2009年08月09日
イギリスとアメリカ、アングロ・サクソンは、決して「一枚岩」ではない
私も含めて、大概の人は、アメリカ人と、イギリス人とを「アングロサクソン」と一くくりに考えているのではないだろうか。
きっと、その二国の関係には、近所の仲間で缶蹴りをして、遊んでいても、あたかも兄弟だけが感じ合えるような深いシグナルで連携を図るように、他の第三国が立ち入ることの出来ないようなの固い結束に裏付けられた関係なのだろう、と。
しかしながら、そんなものは、幻想なのかもしれない、ということが〜「アメリカ社会」入門 英国人ニューヨークに住む〜を読むと、よく分かる。当のイギリス人とアメリカ人に言わせれば、アメリカとイギリスの関係は、「兄弟」などというよう親密な距離感ではなく、確かに単なる友人というわけでないが、せいぜいが「従兄弟」くらいの関係だ・・ということである。
きっと、その二国の関係には、近所の仲間で缶蹴りをして、遊んでいても、あたかも兄弟だけが感じ合えるような深いシグナルで連携を図るように、他の第三国が立ち入ることの出来ないようなの固い結束に裏付けられた関係なのだろう、と。
しかしながら、そんなものは、幻想なのかもしれない、ということが〜「アメリカ社会」入門 英国人ニューヨークに住む〜を読むと、よく分かる。当のイギリス人とアメリカ人に言わせれば、アメリカとイギリスの関係は、「兄弟」などというよう親密な距離感ではなく、確かに単なる友人というわけでないが、せいぜいが「従兄弟」くらいの関係だ・・ということである。
英国人のフリージャーナリストであるコリン・ジョイスがニューヨークに滞在し、生活をする間に、米国と英国とのカルチャーギャップについて感じたことについて、都市の生活や会話のマナー、アルコール事情、社交術など、さまざまな観点から英米のギャップを抉り出した本が、「アメリカ社会」入門 英国人ニューヨークに住む〜である。イギリス人らしいユーモアに溢れる記述は、例えば、こんな風に紅茶文化であるイギリスと、コーヒー文化であるアメリカの違いを浮き彫りにしていく。
「アメリカ社会」入門―英国人ニューヨークに住む (生活人新書)
著者:コリン ジョイス
販売元:日本放送出版協会
発売日:2009-06
おすすめ度:
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なんせ、純然たるイギリス人であるコリン・ジョイスに言わせれば
「正直にいって、僕は、アメリカ英語よりも、日本語のほうが上手に話せる」(本文160Pの頁末より)
というくらいに、アメリカ英語を話すことには抵抗があるのだそうだ。ホントかよ?と突っ込みたくなる文章ではあるが、それほど、彼はイギリス文化とアメリカ文化に距離感を感じたのだろう。
ワタシが、一番、オモシロく思ったくだりを抜書きしてみる。
日本でも、在校中に大学野球の応援にでも行くようなシチュエーションならいざ知らず、職場の仲間でやるバーベキューや、近所を普段、ジョギングをするといったようなTPOでまで「東京大学」と大きくプリントのロゴが入ったトレーナーを着ている人が、もし居たとしたら、影で「プププ」と笑われる感じになるだろう。(でも、アメリカだと、そうはならなそうだよね・・・)
彼が、アメリカ社会に感じる違和感の根源が、このくだりを読んで、よく分かった気がした。
一言でいえば、「奥ゆかしさ」という概念を重んじる文化は、イギリスや日本には今も息づいているのだが、アメリカには微塵もないのだ。
もうひとつ、「わが意を得たり」と思った特徴的な記述があった。アメリカ人が血道をあげる、いわゆる「ネットワーキング」、つまり人脈作りについてである。
パーティでいわゆるギョ−カイの大物を見つけると、一も二もなくすっ飛んでいって、名刺交換をし、自分をアピールするような振る舞いに対して、僕はずっと、ある種の違和感・ためらいを感じていたのだが、そういう引っ込み思案さは、日本人の悪弊として封印しようとも思ってきた。
