2012年02月01日

宣伝会議の1月1日発売号に寄稿させて頂いたのですが、もう書店の店頭からも消えたろう、ということでOKをもらったので、そちらの内容をブログにも転載します。 かなり基本で「当たり前」な内容なのですが、お目汚しを。
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スマホ・ブームにはアプリと、最適化ウェブの二正面作戦で臨め
今年はスマートフォンがギーク層でなく、普通の中高年や女性を含むマス層に向けブレイクした、スマートフォンのマス普及元年と言ってよい年だった。年初には「SmartPhone」というどこか縁遠かった存在が、年末には「スマホ」(流行語)という日常的で身近な存在に変わったのである。

そして、スマホの普及に伴い、「アプリ」も注目を集めている。現在、数十万本以上のアプリがiPhoneに投入されているという。筆者の所属するコンデナストのような大手メディア企業のみならず、マクドナルドやピザーラといった広告主自身も次々と、スマホ向けのアプリを投入している。

このような「アプリ」ブームをどう考えるべきだろうか。一過性のブームなのだろうか。それとも大きな構造トレンドなのか。筆者は、スマホのアプリを巡っては、より大きな視点から俯瞰してとらえる認識が欠かせないと思っている。ただいま、デジタルメディアの世界では、二つの大きな「世界観」の間でのバトルが進行中であり、「アプリ」という存在は、その戦いに影響を与えている「新勢力」という認識だ。

ウェブは死んだ?/Web is dead的なネット利用が浸透中
『WIRED』 US版2010年9月号に「ウェブは死んだ」(Web is dead)という刺激的な特集が掲載された。その内容の一部を引用すると(傍線による強調は筆者)。

「朝起きて、あなたはベッドサイドのiPadで電子メールをチェックする。それで1アプリ利用だ。

朝食をとりながら、フェイスブックやツイッター、「ニューヨーク・タイムズ」のデジタル版を見る。3アプリ追加。
通勤途中でスマートフォンのポッドキャストを聴いて、1アプリ。仕事中はRSSを使い、SkypeやIM(インスタント・メッセンジャー)で話をし、さらにアプリを利用する。

帰宅してから、夕食を作りながらPandraを聴き、食後はXbox Liveでゲームをし、Netfl ix の動画配信サービスで映画を見る。

このようにあなたは一日中インターネットを使っているが、ウェブは利用していない。そうしているのはあなただけではない。」    

 500x_wiredlong2WIRED 2010年9月号より引用


2012年01月06日

新年あけましておめでとうございます。噂の代官山T-SITEのツタヤに行って参りましたので、そのことを新年最初のブログに書きたいと思います。

まず、一人の書物・音楽・メディア好きとして、この余り儲かりそうには思えない施設を、ここまでの意気込みでOPENさせた蔦屋さんに素直に喝采を送りたいと思います。商業施設にこんなに興奮させられたのは本当に久々でした。大まかなコンセプト・意図は、私がブログに以前書いた「

台北・Eslite 誠品書店に「書店」が進むべき未来を見た。

に近いと思いますが、単にその焼き直しに留まらない独自性も兼ね備えています。久々に、こういうオサレな雰囲気かつ骨太な思想をもったハコがある「TOKYO」住民であることを誇りに思える気持ちで嬉しくなりました。

「未来の書店」を体感したくて、台北まで行けない人は、東京・代官山にいけば、まあ十分ですね。あのブログ記事を書いて以降、いろんな人から「誠品書店は、ビレッジバンガードみたいなものですか?」と聞かれつつ、「いや、かなり違うんだけどなあ」と思っていた私としては、ぜひ、代官山TSUTAYAを見てください、と言いたくなります。書店とかメディアに関心のない方でも、見通し確保テクを駆使した店内の雰囲気は、複合小売施設のあり方として、また、既存施設であったヒルサイドテラスと緩やかで自然に連携させているところなど、建築施設のあり方としても、本当に面白いものだと思います。
 
中でも、特筆すべきは中央2Fに位置するラウンジ部分です。ここは、航空会社のラウンジと図書館とカフェバーを融合させたような雰囲気でして、おそらく世界中、どこにもないユニークな雰囲気ではないでしょうか?。また、古い雑誌マニアとしては、壁の書架にかかっている古今東西の名雑誌のバックナンバーコレクションは、垂涎かつ涙モノのセレクトでした。

