2011年02月22日

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tabisora at 06:33お知らせ 

2009年12月10日

旅の質問箱「漠然とした将来への不安」

■ 旅の質問箱「漠然とした将来への不安」 ……過去の質問はこちら……

相談になるのかわからないのですが、私は浪人一年目の18歳の女で、今私は大学(観光学部)に通うか、幼稚園の先生になるために短大に進学するか考えています。
色んな地域に行って色んな景色を見たいと思い、観光学部はどうかと考え、写真【風景】にも興味があるので(今は自分のカメラすらないですが)、写真部や旅行サークルに入ろうかと考えていたんですが、今観光系でこの職業に就きたいというのがでてこないので、卒業してどんな職業に就こうかと漠然と不安があります。
それに対して、幼稚園の先生になるために短大に進むというのは、資格が取れて尚且つ将来の職も決まっていて、園児と毎日過ごす日々は仕事内容にも自分は適してるのかなと思ったりします。子育てに専念する為に専業主婦になるのも夢なので、短大に通い、写真部や旅行サークルに入って考えてみて、そしてもし幼稚園の先生になるんだったら休みに海外旅行に行ったり、結婚して家族と旅行したり、写真の方は趣味としておくという道がいいのかなと考えているのですが・・・
どう思いますか? ・・・これは相談なんですかね;


■ 三井の答え

 「これは相談なんですかね」って聞かれても困ってしまいますけど。
 どうしてこのメールを僕に送ってきたのかは、ちょっとわからないのですが(もっと他に適任者がいるようにも思います)、何の因果か僕が受け取ってしまったので、答えてみようと思います。

 最後の「これは相談なんですかね」というつぶやきが、全てを語っているように僕には思えます。
 あなたには「自分がいったい何を相談したいのか」がわからない。それが根本的な問題なのです。
 進学先であるとか、将来の目標であるとか、欲望のありかであるとかが、すべて漠然としていて掴めていないのです。なんかこう全てが「ふわっとした」イメージにしかなっていない。

 「将来はいろんな地域に行きたいなぁ」とぼんやりと思っているから、「それじゃ観光学部はどうだろう」と考えてみる。子供が好きだから幼稚園の先生もいいし、専業主婦への憧れもあるし・・・。
 いや、別にそれでもいいんですよ。そういうことを窓際でぼんやりと考えている人はいくらでもいるだろうし、特に変わった悩みってわけでもありませんし。

 だけどこういう「窓際でぼんやり系」の悩みを、見ず知らずの写真家に相談するというのは、ちょっとどうなんだろうと思ってしまうのです。そんなこと唐突に聞かれても相手は困ってしまうな、という配慮が感じられない。自分のふわっとした悩みを誰もがふわっと受け止めてくれるんだと勘違いしている。それはちょっと問題です。

 もしあなたが自分の将来に対して真剣に悩んでいるのだとしたら、こういうふわっとした状態のままでいられるはずがないのです。「漠然とした不安」を、もっと絞り込んで「現実に私が取りうる選択肢」に変えていかないといけない。
 僕はよく知らないけれども、大学の「観光学部」というのは観光の楽しみ方を教えてくれる学部ではないでしょう? そうではなくて、観光産業をマネージメントできる人材を育成するのが目的なんじゃないですか。そういうところをちゃんと調べてみましたか?

 写真に興味があるんだったら、どうして自分のカメラを持っていないの?
 今どきデジカメなんてものすごく安く買えちゃうでしょう? 散歩がてらに好きなだけ写真を撮ることなんて誰にでもできる。
 なのにそれすらもしないで、「写真は趣味がいいか、仕事にするのがいいか」なんて的外れなことを考えている。

 浪人生なんでしょう?
 だったら一応あなたは「限られた選択肢の中からどれを選び取るのか」という瀬戸際に立たされているはずですね。
 でもあなたのメールからは不思議とその切迫感というか危機感が感じられないのです。「迷っている」って、もうじき受験本番じゃないの?

