とくしま建物再発見

2013年05月05日

酒蔵に囲われた中庭

造り酒屋を廃業した後も多くの創作作家に愛された割石家の酒蔵群、
なくなる前にその中庭に立つことができた。

130504-23

三方を蔵で囲まれている中庭が心地良いのは当然だろうが、
その効果をより高める工夫がここにはある。

二間余りもある深い下屋を南北に対峙させ、

130504-15

130504-28

陰翳のある豊かな軒下空間を創り出している。

130504-25

また庭の中ほどに立つと重厚な本瓦葺きの屋根が三方から迫り、
甍のラインが額縁となって天空を切り取っている。

錣(しころ)葺きを想わせる二段の屋根は下屋部分も急勾配にしているため、
間近からでも美しい瓦の面が大きく視界に飛び込んで来る。
130504-33

1999年6月に開催された藍染二人展(玉木万立子さんと梶本登基子さん)
藍の色1999』の時に初めて味わったあの感動を再びいただいてきた。

ありがとう割石家のご家族の方々、さようなら酒蔵たち!


(S.Tomita)

taa2003 at 10:17|PermalinkComments(0)

2013年04月29日

阿波町の酒蔵群

割石家の酒蔵群が老朽化のため連休明けに取り壊すとの知らせが届いた。

もう15年ほど前のことになるのだろうか、阿波町に入ってすぐに見えてきた幾重にも
重なり合った甍の美しさに惹かれて厚かましくも飛び込んだのが出会いの始まりだった。

010314-10中庭

酒造りはすでに廃業されていたが、蔵は創作作家のためにギャラリーとして開放されていた。
太い梁が交差する薄暗い蔵の内部は得も言われぬ緊張感が走り、
杜氏の息遣いが聞こえてきそうだった。
また蔵と蔵とに挟まれた中庭がとても心地よかったのをいまも鮮明に覚えている。

傍らに建つ割石家住宅と共に、この建物から建築の見方や空間のあり方など、
大切なことをたくさん教わった。お別れに行って来ようと思う。

(S.Tomita)

taa2003 at 18:44|PermalinkComments(0)

2012年01月18日

お三方を案内して

被災に遭われた東北の建築仲間が徳島の人たちに少しでも役に立つのならと、
体験談や復興に向けての取り組み、専門職としてなすべきことなど、
美波町と徳島市で二日連続で講演してくれた。

子供のような清いこころを持ったお三方。
二日間、県南漁村集落の案内役でお付き合いした印象である。

宮城の渋谷さんは津波で我が家を失い、福島の辺見さんと阿部さんは
まったく先の見えない放射能汚染の真っ只中で戦っている。
そんな境遇の中で我々県人のために来て下さったことを思うと、
ありがとうを何度言っても足りません。

人柄は顔に現れるんですね。
お三方の顔から優しさがにじみ出ています。
120113牟岐の後藤家
(右から渋谷さん、阿部さん、辺見さん、私、後藤さん、内野さん)

このおうちは築150年経つ牟岐の後藤美穂子さんのお宅です。
広い庭、十室もある大きな主屋や五棟もある蔵、どれを取っても手入れが
行き届いていて、先祖を大切になされている気持が心地よく伝わって来ました。
120113牟岐の後藤家・中庭から見た主屋

記念写真はもう一枚。
喫茶・大菩薩峠のオーナー島利喜太さんがいま築いている「石の建築」の
「石の扉」を背にしています。
撮ってくれたのが島さんご自身なので、私にとっては貴重な一枚になりました。
120114阿南の喫茶・大菩薩峠
島さんはいまもつくり続けています。
日本列島をデザインした8mにも及ぶ大テーブルとイスが現在進行中のプロジェクトです。
キャッチフレーズの「ロマンとエネルギー」はいまも健在です。
120114日本列島のテーブルとイス

東北のお三方との短い旅は行く先々で心からのもてなしを受け、
「絆、思いやり、助け合い」 その大切さを実感した二日間になりました。

(S.Tomita)

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2010年10月15日

川俣農村舞台で公演

この日曜日(17日)に、あの川俣農村舞台で今年も公演が開催されます。(地図

平成22年 川俣農村舞台公演 〜ゆずの里 今蘇る 襖からくり〜

091018昨年の復活公演

瞬時に変わる「ふすまカラクリ」 川俣のもいいですよ。
見てない人、是非ご覧下さい!

