2009年06月08日

風水を考える 第八回〜最後に〜

最後に

中国や香港(今となってはどっちも中国だが)では、建物を建てる時に風水師がデザインしているとか云った話をよく聞く。
「でっかいビルを建てるのにも風水師の言いなりで建てるのだから、風水と云うのは本物なんだ」
と認識してしまい勝ちだが、金出してビルを建てるのも人間、風水師も人間だ。ビル建設に風水を絡ませるのは個人の単なる信念の発露であって、風水が自然界の法則であるからでは決してないのだ。

公の場で多くの人が知る所となるこうした建設工事を「風水でやった」と断言するからにはホントなんだろうとは決して思ってはいけない。
「新聞に幽霊話が載った」からといって、イコール「幽霊が存在する」と直ちに結論付けてしまう様なのも同じだ。
新聞記者も、掲載のOKを出す人も、幽霊の存在を実験で証明出来る様な科学者ではない。
実験や観察で幽霊の存在を確信してから新聞に載っけてる訳ではなく、「こういう目撃情報が有ったそうだよ」と言っているに過ぎない。

何十人何百人、何千万人何億人が信じているからといって、ホントかどうか証明出来ないものはホントであるとは言えない。
仮に何億人の人がキリストの奇跡やら神父の悪魔祓いを信じていたとしても、一体どれくらいの信者がそれを目撃した上で存在を確信しているのだろうか。何億人の裡の殆どが、「多分ホントだろう。見た事ねえけど」程度の話である筈で、「信じる人数が多けりゃホント」と云うのが如何におかしな考え方かが分かる。

風水が本物で、それを実践すれば金は入って来るし、全てが平穏無事でラッキー続きになる事だろうが、中国全土でそれを数千年続けて来たんなら、中国人があんなにさもしい根性になるだろうか。あんなに経済格差が拡がり、内戦を何度も繰り返し、農民の暴動が年に百以上を数える様な事態を数千年続けて来るものだろうか。

2009年はアメリカの経済危機につけ込んで、大量の米国債を持って居る事を笠に来たエラそうな態度だが、やっと経済力で大きな顔が出来る様に成ったのも茲数年であり、それ以前は他国に金をたかる貧乏国家だった。その経済力だって砂上の楼閣の様な物だと云う。どっかが狂えばたちまち崩壊の危機に陥る状況に在る中国経済。風水で何とかならんのか。

アメリカインディアンのラッキーアイテム「ドリームキャッチャー」を車に吊るしている人を見掛けるが、当のアメリカインディアンは自分達の土地を白人に追われて狭い居住地に追いやられ、民族固有の言語も失いつつある現状からも、大してドリームキャッチャーに効果が無かった事を伺わせる。(が、そもそもドリームキャッチャーとは、睡眠中に見たラッキーな夢が逃げない様に使う物であって、闇雲に幸福を招く様なアイテムではなかった様な気がするが)

パワーストーンも人気だが、それが本当に力を持って居るのなら、それを用いて来た民族が滅亡したり、内戦を繰り返したりはしないんじゃなかろうか。
パワーストーンを掘り出して、安い価格で業者に持って行かれる労働者達なんかもいるんじゃないだろうか。そういう人達が居たとしたら、其の人達の生活水準だって向上しないとおかしいが、其の辺りはどうなっているものか。

ミサンガ(プロミスリング)も一時流行った。あれは南米の物だが、南米の生活水準だって高いとは言えまい。

兎角こうした物には大枚をはたいて飛びつき勝ちだが、よく考えてから臨んだ方が良い。


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2009年06月07日

風水を考える 第七回〜組み合わせ〜

アイテムを組み合わせる

風水を整えて金運を高めるというのにもアイテムが使われるが、以下に挙げる物は(私の認識では慥か)全部組み合わせて使える。組み合わせると効力がアップするのだそうだ。

貔貅(ひきゅう)

