□日本人のY染色体ハプログループは、図21に示すようにD1bの縄文人、O2b1aの弥生人を主体とする構成となっています。 

D系統は世界的にも極めて稀であり、日本人以外ではチベット人、インド洋に浮かぶアンダマン諸島のジャラワ族、オンゲ族、フィリピンのマクタン島、グアム島のみで検出される系統です(図の濃い緑と黄緑)。 
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D1bは、本土日本人、アイヌ人、沖縄人に固有に見られ、天皇家もこの系統に属するそうです。

このD系統は朝鮮人や中国人には殆どみられない系統であり、日本人のアイデンティティの原点であるといえるでしょう。
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(図はこちらから)

□ 精子が持っていたミトコンドリアDNAは受精の際に破壊されてしまい、子孫には伝わらない。
だから各自が持つミトコンドリアDNAはその性別に関係なく母親と同じものになる。
一方、Y染色体を引き継いだ受精卵は男になるので、結果的にY染色体は父親から息子へと受け継がれる。

相同染色体同士は、組み替えとよばれる遺伝子のやりとりをするが、X染色体とY染色体との間ででは、ごく一部の領域を除いて遺伝子の交換は行われない。
だから、メカニズムは違うがY染色体もミトコンドリアDNA同様、組み替えによる変化をしないで子孫に伝えられる。 
だから、ミトコンドリアDNAと同じようにY染色体のDNAも系統を追求する研究に適している。 

□国内でのD1bの分布を考えたら、D1bを天皇のDNAと考えるのが自然でしょう。

今から7~800年前あたりから目立って増えてるY-DNAがD1b1a2ですから、これは時代的に武家の台頭と重なります。

特に源氏、平家が皇別氏族であることは間違いないので、天皇家はD1b1a2だったという事でしょう。

鎌倉幕府を開いた頼朝や、足利氏、新田氏、徳川氏も源氏の出身と言われています。
日本は幕藩体制ですから諸大名も多くの子孫を残したのは間違いないでしょう。
武家は繁栄順に源平藤橘と言われましたから源、平、橘が皇別ですので彼らが多く子孫を残したのでしょうね。 

□ 日本人のY染色体DNAのハプログループは、縄文人の流れを組む日本固有のD1b(D-M64.1) 系統が40%であるのを筆頭に、以下、弥生人のO2b1a(O-47z)系統が25%と続く。 

皇室は、第113代 東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析により、縄文人のD1b(D-M64.1)に属するD1b1a2の系統と言われ、明治天皇も東山天皇の男系子孫に属する。 

一方でネット情報では、日本の皇室をO2b1a(0-47z)系統とする、出所不詳の説があり、これは韓国人男性に多いO2b1b(0-L682)の系統に近い種であると意図的に錯覚させようとするバイアスがかけられている疑いがあり注意を要する。

また、
・皇室、伏見宮系、近衛家(皇別摂家)、徳大寺家(皇別摂家)のサンプルを解析し、Y-DNAハプロタイプの一致が見られる。 

・桓武平氏、清和源氏、宇多源氏等、天皇家から分かれたとされる 一族の子孫のサンプルを解析し、多くのものにY-DNAハプロタイプの一致が見られる。

中世以降の日本最大の血族は、清和源氏・嵯峨源氏・宇多源氏や、桓武平氏などに代表される賜姓皇族であり、ライバルはない。 

ハプログループD1b1a2の最頻値ハプロタイプ近辺には、1000年程度内に共通祖先を持つ推定600万人が集中していて、並ぶものはない。 
ゆえに平安以降の天皇と本来の武士は縄文人で疑いない。 

水野論文は有料だが、データはYHRDにアップされているから、厨房でも無料で確認できるぞ。 

さらに言えば、現在日本で一番繁栄してるのは 縄文系D1b1a2系統。 

D1b1a2 modal : 17 14 31 25 10 11 13 13,17 10 12 14 19 15 15 21 11 
サンプル27 日本全域に分布、源氏=平安時代以降の皇室はこの系統で確定 

二番がO2b1a 
O2b1a modal : 15 14 30 22 10 13 13 10,20 13 12 14 18 15 17 20 12 
サンプル9 分布に偏りあり、中臣・藤原氏系統 

