2017年10月25日

消費のフロンティアを求めて移動

リースマンの「孤独な群衆」を少しずつ再読している。
初めてこの本を読んだのは大学時代。
文字が小さく、びっしり書かれているのを
学生時代はよくわからず読んでいたと思う。
あれから25年。小さな文字はますます見えなくなった。
そしてまだまだこの本意を理解はしていないだろう。
ただ、少しなりに人生を積み重ね、住む場所も変え、
言葉と生活が織り重なる所がある。

以下、抜粋

「初期的人口減退の局面の人間たちも、あちこちと移動する。しかし、かれらの場合には単に生産のフロンティアを求めて移動するだけでなく、同時に消費のフロンティアを求めて移動してるのだ」

以上、抜粋おわり

日本において人口減少は2008年からと言われてる。
実際は数年前からも減った、微増だということはあったと
記憶はしているが。

その初期的人口減退である日本において、
私はますます、リースマンが言った
消費のフロンティアを求めての移動が強まると感じる。

今の時代、職場という場所を考えなければ、どこにいても
仕事はできる。なので生産のフロンティアを求めての移動は
リースマンがこの本を書いた1950年代よりは幾分か少ないだろう。

ただ、消費のフロンティアを求めての移動は、逆に加速をつけて
増えるように思う。

ここでいう消費とは、もちろん買い物を指すわけではない。
教育、医療、全てにおいての消費である。

例えば東京でも子どもが育ったからと郊外から都心へ
移り住む人も多く見かける。移動の負担減、医療への安心感など
その理由には多くの理由があるだろう。

人口が減っていく段階では、サービスをする人それ自体が減る。
ロボットが発達すれば別だが、現状では長時間サービスも難しく
なってくる。

サービスは、人口の多い、都心部、中心部に集中し、
都市と地方、地方でも中心部と周辺ではさらに大きな差が出てくる。

そう考えていくと、この消費のフロンティアを求めての移動は
今後、増えることがあっても減ることがないと考えるのは
当然ではないだろうか。

私も地方出身者の一人だから、地方創生を考えたいが、
消費はそれを成り立たせる人や施設があって成り立つものだから、
人口減少の時代、人口密度を高め、そこに人とモノを集中させないと
できないと思う。

それは観光客を増やしても、Uターン者を増やしても成立せず、
教育、医療も含め、中心部に集中させ、人もその周辺に移動しなければ
成り立たないのではないか。で、なければ人は消費のフロンティアを
求めてますます移動するのではないかと思う次第である。







  

