kinjoblog

marketing & data science & AI わりと学問系です。

数年ぶりに

数年ぶりにブログを更新。
時間があるときにでも研究関連の情報を更新していきます。

あるブログの挑戦

以前から知人でもあり放送作家をしているちだいさんという方がいる。
ふだんはやや下品めのネタブログ「チダイズム」を書いているのですが、原発事故以降、放射能など原発関連の記事をかいている。内容の賛否は保留しますが、最近の試みとして、なかなか気持ちが伝わらないので「笑い」と結び付けて問題をうったえようと努力している。

http://ameblo.jp/c-dai/

この試みを通じて、

「いくら自ら危険であることをうったえても、一部似た関心がある人にしか伝わらない。」

という、ネットの浸透や情報源が膨大な現代における問題のひとつを痛感した。

つまり自ら好む情報しか選択しないという問題であり、それは広大な情報のなかで島宇宙を形成してしまうという問題である。それで個々人が閉じた世界で生きるのはいいのだけど、大きな流れや危険から取り残される可能性もあると思う。

真実や事実はひとつなので最終的には時代や科学を通じて共有化されるとおもうのだけど、そうなる前に、島宇宙同士をつなげていく試みは必要だと思う。たとえば、今回のケースだと「リスク」と「笑い」というような前代未聞な挑戦。これらは、あるリスクや問題を、関心の違う人々と共有することで全体におけるリスクを低減させるという試みでもあると思う。

最近、キュレーションという言葉があるが(参考『キュレーションの時代』)、それ以上に異なる情報同士をうまく編集し、様々な関心をもった別々の島同士を接続していくあらたなキュレーターが求められているのではないかと思った。

補:原発の問題については、リスクに対する科学や人間の態度も含めた大きな問題に関連していると思うのでまた機会があらば取り上げたいとおもいます。

「理性の限界」「知性の限界」

高橋昌一郎「理性の限界」および「知性の限界」講談社現代新書

をよんだ。 ゲーデルや論理学、哲学の専門家のかたである。

科学哲学にかぎらず、哲学好きにも、 科学(人文、社会、自然科学)をいちおう志しているひとには入門としてお勧めの本である。 本の名前は堅いがかなりやわらかく、ネタも盛り込んでおり読みやすい新書です。 まさしく理性や知性のぎりぎりのところを扱っていて、 人間や世界ってホントにおもしろいことがわかる。

民主主義というのにそもそも問題があったり、決定論の問題、論理の問題、論理実証主義や、ポパー、ロマン主義まで登場しディベートをしながら余談も盛り込みつつ、 話が進む。結構近年の科哲の話題なんかも盛り込んでいて新鮮な部分も。 個人的にはロマン主義に共感 笑


ざっと単語レベルででてきたの列挙してみたので気になったひとはググって調べてみてください。 ⇒記号は、個人的なメモ。


 嵳性の限界」では社会科学、自然科学、論理の限界について語る。

 社会科学

 ・アローの不可能性定理 
   ⇒完全民主主義が不可能というはなし。
   ⇒そういえば社会科学関連のパラドックス関連だとアレのパラドックス
     とかいろいろある

 自然科学
 ・EPRパラドックス  
 ・「神はサイコロを振らない」  
 ・ハイゼンベルク不確定性原理
   ⇒最近のはなし 
     http://www.nikkei-science.net/modules/flash/index.php?id=200704_030
     http://www.gizmodo.jp/2010/08/post_7439.html
 ・さらに人間原理にも踏み込む。  
 ・ファイヤアーベントの方法論的虚無主義にも言及
  ⇒科学も宗教も全体主義もなんでもあり。


 論理
 ・ベリーのパラドックス「19文字以内で記述できない最小の自然数」  
 ・抜き打ちテストのパラドックス
 ・ゲ―デルの不完全性定理(述語論理の完全性、自然数論の不完全性)  
 ・レイモンド・スマリヤンの認知論理のはなし  
 ・グレゴリー・チャイティンのアルゴリズム情報理論、チャイティンの不完全性定理



補:ラッセル他、自己言及関連についてはあまり扱っていない。とおもう。
   そういえばZFAとかどうなってるんだっけ。


◆崔寮の限界」ではもっと広く、科学や人間の知性そのもののがテーマ。
  とりあえずかなりの要約&単語列挙します。


●「哲学とか語りえぬことには沈黙しよう。」

  ・ヴィトゲンシュタインの写像理論
  ・言語ゲーム
  ・サピア・ウォーフの仮説
    ⇒そういえば、今井むつみ先生が最近新書、書いていた気がする。

●「科学をささえる帰納ってのも欠陥。 あと、反証できないポストモダンなひとやフロイトなんて疑似科学。
 予測なんて無理。」

  ・確率論理(カルナップ『論理学の形式化』)、帰納論理
    ⇒この辺は「帰納的確率と様相の論理 (双書・現代の論理)」 永井成男    なども参照
  ・ヘンぺルのパラドックス
    ⇒そういえばグルーのパラドックスというのも。 「帰納法の新たな謎」http://www33.ocn.ne.jp/~homosignificans/symbolnoumi/content/works/papers/semioticism.html

  ・ポパーの反証可能性
    ⇒フロイト理論とか大理論って疑似科学。
  ・ポストモダンな人に対する批判としてのソーカル事件
  ・ニューカムのパラドックス
  ・バタフライ効果から複雑系まで。

●「人間の知性の起源と限界は?」

  ・人間原理:宇宙の変数が人間にあうように調整?
  ・カントのいうところの「物自体」についてはわからないとするはなし。
  ・再び、ファイヤアーベントの方法論的虚無主義




やや紹介チックになっていて、それらを発想するに至った手順はあまり詳しく紹介してないがおもしろい本である。どちらかというと、ヴィトゲンシュタインのはなしなどは野矢先生の本のが流れがわかっていい。こういう議論って極端すぎて利用は難しいだろうが、人間っていろいろ考えてるんだというのがわかるだけでもいいかもしれない。個人的に調べようと思った最近の動向もあったので参考にしよう。
 気になったのは、生きるうえで現在ある情報のなかで最もよさそうなものを選択するというか、 オッカムの剃刀とか統計、ベイズは科哲でどう語られているのかということ。そういうのは何主義というのだろうか。


