多田敏宏のblog

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说起燕园的野花,声势最为浩大的,要数二月兰了。它们本是很单薄的,脆弱的茎,几片叶子,顶上开着小朵小朵简单的花。可是开成一大片,就形成春光中重要的色调。阴历二月,它们已探头探脑地出现在地上,然后忽然一下子就成了一大片。一大片深紫浅紫的颜色,不知为什么总有点朦胧。房前屋后,路边沟沿,都让它们占据了,熏染了。看起来,好像比它们实际占的地盘还要大。微风过处,花面起伏,丰富的各种层次的紫色一闪一闪地滚动着,仿佛还要到别处去涂抹。
没有人种过这花,但它每年都大开而特开。童年在清华,屋旁小溪边,便是它们的世界。人们不在意有这些花,它们也不在意人们是否在意,只管尽情地开放。那多变化的紫色,贯穿了我所经历的几十个春天。只在昆明那几年让白色的木香花代替了。木香花以后的岁月,便定格在燕园,而燕园的明媚春光,是少不了二月兰的。
斯诺墓所在的小山后面,人迹罕到,便成了二月兰的天下。从路边到山坡,在树与树3之间,挤满花朵。有一小块颜色很深,像需要些水化一化;有一块颜色很浅,近乎白色。在深色中有浅色的花朵,形成一些小亮点儿;在浅色中又有深色的笔触,免得它太轻灵。深深浅浅联成一片。这条路我也是不常走的,但每到春天,总要多来几回,看看这些小友。
其实我家近处,便有二月兰。各芳邻门前都有特色,有人从荷兰带回郁金香,有人从近处花圃移来各色花草。这家因主人年老,儿孙远居海外,没有人侍弄园子,倒给了二月兰充分发展的机会。春来开得满园,像一块花毯,衬着边上的绿松墙。花朵们往松墙的缝隙间直挤过去,稳重的松树也在含笑望着它们。
这花开得很放肆!我心里说。我家屋后,一条弯弯的石径两侧直到后窗下,每到春来,都是二月兰的领地。面积虽小,也在尽情抛洒春光。不想一次有人来收拾院子,给枯草烧了一把火,说也要给野花立规矩。次年春天便不见了二月兰,它受不了规矩。野草却依旧猛长。我简直想给二月兰写信,邀请它们重返家园。信是无处投递,乃特地从附近移了几棵,也尚未见功效。
许多人不知道二月兰为何许花,甚至语文教科书的插图也把它画成兰花的模样。兰花素有花中君子之称,品高香幽。二月兰虽也有个兰字,可完全与兰花没有关系,也不想攀登高枝,只悄悄从泥土中钻出来,如火如荼点缀了春光,又悄悄落尽。我曾建议一年轻画徒,画一画这野花,最好用水彩,用印象派手法。年轻人交来一幅画稿,在灰暗的背景中只有一枝伶仃的花,又依照“现代”眼光,在花旁画了一个破竹篮。
“这不是二月兰的典型姿态。” 我心里评判着。二月兰是一大片一大片的,千军万马。身躯瘦弱地位卑下,却高扬着活力,看了让人透不过气来。而且它们不只开得隆重茂盛,尽情尽性,还有持久的精神。这是今春才悟到的。
因为病,因为懒,常几日不出房门。整个春天各种花开花谢,来去匆匆,有的便不得见。却总见二月兰不动声色地开在那里,似乎随时在等候,问一句:“你好些吗?”