しかし、このコリン・ジョイスがアメリカ人の「ネットワーキング中毒」に感じた違和感のように、そういうスタイルの社交術に対するある種の嫌悪感というのは、少なくとも、忌むべき感性ではないようにも思えてきた。
同じように、保守本流のイギリス人エリートの目で見て、アメリカへの違和感を綴った本がある。筆者は、こちらもジャーナリストで、911の取材に奔走した後に、パリ支局長にまで若くして出世するが、キャリアチェンジを狙って、アメリカ資本主義の理論的総本山とも言えるハーバードビジネススクールに入学することになったというお話だ。
ハーバードビジネススクール 不幸な人間の製造工場
著者:フィリップ・デルヴス・ブロートン
販売元:日経BP社
発売日:2009-05-21
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オモシロいことに、「アメリカ社会」入門〜英国人ニューヨークに住む〜を書いたコリン・ジョイスも、ハーバードビジネススクール〜不幸な人間の製造工場を書いた、フィリップ・デルヴス・ブロートンも、経歴が非常に似ているのだ。
両人とも、オックスフォード大学を出て、高級紙「デイリー・テレグラフ」に勤務したことのある英国人であり、ジャーナリストである、という点においてである。 (それにしても、英国人でかつジャーナリストということは、こんなにも、シニカルであり、かつフェアであろう、とする不思議な文章スタイルを生み出すのか、と感嘆させられる。)
アメリカ文化に対して、もちろん優れた部分は認めつつも、「正直、子供じみていたり、余りにノー天気過ぎて、付いていけない部分がある」というのは、大方の日本人が感じるところと、そうは遠くなかろう・・。 そのような「相対化」を「ガラパゴスに立て篭もる日本人の居直り」ということではない視点から提供してくれる、という意味で、この2冊は貴重な存在だと思う。
アメリカという国に対して、イギリス人から見ても、これくらい理解できないことや違和感だらけなのだから、日本人が分からなくても、当然だというような希望を貰った気がした。
関連本:コリン・ジョイスが先行して、日本について書いた本
「ニッポン社会」入門―英国人記者の抱腹レポート (生活人新書)
著者:コリン ジョイス
販売元:日本放送出版協会
発売日:2006-12
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イギリス人の異常なまでの皮肉っぽさ、とヒネくれっぷり、でも憎めない、そこはかなとない優しさ、みたいな国民性を知る上で、「喜劇は、悲劇の対極としてではなく、その一部として存在する」でも紹介したThe OfficeというBBCで放映のコメディ・ドラマは必見ですぞ!超名作なのであ〜る!。
The Office USリメイク版との違いを、詳細に明らかにしつつ、分析・論評していけば、比較文化論の卒論くらいにはなりそうなネタとも思う。
僕にとって、紅茶を飲むことは文化的洗練の証しだが、アメリカ人にはキザに映るらしい。
〜中略〜
紅茶を飲むと聞いて、たいていのアメリカ人男性が示す反応ときたら、まるで「男だってイヤリングをしてもいいのだ」と言われたときに、僕の父親が見せた反応にそっくりだ。

著者:コリン ジョイス
販売元:日本放送出版協会
発売日:2009-06
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出版社/著者からの内容紹介コリン・ジョイスは、ニューヨークに移る前には、ニューズウィーク日本版に勤務していて、日本に15年間も滞在したこともあり、米国と英国との文化の断絶を表すのに、時折「日本」という基準点を用いて、三角測量のような説明を試みるので、日本人にとっても、非常に楽しんで読める。
ニッポンの次は、もちろんアメリカだ。
コーヒーより紅茶が好きな英国人が、「無知」と「非礼」に耐える勇気を携えて、ニューヨークに暮らすことを決意した。
『「ニッポン社会」入門』の著者が放つ、待望の第二弾!