2017年09月05日

シャインマスカットのある家

最近、シャインマスカットをよく口にする。
無意識に皮を剥いて食べていたら

「そのぶどうは皮ごと食べることができる」

と言われた。

そういえば、小さい頃、
僕はぶどうを皮のまま
食べて飲み込んでいた。

祖母か誰かに

「ぶどうの皮は食べてはいけない」

と言われた。

その後、しばらく経って、
本来の食べ方になったように思う。

そう言われてから40年以上経っているのだろうか。
まるごと食べることができるシャインマスカット。
そんな洒落た名前のものが食卓にある。

僕が皮を食べるのを見て、
きっと祖母は同じことを言うだろう。

その時、僕はどういうのだろうか。
きっと、何も言わず、皮を剥いて食べると思う。
  

2017年08月25日

大丈夫にしてる

朝の連続テレビ小説「ひよっこ」。
録画も含めて、欠かさず観てる。

「ひよっこ」の台詞の中には、
毎日を元気にするフレーズが
含まれてる(と個人的に思ってる)。

今日は大丈夫ですか?」の質問に対して
菅野美穂さんが「「大丈夫に、、してる」
と答えた。

大丈夫にする。

いい表現だと思った。

そのあと、ミニスカートの話。

「長い(丈)を短くしても何か違う」。

そうだよなと思った。

ミニスカートはそれで完成形であって、
長い丈のスカートを短くしても違う
というのは、よくわかる。

このドラマが好きなのは、
みなさんの演技そのものも、
家族構成もそうだけれど、
言葉のやさしさ、素晴らしさを
感じ得ること。

そして故郷を後にして、
両親を残してこちらにいる
自分がそこにいるような錯覚。

いいなぁと思う。  

2017年08月24日

8/23日経夕刊「お盆休み明け」梯久美子さん

日経夕刊が好きだ。新聞の発行部数は減っている。WEBで多くのことがこと足りる。毎日、しっかり読めるわけでもない。ただ、逆に、年間6万円近くを支払って情報を得るというのは、今の時代、贅沢かもしれない。やめないのは、やはりこういった素敵な記事と偶然出合えることだと思う。

梯久美子さん。6年前の日経新聞で「インタビューの極意」は、いまだに読み返すことがある。アカウントプランナーとして対話、インタビューが多い仕事柄、人と向かい合う心構え、姿勢について大事なことが書かれている。

このブログでも書かせてもらった。
参考:9/18日経新聞「インタビューの極意」梯久美子さん

今回の日経夕刊も偶然読み終えて、誰が書いているのか、確認してみたら梯久美子さんだった。梯さんの言葉はいつも琴線に触れる。

今回の記事は梯さんが新入社員の頃、2年目と帰省した際の心境の変化の話だ。1年目は帰省して職場に戻ってきたとき、腑抜けな感じがしたのに、2年目には東京のアパートが「ただいま」の場所だったという内容。

この気持ち、すごくわかる。私はこちらに来てしばらくは、戻ってきたという感覚はなかった。実家が「ただいま」の場所だった。しかし、今は間違いなくこちらが「ただいま」の場所だ。故郷よりも今の棲家が落ち着く。

私はここで生きている。

梯さんのように2年目でそうは思えなかったけれど、今はまさにそんな心境だ。梯さんの素敵な言葉に触れて、心が穏やかになれた。自分が言葉にできなかったことを言葉にしてもらえたとき、こういった良い心持ちになれる。感謝。


  

2017年08月23日

「人間は二本足で歩く」(デザインの鍵 池邊陽)  


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1979年(昭和54年)に建築家の池邊陽氏が書いた「デザインの鍵(丸善株式会社)」。この本をここ数年、何度も読み直している。この著書には96項目について書かれている。

96項目のタイトルを見ているだけで、おもしろい。特に5項目の「人間は二本足で歩く」がいい。
この項目の前半を箇条書きでまとめると

・不安定の最も大きな特性は、人間が二本足で立っているということ。

・これは動物の中での人間の特性。

・二本の足で垂直に立てたということは、人間の脳を発達させた。

・二本の足で立つという構造的不安定性は、人間の「水平」という問題に対する感覚を鋭敏にした。

・立っている場合の水平面に対する鋭敏な知覚が、建築の基礎である床の水平面を生んだ。

・「水平」は人間の創造した最大のもの。

など、巧みに書かれている。

「人間は二本足で歩く」ことは、普段、忘れていることだ。また、二本足で歩くことが、どれだけ特別なことであるかもすっかり忘れている。自分の記憶にはないが、二本足で転びながらヨチヨチと歩いたことも、著者の言葉を借りれば、脳の発達と水平という感覚が芽生えたからこそ成し得た技だ。

また、「二本足で立つ」その不安定さが「水平」という感覚を鋭敏にしたことは、自分の人生を振り返っても、当てはまることが多い。不安定さは常に感覚を敏感にする。それが意識的であれ、無意識的であれ、不安定の中の試行錯誤は、あらゆる感覚を敏感にしてきたように思う。

そして「二本足で立つ」その不安定な環境で生まれた「水平」は、そこでとどまらない。

「水平」は新たな概念を生み出した。それは「直角」である。

その直角が産業革命以降増え、建築にも大いに影響を与えてきた。また、それに対しての反抗、例えばドームの発見や直角の支配からの脱却の試みが、ローマ、ビザンチンの建築への流れ、ゴシック建築、近代において幾度となく行われているという。