又是一次小病后,在园中行走。忽觉绿色满眼,已为遮蔽炎热做准备。走到二月兰的领地时,不见花朵,只剩下绿色直连到松墙。好像原有一大张绚烂的彩画,现在掀过去了,卷起来了,放在什么地方,以待来年。
我知道,春归去了。
在领地边徘徊了一会儿,忽然意识到二月兰的忠心和执著。从春如十三女儿学绣时,它便开花,直到雨僝风愁,春深春老。它迎春来,伴春在,送春去。古诗云“开到荼蘼花事了”,我始终不知荼蘼是个什么样儿,却亲见二月兰蓦然消失,是春归的一个指征。
迎春人人欢喜,有谁喜欢送春?忠心的、执著的二月兰没有推托这个任务。
 燕園の野生の花といえば、最も勢いがあるのはショカツサイだろう。それ自身は弱々しく、茎ももろくて、葉は数枚、小さくて簡単な花を咲かせている。が、花が咲いて広く群生すると春の景色の中で重要なトーンとなる。旧暦二月、ショカツサイは様子を窺うように地上に現れ、その後忽然と大きく咲き広がっていく。その中の深い紫や浅い紫を見ると、なぜか少し朦朧としてくる。家屋の前や後ろ、道端や溝のわきはすべて占拠され、染め上げられる。実際に占めている面積よりも広く見えるくらいだ。そよ風が吹いて花の面が起伏すると、様々な色合いの紫がきらめくように波立ち、別の場所まで染まっていくようだ。
この花を植える人はいないが、毎年盛大に咲く。子供のころ清華にいたが、家の近くの小川のほとりこそショカツサイの世界だった。人はショカツサイの花が咲いていても気にかけないが、ショカツサイも、人が気にしていようがいまいが、思い切り花を咲かせるのである。その多様に変化する紫は私の数十回の春を貫いてきた。ただ昆明にいた数年間はモッコウの白い花が代わりだった。それ以降は燕園に居を定めたが、燕園の明媚な春の景色にはショカツサイが欠かせないのである。
 スノーの墓がある小山の後ろ側は、人がめったに行かぬところだが、ショカツサイの天下になった。道端から坂まで、樹木の間には、ショカツサイの花がびっしりと咲いている。水で少し薄めたほうがいいと思うほどの色の深いところもあれば、城に近いほど色の浅いところもある。深い色の中に浅い色の花が咲いているのは、まるで小さな光のようだ。浅い色の中に深い色のタッチが混じっていると、軽きに流れるのを防いでくれる。深い色と浅い色がつらなり、一体となっているのだ。この道はふだんはあまり歩かない。だが、春が来るといつもより多めに訪れ、この小さな友人たちを見るのである。
 実は、私の家の近くにもショカツサイが広く咲いているところがある。近所の家の門前はそれぞれ特色があり、オランダから持ち帰ったチューリップを植えているところもあれば、近所の花畑で採集した各種の草花を植えているところもある。主人が年老いて子供達は海外にいるので庭をいじる人がいなくなった家があるが、ショカツサイにとっては大いに広がっていく絶好の場所となった。広い場所ではないが、ショカツサイが思う存分春を彩っている。が、思いがけず、野生の花にも「秩序」が必要だと言って、枯れ草を焼いて庭を片づけてしまった人がいた。次の年の春、ショカツサイの姿は見られなかった。「秩序」に耐えられなかったのだろう。だが、雑草はすごい勢いで生えていた。いっそのこと戻ってくるようショカツサイに手紙を書こうかと、私は思った。手紙は届ける場所がなかったので、近くから数株移植したが、まだうまくいっていない。
 ショカツサイがどういう種類の花か知らない人が多い。国語の教科書の挿絵でさえランの花に似た姿が描いてあるくらいだ。ランの花はもともと「花の君子」と呼ばれており、上品でほのかな香りがする。ショカツサイ(中国語で「二月蘭」)には「蘭」という感じが使われてはいるが、ランの花とは全く関係はなく、上のほうへ取り入ろうともしない。ひっそりと土の中から出てきて、勢い激しく春の景色を彩り、またひっそりと散っていくだけだ。ある若い画家にこの野生の花を描いてもらったことがある。水彩で印象派の手法を使うのが最適、というのが私の意見だった。その人が私に渡した絵は、薄暗い背景の中、弱々しい花が一つ咲いているもので、「モダンアート」の観点から、花の横にボロボロの竹かごを描いていた。
