積極的たなぼた主義!
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・会社の中で新しいビジネスを立ち上げる役割を担っている方
・新商品に関する販促企画プロジェクトメンバーになっている方
・組織マネジメントの改善等で事務局を任せられている方
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社内の抵抗にあったり、壁にぶつかっていたりしてはいませんか?
でも、そんな場面と日々葛藤しているのは、あなただけではありません!
かつては私もそうでした!元窓際の事業立上げ人森丘貴宏です。



2007年05月06日

窓際改め元窓際

 一度入ったスイッチは、
なかなかおいそれと切り替らないものだと
 痛感したこの2ヶ月間。

 というのも、3月に突然ある異変が
私の身に起こり、これまでの生活パターンと、
 それに伴う感覚が一遍してしまったのだ。

 5月から子会社へ出向となった。

 どうサバを読んでも大きな会社とは言えないし、
正直自分には畑違いの分野であることは否めない。

 それでも、私は行くことに決めた。

 理由は簡単である。

 私のやりたいことがやれる場所だと思ったからである。

 どんなに練習を積んでも、試合に出れず
ベンチを暖めているのには甘んじたくなかった。

 レギュラーとして試合に出場出来るチーム
でプレイがしたかっただけだ。

 チームの大きさは今の私に関係ない。

 そう決めた瞬間、私は窓際ではなくなったのである。

 なのでこのBlogはこの更新を以って、休刊することにした。

 また、それと同時に同タイトルのメルマガも、
次回で最終号とすることをすでに決めている。

 とてもいい備忘録になったと自分は思っている。

 先程スイッチが上手く入らない、
みたいなこと言ったのは、
 要するに窓際人としてやって来たこと、
言ってきたこと、考えて来たこと、
 そのすべてをこれからは、
実際にステージ上で自分が実践するのかと
 思ったら、正直戸惑ってしまったのである。

 「脱たなぼた」なんてことも言って来た。

 でも実際に自分が窓際から這い上がれたのは、
「たなぼた」以外の何者でもないと、実感している。

 もっと言えば、

 「積極的なたなぼた狙い」の結果なのである。

 しかし、何処でどうやって狙ったのか!

 その答えはこれとこれ...などと数えられる
ものではない、どの様にしたか、すでに記憶に
 ないものも多数ある。

 ただし、窓際だった約6年間を振り返り
言えることは、いつの頃からか、自分でも
 気付かないうちに、「自信」という二文字が
 私の中に沸々と、しかも静かに沸いて出た頃、
その兆しはあったのだと思う。

 それは恰も硫黄臭い温泉の様に、
全く私の予期しないあるヒトの鼻に、
 つーんと届いてしまったようだ。

 そして、そのヒトから声をかけてもらい、
期待を込められ、働く場が与えられたことで、
 私は窓際ではなくなった。

 棚から牡丹餅とは

 「棚から牡丹餅が落ちてくるように、労せずして思いがけない幸運に巡りあうこと。略して「棚ぼた」ともいう。」(「ことわざ」新辞典 高橋書店)

 労せずという部分が多少ひっかかるところだが、
私は脱たなぼたと言いながらも、
 本当はたなぼたを期待していたことを否定しない。

 ただ、誰でも彼でも、日頃努力も何も
しない者の上に、牡丹餅は落ちてこないと
 強く思っている。

 たなぼたは、一種の予期せぬ現象であることに
間違いはないであろう。

 茂木健一郎さんが著書(「脳」整理法 ちくま書房)の中で、

「半ば偶然的に、そして半ば必然的に起こるような出来事」
を「偶有性」と説明している。

 偶然的と必然的、そういえば先日亡くなった植木等さんが
こんなことを言っていた。

 「やりたいこととやらなきゃならないことは別だと教えられた」

 植木さんが当時やらなきゃいけなかったこととは、
「スーダラ節」を歌うことである。

 ご存知のとおり「スーダラ節」は大ヒットし、
本当は歌いたくなかった植木さんの人生は、
 その後大きく変わったのである。

 スーダラ節を歌うことになったのは、
ある意味偶然的だったのと同時に、
 一方で植木さんが歌うことは必然的であり、
つまりはそこに偶有性が存在していたと思うのである。

 茂木さんは同じく著書の中で、

 「偶有的な出来事の中には、必ず不確実性があります。」
と書いている。
 
 不確実性とは、般若心経の一節

 「色即是空 空即是色」と私は意味同じくし
解釈している。

 (偶然、茂木さんのBlogである日「色即是空...」に
ついて書いてあったのを読んで実にびっくりした。)

 形あることは、そのまま、なにもないことであり、
なにもないことは、そのまま、形あることである。

 そう考えると、私が窓際時代にやって来たことほど、
形があるようでないようなものであったのだと、
 つくづく感じてならない。

 「積極的なたなぼた」などとのたまったが、
コレとてまさに不確実なものであり、
 理屈の通らない話しだ。

 それでも私は、現実に窓際から脱することに成功した。

 まさに偶有性以外の何者でもないと思っている。

 ところで私は、本当に窓際から抜け出したかったのだろうか?

 自由に使える時間がたっぷりあり、
自分一人である程度のことは、
 何でも決めることが出来ていた
生活が楽であったはずではなかったのか。

 断ることだって出来た。

 それをしなかった理由は何故か...

 確実なことは言えないが、何となく私の身に起こる
偶有性を信じているからなのである。

 凶と出るか吉と出るか、
成功するかもしれないし、
 失敗し再び窓際に逆戻りするかもしれない。

 その確率は五分五分、いや成功<窓際と
考えるべきかもしれない。

 それは決して悲観的ではなく、
現実的な見方をしているだけだ。

 平たく言えば、どっち転んでもいいような体勢は
常に準備出来ている。

 もし数年前にこの話しが来ていたら、
間違いなく断っていたことだろう。

 それは単に窓際としての過ごし方を
完全に自分の中で見出せていなかったからである。

 窓際として過ごして来たこの6年間は、
今にして思えば、窓際から抜け出るための準備期間
 であったように思えるのだ。

 プロ野球で言えば、1軍と2軍の違いみたいなものである。

 今や窓際になっておろおろすることがなくなった以上、
何度でもやり直せると言う「自信」が持てるようになった以上、
 私にはほぼ恐れるものがなくなりつつある。

 愚直かつ辛抱強くやった者が最後には勝つ、
と信じている。

 このBlogの最終回に相応しい内容になったか、
いささか不安であるが、今日は連休の最終日、
 残念ながら雨となってしまったが、
お陰で久し振りにパソコンに向かい、
 じっくりと自分の思いを書くことが出来た気がする。

 先日新しい職場で初日を過ごした時、
一日があっという間に過ぎて行った。

 あんな感覚は、おそらくここ何年も味わったことがなかった。

 そんな状況に身を置けるだけで、それだけで今は嬉しい。

 新しい背広、新しいYシャツ、新しいネクタイに
新しい靴、そして新しいカバンをこの機会に買い揃え、
 床屋さんで髪もうんと短く切った。

 形からでいい、今の気持ちを素直に表したかった。

 いよいよ明日から本格的に、新しい生活が始まる。

 たまには、ここへ書いたことを赤面しながら読み返すことだろう。

 そして、また違った形で何か表現出来る場を、
少し落ち着いたら、持ちたいと思っている。

 一年間このBlogを読んでくれた人にあらためて感謝したい、

 どうもありがとう!

 また会おう。

 −自分をあきらめなかった男より−