2011年12月

2011年12月31日

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孫たち  12月31日午後9時
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孫たち
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孫たち 

tada170302 at 23:13コメント(0)トラックバック(0)家族 

1年間大変お世話になりました。

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 日本ブログ村九州風景写真ブログランキングで、今年1年間はほぼ10位以内か、たまには12位に
落ちることがありました。私のブログを多くのみなさんにご覧いただいたことに心から感謝申し上げます。
にほんブログ村 写真ブログ 九州風景写真へ来年もなんとか10位以内をめざし更新したいと思います。ご協力を願い致します。

みな様が来年こそは良い年を迎えられますように。

大石メール ooisi32@po.d-b.ne.jp


tada170302 at 15:48コメント(0)トラックバック(0)嬉しい便り 
1、市会議員選挙で連続3回トップ当選

  全国いっせい地方選挙前の豊後高田市議選(2月20日投票)で、投票率が5ポイント下がる中、前回より9.9%得票を伸ばし、今回は公明党に130票(前回51票、前々回31票)引き離し連続3回のトップ当選を果たすことが出来ました。
 寒い中での連日の党員、後援会員、支援者のみなさんのご奮闘、ご協力に心から感謝しています。
  民主党は今回初めて候補者を擁立、国会議員が駆けつけ応援しましたが、前回より117票減らし最下位で当選。

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宮本茂登一先生の音頭で万歳三唱しトップ当選を喜ぶ支援者   2月20日

2、軽い脳梗塞で4月末入院

 市議選のあとは支援者への挨拶まわりもろくにできないまま、議席奪還めざす別府市の県議選や議席増をめざす中津市、杵築市議選などいっせい地方選挙の応援にかけまわる。
 睡眠不足など疲れすぎが要因で、日頃はとても元気だった私が、4月30日の早朝、少し言葉が出にくく、ろれつがまわらないことに気づき、もしや脳梗塞ではないかと察し、救急車にお願いし中津市の中津脳神経外科に運ばれました。
 診察、CT、MRI検査の結果、軽い脳梗塞と診断され入院。病状は軽く点滴治療で3週間の入院見込みとなりました。
 皆様には大変ご心配をおかけ致しましたがお陰様で予想以上に順調に回復し、5月11日にMRIの再検査の結果、退院できることとなり、5月14日の午前中に無事退院することができました。

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福岡の次男、哲也が孫怜音と一緒に見舞いに 5月8日

3、市議40年で全国市議会議長会で表彰される

 市議会議員として40年間の長きにわたっての功績がたたえられ、全国市議会議長会の定期総会で会長から表彰される。

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 額縁入りで届けられた表彰状

4、地域しんぶん「みんなの高田」が創刊2000号に

 「すべての市議会にかならず議席をもつ(全国564市中142市が空白)」の日本共産党第9回大会(1970年7月)の決定後、党の要請に応え郷里の豊後高田市議選に(1971年4月のいっせい地方選挙)に出馬を決意。
4月に結婚したばかりでしたが候補者に決まった後は一刻も早く候補者活動を始めるため、市役所近くの借家を探し回まりました。
 玉津で古い借家を見つけ8月に1人で帰郷(妻は中津市での職場の都合ですぐには退職できず)し、予定候補者としての活動を始めました。
 豊後高田市は保守の牙城と言われ、当時は党組織が大きくなかったため、1969年12月の衆議院選挙は共産党の都留忠久候補147票(67年1月131票)の実績しかありませんでした。これまでの市議には共産党は候補者を擁立することもできませんでした。当時の市議会議員選挙は大分県内で豊後高田市だけが6旧町村別の小選挙区制(定数2~12)で、私は1番大きい定数12の高田選挙区で初議席獲得に挑戦することにしました。
 
  当時は私の選挙区には「赤旗日曜版」読者は9人しかいませんでした。私は毎日各戸を訪問し赤旗見本誌を持って赤旗の拡大行動をしましたが、購読してくれる方は少なく、差し上げようとした見本誌を取りあげて「いらない」と投げつけられ、追い返されてこともありました。あの頃を思い出すと赤旗は最盛期に比べ減少していますが、現在、日曜版購読者の有権者比率は大分県内18市町村の中で3番めまで前進することができました。

 市民のみなさんと共産党を結ぶ絆としての役割を果たすための役立てばとの思いで、地域しんぶん「みんなのの高田」を創刊したのが、候補者活動を始めてから2カ月後のことでした、第1号を発行したのは1970年10月25日です。あれから41年過ぎましたが、今年の10月20日に創刊2000号を達成することができました。その後も毎週木曜日に定期発行を続けています。
 
 衆議院選挙で市全体の得票が147票、高田選挙区ではその半数ほどしか党支持者の弱い地域での最初の市議選で630票(得票率8,3%)、3位当選を果たすことが出来たのは、市民の声を取りあげての候補者活動を繰り広げ、赤旗読者を増やし、「みんなの高田」を配布するなど日常活動を旺盛に取り組んだからだと思います。
 1975年の2期目の市議選では、803票でトップ当選することができました。その日の夜に「みんなの高田」を毎週木曜日の定期発行」することを決意しその後、定期発行を続けてきました。

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「みんなの高田」2000号 10月20日

5、6人目にしてはじめて女の子の孫が生まれる

子どもは2とも男、長男も3人とも男の子、次男も2人が男の子でしたが、12月21日、次男に女の子が生まれました。
 はじめての女の子で喜びもひとしおです。

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初めての女の子の孫・大石心音(ここね)誕生 12月21日

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左は大石蒼音(あお)2歳、怜音(れのん)5歳、心音(ここね)と福岡の病院で12月23日
大石メール ooisi32@po.d-b.ne.jp


tada170302 at 15:19コメント(0)トラックバック(0)家族 
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側溝が整備されて通学路 12月28日


 玉津の国道213号線から高田高校への市道(通学路)は、農協葬祭場入り口付近の側溝が路面より30㎝ほど下がり段差があり、その上、一部フタが設置されてないため危険です。
 近くのある方が9月に市役所に出むいて整備を要求、その後なんの返答も無いため、大石議員に声が寄せられ、案内して頂き調査。こんな危険な状態を知らなかったことを反省させられ早速市役所建設課長に会い、早急に整備するよう申し入れました。課長は職員から何ら聞いて無く実態を掌握していませんでした。
 その後、職員を現場に案内し早急に整備するよう要請していました。

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「側溝が危ない」と市民から要望があった通学路 11月22日
大石メール ooisi32@po.d-b.ne.jp



tada170302 at 09:34コメント(0)トラックバック(0)議会報告 
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 真玉温泉に隣接する河川敷は公園。川下の土手には緑の募金で桜並木が植樹されています。
 ところが管理されずにクズのカズラが生い茂り桜は枯れる寸前でした。市民の声を取りあげ整備を要求していましたが、このほど草刈りされました。

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クズのカズラが生い茂り緑の募金で植樹した桜並木が見えない状況でした。
12月6日
大石メール ooisi32@po.d-b.ne.jp


tada170302 at 09:20コメント(0)トラックバック(0)議会報告 
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