もうひとつ「発想」の科学哲学における位置づけとか、妥当性も気になるところ。 一部は解釈学とも関連している。⇒ポパーと仮説構築の論理あたりの関連はみつけた。
   http://www.umds.ac.jp/kiyou/r/R22-1/r22-1akagawa.pdf



補:川合光の「はじめての超ひも理論」を読む予定。(これも講談社現代新書。)

法的推論(その2)−実際の法律

法律家の先輩がいるので、法律に関しての大雑把な講義をうけたので、そのメモだけでも書こうと思う。私は法律については無知なのでコメントなどあればよろしくお願いします。


)[Г箸いΔ里話噂磴砲い┐弌⇒弖錣噺果で成り立っている。
 これらは要件と呼ばれる事実とそれに伴う効果で規定されているルール。
 あとは事実とルールをもとに効果を演繹的に導く。

・法律
=要件+効果
=要件⇒効果

要件=事実
効果=法律の効果

・例:刑法199条
:人を殺したものは3年以上の懲役、無期懲役、死刑
:(人は)「人」を「殺す」⇒3年以上の懲役∨無期懲役∨死刑
cf.量刑不当だと取り消されちゃう=今までの常識は無視できない


・演繹推論を行う(ロジックの世界)
大前提 法律
小前提 事実
帰結  法効果


△燭澄∨[Г砲睫簑蠅あって、大きなものとしては「法律解釈」や「事実」についての問題がある。法律解釈については、概念の定義や境界のはなしで、事実についてはやや推論も含まれていたり程度の問題も多く、この辺りが最近の裁判員と関連。


1.法律解釈が必要
 「人」? ex.胎児を殺した場合は?
 「殺す」?ex.脳死にした場合は?
 cf.立法段階で明確にすることである程度解決

2.事実についての問題(程度の世界)
  その事実があるのか、ないのか(事実認定の問題) 

存在する証拠からある事実の存在を認定できるか  
  ex.殺人の目撃証言からAがBを刺したか否か
存在する事実からある法律要件事実を認定できるか 
  ex.AがBを刺したとして、そのことからAが殺意があったといえるのか
  ex.Aが大量に酒を飲んでいたとしてそのことから責任能力がないといえるのか


補:ちなみにいわゆる裁判において反対尋問や主尋問、再反対尋問ではこれらを駆使して事実等の矛盾をみつけたり、逆に無矛盾にしたりするプロセスらしい。

反対尋問(矛盾発見)
主尋問・再反対尋問(無矛盾にする)

法的推論

最近法のはなしをよくきく。そういえば法律家?がつかう推論を論理で「形式化しよう」というはなしがだいぶまえからあったな〜とおもい、しらべたので簡単にまとめてみた。メモ。

新田先生の本にある事例で説明する。

「車は進入禁止」

を論理式でかくと、

(∀X)車(X)→進入禁止(X).

なのだが、これがやっかいで

・概念があいまい:この車ってものの概念があいまいなので、たとえばバイク(X)→車(X)というようにいちおう用意しないとだめ。
・ルール間に矛盾がある:たとえば、表現の自由VSわいせつ物。仮に同じ行為をしても、これらを論理で記述したら、矛盾する。

こういう話をふまえて、これらを解消するためにとられている方法があってこのはなしがわりと面白い。

・解釈の生成:帰納推論がつかえる。たとえば、車といっても自転車はどうなの?飛行機はどうなの?といったときに、飛行機もだめというなら、車の概念をうえに上げて「乗り物」にする必要があるし、逆に、自転車はOKってなら、「動力のある車」って概念を生成していく必要がある。       
・解釈の選択:ルール間の矛盾の解消につかえる。たとえば、個人の自由派だったら、ルールの順位が表現の自由>わいせつ物


「〜してはいけない」「〜しなければならない」「〜することができる」といったことを表現するための「義務論理」という形式もあるんだが、それで証明系をつくるのはむずかしいのでお話だけみたい。あと、判例のデータベースをつくって、事例ベース推論(似たやつを持ってきて推論)というのをつくっている例も海外ではあるらしい。


最近の動向について、こないだの修了式のときS先生に話しをきく。S先生はAI系なんだが、というよりほとんど数理論理学者(非単調論理)のひとなんだが、なぜか最近T大のロースクールを卒業している。そっちの雑誌で証明責任の形式化を論理プログラムでという謎の論文を書いているのをみつけた。http://www.j.u-tokyo.ac.jp/sl-lr/04/papers/v04part05(satoh).pdf もう50近いのでどこにモチベーションがあるのかわからないが、おそらく応用のためなんだろうか。


この手のひとでちゃんと専門にというひとも少ないので貴重な存在ではあるのだが、いろいろ話をきいてると結構難しいんだと。ふつうにしっかり記述すると凄まじく難しくなる。そしてそもそも、法が論理プログラミングで記述できたところで、その記述の正しさをだれが証明するのかが難しい。事例を引っ張ってくるのは使えるんじゃないか?とも聞いてみたが、これについても、「たいていの有名な判例は知ってる」らしくあまり用途がないんだと。そういうわけで、最近では推論とかの教育につかえないかと考えているんだとか。近頃は、そもそもプログラミング形式に近いかたちで法律を記述してもいいのでは?ということを研究しているとのこと近日発表予定だと。他に、応用可能なものとしては、さきほど述べたような発見できていない法律間の矛盾をみつけるというのもトピックとしてあるかもしれないなーと。


また、別のI先生の話で、「立法」の場面では、結構この手の形式化や「考え方」がつかえるらしく、実際に官僚の友人がつかっていたんだと。実際の法の設計の場面でも、ちゃんと規則みたいなものがあってそれにのっとって使うらしいのだけど。


制度を科学的に扱うというはなしは、論理方面もあるけど、最近の経済学みたいなゲーム理論とかを使って分析していくというもののほうが流行なのだけど、個人的には「〜してはいけない」みたいなルールの記述や帰納に最近興味があるので近いといえば近いかも。とりあえず形式化ってなんというかどちらかというと論理習ったことあるひとのトレーニングや思考の整理向きかも。そのうち時間ができたらちゃんと読んでみよう。



補足:今月、会議があるようです。
http://research.nii.ac.jp/~ksatoh/jurisin2010.html

blog、SNS、twitterなどについての疑問

どうでもいいけど、アメリカ発なのはなぜ? アイディアがすごいのか、それへの投資がすごいのか、そういう国民性なのか。たんに技術的に先端だからなのか。詳しい人おしえてください。
いずれにせよ、これって人の普遍的な欲求なのかな?単なる海外の模倣?



