2007年05月27日

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2007年05月26日

素晴らしき51歳の幕開け


誕生日の前夜、ダンナが不在というプレプレゼント。

だからネットで遊び呆けていた。

しかし、遊び呆けもそろそろやめて、さてさて家に帰ろうと思う頃(事務所でネットをしていて、別棟の自宅に戻るという意味)、電話が鳴る、不吉な電話である。

果たして、ダンナであった。

「ゴリラへ電話して5人予約しといて。」
「ほんで、Mタクシー(うちのすぐ近所に営業所がある)に乗って遊食房屋(居酒屋)まで迎えに来て。」


注:ゴリラというのはカラオケボックス店の名前。

つまり、彼は、今夜あるご夫婦と、もうひとりの友人と4人で居酒屋で飲んでたわけ。カラオケへいこうということになったとき、カラオケ店の電話がわからなくて、調べるより私に電話をさせようと思ったわけ。で、ついでに私もカラオケに誘ってくださったわけ。有難くって涙がでらー。

だって、今夜はさ、これから山田太一様の久し振りの新作ドラマを、一人でゆっくりと楽しもうとしていたんだもの。
ネットを切り上げて家に帰ろうとしていた矢先だったわけさ。

「5人って私も行くわけ?」
「うん、ひしゃこしゃん(ご夫婦連れの奥様のほう。ヒサコさん)もキミのこと待ってるし」
「ええええ、だって今夜は山田さんのドラマが…」
「録画してんのやろ?キミ誕生日イブやし、お祝いやん」

イブやから一人で楽しましてくれー、というのは心の叫びだ。

ダンナは、私が断わるとは思ってなくて、大喜びでしっぽ振ってやってくると思っているらしい。
ここで、ドラマに固執すると「キミは山田太一とボクとどっちが好きやねん」とかわけのわからんことを言いそうである。(ダンナこの時点で酔っ払っている)
そんなこと言わずもがなではないか。世の中のよろずごとの中でダンナより好きなものの方が圧倒的に多いんだからな。言うとくけど。

「ええええ、今日大掃除して汗かいてるし、出かけるとなったらお化粧せなあかんしめんどくさいな」とちょっと渋ってみたけど、もう酩酊状態のダンナには届いていない。
「ほな、待ってるしなー」とご陽気に切れてしまった。

だから8時40分から哀れバースデイイブのタバスコはカラオケに引っ立てられていったのであった。


そして3時間歌いに歌って、帰ってきて、寝るタイミングを失ってこんなところを彷徨っているのであった。

ああ、51歳のよからぬ幕開けであることよ。

この1年が思いやられる誕生日であることよ。

それにしても、天城越え、うまかったなー(タバスコ自画自賛)今日のカラオケはエコーも誕生日サービスにつきひときわ効いていたときたもんだ。




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2007年05月14日

月見草が良く似合う病み上がりタバスコ

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←噂の月見草





タイトルは、太宰治に腕立て伏せは似合わない、と誰かのコメントで発見して、全くその通りだと思ったもので、ついでに腕立て伏せをする太宰治を想像したらかなり笑えましたので、ついでに月見草と病み上がりの自分を並べて笑ってみただけのことでございます。


病み上がりとは…

実は先週中盤から今週にかけて花粉症疑惑→風邪→麻疹疑惑の中に身を置いておりました。

麻疹は大げさです。
幼少時に済ませています。

つまり、ただの風邪引きです。

それでも木、金、土と高熱、微熱がつづいていました。
夕方になるとぼんやり熱が上がってくる状態に、すっかり病身の風情のわが身を月見草の似合う美人と見たててしまったしだいです。


さて、今週末はいよいよです。


タバスコ周辺で数ヶ月前からささやかれていた「桂おんな組オフ会」です。

タバスコ青春の地にて、タバスコ・ファンの集いを催すものなり。
ウソです。たまたま桂に縁のある人たちが集うってんでこうなったまで。

発端は、タバスコマイミク桂関連者3名による細々オフ会の予定でした。
桂高校出身者タバスコ
上桂のかつての住人こごみん
現在桂住人ゆりりん


そこへ、枚方の地よりうらないしさん、
神戸からマダムンちゃんが来てくださることに。




そして、本日になってまた新たなる犠牲者が増えました。

じゃーん、それは式子嬢です。


はるか東夷(差別用語)よりお出ましです。

オフ会出席者はそれぞれ趣向を凝らして歓迎の意をお示しくださいませ。


ところで、桂おんな組オフ会特別ゲストのウハメラ君ですが、この期に及んでまだご臨席の御意を承っておりません。
ウハメラ君は桂周辺住人に付き、今回真に栄誉ある第1回特別ゲストに選ばれたにもかかわらず、まだふにゃふにゃしたことを申しております。

ま、ウハメラの動向はどうでも良いことです。

この話が持ち上がり、育っていく過程で、タバスコ周辺、もしくはウハメラ周辺でこの企画を小耳に挟まれた方もおいでかと存じます。

あの方にも、この方にもお声をかけるべきではないかと、流動的な状況の中で決断が追いつかぬうちに、決行日一週間前を迎えました。

少人数で濃い集い、の予定でした。
話題の展開上、結果的に一人二人と参加者が増えていきましたけれど。

お声をかけずに気を悪くされた方がありましたらお許しくださいませ。


まずは第1回おんな組オフ会です。

基本的に、女の女による女のためのオフ会です。



首尾よく行きましたら、2回目、3回目と育てて生きたいと存じます。

そのときには広くお声をかけたいと存じます。
よろしくお願いします。


では、幹事のこごみん、後は任せた。



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2007年05月03日

石橋

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←青木繁作「海の幸」中央に描かれている女性は、福田たねをモデルにしているといわれている。








ウハメラがどこか(日記のレスのどこか)で、「徳永礼子」がどたらこうたら言うていた。
そんな女優が大昔にいたらしい。

へえ、というほどの興味もそそられずに読み飛ばしていたら、またどこぞで「徳永礼子」が「海の幸」というドラマでヒロインを演じていた、って言うてた。


「海の幸」(青木繁の生涯を描いたドラマ)は、私も見ていた。
かなり熱心に見ていた。
検索すると1974年放送となっている。ってことはわたしゃ18才だ。高校生だ。

このドラマは確かお昼の帯ドラマ。そんな時間のドラマを熱心に見ていたとはどんな高校生だったのかと今ごろ我ながら案じられたりするのだが。

ま、それはおいといて。

ウハメラが、可愛かったと大騒ぎしていた徳永某が、あのドラマのヒロインだったと知って、ほうーと思った。

かすかに面影を思い出せる程度なんだけれど、心地よい記憶として徳永礼子が私の記憶の奥底から浮かび上がる。

このドラマがおもしろかった。
描かれている青木繁の生涯というか生き様に興味を持った。
青木は生涯に福田たね一人を深く愛したというタイプの人ではなく、たねとの関係も芸術を介在していたからかどうか激しいものとして描かれていたように思う。