 「これは典型的なショカツサイの姿ではない」と、私は心の中で判定した。ショカツサイは広く広く群生するのである。痩せて弱々しく地位は低いが、活力にあふれ、見ている人に息をつかせないほどだ。その上、心をつくして盛大に咲くだけではなく、持久という精神も持っている。そのことは今年の春になって悟った。
 病とものぐさのため、数日間家を出ないことが多かった。春の間、いろいろな花が咲いては散り、あわただしく通り過ぎていくので、見ていないのもある。だが、ショカツサイは顔色一つ変えず咲き続ける。「具合は良くなりましたか?」と私の声をかけるのを待っているかのようだ。
 また小さな病気になった後、園の中を歩いていた。周りが緑なのに、ふと気付いた。炎熱をさえぎるための準備だ。ショカツサイの領地にたどり着くと、花は見えず、松の生垣のところまで一面緑だった。彩り豊かな大きな絵を丸めて来年までどこかにしまっておく、ということなのか。
 春がいったことを私は知った。
 その領地を徘徊していると、ショカツサイの忠誠心とこだわりをふと意識した。「十三歳の女の子の刺繍」のような爛漫たる春に花を開き、「雨風で花が散るのを憂う」ころまで咲き続ける。春が深まり、老いていくまでだ。春を迎え、春と共にあり、春を送る。古い詩の言葉のように「トキンイバラの花の時期まで咲いている」のだ。トキンイバラがどんな花なのか私は知らないが、ショカツサイの突然の消失はこの目で見た。春の終わりの象徴だろう。
 誰でも春を迎えるのは楽しい。だが、春を送るのが好きな人がいるだろうか?忠誠心とこだわりを持つショカツサイは、この任務を辞退しない。

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仲上课回来,带回两头水仙。可不是,一年在不知不觉间,只剩下一个多月了,已到了养水仙的时候。
许多年来,每年冬天都要在案头供一盆水仙。近十年,却疏远了这点情趣。现在猛一见胖胖的茎块中顶出的嫩芽,往事也从密封的心底涌了出来。水仙可以回来,希望可以回来,往事也可以再现,但死去的人,是不会活转来了。
记得城居那十多年,澄莱与我们为伴。案头的水仙,很得她关注,换水、洗石子都是她照管。绿色的芽,渐渐长成笔挺的绿叶,好像向上直指的剑,然后绿色似乎溢出了剑锋,染在屋子里。在北风呼啸中,总感到生命的气息。差不多常在最冷的时候,悄然飘来了淡淡的清冷的香气,那是水仙开了。小小的花朵或仰头或颔首,在绿叶中显得那样超脱,那样幽闲。淡黄的花心,素白的花瓣,若是单瓣的,则格外神清气朗,在线条简单的花面上洋溢着一派天真。
等到花叶多了,总要用一根红绸带或红绉纸,也许是一根红线,把它轻轻拢住。那也是澄莱的事。我只管赞叹;“哦,真好看。” 现在案头的水仙,也会长大,待到花开时,谁来操心用红带拢住它呢。
管花人离开这世界快十一个年头了。没有骨灰,没有放在盒里的一点遗物,也没有一点言语。她似乎是飘然干净地去了。在北方的冬日原野上,一轮净月照着其寒彻骨的井水,井水浸透了她的身心。谁能知道,她在那生死大限上,想喊出怎样痛彻肺腑的冤情,谁又能估量她的满腔愤懑有多么沉重!她的悲痛、愤懑以及她自己,都化作灰烟,和在祖国的天空与泥土里了。
人们常赞梅的先出,菊的晚发。我自然也敬重它们的品格气质。但在菊展上见到各种人工培养的菊花,总觉得那曲折舒卷虽然增加了许多姿态,却减少了些纯朴自然。梅之成为病梅,早有定庵居士为之鸣不平了。近闻水仙也有种种雕琢,我不愿见。我喜欢它那点自然的挺拔,只凭了叶子竖立着。它竖得直,其实很脆弱,一摆布便要断的。