 でもまぁ、いまさら「マジメに悩め!」なんて言ってもきっと遅いと思うから、別の言い方をしますね。
 観光学部でも、保育士の資格を取りに短大に行くのでもいいから、とにかくどこでもいいから勉強できる空間に自分を入れてしまいなさい。
 漠然とした悩みをいつまでも舌の上で転がしていても、それはずっと漠然とした悩みであり続けるだけだから、その悩みは一時棚上げにして前に進んでみなさいよ。
 それで「あぁ失敗した」と気づくことになるかもしれないし、新しい自分の可能性に出会うことになるかもしれない。でも先のことなんて誰にもわからないんだから、サイコロを振ってでもいいから自分の進む道を決めて、しっかり自分の足で歩いてみなさい。

 そうすればきっとあなたが次の壁にぶち当たったときには、今みたいに「ふんわりした」言葉じゃなくて、もっとソリッドで奥行きのある「自分の言葉」でその悩みを語ることができるはずです。
 健闘を祈ります。



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 旅に関する質問や、写真に関する疑問、旅にも写真にも関係のない質問でも、幅広く受け付けています。
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tabisora at 15:01コメント(0)トラックバック(0)旅の質問箱 

2009年11月30日

旅の質問箱「カメラについて」

■ 旅の質問箱「カメラについての質問の数々」 ……過去の質問はこちら……


 カメラについてのご質問がいくつか届いたので、まとめてお答えします。

●質問1 カメラのメンテナンス

昨年、初めてデジタル一眼で旅をしました。一眼ですのでレンズ交換もしたのですが残念なことに受光素子にゴミがついてしまい、それに気が付くまでの写真は駄目になってしまいました。
満充電バッテリーがあったのでミラーアップでき、ブロアーで運良く目立つゴミが飛んでくれたのでその後も写真は撮れたのですが、三井さんはこのようなトラブルを考え旅先に荷物となるメンテナンス用品を持ち歩いているのでしょうか?


◆三井の答え

 デジタル一眼レフカメラの大きな問題点は、センサー部分に小さなゴミや埃がつくことです。これがやっかいでなかなか取れない場合があります。最近のカメラにはゴミ取り機構を備えたものが多いですが、それとて完璧ではありません。
 僕も自分でメンテナンスするためにブロアーを持っていきます。それで取れないような小さなゴミは・・・諦めるしかありませんね。日本に帰国してからメーカーの修理に出して取ってもらうしかありません。
 でも万が一ゴミが残ったとしても、それが写真に撮って大きな問題になるのは絞りを絞った状態で遠くにある被写体を写す場合(例えば青空なんか)なので、人物スナップやポートレートを撮っている限りはあまり問題にはならないのです。だから「細かいことはあまり気にしない」というのが正解だとも言えます。



●質問2 コンパクトか一眼レフか

やはり発展途上国では一眼レフカメラを持ち歩くのは危険度が増すものでしょうか?
来年も旅行に出る予定で、一眼を持っていこうか、それともコンデジを買い旅に出ようか迷っています。


◆三井の答え

 これはどこかで答えたことがあるようにも思いますが、僕はいつも堂々とカメラをぶら下げて街を歩いています。そりゃ確かに目立ちますけども、小さなカメラをポケットに入れてこそこそと隠し撮りのようなことをするのは、あまり好きではないのです。他の人はどうかわかりませんが、僕の場合にはそうやって撮るとあまりいい写真にならないのです。
 幸いなことに、今までカメラを盗まれたことも奪われそうになったこともありません。あまり疑心暗鬼になり過ぎるのも良くないと思いますよ。
 盗まれたっていいじゃないか、というぐらいのおおらかな気持ちで歩いた方が、いい結果が生まれるように思います。



●質問3 動画の手ぶれ

三井さんは、動画はデジタル一眼の動画機能を使って撮影されていると思うのですが、デジタル一眼で動画を撮ると手振れを抑えるのがとても難しいと思うのですが、手振れ対策などはどの様にされているのでしょうか?
作品を見るとほとんど手振れは気にならずとても見やすいですね。なにか工夫があるのでしょうか?