内容(「BOOK」データベースより)
ニューヨーカーたちは思いのほか丁寧で愛想もいい。でも、心しなくては。その親切な仮面の下では、何か巧妙な悪だくみが進行しているかもしれないから。「ニッポン社会」への入門を無事果たした英国人ジャーナリストの次なるターゲットはアメリカだった。スポーツ、ユーモア、社交、格差、幸福感…。母国イギリスとのさまざまな比較から見えてきた「アメリカ社会」の意外な素顔とは。
なんせ、純然たるイギリス人であるコリン・ジョイスに言わせれば
「正直にいって、僕は、アメリカ英語よりも、日本語のほうが上手に話せる」(本文160Pの頁末より)
というくらいに、アメリカ英語を話すことには抵抗があるのだそうだ。ホントかよ?と突っ込みたくなる文章ではあるが、それほど、彼はイギリス文化とアメリカ文化に距離感を感じたのだろう。
ワタシが、一番、オモシロく思ったくだりを抜書きしてみる。
トレーナーといえばアメリカ人は、ハーヴァードだとか、ブラウンだとか、デュークとかいった出身大学の名前が入ったトレーナーをよく着ている。確かに、昨秋にニューヨーク出張の際に、朝からセントラル・パークを3日連続でジョギングしてみたが、大学名の入ったロゴ入りトレーナーは多かった。帰りに寄った西海岸では、スタンフォード大学構内の本屋にいってみたが、STANFORDロゴ入りグッズのあらゆる商品が、ディズニーストアのように山積みになっていた。ちなみに、筆者のコリン・ジョイスはオックスフォード大出身。コリン・ジョイスは、折に触れ、英国人である自分の目から見れば、日本人の文化や振る舞い方のほうが、よほど米国人の文化や振る舞いよりも、自分にとって理解しやすい、といったニュアンスのことを書いている。
これは、イギリス人には解せない服装だ。イギリスでは、このようなトレーナーを着れば、まるで洋服を使って自慢をしているように受け取られるだろう。
「わたしは頭がよいので、この大学に行きました」というわけだ。イギリスでは自分の母校が有名であればあるほど、人は他人にそれを気付かれないように注意する。オックスフォードやケンブリッジの卒業生は、同胞に出身大学を明かさなければいけなくなったりしたら、きまり悪さで身を小さくするものだ。ところがアメリカでは、出身大学を宣伝しなければいけないようなのである。
日本でも、在校中に大学野球の応援にでも行くようなシチュエーションならいざ知らず、職場の仲間でやるバーベキューや、近所を普段、ジョギングをするといったようなTPOでまで「東京大学」と大きくプリントのロゴが入ったトレーナーを着ている人が、もし居たとしたら、影で「プププ」と笑われる感じになるだろう。(でも、アメリカだと、そうはならなそうだよね・・・)
彼が、アメリカ社会に感じる違和感の根源が、このくだりを読んで、よく分かった気がした。
一言でいえば、「奥ゆかしさ」という概念を重んじる文化は、イギリスや日本には今も息づいているのだが、アメリカには微塵もないのだ。
もうひとつ、「わが意を得たり」と思った特徴的な記述があった。アメリカ人が血道をあげる、いわゆる「ネットワーキング」、つまり人脈作りについてである。
日本にいるとき、もっとも違和感を覚えたアメリカ人たちの習慣は、彼らが「ネットワーキング」と呼ぶ活動だ。最初この言葉を聞いたとき、イギリス人は誰もなんのことだか分からなかった。だが、アメリカ人はネットワーキングに大変な時間と労力をつぎ込んでいる。ネットワーキングという言葉は、ネットビジネスの業界でもよく聞く言葉になった。ネットワーキングパーティという類のものは、カンファレンスに行ったりすると、あちこちで開かれていたりする。僕は、社交を重んじ、それを広げるためのパーティ文化は、欧米に広く一般的かつ普遍的なものだと思っていたが、どうやら、そんなに単純なものではないらしい。
〜中略〜
その後、ぼくはネットワーキングの意味を知って、ぞっとした。アメリカ人はこんなことを、それも公然と恥ずかしげもなく行っているとは!日本で経験した唯一にして最大のカルチャーショックかもしれない。
ネットワーキングとは、簡単に言えば、自分の役に立ってくれそうな人と会って、知り合いになろうとすることである。こうして人脈を広げておけば、仕事を見つけ、キャリアを高めるのにつながるだろうし、少なくとも自分のやりたい仕事についての知識を深める機会になるというわけだ。
たしかに理にはかなっている。
しかし、これはイギリスでは立身出世のために有力者に取り入ってゴマをする行為と見なされる。この点に関しては、僕は古いタイプの人間だ。かりに僕のキャリアにつながる地位にいる友人が、自分から僕に援助の手を差し伸べてくれたとしても、僕はその申し出を断ったことだろう。
自分たちの友情が打算に基づくものではないと示したいからだ。
パーティでいわゆるギョ−カイの大物を見つけると、一も二もなくすっ飛んでいって、名刺交換をし、自分をアピールするような振る舞いに対して、僕はずっと、ある種の違和感・ためらいを感じていたのだが、そういう引っ込み思案さは、日本人の悪弊として封印しようとも思ってきた。
