□日本人のY染色体ハプログループは、図21に示すようにD1bの縄文人、O2b1aの弥生人を主体とする構成となっています。 

D系統は世界的にも極めて稀であり、日本人以外ではチベット人、インド洋に浮かぶアンダマン諸島のジャラワ族、オンゲ族、フィリピンのマクタン島、グアム島のみで検出される系統です(図の濃い緑と黄緑)。 
image

D1bは、本土日本人、アイヌ人、沖縄人に固有に見られ、天皇家もこの系統に属するそうです。

このD系統は朝鮮人や中国人には殆どみられない系統であり、日本人のアイデンティティの原点であるといえるでしょう。
image
(図はこちらから)

□ 精子が持っていたミトコンドリアDNAは受精の際に破壊されてしまい、子孫には伝わらない。
だから各自が持つミトコンドリアDNAはその性別に関係なく母親と同じものになる。
一方、Y染色体を引き継いだ受精卵は男になるので、結果的にY染色体は父親から息子へと受け継がれる。

相同染色体同士は、組み替えとよばれる遺伝子のやりとりをするが、X染色体とY染色体との間ででは、ごく一部の領域を除いて遺伝子の交換は行われない。
だから、メカニズムは違うがY染色体もミトコンドリアDNA同様、組み替えによる変化をしないで子孫に伝えられる。 
だから、ミトコンドリアDNAと同じようにY染色体のDNAも系統を追求する研究に適している。 

□国内でのD1bの分布を考えたら、D1bを天皇のDNAと考えるのが自然でしょう。

今から7~800年前あたりから目立って増えてるY-DNAがD1b1a2ですから、これは時代的に武家の台頭と重なります。

特に源氏、平家が皇別氏族であることは間違いないので、天皇家はD1b1a2だったという事でしょう。

鎌倉幕府を開いた頼朝や、足利氏、新田氏、徳川氏も源氏の出身と言われています。
日本は幕藩体制ですから諸大名も多くの子孫を残したのは間違いないでしょう。
武家は繁栄順に源平藤橘と言われましたから源、平、橘が皇別ですので彼らが多く子孫を残したのでしょうね。 

□ 日本人のY染色体DNAのハプログループは、縄文人の流れを組む日本固有のD1b(D-M64.1) 系統が40%であるのを筆頭に、以下、弥生人のO2b1a(O-47z)系統が25%と続く。 

皇室は、第113代 東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析により、縄文人のD1b(D-M64.1)に属するD1b1a2の系統と言われ、明治天皇も東山天皇の男系子孫に属する。 

一方でネット情報では、日本の皇室をO2b1a(0-47z)系統とする、出所不詳の説があり、これは韓国人男性に多いO2b1b(0-L682)の系統に近い種であると意図的に錯覚させようとするバイアスがかけられている疑いがあり注意を要する。

また、
・皇室、伏見宮系、近衛家(皇別摂家)、徳大寺家(皇別摂家)のサンプルを解析し、Y-DNAハプロタイプの一致が見られる。 

・桓武平氏、清和源氏、宇多源氏等、天皇家から分かれたとされる 一族の子孫のサンプルを解析し、多くのものにY-DNAハプロタイプの一致が見られる。

中世以降の日本最大の血族は、清和源氏・嵯峨源氏・宇多源氏や、桓武平氏などに代表される賜姓皇族であり、ライバルはない。 

ハプログループD1b1a2の最頻値ハプロタイプ近辺には、1000年程度内に共通祖先を持つ推定600万人が集中していて、並ぶものはない。 
ゆえに平安以降の天皇と本来の武士は縄文人で疑いない。 

水野論文は有料だが、データはYHRDにアップされているから、厨房でも無料で確認できるぞ。 

さらに言えば、現在日本で一番繁栄してるのは 縄文系D1b1a2系統。 

D1b1a2 modal : 17 14 31 25 10 11 13 13,17 10 12 14 19 15 15 21 11 
サンプル27 日本全域に分布、源氏=平安時代以降の皇室はこの系統で確定 

二番がO2b1a 
O2b1a modal : 15 14 30 22 10 13 13 10,20 13 12 14 18 15 17 20 12 
サンプル9 分布に偏りあり、中臣・藤原氏系統 

三番がD1b2 
D1b2 modal : 15 13 30 25 10 11 13 14,17 10 12 14 17 16 15 21 12 
サンプル9 物部・石上氏や出雲国造などにつながる古代氏族系統 

O3は亜型数種に分散して少数。最大サンプル3、渡来氏族の系統

□遺伝子解析の結果、出雲千家の男系子孫のY染色体遺伝子のハプログループはD1b2であると確定したため、古代出雲王朝は渡来系征服王朝であるという説は完全に否定されてしまった。 

古代出雲王朝は、大和朝廷となんら変わることのない縄文系の王を掲げた日本列島土着の王朝であると遺伝子解析により証明された。

また、天皇家のY染色体ハプログループと思われるD1b1とは別のD1b2であったことから、どちらも三万年前から日本にいた土着民の王であることはまちがいないものの、古代出雲王朝という天皇家とは異なる縄文系王朝が歴史上には一度は存在した可能性を示唆している。

□ 物部氏の子孫で、出羽国雄勝郡(秋田県湯沢市)出身の人のdnaの結果は、D1b1d1(D-CTS3097)だったようだ。

D-CTS3097 
Keisuke Obara from Akita-Yuzawa, Mononobe
 

□そもそも「男系が断絶しやすい」という前提じたいが、「特定の男系が一夫多妻を繰り返す」ために生存競争が激しい、ということを意味する。 
(つまり)「特定の男系が一夫多妻を繰り返す」=「特定の家系が支配階級となっている」 を意味する。
これは、単なる確率論的ゆらぎでは説明できない。 
現にミトコンドリアタイプでは「わずか45世代で一人の先祖にたどり着く2集団」のようなものは日本人の中に検出されていない。 
これは女系の場合「一妻多夫」のような現象でたくさんの子供を作ることができないからである。 

Y染色体に限っては「わずか45世代で一人の先祖に到達する2大男系集団」が検出できるのは、支配階級が一夫多妻を繰り返したためにほかならない。 

それは歴史を紐解けば、皇胤(こういん)と藤原氏のことなのである。 

すなわち「ジンギスカン血統原理」が支配した中央アジアで、ジンギスカンの男系子孫が1600万人にもあらわれるのと全く同じ現象が、日本にもあらわれているのである。

これは日本が1000年以上に渡って皇室と藤原氏の血統を尊重したあらわれである。
そして、それはY染色体にはっきりと証拠づけられているのである。 

□ いつの世も、先に死んでいくのは下々の者からです。 
その死の原因は、「戦い」「飢餓」など様々です。 
「戦い」では君主よりも雑兵が先に死ぬし、「飢餓」でもそうです。 
従って、家(名字)が長年にわたって続いていくためには、「ある程度の社会的な地位があって裕福であること」という要件が重要となってくるのです。 

そして、家が続くための要件の一つに血統が続くことがあります。 
この要件においても、「社会的な地位があって裕福であること」は優位性を持ちます。 
なぜなら、中世においては上流社会を中心に一夫多妻的な側面があったので、裕福な家ほど跡継ぎが続く可能性が高いからです。

しかし、それでもなかなか難しい。
それは江戸時代の徳川将軍家を見ても、十五代の将軍家が代々スムーズに続いているわけではないことでもわかるでしょう。
これほど、血統や家が長い年数にわたって続くことは難しいのです。
逆説的に言えば、今ここに生きている私たちの先祖は「貧乏な下々の者である可能性よりも、社会的に地位のある裕福な家」であった可能性が非常に高いのです。