たねは魅力的な女性として描かれていたように思う。
少なくとも見ていた18歳のタバスコには魅力的に映っていたのだろう。
ゆえにそれを演じていた徳永某にも心地よい記憶の残像がまとわり付いているのだろうとおもったわけ。

それにしても古い話だにゃ。

福田たねに興味を持った18歳タバはいろいろかぎまわって、福田たねが生んだ青木繁との間の子どもが後に作曲家の福田蘭堂になったことを知った。

福田蘭堂は「笛吹童子」の作曲者として有名らしい(がそのときはあまり知らなかった)。

そして、福田蘭堂の子どもが石橋エータローであることも突き止めた。

青木繁の「海の幸」がブリジストン美術館に所蔵されていると聞いて、ブリジストン?橋石?石橋?の連想から、石橋エータローはブリジストンの創業者石橋某の係累にあたるにちがいない、と推量した。
つまり、ブリジストンと青木繁には深いつながりがあるにちがいない、とにらんだのだ。

にらんだだけで、調べつくして真相をつまびらかにしたいと思い込むほどの情熱と根気があればタバスコもちょっとしたものになっていたかもしれないが、皆さんご存知の通りのこれだもんですから、「そうなんちゃうかな〜」という真にいい加減な推量を抱えたまま幾星霜が過ぎたわけなのだった。


そして今日、ウハメラの徳永礼子談義で大昔の、はっきりしないままに放置されている推量が記憶の表面上に浮き上がってきた。


30年近い時代の違いで、今日その推量は、ほぼ間違っていたであろうことがわかった。

ネットで調べたら簡単だな。

石橋エータローとブリジストン創業者石橋正二郎の関係に言及する文言はどこにも見つけ出せなかった。

ちぇっ。

簡単すぎてつまんねー。

情報過多は想像力を奪うものである。
慨嘆。


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2007年04月25日

お誕生日おめでとうございます

バイト先の塾は国道を15分ほど走ったところにある。
タバスコの家は、国道の脇にあって、バイト先も国道の脇にあるので、国道一直線である。

数えたことがないのだけれど、その間に信号機は20くらいはあるのじゃないだろうか。

その信号機に、今日の帰り道一度も引っかからなかったのだ。

こういうことは過去にもう一度くらいあっただろうか。

10くらいまで連続青で走り続けてみて、「おっ」と気がついてしまった。
気がついたら、このままできれば家までノンストップ達成を狙ってしまうのが、小さき人間の性である。

そんなもん、信号機如きにええ顔してもらったところで人生に何の恩恵もないのであるが。
こんな小さいことに気持ちが入ってしまうことでどれだけの大望を見逃してしまったか知れない。

しかし、やはり力が入ってしまうなー。

残り3くらいになったときは血圧がやや上昇してしまった。

難関は残り二つ目にある感知信号機である。

国道の信号機には、ややノンストップ通行の幸運がなくはない機があることはある。

逆に引っかかりまくることもある。

しかし、感知信号機はこの機とは全く無関係に作動するからね。

残り3つ目の信号を通過して400メートルほど先の感知信号機の「青」を認めると、思わずアクセルを踏み込んでしまった。

こんなことでスピード違反でつかまったりしたら、わたしゃ誰を恨んだらいいのか。

しかし、夜10時半の田舎の国道に白バイの姿を見たことはない。杞憂であった。

「よしっ、クリアしたぞ」

残りはひとつ。

感知信号機から最後の信号機までの間に、国道から我が家が垣間見える。
最後の信号機を鋭角で左折し、300メートルほど進んだところに我が家があるわけ。
その垣間見で、リビングの明かりを確認するのが常なのだが(リビングに明かりがついているとダンナがいるってことで、なーんだ、いるのか、チェッ、と思ってしまうのがタバスコの常である)今夜はそれすらも忘れて、最後の信号機の動向に気が行ってしまっていた。

そして、最後の信号機も「青」で待機してくれていた。

ま、そんな具合にして、ノンストップで我が家に帰り着いたわけである。

着いてみると、ダンナご在宅であった。

信号機にいい顔してもらっても、それだけのことである。
ノンストップでいつもよりやや早めに帰ってきたところで、別に楽しくもなんともない我が家がそこにあるだけだった。

そして、明日はそんなダンナの52回めの誕生日なのだった。



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2007年04月13日

友だち

先日、ウハメラ君のところで「友だち談義」が交わされた際、

「私の友だちは、富山のMI子と松山のMA子」って書いた。あまり深く考えもせず。

で、今夜友だちのMI子に電話をした。

昼間にMA子からメールが来て「MI子が、ちょっと煮詰まってるみたいやから電話してやって」と指令を受けていたから。

で、8時半に電話した。

長々としゃべった。切りおわったら10時半やった。

「タバスコのいうこと、すごく心にしみた。大好き!」って言われた。

「えへへ、私のこと大好きって言う人はぎょうさんいてるのよ」

と言ったら、鼻で笑われた。

何が彼女を落ち込ませていたかと言うと、息子が大学入試に落ちたのだ。
んで、東京で予備校に通いたいと言われ、それは出来ないと言ったら、息子がすねているらしい。

彼女は、離婚している。

息子は、富山ではそこそこの進学校に行ったものの、そこですっかり落ちこぼれてやる気をなくし、彼女から見たらてんでなってない生活態度で無為徒食の日々を繰り返すだけの高校生活だったらしい。

「子どもを変えたいと思ったら、その100倍くらい親が変わらなきゃならないことがあるよ」とタバスコはえらそうに言う。

自分が出来てもいないことだけれど言う。

自分が出来てもないことを恥ずかしげもなく言えるってことが友だちなんや、という話になった。

お互いの話を聞いて、黙っていられなくて何か口出ししたくなるとき、友だちでもない人には適当なことしか言わない。
えらそうに言って「何様のつもりでそんなえらそうなことを言うのか」なんて思われたらかっこ悪いし…

でも友だちやから言うてしまう。
自分にはできないことでも言う。
その友だちから「自分にも出来ないことを言うな」なんて言われてもかまわないから言う、いえるのが友だちなんや、って話。

彼女がそう言ったのだ。

タバスコの言ってくれたことは心に染みたよ。出来るかどうかはわからないけど、と彼女は言った。


で、彼女からも一発小言を言われた。

そっか、そうかな。心にとどめておく、と答えるタバスコ。

今月の中旬にMA子と西宮在住のTA子(イニシャルは実はTA子ではない、これもまたMAなのだ。なんで私の友人はMから始まるのばっかりなのか。ややっこしいからTA子とする。便宜上。あ、でもやっぱりややこしいから、カタカナ表記に切り替えることにする。MA子→マチャコ、MI子→ミチコ、MA→マキ)
とタバスコの3人は高松で飲み会を敢行することと相成った。

本当は京都で静岡や大阪や富山や西宮や松山や香川から集まって飲み会をする予定だったけれど頓挫して、高松三人飲み会と相成ってしまった。

北陸と四国は大変遠いということを皆さんはご存知だろうか。
飛行機の直行便がないのだ。JRで来るにしても時間も運賃もべらぼうにかかるのである。だから、ミチコは不参加なのだ。
気の毒なことになってしまった。
煮詰まった彼女にこそ飲み会が必要だったかもしれないのに。

ってことで、今夜の電話は、ごめんコールでもあった。

「陰膳据えとくわな。ミチコの分まで私たち精一杯楽しむから成仏して」と言っておいた。



大学に入学して初めてのプロゼミの時間にミチコに会った。

地味な服装で、髪を無造作にひとつに結わえて彼女はぽつねんと教室の隅に座っていた。
自己紹介をしていくクラスメートの話にいちいち律儀にうなづいていた。

親しく口を利くようになって、彼女は「タバスコみたいな子は富山にはいなかった。びっくりするほどへんな子!」と私を評した。

えへへへ。そう?