しかし、このコリン・ジョイスがアメリカ人の「ネットワーキング中毒」に感じた違和感のように、そういうスタイルの社交術に対するある種の嫌悪感というのは、少なくとも、忌むべき感性ではないようにも思えてきた。
同じように、保守本流のイギリス人エリートの目で見て、アメリカへの違和感を綴った本がある。筆者は、こちらもジャーナリストで、911の取材に奔走した後に、パリ支局長にまで若くして出世するが、キャリアチェンジを狙って、アメリカ資本主義の理論的総本山とも言えるハーバードビジネススクールに入学することになったというお話だ。

著者:フィリップ・デルヴス・ブロートン
販売元:日経BP社
発売日:2009-05-21
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内容紹介この本の中でも、アメリカ流の極度に単純化されたファイナンス偏重の資本主義や、大学内で行われるバカ騒ぎのパーティ文化への違和感が率直に綴られている。
アメリカで2008年に発売されると、たちまちニューヨークタイムズのベストセラーとなり、ウォールストリート・ジャーナルは「心胆を寒からしめ、非常に面白い」と評し、フィナンシャル・タイムズは「呆然とするほど魅力的」と絶賛したノンフィクション。
「資本主義の士官学校」と呼ばれるハーバードビジネススクール(HBS)。その内部を元デーリーテレグラフの記者であるイギリス人が描いたとあって、面白いことは請け合いだ。
〜中略〜
著者は、『ハーバードMBA留学記』の著者で監訳者の岩瀬大輔氏(ライフネット生命副社長)と同級生。その岩瀬氏は、「誰もが感じていた不思議な居心地の悪さの正体」と題した解説を書いている。そのなかで本書のフレーズを引用している。
「私たちの社会は、自己陶酔的な表計算屋、パワーポイントのプレゼン屋によってなるほんの一握りの人間の階層に、過大な力を与えすぎてしまったのだろうか?」
HBS学校当局は。本書の内容に反発して、学生の目に触れないよう、ケンブリッジ界隈の本屋からなくそうとしたらしい。あのプライドの高いHBSが、と思えば、そのあわてぶりが興味深い。
オモシロいことに、「アメリカ社会」入門〜英国人ニューヨークに住む〜を書いたコリン・ジョイスも、ハーバードビジネススクール〜不幸な人間の製造工場を書いた、フィリップ・デルヴス・ブロートンも、経歴が非常に似ているのだ。
両人とも、オックスフォード大学を出て、高級紙「デイリー・テレグラフ」に勤務したことのある英国人であり、ジャーナリストである、という点においてである。 (それにしても、英国人でかつジャーナリストということは、こんなにも、シニカルであり、かつフェアであろう、とする不思議な文章スタイルを生み出すのか、と感嘆させられる。)
アメリカ文化に対して、もちろん優れた部分は認めつつも、「正直、子供じみていたり、余りにノー天気過ぎて、付いていけない部分がある」というのは、大方の日本人が感じるところと、そうは遠くなかろう・・。 そのような「相対化」を「ガラパゴスに立て篭もる日本人の居直り」ということではない視点から提供してくれる、という意味で、この2冊は貴重な存在だと思う。
アメリカという国に対して、イギリス人から見ても、これくらい理解できないことや違和感だらけなのだから、日本人が分からなくても、当然だというような希望を貰った気がした。
関連本:コリン・ジョイスが先行して、日本について書いた本

著者:コリン ジョイス
販売元:日本放送出版協会
発売日:2006-12
おすすめ度:

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イギリス人の異常なまでの皮肉っぽさ、とヒネくれっぷり、でも憎めない、そこはかなとない優しさ、みたいな国民性を知る上で、「喜劇は、悲劇の対極としてではなく、その一部として存在する」でも紹介したThe OfficeというBBCで放映のコメディ・ドラマは必見ですぞ!超名作なのであ〜る!。
The Office USリメイク版との違いを、詳細に明らかにしつつ、分析・論評していけば、比較文化論の卒論くらいにはなりそうなネタとも思う。
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1. 皆さんとディスカッション(続x563) [ 防衛省OB太田述正アングロサクソン文明と軍事研究ブログ ] 2009年08月10日 19:06
太田述正コラム#3452(2009.8.10)
<皆さんとディスカッション(続x563)>
<kt2>
<昨>朝NHKの戦争関係の予告を見ていたら、若者がインタビューに答えてこう言っていた。
--国のために死ねというような国なら、そんな国は滅んだほうがいい
--命をかけて守る...