◆三井の答え

 三脚を立てないで、手持ちで動画を撮影しようとすると、どうしても画像はぶれます。これは防ぎようがないので、三脚を持参していない僕が撮った動画は必ずぶれているはずです。
 でも質問者の方は「ぶれが気にならない」とおっしゃっている。ぶれてはいても、あまりに気ならないレベルのぶれだということです。
 カメラを手ぶれさせないための基本は、静止画撮影と同じように両手でがっちりとホールドしてやること。ただ動画撮影の場合はファインダーを覗くのではなくて、後ろの液晶を見ながらのライブビュー撮影になるので、手ぶれしやすいのは確かです。でもとにかく基本は「がっちりとホールド」です。気合いです。
 それからレンズを広角側で使うと、相対的にぶれは目立たなくなります。望遠だとぶれが増幅されてしまうのです。



●質問4 レンズ選び

来年の二月に東南アジア、一ヶ月間の旅に一眼レフを持っていこうと思います。
使用機種はキヤノンの40Dでこの旅行に合わせてレンズを購入しようと考えていてEF17−40mmF4L、EF24−105mmF4L、EF-S17-55mmF2.8 この三つの中でどれを購入しようか悩んでいます。
三井さんはどれが一番適当だと思いますか?
ちなみにいまのところフルサイズへの移行はそこまで考えていません。


◆三井の答え

 40Dはいわゆる「APS-Cサイズ」のセンサーを持つ機種ですね。この機種には35mmのフルサイズセンサーを持つカメラに比べるとレンズの焦点距離が1.6倍になるという特徴があります。
 この点を踏まえると、この3本のレンズの中では「EF-S17-55mmF2.8」がいいように思います。広角も望遠もそつなくカバーできる焦点距離を持っているからです。僕自身はこのレンズを使ったことがないので詳しいことはわかりませんが、「EF-S」シリーズのレンズはAPS-Cサイズカメラに特化しているので、おそらく40Dにジャストフィットするのではないでしょうか。
 他に挙げられた「EF17−40mmF4L」「EF24−105mmF4L」はどちらも1.6倍すると「帯に短したすきに長し」なんですね。どちらも使いやすいレンズではありますが、基本的にはフルサイズ用だと思います。
 良い標準ズームレンズを一本持っていると、スナップ撮影が格段に楽になります。あれこれ考えずに、撮影だけに集中できるようになります。カメラとレンズと自分とが一体となれるような、そういう感覚が得られればもうこっちのものです。
 がんばっていい写真を撮ってきてください。



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tabisora at 20:13コメント(2)トラックバック(0)旅の質問箱 

2009年11月21日

旅の質問箱「EOS-5Dmark兇砲弔い董

■ 旅の質問箱「デジタル一眼レフカメラについて」 ……過去の質問はこちら……

いつもブログを楽しみに見させていただいております、
40代のサラリーマンです。三井さんの写真に写っている子供達のキラキラした瞳になぜだかわかりませんが癒しに似たものを感じております。
私も旅行は好きで年2〜3回長期の休みではありませんが海外へ行き、趣味の写真を撮っております。
なかなか三井さんの様にうまくはありませんが・・・

実は今回、カメラについてお尋ねしたいことがあります。
キャノンのEOS-D60に始まり20Dを使い始めて5年ほど経ちそろそろカメラの買い替えを考えております。
私の被写体はほぼ100%人物でレンズは標準ズームと、24mmの短焦点レンズの2本をよく使用いたします。基本手持ち撮影で相手とのコミニケーションを大事にしたいので望遠レンズはほとんど使いません。

1.三井さんもお使いの5Dマーク兇鮓‘い靴討い襪里任垢、以前お使いの20Dと比べて5Dの使いにくい点などありますでしょうか?