とタバスコはいい気になった。

へんな子!というのは、その当時の私にとっては最大の誉めことばに聞こえたわけだ。


松山のマチャコは、ミチコと同じ下宿に住んでいて仲良くなったのだ。

森田荘というきちゃない学生下宿だった。

私は森田荘に入り浸って、ミチコの部屋でトランプの「階級闘争」などに打ち興じて青春時代の大半を費消した。


それから幾星霜が流れた。


友だちってなんやろうと考えることはあるけれど、考えた末にミチコとマチャコが友だちと呼ぶにふさわしいのかどうか、と考えることはない。

彼女らが死んだら私はものすごく悲しくて大泣きすると思う。

だから友だちやねん。

と思ってる。








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2007年04月05日

いろんな人がいるもんだ。

塾では、新学年の授業が3月からスタートしている。
昨年度から引き続き教えることになった子どももいるが、初めて受け持つ子もいる。

夕べの子どもたちは3人、全部初めて。
ゆりちゃん、まおちゃん、まいちゃん。
ゆりちゃんは中学3年生で後の2人は中学2年。この2人は学校のクラスも一緒の仲良しさんらしい。3人とも英語を教える。
まいちゃんはね、そこそこできる。
ゆりちゃんは、無口でおとなしい。
わかっているのかわかってないのかがよくわからない子。
1ヵ月経ってタバスコの見立てでは習熟率50パーセントと見た。

で、まおちゃん。
習熟率は20パーセント以下やな。

ところが、とても授業態度が熱心なのだ。
わからないことをどんどん積極的に聞いてくる。
っつうかほとんど全部わからない状態なんだけど。それでも、一年間英語を学んだはずのこの時期に、こんなこと聞いてかっこ悪いかなと多少のためらいが生じてもおかしくないような基本の基本でも、まったくためらいなく、「それ、なに?」と聞いてくる。
たとえば、「be動詞ってなに?」と聞いてくる。本質的なことを問うているのではない。
be動詞ということばがわからないらしい。
三人称単数の説明をしていたとき、「単数ってなに?」と聞かれたときには驚いた。
「あ、単数ってひとつのこと」と答えると、「へええっ」と驚いていた。
そして、今聞いたことを一生懸命覚えようとする。
「まおちゃんは、すごく熱心に先生の言うことを聞いてくれるね。学校の授業をこれくらい熱心に聞いてたら、こんな成績のはずないねんけどな。なにしてたん?」と聞いたら、
「えへへ、遊んでた」って悪びれもせず言う。隣のまいちゃんはちゃんと聞いていた、と言うので、「ほれ、聞いてた人と聞いてなかった人の差が、こういうこっちゃ」と私が言っても、「うへへ」と笑っている。
性格が素直って言うんだろうか。とても可愛い。

ゆりちゃんは、できないことを隠したがる傾向がある。
これは多くの中学生に見受けられるからゆりちゃんが特別なのではない。
あやふやのまま表面上はわかった振りをしてしまう、しまわざるをえないような授業運営をしている学校現場の問題だろう。ま、それも教師の資質に問題があるというよりそうせざるを得ない状況があるってことなんだろうけど。

塾はね、成績をつける場所じゃないからね、自分が、どこがわからないかを知る場所なんよ。ちょっとでもわからないと思ったら、わかりませんっていうてええのよ。先生は絶対怒らへんからね。

こういうことを私は繰り返し子供たちにことばだけではなく態度でも出す。
何度同じことを質問されても優しく答えるように心がけている。

子どもの性格が少しわかりかけてくると、「これ、さっき言うたばっかりやん。聞いてへんかったな。ごつん」などと擬音語を交えて頭をちょいとぶつ程度のことはする。

でも、ゆりちゃんみたいな子にはしないほうがいいだろう、と考えたりする。

14歳くらいで、もう随分と違うのだ。
持って生まれた資質に、その後の環境。

いろんな人がいるもんだ、と私はまた思う。


3年前にイラクで日本人が3人誘拐されて無事救出されたことがありました。
女性一人と男性二人、男性の一人は18歳くらいの青年だったか。

救出された後、「自己責任」ということばで非難されるという事態になりました。
当時私の管理する掲示板上に、私のクラスメートのひとりが彼らへの批判的なコメントを寄せたことがあったんです。
解放直後の様子を伝えるニュース映像に映し出された彼らの態度がなってない、というのだ。
救出に尽力した人たちに礼を述べる際に飴玉を舐めていたとか・・・

あるいは、危険な地域に赴いていったのは自己責任であり、国家に多大な迷惑をかけて、ひいては国民にとってもえらい迷惑な人たち、という論調の意見が噴出し、それは日増しに強くなるような傾向がありました。

私は、強く強く「それはおかしい!」と感じたんです。
その思いを以下のような文章にしました。






土曜日、日曜日と娘にかまけていました。
テレビも新聞もおろそか。

今朝テレビを見て驚いたのですが、あの3人への風当たりがますます強くなってるの?

井戸の中のから騒ぎの話題に相応しくないのかなあと思いつつこれだけは言いたいので、我慢して聞いてください。

あの3人は、たまたまあの3人だったのです。彼らの礼儀のなさとか個人的なキャラクター(日本人受けするとかしないとか)で、今回の問題の本質を見誤ってはいないでしょうか。

あの3人が象徴するもの、あの3人を非難することが何を意味するのかを考えなくてはならないと思う。

あの3人がああだったこうだったと個人的な好みで感想などを言ってはならない。
あるいは、あんなに一生懸命したのに非難されてかわいそうという意見もまた本質的ではないと思う。

この地球上に、痛む人がいてその痛みを自分のものとして考えられる想像力、その想像力を行動力に結び付けられる人というのは、人間として生まれていろんな資質を持って私たちは生かされているわけだけれども、その中でもやはり敬われるべき人たちなのではないかと思う。

とても礼儀正しく、人に不快を与えず、愛想よくて気働きが出来て…
隣人としては評価できる人が、自分の命を賭して戦場に赴き、せめて痛む人の背中を撫でてあげたいと思える人とは限らない。

もしかしたらそういう圧倒的な行動力のある人はちょっと常識から外れている人かもしれない。

常識はずれの行動力を持った人たちが、今のこのていたらくの日本という国にどれほどの恩恵を与えてくれているかを想像してみてください。

この3人のことだけではなく、世界の片隅で、普通の日本人(私やあなた)が想像も出来ない地道な仕事をしつづけている人たち。
痛む人の傷を癒したいという一念でじっとしていられずに危険な場所へ赴き痛む人たちを慰め励ましている日本人がしている仕事の貴重さ、偉大さを想像しなくてはならないと思う。

結局は自己満足じゃないのか、なんていう人がいたら頬をぶちたい。
人間なんて誰だって自己満足のために行動してるんだ。
自分が幸福になりたくて行動するものなんだ。

人として生まれて結局は自己満足という狭い限界の中でしか行動できない人間の中に、他人を批判してるだけという生き方の人間と、せめて痛む人の背中をなでてあげたいという人間がいるのです。

あの3人を誰が非難できるのでしょうか。
小泉!バカタレ。えらそうにテレビで深刻ぶった顔で、「困った人たち」に手を焼く一国のトップの顔をするな!