仮に普遍的な欲求であるなら人間ってなにがしたいんだろう?


おれより一つ下の世代の学生だと、マイミクとか数百人がざら。
というよりmixiはわりと年齢層高めで、いま若い世代はグリーかモバゲーらしいよ。 いずれにせよ、コミュニケーションコスト増大しすぎな気がする。


個人的には、少数の遠くにすむ友人とのコミュニケーションツールと、
脳内の整理と、アイディアの記述くらいでつかいはじめた。


そういえば、 twitterの意義が正直わからなかったんだが、最近、友人が、自分の恋愛についての内的な葛藤を、すべてつぶやいてるのをきいて、「あ、この個人の脳内発言にちかいリアルな気持ちが外部化されるのがおもしろいんかも」なんておもった。リアルタイム性というのもあるんかもしれんけど、そういう構造化されてない、ひとの気持ちをあつかうって要素があるのかも。

とりあえずシンプルな利点としては

・友人の近況がわかる
・自身への誤解がへる
・他者とつながりやすい
・自らの存在の証明
(・言語化することで脳内整理&記憶の補助。)

結局、人類全体でみれば、世界(外部の環境も、ひとの心も含めて)についての「知識共有」ということになっていて、いろんなリスクを低減させているのかも。
たとえば、友人がふられたりして、かなり落ち込んでいるのに、翌日にのんきな言葉をかけて傷つけてしまうなんてリスクが減るかも。


いろいろ、考えると「信頼」という概念につながっているかも。これについては、前に論文でもあつかったのだが、いつか語ろうとおもう。


もちろん、利点だけじゃなくて、やっぱり、このあいだあった○ダのCR−Zや、ネットワークビジネスみたいに、メーカーとかの思惑で強烈にイメージや印象を植え付けられる可能性もあるのは注意が必要。
あと、情報量が多すぎるので、微妙に制限したほうが実はうけたりするのかな。グーグルがフェイスブックに抵抗して2,3回ほどSNSっぽいのをやったがスベったのは、先行者のどうのこうのってのもあるけど、自由度の高さとかなんじゃないかなー。あるていど、導入がゆるくて、簡単だが制限あったほうがいいとか。 このへん、人間の認知もかかわってきておもしろそうだ。


たまにはこういう素朴なところからかんがえるものありかも。
じゃあ、まだ共有できてない知識や情報ってなにがあるんだろ。
どういう齟齬がおきてるんだろう。


補:ひまなときにでも、ソーシャルゲームもかんがえてみます。というかゲームをまったくしないんだが、ひとがなぜゲームするかわからん。モンキーテレビみたいな感覚刺激かな。

銀河鉄道の夜と本当の幸せ

宮沢賢治の銀河鉄道の夜には、いくつか種類があるらしい。そのなかで初稿から第三稿までででていたが最終的にカットされたブルカニロ博士というのがいて、主人公のジョバンニの案内をする。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/43737_19215.html


 いじめられっこでもあるジョバンニはあるときで原っぱで寝ていたら目の前に謎の銀河鉄道が現れその列車にのる。銀河鉄道はタイタニック号で他の子供たちを助けるために亡くなった子供やその教師がのっていたり、あの世との狭間にあるような列車で、彼はそのなかでいろいろな不思議な体験をする。この列車にはいつもジョバンニを助けてくれるカンパネルラもいた。あとからわかることだが、川でおぼれそうになった別の友人を助けた代わりに亡くなってしまい、この列車に乗っていたのだ。そんななか、主人公のジョバンニだけなぜか列車からもとの地元へと帰れる切符をもっていた。
 ジョバンニは最後の方で「自分が帰れなくてもいいから」とその切符を渡そうとする。しかし、それを受け取らずカンパネルラはそのままいなくなる。なんというか自己犠牲のエピソードがつまった作品なのだ。


このカンパネルラと別れてしまったシーンでのブルカニロの話がなける。


『おまえは科学をならったろう?
 水は酸素と水素からできているということを知っているね?
 いまは誰だってそれを疑いやしない
 実験して見るとほんとうにそうなんだから
 けれども昔はそれを水銀と塩でできていると言ったり
 水銀と硫黄でできているといったりいろいろ議論したのだ』


『みんながめいめいじぶんの神様が本当の神様だというだろう
 けれどもお互い他の神様を信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう
 それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう
 そして勝負がつかないだろう』


『けれどももしおまえがほんとうに勉強して
 実験でちゃんとほんとうの考えと嘘の考えとを分けてしまえば
 その実験の方法さえきまれば
 信仰も科学も同じようになる』


『たくさん悩んでたくさん苦しみ
 それを何べんも繰り返して
 あらゆる人の一番の幸福を探すんだ。
 その気持ちである限り、お前はほんとうにカンパネルラと
 いつまでも一緒にいける。』


こういわれ、ジョバンニはあらゆるひとの本当の幸せを探すと誓って目覚める。


*******************************

これって経済学の原点だとおもう。ベンサムくらいから議論があるんだろう。実験については、最近ようやくはじまったけど、最大の幸せの追求だったり、将来の幸せも加味した研究というのはずっとなされていると思う。

宗教というものは、検証できない仮説、たとえば死後の世界などをつくるという点では異なるとおもうんだけど、そういう検証できないものにはタッチしないという方向でいけば、わりと統合できるんじゃないかと思う。

本当は、最大多数の最大幸福というのもシンプルにはいかなくて、個々人の幸せが矛盾することもままあるけども(一定の解決方法は考えられているみたい)。


最近の関連研究では、阪大の先生が調査とかをまとめたのがある。
・タバコを吸う人は不幸
・ペットを飼う人は不幸 
・日本では競争意識が強い人のが不幸、アメリカでは逆
・宗教心があるひとは幸福
などなど
http://www.pi.titech.ac.jp/shochou-kaigi05/activity/2005-10/tutui.pdf