她也是太脆弱。只是心底的那一点固执,是无与伦比了。因为固执到不能扭曲,便只有折断。
她没有惹眼的才华,只是认真,认真到固执的地步。五十年代中,我们在文艺机关工作。有一次,组织文艺界学习中国近代史,请了专家讲演。待到一切就绪,她说;“这个月的报还没有剪完呢,回去剪报罢。” 虽然她对近代史并非没有兴趣。当时确有剪报的任务,不过从未见有人使用这资料。听着嚓嚓的剪刀声,我觉得她认真得好笑。
“我答应过了。” 她说。是的,她答应过了。她答应过的事,小至剪报,大至关系到身家性命,她是要做到的,哪怕那允诺在冥暗之中,从来无人知晓。
我们曾一起翻译“缪塞诗选”,其实是她翻译,我只润饰文字而已。白天工作很忙,晚上常译到很晚。我嫌她太拘泥,她嫌我太自由,有时为了一个字,要争论很久。我说译诗不能太认真,因为诗本不能译。她说诗人就是认真的,译诗的人的人更要认真。那本小书印得不多,经过那动荡的年月,我连一本也没有得留下。绝版的书不可再得了。眼看新书一天天多起来,我指望着更好的译本。她还在业余翻译了法国长篇小说“保尔和维绮妮”,未得出版。近见报上有这部小说翻译出版的消息,想来她也会觉得安慰的。
她没有做出什么惊人的事业,那点译文也和她一样不复存在了。她不曾想要有出类拔萃的成就,只是认真地、清白地过完了她的一生。她在人生的职责里,是个尽职的教师、科员、妻子、母亲和朋友。在到处是暗礁险滩的生活的路上,要做到尽职谈何容易!我想她是做到了。她做到了她尽力所能做到的一切,但是很少要求回报。她是这样淡泊。人们都赞水仙的淡泊,它的生命所需不过一盆清水。其实在那块茎里,已经积蓄足够的养料了。人的灵魂所能积蓄的养料,其丰富有时是更难想象的罢。
现在又有水仙在案头了。我不免回想与她分手的时候。记得是澄莱到干校那年,有人从外地辗转带来两头水仙,养在漏网的白瓷盆里。她走的那天,已经透出嫩芽了。当时两边屋里都凌乱不堪,只有绿芽、白盆、清水和红石子,似乎还在正常秩序之中。
我们都不说话,心知她这一去归期难卜。当时每个人都不知自己明天会变成什么,去干校后命运更不可测。但也没有想到眼前就是永诀。让她回来收拾东西时间很短,她还想为在重病中的我做一碗汤,仅只是一碗汤而已,但是来不及了。她的东西还没有收拾好,用两块布兜着,便去上车。仲草草替她扎紧,提了送她。我知道她那时担心的是我的病体,怕难见面。我倚在枕上想,我只要活着,总会有见面的一天。她临走时进房来看着水仙,说了一句‘别忘了换水’,便转身出去。从窗中见她笑着摆摆手。然后大门呀的一声,她走了。
那竟是最后一面!那永诀的笑容留下了,留在我心底。是她,她先走了。这些年我不常想到她。最初是不愿意想,后来也就自然地把往事封埋。世事变迁,旧交散尽,也很少人谈起她这样平常的人。她自己,从来是不愿占什么位置的,哪怕在别人心中。若知道我写这篇文字,一定认为很不必,还要拉扯水仙,甚至会觉得滑稽吧。但我隔了这许多年,又在自己案头看见了水仙,是不能不写下几行的。
尽管她希望住在遗忘之乡,我知道记住她的不止我一人。我不只记住她那永诀的笑容,也记住要管好眼前的水仙花。换水、洗石子、用红带拢住那从清水中长起来的叶茎。
澄莱姓陈,原籍福建,正是盛产水仙花的地方。
 夫が授業から帰るとき、水仙の塊茎を二個持ってきた。そう、いつの間にか一年が残りひと月となり、水仙栽培の季節になっていたのだ。
 長年、毎年冬が来ると机に水仙を一鉢置いていた。が、この十年近くは、その趣味から遠ざかっていた。丸々とした塊茎から若芽が出ているのを目にすると、過ぎ去ったことが閉ざされた心の底から湧き出してきた。推薦も希望も帰ってくるし、過ぎ去ったことも再現できる。だが、死んだ人が生き返ることはない。