あなたがしている愚行のマイナスポイントを挽回すべくどれだけの日本人が痛む胸のその痛みを倍加させているか想像しろ!無理だろうけど。

今、あの3人を非難することは、この情けない(私やあなた)日本人の中にもまだいる敬うべき心根を持った若者たちのその貴重な想像力・行動力をつぶすことになるのです。
そこまでを想像して、彼らへの意見を口に出してほしいと思います。




これを書いたときの気持ちの端緒にも、「いろんな人がいるもんだ」という思いがありました。


>とても礼儀正しく、人に不快を与えず、愛想よくて気働きが出来て…
隣人としては評価できる人が、自分の命を賭して戦場に赴き、せめて痛む人の背中を撫でてあげたいと思える人とは限らない。

>人として生まれて結局は自己満足という狭い限界の中でしか行動できない人間の中に、他人を批判してるだけという生き方の人間と、せめて痛む人の背中をなでてあげたいという人間がいるのです。

私が、日頃から感じていることです。
表面的に善人であることと、本質的に「善く生きたい」と願う人とは違うのだ、ということ。

本質的に「善く生きたい」と願う人が、善人であるとは限らない。

本当はこれ以降に、表面的な善人と思われている人が、ある瞬間にはどれくらい卑しい振る舞いをするかについて、最近味わった嫌な気持ちについて長々と書いてたんだけど、それは、ま、いいや。

ちょっとえらそうなことを言うけど。

タバスコは、本質を見る人なんです。いや、本質をいつも見ようとしていたい人間です。

善人面をしても、その心のそこにある卑しきものはタバスコにはお見通しなのだ。(ま、これは、負け惜しみのから吠えと思うなら思え)

いろんな人がいる、この世の中で、ささやかに守り抜くべきものは守っていこうと思う。





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2007年04月01日

タバスコが空の巣でピンポンに興じる

昨日、大掃除中にピンポンセットを見つけた。

白い発泡スチロールの箱に「ピンポンセット」と私のきちゃない字で書いてあった。

開けると、なんと!ピンポン玉2個とラケット(赤と黒)2本がが入っていた。

ああ、そういえばヒカリと何度か遊んだことがあったな。

我が家のダイニングテーブルはでかいんです。
長さが220センチ以上、幅が95センチほど。

十分卓球台になりえるんです。

で、このテーブルでヒカリとピンポンを楽しんだことが数回あったにゃーと遠い目になるタバスコ。

ピンポンって楽しいですよね。

今度、男と二人で温泉に行くようなことがあれば、温泉ピンポンを是非してみたいと夢見るタバスコであります。

浴衣姿の不倫男女カップルのピンポンに打ち興じる姿…

いやー、情緒たっぷりな情景ですねー。

おっと、話がわき道に逸れました。


想像してみてください。
掃除中に偶然ピンポンセットを発見したあなたは、猛烈にピンポンがしたくなるに違いありません。
わかりますよね。「うん、うん」と画面に向かって強い共感のうなずきをされているあなたをタバスコも容易に想像できます。


ピンポンセットを偶然見つけてそのまま見過ごせる日本人がどれくらいいるでしょうか。

だから、したさ、ピンポン、ひとりで。


まず、ラケットで床に撞いて遊びました。
これは全然おもしろくない。
次に、ラケットで天井に向けてひとり羽子板みたいにして遊びました。これはやや楽しかった。
連続して何回撞けるかを数えたりして、うっすら汗もにじみました。
次にテレビの画面を相手にして、床にワンバウンドさせての打ち合いをしてみました。

おお、なかなかエキサイティング。

画面上には、オダギリジョーや岩松了などがおとぼけに相手してくれているし。

しかし何度かしているうちに、ピンポン玉が逸れてテレビの後ろ側にお隠れになってしまった。
しまった!
埃まみれのそこからピンポン玉を取り出したら、掃除を終えたばかりの部屋の再掃除が必要になりそうだったので、潔くピンポン玉をあきらめる。
残り一個の玉は貴重だ。

ううむ。もうテレビ相手の打ち合いという危険なプレイは出来ない。

最終局面である。
硝子窓を相手にするしかあるまいて。

しかし、なかなか難しいよ、これ。

ガラス窓に向かえる位置にはほとんど巨大なテーブルが占領しているわけだから、床にワンバウンドさせるスペースがにゃいのだ。

テーブルにワンバウンドさせた玉をガラス窓に当て、その玉が再びテーブルにワンバウンドして私の打ち返せる位置にまで戻ってきてくれないとこのプレイは続行できないわけである。

なかなか高度なゲームに発展してきたな…

よしっ挑戦してやろうじゃないか。

狙い定めるタバスコ。
睨み返すガラス窓。

行くぞ。
来い。


白熱のラリー展開。

おお、エキサイティングじゃ。

なかなか楽しい。

ゲームは、やはりある程度の難易度があってこそ没頭、興奮を導くものであるのだな。

気がついたら、大汗をかいていた。興奮のあまり、テーブルに何度か腰を打ち付けたりして痣も作っているではないか。

はあ はあ はあ・・・

荒い息がひとりのリビングに反響する。

ヒカリ、お母さんは大丈夫だ。

ピンポンもあるし、不倫も無きにしも非ずやもしれぬ。
なんとかひとりで頑張ってみるよ。
心配無用じゃ。



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祝★4月1日

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ああ、さてさて4月1日である。
ヒカリが巣立ってしまったあとの空の巣症候群気味のバカ母タバスコである。

今日のタバスコはケイ・ウンスクでもある。
おとといダンナと大喧嘩をして怒鳴りあって声が嗄れ果て、セクシー・ハスキーボイスなのである。

「あほやねん、あほやねん、だまされた私があほやねん♪」

と繰り返し歌っては、喧嘩の後の反動の、妙に穏やかな雰囲気漂う夫婦関係のダンナに、
「騙されたんは、僕のほうや!」という合いの手をいただいている。

喧嘩の収束はダンナの土下座にて迎えたのである。

土下座は、おかしいやろ、ちょっとあんさん、それは演出が過ぎまへんか、とタバスコは思うのであるが、ダンナは、自己演出による自己欺瞞に対しての自己認識不足男なので、「ああ、僕って本当に可哀想な男」と自己憐憫に浸っているのであった。

