話題の映画『ブラインド・サイド』。先日のカメリアボウルでも最優秀オフェンスラインを『ブラインドサイド賞』として表彰していた。翻訳本の版元からの協賛で何冊か用意されていたのだが、アメリカンスクールの生徒への贈呈となり、彼が読めるかどうかいらぬ心配をしてみたり。そういったところが課題として残ったカメリアボウルだったが、それはまた別のお話。アメリカ大使、軍関係者(第7艦隊司令官^^;)といった来賓が揃ったところへ勝利者杯の授与者は麻生前総理。フットボール議連会長(こちらも元職?確認できず)という立場だが、沖縄がらみでモメているだけに現総理(フラッグフットの議連さんだったような…)にも臨席していただいて、フットボールを外交の糸口にして欲しかったなというのもまた別のお話。
すっかり話が飛んでしまったが、QBの背中側を守るオフェンスラインとそれに対抗するディフェンスラインの攻防はアメリカンフットボールの華であり、他の球技との一番の違いでもあるだろう。そんな瞬間の1枚。筑波大学のブラインドサイドを破ろうとしているのは法政のDL#90木下。『オールアジア』と専門誌で称えられたベストDLである。
とはいえ、当時のフットボール界に日本代表が存在したわけではない。ネーミングはサッカー日本代表の『アジアの大砲』高木選手になぞらえてつけられたものと想像される。第1回ワールドカップに向けたアメリカンフットボール日本代表が組織されるのはこの翌年。ワールドカップ本戦に参加する選手への応援メッセージをニフティフォーラム(!)で集め、プリントアウトして飛行機の中で選手が読んだという伝説があるのはこの翌々年になる。ケータイからでも当たり前のようにブログを更新したりつぶやいたりできる現在から見ると隔世の感があるが、そういう時代だったのである。
木下は結局日の丸をつけて試合に臨んだことはなかったように思う。オリンピックに縁がない選手がいるように、そういう巡り合わせだったのだろう。そうした選手がいたことを思うと、国際試合が毎年のようにあり、カメリアボウルのような交流もできるようになったフットボール界にも隔世の感がある。この進歩を止めないことこそ、目指さねばならないことなのだと思う。
すっかり話が飛んでしまったが、QBの背中側を守るオフェンスラインとそれに対抗するディフェンスラインの攻防はアメリカンフットボールの華であり、他の球技との一番の違いでもあるだろう。そんな瞬間の1枚。筑波大学のブラインドサイドを破ろうとしているのは法政のDL#90木下。『オールアジア』と専門誌で称えられたベストDLである。
とはいえ、当時のフットボール界に日本代表が存在したわけではない。ネーミングはサッカー日本代表の『アジアの大砲』高木選手になぞらえてつけられたものと想像される。第1回ワールドカップに向けたアメリカンフットボール日本代表が組織されるのはこの翌年。ワールドカップ本戦に参加する選手への応援メッセージをニフティフォーラム(!)で集め、プリントアウトして飛行機の中で選手が読んだという伝説があるのはこの翌々年になる。ケータイからでも当たり前のようにブログを更新したりつぶやいたりできる現在から見ると隔世の感があるが、そういう時代だったのである。
木下は結局日の丸をつけて試合に臨んだことはなかったように思う。オリンピックに縁がない選手がいるように、そういう巡り合わせだったのだろう。そうした選手がいたことを思うと、国際試合が毎年のようにあり、カメリアボウルのような交流もできるようになったフットボール界にも隔世の感がある。この進歩を止めないことこそ、目指さねばならないことなのだと思う。