三番がD1b2 
D1b2 modal : 15 13 30 25 10 11 13 14,17 10 12 14 17 16 15 21 12 
サンプル9 物部・石上氏や出雲国造などにつながる古代氏族系統 

O3は亜型数種に分散して少数。最大サンプル3、渡来氏族の系統

□遺伝子解析の結果、出雲千家の男系子孫のY染色体遺伝子のハプログループはD1b2であると確定したため、古代出雲王朝は渡来系征服王朝であるという説は完全に否定されてしまった。 

古代出雲王朝は、大和朝廷となんら変わることのない縄文系の王を掲げた日本列島土着の王朝であると遺伝子解析により証明された。

また、天皇家のY染色体ハプログループと思われるD1b1とは別のD1b2であったことから、どちらも三万年前から日本にいた土着民の王であることはまちがいないものの、古代出雲王朝という天皇家とは異なる縄文系王朝が歴史上には一度は存在した可能性を示唆している。

□ 物部氏の子孫で、出羽国雄勝郡(秋田県湯沢市)出身の人のdnaの結果は、D1b1d1(D-CTS3097)だったようだ。

D-CTS3097 
Keisuke Obara from Akita-Yuzawa, Mononobe
 

□そもそも「男系が断絶しやすい」という前提じたいが、「特定の男系が一夫多妻を繰り返す」ために生存競争が激しい、ということを意味する。 
(つまり)「特定の男系が一夫多妻を繰り返す」=「特定の家系が支配階級となっている」 を意味する。
これは、単なる確率論的ゆらぎでは説明できない。 
現にミトコンドリアタイプでは「わずか45世代で一人の先祖にたどり着く2集団」のようなものは日本人の中に検出されていない。 
これは女系の場合「一妻多夫」のような現象でたくさんの子供を作ることができないからである。 

Y染色体に限っては「わずか45世代で一人の先祖に到達する2大男系集団」が検出できるのは、支配階級が一夫多妻を繰り返したためにほかならない。 

それは歴史を紐解けば、皇胤(こういん)と藤原氏のことなのである。 

すなわち「ジンギスカン血統原理」が支配した中央アジアで、ジンギスカンの男系子孫が1600万人にもあらわれるのと全く同じ現象が、日本にもあらわれているのである。

これは日本が1000年以上に渡って皇室と藤原氏の血統を尊重したあらわれである。
そして、それはY染色体にはっきりと証拠づけられているのである。 

□ いつの世も、先に死んでいくのは下々の者からです。 
その死の原因は、「戦い」「飢餓」など様々です。 
「戦い」では君主よりも雑兵が先に死ぬし、「飢餓」でもそうです。 
従って、家(名字)が長年にわたって続いていくためには、「ある程度の社会的な地位があって裕福であること」という要件が重要となってくるのです。 

そして、家が続くための要件の一つに血統が続くことがあります。 
この要件においても、「社会的な地位があって裕福であること」は優位性を持ちます。 
なぜなら、中世においては上流社会を中心に一夫多妻的な側面があったので、裕福な家ほど跡継ぎが続く可能性が高いからです。

しかし、それでもなかなか難しい。
それは江戸時代の徳川将軍家を見ても、十五代の将軍家が代々スムーズに続いているわけではないことでもわかるでしょう。
これほど、血統や家が長い年数にわたって続くことは難しいのです。
逆説的に言えば、今ここに生きている私たちの先祖は「貧乏な下々の者である可能性よりも、社会的に地位のある裕福な家」であった可能性が非常に高いのです。

□ イギリスの人口歴史学者によれば、支配階級は被支配階級より子孫を残しやすいので、イギリスの系図を詳しく検討すると、およそ600年もすると全国民が支配階級(王侯貴族)の子孫になるのだそうだ。 

支配階級が一夫多妻を繰り返した日本ならなおのこと。 
日本の名字の多くが、源平藤橘を起源とする伝承を有するのは、 科学的にも全く自然なことであるらしい。 

□O-47zは、中臣氏・ 忌部氏、藤原氏(タコ注:ただし藤原不比等:ふじわらのふひとは天智天皇の落とし子の可能性が高いのでその兄弟・親戚やその祖先の中臣氏・ 忌部氏)の可能性が高い。 
彼等は弥生系だ。 