川俣の襖カラクリ
 ▲『阿波の農村舞台』(阿波のまちなみ研究会発行)より

(S.Tomita)


taa2003 at 20:42|PermalinkComments(0)

2010年01月13日

熱き人

久し振りに喫茶・大菩薩峠のオーナー、島 利喜太さんにお会いした。


10012-2

10012-1

建物取材で会ってから早10年近くになるが、
物づくりのへの情熱は今もまったく色褪せていない。
裏山に構築中の「石の建築」は積み上げた石の壁の上に、
茅葺きの屋根を載せると完成するのだという。

10012-3

お年を訊いて驚いたが、「徳島のガウディ」の夢は果てしなく続く。
今日は頑張る勇気を一杯いただいてきた。

(S.Tomita)

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2009年09月03日

川俣農村舞台で再び・・・

「徳島で一番好きな建物は・・・」と聞かれたら、
きっと間髪入れずに 川俣の農村舞台 と答えるだろう。

020616川俣農村舞台-01

川俣の舞台との出会いは昭和63年(1988)夏に催された
阿波学会学術調査(旧上那賀町)の時まで遡ります。
礫(つぶて)神社境内の杉木立の中にひっそりと佇む舞台を見つけた時、
その美しさに調査メンバーすべてが虜になってしまいました。
トタン葺きの素朴な造りであることや、
行き届いた維持管理のせいだったのだろうか、
現代建築が無くしてしまったコミュニティーの香りを色濃く漂わせていました。

「使われることなく朽ち果てて行くのは余りにも悲しすぎる」

そんな思いが人から人へと伝わり、平成3年(1991)12月7日、
40年ぶりの復活公演にこぎ着けることができました。

020616川俣農村舞台-02020616川俣農村舞台-04
 ▲舞台拡張の装置(蔀帳:ぶちょう)を下しているところ
020616川俣農村舞台-05
 ▲蔀帳を下したところ

あれからもうはや18年が過ぎ去り、
すっかり忘れていた今春に、当時の調査仲間の森兼さん と
阿波人形浄瑠璃研究会 青年座 の小原さんがやってきて、
今秋、川俣農村舞台で復活公演が催されることを教えてくれました。

020616川俣農村舞台-06

020616川俣農村舞台-07

川俣には泥絵具で描かれた見応えのある襖絵が数多く残されていました。
その貴重な襖絵を阿波のまちなみ研究会の仲間らと
恐さ知らずで操った「襖からくり」が懐かしく思い出します。

今度は桟敷からじっくり見させていただけるとのこと。
とても楽しみです。

(註1)川俣農村舞台復活公演の案内
(註2)徳島新聞記事「川俣 18年ぶり復活へ結束」


(S.Tomita)

taa2003 at 23:55|PermalinkComments(4)

2009年08月03日

驚きのアクセス数

一泊二日の出張から帰り、ブログを開けてびっくり!!
土曜のアクセス数 1,485、日曜も 513 と、
大好きな横西奏恵選手のブログに肉薄する?ほどの数字が並んでいた(笑)
てっきりレンタルカウンターの故障かと思って調べてみたが別に異常なし。
リンク元を辿ったら、
何とほとんどがniftyデイリーポータルZのサイトからの訪問者だった。

その数1,604

8月1日に書かれていた たった一行の紹介記事
45年を経て未だ完成しない手作りの喫茶店「喫茶・大菩薩峠
を見て、これほど多くの人が訪れてくれるのだから、
ネットの凄さと同時に恐さも感じてしまった。

八年前に徳島新聞に発表した喫茶大菩薩峠の記事には、
今も一日平均10人の方が訪ねてくれる。

5人で書いた「とくしま建物再発見」、
建築ガイドブックとして、もっともっと利用してくれると嬉しいですね。

(S.Tomita)



taa2003 at 20:03|PermalinkComments(0)

2008年05月14日

石の扉

今日、日和佐からの帰り道、喫茶・大菩薩峠に立ち寄った。
個性的な風貌のこの店はオーナーである島利喜太さんの自力建築でもある。

喫茶・大菩薩峠













喫茶・大菩薩峠2























7年前に建物の取材で訪れた時、
これから「石の建築」に挑戦するという話をお聞きした。
その扉に使うという大きな無垢の一枚石が
作業場の壁に無造作に立て掛けてあったのを思い出す。

今日はそれを確かめたくて寄ったのだが、あったあった。
敷地の奥の方にまだまだ進行中といった雰囲気のなかで、
石積みの空間が築かれていた。

石の建築1













石の建築2













若い時に浮かんだ構想が未だ途切れず、
果てしない夢となって永久(とわ)に続いていく。
人生はロマンとエネルギーだと言った島さん。
とにかくすごい人、少年のように無垢な人だ。

石の扉1























石の扉2

















※7年前(2001)の取材時の新聞記事 → こちら

(S.Tomita)