この本のタイトルは「デザインの鍵」である。サブタイトルには「人間・建築・方法」とある。私は建築のことはわからない。ただ、アカウントプランニングも人間へのアプローチである。「人間・広告・方法」「人間・コミュニケーション・方法」としてみると、大いに気付かされることが多い。







  

2017年08月09日

雨が降っても傘はささない

NHK朝の連続ドラマ「ひよっこ」。
古谷一行さんが今日も良かった。

古谷一行さんを見ると、祖父のことを思い出す。
今日は霧雨の中、麦原帽子姿だった。

田んぼや畑仕事をするとき、
雨が降っても傘はささない。

大抵は麦原帽子で過ごす。
雨がひどいときはカッパ。
祖父が傘をさしている姿は思い出せない。
いつも両手を動かしていた。

だからだろうか?
僕もあまり傘をさすのが好きじゃない。

しかしながらのゲリラ豪雨。
今では傘を持ち歩かない日がないくらい。

それでも祖父は傘をささないだろう。
どんなに雨が降っても傘はささない。
それが生き方だったのかもしれない。  

2017年08月05日

見直し。見通し。そして省察的実践。

「見直し」とは、どういうことか。

数学的思考法(著 芳沢光雄氏)には

「見直し」は自ら疑うという試行錯誤。

と書かれている。また、

「見直し」によって誤りを見つけて直す力を
身につけると、試行錯誤して考える力も自然と
身につくようになる。

ただ、それは決して簡単なことではない。

と書かれている。

では、「見通し」とは、どういうことか。

アカウントプランニング思考(編著 小林保彦氏)には

「見通す」とは、新しい事態に直面した時、
過去の経験によるものではなく、課題と関連させて
全体の状況を把握し直すことにより、
自己の行動パターンを意識化し、
その原因や意味を理解することを言う。

と、書かれている。

ドナルド・A・ショーンの 
「行為の中の省察」(Reflective in Action)では、

確固たる固定的な知識・技能を十分取得しながらも、
そこにとどまるのではなく、様々な文脈で、
これを改変したり、組み合わせたりしながら、
その時の状況に応じて、最善の打開策を
生み出していく実践が「省察的実践」

であるという。

自分を疑うという、見直す習慣で
試行錯誤を身につけることで、
見通す力、臨機応変の実践者、
即戦的対応力が身についていくということか。

全てが、アカウントプランニングに
つながる話だと感じる。













  

2017年07月20日

違和感を大事にする

昨日も1日、顧問先のみなさんとディスカッション。改めて「違和感を大事にして欲しい」と伝える。ここで言う違和感とは、例えば、「なぜ、あの人は△△な行動をしたのだろう」というものだ。

実際、一緒に現場で目にした風景を思い出してもらう。大半の人が想定どおりの商品を手にするなか、明らかに自分たちが想定するターゲットとは違う人が、その商品を購入した。その理由はなんなのか?

「多くの人が◎◎をしていた」その事実ももちろん大事だが、たった一人の行動に見えたこの違和感、その理由を考えることに、インサイトや様々なマーケティングのヒントが隠されている。

実際、目にしたこの違和感。N=1でも、こういった行動をとる人が複数いるとしたなら、それが今まで気づかなかったマーケット。このN=1の背景にはまだ見ぬ多くの人=マーケットが潜んでいるかもしれない。伝えなければいけない内容も手段も今とは全く違うはずだ。

この経験を積んでいくと、データからのfindingsやInsightそのものの内容が全く変わってくる。違和感の背景にある隠れている事柄に目がいくようになる。それは経験を重ね、繰り返し試行錯誤するからこそ身につくものであり、かんたんにできるものではない。その経験の積み重ねは一種の修行のようにも感じる。