こういう男を選んでしまったこの結婚の帰着するところのすべてに対して、

あほやねん、あほやねん、騙された私があほやねん♪

と謳いあげている妻の心をこのダンナは知る由もなし。

あほついでに、ハルカさんのごとく「抜けてましたでえええええ!」と遅れてやってきた「抜けていた物」の襲来のなすがままに、言い寄る老々男女との不倫を繰り返すタバスコであった・・・

そんな妻に土下座をするダンナは、今朝体重が大台に乗ってしまったのであった。




※4月1日に付き、今日の日記は嘘です。(一部真実が混ざってますがお許しください)


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2007年03月26日

旅立ちの荷造り

日曜日、ヒカリの新生活のための荷造りをした。

当面は研修先での生活なのであくまでも仮住まい。
会社が用意したレオパレスに、「必要最小限のものだけを持ってくるように」との指示。

「これ、どうする?」
「うーん、とりあえず入れといて」

結果たいそうな荷物になってしまった。
会社側からは段ボール2個までに収めるようにと言われている。
相当大きな段ボールが必要じゃないか。

トイレットペーパーは除外しよう。
こんなもの、近くのコンビニで買えばいいんだ。

そう思えば、洗剤もいらないしな。

風邪薬も要らないのかな?
でも急に風邪っぽくなって買いに行くのが面倒で結果こじらせてしまうこともあるかも、などと想像すると入れておきたくなる。

こういうときに何を選んで何を捨てるか、人間の性格が出るなあ。



人一倍頼りない娘の旅立ち、心配方向で考え出せば結局私の体もその段ボール箱に収めたい。

どこで思い切るか。

金曜日の、荷物発送日まで悩みに悩む。



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2007年03月16日

ヒカリ、ただいま北海道旅行中

mixiに書き込んでいたものを盗んできました(ばれたら怒られるかな)。




今は美瑛に来ています。
美瑛駅前にある観光案内所。
ネットができるぜよ。(mixiに接続するために置いてあるわけじゃなかろうに…)

午前中は、『男山酒造り資料館』に行ってました!
日本酒のきき酒、ができるんですが、
ただ飲んでた(きき酒なんてやってねー)。
たまたま観光ツアーの団体客がたくさんいたので、遠慮なくいただけました。
注いでくれる方に「もう飲んでいないお酒はありませんか」と言われる始末。

しかも買ってない(笑)。お猪口とかは買いましてん。

朝食はコーヒーだけだったので、空きっぱらにお酒が染み渡るー。
昼食を摂って酔いは冷めたつもりだったのですが、旭川→美瑛の電車の中では眠りこけていました。口も開けていたことでしょう。あ、いつものこと?

北海道は相変わらず雪が降っています。
雪が降ってるのが当たり前!な風景。しゅてき〜





ということで、今日も雪の中を彷徨っているヒカリ情報でした。

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2007年03月06日

ヒカリと私

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←珍しく四国に大雪が降った日。
赤マントのヒカリの後姿が可愛い!










今日、ヒカリがいけないことをした。
で、タバスコに叱られた。

でも笑いながら。

私はヒカリを叱ったことはほとんどない。

一度ヒカリが自分の日記だったか、学校での作文だったかにこんなことを書いたことがあった。

「母は私に無関心だった。いや、無関心というのは少し違う。
私がどういう風であろうと関係なし、という感じ。どんな私でも愛す、という感じだった」
そんな内容のこと。

ヒカリは、私を喜ばせたくて良い子を一生懸命していた時代がある、らしい。
でも、どんなに良い子をがんばってしようともこの母は、あまりがんばり甲斐のない母だったらしい。
たとえ悪い子であってもこの母は自分を愛すようだ、とヒカリは感じて、それはつまらないと思ったらしい。
その頃のヒカリは、絵に描いたような優等生だったから、優等生である自分が母を喜ばせているという手ごたえを欲していたということだろうか。

ヒカリが思春期に心の安定を欠いて、神経症を発症してからいろいろに考え、ヒカリが苦しがっていることの原因や意味や、その答や回復の術を探り続けてきた10年だったけれど、果たして正解などあるはずもなく、それでもそのときそのとき必要な理屈だけはたくさんつむぎだしてきた。

今もまだ、何かが解決して、全てがすっかり片付いたわけではない。

でも、ヒカリも私も笑って暮らしている。

「どんなに悪い子でも愛すお母さんをつまらなく思ってたんやんねー、そういえば。」と何気なく、笑いながら叱った後で言ってみると、「あ、でも、もう手遅れやで。いまさら良い子でなくなったからと言うて怒ってもあかんで。」ってヒカリが、これもまた笑いながらいう。

それで、もうすっかり良い子でなくなったヒカリが傍若無人に実家でやりたい放題している。

これでええんやろか。

と思わないでもないけど、でも笑えてるんやし、悪くないんやわ、とも思う。


しばしも休まず槌打つ響きー♪

とそんな歌がなぜか今日は一日中口にへばりついていた。

「なんで、お母さんはこの歌を歌っているかわかる?」とヒカリに問題を出す。

「さあ?」

「しばしも休まずヒカリの世話にかまけてしまうお母さんを讃えて歌てんねん」と言ったら、大笑いされた。自分でも大笑いしてしまった。



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2007年02月28日

健闘を祈る

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←石川の修学旅行みやげ






今週で、今学年の授業が終わる。

石川と田中も今日が最後の授業やった。
アイツら最後まで結局やる気ださへんかったなー。

で、一応入試9日前になって、アイツらなりに後悔してるようだ。

隣のブースでは、最後の最後までがんばる!という良い生徒が自習していた。

1月の最終週辺りから、こういう子が何人かいた。
家ではどうしても気が散ると言って、授業以外の時間もずっと塾に来て勉強している。
そういう子のために空いている教室を開放しているわけです。

「努力しても成果がでえへん」などと田中がぬかすので、「努力したんか、それで」で言うてやった。
したらしい。本人はしたと言うてる。でも、もうあきらめた、というのだ。

「あと9日あるやない?最後まで努力し」と言うたら、
「ほんなら先生、絶対受かるて保証してくれるんか」というので、
「入試というのは、保証などないの!どれだけしても不安が拭いきれない中で、最後まで苦しんで努力しつづけるんやない。ええ加減な気持ちで入試に臨むもんには天罰が下るんじゃー」と言うてやった。
ちょっとしょげてた。