□ イギリスの人口歴史学者によれば、支配階級は被支配階級より子孫を残しやすいので、イギリスの系図を詳しく検討すると、およそ600年もすると全国民が支配階級(王侯貴族)の子孫になるのだそうだ。 

支配階級が一夫多妻を繰り返した日本ならなおのこと。 
日本の名字の多くが、源平藤橘を起源とする伝承を有するのは、 科学的にも全く自然なことであるらしい。 

□O-47zは、中臣氏・ 忌部氏、藤原氏(タコ注:ただし藤原不比等:ふじわらのふひとは天智天皇の落とし子の可能性が高いのでその兄弟・親戚やその祖先の中臣氏・ 忌部氏)の可能性が高い。 
彼等は弥生系だ。 

一方、皇室・アイヌ・北琉球系の人物は、D-M55系統に属する可能性が高いらしい。
STRの比較から同一先祖を推算した結果、ある時代の支配者層に居た一夫多妻の人々に帰結するのだそうだ。 

ソースはこれ。 
"Imperial family descended from Jomon-Ainu of Japan" (リンク切れなのでスクリーンショットを貼っときます)
image

The Japanese monarchy (Imperial House of Japan) is the oldest continuous hereditary monarchy in the world still in existence. 
It has "reigned since time immemorial." Imperial family's genealogical tree sparked the interests not only by Shinto priests, but by anthropologists/geneticists. In this article, we aim at demystifying the lineages of Japanese imperial family for encouraging the further researches in this field. 
"Genetic Evidence"Most scientists agree on the use of SNP on non-recombining portion of Y-chromosome, known as Y haplogroup. 
Majority of Japanese males had genetic markers specific to Japanese islands as well as Okinawan.
"Birth rates of ruling family"Ruling family and group often dominates in social ranks, and more controversially, in reproductions. Using Y-chromosome data, Genghis Khan's offsprings may have been 16 million people, suggesting that the group of larger disributions could be much likely to be the rulers genetic make-ups.
Japan is the oldest continuous hereditary monarchy in the world, and unlike briefly 
ending rulership of Genghis Khan's heirs, Japanese imperial family and their associates dominated Japan for more one thousand years. 
Thus, rough estimations of how likely imperial family belonging to each Y-haplogroups may hold equality relation with the frequencies - distributions of Y haplogroup.
To this extent, it is natural to expect that there would be more than 60% probability of Japanese emperor descending from the Jomon - Ainu people of Japan. 

【訳】
日本の皇室は、漢民族、蒙古族や朝鮮族からは検出されない、Yap遺伝子を持っていることが分子生物学の研究結果から明らかとなった。 

皇室のみならず日本人男性のY染色体は、約40%がこのYap遺伝子を持つD1b単倍体群に属し、アジアでは、チベット人や、中国広西省、雲南省に住む少数民族や、アンダマン 諸島のオンゲ族、ジャラワ族、フィリピン、グアム島民から少数見つかっている。 

日本は、D1b単倍体群のアジア最大繁栄地で、
北海道を拠点としてしてきたことで知られるアイヌ人からも、 このYap遺伝子が 88%という高頻度で検出されたことにより、日本の皇室と アイヌ人は父系を同祖とするY染色体の単倍体群に属することが明らかとなった。 

さらに、皇室・アイヌ・北琉球系の人は、
D-M55系統に属する可能性が最も高く、STRの比較から同一先祖を推算した結果、ある時代の支配者層の一夫多妻の
一人の男性に帰結することを明示している。 

これらのデータから、現在日本列島に住む、沖縄・北海道を含む日本人全体が、 他の東アジア人に比べ、特殊な古代系統に属する単一民族の 
国家である事が結論づけられた。

◇◇◇◇◇

皇室・アイヌ・沖縄人(北琉球系)の人々は、D-M55系統に属する場合が多い 。 
STRの比較から同一先祖を推算した結果、これらの共通祖先は、ある時代の支配者層に居た一夫多妻の1人の男性に帰結するのだそうだ。


以下は
舜天
からの引用です。

天王統の開祖とされる琉球国王
在位1187年- 1237年。神号は尊敦。実在を証明する同時代史料は存在しないが、その名は16世紀頃から見られ、『中山世鑑』(1655年)や『中山世譜』(1701年)といった正史では、初代琉球国王と位置づけられている。

概要
舜天の名自体は、国王頌徳碑(石門之東之碑文)(1522年)や浦添城の前の碑文(1597年)にすでに見られ、16世紀には実在の王と考えられていたことが分かるが、より詳しい経歴は、1650年に編纂された琉球王国の正史『中山世鑑』に見ることができる。
image
(しょうとくひ)
image
(うらそえ城:グスクの前の碑)

それによると、沖縄本島には天帝の遣いとして下界に下った神・アマミキヨの子に始まる天孫氏と呼ばれる王統が25代続いた。この後、臣下によって天孫氏が滅ぼされ、国が乱れていたときに善政を敷き、天下を統一したのが浦添の按司であった舜天とされている。

王統は舜馬順煕・義本と3代にわたって続き、1259年に英祖に王位を譲ったとされている。舜天王統の支配力が沖縄諸島にわたることは疑問視されており、巨大な浦添城を中心に沖縄本島の多くの按司ら豪族を従える按司主だったのではないかとの推測もされている。

『中山世鑑』や『おもろさうし』、『鎮西琉球記』、『椿説弓張月』などでは、舜天は保元の乱で日本を追われた源為朝の子であるという。
image
源為朝(菊池容斎・画、明治時代)

保元の乱で為朝は伊豆に流刑となったが、その途上、船が嵐に遭い、沖縄本島の今帰仁に漂着して豪族となった、というものである。

『中山世鑑』における記述では為朝が上陸した地の豪族大里按司の妹と結婚し、生まれた子を尊敦(後の舜天)と名付ける。
尊敦は15歳で浦添按司となり、天孫氏25世の在位で謀反を起こし中山王に就いた利勇を討ち、22歳の時に諸侯の推挙を受けて中山王となった。これが舜天王と伝えられる。この話がのちに曲亭馬琴の『椿説弓張月』を産んだ。

日琉同祖論と関連づけて語られる事が多く、この話に基づき、大正11年(1922年)には為朝上陸の碑が建てられた。表側に「源為朝公上陸之趾」と刻まれて、その左斜め下にはこの碑を建てることに尽力した東郷平八郎の名が刻まれている。

『中山世鑑』を編纂した羽地朝秀は、摂政就任後の1673年3月の仕置書(令達及び意見を記し置きした書)で、琉球の人々の祖先は、かつて日本から渡来してきたのであり、また有形無形の名詞はよく通じるが、
話し言葉が日本と相違しているのは、遠国のため交通が長い間途絶えていたからであると語り、為朝が王家の祖先だというだけでなく
琉球の人々の祖先が日本からの渡来人であると述べている。

以上引用終わり。

□ 舜天王朝は3代目の義本王の時に一旦滅んだが、後に第一尚氏が倒れたあと新王統を開いた第二尚氏の始祖・尚円王は、『中山世譜』など正史によると舜天王統の義本王朝の七世孫であると記されている。 

源為朝→舜天王→舜馬王→義本王→浦添王子(尊義)→金武按司(朝)→金武按司→伊平屋大主→伊平屋大主→伊平屋里主(稷)→尚円王→以後幕末迄続く。 

尚圓王(諡号:龍慶雲君)の主な子孫家はその領地名を冠して「〇〇御殿」と尊称され、尚氏の尚の字から二画数減じて向(しょう)氏とし、「〇〇御殿」の更に分家筋で功績の有る家柄は、その領地名を冠して向氏「〇〇殿内」と尊称された。 
その御殿・殿内と呼ばれる家柄は「大名(でーみょー)」家とされた。
琉球王・第二尚氏の系統は、下記のように沖縄全土に拡大し、さらにそこから分家した系統なども極めて多い。 