また幸福は相対的なもので、たとえば別の何かと比較することで満足度が下がるなんてはなしもある。
http://plaisir.genxx.com/?p=185



国によって違うのは概念の違いというのもあるかもしれないので、生理反応レベルでの共通の検査とかできないもんだろうか。たとえば、唾液というかアミラーゼみたいなもっと簡易に計測できるのあればいいのに。 報酬系とか罰系とか脳のシステムはだいぶ複雑。



具体的な幸せになる方法だが、いろいろあると思うのだけど、
西原の「ぼくんち」みたいに、どんなに不幸でも笑顔をたもつことにより、幸福にさせるという方法は結構有効だとおもう。


身体からのフィードバック。とりあえず「いつでも微笑みを」って歌が昔あった気がするんだけど、方法としてはいいかもと最近思う。

脳科学ウソホント

脳科学にまつわるうそほんとというのがある。


最近、マーケティングでも、ニューロマーケティングなんてものがでてきたのだが、あるものが好きな人とそうでないひとでの違いをfMRIなんかつかって脳をチェックして違いをみるというもん。
たとえば、そういうあやしいニューロマーケティングや会社もある。それで、脳の部位が情動の部分だとか、なんだとかで反応しているかどうかをみて
「あるものの好き嫌いには、情動が関係してるんだ」
と結論づける。しかし、実験環境やら被験者の個人差など様々な要因があるので結構あやしくて、どうにもうまくいった結果のみをつかっている可能性があるらしい。この手の企業のリサーチは、査読などないのでなんとでもいえる。


この手の「脳は〜〜」というあやしいのがちまたにあふれている。
これにはだいぶうそもしくは実証されていないのが含まれている。
OECDが脳科学関連についてまとめたもの(http://www.oecd.org/document/60/0,3343,en_2649_35845581_38811388_1_1_1_1,00.html)で、以下のようなはなしは迷信だと。


1.「生後3歳までに脳の基礎的な能力は全て決まってしまう」
2.「(語学や楽器演奏など)ある物事について学習には適切な時期があり、それを逃してはいけない」
3.「私たちの脳は全体の10%しか使ってない」
4.「右脳と左脳は異なる働きを持っていて、その偏り方によって右脳型・左脳型人間とに分かれる」
5.「女性の脳と男性の脳は大きく異なる」
6.「子供は一度にひとつの言語しか習得できない」
7.「記憶力は様々なトレーニングによって改善できる」
8.「睡眠学習には効果がある」


いわゆる右脳とか左脳とかって話しがそもそもウソというのは衝撃だろう。
男女の脳は脳梁の太さが違うとかはあるが、そもそもな大きな違いはわかってないみたい。
この手のあやしい脳科学に対するツッコミは以下のブログでよくやってくれるので大変助かる。
どこかの脳関連のポスドクらしい。
http://www.mumumu.org/~viking/blog-wp/?p=2819
ちなみに一時いわれた「ゲーム脳」というのもコテンパンに否定されています。



おれも含めたいていひとは「脳が・・・」といわれると、まあある種の実証されているものだとおもってしまうので容易に信じてしまうが、個人的な感覚では脳についてその具体的なシステムも(言語だとか一部はわかっている)、意識というのがそもそも何かについても全然わかっていないレベル。おそらく応用やメカニズムの解明はまだまだ。批判本もいくつかでているのでチェックしてみてください。



とはいえ、
応用しようという勢いはつよく、さらにはリスクもはらんでいる。


たとえばBMI(ブレインマシンインターフェイス)とか脳で機械をうごかすとか良い方向がある。『マインド・ウォーズ 操作される脳』にあるように、(1)相手の思考を読み取る、(2)思考だけで物を動かす、(3)記憶をすべて完全に残す、(4)恐怖や怒りや眠気を感じなくする、(5)外気に合わせて体温を変動させて冬眠する、(6)炭水化物型代謝を脂肪分解型代謝に切り替えてダイエットする、(7)傷を急激に治す自己治癒力を高める、(8)他人をロボットのように自在に操作する。など、「操作しよう」という動きも米軍を中心に具体的に研究されているようだ。メカニズムがわからなくても、ガンガン実験ですすめられそう。

似たようなかんじで、そのうちマーケティングでも、従来からたとえば嗅覚とか製品の形状とか我々がしらない無意識の部分に対してアプローチされて、操作されてしまう(買ってしまう)ということはレベルの差こそあれ多々あった。これまでの心理レベルでアプローチはあったが、脳にまでいたって操作されると、われわれの自由意思というのも危うくなりそう。


そうなると倫理的な問題が今後問題になってくるだろうね。
科学者は科学者でこういう様々な操作されるリスクがあることを警告していかないとだろうし、
個々人は、『心は遺伝子の論理で決まるのか』にあるように、単なる遺伝子という乗り物にのっかったり、無意識のワナにひっかかるだけではなく、メタ認知(常に自分の行動を客観視しつづけるかんじ)をしていかないとだろう。
まあ、通常の企業がやってたら、ばれたら即効で信頼は失墜するだろうからやらないほうがいいだろうけど。



まとめ
・あやしい脳科学に気をつけよう
・脳科学(心理学も含め)やらをつかって無意識にアプローチするひとがいることを認識しよう


立派な研究しているひとも非常に多いし、むしろ花形というか優秀なひとが多いのだけど、脳やら意識やらわりと魑魅魍魎としているのであまりタッチしたくないかも。


そういえば、量子脳ってのもあったなぁ。ペンローズ。

続:子どもと老人

学校や保健やら虐待にくわしい友人に今回のケースと、老人との連携というはなしをしたら実行のコストや不確定な要素が大きいといわれてしまった 笑


それで対策を考えたが、まあ、一般人や個人ができる範囲を超えるが、裁判所の許可をもらった児童相談所や保健師が、リスクのある家庭に直接介入していくのがいいということ。このての仕組みはかなり整備されつつある。ただ実際にまわっているらしいが、やっぱりそれでももれてしまうと。個人的には、保育園や幼稚園など管轄は異なるが、これらに子供を預けているケース以外のひとたちをデータベースからわりだして重点的にチェックしていくのはどうだろうかと思った。個人情報の扱いも難しいところはあるが、これこそ、統計やマイニングが活用できる余地はある。