思わず私が、オオっと声を上げそうになったものを幾つか紹介します。まずは、私がサブカル系雑誌にハマった中学生〜高校生時代に最も「カコイイ!」と思っていた雑誌の一つである新潮社の「03」(ゼロサンと読みます。サブタイトルはTokyo calling)を紹介したいですね。この雑誌は3年ほどで、廃刊になってしまったせいか、後世において評価されない不遇の雑誌ですが、私はバブル末期のTOKYOの雰囲気を雑誌名の文字通り、象徴した雑誌のようにも思いました。(当時、東京に行ったことすらなかったけどw)

このバブル末期の雰囲気を濃厚に誌面に刻印したこの「03」ほど、当時、石川県小松市に住む田舎の中学生だった私への「TOKYO幻想」を駆り立てたものはありませんでした。正直、大学選びにあたって私の地方だと京都や大阪にいく同級生が多かったんですが、何が何でも「おらTOKYOさ、いぐだ」と思っていた自分は、色濃くこの「03」の影響を受けていたのだと思います。

なんせ、03:tokyo callingですからね。東京が僕を呼んでいるわけです。Tokyo (is) calling (you)!

荒俣センセイと麻原彰晃が表紙! 新潮社発刊の雑誌でっせw aum


2011年12月25日

皆様 メリークリスマス。田端が下記のイベントにスピーカーとして参加します。
ヨリス・ライエンダイク氏が出版された『こうして世界は誤解する』の出版記念イベントです。
ご興味のある方、会場でお会いしましょう。

yorisu

1月21日(土) 日本財団トークイベント
『「誰でもメディア」時代の情報リテラシーを語る』
twitter、facebook、スマートフォンの流行――今や誰もが情報の発信者かつ受信者になれるこの時代で、私たちに求められる「メディアリテラシー」とは何か? 英国ガーディアン紙で人気ブログを連載するヨリス・ライエンダイク氏、 「VOGUE」「GQ JAPAN」「WIRED」などのデジタル事業を統括する田端信太郎氏、社会を変えるグッドアイデア厳選マガジン「greenz.jp」の鈴木菜央氏が語る!

主催:日本財団/英治出版株式会社

後援:オランダ王国大使館

会場:日本財団1Fバウルーム

  東京都港区赤坂1丁目2番2号

定員:150名

言語:日本語



2011年12月21日

この7人のセンセイによる記者会見での発言内容を読んだが、時代感覚のなさ、を露呈した迷会見だったと思う。(まあ、気持ちは分かるんだけどさw)

東野圭吾氏、弘兼憲史氏など著名な作家・漫画家7名が、スキャン代行業者2社を提訴した問題。記者会見の場で7名は何を語ったのか。紙への思い、裁断本を含めた違法コピーへの憤り、出版業界の現状や未来など、各人がそれぞれの心情を吐露した内容をまとめた。

私が思うに、小説家や漫画家が目指すべき本来的なアウトプット、目指すべき達成点は、ある種のストーリーを読者の脳内で紡ぎだし、読者の心をつかみ、深く揺り動かすことであって「インクが乗っかった物理的な紙の束」を届けることではないはずだ。

このセンセイ方は、アマ同人誌の発行者ではなく、商業出版において大成功されたエスタブリッシュメントな有力者ばかりではないか。そんなに、裁断されるのがイヤならば、さっさとオフィシャルにデジタル書籍を、読者が受け入れられるような、使いやすい条件で提供すればいいのだ。iTunesMusicStoreの事例をみても分かるように、ユーザーは利便性にはオカネを払う。本の自炊は、CDのリッピングよりも、もっとメンドクサイことなので、音楽業界よりも、有利な立場にあるはずなのに、この頑迷さはどうだろう。

林真理子氏が話す、デジタル化に対して「各出版社の方々と本当に考えながら1つ1つクリアしながら積み重ねております」のコメントに滲む出版社への依存心。この時代に自らがどう向き合うのか?という当事者意識の希薄さが、私には猛烈にダサく思えてしまう。

表現者として、新しい表現メディアへの好奇心や興奮は感じないのだろうか。目下の情勢に対して、それこそ作家・表現者・ペンで生きるものに固有のIndependence精神、DIY精神を発揮して、出版社をかませずとも、作家が直接に自ら新たな読者へのチャネルを切り開いてやろう、というような気概はないのだろうか。それこそ、村上龍が挑戦しているように。