一方、皇室・アイヌ・北琉球系の人物は、D-M55系統に属する可能性が高いらしい。
STRの比較から同一先祖を推算した結果、ある時代の支配者層に居た一夫多妻の人々に帰結するのだそうだ。 

ソースはこれ。 
"Imperial family descended from Jomon-Ainu of Japan" (リンク切れなのでスクリーンショットを貼っときます)
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The Japanese monarchy (Imperial House of Japan) is the oldest continuous hereditary monarchy in the world still in existence. 
It has "reigned since time immemorial." Imperial family's genealogical tree sparked the interests not only by Shinto priests, but by anthropologists/geneticists. In this article, we aim at demystifying the lineages of Japanese imperial family for encouraging the further researches in this field. 
"Genetic Evidence"Most scientists agree on the use of SNP on non-recombining portion of Y-chromosome, known as Y haplogroup. 
Majority of Japanese males had genetic markers specific to Japanese islands as well as Okinawan.
"Birth rates of ruling family"Ruling family and group often dominates in social ranks, and more controversially, in reproductions. Using Y-chromosome data, Genghis Khan's offsprings may have been 16 million people, suggesting that the group of larger disributions could be much likely to be the rulers genetic make-ups.
Japan is the oldest continuous hereditary monarchy in the world, and unlike briefly 
ending rulership of Genghis Khan's heirs, Japanese imperial family and their associates dominated Japan for more one thousand years. 
Thus, rough estimations of how likely imperial family belonging to each Y-haplogroups may hold equality relation with the frequencies - distributions of Y haplogroup.
To this extent, it is natural to expect that there would be more than 60% probability of Japanese emperor descending from the Jomon - Ainu people of Japan. 

【訳】
日本の皇室は、漢民族、蒙古族や朝鮮族からは検出されない、Yap遺伝子を持っていることが分子生物学の研究結果から明らかとなった。 

皇室のみならず日本人男性のY染色体は、約40%がこのYap遺伝子を持つD1b単倍体群に属し、アジアでは、チベット人や、中国広西省、雲南省に住む少数民族や、アンダマン 諸島のオンゲ族、ジャラワ族、フィリピン、グアム島民から少数見つかっている。 

日本は、D1b単倍体群のアジア最大繁栄地で、
北海道を拠点としてしてきたことで知られるアイヌ人からも、 このYap遺伝子が 88%という高頻度で検出されたことにより、日本の皇室と アイヌ人は父系を同祖とするY染色体の単倍体群に属することが明らかとなった。 

さらに、皇室・アイヌ・北琉球系の人は、
D-M55系統に属する可能性が最も高く、STRの比較から同一先祖を推算した結果、ある時代の支配者層の一夫多妻の
一人の男性に帰結することを明示している。 

これらのデータから、現在日本列島に住む、沖縄・北海道を含む日本人全体が、 他の東アジア人に比べ、特殊な古代系統に属する単一民族の 
国家である事が結論づけられた。

◇◇◇◇◇

皇室・アイヌ・沖縄人(北琉球系)の人々は、D-M55系統に属する場合が多い 。 
STRの比較から同一先祖を推算した結果、これらの共通祖先は、ある時代の支配者層に居た一夫多妻の1人の男性に帰結するのだそうだ。


以下は
舜天
からの引用です。

天王統の開祖とされる琉球国王
在位1187年- 1237年。神号は尊敦。実在を証明する同時代史料は存在しないが、その名は16世紀頃から見られ、『中山世鑑』(1655年)や『中山世譜』(1701年)といった正史では、初代琉球国王と位置づけられている。

概要
舜天の名自体は、国王頌徳碑(石門之東之碑文)(1522年)や浦添城の前の碑文(1597年)にすでに見られ、16世紀には実在の王と考えられていたことが分かるが、より詳しい経歴は、1650年に編纂された琉球王国の正史『中山世鑑』に見ることができる。
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(しょうとくひ)
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(うらそえ城:グスクの前の碑)

それによると、沖縄本島には天帝の遣いとして下界に下った神・アマミキヨの子に始まる天孫氏と呼ばれる王統が25代続いた。この後、臣下によって天孫氏が滅ぼされ、国が乱れていたときに善政を敷き、天下を統一したのが浦添の按司であった舜天とされている。