2.画素数が20D(800万)から5D(2110万)となり撮影時の手ぶれ、ピンボケに対してシビアな取り扱いになるのでしょうか?
また5Dのカタログを見ましたら作例見本のほとんどが三脚に固定されたカメラでの風景写真の様です。
記録画質もRAW設定が多くメーカーサイドの想定しているユーザーは風景、物撮りをターゲットとしている印象をうけます。
(ちなみに私はRAWは扱いが煩わしく、パソコンスペックの関係で現状ではまったく使いません)

3.センサーもフルサイズで高画質を謳っておりますが、人物撮りでは私にはそれほど必要性は感じませんがいかがでしょう・・・
ただ家電製品なみにライフサイクルの短いデジカメですが今回は長く愛用しようと考えております。
5Dをやめ、20Dのバージョンアップ版の50Dにしてレンズに残りの資金をまわす案も検討しています。

いきなり不躾なメールでご迷惑かと思いますがお時間がありましたら返信をいただけたらありがたいです。
ブログの更新と撮影旅行今後も楽しみにしております。


■ 三井の答え

 久しぶりにカメラのご質問をいただいて嬉しいです。最近はもっぱら人生相談窓口になった感のある「旅の質問箱」ですが、たまにはこういう専門的な話題もいいですね。

 僕もEOS−20DからEOS−5Dに買い換えたという経緯がありますから、この質問には僕なりにきちんと答えられるのではないかと思います。
 20Dと5D(あるいは5D−mark供砲箸任蓮画質が1ランク以上違います。これは画素数の問題だけではなくて、センサーの大きさの問題が大きいのです。

 5Dや5Dmark兇覆匹離侫襯汽ぅ叉,任蓮▲譽鵐困良措摸呂鮟淑に生かした写真が撮れるということが大きなアドバンテージになっています。キャノンでいえばLレンズの解像力を完全に生かすためには、やはりフルサイズのセンサーが必要なのです。被写体が生き生きとしてきます。情景が立体的に写ります。50Dのことはよく知りませんが、今言ったセンサーの大きさの問題はいかんともしがたい差として歴然とあるのではないかと思います。
 僕はキャノンの回し者ではないし、スポンサーになってもらったこともないのですが、5Dも5Dmark兇盒Δ砲いぅメラだと思います。どちらを買われても後悔することはないと思いますよ。

 おっしゃるとおり、手ぶれに対しては非常にシビアになっています。でもこれは2100万個もの点を等倍ピクセル表示で見ようとするからであって、普通にA4サイズでプリントしたり、ディスプレイで鑑賞する分には実はまったく問題がない場合がほとんどなのです。
 僕も当初は5D−mark兇亮命燭ピンボケのものが多いように感じていたのですが、実際はそんなことはないんです。高画素になりすぎたおかげで、今まで見えなかったアラが目立つようになった。ただそれだけです。
 ただメーカーとしては等倍で確認したときにちょっとでもブレやボケがあるようだとユーザーから突っ込まれるから、三脚を使用した風景写真を作例に採用しているのではないでしょうか。

 人物写真がメインで、プリントもA4までが主流だとすれば、5Dでも十分かもしれません。マーク2はオーバースペックと言えるかもしれません。でもハイビジョン動画が撮れること、必要に応じて記録画素数を減らせることなどを考慮すれば、マーク2を買って損をすることはないはずです。あとはお金の問題ですね。
 ただ、残念なことにマーク2のダストクリーニング機能はあまり使えません。埃は付いてしまうもので、しかもなかなか取れないとお考えになったほうがいいでしょう。これもまぁ気にしなければたいした問題ではないのですが。

 おっしゃるようにデジカメはライフサイクルが短いものですが、それはそれで仕方がないことだと僕は常々考えています。というのも、デジタルカメラというのは、フィルムカメラにおける「カメラ」と「フィルム」の二つを兼ね備えているものだからです。フィルムは消耗品ですね。常に新しいものを補給していく。デジタルカメラのセンサーもそういうものだと思えばいいのではないでしょうか。

 デジカメにおいてメカニカルな部分での進化はさほど速くはありません。しかし電子部品やソフトウェアの部分での進化は、1年単位で進んでいくものです。それにこれまでフィルム代や現像に消えていたお金を考えれば、どんなに高価なデジカメであってもトータルコスト的には非常に安上がりであることがわかります。

 最後にRAWについて。
 RAW現像は非常に簡単ですし、JPEGで撮ったものをフォトショップなんかで補正するよりも楽なのではないかと思うほどです。5D(あるいはマーク2)を手に入れたのならRAWで撮らないと損です。ぜひお試しあれ。



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tabisora at 13:24コメント(0)トラックバック(0) 

2009年11月10日

鳥肌は立ちませんか?

