2019年06月17日

間接キスは苦かった。



中学生の時に好きになった人は、いつもコーヒーはブラックだった。
ブラックチョコレートは食べて、ミルクチョコレートは食べない人だった。

バレンタインの手作りチョコもブラックチョコレートだった。
なんて書きたかったけど、彼女からバレンタインをもらったことはなかった。と思う。

私は彼女のことをちょっと大人でかっこいいなぁなんて思っていた。
いや実際に大人に見えたし、私は彼女の前ではいつも背伸びをしていた。

体育祭の時も彼女はスポーツドリンクじゃなくてコーヒーを飲んでいた。
一口もらったブラックコーヒーは苦かった。間接キスをした。
間接キスは苦かった。

という、ほんの少し甘い思い出。


そんな私は、アラサーになってしまった今でも、稀にコーヒーに砂糖をいれる。
多くはブラックで飲んで、時々ミルクを入れて、稀に、砂糖を入れる。

苦いものが美味しいものだとは思えない。
苦味には苦味としての美味しさがあり、その美味しい苦味を感じられるようにはなった。
けれど他の味覚と比べた時に、きっと苦味は美味しいとは言えないだろう。

人間の機能として苦味の感受が備わっていて、
そしてその苦味を楽しむことができる私達がいる。
おもしろいな。


子供の頃に飲めなかったコーヒーが、おとなになると飲めるようになる。
どうしてだろうって思って、子どもには苦しみなんて必要ないんだなって。
甘くていいんだろう。

大人になるにつれて、苦しいこと、渋いことを経験していって、
少しずつ苦味に慣れていくのねきっと。それが大人になるってことなんだろう。

時には苦味も必要なのだと思えるくらいには、
私もいつのまにかおとなになっていたのだろう。


そんなことを考えながら、
今日もコーヒーをブラックで嗜む。
嗜むなんて上品な飲み方全然してないけど。

ブラックで飲むのは、
苦味が好きとか美味しいとかそういうんじゃなくて。
糖分は控えなくちゃと思わざるをえないくらいには、
私もいつのまにかおとなになっていたのだろう。



t_0288 at 18:52|PermalinkComments(0)clip!日々 | 夕焼

2019年05月13日

会議の果てに



先日、虹の素の会議で異なる意見がぶつかりあった。
私はそれをわざと仕掛けた。
結論、議題に関して決議が覆ることはなかった。
というよりまあその場では覆すつもりもなかった。

ただ議題としてとりあげて議論する。
互いの意見を交換する。
それぞれが思っていることをきちんと吐き出す。

そういうことが必要だと感じていた。

正しいとか間違っているかとか、
いいかとか悪いかとか、
そんなことは、決議が決まった今出ることじゃない。

いつだって、あーでもないこーでもないと、
未来への推察と予感と不安の中で会議は進む。

だからこそ白黒ハッキリつけることだけが全てではないと思うし、違いの意見を食い合うことでまたどこかで変化は生まれるというもの。

私はいつだって、
ここがゴールではないと思っている。
いつかゴールがあるとも思っていない。

永遠に過程のまま。
ずっと道半ば。
私達は永遠に時間の途中を生きている。

結果も結論もないのだから、
やっぱり、過程がどうあるべきかなんだと思う。
だからこそ、異なる意見を食べることも必要だし、
自分の思想を投げることも大切だと思う。


会議ものの作品の多くは、結論、何も覆らない。
これだけ沢山の意見が交わされて、結局何一つ変わらない。
大抵、にぎわっていた会議室から1人また1人と退出していき、
静かになった空間だけが取り残される。
変わらないんだ、というある種の空虚さと少しの寂しさだけを残して。

何かが変化をする、という物語の基本に対して、
会議ものが少し特殊だなと感じるところ。

けど、大枠として決議が変化しなくとも、
その会議の中であーでもないこーでもないと
意見をぶつけ合った人たちは、少しばかりの変化があるのだろう。
自分の中にない思想を食べたのだから。