王統は舜馬順煕・義本と3代にわたって続き、1259年に英祖に王位を譲ったとされている。舜天王統の支配力が沖縄諸島にわたることは疑問視されており、巨大な浦添城を中心に沖縄本島の多くの按司ら豪族を従える按司主だったのではないかとの推測もされている。

『中山世鑑』や『おもろさうし』、『鎮西琉球記』、『椿説弓張月』などでは、舜天は保元の乱で日本を追われた源為朝の子であるという。
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源為朝(菊池容斎・画、明治時代)

保元の乱で為朝は伊豆に流刑となったが、その途上、船が嵐に遭い、沖縄本島の今帰仁に漂着して豪族となった、というものである。

『中山世鑑』における記述では為朝が上陸した地の豪族大里按司の妹と結婚し、生まれた子を尊敦(後の舜天)と名付ける。
尊敦は15歳で浦添按司となり、天孫氏25世の在位で謀反を起こし中山王に就いた利勇を討ち、22歳の時に諸侯の推挙を受けて中山王となった。これが舜天王と伝えられる。この話がのちに曲亭馬琴の『椿説弓張月』を産んだ。

日琉同祖論と関連づけて語られる事が多く、この話に基づき、大正11年(1922年)には為朝上陸の碑が建てられた。表側に「源為朝公上陸之趾」と刻まれて、その左斜め下にはこの碑を建てることに尽力した東郷平八郎の名が刻まれている。

『中山世鑑』を編纂した羽地朝秀は、摂政就任後の1673年3月の仕置書(令達及び意見を記し置きした書)で、琉球の人々の祖先は、かつて日本から渡来してきたのであり、また有形無形の名詞はよく通じるが、
話し言葉が日本と相違しているのは、遠国のため交通が長い間途絶えていたからであると語り、為朝が王家の祖先だというだけでなく
琉球の人々の祖先が日本からの渡来人であると述べている。

以上引用終わり。

□ 舜天王朝は3代目の義本王の時に一旦滅んだが、後に第一尚氏が倒れたあと新王統を開いた第二尚氏の始祖・尚円王は、『中山世譜』など正史によると舜天王統の義本王朝の七世孫であると記されている。 

源為朝→舜天王→舜馬王→義本王→浦添王子(尊義)→金武按司(朝)→金武按司→伊平屋大主→伊平屋大主→伊平屋里主(稷)→尚円王→以後幕末迄続く。 

尚圓王(諡号:龍慶雲君)の主な子孫家はその領地名を冠して「〇〇御殿」と尊称され、尚氏の尚の字から二画数減じて向(しょう)氏とし、「〇〇御殿」の更に分家筋で功績の有る家柄は、その領地名を冠して向氏「〇〇殿内」と尊称された。 
その御殿・殿内と呼ばれる家柄は「大名(でーみょー)」家とされた。
琉球王・第二尚氏の系統は、下記のように沖縄全土に拡大し、さらにそこから分家した系統なども極めて多い。 

金武御殿(金武按司)、今帰仁御殿(今帰仁王子) 、小禄御殿(小禄按司)、読谷山御殿(読谷山按司) 、義村御殿(義村按司)、与那城御殿(与那城按司)、豊見城御殿(豊見城按司) 、大里御殿(大里按司)、浦添御殿(浦添按司)、玉川御殿(玉川按司) 、国頭御殿(国頭按司) 、大村御殿(大村按司)、本部御殿(本部按司) 、美里御殿(美里按司) 、羽地御殿(羽地按司)、名護御殿(名護按司) 、伊江御殿(伊江王子)、摩文仁御殿(摩文仁按司) 
仲里御殿(仲里按司) 、護得久御殿(護得久按司) 、大宜見御殿(大宜見按司)、具志頭御殿(具志頭按司) 、真壁御殿(真壁按司) 、玉城御殿(玉城按司)、具志川御殿(具志川按司) 、高嶺御殿(高嶺按司) 、久志御殿(久志按司)、勝連御殿(勝連按司)