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2007年05月05日

喫茶・大菩薩峠の人気

5月1日、連休の谷間というのに
事務所のウェブサイトのアクセス数が100を超えていた。
何事かなと思ってアクセス解析で調べてみたら、
何と「喫茶・大菩薩峠」へのアクセスが6割強を占めていた。
重複カウント防止の設定にしているので、
一日で正味60数名の人が覗きにきてくれたことになる。
旅好きで変わり物好き(会ったことがないのでよく分からないが・・・笑)の
荒川さんのHPに取り上げられてから徐々に増えていたが、
この連休のツーリング情報として利用されているのだろうか、
5月に入ってからの4日間で大菩薩峠へのアクセスは100を超えた。

喫茶・大菩薩峠






ネットのフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
自力建築の代表格である高知の沢田マンションが載っているが、
そのページの末尾のほうに少人数自力建築の例として、
この大菩薩峠が紹介されている。
徳島新聞に寄稿した記事がこんな形でお役に立てて嬉しい限りである。

(S.Tomita)

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2006年10月26日

二階に趣向を凝らした「森家」

とくしま建物再発見シリーズ、
田村先生の六回目は徳島市春日にある「森家」です。

森家←画像クリックで拡大

とくしま建物再発見28
「森家」
筆者:田村栄二さん
徳島新聞2002年7月27日

この家も前回の立川家と同様、
厳選した素材と卓越した職人技による重厚な造りの住まいで、
母屋は幕末期(1851)の建築である。
庄屋の家柄といえども立ちの高い二階が許されなかった時代の中で、
まともな天井高さの取れない二階に客間を設えたところに興味が湧く。
私の好きな旧阿波町の割石家の二階の天井は極端に低かった。
たった1.80mしかない天井の圧迫感を
室内二面を壁のない連続窓とすることで補っていたが、
先日NHKで放映されたライトの落水荘のリビングも全く同じ考え方だった。
この森家はどのような工夫があるのだろうか。
連続窓のように外に目を向かせなくても低さを逆手に取る方法はある。
ロフトのような穴倉的空間は包まれているようで落ち着くし、
カプセルハウスのように部屋の角をアールにすれば包まれた感じはより強くなる。
この二階どんな風に感じるのか、一度味わってみたいものだ。

(S.Tomita)

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2006年10月23日

旧井川町の「立川家」

とくしま建物再発見シリーズ、
田村先生の五回目は旧井川町の「立川家」です。

ノ川家←画像クリックで拡大

とくしま建物再発見24
「立川家」
筆者:田村栄二さん
徳島新聞2002年3月23日

この家は先日の山の民家のように地元の材料を使って建てるのと違い、
唐木三大銘木の紫檀、黒檀、鉄刀木(タガヤサン)で構成された床の間に
代表されるように、徹底的に素材にこだわった重厚な造りの住まいである。
私は残念ながら見るチャンスに恵まれなかったが、
紙面からも重厚さからくる奥行きのようなものを感じる。

しかし今は、このような家づくりはほとんど見られない。
家に対する価値観は大きく変わり、
予算があっても銘木や職人技などに金を掛けるのではなく、
目の前の便利なものをどれだけ入れるかに力を注いでいる。
またプランにしても滅多に使わない南に面したふたま続きの和室は消え、
変わりに家族のためのリビングやダイニングキッチンがそこに居座る。
それは当然のことで悪いこととは思わないし、
実際に提案するプランのほとんど全てがそうなっていくが、
そのことで家から精神性を奪っていったことも否めない。
光がサンサンと降り注ぐ明るい家・・・響きはいいが、
裏返してみればノー天気の家になる。
闇もなければ感性や情緒は育まれない。

現代住宅が失くした最大のものは立川家に見る精神性だという気もしてくる。

(S.Tomita)

taa2003 at 23:55|PermalinkComments(0)

2006年10月21日

山の民家「中瀧清文家」

久し振りのとくしま建物再発見シリーズ。
今日は田村先生の四回目、旧井川町の「中瀧清文家」です。

っ翅軅曲顕←画像クリックで拡大

とくしま建物再発見
「中瀧清文家」
筆者:田村栄二さん
徳島新聞2001年9月22日

山の集落は水の確保に都合の良い谷沿いに形成することが多いが、
徳島県西部の集落は山頂近くに民家が点在し独特の景観を作り出している。
「曇りの日も星が見える町」というキャッチフレーズで売り出したのは、
確か旧貞光町だったと記憶している(民家の灯りが星に見えるさま)。
建築用語で使われる高地性集落とは若干意味が違うが、
分家すれば新居は母屋より上に建てる仕来たりのようで、
上へ上へと天を目指して建てていく。
いつかの調査の時に耳にした話だが海抜700mぐらいまでは居住可能らしい。
民家調査で有名な今和次郎がこの風景を見て、
「ここは岩山だから水の確保が容易にできるのだろう」というような内容のことを
民家採集か何かの本で読んだことがある。