コメント一覧
1. Posted by はじめまして 2009年08月10日 07:55
確か「クラス」(この場合は階級の意味)という本で読んだのですが、アメリカでの階級は「学歴」と直結しているそうです。ですので、そういった大学などのロゴは「神聖」ですし、学歴に関するジョークもないそうです。イギリスのケンブリッジとオックスフォードの比較ジョークなんかはいっぱいありますけど。
アメリカ社会にも階級はありますが、流動化していて目に見えないので、学歴で見せる必要があるのでしょう。イギリスや日本での階級はあるていど固定化されているし、学歴以外のところで決まっていて、(でも上の方の方々はいい学歴が多いですけど)なんとなくわかるので、あえて言う必要はないというのもあると思います。
日本では、中の上ぐらいだといいたがりますが、一流と呼ばれている大学の出身者で聞かれる前に積極的に言う人は、少ないと思います。
例としては、東大・京大・早慶→言わない、明治や日大あたり→言う、っていう感じですかね。もちろん人にもよりますけど。
コリン・ジョイスさん、面白そうですね。こんど読んでみます。
イギリスは島国ということもあって、日本人に本当に似ていますね。イギリスの推理小説が好きで、もう何十冊も読みましたが、本当にそう思います。控えめなところがぴったりくるというか。
アメリカ社会にも階級はありますが、流動化していて目に見えないので、学歴で見せる必要があるのでしょう。イギリスや日本での階級はあるていど固定化されているし、学歴以外のところで決まっていて、(でも上の方の方々はいい学歴が多いですけど)なんとなくわかるので、あえて言う必要はないというのもあると思います。
日本では、中の上ぐらいだといいたがりますが、一流と呼ばれている大学の出身者で聞かれる前に積極的に言う人は、少ないと思います。
例としては、東大・京大・早慶→言わない、明治や日大あたり→言う、っていう感じですかね。もちろん人にもよりますけど。
コリン・ジョイスさん、面白そうですね。こんど読んでみます。
イギリスは島国ということもあって、日本人に本当に似ていますね。イギリスの推理小説が好きで、もう何十冊も読みましたが、本当にそう思います。控えめなところがぴったりくるというか。
2. Posted by nosebleederjp 2009年08月10日 16:42
英国人からすると米国人はたしかに「ノー天気」「あけすけ」なんでしょうね。先日ロンドンで話した友人も「アメリカの友人はオープンでポジティブ過ぎて信用できない」みたいなことを言ってたので。
しかしこういうリアクションもいまさら保守的というより、いまの英国政府は親米歩調だし、英国も金融以外で国力を維持できる産業が皆無のため、なんだかんだアメリカに頼って生きているという感じで、政治経済的にはむなしく聞こえます。
Oxbridgeがどんだけビジネス的に影響力があるか、ということはほとんどなく、ネットワーキングを「実際には彼らの人間関係がそのように機能していることを認めずに」嫌っているところがなんだか今更な感じです。
また、英国は自分たちのこと以外考えなさ過ぎ。イスラエル問題の根源は英国の外交失策によるものだということを今一度考えてほしいくらいだ。
しかしこういうリアクションもいまさら保守的というより、いまの英国政府は親米歩調だし、英国も金融以外で国力を維持できる産業が皆無のため、なんだかんだアメリカに頼って生きているという感じで、政治経済的にはむなしく聞こえます。
Oxbridgeがどんだけビジネス的に影響力があるか、ということはほとんどなく、ネットワーキングを「実際には彼らの人間関係がそのように機能していることを認めずに」嫌っているところがなんだか今更な感じです。
また、英国は自分たちのこと以外考えなさ過ぎ。イスラエル問題の根源は英国の外交失策によるものだということを今一度考えてほしいくらいだ。
3. Posted by mumu 2009年08月11日 00:06
日本の大学生が、大学名のついたビニールバックを持ってるけど、あれ恥ずかしい。
五年くらい前から、流行りだしたけど。
五年くらい前から、流行りだしたけど。