金武御殿(金武按司)、今帰仁御殿(今帰仁王子) 、小禄御殿(小禄按司)、読谷山御殿(読谷山按司) 、義村御殿(義村按司)、与那城御殿(与那城按司)、豊見城御殿(豊見城按司) 、大里御殿(大里按司)、浦添御殿(浦添按司)、玉川御殿(玉川按司) 、国頭御殿(国頭按司) 、大村御殿(大村按司)、本部御殿(本部按司) 、美里御殿(美里按司) 、羽地御殿(羽地按司)、名護御殿(名護按司) 、伊江御殿(伊江王子)、摩文仁御殿(摩文仁按司) 
仲里御殿(仲里按司) 、護得久御殿(護得久按司) 、大宜見御殿(大宜見按司)、具志頭御殿(具志頭按司) 、真壁御殿(真壁按司) 、玉城御殿(玉城按司)、具志川御殿(具志川按司) 、高嶺御殿(高嶺按司) 、久志御殿(久志按司)、勝連御殿(勝連按司)

以下は
大和民族
からの引用です。

□生物学的考察
明治期における人類学的な区分では、坪井正五郎が先史時代の先住民であるコロボックル、アイヌ(及び樺太アイヌ)、琉球人、朝鮮人・台湾漢人、台湾原住民などを除いた集合を大和民族と主張していた。
当時はそのほかに、日本人には上流階級に多い長州タイプ・庶民に多い薩摩タイプという人種的区分が存在するという指摘がエルヴィン・フォン・ベルツらからなされることもあった。戦前の国定地理教科書でも、大日本帝国を構成する民族として、「朝鮮人」「支那民族」「土人」「アイヌ」とともに「大和民族」が挙げられている。

□父系
image
ハプログループの動き

Y染色体(父系)の研究では、日本人の中にはハプログループがD1b(D-M64.1)系統(縄文人)とハプログループO2b1a(O-47z)系統(弥生人)が存在することが判明した。
このうちハプログループD1bの系統は日本人に固有に見られるタイプで、朝鮮半島や中国人には全く見られない固有種であることも判明した。
これは縄文人の血を色濃く残すとされるアイヌに88%見られることから、D系統は縄文人(古モンゴロイド)特有の形質だとされる。また本州日本人は35%にみられるなど、約3人に1人の割合でこの系統に属している。 

アリゾナ大学のマイケル・F・ハマー (Michael F. Hammer) のY染色体分析でもYAPハプロタイプ(D系統)が扱われ、さらにチベット人も50%の頻度でこのYAPハプロタイプを持っていることを根拠に、縄文人の祖先は約5万年前に中央アジアにいた集団が東進を続けた結果、約3万年前に北方ルートで北海道に到着したとする仮説を提唱した(いっぽう崎谷満はD1b系統(の祖型)は朝鮮半島を経由して日本列島に到達したとしている)。
image

Y染色体とミトコンドリアDNAとの頻度の違いは縄文人が弥生人集落への一方的流入を起こした分布となることから、弥生人が一方的に縄文人を追い払ったとする根拠は確認されていない。 
また、弥生人と言われるハプログループO2b1a(O-47z)の系統も日本で発生し拡散したとされる日本固有種である。
大和民族と遺伝的に最も近縁なのは琉球人とアイヌ人である

□母系
ミトコンドリアDNA(母系)の研究によると、縄文人も弥生人もどちらも東アジアに類似したDNAが多く分布しており、この研究では縄文人を南方系・弥生人を北方系とする埴原和郎の二重構造説は疑問視されている。

また、一方では日本人は北海道から沖縄県に至るまで遺伝学的には大差はなく、周辺の中国人や朝鮮人より均一性の高い民族であるという研究結果もある。
根井正利は、「現代人の起源」に関するシンポジウム(1993年、京都)にて、日本人(北海道から沖縄県まで)は約3万年前から北東アジアから渡来し、弥生時代以降の渡来人は現代日本人の遺伝子プールにはほんのわずかな影響しか与えていない、という研究結果を出している。

2009年(平成21年)12月10日、日本を含むアジア10ヵ国の研究者によって行われたゲノムの詳細解析の国際共同研究の結果がサイエンスに発表された。
数万年前まで遡ると、日本人を含む東アジア集団の起源は東南アジアにあると推定されるという結果であった。

さらに、2010年までに沖縄県石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡から発掘された、旧石器時代の人骨を、2013年に国立科学博物館が分析した結果、国内最古の人骨(約2万-1万年前)とされた4点のうち2点はハプログループM7aと呼ばれる南方系由来の系統であることが明らかとなった。

現在では、縄文人の母系のDNAとしては、ハプログループF、B、M7aなどの型があったことが知られている。

以上引用終わり。

□沖縄知事選に「琉球独立」を主張する人物が立候補し、
「琉球先住民」の独立を叫ぶ国会議員までいるとあって、あまりの無知蒙昧さに思わずのけぞってしまった。 

彼らは科学的社会主義や科学的唯物史観の信奉者だろうが、それにしても非科学的な発想には呆れるしかない。
スコットランドの独立騒動に合わせたように琉球大学の研究グループが「琉球列島の人々の遺伝情報を分析した結果、台湾や大陸の集団とは直接の遺伝的なつながりはなく、日本本土に由来する」と発表した。 
沖縄タイムズなどはいやいや報道したのに違いない。

この研究は沖縄本島など350人のDNAを採取分析した結果で、
沖縄人には先住民などいないことを明確にしている。 
先住民独立を主張する人々は、この科学的な結果にどう反応しているのだろうか。

もっとも、沖縄独立を選挙公約にした候補者は、所詮は泡沫候補で、自分の勢力を増やしたいためだけで立候補したのだろうから、選挙結果はどうでもいいのに違いない。
共産党がどの選挙区でも候補者を立てるのと同じ発想である。

これまで分子人類学はミトコンドリアDNAの分析で母系集団の世界的分布を研究してきた。
しかし、分析技術の発展で、最近になってY染色体DNAの分析が進み、父系の分布が明らかになってきた。
父系の分布分析が重要なのは、ある民族がほかの民族を征服すると、支配された民族のY染色体DNAが極端に減少するからである。
支配側は抵抗を恐れて被支配民族の男を殺し、女性は自分たちの子供を生ませるために生き残らせるためで、Y染色体DNAの分布状況によって支配・被支配の関係を明確にできる

分子人類学によると、遺伝子の大きなグループをハプログループといい、A・B・C・D…などと分けられ、さらにA1、A2…などのようにサブハプログループに小分けされる。

日本人のY染色体DNAは、約4割がD1bサブハプログループで、O2b1が2割強、O3が約2割、Cが1割弱となっている。
D1bは日本人だけに存在し、3万年ほど前に日本列島で誕生したと考えられている。
そしてD1bはアイヌ人と沖縄人にさらに高い頻度で存在しており、「いわゆる縄文人」の遺伝子と考えられている。
Dハプログループは近隣諸国には非常に少数で、チベット人が高率だが、日本人とは違ったD1a、D1cサブハプログループに属している。

ちなみに、漢民族はO3が55%、O2が16%強で、Dは1%未満である。
歴史的に中華帝国と密接な関係を持っている朝鮮民族は、O2が3割強、O3が約4割、Dは2%強となっている。
これらから判断すると、漢民族の朝鮮半島進出によって、宗主国である漢民族のO3が多くなったと推測される。
また、蒙古族はCが5割を上回り、ついで1割強がO3、チベット人はDが4割強でO3が4割弱となっている。
チベット、蒙古とも漢族の進出に押され、Y染色体DNAらが席巻されつつある実態がうかがわれる。

