MORE THAN a YARD うぇぶろぐ=アメフト100周年を国立競技場で迎えるために=

関東学生アメリカンフットボール連盟放送委員長兼広報委員の松川が、アメリカンフットボールを盛り上げるために活動していきます。目指すは日本のアメフト100週年(2034年)に国立競技場で試合を開催すること!

March 2010

#7

 話題の映画『ブラインド・サイド』。先日のカメリアボウルでも最優秀オフェンスラインを『ブラインドサイド賞』として表彰していた。翻訳本の版元からの協賛で何冊か用意されていたのだが、アメリカンスクールの生徒への贈呈となり、彼が読めるかどうかいらぬ心配をしてみたり。そういったところが課題として残ったカメリアボウルだったが、それはまた別のお話。アメリカ大使、軍関係者(第7艦隊司令官^^;)といった来賓が揃ったところへ勝利者杯の授与者は麻生前総理。フットボール議連会長(こちらも元職?確認できず)という立場だが、沖縄がらみでモメているだけに現総理(フラッグフットの議連さんだったような…)にも臨席していただいて、フットボールを外交の糸口にして欲しかったなというのもまた別のお話。

H90
 すっかり話が飛んでしまったが、QBの背中側を守るオフェンスラインとそれに対抗するディフェンスラインの攻防はアメリカンフットボールの華であり、他の球技との一番の違いでもあるだろう。そんな瞬間の1枚。筑波大学のブラインドサイドを破ろうとしているのは法政のDL#90木下。『オールアジア』と専門誌で称えられたベストDLである。
 とはいえ、当時のフットボール界に日本代表が存在したわけではない。ネーミングはサッカー日本代表の『アジアの大砲』高木選手になぞらえてつけられたものと想像される。第1回ワールドカップに向けたアメリカンフットボール日本代表が組織されるのはこの翌年。ワールドカップ本戦に参加する選手への応援メッセージをニフティフォーラム(!)で集め、プリントアウトして飛行機の中で選手が読んだという伝説があるのはこの翌々年になる。ケータイからでも当たり前のようにブログを更新したりつぶやいたりできる現在から見ると隔世の感があるが、そういう時代だったのである。
 木下は結局日の丸をつけて試合に臨んだことはなかったように思う。オリンピックに縁がない選手がいるように、そういう巡り合わせだったのだろう。そうした選手がいたことを思うと、国際試合が毎年のようにあり、カメリアボウルのような交流もできるようになったフットボール界にも隔世の感がある。この進歩を止めないことこそ、目指さねばならないことなのだと思う。

#6

気づけば、前のエントリーから1ヶ月が開いてしまいました。
3週前は相模原ライズの意見交換会へ参加したのですが、その件もまとめないうちに春シーズンの予定が……来週はカメリアボウルだし…。
いい加減出し遅れな感じの否めないシリーズですが、今しばらくお付き合いの程を。

tokai14
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東海大学トライトンズ。写真は大井第二の対筑波戦。
 '09シーズンはブロック6位に終わったが、一昔前は東大、慶大などと激戦を繰り広げていた。東大旋風を止めたチームとして敵役のような感じにみられたこともあったと記憶する。ウィッシュボーンからのオプション攻撃、LB#45比留間(現鹿島)を中心にした守備で、'97シーズンはブロック2位でプレーオフに進出。準決勝で日大と対戦する。
 この試合、リードを許した東海だが、前半を0-3で折り返すと後半はオンサイドキックから入る。このキックは日大に抑えられTDを奪われるものの、日大は2ポイントコンバージョンをチョイスし失敗。3Q後半にはギャンブルを成功させ4QにFGを成功させ追い上げた東海は4Qだけで三転した試合を17-16で制し関東選手権に駒を進める。試合のメモによると、東海にパス成功はない。残り2:34からの逆転ドライブもランだけで前進、TDに持ち込んでいる。徹底したタイムコントロールで日大から攻撃時間を奪い、リードしながら2ポイントコンバージョンを狙うという選択を日大に強いた東海に凄みを感じた試合だった。
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