したかのような。。。こっちの思いを変えたことで結果が変わった以上に、そこを思ったんだ。

テレビCMでいう「大人エレベーター」。あるいは「タイムマシン」。ここからは確信が持てない話になるけど、同時にいろんな世界が並行してて、自分の意識が、そのどれかを選択できる、みたいな感覚。いろんな世界に自分も他人もいて、意識がそのどれかを選択できる。。。不確定でなんとなくの話。

ウエイトも、重りを挙げる力んだ気持ち。逆らえば逆らうほど重くなる。でも俺みたいに、逆らわない気持ちでらくに挙げる。これも、そういうことなんかな???みたいに。。。苦行とか修行とかそういう思いが、そういう世界を招いてしまう。


ここ数日、俺、少し、硬くなってたかもな。あえて修行してるみたいになってたかもな。。。厳しい世界を選んでたかもな。。。じゃあ、やさしい世界を選択しようかな。。。肩の力を抜いて。。。昨日で45歳。かろやかに。。。


思いありきの行動

最近、俺、硬いのかな???力んでるのかな???ふと立ち止まる瞬間もあるんだ。基本はまじめな人だから、まっすぐな人だから。でも、それでも思ったんだ。

仮にありがたい行為をしてくれたとしよう。好意を受けたことにしよう。何でもいい。親切でもいいし、評価や査定でもいい。かたちとしては「ねぎらい」も含む。でもこういうとき、した相手側の本心までは、こっちが知る由はないよな。

そんなことよりも、してくれたことを、受けた好意を、自分が「ありがたい」「うれしい」と感じることじゃないのかな???腹をさぐって「こういう意図が」と思うのも間違いとはいえない。でも、自分が感じたことがすべてじゃないのかな???

何を感じるかって、、、それは、「してくれた行為そのもの」じゃなく、「いたわりやねぎらいなどの気持ちを感じること」「してくれて嬉しかった、ありがたかった、と感じること」じゃないのかな。。。

だからこっちも、単に行為を起こすだけじゃなく、そこには「思い」「気持ち」があっての行為や行動なんだから。思いが込もってこその行為だから。思いが、行動の質も決めるだろうし。

また、単に「こっちの思い」だけだから、相手へ見返りはないんだ。仮に相手が腹をさぐって「計算だ」とか思うのは自由だし、それをこっちが悪く思うのも、違う。残念には思えど。。。

それをしてあげたとき。それをしてくれたとき。行為だけを見るんじゃなく、「思い」を自然と見てるものなんだ。でもほんとうの思いは、他者目線で腹をさぐることじゃなく、自分が感じたこと。受けたこと。それがすべてじゃないのかな。。。

良い行為、悪い行為、なんてよりも、良い思い、悪い思い。それが行動の質を決める。ま、すべてが機械的になって生産関係のバトンパスになれば、そういう部分がうつろになるだろうけど。。。


明日、45歳になります。



体の使い方ありきの話

本屋でスポーツ関連の雑誌を見てると、強化の話が出てきます。それで、なにやら機能的なエクササイズが紹介されます。そのエクササイズは、身体を解剖学的にみて、そのような方向で動かそうとしています。チューブで鍛えたり、ま、いろいろと。。。




でもそういう運動って、、、

負荷に逆らって動かしてたら、

意味ないわな。。。




ま、俺がこうしろと説得するわけじゃないんだ、正論かざして裁くわけじゃないんだ。でもよう、、、「打ち勝つ」「打ち克つ」という発想を変えない限り、そこを見直さない限り、うわっつらの機能性で終わるやん。。。

ま、昨日は毒を吐いたけど、毒を吐きたくなるような世の中だからさ。。。だから、何でも効率性。便宜性。吟味よりも手っ取り早く。ようは「処理」したいんだ。でもそういう「処理軍団」が時代を先導するから、世の中おかしくなるんだ。




だからいうんだ。





「何をやるか、よりも、どうやるか」

なんだ、と。




打ち克つためにも、打ち勝つを捨てなきゃ。。。勝とう、勝たねば、の心と行動に「打ち喝っ!」と「喝!」を入れなきゃ克てないはずだよ。。。身体の使い方ってうちはいうけど、どう???すっごく単純な話だと思いませんか???