ただ、今まで見えなかった大事なことが見えてくる。そのこと自体が楽しい。私自身、20年続けてもまだまだ新たな気付きがある。現場で感じるこの違和感が、あらゆる課題の糸口(NAKED CLUE)を導きだしてくれる。  

2016年11月23日

全てが数値化されているわけではない

かつて、実在するけれども、数値化できなかったことが多かったと思う。今、それがいろんな技術を使って数値化される。情報が単に数字に置き換えられて流通する。その数値だけで判断される。

でも、考えてみると、まだまだ数値化されていない、見えないものも多くある。数値化されていないものにも大事なことは多くあるのではないか。そして大事なことが見落とされていないだろうか。

数字はわかりやすい。誰もの共通言語となりうる。だからこそ、その扱いには慎重になるべきだし、その数字の背景や、数値化されていない大事なことに目を向けるべきである。

見えないものを数値化することは悪いことではない。暗黙知を形式知にし、共有していく上でも大事なことであろう。ただ、今、現在、数値化として見えているものがまだまだ一部である。大事なことは隠されていると思うくらいが良いのではないか。

数字は行動の一部が置き換えられたものであって、行動の全てではない。人は他者とのインタラクションを通じて行動し、学習していくのだから、その中味、意味を理解できなければ、本当に理解したとは言えないのではないか。

そんなことをここ数日、考えている。






  

2016年11月21日

記憶は現在進行形




ジェラルド・ザルトマンの名著「心脳マーケティング」(2005年に翻訳され第一版)は、今でも読み返す。今日は久しぶりに本を開いた。第8章の「壊れやすい記憶」から下記引用。

"カリフォルニア大学ロサンゼルス校社会学部教授及びカリフォルニア精神分析研究所員であるジェフリー・ブラガーは、「消費者がつくり出す記憶というものは、その人の感情や身体的刺激を代弁するためにつくられる物語の断片である」と述べている。”

”そうした記憶は、一見したところ、すでに存在する「写真」を引っ張り出してきているように見えるかもしれないが、実際には、現在の経験を説明するために新たに撮影した「写真」と言った方が正しい。"

引用終わり。

このフレーズに触れるたびに、いつも大きく頷くのだけれど、私もインタビューや人の話を訊いていると、「記憶は、現在進行形」であるといつも感じる。こちらの質問が「キュー」になり、蘇ってくる部分と今の心境とその空間に影響され、また時には、「こうだったらもっと良かったはずだ」という願望も重なり、過去の記憶として語られる。自分の好きなように解釈し、物語として語られる。

そういう意味では、単に記憶は昔の出来事だから、曖昧なのではなく、現在の環境や気持ちも足されその人の解釈が乗ってくるから、掴むのが難しい。歴史は、その記憶が集まりまた編纂されるものであるから、なお一層、複雑になる。

年内、この「記憶」というものをもっと掘り下げてみたいと思う。




  

2016年11月15日

靴擦れ防止にニベア

これは前から書こうと思っていて。
僕は、靴擦れします。
ひどいと血だらけになります。

足にあってないのですが、
足に合う靴なんて一つもないんです。
だから慣れるまではあきらめていたのです。

今回も恐る恐る、新しい靴を購入したのですが、
ネットで調べると、履く前にニベアを塗ると良いとか。

これ、試しました。
すごい塗りました。

結果、、、、最初から靴擦れしませんでした。

結構、小さめな靴なので、恐れていましたが、
これが見事に、何もおこらず。

素晴らしいな。ニベア。
ちなみに、前に使ったのは確か5−6歳のとき。
つまり40年ぶりに使った。

それもすごい。ニベア!