しばらくして、「先生、合格祈ってくれる?」と田中が言うので、「もちろん一生懸命祈るよ」と答えたらうれしそうにしてる。えらそうに言うても、子どもなんだから。

その間、石川は携帯ゲーム機でずっと遊んでるし。

それでも、受かりたいと思ってるんだろう。
志望校に、とてもいい顔をしてもらえそうにないとあきらめている15歳の切なさはわからないでもない。

だけど、人生の中には、やっぱりがんばりどころってモノがあるんだよねー。

コイツら、いつかそれを骨身に染みて思い知らされるときが来るのだろう(くるんかな?)。

一週間に90分ばかりの接点しかない私には出来ることなどしれている。
だけど、私にももう少しやりようがあったのかな、と反省しないでもない。

もう、石川にも田中にも会うことはないんだろうな。

コイツらが50歳のとき、私はもうこの世にいないんだろうな。

はるか昔、塾でうるさいこと言うてた50歳のおばはんのことなど思い出すこともないだろう。

そんなことを思うと、教室を出て行く後姿に少ししんみりしてしまったのだった。



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2007年02月27日

3つ

今日は日記を3つ書いたので、読み逃さないようにお願いします。(久し振りに更新したら、えらそうな態度!)

tabasco526 at 17:42|PermalinkComments(0)

チチロンソー

ヒカリとしゃべっているとおもしろネタ目白押し。

でも、書いてる時間がない。
どんどん忘れる。
これは、あんまり面白かったので、しゃべりながらメモした。
「ブログに書きたい!」と私が叫ぶと、ヒカリに笑われた。

メモには、

宮崎あおい、池脇千鶴、小倉優子という名前が書いてある。

その下に、「微乳」「巨乳」「貧乳」「美乳」の文字が散乱している。
また、その下に、「ロリコン」「オタク」の文字も。

一番下に小さく、「老けた顔」、「貧乳」と書いてある。



さて、ヒカリとその母タバスコはどんな話しをしていたのでしょうか。

ヒカリは、つい最近「ジョゼとおこぜ」じゃなくて「ジョゼと虎と魚たち」のビデオを見たらしい。
池脇千鶴がおっぱいを披露していて、それは小さかったらしい。可愛かったらしい。

池脇千鶴は赤ちゃん顔という話をしていて、
「宮崎あおいは、いやらしい」という話になった。

「ていうか、宮崎あおいを好きな男はいやらしい。」と一歩進んだ話になった。
更に進んで「なぜ、いやらしいのか」ということになった。

あの、無垢な少女風な顔面(ベビーフェイス?)を好もしいと思う男のことをいわゆるロリコンというのだろうか。

ロリコンはいやらしい、というのは、私たち親娘の一致するところなんだけれど、なぜなら、彼らは女性に人間を求めていないように見えるから。

人間としてではなく、ただの愛玩物としてのお人形のような可愛らしさを女性に求めているから。

私たち親娘は、女性に人間を求めていない男の眼中には入らないタイプのおなごだから。
「小倉優子もいやらしい」と私が言ったら、ヒカリが「小倉優子と宮崎あおいはちょっと違う」と言う。
どこが違うのかと言うと、小倉優子はおっぱいが大きいらしい。
で、小倉優子を好きな男は「オタク」なのだという。

ほう、なるほど。

オタクはロリコンとは違うのか。
でも、どっちも女性に人間を求めていないことには違いがないと見える。

どっちもどっちだ。
どっちも私たち親娘に対しては眼中に入らないだろうという点において同じだ。
そんな男どもは、私たち親娘の方から論外視される。(向こうがする前にすかさずこっちからする。)

あ、これはちょっと論旨がずれたぞ。
ロリコン、オタクに相手にされないことに抗議したいわけじゃないんだった。

で、池脇千鶴は、可愛かったらしい。
ジョゼとしての池脇千鶴は、まさに人間であったということなんだろうか。

おっぱいが大きい、小さいで人間性がどうこうなるわけではない。
ヒカリはEカップでタバスコはAカップであるが、二人はとても話しが合うし、仲良しだ。

「微乳って言うらしいよ」
「なんやそれ」
「貧乳のこと。」
「へええええ。」
「美乳ということばもある。」
「へえええええ。」

タバスコは、「貧乳」ではなく以後「微乳」であると申し上げたい。(「美乳」とはいくらなんでもいえないあるよ)


ヒカリの顔はベビーフェイスではない。
磨けばそこそこ美人になるだろう。そこそこ美人でEカップ!

「鬼に金棒やなぁ」と母。
「でも、恋人いない。」と娘。
「宝の持ち腐れやなぁ」と母。
「それは誰にとって?」と娘。
「ヒカリにとって。」と母。
「いえてる」と娘。
「ヒカリのEカップに触れていない世の中の男どもにとって」と母。
「ハハハ」と母と娘。

で、最後に、
「お母さんは、ベビーフェイスやん。んでAカップ。ってことはロリコンに好かれるタイプかな」と母が言うと、
「でも、もう年寄りやし、無理。老けた顔で貧乳。最低。」ってヒカリに言われてしまった。
さすがに、娘は遠慮もなくずけずけ言うてくれるもんです。

ヒカリ、24歳でそこそこ美人、巨乳。鬼に金棒。
タバスコ、50歳で貧乳。最低、らしい。


この日記のタイトルは、ヒカリの助言による。
全部カタカナで、というところまで指示あり。



tabasco526 at 15:17|PermalinkComments(0)

出自

お雛様は、もう娘のためではなく私は私のために飾っている。
七段飾りをおばはんがおばはんのために飾る気力は湧いてこないので、10年位前からは、お内裏様とお雛様のお二人だけにお出ましいただいている。

この、もともとの七段飾りは、姉からもらったもの。

ヒカリが生まれて、初節句のとき実家の母からお雛様を買うようにとお金だけもらっていた。

お人形好きの私は、じっくり選んで気に入ったものを手に入れたかったのですぐには買わなかった。

数年が過ぎて家を新築したとき、母から預かっていたお雛様用の軍資金は、ダイニングの椅子購入に当てられてしまった。
人形も好きだけど、人形以上に家具が好きな私は熟慮の結果「お雛様」より「総革張りの肘かけのあるダイニングチェア」のほうが価値ある買い物と判断したからである。

そうこうするうちに、上の姉が離婚した。
離婚騒動のドサクサの折、「お姉ちゃん、お雛さんもって行き場がないんやったらちょうだい」と控えめに申し出た結果、そのお雛様が我が家へやってきたわけである。

姉の嫁ぎ先は、たいそう裕福な家庭だったので、長女が生まれたとき、嫁の実家には頼らず、たいそう豪華な七段飾りを購入していたのだ。

姉の婚家はバブル経済崩壊時にバブルがはじけ、姉の離婚もその時期だったのでまさにドサクサに乗じてのお雛様略奪だったわけです。(大きな屋敷が人手に渡るときに全部捨てられるところだったのを救ってあげたんだと私は思ってますけどね)

ま、そういうわけで我が家のお雛様には、それなりの辛苦の時代があったわけです。

ちなみに、この姉の長女(本来のお雛様の持ち主ともいうべきでしょうか?)は、日記にもときどき登場してくれる姪のかなちゃんです。


tabasco526 at 15:12|PermalinkComments(0)