以下は
大和民族
からの引用です。

□生物学的考察
明治期における人類学的な区分では、坪井正五郎が先史時代の先住民であるコロボックル、アイヌ(及び樺太アイヌ)、琉球人、朝鮮人・台湾漢人、台湾原住民などを除いた集合を大和民族と主張していた。
当時はそのほかに、日本人には上流階級に多い長州タイプ・庶民に多い薩摩タイプという人種的区分が存在するという指摘がエルヴィン・フォン・ベルツらからなされることもあった。戦前の国定地理教科書でも、大日本帝国を構成する民族として、「朝鮮人」「支那民族」「土人」「アイヌ」とともに「大和民族」が挙げられている。

□父系
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ハプログループの動き

Y染色体(父系)の研究では、日本人の中にはハプログループがD1b(D-M64.1)系統(縄文人)とハプログループO2b1a(O-47z)系統(弥生人)が存在することが判明した。
このうちハプログループD1bの系統は日本人に固有に見られるタイプで、朝鮮半島や中国人には全く見られない固有種であることも判明した。
これは縄文人の血を色濃く残すとされるアイヌに88%見られることから、D系統は縄文人(古モンゴロイド)特有の形質だとされる。また本州日本人は35%にみられるなど、約3人に1人の割合でこの系統に属している。 

アリゾナ大学のマイケル・F・ハマー (Michael F. Hammer) のY染色体分析でもYAPハプロタイプ(D系統)が扱われ、さらにチベット人も50%の頻度でこのYAPハプロタイプを持っていることを根拠に、縄文人の祖先は約5万年前に中央アジアにいた集団が東進を続けた結果、約3万年前に北方ルートで北海道に到着したとする仮説を提唱した(いっぽう崎谷満はD1b系統(の祖型)は朝鮮半島を経由して日本列島に到達したとしている)。
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Y染色体とミトコンドリアDNAとの頻度の違いは縄文人が弥生人集落への一方的流入を起こした分布となることから、弥生人が一方的に縄文人を追い払ったとする根拠は確認されていない。 
また、弥生人と言われるハプログループO2b1a(O-47z)の系統も日本で発生し拡散したとされる日本固有種である。
大和民族と遺伝的に最も近縁なのは琉球人とアイヌ人である

□母系
ミトコンドリアDNA(母系)の研究によると、縄文人も弥生人もどちらも東アジアに類似したDNAが多く分布しており、この研究では縄文人を南方系・弥生人を北方系とする埴原和郎の二重構造説は疑問視されている。

また、一方では日本人は北海道から沖縄県に至るまで遺伝学的には大差はなく、周辺の中国人や朝鮮人より均一性の高い民族であるという研究結果もある。
根井正利は、「現代人の起源」に関するシンポジウム(1993年、京都)にて、日本人(北海道から沖縄県まで)は約3万年前から北東アジアから渡来し、弥生時代以降の渡来人は現代日本人の遺伝子プールにはほんのわずかな影響しか与えていない、という研究結果を出している。

2009年(平成21年)12月10日、日本を含むアジア10ヵ国の研究者によって行われたゲノムの詳細解析の国際共同研究の結果がサイエンスに発表された。
数万年前まで遡ると、日本人を含む東アジア集団の起源は東南アジアにあると推定されるという結果であった。

さらに、2010年までに沖縄県石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡から発掘された、旧石器時代の人骨を、2013年に国立科学博物館が分析した結果、国内最古の人骨(約2万-1万年前)とされた4点のうち2点はハプログループM7aと呼ばれる南方系由来の系統であることが明らかとなった。

現在では、縄文人の母系のDNAとしては、ハプログループF、B、M7aなどの型があったことが知られている。

以上引用終わり。

□沖縄知事選に「琉球独立」を主張する人物が立候補し、
「琉球先住民」の独立を叫ぶ国会議員までいるとあって、あまりの無知蒙昧さに思わずのけぞってしまった。 

彼らは科学的社会主義や科学的唯物史観の信奉者だろうが、それにしても非科学的な発想には呆れるしかない。
スコットランドの独立騒動に合わせたように琉球大学の研究グループが「琉球列島の人々の遺伝情報を分析した結果、台湾や大陸の集団とは直接の遺伝的なつながりはなく、日本本土に由来する」と発表した。 
沖縄タイムズなどはいやいや報道したのに違いない。

この研究は沖縄本島など350人のDNAを採取分析した結果で、
沖縄人には先住民などいないことを明確にしている。 
先住民独立を主張する人々は、この科学的な結果にどう反応しているのだろうか。