日本人のY染色体DNAから何がわかるかといえば、大陸や半島から渡来した人々が、平和裏に融合したということである。 
渡来人が大挙押し寄せ武力で日本人を征服したのなら、D1bの割合は極端に少なくなっていなければならない。
逆に縄文人が渡来人を制圧したのなら、O2やO3の比率はもっと低くなったはずである。

さて、
日本人のY染色体DNAの4割を占めるD1bが「いわゆる縄文人」の遺伝子で、3万年前に発生したとなると、先住民というのは間違いなく縄文人ということになる。
そして、アイヌや沖縄人にD1bの比率が高いのは、日本列島の先住民の遺伝子を色濃く継承していることに他ならない。

となると、

沖縄の一部の政治家によって叫ばれている「先住民の独立」とは、いったい何のことかわからなくなる。
沖縄人はすなわち日本人そのものだからである。

もっとも、かれらは科学的に事実がどうであろうと、思い込んだら命がけで感情的に叫んでいるだけだろうから、沖縄県人にもいずれ呆れられて相手にもされなくなるのは目に見えている。
スコットランド独立騒動でいまは注目されているが、飽きられるのはさほど遠い時期のことではないだろう。(文責:千代田哲雄)

□Y染色体分析の結果、従来、唱えられてきた二重構造モデル論は、つまり「列島固有の縄文人の基層の上に、稲作文化を携えて大陸及び半島から渡来した弥生人、すなわち韓人や中国人が乗る形で加わったことで、列島人社会は種族的に重層構造を持つに至った」とする説は、今や大きく揺らいでいる。 

詳しく述べれば、こういうことだ。 
「縄文・弥生・古墳の各時代、それ以降を問わず、列島人男性の遺骸、及び現代人男性の人体から検出されるY染色体は、列島人に特徴的なそれが過半を占める」 ということが分かってきた。
つまり、韓人や中国人(華北人)に特徴的ではないY染色体DNAのハプログループ(型集団)D2系統(※現 D1b系統)及びO2b1系統の合計が、出現頻度50%を超えることが明らかになったのだ。 

列島人のうちに出現する韓人や中国人と共有するハプログループC系統、O系統などについて、もしその存在が彼ら「渡来人」にほとんど由来しないことになる。 
それらは東アジア人に共通のものであるから、遥かな古に大陸から渡ってきたとされる縄文人の祖先が、もともと内包していたY染色体DNAのハプログループということになる。 

結局のところ、
「列島人男性に見いだせるY染色体DNAの諸ハプログループの内、その90%が縄文人から受け継いだものと解することができる」というのだ。
そうなると、通説が想定する大人数の韓人や中国人の(主に男性の)移住・植民の可能性は修正を余儀なくされよう。(文責:齋藤忠) 

■中日共同調査団が発表、 「弥生人」の起源は中国江南地方 DNA分析で確定 

共同通信によると、日本に稲作を伝えたとされる渡来系弥生人の人骨と、長江(揚子江)下流域の江蘇省で発掘されたほぼ同時期の人骨の特徴がよく似ており、DNA分析で配列の一部が一致する個体もあることが、18日までの中日共同調査団の調査で分かった。 

渡来系弥生人は、朝鮮半島や華北地方から来たという説が有力と考えられていたが、稲作の起源地とされる長江下流域を含む江南地方からも渡来した可能性が高くなり、弥生人の起源を探る上で注目されそうだ。 

同日、東京で記者会見した日本側山口団長らによると、調査団は1996年から3年計画で、江蘇省で出土した新石器時代から前漢時代(紀元前202-紀元後3年)にかけての人骨と、福岡、山口両県で出土した渡来系弥生人や縄文人の人骨を比較した。 
その結果、弥生時代の直前に当たる春秋時代(紀元前8―同5世紀)から前漢時代にかけての江蘇省の人骨と、渡来系弥生人の人骨には、頭や四肢の骨の形に共通点が多かった。 

また日本列島では縄文時代から弥生時代にかけて前歯の一部を抜く風習があったが、江蘇省の人骨二体にも抜歯の跡があった。 

江蘇省の人骨36体からDNAを抽出し分析した結果、春秋時代の三体でDNAの塩基配列の一部が弥生人のものと一致したという。 

中国側団長の鄒厚本南京博物院考古研究所所長は「弥生人と江南人骨の特徴が極めて似ていることが分かり、弥生人渡来の江南ルート説に科学的根拠が与えられた。今後も多方面から研究を進め、弥生人渡来の実態を解明したい」と話している。 
江蘇省ではこれまで春秋戦国時代から前漢時代までの人骨がほとんど出土せず、渡来系弥生人との関連を探る研究は進んでいなかった。

□「中国人・朝鮮人」と「日本人」は、DNAの研究で完全に「赤の他人」と判明しています。
皆さんも、「Y染色体ハプログループD1b系統」をインターネットで検索し、ご自分が何者か知って下さい。
自分達がもしかして中国人・朝鮮人と同じ系統の民族かもしれないという誤解があるならばそれを払拭し、全日本人一人一人が「中国人・朝鮮人」は、自分達日本人とは「完全に赤の他人である」という認識を持って「中国人・朝鮮人」に接して下さい。

誤解のないように申し上げておきますと、これは決して人種差別ではありません。
男は男であり、女は女であることと同じように、生まれた時から違う個体差があるという区別なのです。 
これはそれぞれの民族を優劣で判断するための識別ではありません。

我々日本人はかつて人種差別と戦い、東亜の平和と安定を守るため、白人勢力による植民地支配からアジアを解放するために総力戦で戦いました。 
そして、アジアの独立を勝ち取りました。
これは、たった今から70年前の出来事です。

しかし、今や侵略的野心を以って他民族を隷属させ資源を奪い取ろうとする中国共産党の策謀が明らかとなり、朝鮮半島にも日本の社会的地位を貶めようとする不穏な勢力が暗躍し、また日本国内においても、朝日新聞を始めとする捏造記事を基に内憂外患を誘導しようとする狂信的反日分子が暗躍しています。
「中国人」も「朝鮮人」もまた「日本人」も民族が似ているという虚偽論説を敷衍(ふえん)し、日本人を油断させて寝首を掻こうという策謀のようです。 
我々日本人のすぐそばに、日本人になりすました凶悪な外国人が、我々の国土や財産を狙っているのです。

このなりすまし日本人を見破るのはDNA鑑定しかありません。
しかし、敵はそうはさせまいと意図的にY染色体の研究を妨害しているのです。
ですから、天皇陛下のY染色体ハプログループはもとより我々日本人のハプログループの研究も国内ではうまく進めていくことができない状況になっているのです。

ソウル大教授「韓国人は北方モンゴロイドのエベンキ族と南方原住民の血が混ざって形成された民族」
image


■韓国大教授「韓国人のルーツはエベンキ人」
韓国聯合ニュース(リンク切れ)

韓国外国語大学ロシア語科のカン・トクス教授はサハ共和国南北辺境に住んでいるエベンキ人たちが使うエベンキ(ツングース)語は数字や一家親戚を称する単語が韓国語と非常に似ていると話した。
韓国人のルーツはエベンキ人ではないかと主張している。
エベンキ語のデョルは韓国語のドルで「石」
デュルはドゥルで「2(二)」
デュル-レはドゥル-レで「周り」
ムはムルで「水」
アミはアビで「父」
エニはエミで「母」
アシはアッシで「若い女性(アガシ)」
アキはアチで「おじさん(アジョシ)」
べイェはべで「輩」
~ンイは~ウイで「~の」を意味する。

