ガイドのLjudmilaさんが8時半にあらわれた。5月から、メール、skype, 電話で打ち合わせ
をしているので、初めて会ったような気がしなかった。思った通りの可愛いお嬢さん。
まず80キロ離れたバフチサライでカーンの宮殿を見学。途中の海沿いのドライブコースも印象的。クルーズで来たアメリカ人観光客が大勢見学にきていて、大変な混みよう。
http://www.hansaray.org.ua/e_geray_ist.html
宮廷は簡素は木造で、豪華なアルハンブラに比べようもないが、イベリア半島の突端のアルハンブラが1492年に陥落した後に、クリミヤ半島の突端にイスラムの王国が栄えたのが、
不思議な気がした。
プーシキンの「バフチサライの泉」の詩で一躍有名になった涙の泉は部屋の片隅に
プーシキンの胸像と並んで配置。エカテリーナ二世が1787年に訪れ、墓のある裏庭から、室内に噴水を移してしまったそうだ。同時代のポーランドの詩人Adam Mickiewicz もバフチサライの泉を歌っている。
エカテリーナ二世はクリミアで行幸するところ一マイルおきに エカテリーナのマイル
Ekatherina's mileと称して石柱をたてたが、宮廷の門の前にもセバストポルの目抜きの通りにも
たっていた。宮廷の外壁をしっかりと樹齢数百年の桑の木がからんで、崩壊を食い止めている。
昼食はキャラバンサライをまねたタタールレストラン Salachikの中庭で、カバブー、タタールの魚の
スープ等をいただく。食後 ウスペンスキー洞窟寺院とChufut-Kale 空中穴居都市(
別名ユダヤ人の要塞)を
見学。ブナ、かえで、かばの林をかなり登って穴居空中都市にたどりつくのだが、ガイドが勧めるだけのことはある。必見。入場料を払わないで、抜け道を通り、多くの人々が週末には
穴居都市に集い、音響効果のよい穴居の中で楽器の練習をしたり、コンサートをするそうだ。
穴居都市には、深い地下水路がある。シルクロードのカレーズのようなものか。
コンスタンチノーブルのように、いくつもの門があり、外敵から見を守れたせいか、紀元前5世紀から19世紀半ばまで、人間が住み続けたそうだ。
をしているので、初めて会ったような気がしなかった。思った通りの可愛いお嬢さん。
まず80キロ離れたバフチサライでカーンの宮殿を見学。途中の海沿いのドライブコースも印象的。クルーズで来たアメリカ人観光客が大勢見学にきていて、大変な混みよう。
http://www.hansaray.org.ua/e_geray_ist.html
宮廷は簡素は木造で、豪華なアルハンブラに比べようもないが、イベリア半島の突端のアルハンブラが1492年に陥落した後に、クリミヤ半島の突端にイスラムの王国が栄えたのが、
不思議な気がした。
プーシキンの「バフチサライの泉」の詩で一躍有名になった涙の泉は部屋の片隅に
プーシキンの胸像と並んで配置。エカテリーナ二世が1787年に訪れ、墓のある裏庭から、室内に噴水を移してしまったそうだ。同時代のポーランドの詩人Adam Mickiewicz もバフチサライの泉を歌っている。
エカテリーナ二世はクリミアで行幸するところ一マイルおきに エカテリーナのマイル
Ekatherina's mileと称して石柱をたてたが、宮廷の門の前にもセバストポルの目抜きの通りにも
たっていた。宮廷の外壁をしっかりと樹齢数百年の桑の木がからんで、崩壊を食い止めている。
昼食はキャラバンサライをまねたタタールレストラン Salachikの中庭で、カバブー、タタールの魚の
スープ等をいただく。食後 ウスペンスキー洞窟寺院とChufut-Kale 空中穴居都市(
別名ユダヤ人の要塞)を
見学。ブナ、かえで、かばの林をかなり登って穴居空中都市にたどりつくのだが、ガイドが勧めるだけのことはある。必見。入場料を払わないで、抜け道を通り、多くの人々が週末には
穴居都市に集い、音響効果のよい穴居の中で楽器の練習をしたり、コンサートをするそうだ。
穴居都市には、深い地下水路がある。シルクロードのカレーズのようなものか。
コンスタンチノーブルのように、いくつもの門があり、外敵から見を守れたせいか、紀元前5世紀から19世紀半ばまで、人間が住み続けたそうだ。