 たしか都会に住んでいた十数年間、澄莱さんと私たちはパートナーだった。机に置いた水仙は、彼女が世話をした。水を換えたり、石を洗ったり、みんな彼女がやってくれた。緑色の芽がだんだん成長してまっすぐに立った緑の葉になる。まるで上を向いている剣のようだ。その緑色は剣の峰からあふれ、部屋に染み渡る。北風が吹きすさぶ中、生命の息吹を感じたものだ。いつも一番寒い時期に、淡くて清らかな香りがそっと漂ってくると、それはだいたいは水仙の開花だ。小さな花が上向きや下向きに咲くが、緑の葉の中で超越し、しとやかに見える。淡い黄色の花芯と真っ白な花びら、もし一重なら、とてもすがすがしくて、簡潔な輪郭の花に純朴さを溢れさせている。
 花と葉が多くなると、赤のリボンや千代紙、あるいは赤い糸で、軽く縛らなければならない。これも澄莱さんがやってくれた。私は「わあ、きれい」と賛美の声を上げるだけだった。今机の上にある水仙も当然成長するが、花が咲いたら誰が赤いリボンで縛ってくれるのだろう。
 花の世話をしてくれる人がこの世を去って、もうすぐ十一年だ。遺骨も箱の中の形見も、遺言さえもない。すばやくきれいに世を去ったようだ。北方の冬の原野、冷たい月が骨身に染みるほど冷たい井戸水を照らしていた。井戸水は彼女の心と体にしみ込んだ。生死の境目の時、彼女がどれほど「無実だ」と叫びたかったか、知る人はいない。彼女の憤懣がどれほど重いものだったかも、誰も知らない。彼女の悲痛な気持ちと憤懣、そして彼女自身がすべて灰になり、祖国の空や土とまじりあった。
 梅が早く咲き、菊が遅く咲くのを、人はいつも称賛する。その品格とたたずまいを、私も当然敬う。だが、菊の展覧会で人が栽培した菊を見ると、その曲がりくねった姿は自然な純朴さをいささか損なっているように感じる。病気になってしまったかのような梅の枝については、定庵居士がとっくに不平を鳴らしている。最近水仙もいろいろな細工を施されていると聞くが、私は見たくない。あの自然にしゃきっと立っている葉が、私は好きなのだ。まっすぐに立ってはいるが実はもろく、何かをしつらえると折れてしまいそうなその姿が。
 彼女ももろかった。ただ心の底の頑固さは、比類がなかった。曲げられないほど頑固だったから、折れるしかなかった。
 彼女には人目を惹くような才能はなかったが、頑固なまでにまじめだった。1950年代、私たちは文芸機関で働いていた。あるとき、文芸界が中国近代史を勉強すべく、専門家を招いて講演してもらうことになった。準備がすべて整うと、近代史に興味がなかったわけではない彼女が「今月の新聞切り抜きがまだ終わっていないから、帰ってその仕事をやります」と言った。確かに当時新聞切り抜きという任務はあったが、その資料を誰かが使用している姿は見たことがなかった。カチャカチャというはさみの音を聞いて、彼女のまじめさを私はおかしく思った。
 「私は承諾しました」と彼女は言った。そう、確かに彼女は承諾した。小は新聞の切り抜きから大は一家の生命と財産にかかわることまで、承諾したことは彼女は必ずやり遂げた。たとえ誰も知らない承諾であっても。
 彼女と一緒に「ミュッセ詩選」を翻訳したが、実際に訳したのは彼女で、私は文字をいじっただけだった。昼は仕事が忙しかったので、いつも夜遅くまでやっていた。彼女がこだわりすぎることを私は嫌い、私が自由すぎることを彼女は嫌った。一文字のために長く議論したこともある。詩自体が翻訳不可能なものなのでまじめに訳しすぎるのはよくない、と私は言った。詩人はまじめに詩を作ったのだから詩を訳す人はよりまじめでなければならない、と彼女は言った。その小さな本は印刷部数も少なく、あの動乱の年月を経たので、私の手元には一冊もない。絶版なので、もう手に入らないだろう。新しい本が多くなっているのを目にするので、よりよい訳本の出版を待ち望んでいる。彼女は余暇にフランスの長編小説「ポールとヴィルジニー」も訳したが、出版されていない。最近新聞でこの小説が翻訳出版されるというニュースを見たが、彼女も慰めを感じているだろう。