もっとも、沖縄独立を選挙公約にした候補者は、所詮は泡沫候補で、自分の勢力を増やしたいためだけで立候補したのだろうから、選挙結果はどうでもいいのに違いない。
共産党がどの選挙区でも候補者を立てるのと同じ発想である。

これまで分子人類学はミトコンドリアDNAの分析で母系集団の世界的分布を研究してきた。
しかし、分析技術の発展で、最近になってY染色体DNAの分析が進み、父系の分布が明らかになってきた。
父系の分布分析が重要なのは、ある民族がほかの民族を征服すると、支配された民族のY染色体DNAが極端に減少するからである。
支配側は抵抗を恐れて被支配民族の男を殺し、女性は自分たちの子供を生ませるために生き残らせるためで、Y染色体DNAの分布状況によって支配・被支配の関係を明確にできる

分子人類学によると、遺伝子の大きなグループをハプログループといい、A・B・C・D…などと分けられ、さらにA1、A2…などのようにサブハプログループに小分けされる。

日本人のY染色体DNAは、約4割がD1bサブハプログループで、O2b1が2割強、O3が約2割、Cが1割弱となっている。
D1bは日本人だけに存在し、3万年ほど前に日本列島で誕生したと考えられている。
そしてD1bはアイヌ人と沖縄人にさらに高い頻度で存在しており、「いわゆる縄文人」の遺伝子と考えられている。
Dハプログループは近隣諸国には非常に少数で、チベット人が高率だが、日本人とは違ったD1a、D1cサブハプログループに属している。

ちなみに、漢民族はO3が55%、O2が16%強で、Dは1%未満である。
歴史的に中華帝国と密接な関係を持っている朝鮮民族は、O2が3割強、O3が約4割、Dは2%強となっている。
これらから判断すると、漢民族の朝鮮半島進出によって、宗主国である漢民族のO3が多くなったと推測される。
また、蒙古族はCが5割を上回り、ついで1割強がO3、チベット人はDが4割強でO3が4割弱となっている。
チベット、蒙古とも漢族の進出に押され、Y染色体DNAらが席巻されつつある実態がうかがわれる。

日本人のY染色体DNAから何がわかるかといえば、大陸や半島から渡来した人々が、平和裏に融合したということである。 
渡来人が大挙押し寄せ武力で日本人を征服したのなら、D1bの割合は極端に少なくなっていなければならない。
逆に縄文人が渡来人を制圧したのなら、O2やO3の比率はもっと低くなったはずである。

さて、
日本人のY染色体DNAの4割を占めるD1bが「いわゆる縄文人」の遺伝子で、3万年前に発生したとなると、先住民というのは間違いなく縄文人ということになる。
そして、アイヌや沖縄人にD1bの比率が高いのは、日本列島の先住民の遺伝子を色濃く継承していることに他ならない。

となると、

沖縄の一部の政治家によって叫ばれている「先住民の独立」とは、いったい何のことかわからなくなる。
沖縄人はすなわち日本人そのものだからである。

もっとも、かれらは科学的に事実がどうであろうと、思い込んだら命がけで感情的に叫んでいるだけだろうから、沖縄県人にもいずれ呆れられて相手にもされなくなるのは目に見えている。
スコットランド独立騒動でいまは注目されているが、飽きられるのはさほど遠い時期のことではないだろう。(文責:千代田哲雄)

□Y染色体分析の結果、従来、唱えられてきた二重構造モデル論は、つまり「列島固有の縄文人の基層の上に、稲作文化を携えて大陸及び半島から渡来した弥生人、すなわち韓人や中国人が乗る形で加わったことで、列島人社会は種族的に重層構造を持つに至った」とする説は、今や大きく揺らいでいる。 

詳しく述べれば、こういうことだ。 
「縄文・弥生・古墳の各時代、それ以降を問わず、列島人男性の遺骸、及び現代人男性の人体から検出されるY染色体は、列島人に特徴的なそれが過半を占める」 ということが分かってきた。
つまり、韓人や中国人(華北人)に特徴的ではないY染色体DNAのハプログループ(型集団)D2系統(※現 D1b系統)及びO2b1系統の合計が、出現頻度50%を超えることが明らかになったのだ。 

