2012年03月
2012年03月10日
まとめサイトやトゥゲッターに「編集によるトリック」と「アントニーの詐術」への誘惑を見た〜「ある異常体験者の偏見」by山本七平から
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「キュレーション」やまとめサイト作成が盛り上がってきている。
自分でも「まとめ」サイトをちょっくら実際に作ってみた。作りながら、ずっと、これは、何かの本で読んだような「引力」や「誘惑」を感じるな・・・と思ったのだが、さきほど本棚から手にとって読んでみて、やはり確信した。
自分でも「まとめ」サイトをちょっくら実際に作ってみた。作りながら、ずっと、これは、何かの本で読んだような「引力」や「誘惑」を感じるな・・・と思ったのだが、さきほど本棚から手にとって読んでみて、やはり確信した。
トゥゲッターや「まとめ」サイトで、リンク集を作る行為は、「ある異常体験者の偏見(山本七平著)」で言われる「アントニーの詐術」の特に「編集の詐術」と極めて相性がイイのである。
常に作者には「事実によるトリック」へと誘惑される引力が働いている・・・・のだ、と。
少し長いですが、以下の引用文中での「手紙」をツイートに置き換えたり、リンクに置き換えてみつつ読んでください。

ある異常体験者の偏見 (文春文庫)
クチコミを見る
以下:ある異常体験者の偏見 97Pより引用
常に作者には「事実によるトリック」へと誘惑される引力が働いている・・・・のだ、と。
少し長いですが、以下の引用文中での「手紙」をツイートに置き換えたり、リンクに置き換えてみつつ読んでください。

ある異常体験者の偏見 (文春文庫)
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以下:ある異常体験者の偏見 97Pより引用
アントニーはまずシーザーの死体を示す、これは事実である。最後に「遺言状」を示す。これも事実である。そしてこの二つの間を事実・事実・事実でつなぐ。これも事実である。すべて一点疑いなき事実であって、だれもこれを否定できない。ところが実はこれが「トリック」なのである。なぜか、もう一度いうが編集者なら御存知であろう。説明の必要はあるまい。知らないならまだよい。だが、知っててこれをやってはいけない。少なくとも編集という仕事をしている人間にとって、常に直面しなければならないのが、「事実に基づくトリック」をどうやって克服するかという問題のはずだからである。自分の体験に基づいて非常にわかりやすい例をあげよう。前に私のところで『ジョン・バチェラーの手紙』という本を出した。実に売れなかった本である。この本は有名な「アイヌの父」ジョン・バチェラーの手紙を、集められるだけ集めて、それを編年史的に編集し、手紙という「事実」だけで構成した「伝記」を作ろうと意図したものであった。もちろん絶対に手紙の内容には手をふれない。解説が必要なら、小さい字で手紙のあとに短い解説をつけ、それもほとんどすべて同時代の資料だけを利用して、ほぼ資料のまま入れる――という形である。ところがこれが何年かかっても本にならない。もっとも私のところは、本になるまで良ければ七年、短くて二年はかかるからこれだけが例外というわけではないが、この場合はちょっと特別で、私自身が何とも編集できなくなってしまったからである。バチェラーのような人は、がんらい「可もなし不可もなし」のはずかなく、従って非常に性格のきつい面、いわば相当に「我」が強い面があり、いわゆる「敵」も多く、従ってバチェラー嫌いという人もいる。一方アイヌの間では「神様のような人」というのが定評であった。また日本人の中にもファンがおり、その事業を高く評価する人もいれば、「売名屋で、アイヌをくいものにし、上流社会にとりいった」という人もいる。しかし世評はどうでもいい。「事実」を知りたい。そこで「手紙という事実」だけを集めた。ところがどうにもならない――というのは編集の仕方でどうにでもなる。ある「手紙という事実」だけを集めてつなげれば彼は文字通り神様になってしまう。そしてそれが確かに事実だけなのである。ところが別の「手紙という事実」だけを集めて並べれば彼は「アイヌをくいものにした、くわせもの」になってしまう。そしてそれも、まぎれもない事実なのである。従って、そのようにしていけば手紙の集め方で「売名屋」であれ、「上流社会にとり入った男」であれ、はたまた「守銭奴」であれ、全く自由自在、編集者の指先一つで、何とでもなる――それていて、並べてつなげているのは、まぎれもない、動かすことのできない、本人が書いた手紙という「事実」なのである。
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