それはたとえこの場ですぐ表面に出なくとも、
きっといつかどこかで大きな変化になる、
かもしれない。

とにもかくにも、人間はどこまでも考える生き物だ。
考え続ける。思想を食い続けまた思想を吐き続ける。

どうしたらよりよい会議ができるのか、
それこそが私達がこれからも永遠に取り組まなければいけない永遠の課題なのだろう。
それを求める、過程に生きてる。


t_0288 at 18:17|PermalinkComments(0)clip!日々 | 

2019年03月13日

知恵の実を


先にかじったのは、イヴ。



最近は、自分の性別さえ、
呪わしく思うこの頃であります。


あちこちで、ジェンダー論が飛び交う様を見て、
少々食傷気味でございます。

sex(生物学的性)だけじゃ成り立たないのが、
人間の面倒くさいところね。
ジェンダーは日々複雑かつややこしさを増していきます。


そんな中で。
男であることは、
やっぱり愚かしいと感じてしまう。

相対的にではなく、多分、絶対的に。

それを言ったらきっと、女も、きっと愚かだ。絶対的に。


とにもかくにも。

男だ女だと、
性差でぎゃーぎゃー言っているのに辟易しています。
声をあげなきゃいけないのは理解してる上でね。


なんてことを考えながら。
野に咲く花になりたいなんて考えてしまう。

みつばちさんに、無作為に花粉を運んで貰えばいい。


t_0288 at 22:13|PermalinkComments(0)clip!日々 | 

2019年01月30日

自分の感受性くらい、



自分で守れ。ばかものよ。

と、茨木のり子さんは言った。



感受性に蓋をしてしまうのは寂しさだ。

哀しみは愛しさが無いと生まれない。

けれど寂しさはそこら中に漂っていて、
現代社会においてその濃度はどんどん増している。


寂しさを拒絶することで、私たちの心はたちまち鈍くなっていく。

大きく息を吸って、寂しさを吸い込む。
肺を寂しさに漬ける。

寂しさは溶ける。溶かす。
それはやがて心を動かすエネルギーに代わる。

感受性を養う。





私は、とにかく、心は健康でいたいと思っている。


寝不足だったり、疲れていたり、メンタルが衰えていると、
イライラしたり、それで態度や言葉遣いが悪くなったり、
ネガティブになって落ち込んだり、それでマイナスな発言をしたり、

それは結果として、自分の印象や評価を下げることになるわけで。


どんなに普段よく過ごしていても、
壊したり失ったりするときなんて一瞬で、
今までそうしてきてしまったことも少なくなくて。


だからせめて、自分も周りも健やかでいるためには、
ちゃんと健やかなメンタリティを維持できるように、
生活を整えなければいけないと思っていて。

自分が笑顔で居られる状態は、自分で心掛けてつくっていかないといけない。

心のアンテナをさび付かせてはいけない。
芸術家なのだから。

そこだけは、一番譲れない部分だ。




t_0288 at 18:39|PermalinkComments(0)clip!日々 | 

2019年01月17日

y.



なにせ、1年半以上も既読が付かないものでしたから、
きっともう連絡なんてつかないのだろうと諦めていたし、
もうそれも仕方ないなと、特に寂しい気持ちにもならなかったのは、

私には寄り添う人がいて、
既読が付かなくなったのはその報告をした直後だったから。



でも、酒の力というのは面白いもので、
たまたま接客をしてくれた店員さんの名札が同じ苗字だったのと、
もし私がひとりだったら間違いなく声かけちゃうくらい可愛かったから。
(いや、全然似てないんだけど)


それで勢いで、どーせ出ないだろと思いながら電話をかけて、
やっぱり出るわけないよなと電話を切ったと思ったら、
まさかの返事がくるもんですから、

本当に、人生の糸なんてどこで絡み合うかなんて、
わかったもんじゃないです。


私ばかりが、普通に、一般的に幸せとされるステップを踏んでいくので、
置いてけぼりではないけれど、少し、申し訳ない気持ちでいる。


幸せになってほしい。
幸せでいてほしい。


と心から願っているけれど、
今の世の中、幸せなんて人それぞれなのにも関わらず、
私はずいぶん画一的なものを当てはめているなあと気づかされる。

それができないと幸せじゃないとか、
それができれば自動的に幸せになれるとか、
そんな約束されたものなど何一つない。


その上で、10年以上付き合いがあり、
1年半も連絡が途絶えても、こうして連絡をくれる人の存在が、
幸せなことだよと云う。


私はようやく、次の関係性へと、以降していることに気づかされる。




t_0288 at 21:28|PermalinkComments(0)clip!日々 |