カン教授によれば「韓国語の起源がツングース語だという学説を後押しできる実体的証拠が発見された、さらに多い研究が必要だ」ということ。
教授はまた、エベンキ人と韓国人の人種的類似性と関連、「何年か前にDNA検査のためにエベンキ人の髪の毛をソウル大学に渡したことがあるが、まだ研究結果は聞けなかった。エベンキ人たちも私たち(韓国人)のようにモンゴル斑点があり、顔付きも似ている」とも話した。

・バイカル近隣の少数民族「エベンキ族」は現在まで「アリラン」と「スリラン」という単語を使っている。
韓国でもっとも有名な民謡である「アリラン」の歌詞(リフレーン?)の「アリラン」は「迎える」、「スリラン」は「感じて知る」という意味だという。

・シベリア原住民の遺伝子と韓国人の遺伝子型を分析した結果、約70%が典型的なモンゴロイドの遺伝型を見せた。
父系を知らせてくれるY染色体の場合、シベリア原住民は主にO型、南アジア原住民はC・D型。
韓国人はO型とC・D型が混ざっているという。
イ・ホンギュ ソウル大医大教授は「韓国人は北方モンゴロイドのエベンキ族と南方原住民の血が混ざって形成された民族」と主張した。

KimWook2010에 근거한 한국인 부계하플로의 지역별 분포
image
image

済州島 Jeju
ソウル Seoul
全羅道 JeolLa 旧百済
忠清道 ChungCheong 旧百済
江原道 GangWon 旧高句麗
慶尚道 GyeonSang 旧新羅

沖縄で大量に旧石器時代の大量の人骨が発掘。国内最古のDNAの抽出に成功 
沖縄で旧石器時代の人骨が大量に発見されている。
現在までに既に24体が発掘。
旧石器時代の遺跡としてはアジアでも最大とされる。

場所は沖縄県・石垣島(石垣市)の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡。
そのうち最も古いものは2万4千~2万6千年前の人骨(放射性炭素年代による)。 
2万年前の女性の人骨からはDNAを抽出することにも成功した。 
古代人のDNAとしては国内最古で、旧石器時代では初。DNAパターンも判明し、日本人の祖先が南方から来たとする説を考える上で貴重な成果となった。 
古い人骨のDNAはこれまで、縄文時代早期(約8000年前)以降の関東や東北、北海道、弥生時代では北部九州と奈良県などの遺跡の人骨から抽出・分析されているが、旧石器時代はなかった。 

4点のうち2点は「M7a」と呼ばれるDNAタイプで、ほぼ日本列島固有。
現代の本土の日本人では約7%が持つが、沖縄の人々では約25%と突出する。
M7aは本土の縄文時代の人骨からも確認され、M7aと共通の祖先を持つタイプ(M7b、M7c)は中国大陸南部や東南アジアを中心に分布しており、今回の人骨の主は、東南アジアなど南方から北上してきた人類とみられる。 
またオーストラリアのアポジリニやニューギニア人との共通性も見られる。

以下は
日本人
からの引用です。

Y染色体(父系)による系統分析
母系のみをたどるミトコンドリア解析に対し、父系をたどるY染色体は長期間の追跡に適しており、1990年代後半からY染色体ハプログループの研究が急速に進展した。
ヒトのY染色体のDNA型はAからTの20系統がある。

複数の研究論文から引用したY染色体のDNA型の比率を示す。
ただし全ての型を網羅していないため、合計は100%にならない。
空欄は資料なしで、必ずしも0%の意味ではない(日本人に関する調査で、O2bの検査のみでO2b1の検査を行ってないものはO2b*とO2b1のセルを結合、さらにO2a,O2bの検査を行っていないものはO2(xO2b)のセルも結合している)。
下記テーブル中にあるO2b1(O-47z)はO2b*(O-SRY465*)から派生した別個のハプログループであり、O2b*に含まれるものではない。
(表は引用先で)
D1b系統は(アイヌ・琉球を含む)日本人にのみ高頻度で確認されている。
朝鮮半島、中国、ミクロネシアでも稀に散見されている。

O2b系統は、D1b系統と違って、頻繁に東南アジアでも確認されていて、朝鮮半島に於いては日本以上の頻度で確認されている(しかし日本で8割を占めると考えられるO2b1a-47zというサブグループは、おおよそ4,000年ないし12,000年前に発生したと概算されているので、他で多く見られるO2b-M176(x47z)というサブグループとはそれ以上昔に血筋がわかれているということになる)。

また、O2b系統は中国、ミクロネシア、インドネシアでも散見されるほか、ベトナムでも散見されている。C1系統は日本国内でも5%程度の男性しか見つかっていない。

DD1b系統は本土日本人・アイヌ・沖縄に固有に見られるタイプで、これに近いD1系統はタイ、台湾、中国人、朝鮮人には稀にしか見られない。
これは縄文人の血を色濃く残すとされるアイヌに88%見られることから、

ハプログループD1bは縄文人特有のY染色体だとされる。

アリゾナ大学のマイケル・F・ハマー (Michael F. Hammer) のY染色体分析でもYAPハプロタイプ(D系統)が扱われ、さらにチベット人も沖縄同様、約50%の頻度でこのYAPハプロタイプを持っていることを根拠に、縄文人の祖先は約5万年前に中央アジアにいた集団が東進を続けた結果、約3万年前に北方ルートで北海道に到着したとする説を提出した。
image

現在世界でD系統は極めて稀な系統になっており、日本人が最大集積地点としてその希少な血を高頻度で受け継いでいる
それを最大とし、その他では遠く西に離れたチベット人に存続するだけである。

以下は
ハプログループD-M64.1 (Y染色体)
からの引用です。

ハプログループD-M64.1 (Y染色体)(ハプログループD-M64.1 (Yせんしょくたい)、英:Haplogroup D-M64.1 (Y chromosome))とは、分子人類学で用いられる、人類のY染色体ハプログループ(単倍群)の分類のうち、ハプログループDのサブクレード(細分岐)の一つで、「M64.1」の子孫の系統である。
3万年ほど前に日本列島で誕生したと考えられ、現在日本人の3割ないし4割がこのハプログループに属している。

従来はハプログループD2と系統名称で呼ばれていたが、
2014年5月23日、ISOGGの系統樹が更新されたことにより、本項目で語られている内容の系統名称はハプログループD1bと改訂されている。

概略
ハプログループD1b(D-M64.1)は、日本列島で観察される。
日本人の約35%にみられ、大和民族や琉球民族だけでなくアイヌの80%以上もこれに属する。
沖縄や奄美大島や日本全土で大多数を占める。

ハプログループD1bは、日本で誕生してから3.8-3.7万年ほど経過していると考えられている。

他のハプログループDのサブクレードとは数万年の隔絶がある。
東アジアの他地域ではD1bの姉妹型D1aがチベット人の最大49%、ヤオ族で30%観察される。
さらにD1の姉妹型のD2が台湾やフィリピンのマクタン島で見つかっている。
D1にもD2にも属さないD*はアンダマン諸島のジャラワ族、オンゲ族で100%を占め、マリアナ諸島のグアム島で島民の17%にみられる。

以上引用終わり。

□ 韓国人(及びNHK・朝日新聞などの日本の売国反日メディア)が自国と日本人遺伝子を語るとき、決してY染色体にはふれずミトコンドリアだけで語ります。 

しかしそのミトコンドリア遺伝子ではアジアでみられる起源はすべて2万年以上前のため、それより以降の新モンゴロイドの発生移動と増加には全く役に立たない。 
つまり東アジアではどの国も多少の差はあれどほとんど同じ構成になってしまう 
のである。
これが「日本人と韓国人は遺伝的に近い」などというデタラメ論の正体。 

そもそも人類のDNAを分析する場合は、系統分類に適さないミトコンドリア遺伝子は使用せず、系統分類し易い父系のY染色体の分類法を使用する。
日本人のY染色体の特殊性は前述のとおり、韓国人との差は一目瞭然。 

日本には古く中東やチベットまでたどれるD系統の遺伝子が大半を占めているが、韓国人にはD系統が皆無なのです。 

Y遺伝子D系統を持つ人種 
アイヌ人……88% 
沖縄人……56% 
本土日本人…42~56% 
チベット人…33% 
韓国人……0%   ←←←ココに注目!!! 