そもそもすごい理論とかいらないんだよ。知識から知恵が得られるんじゃなく、先に知恵なんだよ。その副産物が知識。生きた知識。それを斬新だとかいうのは、「処理集団」の立場の見解。ほんとうは、呆れるぐらいほっこりする単純な話なんだ。

「木を見て森を見ず」じゃなく、「青い鳥」に気づきましょうね。。。っておはなしさ。。。


処理

あ~(うなだれ・・・)


ごめんね、ちょっと疲れたの。。。どういうことかって、虫の居所が悪かったせいか知らないけど。。。これまでもあった話。都会って速いな。。。現代は速いなって。。。特に電話。話す速度の速いこと速いこと。てきぱきてきぱき。用件は端的に。

なんかこう、「処理」になってるの。「処理」されてるの。そう感じるの。。。ひとつひとつを、心を込めて。相手の気持ちを、察してあげて。そこがないの。いや、なくはないんだろうけど、どこか「処理」なの。

でも思うんだよ。速いか遅いかがわからない話。依頼をしても、連絡帳だの掲示板だの、ようは、「プール」するんだよね。もっといえるのは、そのプールに気づけば、「すぐ動けよ!」って。それを「数日後に対処」。「え?」ってなるわな。誠意がないというか。

てきぱきしてても、結局処理になって後回し。その対処もどこか流れ作業で事務的。依頼した者の気持ちも汲まずに、実動や心の受容がない法則だけで片付ける。それでいて「いそがしいから・・・」。

ながら作業がそんなに合理的なのか、ってむなぐらつかみたくなるよ。処理するしない、の前に、相手を受け容れようよ。。。寄り添おうよ。。。なんかこう、温かさがないなって。。。

機械的に判断して「処理」。こっちの気持ちも「処理」。こっちがどういう思いなのかも「処理」。いいや「処分」かもな。。。それでスピードの時代ってよう。。。あほかって思うよ。。。

スピードの時代かもしれないけど、だからこそ、瞬間瞬間を「味わって」。ながら作業じゃなく、ひとつひとつを吟味して。。。以前もあった、指導中に「これってどういう意味があるんですか???」って呆れた質問は、「処理」や「処分」の気持ちからじゃないかな。。。楽しめてないんだよ。効率ばかりで我慢して結果結果・・・だもん。。。こういうのこそ、、、本末転倒っていうんだと思うぜ!!


ごめんね。毒いっぱい吐いちゃった。。。


でも最後はポジティブにしめたいんだ。だってさ、、、こういう時代になって、これが当たり前になって、でも俺は、そこに「疑問」を抱けていること。そう、こういう問題意識が起きるぐらい、俺は時代に流されず、自分を持ってるってことなんだ。

でもそれだけじゃない。こういう背景を見たからこそ、、、自分がされていやだったことは、人にはしたくはない。自分なら、こうしてあげたい。そういう理想をもてること。再確認できること。

寄り添ってあげる。聞いてあげる。叶う叶わないの前に。それでも叶わないこともあるだろう。でも、応え方ってのがある。ばっさり法則で切り捨てるんじゃなく、夢は持たせたい。夢は持っていたい。

だから、端的じゃなくって、いいんだよ。。。白か黒か、じゃなく、中途半端でグレーでいいんだよ。どっちも持たせていたいし、そういう応え方がいちばん、説得力もある。いいえ、愛がある。愛があるから、説得力もある。愛のない強制執行じゃなく、ね。

多くは、このことに気づかず、そういうものなんだ、と流されるか、諦めるか。俺も、つい先日までは、「意見をいわずに文句ばっかりいうやつは、卑怯だ」と思ってた。でも、どうしてそういう卑怯な大人、諦めの大人が増えたのか。わかった気がするよ。

だからこそ、、、俺にできること。またひとつ、思い浮かんだね。。。たかが運動指導だけど、そこが専門だけど、愛のある指導者、愛のある大人でいたい。


日々是好日

コウニチって読むんだね。。。コウジツって読むんだと思ってた。。。え、どっちでも良かったの???今年に入って(ってもう9月だけど。。。)自分の意識がね、たとえば「何か大きな成功をしたから、俺はすごいんだ」とか「大きな収入が入ったから今日は良い日だ」とかそういう考え方から脱皮してるんだよね。

だってこれじゃさ、、、「そうじゃない日は、ダメな日」じゃない???完ぺき主義者って、減点法なんだよね。だから負の部分ばっか注目してる。。。ネガティブだよね。何でもない日でも、ほんとは何でもなくない日だし、何かが達成できなくても自分はすばらしいって思えるかどうか、なんだよ。

成功したからすごいんじゃない。成功しても成功しなくてもすごいんだ。大事なのは、そういう自信であって、そういう自信だと、崩れないんだよ。成功したときしかない自信って、もろいやん。。。そう思わない???