猫の額ほどのわずかな平地を利用し斜面に貼り付くように建つ民家は、
自然との共生の手本のようで微笑ましい。
田村先生が書かれているように、
室内から望む山々の風景は精神的なゆとりを生み出しこころ豊かにする。
自然そのものが情操教育のカリキュラムのようだ。
利便さを追い求める恐さを山の民家は教えてくれている。

(S.Tomita)

taa2003 at 20:30|PermalinkComments(0)

2006年10月07日

「とくしま建物再発見」すべて掲載

かねてより念願の「とくしま建物再発見」全50件をホームページにアップした。
野々瀬徹さん、田村栄二さん、林茂樹さん、森兼三郎さんらの分を追加し、
やっとすべてが出揃った。(5人×10件=50件)

私も含めた5人の共通の所属団体が日本建築学会だったこともあり、
少々堅苦しい肩書きだったが学会員で執筆することになった。
紹介する建物は「近代・現代建築を」という制約だけだったので、
それぞれが好きなものを選ぶことができた。

徳島市内で生まれ育った野々瀬さんは、
幼い頃から目の当たりにしてきた心象風景としての公共建築を中心に紹介し、
町並み調査をライフワークにしている田村さんは、
当然のごとく、町並みや好きな民家を選び紹介した。
また林さんや森兼さんも阿波のまちなみ研究会を立ち上げたほどのメンバーだから、
古いものは好きだし調査にかけても一流だが、
今回林さんが主に選んだのはもともと好きな洋風建築と巨匠の設計した建築で、
森兼さんは文化財保護審議委員らしく
登録有形文化財の建造物や寺社建築を選び紹介した。
そして天邪鬼な私は・・・・・・
あまり日の射さないオタク的建築と仲間の設計した好きな住宅を選んだ。
シナリオを書いたようなうまいジャンル分けになったと、
誰も言ってくれないけど・・・・・・(笑)

※「とくしま建物再発見」はホームページ目次の「WRITE2」をクリック→ HP

(S.Tomita)

taa2003 at 23:55|PermalinkComments(0)

2006年09月16日

鮎喰の町並み

田村先生の第三弾も町並みシリーズで、「鮎喰の町並み」である。
徳島市内は第二次大戦の空襲によって焼き野原になったが、
蔵本辺りから西は戦災を免れたため、
今も郷愁を誘う建物がところどころに点在している。
その中でも鮎喰町は往時の建物が多く残り、かつての町並みを彷彿とさせる。
0抄瑤猟並み
とくしま建物再発見
「鮎喰の町並み」
筆者:田村栄二さん
徳島新聞2001年4月28日


田村先生の文の中に「厨子二階」という言葉が出てくるが、
これは二階の高さを抑えた造りのことで、庄家であっても庶民の家は、
大名行列を上から見下ろしてはいけないという理由などで、
総二階(※厨子二階に対しての言い方)にすることが禁じられていた。
今のように立ちの高い二階建てが建ち始めたのは明治後期以降のことなので、
これだけを見てもいつ頃の建築かの判断材料になるが、
デザイン面だけで見ると、二階を低く抑えた造りの方がバランスがいいから、
個人的には好きだ。
この連載で私が取り上げさせて戴いた割石家住宅も豪勢な造りだけれど、
やはり厨子二階の建物だった。(明治21年着工、同31年竣工)

伝統的な町並みや古い民家は見ているだけで癒される。
そんな建築を創りたい、造れない。

(S.Tomita)

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2006年09月13日

出羽島のミセ造り

田村先生が二つ目に選んだのも歴史的な町並みで、
牟岐港の沖合いに浮かぶ一周2km程の小さな島、
出羽島のミセ造り」だ。(読み方は濁らずに「てば」と読む)
一度訪れたらきっと誰もが虜になるほど美しく人情味溢れる島だ。
車は手押しのネコ車だけで自動車は一台もないせいだろうか、
時間がゆったりと流れているように感じる。

⊇弍島のミセ造り
とくしま建物再発見
「出羽島のミセ造り」
筆者:田村栄二さん
徳島新聞2000年11月25日


ミセ造りは徳島県南漁村民家の特徴ともいえるもので、
雨戸が上下に分かれている造りのことである。
上ミセと呼ばれる上の雨戸は突き上げて軒下に納め、
下ミセと呼ばれる下の雨戸は下ろすと縁台になる。
通りに面して並ぶこの縁台で井戸端会議や将棋が今すぐ始まりそうな、
そんな懐かしい光景を思い起こさせてくれる。
豊かな生活との引き替えに失ったものが、
この出羽島に来るとはっきりと見えてくる。

(S.Tomita)

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2006年09月09日

椿泊の町並み

タムラワールド第一弾。
田村先生が最初に選んだのが「椿泊の町並み(阿南市)」だ。
ここは四国の最東端蒲生田岬の北岸に位置する漁師町で、
車一台がやっと通れるほどの狭い一本道の両脇に、
寄り添うように民家が軒を連ねている。