 「問題な日本語 その3」という本を読んでいたんですが、そこに「鳥肌が立つ」という言葉の使い方について書かれている項目がありました。
 「すばらしい演技に鳥肌が立つ」というのは正しい使い方なのか、という質問が読者から寄せられたようです。

 「鳥肌が立つ」というのは、もともと強い恐怖感や嫌悪感といった不快な状況を表すときに用いられてきた表現で、それが感動・感激を表すときに使われるようになったのは、1980年代以降のことだそうです。
 今では「恐怖」と「感動」は同じような頻度で用いられていて、特に若い人ほど「感動」で用いる場合が多いという調査結果が出ています。
 それを踏まえた上で、この本の著者は「すばらしい演技に鳥肌が立った」とか「鳥肌が立つような名演奏」などという表現は、適切さに欠けるので安易に使うのは避けるべきだ、と書いているのです。実際に鳥肌も立っていないのに強調表現として使うのはいかがなものか、と。

 僕はこの部分を読んで、ちょっとびっくりしてしまったんですね。
 なぜなら、「すばらしい演技に鳥肌が立った」とか「鳥肌が立つような名演奏」というのは、僕にとってはごく当たり前の「実感」だから。実際に、肉体的な反応として、僕はよく鳥肌が立つんです。音楽や映画や写真といった分野で、衝撃を受けたときに立つ。そんな「大衝撃」ではなくても、けっこう頻繁に立つのです。

 だから僕にとっては「○○で鳥肌が立つ」というのは比喩でも誇張でもなくて、ただの「自分の肉体的反応を適切に表した表現」にすぎないのです。「あまりの恐怖に心臓が高鳴った」とか「スリリングな試合展開に、手に汗がにじんできた」といったものと同じレベルです。

 もちろん旅をしているときも、よく鳥肌が立ちます。自分が目にしている景色と、iPodから流れてくる曲のイメージとがぴったりと一致したときなんか、足下から手先までゾワゾワゾワっと「鳥肌ウェーブ」が通過する。
 僕はどうも視覚と聴覚とが同時に刺激を受けたときに強く反応するようです。そういうスイッチが体のどこかにある感じ。

 しかし、この本の著者は違うのです。この人は「すばらしい演技に鳥肌が立った」経験は一度もないし、他人がそれを経験していることも知らないのです。だから「適切ではない」ということが言える。ただの誇張した表現のひとつだと考えているのです。

 これはジェネレーションギャップなのでしょうか?
 著者も指摘するように「感動」の分野に鳥肌が登場するのが1980年代以降のことだとすれば、それ以前の人は感動しても鳥肌が立たなかったのでしょうか?

 あるいは感動したときの鳥肌は、実はごく少数の人間だけに起こる現象なのでしょうか?
 いまでも多くの人は比喩的な表現として「鳥肌が立つほど面白い映画」と言っているのでしょうか?
 うーん、僕にはわかりません。

 みなさんはどんなときに鳥肌が立ちますか?
 

tabisora at 20:05コメント(7)トラックバック(0)日々の雑談 

2009年10月30日

「日本のはたらきもの」を撮る

 「リキシャで日本縦断する」と宣言してから1ヶ月。
 多くの方から応援メッセージをいただいています。本当にありがとう。
 北海道で酪農をしている方や、静岡で無農薬のお茶を作っている方、徳島県のパン屋さんなどなど、日本各地の「はたらきもの」たちからも応援メールが届きました。

 新しい写真集「この星のはたらきもの」はアジア各地で汗を流して働く人々を捉えた本ですが、今回の「リキシャの旅」では日本各地にいるであろう多くの「日本のはたらきもの」の姿を写真に収めたいと考えています。
 ですから、「ユニークな仕事人」「地元に密着したはたらきもの」にぜひお会いしたいのです。我こそは、という方はぜひ三井までご連絡ください。えっちらおっちらリキシャを漕いで、参上します。

