2011年01月22日

台北・Eslite 誠品書店に「書店」が進むべき未来を見た。

つくづく思うが、テクノロジーというものは「残酷」なものだ。 
 
新撰組のように、青春を捧げて剣術の修行に励んでみても、銃を手にした素人には敵わない。ロウソクの明かりに、どのような情緒があると言っても、2011年の今、ロウソクに明かりを灯すのは、誕生ケーキを前にして歌うほんの束の間であり、電灯を使わぬ生活など考えられない。

そのようにして消えていったものは多数ある。帆船、馬車、蒸気機関車、電信、タイプライター。たとえば私の記憶が鮮明にある範囲でも、ポケベルもそうだった。現在、30代の女性が「女子高生」と言われていたころには、「5643(ゴム持参)」といったように数文字の語呂合わせで、友人同士が公衆電話からプッシュ信号を押して、コミュニケーションしていたなんて、今の高校生にとっては、モールス信号なみの時代錯誤に思えるだろう。
 
アマゾンや楽天が覇を競いあう中で、書籍販売に占めるオンラインの比率はますます上昇していく。アメリカでは、BORDERSという全米第二の書店チェーンですら、資金繰りに窮し、出版社への支払が遅延していると聞く。紙の本の流通の仕方が変わるだけでなく、電子書籍、電子出版がいよいよテイクオフすれば、紙の本そのものも(時間はかかるだろうが、徐々に)その存在感を失っていく。

この記事では「(21世紀前半における)書店・本屋の在り方」について書きたいと私は思っている。いま、最も「テクノロジー」の残酷さに翻弄されている業界だ。

最初に断っておくが、私は書店というものについて、かなり特別な思い入れを持っているつもりだ。石川県小松市という地方都市で過ごした私の子供時代、誇張でなく一日数時間は、書店で過ごした。もちろん、たまに買うこともあったが、ほとんどは、立ち読みであった。友達が遊びに誘いに私の実家にやってきて、私が不在にしている母から聞くと、皆、私の行きつけの本屋に呼びに来た。それくらい入り浸っていた。

それほど本屋が好きだった私だが、ここ数年はほとんど足を向けなくなった。ほとんど全ての本をアマゾン経由で買うようになり、以前は最低でも週に1度は行かないと禁断症状を感じたほどだったが、今では、数カ月に一度、待ち合わせの暇つぶしにフラリと立ち寄る程度になってしまっている。

そもそも書店や本屋という職業、業界の根源的な使命、社会への提供価値とは何であろうか?


「黒いインクが印刷された、物理的な紙の束を店頭に並べて販売し、それと引き換えに顧客から、代金を受け取る流通業」というような定義しか出来ないようでは、21世紀の前半のうちに、「書店・本屋」という商売自体が消えてゆくだろう。それは書店の店主や店員さんの一人ひとりが「勤勉」だとか、「怠惰」だとか、「保守的」だとか、そういう次元とは関係のない、ある種の「自然現象」のように進んでいってしまう、と私は思っている。丁度、ロウソクが消え、馬車が消えていったように・・・。

私が思うに「書店・本屋」という業界が21世紀初頭における、もろもろの外部状況を考慮に入れて、その業態と存在価値を再定義すれば、「最先端の文化・教養に対し、単なる「情報」のみに留まらないヒトおよびコトも含めて、新鮮な驚きを持って出会える偶然性(いわゆるセレンディピティと言ってもよい)を提供すること」になるべきではないだろうか。

実は、今回の文章は、台湾は台北に出張したときに、「誠品書店」(eslite book store)という、とんでもなく刺激的な書店に出くわしたことが、初期衝動となって書いている。強引に例えるならば、青山ブックセンターと、インテリアショップのBALS TOKYOと、WAVEとITOYAと、アカデミーヒルズとカルチャーセンターをミックスカクテルにしたような店なのだが、単にモザイク状に各要素をレイアウトしただけでなく、店全体が、きちんと不思議な統一感を持っており、そこには見た目のオシャレさとは裏腹の思想的な骨太さを感じることが出来る。

「誠品書店」は、「書店」とは銘打っているが、書籍以外にも、ファッション衣料や、文房具、雑貨、オモチャなど様々なモノを売っている。また店内のディスプレイは、書籍とそういった雑貨類が厳然と区別されておらず、「ブラブラ歩き」を楽しめるような店内の演出になっている。それくらいであれば、最近は、東京でも都心の大型書店では、ある程度、意識されているように思う。

単なる本屋ではない本屋としての、「誠品書店」の哲学が最も分かりやすく表されているのは、料理本のコーナーだろう。世界各国の料理本が並ぶフード関連のコーナーには、その中央になんと、オープンなキッチンスタジオがある。昨今のカリスマシェフの類は、皆なんらかの料理本を出すような人が多い。ポスターによると、週末には、料理本の著者が自ら参加するイベントして実演調理が行われるのだ。

21世紀型の次世代書店「Eslite 誠品書店」の店内風景

「書店は本を売るところ」というのは、供給者サイドの考え、都合に過ぎない。「料理本を買いに来る」消費者の側の気持ちを考えれば、本当に欲しいのは「インクが印刷された紙の束」ではなく、「いつもの自分のレパートリーを脱し、新鮮かつ美味しい料理を作るためのノウハウ」である。そのためには、DVDだろうが、本だろうが、レシピサイトだろうが、何でもよい。しかしながら、著者本人が自分の目の前で、実演調理をして教えてくれ、そのテキストブックとしてレシピ本が販売されるなら、これに勝るものはないだろう。
 
