ブログ2件リンクのお知らせ「在来工法はなぜ生まれたか」

2008年05月12日

木の架構をすべて現す大仏様

木造建築が最も輝いて見えるのは建前の時である。
連続する柱や梁の奏でるリズムは心地よく、
いつまでも見飽きることはない。
それが仕上がるにつれ段々と覆われて、
ただの四角い部屋に変わっていく。

木造でつくるなら、構造材を出来るだけ隠さずに使いたい。
設計する者ならそう考えるのが自然である。

鎌倉時代、木の架構すべてを現してつくり上げた人(建築家)がいる。
その名は俊乗坊重源(しゅんじょうぼう・ちょうげん)。
焼失した大仏殿再興の大勧進(総責任者)に抜擢されて再建に当たった。
当時、宋(中国)より輸入されたばかりの大仏様と呼ばれる建築様式を駆使して、
前代未聞の大建築に挑戦し成し遂げる。
しかし不幸にも1567年に再び兵火にあって焼失し、
現在の大仏殿は江戸時代に再建されたものである。

大仏様は和様や禅宗様と比べると余りにもアクロバット的である。
軒を深く出すために使う従来の組物=斗栱(ときょう)や桔木(はねぎ)の替わりに、
左右に広がる組物でなく前方へだけ突き出す挿肘木(さしひじき)を
通肘木(とおしひじき)でつないだり、
柱間に遊離尾垂木(ゆうりおだるき)を導入したりしている。
軒の四隅も桔木を使わないので垂木は従来の化粧ではなく、
屋根の荷重を支える構造材としての垂木が必要になる。
そこで考え出されたのが放物線上に出る扇垂木だ。

こうした新しい架構法によって、内部も天井を貼らなくてもよい空間を獲得した。
しかし、余りにも難しい工法だったのか、
現存するものは、東大寺南大門(奈良)と浄土寺浄土堂(兵庫)しかない。
(※いずれも重源作)

浄土寺浄土堂 挿肘木と遊離尾垂木













浄土寺浄土堂内部 架構現し














先日のKimoty House のスライド説明で、
「コルゲートの表面を隠さないプランにこだわった」っていった時、
なぜか漠然と大仏様に挑戦した重源上人のことを思い出していた。

今日の話は Kimoty House とは無縁のものだが、
忘れないうちに書き留めて置くことにした。


(S.Tomita)

taa2003 at 19:06│Comments(5) 建築 | 構造

この記事へのコメント

1. Posted by uch   2008年05月13日 00:27
大いに関係あるのではないでしょうか。
それこそがtomiyan建築の背骨なのでは。

「愛(!藍か・・・)の館」や「透き影の家」ではやりきれなかったものが、
意外や意外、なんと鉄でこそストレートに表現できたのかもしれません。

伝統工法に言及しながらもSEはシステムとして了解するtomiyanの柔軟さ、
それに加えて筋肉質建築への少年のような憧れがないまぜになって、
kimoty house が現実に姿を現したのだと思います。
2. Posted by tomiyan   2008年05月13日 00:47
うまく表現するなぁ。 uchの感性には脱帽です。
その気になってしまいそう(笑
3. Posted by kimoty   2008年05月13日 21:57
現在、徳島Blogランキング10位です。
かなりの人が見てるってことですね。

そういえば、「なかのひと」
どれぐらい信憑性があるか??ですが

建築系の学生が見てる感じが面白いです。
私の場合,楽器関係のメーカーも
大手なんですぐばれてますけど。。。

時代が鎌倉でもアバンギャルドだから通じるのかもしれませんね。。。
人間はそれだけ単純という証拠です(笑)
4. Posted by kimoty   2008年05月13日 22:13
徳島Blogランキング(ライブドアののみですけど..)

http://local.blog.livedoor.com/tokushima/blog_ranking.html
5. Posted by tomiyan   2008年05月13日 22:58
確かに、最近アクセス増えてますね。
また頑張って書こうかなって気持ちにさせてくれます(^_^)

「なかのひと」の「性別・年齢解析」はまだデータ不足で表示されませんが、
今のところ企業と教育機関がほぼ半々です。
結果は期待とは逆になりそうな予感がします(>_<)

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