 今回の旅では、「目的を絞った旅」と「偶然の出会い」とを上手く組み合わせていこうと考えています。
 リキシャで日本を縦断するというのが、おおもとの目的。
 日本のはたらきものを撮る、というのも目的のひとつです。
 それから、日本各地を走っている「ベロタクシー」にも会いたい。ベロタクシーとは要するに「オシャレなリキシャ」のこと。広告を収入のベースにしているスローな自転車タクシーで、日本各地の都市部を走っているそうです。僕も以前京都で見かけたことがあります。日本縦断の道すがら、このベロタクシーと競走(共演?)したいなぁなんて思っています。

 最初から目的を決めて旅したことは、これまで一度もありませんでした。
 だいたいがいい加減な性分なので、行き先はその国に着いてから地図を広げて決めるという有様。事前になにを撮るのかもまったく決めていなかったのです。

 撮りたいものは、旅を続けていれば自然にわかってくる。美しいもの、心ひかれるものがどこにあるのかが、次第に見えてくる。それに対してただ素直に反応する。そういう旅のやり方を続けてきたのです。

 アジアの田舎を旅するようになったのは、そのような「素直な反応」の結果でした。
 僕は大都会というものがどうにも苦手で、バンコクでもデリーでもマニラでも上海でもどこでもいいのですが、アジアの大都市に行くと途端に写真を撮る気持ちがしぼんでしまう。さっさと用事を済ませて、ホテルに引きこもってしまうのです。

 それが田舎に行くとまったく違ってくる。一気にテンションが上がるのです。
 熱帯雨林の中をバイクで突っ走ったり、田んぼのぬかるみを歩いたり、漁村のおっちゃんたちと酒を酌み交わしたり。そうするうちに自分が大地の中に解放されて、この世界をかたちづくるさまざまな色彩を感じることができるようになる。自分とその土地との距離がすごく近くなるのです。

 子供の笑顔、美少女のたたずまい、働く人の姿。
 これまでの写真集のテーマは、すべてそうやって気ままに旅する中で見つけてきたものです。
 だから僕は一応「写真家」を名乗ってはいるのだけど、写真家として「写真術」を磨いてきたというよりは、「よりよい旅の方法」を模索してきた旅人である、という方が近いのだと思います。

 さっきも書いたように、今回の「リキシャで日本縦断」では「目的を絞った旅」と「偶然の出会い」とを上手く組み合わせようと考えています。
 今までのような偶然性だけに頼った旅は、バイクという軽快な乗り物でアジアを旅するときにはとても効果的だったけれど、リキシャというかなりヘビーな乗り物で日本を旅しようとした場合にはうまく行かないかもしれない。そう予想しているからです。

 なにはともあれ、まずはバングラデシュに飛んで、リキシャを手に入れるところから始めなければいけません。
 早ければ11月下旬から旅に出かけます。

 メディアからの取材のお話、意外なコラボレーションの話も進んでいます。
 詳細は決まり次第お伝えします。


霧深いバングラの朝をリキシャが走り抜けていく。


ターバンを巻いたリキシャ引き


リキシャ引きの父親が子供を堤防の上に立たせている。



tabisora at 16:12コメント(6)トラックバック(0)お知らせ 

2009年10月22日

鹿児島の女子高生

 10月18日に鹿児島の鹿屋市というところで講演会を行いました。
 鹿屋市は鹿児島県の中でも南に位置する、かなりの田舎です。空港から一時間半もバスに揺られて、ようやくたどり着く。そんな田舎町にあるやたら立派な公共ホール(いわゆる「ハコ物行政」の遺物ですね)で講演会などを開いたりして、果たしてお客さんが来るのかとおおいに心配していたのですが、わざわざ宮崎県から車を飛ばして来られた方もいたりして、まずまずの人を集めることができ、主催者共々ほっと胸をなで下ろしたのでした。

 この講演では、地元女子校の書道部員たちが、「スマイルプラネット」の文章を書にしたためて発表するというイベントも行われました。
 書道といっても伝統的な「お習字」っぽいものではなくて、躍動感のある「アートな書」です。これが高さ1m以上もある看板に書かれると、かなりの迫力です。写真と書のコラボレーションというのは見たことがなかったけれど、とても新鮮でした。