十年ばかり前にさかのぼるが、
県南漁村のミセ造りの町並みの悉皆調査で、
田村先生らと数人でこの集落に入った時、
すごいものを発見したという感激があった。
各民家の道に面した窓に取り付いている手摺りのデザインが
何とすべて違うのだ。しかも凝りに凝っている。
「驚き 桃の木 大工の心意気」とでも言おうか、
手摺りのコンクール会場さながらの光景なのだ。
肝心のミセ造りの調査を忘れてしまうほど見とれてしまったが、
何故という思いがフツフツと湧いてきた。

…愬颪猟並み
とくしま建物再発見
「椿泊の町並み」
筆者:田村栄二さん
徳島新聞2000年6月24日


その後、彼は何度も足を運んで調査し研究報告書としてまとめ上げ、
建築学会で研究発表をされているが、
この特徴ある手摺りの町並みは遠洋漁業での成功の証しだとしている。

うだつの町並みに代表される北方の豪勢な造りの町屋を真似ず、
富を手摺りにつぎ込む独自の道を切り開いたことを、
とても新鮮に感じてしまう。
漆喰のうだつもいいけど、木の手摺りも温かくてまたいい。
魚料理の美味いお店もあると聞いているし、
町並み散策とセットで久し振りに行きたくなってきた。

(S.Tomita)

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2006年09月08日

田村先生が選んだ「とくしま建物再発見」

専門学校穴吹カレッジの田村栄二先生も、
徳島新聞連載の「とくしま建物再発見」の筆者の一人だ。

彼とはもう十数年来のお付き合いになるのだが、
阿波のまちなみ研究会が出版した『阿波の農村舞台』の本に
いたく感動していただいての出会いである。
元々古い町並みや民家が好きな方で、
出会い即、入会の運びになったことが昨日のように思い出される。
私はここ数年、まったく調査に参加していないが、
彼はいまも主力メンバーの一人として精力的に頑張っている。

彼の選んだ10件は当然の如くTamura-World、下の通りである。

…愬颪猟並み(阿南市)「手摺りに大工の心意気」
⊇弍島のミセ造り(牟岐町)「暮らし支える2枚の板戸」
0抄瑤猟並み(徳島市)「伝統的な面影を残す」
っ翅軅曲顕函憤羸酊)「ゆとりはぐくむ山の民家」
ノ川家(井川町)「日本建築にない重厚さ」
森家(徳島市)「日本瓦の伝統的様式」
多田家とミセ造りの町並み(宍喰町)「往時の繁栄物語る」
┷監2函米租膸圈法崔疾気奮葺き民家」
うだつの町家と町並み(貞光・池田町)「繁栄象徴 個性的な造作」
松浦酒造場(鳴門市)「職住一体のかやぶき民家」

野々瀬シリーズに引き続き、田村シリーズをこの順で紹介していきます。

(S.Tomita)

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2006年08月26日

明治安田生命徳島ビル

「ノノヤンのとくしま建物再発見」最終回、「明治安田生命徳島ビル

明治安田生命徳島ビル
とくしま建物再発見46
「明治安田生命徳島ビル」
筆者:野々瀬徹さん
徳島新聞2004年1月10日


この建物は出江寛氏が竹中工務店設計部に在籍していた1970年の作品である。
野々瀬さんはこの現代建築を五重塔のメタファーとして捉え、
「1階の石貼りは塔を支える石積み基壇で、
上層のガラス面から突き出た小庇が塔の屋根」と見ている。
そう言われてみると確かに五重塔のようにも見えて来る。

氏の設計とは知らずに見ていた時期、
この妙に凝った小庇が大層気になっていた。
高知の蔵造りに見られる水切り瓦のように、
壁面を汚れから守るために付けているのだろうかなどと
思いを巡らせていたが、
設計者を知った途端にその疑問も解けた。

出江氏の建築には独特の妖艶さがある。
曲線のない四角い箱の事務所ビルが、
彼の手に掛かるとこれほどまでに艶めいてくるのだ。

(S.Tomita)

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2006年08月25日

藍住町合同庁舎

「ノノヤンのとくしま建物再発見」第九弾、「藍住町合同庁舎」

藍住町合同庁舎
とくしま建物再発見41
「藍住町合同庁舎」
筆者:野々瀬徹さん
徳島新聞2003年8月9日


この庁舎は野々瀬さんが選んだ10件の中では最も新しく、
1998年6月に完成している。
設計は梓設計大阪支社、施工は熊谷組・青木建設共同企業体である。

確か2001年だったと記憶しているが、
日本建築学会作品選集に応募されていた時に
説明を受けながら見学させていただいた建物である。
町民に開かれた庁舎のコンセプトをそのまま形にした
全面ガラス壁のファサードがとても印象的で、
強い存在感で迫ってきたことを思い出す。
プランやディティールの完成度も高い良質な建築だとは思ったが、
庁舎としての建築の有り様を考えると、贅沢すぎるような気がして、
何かしっくり来ないものを引き摺ってしまった。
野々瀬さんの評価するところをいま一度読み直している。