※このようにY染色体を見れば、我々日本人と韓国人とは何の関係も無い赤の他人である事実がハッキリと分かります。 

結論として「DNA」とひとくくりに言っても系統分類に適したY染色体を意図的に無視し、系統分類に適さないミトコンドリア遺伝型の割合だけを使用すると、間違った結論に導かれる(ミスリードされる)可能性があり注意を要するという事なんです。 

みなさんも反日メディアや朝鮮人が、一見科学的データを根拠にしている風を装って流す「日本人と韓国人は兄弟」だとか「皇室のルーツは朝鮮半島人だ」などという嘘・デタラメは信じないように注意しましょう。

韓国の歴史捏造
日本人 = 日本書紀に「391年に神功皇后が百済と新羅を征服したと書いてある」 
韓国人 = 捏造だ。

日本人 = 朝鮮半島の歴史書である『三国史記「新羅本記」』にも慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。 さらに新羅は何回も王子を人質として日本に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。
韓国人 = 捏造だ。

中国人 = 満州にある石碑『広開土王碑』にも倭国が海を渡って半島を攻め百済と新羅を臣下にしたと書いてある。
韓国人 = 捏造だ。

中国人 = 中国の歴史書の宋書にも倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。
韓国人 = 捏造だ。

中国人 = 中国の歴史書の魏志倭人伝には既に3世紀から倭国では鉄の鏃を使ったと書いてある。
韓国人 = 捏造だ。

中国人 = 中国の歴史書の随書にも倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。
百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。
日本人 = 日本や中国の歴史書や発掘品は全て捏造なのか? 
韓国人 = そうだ!韓国に都合の悪い歴史書は全て捏造だ。

中国人 = 中国の歴史書まで捏造か? 
韓国人 = そうだ。歴史書が本物だとしても,日本という名前は7世紀まで無かった。 倭と日本は違う。
日本人 = 朝鮮半島の歴史書である三国史記に「670年の十二月に、倭国が国号を日本と改名した。日の出る所に近いから、これをもって「日本国」としたとの事である。」とあるが? 
中国人 = 中国政府も外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)で「5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期に、日本の支配が朝鮮半島の南部にまで拡大した」と公式に認めている。 
日本人 = イギリスのオックスフォード大学の出版社(www.oup.com/ca)の教科書が、「5世紀の日本の勢力は朝鮮半島南部まで支配した。」 と書いている。それを世界50か国の学校に発行している。
日本人 = アメリカのコロンビア大学やアメリカ議会図書館が「5世紀の朝鮮半島南部は日本の大和政権の支配下にあった」 と記載している。
韓国人 = 世界中が朝鮮半島を捏造している!!

韓国人以外の一同「ではそれらの捏造を裏付ける証拠は?」
韓国人「・・・・・・韓国に対する愛はないのか!!ー!!」

□ 倭が391年以来、海を越えて襲来し、百済や新羅を破って服属させてしまった。(広開土王碑) 
新羅百済は倭を大国と崇めた。(隋書81巻Г東夷倭国」) 
新羅の4代目国王の昔脱解は日本人。(三国史記Г新羅本記」) 
百済の王が王子を人質として倭国に送る。(三国史記Г百済本紀」) 
新羅は倭国に奈勿王の子、未斯欣王子を人質に送る。(三国史記Г新羅本紀」)

□日本書紀・魏志倭人伝・隋書 東夷伝・宋書 夷蛮伝・三国史記 新羅本記・三国史記 百済本紀 中国政府外交部・英国:オックスフォード大学・米国:コロンビア大学・米国議会図書館… 

これだけの歴史書や教科書が、一様に「-新羅や百済は倭(日本)の属国だった」と述べている。 

・勾玉=材料となる翡翠が東アジアで日本の糸魚川でしか産出されない。 
・全羅南道からは鹿角製刀装具や珠文鏡が出土していてこれも日本の原石から作られている 
・土器=日本最古の土器(1万6500年前)がほぼ『世界最古』の土器。 
・水田稲作=「①炭素測定法、②品種遺伝子」が日本が朝鮮に伝えた証拠。 
・前方後円墳=日本のほうが古い。韓国の前方後円墳の出土物は日本の土器類に酷似。 
・4世紀頃(391年、倭が海を越え襲来し百済や新羅を破って服属させた 
・「広開土王碑」)から7世紀(白村江の戦い)まで、朝鮮半島は九州などと同様に日本(倭国)の一部。 
・百済の「武寧王」も、その父の「東城王」も、日本の九州で生まれ朝鮮半島に渡った。 
・東城王(末多王)の百済王即位も日本(天皇)によって決められた。 
・武寧王の子「純陀太子」は日本に人質として来て、子孫もそのまま日本に住み着いた。 
・「百済とは昔から日本(倭国)の一地方」だったため、百済の王は天皇が決めていた。 
・ 日本生まれの「東城王(末多王)」や「武寧王」等が朝鮮半島に渡って即位していた。 
・インド発祥の仏教は中国を経て日本の一部である百済経由で日本の本州へ伝来した。 
・新羅の王の、王冠の飾り(宝石)も日本産の素材。 

全羅道で発見された日本式古墳の遺体のDNAを調べたら、日本人と極めて近いって判明している。

古墳が日本式で日本の材料を使った装飾品、王に日本生まれの倭人が出ている、家臣にも倭人が多い、百済が滅ぼされたとき、半島で言葉が通じなくなって、意思の疎通が困難になったなどなど。 

高句麗も扶余系で 高句麗語も古代日本語との類似点が、指摘されている。 

言ってしまえば、古代の半島は日本民族が治めていて、後の朝鮮民族の元になる、新羅系に侵略されて、半島南部を奪われたと言える。

□百済の滅亡を助けに行ったのが日本で、唐と連合して領土を外国に売り渡したのが新羅。 

新羅が唐に領土を売り渡したから、朝鮮半島は漢民族のハプログループO3がうじゃうじゃいる。
その結果が今の朝鮮半島。 
名前も朝鮮族本来のものを捨てて、唐風にしたから、金とか李とか鄭とかになっている。 

日本の皇室や、貴族の藤原家のY染色体は、白村江の合戦より遥かに古い時代からのもので、分子生物学でも明らかになっている事実。 

稲作は日本から朝鮮半島へ伝播した事が判明
稲作文化は弥生時代に大陸から朝鮮半島を経由して日本にもたらされたとの説が覆された。
近年、炭素14年代測定法という最新の年代測定法の成果で朝鮮半島の稲作より日本の方がかなり古いことが分かってきたのだ。 

日本の稲作開始は縄文時代、陸稲栽培で6700年程度前まで、水稲栽培で3200年程度前まで遡ることが判明している。 

これに対し朝鮮半島では水稲栽培は無去洞玉峴遺跡の2500~2800年程度前までしか遡れない点、九州北部と栽培法が酷似していることや遺伝子学的に日本の古代米に満州から入った米の遺伝子が交雑した米が多いことなどから、水稲は日本から朝鮮半島へ、陸稲は満州経由で朝鮮半島へ伝わったことが判明した。 

中国政府の研究機関でも調査が進み間違いないという結論が出ている。 
韓国の学界は激しく反発しているが、もはや意地でも朝鮮半島から日本に米が伝わった事にしてしまいたいとの思惑にしか見えない。

