MORE THAN a YARD うぇぶろぐ=アメフト100周年を国立競技場で迎えるために=

関東学生アメリカンフットボール連盟放送委員長兼広報委員の松川が、アメリカンフットボールを盛り上げるために活動していきます。目指すは日本のアメフト100週年(2034年)に国立競技場で試合を開催すること!

February 1999

芝の男、志賀('99.2/23)

14d8bf79.jpg このホームページに載せる写真を選ぶため、古いフィルムを漁ってみた。'97のネガをめくっていくうちに様々な思い出がよみがえってきた。
 その中で一枚の写真に目が止まった。シンプルなフェイスガードをつけた#9。場所は駒沢陸上、法政対慶応の試合である。
 背番号にとまどいはあったものの、フェイスガードで誰なのかすぐにわかった。LB志賀(現在は#52)である。

 日大三高の主将として全国制覇を成し遂げたという、彼の高校時代については知らなかった。公式戦に出場したのもこの日が初めてだったのではないだろうか。だが、この日の彼の活躍は目を見張るようなものであった。
 ファンブルリカバーによるTDに加え、相手QBをサック。写真はサックの後のものだろう。その派手なアクションはもちろんのこと、プレーに強く魅せられた。有澤(鹿島)に勝るとも劣らない凄いOLBだ、という印象を持ったことを思い出した。

 しかし、法政は「LB王国」と言われるほど優れたLBが多い。彼ほどのLBでも出場機会は限られてしまう。'98リーグ戦では塚越・吉野・田中・平本らとのローテーション出場の中でも比較的影は薄かったように思う。その派手なアクションを見る機会はほとんどなかった。

 彼がその本領を見せたのは甲子園ボウルでだった。後半開始最初のプレー、里見のリバースプレーを逆サイドからのパシュートでタックル。立命一のアスリートに追いつくという離れ業で自らの能力の高さを示した。

 法政の誇るスピードは人工芝の上でこそ生きる。法政が甲子園で勝てない原因の一つが天然芝のフィールドにあるように思うのだが、志賀は天然芝に足を取られることなくそのスピードを見せてくれた。そういえば駒沢陸上も関東一部では数少ない天然芝のフィールドである。
 志賀のスピードは芝の上でこそ生きるのかもしれない。

 駒沢陸上で思い出す選手がもう一人。当時#57をつけウエッジバスターをしていた基(東京海上)である。その陽性なキャラを知ったのもまた駒沢陸上だった。彼もまた芝と相性のいい選手だったのかもしれない。彼が主将を務めた'97シーズン、法政は同点ながら大学王座についた。

 志賀の活躍で法政が甲子園を征する、そんな光景が見たい。

追記:その後背番号を1とした志賀は主将として甲子園ボウルで関学を28-21と破る。現在はプレーしていないがどこかでそのプレーをまた見たい。
http://www.geocities.co.jp/Athlete-Acropolis/8457/lti/2.html

ダン・マリーノの事('99.2/1)

 マイアミドルフィンズが、好きである。ダン・マリーノが好き、と言い換えた方が正確かもしれない。衛星放送でたまたまこのチームの試合を見なかったら、ここまでフットボールにのめりこむ事はなかったかもしれない。

 彼と彼のチームを初めて見たのは(同時にフットボールを初めて見たのは)、ワシントンがスーパーボウルに勝った年の事である。2試合を残し、マイアミはひとつ勝てばプレーオフ進出という状況だったと記憶している。この一試合目、マイアミATバッファローの試合が初めて見たフットボールの試合である。

 ルールも何も知らずに見ていた試合なので、どういう試合だったかという記憶はないのだが、マイアミが負けたことだけは間違いない。 
 この試合、印象に残ったのはバッファローのファン達。バッファローというのはニューヨーク州北端にあり、12月ともなれば豪快に寒いところだそうだ。その寒さの中で屋外のスタジアムに人が集まるのも驚きだったが、中には裸で応援する人もいる。テレビだからそうした人を選んで映すのだとは思うが、異常な光景に見えた。もう一つ印象に残ったのが、その熱狂的ファンの敵役となったマイアミの#13。テレビが盛んに大写しにするので中心選手であることは分かった。13というキリスト教徒には不吉な背番号を着けていること、そしてその背番号と同じ色の瞳が印象的だった。

 その次の週もマイアミの試合を見たのは、単なる偶然だったのだろう。少なくとも前もって調べ、テレビの前に座った記憶はない。この試合でも(ATニューヨークジャイアンツであったような気がするが)、マイアミは敗れプレーオフを逃す。この試合で敗色濃厚となった#13がヘルメットを地面に叩き付けるシーンが、私をフットボールに魅きつけた。
 マイアミの#13、マリーノは思い通りにならない戦況に思わずこうした行動に出たのだろう。

 フットボールに『防具をつけ、ヘルメットまでかぶり、機械的にプレーするもの』という印象を持っていた私にとって、彼のこの行動は非常に好ましく思えた。フットボールに対して持っていた悪いイメージを払拭してくれたシーンだった。

 たかがヘルメットを叩きつけるという動作がそうしてそこまで飛躍したのか、今となっては良く分からない。とはいえ,このシーンを見たからこそ今の自分があり、このページがあるのだといえるほど強烈な印象が残っている。

 この時マイアミが負けた2チームは共にプレーオフに進出した。この2チームがプレーオフで敗れた試合(共にワシントンに負けた)は観戦ガイドを片手に見た。これらの試合を通して私はフットボールの持つ面白さに引き込まれていったように思う。

 その観戦ガイドでマリーノについていろいろなことを知った。Mr.TD-passと呼ばれるパッサーぶり、信じられないクイックリリース…。次のシーズンからは彼が様々な記録を打ち立て、すばらしい逆転劇を導くのを見続けてきた。

 しかしプロフットボールの頂点であるスーパーボウル、様々なNFL記録を持つマリーノにもそこでの栄冠はない。'95シーズンを棒に振った大怪我、自らを拾ってくれたシューラ監督の辞任、そして名将ジミー・ジョンソンもチームを去っていった。

 ラストチャンスと言われ続けて久しいマリーノ、'61年生まれの彼に残された時間は少ない。次シーズンこそ、歓喜のマリーノが見たい。 

自分の中ではこういう記憶として残っているのですが,記憶だけで書いたので間違いがあるかもしれません。
http://www.geocities.co.jp/Athlete-Acropolis/8457/lti/1.html
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