(S.Tomita)

●お知らせ
ガル・Space Designの原ジュニアがBlogを書き始めたのでリンクしました。
ホームページも一新されています。

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2006年08月24日

新居ビル

「ノノヤンのとくしま建物再発見」第八弾、「新居ビル」

新居ビル
とくしま建物再発見36
「新居ビル」
筆者:野々瀬徹さん
徳島新聞2003年3月22日


この建物はニーチェアの生みの親、新居猛さんの自宅兼仕事場である。
世界的デザイナー新居さんの存在を知ったのは、
30歳になって徳島に帰ってきてからである。
「シンプルなデザイン、座り心地の良さ、手頃な価格」と、
三拍子揃った素晴らしい家具にすっかり魅せられてしまった。
設計した建物が完成すると、いつも決まったように、
佐古一番町にあるニーファニチアの工場に直接電話して作ってもらい、
施主さんにプレゼントしたものだ。
私自身もずっとニーチェアXとX80(生産中止)を愛用しているが、
チャンパス地のシートを貼り替えただけで本体は今もしっかりしており、
耐久性も群を抜いている。
そして何よりも好きなところは、美しいデザインの中に潜みがちな奢りや衒いが、
このチェアには微塵も感じられないことだ。
贅沢とは無縁の豊かさがここにある。

ニーチェアの開発が建築家山口文象氏との出会いを生み、
山口氏が他界される2年前の1976年に新居ビルは完成している。
野々瀬さんの紹介文で初めて二人の運命的な出会いを知り、
感慨深いものがあった。
シンプルで上品な佇まいの新居ビルは、
ニーチェア考案者の住まいにふさわしい奢りのない建築だと思う。

家具の大丸インテリアエッセンス→ 贅沢とは無縁の豊かさ/新居猛
ニーファニチアHP

(S.Tomita)

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2006年08月23日

大塚ヴェガホール・トマトホール

「ノノヤンのとくしま建物再発見」第七弾、「大塚ヴェガホール・トマトホール

大塚ヴェガホール・トマトホール
とくしま建物再発見31
「大塚ヴェガホール・トマトホール」
筆者:野々瀬徹さん
徳島新聞2002年10月26日


この建物は私たち日本建築家協会四国支部が1998年に出版した
建築巡礼四国88カ所」にも取り上げた徳島を代表する建築である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
水庭をはさみ対峙する二つの円建築の協奏曲 ←巡礼No.徳島02
 煉瓦と陶板貼りのヴェガホール。
 天井いっぱいに水耕栽培のトマトがなるクリスタル建築のトマトホール。
 その間に、速水史朗の浮遊した彫刻を配した池がある。
 大小三つからなる円形で構成された複合建築となっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本建築家協会主催の講演会にも使用させていただいたことがあるが、
地元徳島に寄与するため、休日は無料開放されている。
野々瀬さんは誌上で
「建物と運営のポリシーが響き合い、徳島の文化を刺激し続ける建築である」
と締めくくっている。

(S.Tomita)

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2006年08月22日

三河邸

「ノノヤンのとくしま建物再発見」第六弾、「三河邸

三河邸
とくしま建物再発見26
「三河邸」
筆者:野々瀬徹さん
徳島新聞2002年5月25日


三河邸は「近代建築再見(下巻)」(文-山口廣、写真-宮本和義)の
表紙を飾るほど美しい建物である。
山口教授はこの誌面で「城下町のドイツ風館」と題して
こんな書き出しから始めている。
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徳島市富田浜に架るかちどき橋の近くに、蒼然とした西洋館が建っている。
旧三河病院の本邸である。
この住まいは、ドイツ留学を終えたばかりの医師、
三河義行によって、昭和三年に建てられた。
設計は地元の建築技師、木内豊次郎であった。
重厚なドイツ風の趣向が、外観、階段室、門塀、西洋庭園だけでなく、
絵画、家具調度品の類まで、至るところに生かされている。
医師の生活は、地方文化にとって戦前戦後を通じ、西欧への窓口であった。
三河邸は、その記念として、”古き良きドイツ”の風格を今に伝えている。
(以下略)
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私もこの住まいを見学させていただいたことがあるが、
野々瀬さんが危惧するように、細部の傷みはかなり進行しているようだ。
戦後この住まいを守り続けてこられた奥様が他界され、
全国的にも貴重な近代建築資産が益々危機に晒されている。
現在の登録文化財から重要文化財に格上げされることを切に望みたい。

(S.Tomita)

taa2003 at 01:43|PermalinkComments(3)