これが書道部員が書いてくれた書




 書道部の女の子たちは、みんなとても素朴(と言ったら怒られるかな?)でかわいらしい。東京のジョシコーセーのようにスカートを思いっきり短くして、茶髪で、デコケータイで写メ撮りまくり、みたいなんじゃない。シャイでおとなしい。校長先生ともお話ししたのですが、鹿屋女子高校はこのあたりでも真面目な学校として有名なのだそうです。
 そんな書道部の女の子たちも、やっぱり恋愛のことは気になるようで(といっても彼氏のいる子はゼロだとか)、ある子は「私は身長175cm以上じゃないと絶対に付き合わない」なんてずいぶん挑戦的なことを言っていました。
「じゃあキムタクが付き合ってくれって言ったらどうするの?」
「わたし、キムタクは顔が好みじゃないんで」
 君も大人になればわかるよ。男は身長でも顔でもないってことが・・・なんて言わなかったけれど。
 なんだかこういうのもかわいいですね。



 講演会を仕切ってくださったコスギさんによると、鹿屋の人は地元志向がとても強いんだそうです。コスギさんの娘さんも地元から離れようとしない。
「離れるんだったら応援するぞ」と言っても、
「ここがいいんだから」とまるで取り合わない。
 確かに住み心地の良さそうなところです。気候は暖かいし、農作物は豊富だし、人々はのんびりしている。外出時にも鍵をかけないという安心社会だし、ご近所からのもらい物だけで暮らしていけるような古き良き共同体が残っている土地でもある。
 ややのんびりしすぎていて、「約束の時間に30分遅れても誰も文句を言わない」というアバウトさもあるようです。時間に追われている都会人から見れば別世界のような暮らしです。

 でも、のんびりした田舎には馴染めない、俺は刺激の多い東京へ出て一旗揚げるんだという野望にあふれた人もいます。国生さゆり、哀川翔というのが鹿屋市出身の有名人なんだそうですが、どこか傾向が似ていますね。(ちなみに長渕剛も鹿児島市出身だそうで・・・)。

 今回は駆け足の滞在でしたが、来年の「リキシャの旅」では鹿児島の各地を回ってみたい。そう思ったのでした。


はい、私も一緒にピースです


tabisora at 12:20コメント(1)トラックバック(0)日々の雑談 

2009年10月15日

NHK教育テレビ「美の贈りもの」に三井が出演します

 三井がNHK教育テレビに出演します。
 10月30日(金)午後10:25から放送される「ETV50周年スペシャル・美の贈りもの」という番組の中で、画家・石田徹也さんについて語ります(三井の登場は番組の終わり頃です。再放送は総合テレビ11月8日と、教育テレビ12月31日にあります)。

 石田徹也さんは31歳の若さでこの世を去った僕と同年代の画家です。
 一貫して奇妙でグロテスクで非現実的な世界を描きました。学校の校舎にとらわれて動けない男。飛べない飛行機になった男。自分の墓石の前に座り込んだ男。古代の生物を抱えて涙を流す洗面台になった男。独特の世界です。

 僕が石田さんの絵に強い衝撃を受けたのは、「個人の個別性を圧殺する巨大なシステムを前にして、何もできないでいる人間」「叫びが聞き届けられないことへの苛立ちと閉塞感」といったものが、執拗にとても具体的に描かれていたからでした。

 僕らはモノがあり余る豊かな時代に生まれた。扉の前に立てば勝手に自動ドアが開き、コンビニに行けば無言のまま欲しいモノが手に入る。便利で豊かだけれど、生きているという実感を欠いた平板な世界。

 石田さんはそんな世界に対して異議申し立てをしていたのだと思います。非常にストレートに、ある意味ではドン・キホーテ的に「システム的なもの」に向かって突進していた。その姿が、見る者に切なさや、痛々しさや、共感を覚えさせるのです。
 NHKの番組ディレクターの方がおっしゃっていたように、石田さんは「時代に殉じた人」なのかもしれない。