昭和図書の推計では、書店で売れ残って出版社に返品される書籍は年間5億冊を超え、そのうち約2割の1億冊が断裁処分になっているそうだ。(出典
作家から見れば、裁断本を見るのは本当につらいです。本当に、もうちょっと本を愛してくださいといいたいです。
  by 武論尊センセイ  


2011年12月10日

グローバル化された世界での「基軸通貨」というのは、価値尺度のコミュニケーション手段で、そこに信頼と実績に裏打ちされた「慣性の法則」が働く、という意味では、比喩でなく、本当に「メディア」(=媒介物&媒質)、そのものなんだな、と、この前のブログ記事を書きながら、はっと思った。

これでは抽象的すぎる言い方なので、もっと丁寧に、この意味を説明すると、例えば日本人が海外で働くとして、実質的には、全く同じ経済価値だとしても「あなたの給料は月に1000USドルです。」と言われた方が、「あなたの給料は月に8000南アフリカランドです。」と言われるよりも、絶対に安心感があるだろう。

これはなぜか? 


2011年12月07日

広瀬さんの「EU問題に関してはイギリス人の言う事は話半分に聞く必要がある」バナシを読んで色々と思うことがあったので、ブログに書きたい。

私のデジタル事業ラインでの上司は、在ロンドン英国人なのだが晩飯などを一緒に食べていると、「欧州はmessyなことになってるが、ユーロでなくてよかったよ、イギリスは・・。あぁ、俺たちはなんてラッキーなんだ。」的に、少し皮肉っぽく、しばしば実際に言っていた。

ま、その口ぶりからも、これは「Twisted」 な皮肉発言なんですよ、というメタ・メッセージを、嗅ぎ取ってはいたのだが、上記の記事を読むまでは、「ユーロは、酸っぱいブドウだ」的な感覚が、広く英国人に浸透しているとは思ってはいなかっただけに、この記事を読んで、ニヤっとしてしまった。

私が半年に一度、出張で訪れている、コンデナスト・インターナショナルのHQはロンドンのメイフェア地区にある。メイフェアは、東京で言うと、銀座から水商売っ気を抜いたような土地柄に思うのだが、周りをウロウロと歩いて感ずるのは、本当にこの街は「金融」が基幹産業なのだな、ということである。NYよりは、一個一個のビルが小さくて、各フロアに入っている会社の社名の案内板が、外から見えやすいから、余計にそう感じるなのかもしれないが、だいたい、ホニャララInvestmentsとかホニャララCapital Managementとかそういうファンドっぽい社名がやたらと多い。(あとはメイフェアに多いのは、高級ブランドのブティック)
 
ユーロ危機がきっかけで、政治面での欧州統合が加速し、欧州の盟主の座に、もしドイツが名実ともに着くとなると、そのとき、金融センターとしてのロンドンの地位はどうなってしまうのだろうか。政治権力と金融センターの関係という意味では、欧州大陸におけるロンドンの位置は、中国大陸における香港の位置と相似形になるのだろうか。
 
近代スポーツのほとんどが、イギリス発祥のことを見ても分かるように、英国人は、格別にホスピタリティに優れるわけではないが、「ゲームのプレイヤーが面白みを感じられるように、ルールを整備していく」、「参加者がモチベーションを保てるように、オープンネスとフェアネスを尊重する」ということに関しては、歴史的、国民的蓄積を有しているような気がしている。(これが、いわゆる「ウィンブルドン現象」をもたらした基盤であり、こういう御座敷貸しビジネスに関しては、イギリス人は老獪だ。)

私が最も興味が有るのは、欧州の、あるいは世界の、金融センター都市としてのロンドンの利害と、国全体としての英国の「国益」との兼ね合いだ。もちろん、一致する部分もあるのだろうが、そうでない場面もあるだろう。例えば、在ロンドン富裕外国人への優遇税制などは、イギリスの一般庶民の多数派は、苦々しく思っていたんではないだろうか。
 
つまりは、英国の国力あるいは通貨としてのポンドの浮沈と、金融センターとしてのロンドンの浮沈はアンバンドル可能なのだろうか。


2011年11月23日

出張で上海にきております。いつも思うけど、こんだけの大都会でfacebookやTwitterが使えないのは、かなり違和感・・・。お陰で仕事がはかどる〜(かな?w)







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