日本の古代を推理する

-結局歴史では結論は出ませんが、色々推理するところに歴史のロマンがあるように思います。

名古屋に住んでいます。歴史が好きな60才の男です。内容は少しマニアックかなと思いますが、歴史を自分なりに考え解釈して、ここに書いています。
なお、このブログは日付順に続きで話が展開しています。
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*写真は基本的に私が個人的に撮ったものを使用しています(転載不可)。

思金神は、岩戸隠れの際に八百万の神に天照大神を岩戸の外に出すための知恵を授けた神様として知られています。この神様を祭神としている神社は、あまり多くはありませんが、代表とされるのが長野県下伊那郡阿智村にある阿智神社でしょう。「先代旧事本紀」は、思兼神は信濃国に降り立って信之阿智祝の祖になったとされ、秩父国造の祖ともしています。子に天表春命・天下春命(ウワハル・シタハル)がいました。阿智神社では、思金神の他に天表春命も祭神となっています。
また、阿智神社自体については、同じ阿智村にある安布知神社(あふちじんじゃ)が本来の阿智神社であるという説もあるようです。
阿智神社前宮
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阿智神社奥宮
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ところで、ホツマツタエでは、
思兼神は「アチヒコ」という名前で登場し、イザナギ・イザナミの娘であるワカヒメ(ヒルコ)と結婚しています。そして、岩戸を開けた手力雄(タヂカラオ)は彼の息子という事になっています。アチヒコは、文字通り阿智を意味していてこの場所との強いつながりを感じさせます。
また、阿智神社前宮のすぐ前は、昼神温泉の日帰り温泉施設ですが、その温泉の名前の「昼神」については
思兼神が天岩戸を開けるのに知恵を付け、「昼」をもたらしたから?とか「ヒルコ」の名前から?とかも考えました。
一方、阿知使主(あちのおみ)という人物が、応神天皇時代の漢人系渡来人として日本書紀に出てきます。もしかしたら、この人物は、思兼神と同一人物ではないにしろ、関係がある人だったかもしれません。
それから、始めに書いた阿智神社ではと言われている
安布知神社(あふちじんじゃ)ですが、「あふち」が阿智になったという事もありうるとは思いますが、変わった名前です。もしかしたら朝鮮語で父親のことを「アブジ」といいますから、こちらの神社は子供のウワハルが父のために建てたのかとも考えました。そうすると阿知使主が渡来人という事とも符合します。ちょっと考えすぎでしょうか?





岐阜県可児市の久々利にちょっとした用で行きました。以前にも久々利については、書きました。

久々利は、景行天皇が一時滞在したという事で、「泳宮(くくりのみや)」の遺跡があります。そこで、景行天皇は 八坂入媛(ヤサカイリヒメ)を妻にしたと伝えられています。
もう少し詳しく書くと、  八坂入媛の父はこの辺りを支配していた八坂入彦(ヤサカイリヒコ)で、彼は崇神天皇と尾張氏出身の大海媛の子にあたります。
八坂入彦の墓が泳宮から2キロほど離れたところにあります。
ここは、大萱古墳という古墳で現在は八劔神社という神社になっています。P_20170107_164341
 
















雨で読みづらくなっていて残念ですが、この看板には、景行天皇と八坂入媛とのいきさつが書かれています。最初天皇は、妹の弟姫を好きになりますが、彼女は姿を隠します。そこで、天皇は池にみごとな鯉をたくさん放します。それを見に来た弟姫(オトヒメ)と泳宮で生活を始めます。このことから、鯉=恋になったのだとか。
しかし、天皇が都に帰る際、弟姫が一緒に帰ることを拒否し、姉の八坂入媛を推薦し、彼女を連れて天皇は帰ったという事です。
その後、播磨稲日大郎姫が崩御したことを受け、八坂入媛は新たな皇后に立てられます。彼女との間にできたワカタラシヒコ=成務天皇)が近江の志賀の高穴穂宮(タカアナホノミヤ)で天下を治めることになります。

景行天皇の子である大碓命(オオウスノミコト-猿投神社の祭神)は、日本書紀によれば、天皇が美濃国造の娘の兄遠子(えとおこ)・弟遠子(おととおこ)姉妹が美人であると聞き、大碓命がその視察に遣わされたが、大碓命は密通して復命せず、天皇から恨まれたといいます。→
また、大碓命の双子の弟-小碓尊(オウスノミコト=ヤマトタケル)が東征の際、死んだのが弟橘比売命(オトタチバナヒメ)です。
景行天皇の弟姫の話は大碓命の話や小碓尊の話が入り混じっているような気もします。

ところで、以前書いたように岐阜の伊奈波神社の祭神は五十瓊敷入彦命(イニシキイリヒコ)ですが、彼は景行天皇の兄にあたります。→また、愛知県の岡崎にも景行天皇の子-五十狭城入彦皇子(イサキイリヒコ)の墓があります。→
このように、岐阜のあたりから愛知県にかけては、あちらこちらに景行天皇と関係が深い人物の痕跡があります。はっきりとはわかりませんが、一時でも政治の中心的な場所であったとも思われます。

 ホツマツタエの解説だと、「やさか」は「近江」の別名だといいます。成務天皇も近江で都を開いたとなっていますし、景行天皇の死後はこのあたりは、尾張氏が一定の政治勢力を保ったものの、政治の中心は近江の方に移ったように思われます。ヤマトタケルを祀る建部大社が近江にあるのもそういった事が背景にあるのかもしれません。
*建部大社
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日本書紀には、仁徳朝のとき飛騨国に居たとされる両面宿儺の記述があります。二つの顔と四手四足の身体をもつ怪物で、動きが敏捷で怪力をもち、皇命に背いて民衆を苦しめたので、仁徳65年に朝廷が征討軍を差し向け、和珥臣祖の難波根子武振熊命により退治されたと記されています。一方地元の伝承では、救世観音の化身であるとか位山(高山市一宮町)の鬼「七儺」を天皇の命により討った英雄として崇敬の対象にもなっています。高山市丹生川町の特産品の野菜として、「宿儺かぼちゃ」も有名で怪物というより親しい存在という感じになっているように思われます。
こういった話は、北アルプスを挟んで東側-穂高の八面大王の話にも似ています。→
古代における「八」の意味を考える その2 安曇野

天皇が日本を統一していく過程で、地方の王たちが怪物のように書かれ滅ぼされていく話の一つなのかもしれませんが、何かもっと深いものが隠されているのかもしれません。四手四足の姿は、シャム双生児などに見られるので、そういう人が実際居たことも考えられます。
時期はずっと後になりますが、聖徳太子の誕生の地とされる橘寺には、二面石という石があります。
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こういった人が実際いて、怖れの対象になっていたのかのかもしれません。
また、飛騨には丹生川村(にゅうかわ)という地名がありますが、その名のとおり水銀鉱物が産出していた場所と考えられます。Wikipediaで丹生川村を見ると「丹生川村に宿儺(すくな)と言う神様が存在した。」という記述があります。
やはり両面宿儺が旧来の勢力で、こうした資源を目当てに侵略の対象となったのかもしれません。
*西南方の位山を神体山として祀る飛騨一宮-水無神社(みなしじんじゃ)
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*境内にある有名な「ねじの木」
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