それが原因だよ。行動を1歩遅らせたりする原因の。。。それなら、いつも良い日だと感じること。満たされてるんだと思うこと。ほんとうは、能力って、すでに潜在してるわけで、しかも自然など周りによって生かされてる。これは「体の使い方」に限った話じゃなく。。。

できない、できない。。。ほんとは「したくない」んだ。怖いから。。。完璧じゃないから。。。でもね、、、ある本によると、こういう考え方。完璧じゃないことがじつは完璧で、欠けてることが正常なんだって!!で、欠けてはいけないってその欠けた部分を埋めようとする。結果、完璧じゃなくなる。。。やってもやっても満たされないってことなんだ。

でも、欠けてることが完璧なんだって思うと、飛び込みやすくなるかもね。好きなことをやるときって、そういう気持ちじゃないかな???できるできないじゃなく、好き。できなくても、好き。できても好き。だから、好奇心旺盛になるんだ。でも、それ自体が好きだから、完璧になることじゃなく、今、そのときを、楽しんでる。

なんだかどんどん、話がまとまらなくなってきたけど(笑)。

日々のプロセスを、楽しもう。好きなことを大事にしよう。やりたいって思うことを楽しもう。成果や結果は、ただのおまけだよ。夢中になること。なれること。そんな毎日。いいフィットネスライフ。

「理想」っていうのは、ひとつの羅針盤。方向性をたしかめるものにとどめておいて、それ(理想)に縛られず、今やることを、楽しもう。廃人にはなるな!!ここでいう廃人とは、腐って諦めてしまう生き方をすること。価値を持てないないまま腐って諦めること。今に満足するってそういう意味じゃないから。

味わって過ごしたいものだね。


*にちにちこれこうにちって読むのだそう。。。

ファンタジーに(♪)

新しいカテゴリーを追加した。何でも親カテゴリーの中に新しいカテゴリーを作ることもできるそう。それで、元々あったコーチというカテゴリーを親カテゴリーにして、その中に「ファンタジーな動作論」としてみた。

向こうのメインブログで基本、そういうことを書くんだけど、動画も載せて。。。でもね、こっちのほうが、俺自身、肩の力が抜けて、現場と変わりない等身大で語れる気がして。


さあ、、、その動作論なんだけど、、、うちは、「体の使い方ありき」でしょ。力んで力んで動いて鍛えてたら、体の使い方がなってないからね。同じ強度や同じメニューでも、運動効果が人に寄って違う一番の理由は、「やる本人の体の使い方」だよ。

体の使い方をないがしろにして、がむしゃらにいじめるものじゃないんだ。ウエイトも、運動やスポーツと同じカテゴリーだよ。筋力がついても、使えない、重くて動けない、ケガが絶えない、とかは、そこに原因があるんだ。

もっというと、体のその動かし方に見合う体型や状態(コンディション・硬さややわらかさ・温かさや冷え、など)になるんだ。アスリート体型になる鍛え方ができる人は、すばらしい体の使い方で鍛えてるから、なんだ。

ほんとうの才能って、こういうことだと思うんだ。だからね、、、その才能って、、、伸ばせるんだよ!!才能に見合う力や体力、、、じゃなく、才能そのものを伸ばすんだ!!


ってな感じが、うちがやってる強化方針さ。


で、今日はほんとうは、その体の使い方についての「最新の状況」「最新の情報」(情報発信元は、私の経験:なんだよ!プロの実体験なんだよん。。。)を述べようと思ったけど、また後日にします。とってもファンタジーな動作論なんです。

そうそう、、、その体の使い方というのは、学術的に、知識を駆使して、論理を総動員させたものじゃないんだ。いうならば、、、その知識をはがして行く感じかな。。。最近は、知識だけじゃだめで、知恵を培いなさい、って言われるね。これってさ、、、先に知識で後から知恵。じゃない。。。

うちはね、、、そこから違うんだよ!!だって、先に知恵だもん!!で、後から知識。。。かな。だからその知識がね、、、とっても既存レベルを超えた「発展的なもの」に映り勝ちなんだ。これ、誤解!!

先に言っとくね。。。それはそれは、、、もう、、、どうしようもなく「幼児的な世界」「無邪気な世界」。笑ってしまうぐらいに、ふっと軽くなるんだ。でも、深さも自然と染み込んでる。「能ある鷹は爪を隠す」みたいだね。。。

なんてこと紹介してたら、動作論のこと触れるまえに、いっぱいいっぱいでしょう。。。笑。


「先に知恵から」「発展的じゃなくすっごく幼児的、、、だけど深さも染み込んでる」


そう、だから、スポーツ経験や才能なくてもうちは大丈夫だし、むしろその経験や才能が邪魔してるぐらい。かしこい振りをやめて、おバカになる。でもほんとうにバカになるんじゃない。

