♪探し物は何ですか?
♪見つけにくいものですか?
(夢の中へ/井上陽水)
古いですけど、こんな歌がありました。
皆さんは、探し物がなかなか見つからない経験ありませんか。
もしくは、何を探しているのかすらわからない経験ありませんか。
探し物があっても、漠然としすぎていて、目的のものが中々みつからないことがありますよね。どう探せばいいのか、これがそうなのか、果たして合っているのか。答えを知らずヒントだけで探そうとすると、正解を見つけるのは、意外と難しかったりしますよね。
その一方で、探しているものは見つからなかったけど、思いもよらぬものを見つけたりした経験ってありませんか。
セレンディピティという言葉があります。
それは、あるもの探しているときに、偶然に別の価値あるものを見つけることをいいます。
私には、このセレンディピティを感じる場所が二つあります。それが「書店」と「図書館」です。
私がそうなだけかもしれませんが、何かを探そうと意識的になっても探せないことの方が多いことが多いんです。
ですから、探し物があるときもないときも書店と図書館には通うようにしています。
たくさんの本のタイトルや表紙を眺めているだけで、自分の中から引き出される記憶があったり、突然の閃きがおきたりします。また、その記憶やそこからの連想で思考(妄想)をしたりするのも楽しいですね。
探し物や欲しいものが無い時にも行きます。何かがあるかもしれないからです。自分では気づいていないものが手に入るかもしれません。
人間は、とてもよくできているわりに、とても不器用でもあります。知覚したすべてのことを記憶しているわけではないですし、記憶した全てを思い出せるわけではありません。要するにしまうのも下手なら、引き出すのはもっと下手ってことですね。
意識して引き出せることは、全体から見ればわずかしかないかもしれません。奥底にしまってある記憶を引っ張り出すには、何かきっかけが必要です。また、閃きは、多くの場合、無意識化で起こるものだそうです。しかし、意識的に無意識をコントロールすることはできません。思いもよらぬ閃きをするには、思いもよらぬ出来事や出会いが必要なんですね。
だから、たくさんの言葉が景色として目に飛び込んでくるというのは、記憶を引っ張り出したり、閃きを起こすにはよいのではないかと考えています。変な言い方をすれば、頭の中にある記憶は目に見えませんから、書店や図書館は目に見える記憶と言えるかも知れません。
電子書籍ブーム熱は少し冷めたような雰囲気ですが、長い目でみればいつかは情報は、電子データで扱うことが主流となっていくことは避けられないでしょう。
けれど、紙の本には人間の知覚に刺激を与える要素を電子書籍よりもっていると思います。本から電子書籍となったとき、本から何が失われるか、ということも大事かもしれませんが、本だけではなく、本のある空間も大きな要素だと思います。そして、その時に人間が得られるものがどう変わるかということも考えたいですね。
長くなりましたが、探し物でお困りの方がいたら、是非、お近くの書店や図書館へ立ち寄って見てはいかがでしょうか。探し物がみつかるかもしれません。もしかしたら、見つからないかもしれませんが、代わりのものがみつかるかもしれません。
自分の望むものが自分にとって最良のものであるとは限りません。目的の無い人は、目的を探しにいくのもいいんじゃないでしょうか。検索窓からは覗けない世界を見てみることで、新たな発見があるかもしれませんよ。
本の数だけ、あなたの可能性が存在すると考えるととても楽しくなりますよね。
それではよい読書生活を。
♪見つけにくいものですか?
(夢の中へ/井上陽水)
古いですけど、こんな歌がありました。
皆さんは、探し物がなかなか見つからない経験ありませんか。
もしくは、何を探しているのかすらわからない経験ありませんか。
探し物があっても、漠然としすぎていて、目的のものが中々みつからないことがありますよね。どう探せばいいのか、これがそうなのか、果たして合っているのか。答えを知らずヒントだけで探そうとすると、正解を見つけるのは、意外と難しかったりしますよね。
その一方で、探しているものは見つからなかったけど、思いもよらぬものを見つけたりした経験ってありませんか。
セレンディピティという言葉があります。
それは、あるもの探しているときに、偶然に別の価値あるものを見つけることをいいます。
私には、このセレンディピティを感じる場所が二つあります。それが「書店」と「図書館」です。
私がそうなだけかもしれませんが、何かを探そうと意識的になっても探せないことの方が多いことが多いんです。
ですから、探し物があるときもないときも書店と図書館には通うようにしています。
たくさんの本のタイトルや表紙を眺めているだけで、自分の中から引き出される記憶があったり、突然の閃きがおきたりします。また、その記憶やそこからの連想で思考(妄想)をしたりするのも楽しいですね。
探し物や欲しいものが無い時にも行きます。何かがあるかもしれないからです。自分では気づいていないものが手に入るかもしれません。
人間は、とてもよくできているわりに、とても不器用でもあります。知覚したすべてのことを記憶しているわけではないですし、記憶した全てを思い出せるわけではありません。要するにしまうのも下手なら、引き出すのはもっと下手ってことですね。
意識して引き出せることは、全体から見ればわずかしかないかもしれません。奥底にしまってある記憶を引っ張り出すには、何かきっかけが必要です。また、閃きは、多くの場合、無意識化で起こるものだそうです。しかし、意識的に無意識をコントロールすることはできません。思いもよらぬ閃きをするには、思いもよらぬ出来事や出会いが必要なんですね。
だから、たくさんの言葉が景色として目に飛び込んでくるというのは、記憶を引っ張り出したり、閃きを起こすにはよいのではないかと考えています。変な言い方をすれば、頭の中にある記憶は目に見えませんから、書店や図書館は目に見える記憶と言えるかも知れません。
電子書籍ブーム熱は少し冷めたような雰囲気ですが、長い目でみればいつかは情報は、電子データで扱うことが主流となっていくことは避けられないでしょう。
けれど、紙の本には人間の知覚に刺激を与える要素を電子書籍よりもっていると思います。本から電子書籍となったとき、本から何が失われるか、ということも大事かもしれませんが、本だけではなく、本のある空間も大きな要素だと思います。そして、その時に人間が得られるものがどう変わるかということも考えたいですね。
長くなりましたが、探し物でお困りの方がいたら、是非、お近くの書店や図書館へ立ち寄って見てはいかがでしょうか。探し物がみつかるかもしれません。もしかしたら、見つからないかもしれませんが、代わりのものがみつかるかもしれません。
自分の望むものが自分にとって最良のものであるとは限りません。目的の無い人は、目的を探しにいくのもいいんじゃないでしょうか。検索窓からは覗けない世界を見てみることで、新たな発見があるかもしれませんよ。
本の数だけ、あなたの可能性が存在すると考えるととても楽しくなりますよね。
それではよい読書生活を。