旧中山道(ここでは、須原屋本店から北浦和駅方面の浦和橋あたりまで)も、古い建物がだいぶ減り、高層マンションが建ち並ぶ風景となりました。

最近になって、旧浦和市の古民家に訪れる機会が増え、改めて旧中山道を眺めています。


+++

常盤公園と市場通り

P201107_210125_1_003
常盤公園:令和02年11月現在、公園内の整備事業が行なわれています。


旧中山道沿いにある「常盤公園」〔埼玉県さいたま市浦和区常盤〕。
その常盤公園から旧中山道まで続く約100mの道を「市場通り」と言います。

P201107_210125_1_002
市場通り:旧中山道から常盤公園方面を眺める。

P201107_210125_1_001
「市場」の情景をあらわそうと、「市場通り」にはモニュメントが設置されています。




市場通り
この通りの北側にある慈恵稲荷の社頭で、戦国時代以来、昭和の初めまで毎月二・七の日に市が開かれました。
そこでは、農産物や各種の生活必需品が取引されました。現在もそのなごりとして、市神様と市場定杭があります。
これにちなみ、昭和55年9月に当時の歴史をしのぶため「市場通り」の愛称が付けられました。
浦和市 平成6年3月



慈恵稲荷神社と二・七市場跡


市場通りの北側50mの場所に、慈恵稲荷神社があります。

P201107_210125_1_005
慈恵稲荷神社 拝殿


慈恵稲荷社

中山道の三番目の宿場であった浦和宿は、南北10町42間(約1165.6m)の規模を持ち、来たから上町(かみちょう)、仲町(なかまち)、下町(しもちょう)の三つに分かれていた。当社は、そのうちの上町の人々によって祀られていた神社で当初は単に稲荷社と称していたが、後に慈恵の文字を冠し、慈恵稲荷神社と呼ばれるようになった。慈恵の文字を冠するようになった時期は定かではないが、『明細帳』では「慈恵」の文字が後で加筆されていること、「慈恵稲荷社」の文字を刻んだ社号額や社号標が大正14年に奉納されていることから考えると、同年の境内整備や翌年の本殿改築・拝殿新築といった事業を機に改称したものと思われる。

御祭神:倉稲魂命(うかのみたま)




江戸時代から昭和の初期頃まで、この慈恵稲荷神社の前で開かれていたのが、先に紹介した『浦和宿二・七市場』です。

P201107_210125_1_007
「二・七市場」の文字が刻まれた石碑。

浦和市は月6回開かれる六斎市(ろくさいいち)と呼ばれるもので、毎月2と7の日に開かれたため(2日、7日、12日、17日、22日、27日)、「二・七市場」と言われています。
江戸時代、十返舎一九は「代ものを 積重ねしは 商人の おもてうらわの 宿の賑い」と詠み、浦和の市の賑わいを表現しています。

周辺では、蕨(一・六の市/いちろく)、鳩ヶ谷(三・八の市/さんぱち)、与野(四・九の市/しく)、大宮(五・十の市/ごとう)で市が設けられており、毎日どこかで市が開かれていたことになります。


旧中山道沿いはここ最近(平成中期ころ~)高層マンションへの立替が目立ちます。
必ずどこかしらでマンション建設が行なわれている印象。

浦和駅周辺も高層マンションなイメージだな。

昭和後期(昭和5,60年)ころは元気だった須原屋がある辺りの旧中山道も、最近歩いてみると、商業的には元気がなくなっているかな~って思います。

浦和駅東側にパルコができたことと、築4,50年経過した伊勢丹浦和店/コルソ の老朽化も西口が弱くなっている要因かな、って思います。商業圏の軸がずれている感じ。




続きを読む