列島人のうちに出現する韓人や中国人と共有するハプログループC系統、O系統などについて、もしその存在が彼ら「渡来人」にほとんど由来しないことになる。 
それらは東アジア人に共通のものであるから、遥かな古に大陸から渡ってきたとされる縄文人の祖先が、もともと内包していたY染色体DNAのハプログループということになる。 

結局のところ、
「列島人男性に見いだせるY染色体DNAの諸ハプログループの内、その90%が縄文人から受け継いだものと解することができる」というのだ。
そうなると、通説が想定する大人数の韓人や中国人の(主に男性の)移住・植民の可能性は修正を余儀なくされよう。(文責:齋藤忠) 

■中日共同調査団が発表、 「弥生人」の起源は中国江南地方 DNA分析で確定 

共同通信によると、日本に稲作を伝えたとされる渡来系弥生人の人骨と、長江(揚子江)下流域の江蘇省で発掘されたほぼ同時期の人骨の特徴がよく似ており、DNA分析で配列の一部が一致する個体もあることが、18日までの中日共同調査団の調査で分かった。 

渡来系弥生人は、朝鮮半島や華北地方から来たという説が有力と考えられていたが、稲作の起源地とされる長江下流域を含む江南地方からも渡来した可能性が高くなり、弥生人の起源を探る上で注目されそうだ。 

同日、東京で記者会見した日本側山口団長らによると、調査団は1996年から3年計画で、江蘇省で出土した新石器時代から前漢時代(紀元前202-紀元後3年)にかけての人骨と、福岡、山口両県で出土した渡来系弥生人や縄文人の人骨を比較した。 
その結果、弥生時代の直前に当たる春秋時代(紀元前8―同5世紀)から前漢時代にかけての江蘇省の人骨と、渡来系弥生人の人骨には、頭や四肢の骨の形に共通点が多かった。 

また日本列島では縄文時代から弥生時代にかけて前歯の一部を抜く風習があったが、江蘇省の人骨二体にも抜歯の跡があった。 

江蘇省の人骨36体からDNAを抽出し分析した結果、春秋時代の三体でDNAの塩基配列の一部が弥生人のものと一致したという。 

中国側団長の鄒厚本南京博物院考古研究所所長は「弥生人と江南人骨の特徴が極めて似ていることが分かり、弥生人渡来の江南ルート説に科学的根拠が与えられた。今後も多方面から研究を進め、弥生人渡来の実態を解明したい」と話している。 
江蘇省ではこれまで春秋戦国時代から前漢時代までの人骨がほとんど出土せず、渡来系弥生人との関連を探る研究は進んでいなかった。

□「中国人・朝鮮人」と「日本人」は、DNAの研究で完全に「赤の他人」と判明しています。
皆さんも、「Y染色体ハプログループD1b系統」をインターネットで検索し、ご自分が何者か知って下さい。
自分達がもしかして中国人・朝鮮人と同じ系統の民族かもしれないという誤解があるならばそれを払拭し、全日本人一人一人が「中国人・朝鮮人」は、自分達日本人とは「完全に赤の他人である」という認識を持って「中国人・朝鮮人」に接して下さい。

誤解のないように申し上げておきますと、これは決して人種差別ではありません。
男は男であり、女は女であることと同じように、生まれた時から違う個体差があるという区別なのです。 
これはそれぞれの民族を優劣で判断するための識別ではありません。

我々日本人はかつて人種差別と戦い、東亜の平和と安定を守るため、白人勢力による植民地支配からアジアを解放するために総力戦で戦いました。 
そして、アジアの独立を勝ち取りました。
これは、たった今から70年前の出来事です。

しかし、今や侵略的野心を以って他民族を隷属させ資源を奪い取ろうとする中国共産党の策謀が明らかとなり、朝鮮半島にも日本の社会的地位を貶めようとする不穏な勢力が暗躍し、また日本国内においても、朝日新聞を始めとする捏造記事を基に内憂外患を誘導しようとする狂信的反日分子が暗躍しています。
「中国人」も「朝鮮人」もまた「日本人」も民族が似ているという虚偽論説を敷衍(ふえん)し、日本人を油断させて寝首を掻こうという策謀のようです。 
我々日本人のすぐそばに、日本人になりすました凶悪な外国人が、我々の国土や財産を狙っているのです。