※個人差があるので、使っても靴擦れしたぞと言われても
 責任はとれません。ご了承ください。  

2016年11月10日

歴史的な1日。

米国大統領選。

共和党のトランプ氏が大統領。
数日前から、何度も、トランプの可能性はあるのかと、
頭をよぎったが、その度にいや、ないと、思ってた。

まさかである。

相場は、それに反応した。
その後、下値を探り当てると急伸。
気がつけば高値更新で終了。

冷静になれば、そういうことだ。
絶望より希望を。

そして、オバマ大統領に感謝を。



  

2016年11月05日

知らない街

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ある日、突然、出向かないといけない
場所に呼ばれる。

ここもそうだった。
朝、目覚めて、向かった。
遠い所で、生きている間に
訪れることはあるのだろうか。

不思議な所はだった。
出向くことができて良かった。  

2016年11月04日

2年前のHERMESの展覧会

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整理していたら、2年前のHERMESの展覧会の写真が出てきた。
東京国立博物館・表慶館で開催されたこの展覧会は圧巻だった。

レザーの現物が大量に展示されていたり、
職人が実際に仕事する姿をみれたり、
素晴らしかった。

この箱に埋もれたモニターも、上手。

もともと好きなブランドではあるけれど、
この展覧会でなお一層、好きになった。





  

2016年11月03日

空虚

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世の中、建設ラッシュである。

マンションは一時期より、落ち着いたであろうが、まだまだ建物は増えていくのであろう。

東京の建築物は、大きい。
人が多いからか、限られた土地しかないからか。

そんな風景を目の当たりにできるのも
ここにいるからであり、ロランバルトが言う空虚という意味合いも、また感じることができる。

  

2016年11月02日

二子玉川 ヤマキさん

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全く私の仕事ではないですが、
ヤマキさん、最近、二子玉川でイベントを実施していますね。
先週も見たような・・・

スタッフの方?に「写真は撮らせてもらっていいですか?」と
言ったところ、「ここに立ってください。写真、撮りますよ」と
明るく言ってもらいましたが、時間がなく、断念しました。

やっぱり、リアルのイベントというのは
とてもいいですよね。反応も即座に見ることができるし、
楽しければSNSにもアップされるわけで。

外でイベントを実施するのは寒い厳しい季節ですが、
こたつを置いて、鍋パーティをイベント化するのは
いかがでしょうか・・・

と、10秒で思いついたとはいえ、
その思いつきが安易すぎて、
自分で笑ってしまいました。




  

2016年11月01日

歩きながら考える

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天気が良いので、地下鉄を使わず、
神保町から大手町まで歩いた。

ゆっくり移りゆく風景を眺めていると
様々なアイデアが浮かんでくる。

地下鉄に乗っていれば、
見ることのできない風景。

ロランバルトが空虚と言った皇居も、
都心の大掛かりな工事風景も、
同居している面白さがここにはある。

  

2016年10月31日

「群れない、慣れない、頼らない」 堀文子

孤独で嫌だなと思ったとき、思い出す言葉があります。

「群れない、慣れない、頼らない」

これは日本画家の堀文子さんが、5年ほど前のテレビで
おっしゃっていた言葉です。

Wikipediaをみたら、御年98歳。

女性の年齢を書くなんて、失礼だと叱られるかもしれませんが、
これは単なる言葉というより、堀文子さんの生き方そのものだと、
テレビを観て感じていました。

43歳でご主人と死別。その後、世界放浪の旅へ。

「自分から離れないと自分が見えない」

「過去より現在の好奇心」

「自分の生活状態に慣れてくると酸欠し、未知の世界へ行きたくなる」

「この世の不思議をできるだけみたい」

「年をとるたびに、知らないことが増えていく」
(昔は知ったかぶりしていた)

「本能的に元栓を探している」

「芸術雑誌は読まない」「科学雑誌を読む」

当時の僕のノートには、堀さんの言葉が、
走り書きで一気に書かれています。

どれも琴線に触れる言葉ばかりで、
自分を叱咤激励してくれます。

そして泣きたくなって、
平常心に戻るのです。

堀さんのようには、なれないけれど、
辛くなったら、また堀さんの言葉に
戻ってきたいと思います。

10月ありがとうございました。