さて、老人の活躍についてだが、調べてみるといちおう地域を利用したケースはすでにある。茨木市というところでの取り組みがある。料理教室というのを一種のプラットフォームとして世代が相互に連携している、おもしろい事例である。これ以外にも事例はあるみたい。
http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/arch/tue/40427.html


ところで、老人に支援してもらう場合に気をつけなくてはいけないことがある。そもそも子供に対する考え方が異なるという点だ。現在、支流の考え方はそもそも「しつけに体罰などいらない」というものなんだが、それが高齢層は知らないかもしれないし、おそらく体罰ありで育ってきたひとが多いことも問題だろう。なので、もしかしたらそうしたしつけをする可能性も捨てきれない。ここは注意すべきかも。





補足1:ところで、体罰なくてもしつけはできるか?
できるというのが主流らしい。すでに多くの国でそもそも体罰を法律で禁止している。というより、教員の体罰なんかは日本でも学校教育法で禁止されているんだと。っていうか、おれが小学校や中学校でうけた仕打ちはいったい…笑 じゃあどのようにしつけするの?ということになるが、たとえば別の部屋とかにつれていって落ち着かせて、じっくりと説得する方法とか、いろいろあるらしい。ただ、こちらはこちらで精神的な罰との境界が微妙かも、、とおもったのでいつか時間があるときにでも調べようと思う。例えば、ひとに対する「痛み」の学習って人間どうしているんだろう。


補足2:ちなみに3月にあった餓死事件のケースは、夫からのDV→妻→息子という連鎖があったんだと。
http://news.livedoor.com/article/detail/4641660/
同じように、この親も実は親からうけていたという場合もあり、統計的には10%くらいいるんだと。こういう世代間の連鎖も断ち切るうえでも今回とりあげたはなしは重要かも。

子どもと老人

母親「夫に似ていて憎かった」5歳児餓死
http://gendaigahou.apartments-for-rent-in-minneapolis.com/2010/03/post-29.html



3月に痛ましい事件があったんだけど、幼児虐待は事件も、相談件数も、過去最多を更新している。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100304-OYT1T00762.htm

うつと同様に近年、社会的に認知されるようになってきたので増加しているという面もある。過去の時代の虐待のほうがひどかったという研究もある。

しかし根本的に増加している可能性が高い。
これの中心的な原因として考えられるのは

・核家族化/都市化
・親の成熟度の低さ

だと思う。

一つの世帯あたりの人員は減少の一途をたどっている。一方で、世帯数は増加している。老人世帯が増えているという点もあるんだけど、親が両親とすむ傾向がほとんど減ってきている点もあろう。多人数の複数世帯内での幼児虐待というはなしはあまり聞いたことがない。これは親の親が抑止力として十分に機能していたからだと思う。しかし、頼る相手もおらず、経験も未熟で成熟していない子供のような親が、孤立しながら子供をみるということが増加しているために、育児ストレスや様々な原因で虐待をする傾向が増えているのではないかと思う。


このように核家族化のなかで孤立した家族がふえていくなかで増加する虐待にどう対応していけばいいのだろうか。


自分にできる対策や方法をかんがえてみた。


?あやしいと思ったら通報する。


気になったら児童相談所に通報する。
以前日記でも書いたが、隣にすんでいたひとのどなり声が何度も何度もあった。おそらくおねしょした時だったと思うが「あんた頭がおかしいんだよ」と親ともおもえない発言と泣き声がきこえてきたこともあったので、さすがにつらくなったので、児童相談所に通報した。独自の捜査でしらべるらしい。本当に動いたかどうかはわからないけどもそうした一つ一つの行動の積み重ねが予防につながるとおもう。



?自分が親になったとき不安があれば相談する。


虐待の成立要件は以下の4つがあるらしい。

1.虐待する親は、身体的あるいは情緒的不安定があり、もしくは虐待経験がある
2. 親からみて子どもが愛せない、失望的に思われる
3.危機(crisis)が必ず生じる
4.危機が生じたときに、援助に有効なライフライン、コミュニケーションラインが途絶している

http://www.crc-japan.net/contents/knowledge/d_measure.html


自分の子供ではないが、レストランとかしずかなところで子供が騒いでいるのをみてムカついた経験がある人もいると思う。根本としてはこのような誰でもあるムカつきがあるとおもう。子供がいない身としてはわからないが、仮に愛する子供ができても、日常として、同じように騒ぎ続けることがあった場合どうなるか容易に想像できると思う。

今回の事件、2年前に妹ができてから虐待がすすんでいるらしい。おそらく、妹に両親の愛情がうつるのを危惧して、長男はだだをこねたりするようになったかもしれない。また、出産後の苦労もあったかもしれない。それでストレスがたまり情緒不安定になる、結果として子供への暴力になったんじゃないかと。この前段階でなにかもっと周りへ相談をしていればここまでならなかったのではないかと。

また、子供を愛せなくなってしまったとき、どうしたらいいか今は答えがみつからないが、やはり周りのサポートやカウンセリングも含めてやっていく必要があるかと思う。

もともと子供を愛せないひともいるらしい。これは大きな問題で、知らず知らずの間に傷つけていることになるので、こちらも相談をすべきである。

相談すべき相手は、もちろん相談所や友人知人もあるだろうけど、もうひとつ老人というのがあるのではないかと。これは次のはなしにもつながっている。


?周りとつながってそのなかで、周りの子供もみていく。また高齢者も活用。
 

 今回の飢餓死事件、母親の両親は2年もの間、孫とあってなかったみたい。ここでこの両親は気が付くべきだったし、もっと積極的に介入してもよかったかもしれない。おそらく母親はかくしていたのでよけいに厄介なのだけど。
 周囲にすんでいるひとたちもこの子を約1年くらいみかけなくなっていたという。これだけで、判断するのはすごく難しいし、しつけなのか虐待なのかといった判断も周りには難しいし、おそらく直接聞いたら隠すとおもう。こういった場合児童相談所に通告すべきか否かはわからないんだけど、可能ならばしてもよかったかもしれない。
意外とゆるやかでもひとと接してたらリスクはわかるし、そうすると予防もできると思う。
 少子化が進む中で、子供はすでに親のものではなくて、社会のものになりつつある。日本は伝統的に親の権利がつよく、古くは間引きなんてのもあった。そうした流れにくわえ、臨床心理としても親の影響力は子供に対して絶大なので親子間の関係を守るというか、その権利は強い。
 しかし、アメリカみたいに親だけじゃなくて社会のものという視点にたてば、もっと集団やそのコミュニティでみていくというのができるんじゃないかと思う。