 彼女は人が驚くような仕事をしたわけではなく、それらの訳文も彼女と同様もうこの世にない。彼女は抜きんでた成果をあげようとは考えなかった。まじめに、潔白に、一生を終えただけだ。人生という職責の中で、任務を立派に遂行した教師であり、課員であり、妻であり、母であり、友人であった。いたるところに暗礁が隠れている生活という道において、職責を果たすのはどれほど困難だっただろう!彼女はやり遂げたと、私は思う。全力でできることすべてをやり遂げたが、見返りはほとんど求めなかった。彼女はそういう淡泊な人だった。人は皆水仙の淡泊さを称賛する。一皿の水しか必要としないというのだ。が、実際はその塊茎に十分な養分が蓄えられているのである。人の魂が蓄えている養分の豊富さは、想像さえも困難だろう。
 現在、水仙が再び机に乗った。彼女と別れた時を思い出してしまう。確か澄莱さんが幹部学校に行った年、誰かが水仙の塊茎を二つ外地から持ってきたので、水を通す構造を持った白磁の鉢で栽培していた。彼女が行ったあの日、もう若芽が出ていた。当時部屋の中はとても散らかっており、緑の芽と白い鉢、清水と赤い石だけが正常な秩序を保っているようだった。
 私たちはみな話さなかった。彼女が行ってしまったらいつ帰ってこられるかわからないことはわかっていた。当時はみな自分が明日はどうなるかもわからず、幹部学校に行った後の運命など予測すらできなかった。だが、とわの別れになるとは思わなかった。荷物整理のために帰ってこられるよう彼女に与えられた時間は短かった。彼女は重病だった私のためにスープを一椀作ろうとした。たった一椀なのに、その時間さえなかった。まだ荷物の整理が終わらず二枚の布で包んでいるときに、彼女は車に乗ることになった。私の夫があわただしくその布を縛って、彼女を見送りに行った。彼女がその時心配していたのは私の病気だったことは知っている。
会うのは困難になるのではないかと思った。生きていさえすればいつかは会える、と病床で私は思った。出発の間際に部屋に入ってきた彼女は水仙を見て「水を換えるのを忘れないでください」と言った。そして出て行った。彼女が微笑みながら手を振っているのが窓から見えた。門が閉まる音が聞こえた。彼女は行ってしまったのだ。
 なんと、それが最後だった。その時の彼女の笑顔は私の心の底に残っている。彼女が、彼女が先に死んでしまったのだ。ここ何年か、私は彼女のことをあまり考えなかった。最初は考えるのを望まず、時の経過とともに往時を封印していった。世の中は変わり、旧交は散りつくして、彼女のような普通の人のことはあまり語られなくなった。彼女自身も、たとえ他人の心の中であっても、何かの位置を占めることを願わなかった。私がこの文章を書いていることを知ったら、「不要なことだ」と必ず思っただろう。ましてや水仙に絡めて書いていることを知ったら、滑稽ささえ感じたのではないか。が、長い年月を隔てて、再び机の上に水仙が置いてあるのを見ると、書かないわけにはいかない。
 彼女は自分のことを忘れてほしいと思っているのだろうが、彼女のことを覚えているのは私一人だけではない。とわの別れの時の笑顔だけではない。目の前の水仙の花の世話をきちんとしなければならないことも、私は覚えている。水を換え、石を洗い、清水の中から伸びてきた葉と茎を赤いリボンで縛らなければならないのだ。
 澄莱さんの姓は陳、原籍は福建、水仙の花が多く咲くところだ。

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似乎刚过春节,什么都来不及干呢,已是长夏天气,让人懒洋洋的像只猫。一家人夏衣尚未打点好,猛然却见玉簪花那雪白的圆鼓鼓的棒槌,从拥挤着的宽大的绿叶中探出头来。我先是一惊,随即怅然。这花一开,没几天便是立秋。以后便是处暑便是白露便是秋分便是寒露,过了霜降,便立冬了。真真的怎么得了!
