もの思う猫、前田猫吉くん!

人の心を持ち、人の言葉を操る猫、前田猫吉くんが織りなす猫ワールド。

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***目次***
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  もの思う猫、前田猫吉くん!(全編通して最初から読む)
   第一章・恋する猫の歌(最初から読む)
   第二章・猫も五月病?(最初から読む)
   

***序章***
猫吉 家

 私は猫である。名前は前田猫吉という。「なぜ猫に苗字があるのか?」それはいたって単純である。私の主人が前田の姓を名乗っているがゆえに、便宜上借用しているまでのことである。下の名は猫吉であるが、これは主人が勝手につけた愛称である。「何故猫吉なのか?」オス猫という理由の他は何もわからない。これもまた便宜上利用させてもらっている。その点においては、不本意ながらも主人には感謝をしている。私は凡庸な主人のもとで凡庸な教育を受けた凡猫である。『吾輩は猫である』の名無し猫くんほどの明晰な頭脳も、卓越した文才ももちあわせてはおらぬ。しかし凡猫には凡猫の思想があり語り口がある。   

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※本文中の画像はフリー素材を合成加工し挿入致しました。

 六月まであと少しとなった日のことである。その日の朝、私はいつもの自販機の上で、駅に集う人の群れを見送っていた。またしても高みの見物である。人間より下等とみなされている猫が、唯一優越感に浸れる至福のひと時である。日々、見上げてばかりいる人間どもを、上から見下ろした時の快感といったら格別である。この気持ちは猫にしか解らない。猫ゆえの特権である。かつての私はそう思っていた。

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 その日の朝も、多くの勤労者や、学生達が、駅を目指して歩いていた。その中に、この春から目にするようになった新米サラリーマンがいた。桜咲く四月初旬、この青年を初めて見たとき、彼は輝いていた。自信に満ち溢れた表情をしていた。その顔からは夢や希望が滲み出ていた。しかしGW明けの五月初旬、彼は元気がなかった。項垂れていた。五月病に感染していた。長年、人間を観察し続けてきた猫の直感である。しかし、その日の彼は元気であった。活き活きとしていた。五月病を克服したらしい表情をしていた。
 しばらくすると、今度は一人の男子中学生が私の目の前を横切った。彼は一年生である。この時期、新入生と新二年生との判別は一目瞭然である。端的に言えば制服の着こなしで判る。新入生の多くは、制服がやや大きめでダブついている。子供の成長を予測しての、親の配慮であろう。それに加えて、新入生の制服は、ズボンやジャケット、カッターシャツに至るまで、折り目正しく、一人一人の体型からくる伸びや皺を寄せ付けない生地本来の張りを保っている。だから新入生の歩く様は、機械仕掛けのマネキン人形の様である。実に可愛い。
 しばし道行く人達を見守っているうちに、次第に彼らが羨ましくなってきた。そして、ある思いがこみ上げてきた。「猫には教育の義務も勤労の義務もない。毎日決まった時間に出席する義務を持っていない。常に自由意志によって我々の行動は首尾一貫している。それ故に猫は人間よりも崇高である」そのつもりでいた。ところが今の自分は、高みの見物で優越感に浸るつもりが、規律ある人間に憧れをもっている。素直に人間を応援している。「つかづ離れず」人間社会との接し方をこの様に定めて以来、人間を見つめる私の心にゆとりができてきたようである。これからは、つかず離れず、人間と共に歩んでいこう。
 あれこれと思いを巡らせているうちに、空がだんだんと薄暗くなってきた。雲もないのに雨でも降りそうな暗さに変わってきた。道行く人も空を見上げ始めた。先ほどの青年も立ち止まった。立ち止まった彼はポケットから黒いフイルムを取り出すと太陽に翳した。やがて駅に集う人たちが、一斉に足を止めて天を仰いだ。毎朝、無表情のまま改札口を行き過ぎる彼らの顔に、この時ばかりは歓喜の表情が浮かんだ。私も一緒になって空を見上げた。いつもであれば、人の目には決して映らない新月が、背後から太陽に照らされて、そのシルエットを露わにした。そして月と太陽は見事に重なり合った。金環日食である。
 月と太陽が演ずる天空ショーに、誰もが束の間の幸福を味わった。そして、猫である私は別の意味で嬉しかった。下等動物の私が、人間と肩を並べて同じ気分を共有できたことが嬉しかった。猫と人間が同じ目線で感動を分かち合えたことが嬉しかった。しばらくの後、太陽は月の背後をゆっくりと追い越していった。数十年ぶりに陽の目を見た新月も、しだいに視界から消えていった。月の祭りは終わった。そして、いつもの月の生活が始まった。つかづ離れず、のんびりと地球の周りを徘徊する、いつもの月の生活が再開した。
「これからは、つかず離れず、我が飼い主と共に歩んでいこう」
 そして私の五月病も漸く終わった。見渡せば、初夏の薫風に育まれた木々の緑は、鬱蒼として夏の彩りに様変わりしていた。街のあちこちでは紫陽花が咲き始めていた。  