 そのなかで中核になるのではと思うのが、最初のほうでいった、増加しつつある、孤独な老人である。時間もあるし、経験もあるし、相談相手にも、少しだけあずけるといったことにも協力できると思う。
 
 高齢者がどのようにコミュニティを形成しているのかあまりわからないがそうしたコミュニティと協力していくというのもありだろうし、ネットしているひとが多い地域ならばネットやSNSでつながりを支援してもいいかも。

それにしても、ソーシャルキャピタルとか社会関係資本とかいわれて長いが結局なにができたのだろう。社会ネットワークの話もなににいかされたのだろう。孤立したものが増える中でいかに接続してくかという課題もあろう。今の家族とか地域とか社会とかネット社会とか何が起きてるんだろ、今後のモデルも対策も含めてちゃんと検討していく必要がある。

続:問題という問題

問題というのは、あらゆる探求の出発点となるものであると思う。
例えば、論文を書く際にもその出発点になる。


通常、我々は世界を観察して、そのなかでなんらかの問題がうまれる。
それに対する解をさがしていくというのが真理に近づくことである。


このような問題は、通常「疑問文」として扱われる。
論理学でもあまり扱われない。
おそらく、命令文を含んで発話とか哲学の分野になるかもしれない。


とはいえ、ある程度整理はされている。

・Yes,no型
・Wh-型
・How型
・Why型


はじめのYes-Noは、単純にある命題を提示してそれが真か偽かを判断すればよい。いわゆる仮説検定もこの種の問題に対する答えを提示しているといっていいだろう。ここで重要なのは、問題の焦点がだいぶ絞り込めているという点だ。
ある問題に対する解、仮説はすでに提示してあるので、そもそも何が解に来るのかすらわからないという状態ではない。実は、下の3つのタイプも仮説が提示できるのであればすべてこのタイプに落とせる。


続く、Wh-型(ただしwhichは微妙)の場合は、その答えが明確にはわかっておらず、複数の解の候補が存在している。直接解くのであれば、データマイニングや探索的なデータ分析を用いるということもできるであろう。また、上記のように仮説を組みあわせることで、Yes-No問題へともっていくこともできる。ちなみにPrologなんかだと変数をいれた問いをいれると答えを返してくれるものにあたるとおもう。なんらかの「事実」を返す問いであると思う。


Howは、おそらく手順の問題であるので、形式化すればプランニングの問題にあたるのではないかとおもう。ゲーム論でいうところの戦略といわれるものだろう。


Whyについては、因果を扱うという大問題になるので一番難しいと思う。因果については以前記述しているように時間的な制約など様々な要因があるうえにまだ未解明な部分があると思うのでこれについてはこれについては深く扱わないが、多くの「問題」の出発点はこういう素朴なWhyから出発していることが多い。



このようにある程度の相互の疑問には関連はあるようだし、場合により適切な問いの設計というのも必要であることがわかる。詳しく調べるのであれば言語学だとかあとは、形式化を目指しているひともいると思うので今後調べていければと思う。


ただ、それ以上にそもそもどうやって問題が発生するのかという問題も残っている。これについては、一応アイディアはあるのだけどまた今度。ヒントとしては、人に関連する問題はすべてその効用関数の最大化、企業であれば利潤の最大化という部分から発生していると思う。



参考になりそうな資料:
・飯間浩明『論理的な文章の書き方入門』
・http://ci.nii.ac.jp/naid/110003298925

データ分析の応用と専門家との協力

データマイニングや機械学習技術もある一定の成果がたまった時期でもあると思う。まだまだ足りない部分もあるが、かなりの技術がここ20年で開発されてきたと思う。大きな転換としては、より複雑な構造をもったデータの分析や、大規模なデータの処理、そして複雑な(非線形とか)モデリングが可能になったことがあげられる。



こうした知見の一部は、情報システムや、WEB2.0の代表的な企業などにも応用されて、すでに大きな成果をうんでいる。バイオ系ではバイオインフォマティックスもあり、情報の解析がもろにすすんでいる。


ただ、あらゆる分野に浸透しているわけじゃないし、画期的な”発見”といえるような成果はあまりみられない。


そこでもっと専門領域として重点的に取り組むべきところに集中して協力体制やそのデータのフォーマライズなどをやっていってはどうだろうかと思う。基本的には、研究者の趣味に応じて分析する対象はきまるのだけど、国的にも可能性のある分野と、データ分析系の協力体制をもっと支援してもいいかもということだ。某研究所もそうだけど。


専門領域についての詳細な知見というのは、データ屋はそこまで深くないので協力していく必要があろう。当然、専門領域のなかでもデータに特化したひともいるのだが、必ずしもすべてをカバーしているとも限らないし。具体的な専門家の「悩み」がむしろ分析という観点からは新しい研究領域になるので両方にメリットがある。


それで思ったのが以下の2点


1.プラットフォームの形成

ある分野のひとが、
・どのようなインプット(データ形式)か
・どのような答えがほしいか
といった悩みを提示していき協力を募るようなウェブページでもあれば面白いかも。個人のスキル登録機能などをつくって、マッチングするシステムをいれても面白いかもしれない。(すでに研究者のSNSはあるけどね)



2.具体的な領域について

たとえば今後、日本で非常に可能性がある分野としては、カーボンナノチューブなどの材料工学などがある。国家的にイノベーションに行き詰っている現状では、どこかに重点的に取り組んだほうがいいきがするんだが。

ちなみに、個別では下記のようなのはあったみたい。
http://kaken.nii.ac.jp/ja/p/17650039



とりあえず、このように専門家同士の協力体制をもっとバックアップする情報システムがあってもいいなーということ。個人的な妄想ですが。

発想と補完

発想というものは、人間が行う推論のうちで最も未解明な部分である。
人が行う推論には、事実とルールからある事実を導く「演繹」と、同じような事象がなんどか観察された場合にそれを一般化してルールを導くという「帰納」というものがある。そのうちのひとつが、発想である。事実やルールから未知の原因などを特定することをいう。仮説という表現もあるので仮説推論ともいわれるし、その意味では帰納は仮説検証をするシステムなんで、これの一部にも含まれているというはなしもある。

このように形式的な定義はなされいているが、

そもそも、どうやって仮説をつくるの?発想するの?