2006年08月18日

徳島市文化センター

「ノノヤンのとくしま建物再発見」第五弾、「徳島市文化センター

徳島市文化センター
とくしま建物再発見21
「徳島市文化センター」
筆者:野々瀬徹さん
徳島新聞2001年12月22日


この建物は先日紹介した県郷土文化会館(昭和45年完成)より7年も早い、
昭和38年(1963)に完成している。
設計は富永棟太建築設計事務所、施工は西松建設である。

野々瀬さんの紹介されているアントニン・レーモンド設計の
群馬音楽センターがその2年前にできており、
逆梁構造(音楽センターは折版構造)や蛇行する階段などに、
この音楽センターをかなり意識して造られたように感じる。
しかし、43年の歳月を経た今もなお初々しさを感じさせてくれる建物である。

アントニン・レーモンドと高崎音楽センター井上工業HP:INDEXのCulture欄)


(S.Tomita)

taa2003 at 22:35|PermalinkComments(0)

2006年08月17日

徳島県立文書館

「ノノヤンのとくしま建物再発見」第四弾、「徳島県立文書館

徳島県立文書館
とくしま建物再発見
「徳島県立文書館」
筆者:野々瀬徹さん
徳島新聞2001年7月28日


この建物は1930年に完成した旧県庁舎の建材等を再利用して建てられているが、
現庁舎建て替えに際して沸き上がった市民の保存運動が、
このような形となって継承されたのである。
那賀奥で生まれ県外で大きくなった私にとって旧庁舎は記憶に薄いが、
街の子野々瀬さんにとってはディティールまで知る心象風景であり、
当時の保存運動にはかなり力を注いだと聞いている。

先日の徳島森林管理署解体のニュースはショックだったが、
「保存か建て替えか」は建築にとって永遠の課題である。

(S.Tomita)

taa2003 at 23:55|PermalinkComments(0)

2006年08月12日

林さんが選んだ「とくしま建物再発見」

昨夜は盆前の打ち上げ会。クレメントの屋上ビアガーデンで
久し振りに前徳島県建築士会長の林茂樹さんと飲み交わした。
彼も徳島新聞連載「とくしま建物再発見」の執筆者の一人で、
下の10件の建物を選び紹介している。

〔通膸塋顕讐餞曄崔疾機▲瀬ぅ淵潺奪な景観」増田友也設計
⊂松島航空隊庁舎「旧海軍の遺産受け継ぐ」
山川少年自然の家「冒険心養う巨匠の造形」黒川紀章設計
ぅΕズビル「色あせない空間の豊かさ」安藤忠雄設計
コ村家住宅「残る龍馬の隠し部屋」
Πで閥箙塰榲后嵎船をイメージした造形」日建設計
Щ位酊役場「ネオ・バロック様式を模す」
┸渓邁函崢棉良く自然と一体」宮脇壇設計
室住家「センス光る腰折れ屋根」
六田邸(旧阿波商業銀行小松島支店)「重厚な外観、銀行の面影」

この内容は彼のホームページの「Louis Room」に掲載されているが、
3件ほど抜けているのですべて載せて欲しいとお願いした。

私の選んだ「とくしま建物再発見」にも最近アクセスしてくれる人が増えてきたが、
一番人気は「喫茶・大菩薩峠」で、それも県外からのアクセスが多いようだ。
5人の50件を相互リンクで見られたらいいのにと思う。

(S.Tomita)

taa2003 at 03:17|PermalinkComments(0)

2006年08月10日

第十樋門水尺小屋

「ノノヤンのとくしま建物再発見」第三弾、「第十樋門水尺小屋

第十樋門水尺小屋
とくしま建物再発見
「第十樋門水尺小屋」
筆者:野々瀬徹さん
徳島新聞2001年2月24日


この建物は可動堰化問題で徳島を二分した第十堰の北岸に建っている。
一番の特徴は細部のデザインの繊細さであろうが、
その細やかさに見事な施工で答えている。
建物本体はコンクリートを打って造られているが、
コーナーや先端部は触れるだけで折れてしまいそうな、
たった数ミリほどの厚みしかないから、
とてもコンクリートの建物とは思えない。
型枠大工を初めとする職人達の執念が建築の域を超えた建物で、
正に野々瀬さんのいう工芸品のようだ。

(S.Tomita)

taa2003 at 21:30|PermalinkComments(0)