一朵花苞钻出来,一个柄上的好几朵都跟上。花苞很有精神,越长越长,成为玉簪模样。开放都在晚间,一朵持续约一昼夜。六片清雅修长的花瓣围着花蕊,当中的一株顶着一点嫩黄,颤颤地望着自己雪白的小窝。
这花的生命力极强,随便种种,总会活的。不挑地方,不拣土壤,而且特别喜欢背阴处,把阳光让给别人,很是谦让。据说花瓣可以入药。还有人讨叶子,要捣烂了治脚气。我说它是生活上向下比,工作上向上比,算得一种玉簪花精神罢。
我喜欢花,却没有侍弄花的闲情。因有自知之明,不敢邀名花居留,只有时要点草花种种。有一种太阳花又名死不了,开时五色缤纷,杂在草间很好看。种了几次,都不成功。“连死不了都种死了。” 我常这样自嘲。
玉簪花却不同,从不要人照料,只管自己蓬勃生长。往后院月洞门小径的两旁,随便移栽了几个嫩芽,次年便有绿叶白花,点缀着夏末秋初的景致。我的房门外有一小块地,原有两行花,现已形成一片,绿油油的,完全遮住了地面。在晨光熹微或暮色朦胧中,一柄柄白花擎起,隐约和绿波上的白帆,不知驶向何方。有些植物的繁茂枝叶中,会藏着一些小活物,吓人一跳。玉簪花下却总是干净的。可能因其味的原故,不容虫豸近身。
花开有十几条,满院便飘散着芳香。不是丁香的幽香,不是桂花的甜香,也不是荷花的那种清香。它的香比较强,似乎有点醒脑的作用。采几朵放在养石子的水盆中,房间里便也飘散着香气,让人减少几分懒洋洋,让人心里警惕着;秋来了。
秋是收获的季节,我却是两手空空。一年,两年过去了。总是在不安和焦虑中。怪谁呢,很难回答。
久居异乡的兄长,业余喜好诗词。前天寄来自译的朱敦儒的那首西江月。原文是;
日日深杯酒满,朝朝小圃花开,自歌自舞自开怀,无拘无束无碍。
青史几番春梦,红尘多少奇才,不消计较与安排,领取而今现在。

若照他译的英文再译回来,最后一句是认命的意思。这意思有,但似不够完全。我把“领取而今现在”一句反复吟哦,觉得这是一种悠然自得的境界。其实不必深杯酒满,不必小圃花开,只在心中领取,便得逍遥。
领取自己那一份,也有品味把玩,获得的意思。那么,领取秋,领取冬,领取四季,领取生活罢。
那第一朵花出现已一周,凋谢了。可是别的一朵一朵在接上来。圆鼓鼓的花苞,盛开了的花朵,由一个个柄擎着,在绿波上漂浮。
春節を祝ったみたいだが、何もできないうちに夏が来て、怠け猫のようになった。家族の夏服も整わないうちに、雪のように白く膨らんだ、木槌のようなタマノカンザシが茂った幅広のの緑の葉の間に顔をのぞかせているのが、急に見えた。この花が咲いて数日経つと、立秋だ。それに処暑、白露、秋分、寒露と続き、霜降が過ぎると、立冬だ。すごいことだ!がくはエネルギー豊かで、だんだん長くなり!かんざしの形になった。花は夜に開き、一昼夜咲き続ける。六枚の清らかで長い花びらが花芯を囲み、その様子はまるで、真ん中にある柔らかな黄色の花芯が、震えながら雪のように白い自分の家を眺めているようだ。