お雛様

885e8d52.JPGタバスコ家はただいま落ち着かない。
ヒカリが漸く学生生活を終え(中学では不登校であったのを取り戻すかのように大学卒業後も院に留まり学生であり続けたわけ)この春から、なんとか社会人となられる。(自分の子どもに敬語を使ってどうする?っちゅう話ですが、ま、敬語でも使って笑い話にしたくなっちゃうような素晴らしいお子様っちゅうことです。)

2月中旬より、現在住んでいるアパートから荷物を徐々に搬出している。
週末ごとに出かけては、私の小さな軽に積めるだけの荷物を積んでもどっては、また翌週出かける、といった按配。

搬出してきた荷物はとりあえずそのまま家中に積み上げられている。

正式な勤務地が決定するまでは新生活の準備もできない。
しばらくは研修期間につき、会社の用意してくれた家具付のアパートに仮住まいとなる。

そんなわけで、タバスコ家は落ち着かない状態なわけである。

だから今年はお雛様もあきらめていたんだけど。


大忙しの最中ながら、先週の土曜日にお雛様にお出ましいただきました。

これはリビングの間仕切りにしている階段ダンスの上。

この階段ダンスは、タバスコ所有品の中でも高額な持ち物ベスト10に入るものです。(宝石や毛皮に比べたら安価なものですけどね、そういうものもってないからね)


で、案の定家中はヒカリの引越し&ヒカリ滞在につきワサワサガサガサしてるままなので、お雛様も落ち着かれないご様子。

来週の週末にはお片づけいたします。
例年は2月の初頭から一ヶ月間は飾っておくのだけれど。

皆様にもお披露目です。

半分は、こうして日記のネタにしたくて無理して出したんだもん。



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2007年02月07日

セブンティーン・タバスコ

ネット友だちのマダムンちゃんが初恋日記を執筆中。

結構楽しみに読ませてもらっている(連載形式で、ただいま13回まできている)。

彼女の日記を読んでいろいろ考えたり思い出したりすることがあって、それを書こうとしたけど面倒くさくなったので止める(マダムンちゃんは、中高一貫の女子校で多感な13歳から18歳までを過ごし、大学は私立の雄・馬場田大学、マダムンちゃんの日記ではそうなっている、これは明らかにW大学のことだよね、に進学。あこがれの共学学園生活を始められたのだが、女子校育ちゆえに戸惑いが大きかった、ゆえに初恋も苦難続きであったらしい、そういう青春の日々を綴った日記、を読んで、幼稚園から大学まで共学の中でもまれたタバスコがいかに汚れてしまっているかを改めて感じたのであった。そういう感慨を書こうとしたが、面倒くさくなって止めた、という意味)。

で、高2のときの恋の思い出をひとつ。

修学旅行中にホテルのロビーを一人で歩いていたら、喫茶コーナーに小学校から一緒のN君がいて、手招きするのでそばに寄ってみると、「ジュースおごってー」とNが言う。NのそばにはK君がいた。ちょっとかわいい。K君がいなければ、「なんでやねんな。なんで私がN(呼び捨て)にジュースおごらなあかんねんな、アホちゃうか」と言うところであった。しかし、私は、「ええよ」と答えてしまっていた。ありゃりゃ?
そのときはそこまで。

修学旅行から帰ってしばらくして、どこからか陽水の「もどり道」が私の手元に回ってきた。こういうことが良くあった。誰のものかもしれないレコードが、「すごくいいから」と言ってまた貸しのまた貸しのような状態で学校中をへめぐるのである。
確か、ユーミンのデビューアルバムの「ひこうき雲」もそのようにして私の手元に回ってきたのだ。ぼろぼろの状態の「ひこうき雲」。一体誰の持ち物だったのだろう?

「もどり道」もその時点でかなりぼろぼろになっていた。
持ち帰って、カセットテープに録音して、翌日学校で「次誰に回すの?」と聞くと、「それ、Kのやから返しといて」って誰かが言った。で、6組の教室まで返しにいった。私は2組だったわけ。6組にはNがいて、「おーなんや」とかなれなれしい。「あんたには用はない!」と心で言いながら、「もどり道」を見せると、「K!」と難なく呼び出してくれた。K君が出てきて、ぼろぼろの「もどり道」を何でもなさそうに私から受け取る。私を見て、「あ、あのときジュースありがとう。」と言った。修学旅行のときのこと。Nは隣にいたK君の分まで私におごらせていたのだ。なんちゅうやっちゃ。
そのとき、K君は「他に貸して欲しいレコードない?」と私に聞いた。K君は拓郎のファンとして有名だったので、「んじゃ、『ともだち』貸して」と言ったような気がする。借りたレコードを返しにいって、また別の借りて、私の持ってるS&Gのアルバムを貸して、返してもらっているうちに付き合うようになった。
学校の帰りに校門で待ち合わせて、K君は自転車を引っ張って二人で自転車を挟んで歩くだけのデート。

修学旅行が5月やったから、6月、7月とそんな風にすごして、祇園祭の宵山に初めてデートらしいデートをした。(京都の高校生の王道やな)
夏休みに入ってからはK君のバイトの帰りにうちの近所の公園で毎日会った。8月に入って、私は友人と二人で北海道一周の旅行に出かけることになった。K君はNと鳥取へ行くと言っていた。

新学期が始まった。
2年生の秋、K君はクラブが忙しくなり下校時のデートも出来なくなった。
何が原因かはよく思い出せないけど、なんとなくすれ違うようになって、11月の学園祭の頃にはもう全然会わなくなっていた。
けじめのような、儀式のような感じで別れ話をしたのが、学園祭の後夜祭。キャンプファイヤーの火が遠くで燃え盛って、やがて小さくなっていった。

卒業まで、私はその恋を引きずってしまっていた。
卒業式の日、見慣れた自転車で彼が校門を出て行く姿を見送ったときの胸の痛みは、ああ、思い出すと今でも切なくなるなー。



3年ほど前、高校のクラス会をするための準備として、中学同窓会をその前年にしていたNに電話をした。「住所教えて欲しい子がいるねんけど」って話し出して、「高校のクラス会するの?一緒やなかったっけ?」とNが言うので、「N君は6組やったやん。私は2組」と言うと、「ああ、そうやった。Kとか一緒やったんや」とNが思い出話を始める。
Kという名前にちょっと焦ったのだった。30年も経ってるのになぁ。
で、Nに「K君元気?」と聞いたら、「ああ、相変わらずアホやで」やって。

まあ、それだけの話です。

マダムンちゃんの初恋談義で思い出したほろにがあまなセブンティーンタバスコの思い出話でした。




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2007年01月17日

1.17 追悼

2年前に書いたものです。
1月17日の今日、もう一度読み返してみました。
皆さんにも読んでいただきたいと思いました。





子どもたちの日常の言葉で綴られた詩集「1年1組 せんせいあのね」の中のよしむらせいてつ君の詩です。

ぼくのおふる

ぼくがあかちゃんのときにつこうとった
ほこうきが
いまではいもうとにとられとう
いもうとはほこうきであっちへいったり
こっちへいったりしてごんたしよる
ぼくがあかちゃんのとき
つこうとったものはまだいっぱいあるけど
おとうとやいもうとがみんなつこうて
いまではみんなぼろになってしもうた
おかあさんのおちちかって
ぼくのおふるや
そやからおかあさんのおちちは
ぼろでぺっちゃんこ