  (第二章・人に憧れる猫 おわり)

 日中暑かった公園も夕方になれば涼しい風が吹いた。春の名残を微かに感ずる夕暮れ時である。さっきまで遊んでいた小学生達はいなくなった。彼らに代わって今度は犬を連れて歩く大人たちが目立つようになってきた。猫である私とリチャードは、木陰から陽の当たる芝生に出ると並んで横になった。リチャードは鎖に繋がれて歩く犬を横目に語り始めた。

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「僕たちは、もう野生には戻れないんだ。実はね、猫も虎もライオンも、遥か太古の昔には共通の祖先をもつ野獣であった。ライオンや虎がそのまま野生の道を選び、弱肉強食を生きるにふさわしい身体と攻撃性を身につけて進化していったのに対し、いにしえの猫は、人間に寄り添うことで進化をしていった。つまり、猫は、野生を生き抜くための術を捨てる代わりに、人間に愛される道を選んだんだ。そうすることで種の保存の活路を見出そうとしたのかもしれないね。いづれにしても人間社会に生き、人間に愛される以上、人間に都合のいい淘汰が起こるのは必定で、攻撃的な種は絶滅し、愛くるしい種は繁栄し、そのうえ、人間の好む新たな種へと交配が進み、今日の僕や君に至った。だから我々の遺伝子には、野生であった頃の遠い記憶が深く刻まれていている。そして普段は深層意識に封印されているそうした記憶が、何かのきっかけで僕達の表層意識を刺激してくる。今の君のように」
 私は彼の熱弁に息を飲んだ。そして彼に質問をした。
「つまり、私の心の中では、今、太古の記憶が甦って今の自分と葛藤を始めているというんだね。私の自己矛盾もそこに起因するというんだね」
「その通りさ。そしてその矛盾は僕にも言える事だ。主人を捨て、家出をし、野宿をしながらも新たな主人を求めては公園を彷徨っている。僕だって自己矛盾さ。つまり真っ当な猫は誰でも自己矛盾を抱えている。新世界横丁や居酒屋小路にたむろする野良猫達だってそうだ。人間による拘束を拒絶しながらも、人間の傍を離れることができない。着かず離れずの距離で、見事に自由を得ている。まるで地球の周りを彷徨う月のように」
「月のように?」
「そう、月のように。月は地球による束縛がウザくてしょうがない。かと言って地球の引力を振り切るだけの勇気もない。つかず離れずの距離を、地球の周りをぐるぐると回転している。地球なくして己れの存在はないことを月は知っているんだ。まるで猫と一緒さ」
 私は彼の話を聞いているうちに、次第に胸のすく思いがしてきた。西の空が大分赤くなってきた。私の主人も、もうそろそろ帰ってくる頃だ。
「今日は久しぶりに甘えてみようかな」

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 リチャードは返事をしなかった。リチャードは僕に背中を向けて丸くなっていた。いつもはたくましい彼の背中が、今は小さく見える。人恋しいのかも知れない。

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