 石田さんは生前には一般にはほとんど知られておらず、亡くなってから一気に評価が高まった画家です。「作者がすでに死んでいる」という事実が大きな注目を集め、生前望んでいても与えられなかった評価をもたらすことになった。本人にとってこんなに皮肉なことはないでしょう。

 でも僕らはもう「作者が死んでいる」という事実を抜きにして、まっさらな状態で絵に向かい合うことはできません。
 すでに「この世にはいない作者」の目を通してこの世界を眺めるという「不条理な物語」こそが、今の石田作品の力になっているのです。それは作者の死後に与えられた力なのかもしれないけれど、誰にも真似することのできない特別な力であることは確かなのです。

 さて、そんな石田さんについて、なぜ僕が語ることになったのか?
 不思議といえば不思議な話です。だって写真家として僕が撮っているのは、石田さんの絵とはまったく違うものだから。
 陰と陽、ネガとポジ、月と太陽、深海と大陸、ぐらいに違う。

 たぶん、そういうところが面白かったんだと思います。
 僕は石田さんの絵に強く惹かれている。共感を覚え、心を揺さぶられる。
 だけど、表現の方向性は正反対である。
 番組ディレクターはそのことに興味を覚えたのだと思うのです。

 番組では八王子で写真を撮る僕の姿もちらっと出るはずです。ディレクターに頼まれたんです。
 八王子市役所の近くの河原をぶらぶらと歩きながら撮ったのだけど、なかなか面白い体験でした。
 ヤンキー風の高校生やら、犬を散歩している奥さんや、コーヒーを飲んでのんびりと世間話をしているおじさん。河原にはいろんな人がいて、それぞれのやり方で秋の昼下がりを楽しんでいたのでした。



tabisora at 11:59コメント(0)トラックバック(0)お知らせ 
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三井昌志プロフィール
1974年生まれ。東京都在住。
旅写真家・フリーライター。
機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。
帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。旅した国は36ヶ国。
2003年12月には初の写真集「アジアの瞳」を出版。
2005年9月には写文集「素顔のアジア」を出版。
2006年8月には、写真集「アジアンスマイル」シリーズの第1弾と2弾「美少女の輝き」「子供たちの笑顔」が同時出版される。

2006-08年にはバイクを借りて気ままにアジアを旅する「バタフライ・ライフ」を堪能。この自由な旅の魅力を伝えるための新ブログを立ち上げる。

三井昌志の本

「この星のはたらきもの」
「働く人は美しい」をキーワードに、働くこと、生きることの喜びにあふれた人々の表情を世界中から集めました。
(2009/10 パロル舎)



「スマイルプラネット」
この世界にたったひとつしかない、とびきりの笑顔を探して、ぼくは旅に出た。かけがえのない「笑顔の星」へのメッセージがつまった一冊。
(2008/10 パロル舎)



「子供たちの笑顔」
笑顔には国境なんてない。遊び、学び、働き、共に笑う…。アジアで暮らす子供たちのありのままの姿を収めた写真集。
(2006/08 グラフィック社)



「美少女の輝き」
ある時期に現れ、ある時期になると消えてしまう。そんな特別なオーラを身につけた少女たちの輝く瞳を集めた写真集。
(2006/08 グラフィック社)



「素顔のアジア」
津波後のインドネシアや内戦後のアフガニスタンを歩き回り、人々の逞しさと笑顔の価値を知った。旅写真家の新境地。
(2005/09 ソフトバンク・クリエイティブ)



「アジアの瞳」

会社を辞めて出かけたユーラシア一周の旅。初めての海外旅行で出会った人々の姿を写真に収めた。旅写真家の出発点。
(2003/12 スリーエー・ネットワーク)

※ 各写真集は「たびそら@通販部」でお買い求めいただけます。



たびそら・関連商品

CD-ROM2005
未公開の旅行記と高画質写真を満載したCD-ROMの第三弾です。(1600円)


CD-ROM2004
ホームページでは未公開の旅行記と高画質写真を満載したCD-ROMの第二弾です。(1600円)



CD-ROM2001
三井の旅の原点「ユーラシア大陸一周の旅」の全貌が明らかになるCD-ROM。未公開の旅行記と写真も多数収録。(1600円)



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