貔貅は雄雌一組で使う。正面から見て左に雄、右に雌と云う配置で、玄関の方を向けて置く。亦、以下の物を組み合わせて使う。
水入れ 牛鈴
「水入れ(盃)」は、これまた「貔貅が水を好むから」だそうで、「牛鈴」は、眠りたがり屋の貔貅を起こすのに首にかけて使う。たまにコイツを鳴らしてあげないと寝てしまうらしい。

貔貅はどちらかと云えばギャンブルや宝くじ等で得る「偏財」を招く物らしいが、対してまっとうな仕事で得る「正財」を招くのが、下の龍亀(ろんぐい)。

龍の頭に亀の体。入り口の方を向けて置く方法も有るらしいが、金庫の脇だとか、道教の財神の横だとか、そんな置き方をしても良いらしい。

貔貅・龍亀に共通で組み合わせられるアイテムが以下。
十宝
金・銀・銅・生鉄・真珠・メノウ・玉・五色の色布・天地卦銭・五穀が基本の内容だが、物に依って違うかも。
貔貅・龍亀共に、高額なものだと蓋付きで、内部に何か入れられる様になっているが、其の中に入れて使う。

六帝古銭
貔貅・龍亀の首にかけて使う。「古銭」に就いては後述。

貔貅が偏財、龍亀が正財。どちらとも言えないのが次の三脚蟾蜍(せんじょ)。

事務所や店舗の入り口に置くと、三本足で前方と左右の財をかき集めると云う。
「劉海蟾(りゅうかいせん)」と云う仙人の飼い蛙なので、「劉海仙人到(リウハイシエンレンタオ・・・か?)」と云うと、吃驚して今迄溜め込んだ財を吐き出すと云う。これも口に古銭を咥えさせたりする。

こうした風水キャラクター共通の組み合わせアイテムが以下。
「元寶(げんぽう)」
よくクンフー映画に出て来た、昔の通貨としての金塊なんだろう。日本で云えば大判小判の大判みたいなものか。中国の「めでたい絵」にもよく書いてあるし、麒麟の像が足で踏みつけてたりする。
昔の「大きなお金」だから財の象徴だと云うんだろうが、無理に中国の昔の金をモチーフにした物を使うんだったら、日本式にレプリカの大判小判を使っても良さそうな気がする。
これの小型の物は矢張り貔貅等の体内に入れて使う。

古銭。
五帝古銭 六帝古銭 七帝古銭 十帝古銭
ここに紹介したのは、要は清朝の順治皇帝から宣徳皇帝までの10代の間に流通していた古銭。其の裡の何枚用いるかで枚数が変わると云う事。
出来れば本物がいいんだろうが、レプリカが多い。レプリカでも銅製ならいいんだろうが、プラスティックも有ったりする。これらを招財アイテムと組み合わせると、アイテムがパワーアップすると云う。
何故清朝の古銭かと云うと、この時代の皇帝達は権力が強く、威厳が有ったので、其の力にあやかろうという事だ。他の時代の皇帝は威厳が無かったんだろうか?
どっちにしても清王朝は滅亡してるんだが。滅亡した王朝の力にあやかろうという・・・。
因みに清朝と云うのは満州族が代々皇帝で、清朝が倒れた後に、待ってましたとばかりに漢族が政権を取り戻し、満州族は追っ払われたわけだが、今更になって「あの時代の皇帝は素晴らしかった」だの「清朝の威光にあやかろう」だのとはどう云う思考プロセスだろう。

亦、レプリカでも銅ならマシだと言ったが、銅製の変わりダネで以下の様な物も有る。
←上で一度出したが
古銭と云うのは其の時代時代で「順治通宝」だとか「乾隆通宝」だとか名前が有るが、これらはそんな事は御構い無しで、「招財進寶」と願いの文句が書いてあったり、八卦が刻んであったりする。それでも商品名は「古銭」なんだそうだ。
一番右のは本当に銅製か?