という方法論のはなしに深く切り込んでいる例はない。
既存の阿部さんなどの研究で着目されているもののひとつが、アナロジー。
(一応他にもあるけど今度紹介します。)

アナロジーは、ある事象とにた事象をもってきて、それでデータを補完するというもの。よくある例だと、太陽系と原子の構造が似ているとか、そういうはなし。あとは、シュレッダーも、たしかところてんもしくはうどん生成機から発想されたというのがある。


構造の類似というレベルもあれば、目標とかいくつかのレベルでの類似性というのが存在している。この詳細はたしか今井むつみ先生の師匠のゲントナーさんが研究していたことだ。これらは実際にシステムに組み込むといった研究もなされていた。

さて、このようにアナロジー的に発想をとらえていくと、実は発想を某先生があつかっているようなデータの補完という考えの延長・拡張したものとしてもとらえることができるとまえまえから思っている。当然、統計なので制約はある(ちゃんと推定されているか否かが目標)。ただ統計といえど、帰納だけじゃなく、新たなつながりや変数を発見する(データ融合みたいに)という点では発想的な要素ももっているかもなーと最近おもう。

沖縄学関連

大学のときに、いちど沖縄関連の研究会をうちわで行ったことがある。いくつか沖縄に関する文献を集めて、輪読したりする会合だった。


そのとき輪読した本のなかに外間守善のかいた「沖縄学」の本があった。沖縄学の祖は、誰かといえばかの伊波ふゆうであり、たしか外間先生の師匠でもある。そこでの主題は、沖縄と本土との関連であるが、それを言語や文化、民族など様々な視点をもとにひもといている。このような横断的な学際的な学問として島の変遷を追うものが沖縄学であろう。


ただし、単に沖縄に限ったものではなく様々な地域、特に地理的に特異な島峡をテーマとした学問というのがあり得るだろう。つまり、一般化できる要素があると思う。


「島」というのは、ある意味隔離されているともいえるが、沖縄のように海を通じて様々な場所の結節点となっている場合には、様々な文化の「編集」が行われている。また、場合によっては隔離されているため、文化の保存も行われている。例えば、日本の原始神道の一部がまだ保存されていることもある一方で、中国の影響をうけた文化なども数多く存在している。また通常の文化でも当然、編集が行われているのだが、「島」の場合はネットワーク理論のことばでいえば、ブリッジのような役割、もしくは大きなクラスタ(かたまり)同士をつなげるbetweennessとしての役割もあるんじゃないだろうか。


この流れを学ぶということは、単に自らの起源を探ったり、日本人というものの境界をさぐるという意味合いだけではなく、情報学という観点からみると情報の編集・融合過程の研究や、一種のコラボレーションなどの謎ときにもつながるかもしれない。



沖縄関連で東京にある研究所をいくつか紹介する。どちらかというと、文化や言語関連の研究が主。


沖縄学研究所
http://wwwsoc.nii.ac.jp/ios/
法政大学沖縄文化研究所
http://www.hosei.ac.jp/fujimi/okiken/framemain.html
早稲田大学琉球沖縄研究所
http://www.waseda.jp/prj-iros-waseda/


時間ができたら自分でも一通り考えをまとめてみたい。

調査観察データの統計科学

いろいろとお世話になっている、星野先生の本です。日本に、傾向スコアを紹介したり、データ融合を紹介したりなど。それにもまして、今回提示されているような視点というのはほかでもあまりみかけない(データ融合系では一部みますが)面白いものになっています。

因果推論については、統計的なアプローチや人工知能系のアプローチなどいくつかある。因果というものを、実際に記号で扱っていくのには、大きな問題があるのだけど(通常の記号論理学では扱えない)、ある程度問題を絞っていけば、方向がわかるなど関係をしぼりこむことができる。ジュディアパールらがどう扱っているのか、詳しくよんでないのだけど、後者のどちらかというと古典的なAIの方法との融合もされると面白そうなんだが。


調査観察データの統計科学―因果推論・選択バイアス・データ融合 (シリーズ確率と情報の科学)調査観察データの統計科学―因果推論・選択バイアス・データ融合 (シリーズ確率と情報の科学)
著者:星野 崇宏
販売元:岩波書店
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補:最近気になるのは統計ってモデリング(というより、存在論とか知識表現とか、実体とか属性とか)そのあたりの視点は弱い気がする。社会調査で一部やられているが、こちらもフォーマライズされていない。むしろAIやデータベースのがだいぶ進んでいる。

地域情報学

「地域情報学」というのがあるらしい。
大きくわけると2種類あって、
・地域活性化の手段としての地域の情報化ってはなしと、
・地域研究のための情報学の活用
があるようにおもう。


前者はたとえば

地域情報学

愛媛大学で行われたような研究事例がある。


後者は、もうちょっとひろく東アジアをターゲットとして

地域情報学の創出

などがある。おもに京大の東南アジア研究所が中心となっていて、アカデミック色が濃い。研究テーマとしても「地域」というのは面白いが、具体的に情報をもちいた地域の活性化を扱うとなると前者になろう。


当然明確な区分けがあるわけではない。前者の視点でも、後者のような、なぜあえてその地域なのかという"その地域独特の利点や有効資源の必要性"といった分析視点も必要であろう。なぜなら、どこでもいいのであればビジネスで利点の多い、首都圏で営んだほうが絶対いいだろうし。


その意味では文化や、自然といったものの活用が欠かせないような気がする。つまり、二つの研究の方向性がいかせるのが一番いいと思うのだ。


個人的には趣味では、後者の視点でどのような分析が可能か、そしてそこからどのような価値が作り出せるのかというのに興味ある。最近、空間系の情報学にあまりタッチしてないのだけど、その技術を利用しながらどんどんフィールドや文化との関連をふやしつつ、なにか価値を生み出せるものができればおもしろそう。すでに観光情報系で観光資源と情報のリンクをさせる実験はだいぶされてる。あまり普及してないけどね。情報の活用でいえば、すでに普及しているSNS(mixiなど)なんかを、積極的に活用するのも手だろうし。


いずれにせよ、今後地域と情報の関係はますます広がるだろう。


補:このままいけば、当然東京への集中なんかは増していくわけで、そうしたなかで地方はどのような生活スタイルを提案していけるのかね。それが、そこで生活するひとの仕事にもかかわりそうだし、単に活性化とかだけじゃなく、そういった位置づけをしていったほうがいいだろうと最近おもう。

生活システム

生活。生きていくために必要な様々な活動がある。衣食住、そして遊びや、そのための生産活動。そして人間関係などもある。こうした人の生活を、全体としてシステムとしてとらえられないのだろうか?