韓国で日本式【前方後円墳】を大量に発見

image
明治時代、朝鮮半島北部で発見された【広開土王碑】。

碑文には古代の日本を表す【倭】の文字が刻まれてあり、碑文の内容は『日本書紀』の記述を裏付けるものとなった。 

この発見以降、日本が朝鮮半島に渡り、南部の7国を平定した後に任那を従えて【任那日本府】を置いたとされ、日本が半島の一部を支配していたという歴史観が明治時代から60年間続いていた。 

しかし、近年これら歴史的資料に加え、支那正史の『宋書』や朝鮮の史料である『三国史記』なども左翼学者によって無視され、「伽耶地方は小さな国に分かれていた」という簡素な表記に変わり、現在は日本が朝鮮半島を支配したという事実はない事になっています。 

つまり、「朝鮮半島にいた倭人は支配層では無く、伽耶から鉄製品を貰う為の人間(傭兵・奴隷)だった」との珍説をもってすり替えたのだ。 
どうやらあくまでも倭国の支配が朝鮮半島に及んでいた事実を消してしまいたいらしい。 

ところが、朝鮮半島のヨンサンガン下流で日本固有の形式である【前方後円墳】が13個発掘されるという、韓国にとってあってはならないはずの遺跡が出土した。 
韓国歴史学者は、この古墳群についてさえ百済が高句麗を欺く為に倭人に命じて作らせたとの更なる暴論を展開している。

以下は当ブログの
Г戦後史の闇 その5
でも引用しましたが、再び
元公安の菅沼氏「ヤクザの6割が同和、3割が在日」
からの引用です。

被差別部落が歴史的に皮革や牛の解体等の職種についてる理由は、秀吉が騎馬民族のモンゴルに服属して受け継いだ食肉文化の朝鮮人達の技能を求めて奴隷として大量に連行したことにあります。

秀吉に同調して兵力を拠出した地方藩主が、それぞれ独自に連れ帰って、自分達の領土に定住させたようだ。
だから、出兵前に存在していなかった職業が、その後存在し、それは、出兵の破綻と豊臣政権の崩壊→徳川政権樹立・幕藩体制確立の中で、体制を維持する上で必須の身分制度として固定化されていった。
数世代経つうちにその出自は忘却され、中世からの餌取等の歴史的な被差別民の記録と結び付けられることによってその歴史が古来から連綿と続く、土着の賎民と誤解して位置付けられるようになったのである。

被差別部落異民族起源説というのは昔から根強く存在していて、その世界ではある種タブーとさててきた。
なぜなら『同じ日本人なのに・・』
という論理で部落差別解消に取り組んでいるのに、その論理が破綻するからです。
それに部落の所在地は明らかに西日本に偏っていて、本来もっと多くないとおかしい東日本、ことに関東には極めて少ないことを、公の理論では説明できない。
徳川時代に制度化されたなら、江戸が最も多くないとおかしいですから。

それと源流=白丁ではないですね。白丁も入っているけど、陶工など、日本に存在していなかった朝鮮で盛んな便利な職人達を連れ帰ったんです。
秀吉連行説の文章に職種が詳しく書いてあったが、失念してしまった。特殊技能の持ち主だったが。

(さて,)豊臣秀吉の文録・慶長の役と被差別部落との関係について言及したが、役によって日本に連行された朝鮮人はどの程度に及んでいるのだろうか?
別名、「陶器戦争」「ひとさらい戦争」と呼ばれた戦争で、実数は諸説あるが、数万人以上、10万人弱というところだろうか。
徳川幕府成立後、日朝間に通信士の往来があったことは知られているが、12回に及んだ朝鮮通信士の訪日の内、最初の3回が、回答兼刷還使というものであって、それが連行朝鮮人を取り戻す使命を負った使節であることはあまり知られていない。
回答兼刷還使というのは、朝鮮側がまず徳川にまず国書を送れと要求し(実際は将軍は送るはずもなく、現地が捏造したものと考えられている)、それに回答すると同時に、捕虜の回復を求める使節という意味である。
通信使の中には白丁も含まれていて、通信使の為に肉牛を飼育し、肉料理を調理していたと広島藩の文書に記録されている。

以上引用終わり。

さて,この朝鮮半島から半ば強引に連れてこられた人々が(※李氏朝鮮末に至るまで度重なる飢饉に見舞われた彼らは、嬉々として日本に渡って来たと思われます。―半島の長い歴史の中で飢饉が発生しないのは日帝、米帝統治下だけです。)、日本の政治に深く関わっています。

安倍晋太郎
総理目前で癌で死去した安倍総理の父ですが、
「週刊朝日」2006年10月6日号には、「家政婦は見た~安倍晋三研究」で、安倍家の家政婦の証言として、
『安倍晋三の父・晋太郎は、日頃から
「自分は朝鮮だ」
が口癖で、亡くなったときの遺骨を見ても韓国系の体型だった』
と掲載されています。

以下引用。

安倍家に家政婦として40年間勤めた久保ウメさんの証言で、安倍晋太郎元外相が、「私は朝鮮人だ」と言ったというのです。
「パパ(安倍元外相)は誰にも言えないことを私には言ってくれた」
「(安倍元外相死去直後)入棺のとき、この人の骨格を見ながら本当に日本人の物ではないと思った」
「頭からつま先までまっすぐに横になっていたが、完全に韓国人の体形だ。(安倍元外相自らも『私は朝鮮(人)だ。朝鮮』と言っていたが、この人は朝鮮人だと思った。」

以下は当ブログの
Г戦後史の闇 その6」
からの引用です。

■佐藤栄作
非核三原則でノーベル賞授賞し、現在まで唯一・最多の自民党総裁4選を果たした総理大臣ですが、朝鮮人陶工の子孫である第14代・沈寿官(ちんじゅかん)との会話で、
「半島のどの故郷から、いつ来たかは詳細には分からないが、自分の先祖が朝鮮からわたってきて山口に定着した…」
と述べたとされます。

沈寿官公式HP

■岸信介(きし のぶすけ)
佐藤栄作の兄に当たり、総理大臣退任後も“昭和の妖怪”と呼ばれて政治を操ったとされます。
アメリカの対日工作員として日米安保条約を締結します。
が、建国されたばかりの満州国国務院の高官として実業部次長や産業部次長など要職を歴任し、「満州開発五か年計画」などを手がけ、日本の商工省に復帰すると次官に就任。東條内閣では商工大臣として入閣し、のちに無任所の国務大臣となりました。
東條内閣の閣僚を務める間も、商工省の次官や軍需省の次官を兼任していた経歴から、太平洋戦争後にA級戦犯容疑者として逮捕されています(後に不起訴・公職追放)。

後に自民党総裁として総理大臣になりますが、もとは社会党に入ろうとして、大反対にあって自民党に鞍替えしただけであり、もとは満州の革新官僚として共産・社会主義者に分類されていました。

■岸家と佐藤家について
岸信介
より。

岩川隆著『忍魁・佐藤栄作研究』 58-59頁に
「余談になるが、岸家と佐藤家について語ってもらった挿話がおもしろかった。
郷里、田布施の選挙戦の時、佐藤派はなんとかして岸信介にケチをつけたいと頭をひねった。
思いついたのが、土地に古くから言い伝えられていた“ガン”の故事である。 『もともと岸家は、悪代官の家系ではないか』、と誰かが言い始めた。

というのは、毛利元就(もとなり)が陶晴賢(すえ はるかた)と厳島(いつくしま)沖で戦って大勝を収めた際、寝返って毛利方についた船の調達人が“ガン”と称する帰化人であったという。
周防長門を手中におさめた毛利公は、その功績によって“ガン”を田布施周辺の代官に召し立てた。
ところがこれが悪代官で、年貢は厳しく取り立てるし、女を囲う、金を貯める。このガンの子孫こそ、ほかならぬ“岸(がん)”ではないか、というのであった。