つまり、21世紀の書店は「情報」を売ってはいけない。いわんや「紙の束」としての本を売るつもりでもいけない。これからの書店は、(自分の狭い興味範囲を超えた)情報との「出合い方」や、自分に必要な情報をもった人物と出会える「機会・文脈」を売っていく気構えを持つべきである。これは、平たくいうと、書店ではなく「知のスポーツクラブ」とでも銘打つべき業態だろうか。月会費制でのインテリ・ホワイトカラー向けのサロン業、つまり、レンタルオフィスやいわゆるサードプレイスの提供(高級自習室の提供)、会員相互のテーマごとのセミナー活動や、トークイベント、カルチャーイベントの開催などまでも手がけていくくらいに覚悟でないと、私が死ぬころには(寿命を全うできるとすればw 21世紀半ばか?)跡形もなく消えているかもしれない。

しかるに、この(自分の狭い興味範囲を超えた)情報との「出合い方」や、自分に必要な情報をもった人物と出会える「機会・文脈」を提供する機能というのは、本来的には、大学のような教育機関の仕事でもある。今や、大学も書店も、その本来的な使命、提供価値(社会人教育のインフラたるべし)において差異がないのだから、境界線が消えていくのだろう。特に都心の大型書店には、圧倒的な知名度、特に場所としての認知度、好立地などの優位性があるのだから、早めに上記のような業態転換にぜひ、取り組んでしてもらいたい。

HERMES(エルメス)というラグジュアリーブランドがある。ロゴを良く見ると今でもその名残をとどめているが、元々は貴族のために馬具を作るのが、このブランドの使命であり、存在理由であった。しかし、20世紀初頭、「自動車」というテクノロジーが隆盛し、「馬具」メーカーとしてのエルメスは、大げさに言えば、存亡の危機に立たされた。しかし、当時のエルメスの経営陣は優れて聡明だった。自動車というテクノロジーが「乗馬」「馬車」という文化を駆逐していくこと単に嘆き悲しんではいなかった。現代の経営戦略論風に言えば、自社のコアコンピタンスを「馬具作り」でなく、超高品質に革製品をデザインし、加工するスキルと捉え、見事に革の鞄をコアにしたハイエンドのブランドとしてドメインの再定義に成功したのである。今、書店業界に(そして、書店だけでなく、おそらく紙の出版業界にも)求められている変化は、このエルメスが果たしたような「自己革新」ではないだろうか。
過激・急進という政治上の用語は、たとえば英語ではラディカリズムという。辞書を引いてみると、ラディカルとは第一義が「根源的」「根本的」ということで、第二義が「急進の」「急激の」ということになっており、ラディカリズムの項には、急進主義というほか、「根本的改革主義」とある。言語学の用語では、ラディカルとは「語根」ということになっている。

松陰はそれらしい。

司馬遼太郎著:世に棲む日々 第一巻 264Pより引用
私はラディカルなことを言っている。上記の引用にもあるように、英語で「ラディカル」とは「過激であること」という意味は実は二義的なもので、第一義の意味には「本源的」という意味がある。時代が大きく動き、社会が変わるときには、目の前の現実を離れ、「本源的に」考えることが、結局は、一番の近道となろう。

書店の社会的使命は、「本源」的に考えるならば、書物の提供を通じ、大げさに言えば「社会や地域住民を啓蒙し、教育し、文化を向上させること」であって、「インクが乗った物理的な紙の束を販売すること」ではないはずである。書店が自身のビジネスドメインを「流通業」と定義する限り、もはやアマゾンに勝ち、さらに電子出版の流れに克つことは絶対に不可能である。(つまり、経営戦略として、書店は「流通業」であってはいけないのだ。)
 
「書店は流通業でない」という事の意味を別の角度から言うとこうなる。古来から、お客の立場から見て、最優秀な書店員や書店主という存在は、肉体労働を厭わずに棚卸しに汗する人間でも、レジを正確に打つ人間でもなかった。配架されてくる本を、その書店での「最初の読者」として読み、自分なりの鑑定眼を入れ込みながら、平積みするかどうか、POPをどう書くか、関連する本同士をどう並べるか、など、頭脳に汗して創意工夫を巡らすような人材こそが、最優秀の書店員、書店主であり、これは控えめにいっても立派な「編集者」「教育者」「啓蒙家」の仕事だったと私は考えている。(学校の図書館の司書を教育者というならば、街の書店の親切オヤジが教育者と呼んでいけない理由はないだろう。)

この拙稿と、拙稿を書くきっかけとなった台湾の誠品書店をロールモデルに日本の書店業界が、その業態についての革新を成功させることを願いながら、更新ボタンを押す。

そして、この「そもそも自分の業界、商売、職業の提供価値は何なのか?」ということについてラディカルに(本源的に)考え抜き、考え抜いたうえで自分たちの提供価値なり、ビジネスの輪郭なりを常に再定義していくということほど、書店業界に限らず、ビジネスに携わっていく上で大事なことを私は知らない。



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1. Posted by https://me.yahoo.co.jp/a/K4mgArQGc_YrNy48.H9MDfJ3C58ZfdRBtw8CMg--#adaa5   2011年01月22日 08:49
ちょうど今、まさしく同じ内容を学生に向けてのスピーチ原稿として書いていたところでした。100%同意します。昨今の電子書籍プラットフォームの乱立がいい意味で淘汰されていくよう、期待しています。
2. Posted by akineko23   2011年03月01日 16:15
私も同意です。

それにしても、
雑誌「リバティーンズ」の休刊において。
「30代前後の知的好奇心のある層が非常に減っている」だそうだ。
そうでしょうか?どう思われますか?

http://www.webdice.jp/dice/detail/2904/

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