2006年08月06日

徳島県郷土文化会館

「とくしま建物再発見」でノノヤンが最初に取り上げたのが徳島県郷土文化会館である。

徳島県郷土文化会館
とくしま建物再発見
「県郷土文化会館」
筆者:野々瀬徹さん
徳島新聞2000年4月22日


設計者は西山卯三氏。
氏が亡くなられた時、雑誌「新建築」の追悼ページに代表作のような扱いで
この建物の写真が掲載されていたことを思い出す。

徳島新聞の誌面には「縄文的異形の情感漂う」の副題がついているが、
仮分数の形態や渦巻き型のモチーフからくるのか、
縄文の火焔(かえん)土器を連想してしまう。
「好きな建物か」と聞かれると困るが、
ノノヤンの評価する藍場浜公園につながる半屋外空間は好きだ。
それは巨大なスケールだが住宅のオブタのような下屋空間に似ている。

いま耐震改修工事のため休館中であり、
徳島森林管理署のようなことは当分なさそうだ。

(S.Tomita)

taa2003 at 00:00|PermalinkComments(4)

2006年08月05日

「とくしま建物再発見」序文

たったふたりの貴重なリクエストにお答えして、
ノノヤンが選んだ10の「とくしま建物再発見」を掲載していくことにした。(笑)

まずはその前に「とくしま建物再発見」についての補足説明です。

20世紀も終わろうとしていた2000年の初春に、
徳島新聞からこの連載シリーズの話をいただいた。
近代から現代までの県内の建物を
建築家からの目で紹介して欲しいとのことだった。

主旨は下のようなものだった↓
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20世紀、徳島県にも多くの建物が建てられた。県民の生活に影響を及ぼし、
それぞれの時代を映しながら、次代の建築家に示唆を与える建築の数々。
それらの建築家、技術者、生活者の知恵と努力の結晶ともいえる建物を訪ねると、
あらためてその魅力に目を見張らされる。
県内の建築家に再発見した建物を新世紀へ語り継いでもらった。
(2000/04/22 「第1回 とくしま建物再発見」より)
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原稿は建築学会員の5人がリレー方式で執筆することになった。
紹介したい建物は筆者に任されているのでそれぞれの好みが出てくるが、
下のような感じで結構明快に分かれた。

野々瀬徹さん:公共建築、大型建築、文化性の高い建築・・・
林茂樹さん:戦前までの擬洋風建築、著名な建築家の建築・・・
森兼三郎さん:社寺建築、地域の素朴な建築・・・
田村栄二さん:歴史的なまちなみ、古い民家・・・
小生:こだわり(オタク的)建築、同僚の設計した住宅・・・

・・・ということで、2000年4月から2004年5月まで月一回のペースで50回連載された。
序章、おわり。

(S.Tomita)

taa2003 at 20:51|PermalinkComments(0)

ノノヤンが選んだ「とくしま建物再発見」

あぁー、悪い予感が当たってしまった。
トバッチBLOGで「徳島森林管理署解体」の知らせ。
あっけない別れになってしまった。

あれほど気になる建築なのに紹介しているものをほとんど見たことがない。
そして解体される。ノノヤンの紹介文が益々貴重になった。
彼は「とくしま建物再発見」の原稿依頼の時、下の10の建築を選んでいる。

仝郷土文化会館 「縄文的異形の情感漂う」
徳島森林管理署 「色あせぬモダニズム」
B莉夙門水尺小屋 「湖城の塔のたたずまい」
じ立文書館 「旧県庁舎の風格醸す」
テ租膸塋顕愁札鵐拭次 崙鵑弔亮衙,燃梓儕藹弌
三河邸 「ドイツ的端正さ持ち重厚」
大塚ヴェガホール・トマトホール 「徳島の文化 刺激し続ける」
┸卦錺咼(ニーチェア新居猛氏の住宅) 「通風や採光に工夫」
藍住町合同庁舎 「空に溶け込むガラス壁」
明治安田生命徳島ビル 「仏塔建築形式 巧みに」 (掲載順)

これらの建築を一つ一つ思い浮かべていくと、
何となく彼の好みのようなものが見えてくる。

しかしこの内容は残念ながら、
ノノヤンのホームページにも徳島新聞のホームページにも載っていない。
リクエストがあればここで紹介してもいいかな。でも変かな。(笑)

(S.Tomita)

taa2003 at 00:10|PermalinkComments(3)

2006年08月04日

気になる徳島森林管理署

トバッチのブログに「徳島森林管理署ひょっとして解体?」の文字!
早速、以前ノノヤンが徳島新聞に書いていた記事を引っ張り出して読み直した。
「モダニズムの乾いた清冽な叙情をたたえた美しい建築」と称えている。
ピロティ、連続する窓、浮遊感・・・
色あせぬモダニズム、47年前の建築とはとても思えない新鮮さがある。

ノノヤンはやっぱり街の子、これが彼の原風景なのか。
相生生まれの私とは違って、随分おませだったんだなあ。

徳島森林管理署
とくしま建物再発見
「徳島森林管理署」
筆者:野々瀬徹さん
徳島新聞2000年9月23日



(S.Tomita)

taa2003 at 02:14|PermalinkComments(2)