選挙戦となると、佐藤陣営はこの昔話を“岸家”にこじつけて“岸信介は悪代官の子孫だ!”
と、喚(わめ)きたてた。
龍太郎も最初のうちは、そうだ、そうだ、と同調していたが、しだいに照れくさくなって言わなくなった。

…考えてみると信介が岸家に養子にいったのは事実だが、それ以前に、信介と栄作の父・佐藤秀助は岸家から佐藤家へ養子に来た男である。
栄作にも、そして龍太郎にも岸家の血が流れている。悪代官の子孫だ、と佐藤派の者が叫ぶたびにヘンな気がしてきたという。
天にツバするとはこのことか。
岸家と佐藤家は、異なるようで同じく、同じようで違う。
両者“悪代官”の果てかどうかは定かでないが、この挿話は両家の関係をよくあらわしている。」
とある。

以上引用終わり。

ここまでくると、朝鮮人差別などは架空のおとぎ話である、またはお人好し日本人から搾取する為の詐欺話であるとも言えることがわかりますね。

ただ韓国保護国下以後、現在までに単純労働者として渡って来た者の中に、強盗、詐欺師の類いや、他人から収奪する事しか頭のない両斑階級などが朝鮮人への評価を大きく下げたのも事実ですが。


以下は
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/yotoyato.htm(リンク切れ)
からの引用です。

■小泉純一郎
父親の純也は、鹿児島加世田の朝鮮部落の出身者といわれる。
日大卒業名簿には、純也の日本名はなく、見知らぬ朝鮮名が書かれているという(鹿児島には、秀吉が400年前に連れてきた朝鮮人捕虜や陶工の部落が今でもある。だが、これらの部落に、日韓併合の後に来日した朝鮮人が混在している事実がある)。
父親の純也の母が、朝鮮人だったとする情報がある(小野寺光一の「政治経済の真実」 )。

更に純也と結婚して、小泉純一郎を産んだ小泉芳江は、上野の朝鮮人女給を祖父・又次郎が妾にして産ませた娘だったとする説がある。

更に離婚した「元妻」、宮本佳代子さんは、エスエス製薬創業者の孫だが、エスエス製薬は、在日企業である。
隠れ在日同士の政略結婚だったのではないか?

また、小泉純一郎は北朝鮮訪朝時の空白の10分間に「あなたの父親は北朝鮮人だよ」と金正日に言われたという話が伝わっている。
そして、鹿児島出身の朝鮮人僧侶、池口恵観が「小泉は俺といとこだ」と証言している。
純也は朝鮮人の帰国事業の会長だった……

以上引用終わり。
image
三無事件で逮捕された 池口恵観こと鮫島正純氏(在日帰化朝鮮人)。
朝鮮総連本部を落札したが、お金が集まらなかった。
image
鮫島姓は小泉首相の親戚のようです。


以下は
東郷重徳
からの引用です。

image
開戦時と終戦時の外務大臣でA級戦犯として病没した 在日朝鮮人の東郷重徳


東郷 茂徳(とうごう しげのり、旧字体: 東鄕茂德、1882年(明治15年)12月10日 - 1950年(昭和25年)7月23日)は日本の外交官、政治家。太平洋戦争開戦時及び終戦時の日本の外務大臣。
鹿児島県日置郡にあった、朝鮮人陶工の子孫で形成された集落「苗代川村」(現・日置市東市来町美山)の出身である。

欧亜局長や駐ドイツ大使及び駐ソ連大使を歴任、東條内閣で外務大臣兼拓務大臣として入閣して日米交渉にあたるが、日米開戦を回避できなかった。鈴木貫太郎内閣で外務大臣兼大東亜大臣として入閣、終戦工作に尽力した。にもかかわらず戦後、開戦時の外相だったがために戦争責任を問われ、A級戦犯として極東国際軍事裁判で禁錮20年の判決を受け、巣鴨拘置所に服役中に病没した。

東郷は剛直で責任感が強く、平和主義者である一方で現実的な視野を併せ持った合理主義者だったが、正念場において内外情勢の急転に巻き込まれて苦慮するケースが多かったと言える。

□略歴
生い立ち

東郷茂徳は1882年12月10日に、「朴茂徳」として鹿児島県日置郡苗代川村で生まれた。苗代川は、豊臣秀吉の文禄・慶長の役の際に捕虜になり島津義弘の帰国に同行した朝鮮人陶工の一部が、薩摩藩によって集められて形成された集落であった。
薩摩藩は苗代川の住民に対して、朝鮮の風俗を保持すること、日本名の使用禁止、他所との通婚の規制を命じる一方、他所の人間からの「乱暴狼藉」に対しては厳罰を課すなど、保護・統制が一体化した政策を取った。

苗代川の住民の多くは「郷士」よりも下の地位に位置づけられた(タコ注:それでも農民よりは上)が、前記の保護ともあわせて手厚く遇された。
しかし、明治維新後の壬申戸籍では「平民」とされ、1880年には苗代川の男子364人の連名で「士籍編入之願」が鹿児島県庁に提出された。この364人の中には、祖父・伊駒も名を連ねていた。
しかし、士族への編入は1885年の最後の請願まで却下され続けた。

その翌年にあたる1886年、朴家は東郷を名乗る士族の家禄を購入してその戸籍に入り、9月6日付で当時満4歳まであと3ヶ月だった茂徳は「東郷茂徳」となった。
なお、鹿児島では「東郷」姓はありふれたもので、朴家が入籍した東郷家は東郷平八郎とは無関係である。
茂徳の父・壽勝は陶工ではなかったものの、雇った陶工の作った作品を横浜の外国人など県外に向けて販売し、財を築いたという。

以上引用終わり。

□「中国人・朝鮮人」と「日本人」は、DNAの研究で完全に「赤の他人」と判明しています。
皆さんも、「Y染色体ハプログループD1b系統」をインターネットで検索し、ご自分が何者か知って下さい。
自分達がもしかして中国人・朝鮮人と同じ系統の民族かもしれないという誤解があるならばそれを払拭し、全日本人一人一人が「中国人・朝鮮人」は、自分達日本人とは「完全に赤の他人である」という認識を持って「中国人・朝鮮人」に接して下さい。

誤解のないように申し上げておきますと、これは決して人種差別ではありません。
男は男であり、女は女であることと同じように、生まれた時から違う個体差があるという区別なのです。
これはそれぞれの民族を優劣で判断するための識別ではありません。

我々日本人はかつて人種差別と戦い、東亜の平和と安定を守るため、白人勢力による植民地支配からアジアを解放するために総力戦で戦いました。
そして、アジアの独立を勝ち取りました。これは、たった今から70年前の出来事です。 
しかし、今や侵略的野心を以って他民族を隷属させ資源を奪い取ろうとする中国共産党の策謀が明らかとなり、朝鮮半島にも日本の社会的地位を貶めようとする不穏な勢力が暗躍し、また日本国内においても、朝日新聞を始めとする

捏造記事を基に内憂外患を誘導しようとする狂信的反日分子が暗躍しています。

「中国人」も「朝鮮人」もまた「日本人」も民族が似ているという虚偽論説を敷衍し、日本人を油断させて寝首を掻こうという策謀のようです。
我々日本人のすぐそばに、日本人になりすました凶悪な外国人が、我々の国土や財産を狙っているのです。

以上引用終わり。

共産主義者による
敗戦革命のため
または朝鮮半島の平和のため
昔も今も沖縄は、
捨て石でしかない?!

image
image
image


こちらも