それから、貔貅・龍亀・三脚蟾蜍を財神の隣に置くと云うのもアリ。
何と35万円の関帝 財神
財神 財神

めんどくさい人には↓こんなSETも。

只、個人的には財神を置くにしろ福徳正神(土地神)を置くにしろ関帝を置くにしろ媽祖を置くにしろ、本場から道士を呼んで魂入れして貰わないと意味無いんじゃないかと思えたり。
仏壇の位牌や仏像だって坊さんに魂入れして貰うんだろうし。

そしてお香も焚くといいんだそうで。
一番安くて流通してるやつ
これは中華街じゃなくても、中華小物を扱ってる店なら、「また有った!これしか仕入れられねえんかよ」という程、大抵置いてある。
写真は茶色の白檀の香りだが、紫のジャスミン(?)、赤の薔薇が有る。メーカーが違うが明らかにパッケージを真似してある黄色のキンモクセイも有る。
どうせ焚くんなら横浜関帝廟で焚かれている線香の匂いが私は一番好きなんだが、あれは高いんだろうか、横浜中華街で一般に売られてはいない。売っているのは芯が赤くて本体が真っ黄色な、イマイチな香りの物のみ。中華街天宝堂の本町通り沿いの店舗なら或いは置いてあったかも知れんが、今は店舗自体無いか?
只、2009年、手頃な価格で関帝廟風の匂いのする線香を、同じく中華街の萬順行で見付けた。今売っているかどうか知らんが。


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2009年06月06日

風水を考える 第六回〜こじつける〜

こじつける

凹面八卦鏡の項で言ったが、もう一度凹面鏡の説明をすると、
「煞気を良い気に変えてしまう効果有り。その理由は凹面鏡というのは映りが逆になるからで、そっから転じて煞気が逆になって良い気になる」
となる。これはこじつけだ。
一番上の五行の表も根拠が不明確だし、五行相生・相克もこじつけだ。

「煞」というのは「殺」とも書き直される様に、まあ「悪い物を誘発する気」みたいな意味か。
例えば上でも述べたが、隣の屋根の角がこちらに向いている時は「屋角煞」と言う様に、何か尖った物が見えるとか、こちらに向いてるといった状況が有ると、大概「なんとか煞」と名が付いたりする。
それからT字路の突き当たりに家が在った場合を「路沖煞」とか云ったかな?「T字路の突き当たりは危ない」と云う理由の他に、「尖った物がこっちを向いてる」もそうだが、これ等を「気の流れ」で説明されれば、「はあ、そうなんすか」と言えなくも無い。つまり、
「先端や突き当りからは攻撃的な気が出ているんです」
と言われたらそれまでだと云う事だ。が、中には明らかにこじつけじゃねえのかという煞もある。

「天斬煞」と云うのは、家の両脇に高い建物が在る場合の煞。理由は、「上から斬られる様な圧迫感が有るから」だそうだ。「押し潰される様な」ならまだ解るが、何でいきなり「斬られる様な」と云う表現が出て来たものか。どっちにしろ圧迫感が有るから何だと云うのか。気の話と全然関係ねえじゃねえか。だがこれも、
「押し潰される様な圧迫感が在ると云う事は、そんな圧迫する気が出ているからなんだよ」
と言われれば、「はあ、そうなんすか」と言う他有るまい。

もっと酷いのは「火形煞」と云うやつで、「家から赤い屋根が三つ見えたらヤバイ」のだそうだ。理由は「火を連想させるから」。
「あんたが勝手に火を連想してるだけじゃねえのか」
と言いたくなる。「あしたのジョー」の矢吹丈は、鑑別所の性格診断で「赤と云う色から何を連想するかね?」と訊かれて、「血」と答えている。因みに私なら「ポスト」だ。
火を連想して困るなら連想しなきゃいい。イチイチ何処かの風水先生の連想した物を気にしていたらキリが無い。
いや、其の前に赤い屋根なんかを首を上下左右に動かしながら、わざわざ探すんじゃない!
見付けなきゃ判らん様な物をわざわざ見付けて文句を付けるんなら何だって出来よう。
赤い物が悪いんなら、別段屋根に限定するのも不自然だ。
「東京タワーと交番の赤電球と、闘牛の赤布が見えるから八卦鏡を取り付けましょう」
でも可笑しくあるまい。
赤は火を連想・・・と云うのは五行思想から来るもんだろうが、では黒い物は水を連想させるので、湿気によるカビ・疫病やら洪水を惧れなくていいんかい?と云う話にもなろう。
或る程度の規模の都市に住んでいれば、赤い屋根なぞ腐る程見付かりそうだが、風水師は東京のど真ん中ででもイチイチ文句を付けるのだろうか。