このなりすまし日本人を見破るのはDNA鑑定しかありません。
しかし、敵はそうはさせまいと意図的にY染色体の研究を妨害しているのです。
ですから、天皇陛下のY染色体ハプログループはもとより我々日本人のハプログループの研究も国内ではうまく進めていくことができない状況になっているのです。

ソウル大教授「韓国人は北方モンゴロイドのエベンキ族と南方原住民の血が混ざって形成された民族」
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■韓国大教授「韓国人のルーツはエベンキ人」
韓国聯合ニュース(リンク切れ)

韓国外国語大学ロシア語科のカン・トクス教授はサハ共和国南北辺境に住んでいるエベンキ人たちが使うエベンキ(ツングース)語は数字や一家親戚を称する単語が韓国語と非常に似ていると話した。
韓国人のルーツはエベンキ人ではないかと主張している。
エベンキ語のデョルは韓国語のドルで「石」
デュルはドゥルで「2(二)」
デュル-レはドゥル-レで「周り」
ムはムルで「水」
アミはアビで「父」
エニはエミで「母」
アシはアッシで「若い女性(アガシ)」
アキはアチで「おじさん(アジョシ)」
べイェはべで「輩」
~ンイは~ウイで「~の」を意味する。

カン教授によれば「韓国語の起源がツングース語だという学説を後押しできる実体的証拠が発見された、さらに多い研究が必要だ」ということ。
教授はまた、エベンキ人と韓国人の人種的類似性と関連、「何年か前にDNA検査のためにエベンキ人の髪の毛をソウル大学に渡したことがあるが、まだ研究結果は聞けなかった。エベンキ人たちも私たち(韓国人)のようにモンゴル斑点があり、顔付きも似ている」とも話した。

・バイカル近隣の少数民族「エベンキ族」は現在まで「アリラン」と「スリラン」という単語を使っている。
韓国でもっとも有名な民謡である「アリラン」の歌詞(リフレーン?)の「アリラン」は「迎える」、「スリラン」は「感じて知る」という意味だという。

・シベリア原住民の遺伝子と韓国人の遺伝子型を分析した結果、約70%が典型的なモンゴロイドの遺伝型を見せた。
父系を知らせてくれるY染色体の場合、シベリア原住民は主にO型、南アジア原住民はC・D型。
韓国人はO型とC・D型が混ざっているという。
イ・ホンギュ ソウル大医大教授は「韓国人は北方モンゴロイドのエベンキ族と南方原住民の血が混ざって形成された民族」と主張した。

KimWook2010에 근거한 한국인 부계하플로의 지역별 분포
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済州島 Jeju
ソウル Seoul
全羅道 JeolLa 旧百済
忠清道 ChungCheong 旧百済
江原道 GangWon 旧高句麗
慶尚道 GyeonSang 旧新羅

沖縄で大量に旧石器時代の大量の人骨が発掘。国内最古のDNAの抽出に成功 
沖縄で旧石器時代の人骨が大量に発見されている。
現在までに既に24体が発掘。
旧石器時代の遺跡としてはアジアでも最大とされる。

場所は沖縄県・石垣島(石垣市)の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡。
そのうち最も古いものは2万4千~2万6千年前の人骨(放射性炭素年代による)。 
2万年前の女性の人骨からはDNAを抽出することにも成功した。 
古代人のDNAとしては国内最古で、旧石器時代では初。DNAパターンも判明し、日本人の祖先が南方から来たとする説を考える上で貴重な成果となった。 
古い人骨のDNAはこれまで、縄文時代早期(約8000年前)以降の関東や東北、北海道、弥生時代では北部九州と奈良県などの遺跡の人骨から抽出・分析されているが、旧石器時代はなかった。 

4点のうち2点は「M7a」と呼ばれるDNAタイプで、ほぼ日本列島固有。
現代の本土の日本人では約7%が持つが、沖縄の人々では約25%と突出する。
M7aは本土の縄文時代の人骨からも確認され、M7aと共通の祖先を持つタイプ(M7b、M7c)は中国大陸南部や東南アジアを中心に分布しており、今回の人骨の主は、東南アジアなど南方から北上してきた人類とみられる。 
またオーストラリアのアポジリニやニューギニア人との共通性も見られる。

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