せいてつ君は、この詩集の中で鋭い観察眼を発揮したユーモアに満ちた詩をたくさん書いています。
お母さんのことを書いたものが多いです。
せいてつ君のたくましいユーモアはご両親譲りということがよく分かる、そんなお父さんとお母さんの人柄がせいてつ君の詩の中に表れています。


きょうよう

おかあさんがふじんざっしをみとったら
おとうさんが
そんなしょうもないもんよまんと
もうちょっときょうようが
みにつくほんをよみゆうた
もうきょうようはみについとうから
もうええねんゆうたら
それはきょうようじゃなくて
えいようやゆうた


この詩集が出版された直後に、鹿島学級を一年間記録したドキュメント番組があり、その中でせいてつ君とお母さんも登場しました。

せいてつ君はこのテレビ番組を通して初めて自分が在日韓国人だということを知ります。
そのことを心配する鹿島先生にお母さんは、持ち前のユーモアでたくましく乗り越えられると応えられていました。
このお母さんから、十分にそういうことが感じ取れました。



こんな詩もあります。


たのしみ

おかあさんはなんでもりょうりをかんがえる
なんでかんがえるかきいたら
いきとううちになんでもかんがえらな
あたまがさびてしまうんやて
せっかくうまれてきたんやから
いろんなことをしていろんなことをかんがえて
じんせいたのしまなそんやゆうた
おかあさんはたのしんどんかきいたら
たのしんどうし
これからもっとたのしむんやて
ぼくたのしむゆうたら
あそぶことやおもてたら
しごとやべんきょうのなかにもたのしみがあるんやな
ぼくべんきょういややおもうてたけど
これからなにかたのしみみつけようかな



人生これからもっと楽しむ、と息子に語っていたこのおかあさんは阪神大震災で亡くなられました。


この詩集を編まれた鹿島先生が震災後かつての教え子を訪ねるというドキュメンタリー番組がありました。
せいてつ君は訪ねてきた鹿島先生に会おうとしませんでした。

22歳となっていたせいてつ君の心をあんなに頑なにしたものはなんだったんだろう。

そして、またあれから10年がすぎて32歳となったせいてつ君はどんな大人になっているのだろうか。


幸いなことに私の身近に、この地震で命を落とした人はいません。
昨日から今日にかけて10年目としての阪神大震災の報道を見るたびに私は、25年前に知った利発なまなざしを持った在日韓国人の少年とそのお母さんのたくましい明るさとその後に彼らに訪れた悲劇のことを思い出さずにいられません。

私にできることは、忘れないということだけなのかもしれません。


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2007年01月15日

ウハメラ登場

タバスコは、今年の6月がきたらネット歴満6年になります。

この6年にたくさんのネット友だちができました。
ネット友だちはリアル友だちより、タバスコにとってはリアルな近さを感じるものがあったりする。

ネット初日に知り合い、タバスコのネットボーイフレンド第一号となられ、いまや永遠の恋人と認定されてしまった(誰にや。タバスコにや。)あいどんさん(なんか文句あるか)。

ネットのいろはを優しく教え諭し、タバスコに小説たらを書くきっかけを下さった粋な姐さん、えび妖さん。(どこがカマトトやねん!)

年寄りタバスコに若い息吹を吹き込んでくれる、いやそれだけではない、底知れぬパワーを秘めたmixiへのいざない人、年齢は妹ともいえない姪っ子ほども離れたインドさん。(この人名前がしょっちゅう変わる。今はインドさんでいいのね?)

真摯な生き方で、アホタバスコをときどき激しくゆすぶってくれる西おじさん。(誰がおじさんやて。)残念ながらmixiの住人ではない。誘っているけどなかなか上手にお導きできない。

ちょっと理屈っぽいけど、実は間抜けなお茶目振りを露呈してしまうマルチ・アーティスト無坂兄さん。ネット上の一番年上ボーイフレンドよ。(なんや、文句あるか。)

ブツでつながってる?ビデオの交換、お互いの小説の貶しあい?CDもらったり、ビール券送ったりと瀬戸内海をはさんで物々交換の関係を形作ってしまった年下(ちょっとだけ)ボーイフレンド、ぴーえむさん

ボーイフレンドと言っちゃあ恐れ多い。アホタバのマイミクやめたいんとちゃうかしら、と心配になる、タバスコマイミク中の長老?(誰がやねん!いや長老的お立場言うことですがな。)narato様

ちょっと年下(ちょっとだけ)だけど妹と呼んではおこがましいおもしろmixi日記の達人マダムンちゃん。(ごめんねー、ご子息をいつもバカ呼ばわりして。)

ちょうどタバスコの妹のお年頃?ホントに妹みたいに思っちゃう。生き方不器用でハラハラするところもお姉ちゃん気分を味わわせてくれる愛しいみどりん

地下水脈が通じてるらしい妙なつながり。式子ちんは妹でもなく姪っ子でもない。
赤の他人なのにどうしてこんなに似ているところがあるの?とびっくりした。
年下ガールフレンドの式子ちん。(なんで、式子ちんなの?)

rukaさんは得体の知れないお友だち。年下なのに、絶対侮れない。姐さんと私を呼ぶアンタは極道の女?

コイツは天才。
このおばちゃんをガールフレンドにしてくれる?してくれないと殺すよ。
とついいじめたくなる、うーーーんと年下のボーイフレンド団塊ともお


お、忘れちゃならない、わりと新しいお友達。年下だけどなぜか尊敬したくなるたたずまい。いつかおめもじ叶いますようにとかなり強く願ってる、1000さん

同じくわりと新しいお友達うらないしさん
タバスコ50年生きて占い師の友だちは初めて!
それよりも何よりも読書量に瞠目させられる。刺激される。完敗やけど。

ほんで、タバスコのネット大親友のテレビっ子
大親友は、時には気に入らないことも言う。ってことで厳しいことも言われるし、言われてむくれることもある。でも、この人はネットの中の大親友だと思ってる。(なんや、文句あるか。)


とまあ、タバスコ友だち列伝を一流れ綴ってみました。
選に漏れた方、怒らないでね。厳正なる抽選の上選出しました。

で、何を思い立って友だち列伝を長々と綴ったかと申しますと、新しいお友だちができたからです。
じゃーん。紹介します。
ウハメラ君です。


ウハメラ君は、タバスコと同郷、そして大学が同窓の3つ年上の男性です。

ウハメラ君とは、「男女間に真の友情は成立するか」という大命題に挑むべく、美しく清らかな大友情の金字塔を打ち立てる人類史上初の男女になろうじゃないか、と約束しました。
(そんな約束した覚えあらしまへんで。←ウハメラ。うるさい!アンタはだまっとき!)

皆様よこしまな好奇心でどうかこの男女の行く末を見守ってください。



tabasco526 at 16:01|PermalinkComments(0)
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