生活のスタイルや構造といったものは、その時代時代によって若干異なることもあるし、文化によっても異なってくるのだけど、やはり一般的な切り口がほしい。もし普遍的な視点があれば、たとえば誰がどこを重視しているかなどの分類をするのにも便利だし、なにか問題があったときにそれをチェックすることもできるし、時間的な変遷などもわかる。何か目標をたてたときにそれを扱うことも必要であろう。政策をするにしても、ひとびとの幸せの基準をしるためにも必要だと思う。



経済学をはじめ、収入や、効用関数といった大きなモデルは多いのだけど、具体的な「生活システム」についての研究は少ない。



ただし、いくつか日本での研究でいえば、構造主義などが着目されていたときにAGILなどを用いて、「生活構造論」の研究がなされていた時期がある。また、80年やその前に、ライフスタイルという研究がでてきたときには注目されたのだけど、現在はそのスタイルが多様化していることもあり、最近は着目されることは少ない。近年では、ごく一部でシステム論などの視点を取り入れながら、生活システムを切る方法も導入されている。マーケティング・リサーチを中心に簡単な切り口をまとめた文献などもいくつか存在している。



こうした概念の整理がすすむ一方で、具体的には様々な生活の調査は行われている。価値観の調査もあれば、通常の家計調査、社会基本調査などもある。これによりある程度の項目や生活の整理法は把握できる。



とはいえ、それらの関連性(たとえば、ある生活時間を増やす代わりにどこを減らすかなど)がいったいどうなっているのかはまだ、未解明な部分は大きい。特に、インターネットなどの情報社会がもたらしたインパクトは大きいし、あらためて着目して調べていって構造化していくことは必要であろう。
こういった具体的なレベルでの生活をおっていくことは、やっぱりいまなにがもとめられて、ひとびとにとっての幸せとは何かをというのを把握する第一歩としていいのではないかと思うし興味のあるところ。



特に、生活システムに関する情報というのは今後ライフログなどの情報とも絡んでより、詳細に個人に提供される時代がくると思う。そこで、こうした情報の活用方法も含めて、これまでの知見を再検討する必要があろう。

起動エレベーター派

宇宙基本計画の骨子まとめる


超高速インターネット衛星とかちょっとはずしてる気がする日本の宇宙開発。




これには全然なさそうだが、
個人的には、宇宙開発は「軌道エレベーター」派である。
(このネタ書いたっけ?)




ロケットより、うまくいけばコストはおさえられて、
なにせ、大量のものを輸送できるので、そこで大規模な開発も可能。
宇宙旅行も大人数でいける。




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8C%E9%81%93%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%BF



別に、夢の話ではなくて、いちおう、技術的には1つをのぞいて可能らしい。ようはめっちゃ強いケーブルが必要だと。


http://www.sci.osaka-cu.ac.jp/~yoshino/Orbit/Orbit.htm



それで、カーボンナノチューブなどが注目されている。
これの大量開発法が産総研あたりで開発されるといいんじゃないかね。いま世界をリード中だし。




そういえば「環境だエコだといっているが、それなら最悪宇宙空間に生活圏をつくるのがいいんじゃないかね。」と高校のときに小論で書いたら、低い点数でかえってきた記憶がある。


解決策としてむしろがんがん開発して、人間の欲望は宇宙にまで発散するという手もないかなーと思った。それで、閉じた生活空間をつくりあげるとか地球とは独立な。まあ別に地球でもいいけど。



こうした宇宙にいろいろ作るのにやっぱ軌道エレベーターだろう。
と思う。
まあ、オレが生きてるうちには無理そうだけどね。SFのみすぎかも

コミュニティカフェ

地域活性化系のカフェとかサロンとかないのかなと思っていたら
ジャンルがすでにあったんですね。

コミュニティカフェ
http://comisalo.com/

コミュニティカフェ
http://blog.livedoor.jp/tk_welfare/archives/52360847.html


プラットフォーム理論などでも語れそう。



夜回り先生(その2)

結局何が問題か?

不況だと。
不況で雇用不安定。夫婦も共働き。

会社で親にストレス

親から子へストレス

その先がないから
子はひとをいじめ、またドラッグに逃げ、その他非行にはしる

まあ極論とはおもうが

つまり『余裕がない』と


解決策は

まず叱らずに誉める

そばにいる

こうしたことが必要だと。


夜回り先生が筑紫てつやと一度、沖縄でいったガマで聞いたはなし。最近アメリカの公文書でわかったらしい。


米軍の上陸地に近いがまだったため、がまには民間人しかいなかったのだが、米軍は敵だとおもい、しりゅうだんや、かえんほうしゃきを浴びせた。


そしたら、ガマのなかではしりゅうだんから皆をまもるため、年長者から順におおいかぶさった

皆しんでいき、最後は少年少女も身を差し出した

結局、のちに米兵がしらべたら残ったのは赤ちゃんや幼いこだけだったと。


つまり、
命ってのはこういうもので過去からたえまなく続く、託されたものだと。


だから子供にとって命は自分のものといえど、大切だし、
大人はそれを守っていかないといけないと。


また彼は子供の逃げ場所として、いくつか方法を提示してる。自身も相談を何万通とうけてる。また宗教や文化の力をかりて相談するのもいいということで、教会やお寺の門戸も子供のためにひらかせていると。


というのが
講演内容のおおすじ。
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