むしろ、理論でがっちがちのほうが、バカだということ。で、そういうバカが、すごいことだ、と誤解されるから、「私でも大丈夫かしら???」になるんだ。

「大丈夫なわけないやん!!」「大丈夫じゃなくて、いいんだよ、それが正常だよ」「そんなことに大丈夫にならんでよろしい!!」・・・・これが、ほんとうの意味でいう「大丈夫だよ!」って意味です。

うわ~深いなあ。。。発展的???そう思いながらも、「どこかが、何かが、軽く、なってませんか???」・・・・・それが大事なんですよ。。。


ほ~ら、いっぱいいっぱい。。。


じゃあ後日ね。。。


期待を、あえて、裏切ることも、プロフェッショナル

トレーニングを始める人は、とくに未経験者は、きっとこういう思いがいっぱい。

「あれ(あのマシン)をやってみたい」「これ(このマシン)もやってみたい」

でも、うちらプロ側がやるのは、じつはそうじゃなく、逆に、あれをやりたい、これもやりたい、を、「あえて我慢させること」。これを大事にしています。これはあくまで、専門的に生理学などを見た上での判断。体が、運動をできる下地(下準備)ができてないから。

でも、なかにはあれをしたりこれをしたり、する指導者もいるだろうけど、俺は、しない。いえ、昔はみんな、そうだったし、そう教わってきたし、それが当たり前だった。

最初は、物足りないぐらいで、やめてもらうこと。

でもこれが、、、長く成果を出し続ける、長く楽しんでもらえる、いつまでも安全でいられる、最大で最高の秘訣です。もっとやりたい、私はそういう声に、ぴたりとも動じません。諦めてください。そういうと、「どうせ私なんか・・・・・」「私はできないから・・・・」とネガティブになる人。こう思って欲しいと思います。

「今の自分は、すでにすばらしい」「でも、変わっていく自分も、すばらしい」

先に「自己否定」から入るから、あれもしなきゃ、これもしなきゃ、になる。でも、すでにすばらしいんだから、がんならなくてもすでにすばらしいんだから。。。そういう人が、変わっていくんだと思いますし、だから、抑え目でやることに、信頼もできるんだ。

実際聞いた話、40代50代で、運動不足の友人を持つトレーナーの話。その友人の方が、若いトレーナーについて、あれこれいろいろ試して体験したところ、翌日にはひどい筋肉痛とひどい疲れに襲われたらしい。無理を意したらあかん、もうやりたくない、と友人はおっしゃってたそうな。それぐらい、こっちが思う以上に、強度はかかってる、ということ。

繰り返すが、昔は、「あきらめてもらうこと」が、プロらしい指導だった。今も、同じはずだ。うちも、びっくりするぐらい、強度は低い。重量は軽め。動き重視なのも、回路を磨くため。必死な姿ばかりがテレビとかで紹介される。カリスマトレーナーの指導を受ける生徒らが紹介されたりする。それ自体を悪く言うつもりはない。でも、スタートは、、、そうじゃなんだよ!!それを言いたい。

階段は、一段ずつ。その一段も、数回で超えたっていい。間違っても、数段飛ばして超えてはいけないんだ。でも安心して。。。数日経って、数週間経って、数ヶ月経てば、、、山登りみたいに、見下ろす景色が違ってるから。


・・・・・・


いかがでしかた???これで「夢」がもてましたか???「退屈」や「我慢」、、、つまり「苦労」なくして「成功」なし。王道。。。最後に、私のことを、紹介させてください。


どうして、、、うちは、、、「体の使い方」、、、なのか。


それは、、、そんな「退屈」かもしれない運動にも、「単純」と感じる運動にも、魔法がかかってしまうからです。「不思議・・・」「え、力入れてないのに、こんなに簡単に、動かせてしまうの???」「頑張ってないのに、何、この充実感???」「何、この動きの軽さ???」「うわ~、楽しい!!」。

多くの種目を提供することが、プロではなく、「たったひとつの種目」のなかにも、「多くのファンタジー」を潜めている。「あれ!やった後なのに、今、すっごく身体が、軽くなってる・・・」「終った今の方が、筋肉が、やわらかくなってる・・・・」

参考までに、こうい軽さは、しばらく続きます。そして、「またやってみたい」「また味わってみたい」と思えてしまうんです。継続は力なり、といいます。でもその継続は、「忍耐」ということじゃなく、「わくわく!!」。


