スクワットでいえば、、、、
私のスクワットは「進行方向」だと思います。
「ブレーキ」というか「力み」がほとんどないというか。
逆に他の人の動画で見るようなスクワット。
強く下へ押さえつけられ、それに耐える、逆らうかのように、
「ぐっ」「ぐぐぐぐぐ・・・」みたいな挙がり方。
これは「逆方向」なんだと思うわけです。
東京から大阪へ行きたい。
ならば西へ行けば、必ず着けるわけでしょ。
その方角さえ間違えなければ。
なのに途中地点を見て
「これで合ってるの???」って逆方向へ行ったり戻ったり。
で、苦しさや迷いありきでたどり着く、、、みたいなおかしな話。
種を植えれば、
必ず芽は出るし、茎が伸び、花が咲き、実るわけです。
なのに翌朝、芽が出てないからといって
「土を掘り返し」「種を取りだし」
なんておかしなこと、、、しませんやん。。。
この2例から言えるのは、うかがえるのは、、、
逆方向にさえ向かわなければ、、、
必ずたどり着く🎶
不満・疑い・不安・心配・嫌悪・圧倒される・怒り・自己喪失感
これらはまさに「逆方向」へ向かわせようとします。
これらをやめることです。
そもそもルールは、
「このままではだめだ、今のままではいけない、不足している」
といった欠乏感から生まれた副産物。
そしてそういう不要な必要条件が生まれ、拡散し、
あたかもそれが常識となる。
不要な必要条件が力を持つ。
「体幹をどうこう」
「姿勢はこうで」
「こういう意識を」
望まないことを跳ねのけようとするその副産物が、
さらなる望まないことを与えることに、人は気づきにくい。
そういう情勢に吞まれているからです。
でもマウントされちゃうんですよね。
でもそれこそ「逆方向」であって、
しかもそのマウントをマウントし返そうとしても「逆方向」
放っておくのです♪
すると、浮力が働くかのように「進行方向」へ向かえます。
これまでは「水槽にピンポン玉を手で押し沈めて」いたのです。
これからは「そのピンポン玉から手を放す」のです。
この瞬間の「びっくりするような浮き方」
これがわれわれの本質です。
それこそ「進行方向」に向かってる、ということです。
「自分が軽くなったときに感じるそのエネルギー」
これこそが真の体力なのです。
冒頭のスクワットはそういうメカにズムで動けてしまっています。
私のスクワットは「進行方向」だと思います。
「ブレーキ」というか「力み」がほとんどないというか。
逆に他の人の動画で見るようなスクワット。
強く下へ押さえつけられ、それに耐える、逆らうかのように、
「ぐっ」「ぐぐぐぐぐ・・・」みたいな挙がり方。
これは「逆方向」なんだと思うわけです。
東京から大阪へ行きたい。
ならば西へ行けば、必ず着けるわけでしょ。
その方角さえ間違えなければ。
なのに途中地点を見て
「これで合ってるの???」って逆方向へ行ったり戻ったり。
で、苦しさや迷いありきでたどり着く、、、みたいなおかしな話。
種を植えれば、
必ず芽は出るし、茎が伸び、花が咲き、実るわけです。
なのに翌朝、芽が出てないからといって
「土を掘り返し」「種を取りだし」
なんておかしなこと、、、しませんやん。。。
この2例から言えるのは、うかがえるのは、、、
逆方向にさえ向かわなければ、、、
必ずたどり着く🎶
不満・疑い・不安・心配・嫌悪・圧倒される・怒り・自己喪失感
これらはまさに「逆方向」へ向かわせようとします。
これらをやめることです。
そもそもルールは、
「このままではだめだ、今のままではいけない、不足している」
といった欠乏感から生まれた副産物。
そしてそういう不要な必要条件が生まれ、拡散し、
あたかもそれが常識となる。
不要な必要条件が力を持つ。
「体幹をどうこう」
「姿勢はこうで」
「こういう意識を」
望まないことを跳ねのけようとするその副産物が、
さらなる望まないことを与えることに、人は気づきにくい。
そういう情勢に吞まれているからです。
でもマウントされちゃうんですよね。
でもそれこそ「逆方向」であって、
しかもそのマウントをマウントし返そうとしても「逆方向」
放っておくのです♪
すると、浮力が働くかのように「進行方向」へ向かえます。
これまでは「水槽にピンポン玉を手で押し沈めて」いたのです。
これからは「そのピンポン玉から手を放す」のです。
この瞬間の「びっくりするような浮き方」
これがわれわれの本質です。
それこそ「進行方向」に向かってる、ということです。
「自分が軽くなったときに感じるそのエネルギー」
これこそが真の体力なのです。
冒頭のスクワットはそういうメカにズムで動けてしまっています。