拙サイト中「儒教」コンテンツの 民間信仰の項目でも触れたが、逆さ福の字を壁に貼る風習も、
福が倒れる「福倒了(ぷーたおら)」と、福が到来する「福到来」の発音が似ている事からのこじつけだ。

亦、風水鑑定上、家の中心に「西」を持って来なくてはならない場合にどうするかと云った案件の解決法が、何と鳥かごを家の中心に持って来る事であって、それは何故かと云うに、「鳥は酉であり、酉と云う字は西に似ているから」と云うこじつけの解決法だった。

それから、家の寸法が風水上良くない寸法であった場合、例えば梁の長さとか柱の長さを今更変える訳にいかないと云う事が有る。そんな時に風水上の悪い寸法の表示が一切消された、
風水尺
↑こういう物を家に取り付けて、「寸法が良かった事にしよう」ってんで解決してしまうとか、兎角こじつけ疑惑が絶えない風水なのであるが、アイテム上「こじつけじゃねえんか」と云った類いの物を色々挙げてみよう。


先ずはコウモリ。
 まんまコウモリ 八卦の上にコウモリマーク
コウモリは漢字で書くと蝙蝠。
此の二文字目の「蝠」の字の発音が「福」の字の発音と似ていると云う、それだけのこじつけ。


そして、
これは何でしょう。
犬です。入り口付近に外に向けて置くと番犬になるんだそうだ。銅製の犬で邪を跳ね返せるんなら、、本物の犬だったら駄目なんだろうか。犬を飼ってない人向けか。
今更乍らに申上げるが、風水でこういうアイテムを使う場合、銅製がいいんだそうで。
してみれば銅製の101匹わんちゃんの置物でもいいのか。其の前に犬じゃなくてもいいんじゃないか。
風水の獅子
↑例えばこう云う立派な物があるんだったら、こう云う物を外に向けて置きゃあいいんであって、わざわざ哀愁漂う犬を使う要は有るまいと思われるのだが。


次に、
馬。
馬は精力旺盛と云うか生命力を象徴するので、財運と事業運を高めるんだそうだ。
旺盛な生命力は、別にこれも馬ばっかりじゃないんじゃないかと云う気も。ヘビとかゴキブリじゃ駄目なんかい。
それから昔は馬を交通手段として使っていたんで、 引越し、転職、人事異動の際にも頼れるらしい。移動手段と云う事なら家の駐車場に車やバイクが有るだけじゃ駄目か?銅製じゃないから。

 
更に、
にわとり。
説明文を読むに、
「向かい側の建物の外壁に非常用のはしごのようなものが掛かっている場合は、陰の気を発生させるムカデを連想させるから、風水上良くないとされている」
そこで、銅製の鶏を窓辺にハシゴヘ向けて置くことで、
「鶏が虫を食べてしまうように、陰の気をついばんでくれる」
更に、
「疳の虫、浮気の虫も食べてくれるといわれています。」
ですって。
販売会社に依っては、
「自分に悪い噂が立たない様に」置くんだそうだが、これは根拠が良く分らん。
こじつけの最たるものは、
「鶏の置物を置くと、電磁波対策に良い」
と云うもので、其の理由が、
「電線はミミズに似ているから、電線から発する電磁波を喰ってくれる」
んだそうだ。
ミミズ状の物体から放出される電磁波しか喰ってくれないのか。
逆にミミズ状の物体から放射される電磁波は全部喰ってしまうのだろうか。だとしたら、白熱球のフィラメントから発する白色光も喰ってしまうのか?ダウンライトの下で暮らしている人は大変だ。
そもそも「ミミズに似ているから」だと言うのなら、電磁波によらず、ミミズに似ている物なら何でも喰ってしまうのだろうか。それも場合に依っては困るんではないかと思われる。