ファンタジーな世界を持ち、いつでもあなたに演出する。


期待に応えないんじゃなく、期待を超えたところ。良い意味で期待を裏切るところ。いわば、基本やマニュアルを超えたところに、素敵な何かが潜んでいる。子どもの心。純真な世界。こういう世界は、あなたの中にもある。だからこういう世界がなくなることはないんだ。むしろどんどん膨らんでいくもの。

どうか、夢から醒めてください。それは、夢ではなく、現実なんですから。。。真実なんですから。。。

“はっ!”と我に返ったおはなし

今日は、真剣な話をします。ゆるいながらもたしかにいつも真剣だけど

なんかね、、、俺、どうしてこの仕事やってるのか、どうしてこの仕事じゃなきゃならないんだ、って改めて気づかされたんだんだ。俺、このところ、自分の技術を向上させよう、開発しようって、そこばかりに意識が過剰になってた。もちろん、開発意欲や指導者としての自分を向上させる意欲は必要で、そこをないがしろにしてたんではいけないよ。ただ、ね、それがどうして大事なのか。



正確には、その意欲を掻き立てるものは、何なのか



そこを、再確認できたんだ。今日、じつは、素敵な日帰り旅行(抽選で当たったんです)でした。そこで偶然であった人との会話から、気づいたら俺、その人に寄り添うように話せていた。そして、使命感のようなものにも気づかされた。

やる気を持つことは、それだけで素敵なこと。それも持たずにいるよりも、はるかに素敵。ただその一歩が踏み出せない。あるいは、「あれしようかな???」「これのほうがいいかな???」でもまだいずれも踏み出せていない。

こういうとき、(運動の)できる人、なら、「飛び込む勇気だ」「やってみることだ」と背中を押す。あるいはまだ行動できてない相手を責める人もいるだろう。でも俺は、そういう手法が嫌いだ。やってみたいって思うだけでも、すばらしいじゃないか。そう考える人。そこに気づいたんだ。

でもそれだけじゃない。そういう話を聞いて、話が弾んでいくことも、その人が嬉しそうな顔になってるときも、好きだ。でも我に返って、「でもなかなか踏み出せなくて・・・」となると、表情もかげりを見せる。でも思った。それでも思った。「ほんとうは、やりたいんだ」と。




「私なんか、若くもないし、あるいはできないし、もしや煙たがれるかも。そう思うとどこか飛び込びにくい」「こっち側の人(指導者側や受付)は、そんなこと考えもしませんよ(笑)」

「ある程度できてから、来る」んじゃなく、「できる前に、来てください」

「私も含め、はじめはみんな、できなかったんですよ」「図書館だと思って、励みにしてみては」




こんな私でも、大丈夫ですか???でもその不安は、どこから来るのでしょうか???誰が、その人に踏み出せなくしてたのか???俺は、業界人としての立場を答えたんだ。偽りなく。。。

同時に思った。俺たちは、知らず知らずの間に、敷居を高くしてたんじゃないのか。ほんとうのほんとうは、、、弱者を救いたいはずなのに!!




ほんとうのほんとうは、弱者を救いたいはずなのに!!




その人との会話は、時間を忘れるぐらいに、あっという間に過ぎ去った。今夜、近所のジムの体験会に行くらしい。飛び込む勇気が沸いた、と言ってくれた。その人が何かが剥がれ落ちたように見えて、俺も、嬉しかった。




でも余談、俺の私服姿で、「何か、運動、されてるですか?」「すごい鍛えられて風に見えて」「ちょとやそっとではこうならない」みたいに感じてくれたこと。素直に嬉しかった。同時に、「驚いた」。俺は、自分を肯定する勉強として、あえて「ありがとうございます」と答えたが、驚きのほうが大きかった。

「筋肉がすごいけど、トレーナーに見られるような筋肉太りじゃなく、細く見えるけど、(筋肉が詰まってる感じがして)何かが違う」みたいに言ってくれて、嬉しかった。だから、その秘密をこっそり伝えた。「(いじめないような)体の使い方ありき、ですよ」って。

でも、水面下には、今日であった人のような「飛び込めない層」が多いんだ、と気づかされた。だったら、俺るのやるべきことは、、、俺が大事にしていくこととは、、、その答え。でもそれは、俺のなかにきっとあったその答え。俺も、弱者だもん。。。




強さを見せることよりも、じつは弱かったんですよ、といえること。

はじめはみんな、ダメだったんだ。

そして何より、老若男女関係なく、やりたい!と思って来てくださることが、業界側も嬉しい。




飛び込め飛び込め、そう言うのは簡単。でも俺は、弱者の自分、だめな自分にもう一度立ち返って、そして、業界側の立場にも冷静になって立ち返り、弱者の味方でありたいし、弱者を救うお手伝いをしたい。


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