世界のひずみにあるしん太の棲み家

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はじめ

Date :
2010年07月31日
Category :
小説



はじめは目を閉じている。三角座りをしている。もう随分長い間そうしている。貝の様に固く心を閉ざして、「事」が済むのを待っている。彼の体の至るところには無数のあざが存在しており、額からはうっすらと血が流れている。彼はもう泣かない。涙はとうの昔に枯れ果てた。感情は日を追うごとに鈍くなっている。彼の顔から表情というものが消えてしまった。抵抗するすべを持たない彼は、今日もゆっくりと自らの内面の海の底へと潜って行く。そこだけが彼の唯一の安息地だった。


       ココデハナニモカモガシズカダ


 はじめの父はリビングルームで、はじめを殴打し続ける。リビングルームのちょうど中心点で座る息子に近づいては拳を頭に、腕に、脚に、わき腹に叩き付ける。そして、離れたかと思うと扇風機やトースターや電子レンジなどを投げ付ける。
 巨大な窓から差し込む熱い陽射しが、ジリジリと彼等二人を焦がす様に照らし続けている。

「はあはあ、いい加減、パパの期待に応えてくれる子になるよな? はじめ」
 そう言って父はまた彼の息子のわき腹を、思い切り蹴り付けた。
 はじめは大きな音を立てて、床に叩きつけられたが、すぐに、無表情で、もとの三角座りの姿勢に戻った。その素早い動きはゴムを思わせた。はじめは海の底で様々な「存在」達を目にする。大勢の小人達や動物達がはじめの目の前を行き交うのだ。
 小人の行列がはじめの前を横切っていく。はじめはうっすらと微笑む。


        ココデハナニモカモガシズカダ




 その日もはじめはリビングルームの中心で座り込んでいた。ポカポカと暖かい太陽の光が彼を包んでいた。彼はまるで光とたわむれているようだった。
 リビングに近づいて来る足音が聞こえる。その音の調子から、近づいてくるのが父だとはじめにはすぐに判った。彼の座り方は、また、きつく締められた三角座りへと変化した。
 バタン!と大きな音を立てて扉が開かれる。
「はじめ! お前がずっと小学校に行かないから、お父さん、近所の人に変な目で見られるんだよ! 明日は学校行くよな? は・じ・め」
 そう言って父はまた息子のわき腹を力いっぱい蹴り付けた。近頃、わき腹の同じ箇所を蹴るのが癖になっているのだ。
 うう……、とはじめは呻き、数十秒間、床に倒れ込んだ。しかし、彼はまたもとの姿勢に戻る。
「行・く・よ・な? は・じ・め」
 父ははじめの頭を、思い切り平手で叩く。
 パアン!という音がリビングに響く。
 テレビでは子供の虐待のニュースが流れていた。父はそれをチラッと見て、フンッと鼻で笑った。
「お・ま・え・が・わ・る・い・ん・だ・か・ら・な。は・じ・め」
 パアン!




           ココデハナニモカモガシズカダ


 今日もはじめは父から逃れるため、自分の内面の海の底に潜っていた。今日は動物達がパレードを行っていた。うさぎや像や熊が派手な衣装に身を包み、楽器を手にして行進している。はじめは手を振る。動物達ははじめを見てにっこり微笑む。
 はじめは随分長い間パレードを眺めていた。すると彼に一人の男が近づいて来た。グレーのスーツに身を包み、ピンクのネクタイをしていた。その男の髪は七対三にきっちりと分けられ、カチカチにヘアースプレーで固められていた。度のきつい黒縁の眼鏡をかけていて、そのレンズがキラッと光っていたので、はじめには彼の瞳がよく見えなかった。
「こんにちは、はじめ君」
 男は言った。
「こんにちは、あなたは誰ですか?」
 はじめは問うた。
「私? 私は先生です」
「先生?」
「そうです。私は子供達皆の味方です」
「味方? 子供の?」
「そうです。だから、君の味方でもあるわけですよ」
 そう言って男はにっこりと笑った。
「僕、パパにいじめられてるんだ」
 はじめは言った。
「知っています」
 先生は言った。
 はじめは先生を見つめた。
「助けが必要な時は、私を呼びなさい」
 先生は言った。
「はい!」
 はじめは大きく返事をした。




 父がはじめを殴打する。はじめはいつもの様に、潜る、潜る、潜る。
 海の底に辿りつく。
「せんせーーーーーーーーーーい!」
 はじめは大声で呼んだ。
 しばらくするとはじめの背後で声が聞こえた。
「呼びましたか? はじめ君」
 先生だ。
「先生、助けて!」
 はじめは叫んだ。
「わかりました」
 先生は言った。


「ここで待っていなさい」
 先生はそう言うと海上目指して、泳いで上昇していった。



 父ははじめを殴り続けている。
「はあはあ、はじめ。いい加減いい子になるか?」
 興奮した父ははじめに尋ねる。はじめは沈黙している。しばらくの静寂の後、はじめの体が突然、ビクビクッと痙攣した。
「はじめ君のお父さんですね?」
 はじめは言った。
「何だあ? はじめ」
 父はいぶかしげな顔ではじめを見つめる。
「はじめではありません。先生です」
 はじめはゆっくりと立ち上がった。父は驚いて、はじめの動きを目で追った。はじめはゆっくりとキッチンへ向かって歩き出した。そして、右手に包丁を、左手にナイフを持ってゆっくりと戻って来た。






「天誅ですよ……」






 はじめはニヤッと笑って、そう言ってから、父の首を、わき腹を、胸を、腕を、脚を、次々に刺していった。何度も刺した。鮮血が床一面に広がった。





 おわり
 
 
 

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