この花の生命力はとても強い。適当に植えても、いつも生き延びる。場所も土壌も選ばず、特に日陰を好む。陽光を他に譲っているわけで、謙虚なのだ。聞くところによれば、花びらは薬になるらしい。すりつぶして水虫の薬にしたいから葉を分けて欲しい、と言ってきた人もいる。生活においては下を見、仕事においては上を見る。これはタマノカンザシの精神だろう。
私は花は好きだが、世話をするのは苦手だ。自分のことはわかっているので、名高い花は栽培しない。時々草花を植えるだけだ。マツバボタンは別名を不亡草と言い、色鮮やかに咲き、草の中に見るととても美しい。何度か植えたが、みなダメだった。「不亡草さえ死なせてしまうのか」と、私はいつも自嘲している。
タマノカンザシは異なり、人が世話をする必要はなく、自らの力でたくましく生長していく。裏庭の門の小道の両脇に数株若芽を植えたが、次の年には緑葉の中に白い花を咲かせ、晩夏初秋の景色を彩っていた。家の門の外に小さな空き地がある。もともとニ列のタマノカンザシを植えていたが、今では一面をつややかな緑で覆い、地面も見えない。ほのぼのと明るい朝の光どおぼろげな夕方の光の中、白い花を咲かせている。ぼんやりと緑の波の上を進む白い帆のようだ。どこを目指しているかは、知らないが。植物の茂った枝葉の中に生き物が隠れていて、びっくりすることがある。だが、タマノカンザシはその点はきれいだ。香りのためだろうか、虫は湧かない。
十いくつも花が咲くと、庭いっぱいに芳香が漂う。ライラックのようなほのかな香りでもなく、キンモクセイのような甘い香りでもなく、バスのような清らかな香りでもない。かなり強い香りで、頭をはっきりさせる作用があるようだ。いくつか摘んで石を入れた水皿に入れておくと、部屋の中に香気が漂い、怠けた気持ちを減らしてくれる。「秋が来た」と気を引き締めさせてくれるのだ。
秋は収穫の季節だが、私には何もない。一年二年と過ぎていくが、いつも不安と焦りの中だ。誰のせいなのか、答えるのは難しい。
詩が趣味だという先輩が長らく外国にいる。自分が英語に訳した朱敦儒の「西江月」の詩を、おととい郵便で送ってくれた。その詩の原文は、
日日深杯酒満、朝朝小圃花開、自歌自舞自開懐、無拘無束無碍。青史幾番春夢、紅塵多少奇才、不消計較与安排、領取爾今現在。 だ。
彼の英語訳を中国語に訳し直すと、最後の一句は「あきらめる」の意味になる。そういう意味もあるが、それだけではない。「領取爾今現在」の句を繰り返し吟味して、これは悠々自適の境地だと、私は思った。「杯になみなみと注いだ酒」も「花壇に咲いた花」も、実際は必要ではない。心の中で受け取りさえすれば、自由になるのだ。
自分の分を受け取る、とは、味わい、愛でて、獲得するという意味だ。それならば、秋を、冬を、四季を、生活を受け取ろうではないか。
最初に咲いた花は一週間で散った。が、次々に新たな花が咲いている。丸く膨らんだがくも、きれいに咲いた花も、それぞれの茎が支え、緑の波の上を漂っている。

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