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2009年06月05日

風水を考える 第五回〜煞を封じる〜

煞を封じる

扨、室内の風水を見る時に、アソコに鏡が有るのが駄目だとか、壁の色が悪ィのどうのと、アレも駄目、コレも駄目と始まる事が有る。
こうだから気の流れが悪い、アソコから悪い気が出ている、鬼門をほっとくな・・・等。
そういうものもアイテムで何とかなるものらしい。
例えばベッドに寝た時、自分の頭の上に梁が出ている場合、「梁煞」と云って「煞気」が出ているんだとか。これを解消するのに
こんな水晶ボールを吊るしたり、家の前にカーブの外面が向いている場合を「反弓路」といい、

こんな「泰山石敢当」という物を置いたりする。

亦、隣の家の屋根の角や、壁面の角がこちらを向いているのを「屋角煞」といい、凸面鏡で撥ね返したりする。
煞を解消するのには凸面鏡を使うばかりではない。鏡関係は色々有って、凹面鏡や平面鏡を、状況に応じて使い分ける。
凸鏡 凹鏡 平面鏡
写真は只の鏡ではなく、八卦のデザインの物。魔は八卦を恐れるらしいので(中国の魔限定か)、魔除けにもなるらしい。
凸面は邪気を跳ね返し、凹面は邪気をもみ消す、亦は良い気に変える。理由は凹面鏡には上下反対に映るからだそうで、こじつけじゃねえんかいと云った観も有る。平面鏡は部屋に「欠け(検索してね)」が有る場合や、近隣に神社・仏閣・墓地が在る場合なんぞに、そっちに向けて使うらしい。

あそこの気が駄目、あそこの形状が駄目・・・と風水先生に難癖を付けられて、イチイチそれに対応するアイテムを揃えていたんでは、部屋の中が「最近の横浜中華街の小物屋」みたいになってしまう。
中国の或る風水サイトに、「こんな煞が有る時、どう和解(解消と云う意味か)するか」を扱ったものがあるが、其処ではどんな煞であろうが、ほぼ何でもかんでも解決法に「山海鎮」と云うアイテムを推す。

当該サイトでは「凸面鏡or山海鎮」「八卦鏡or山海鎮」「龍の置物or山海鎮」と云った具合に、必ずと言っていい程アドヴァイスに山海鎮が出て来る。どうしても売りたいらしい。
この山海鎮、様々なデザインが有るが、説明文に依っては「風水上の全ての要素が詰まっている」と大きな事を言う。
大体が八卦とか日月、鎮宅、招財を意味するマークやら霊幻道士が書く様なお札の文字が書かれてるんだろうが、それで風水上の要素を全て網羅しているかどうかの真偽は不明だ。

今迄さんざっぱら「八卦」と云う言葉を用いて来たが、改めて八卦と云う物を説明すると、月の満ち欠けの八段階っつートコか。満月を陽として、真っ暗になるのを陰とする乾・巽・離・艮・兌・坎・震・坤の八段階。
魔は八卦を恐れるというんで、此の八卦自体を持ち歩いて魔除けとする場合も有る。
財布に入るサイズの銅製八卦古銭
ペンダントトップ 御手軽八卦シール

八卦が陽〜陰の八段階と云う事は、陰と陽だけ示しても同じなわけで、それが八卦マークの真ん中によくある「インヤン」マークだ。世の中全て陰陽で成り立っていると云う思想から、これを持ってれば、なんかイイ事があんじゃなかろうかと云う発想に繋がっていく。
八卦から陰陽から何でもかんでも詰め込んだ図形を河洛易学研習社と云うトコの林其山と云う人が監修して作ったのが「乾坤寶照圖」。
これ
説明文に拠れば、
 「周易(中国古代の易学)の最高理論、河図、洛書、八卦図などすべてを統合させたもの。百年禁忌(こわいものなし)で護られ、何時でも、どこでも、何に対してもこれを使えば思いがけない奇跡・効果が起こると言われている。
 主な効用
招財、健康、消災、厄除け、開運、地鎮、護身、家内安全、交通安全」
だそうです。


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2009年06月04日

風水を考える 第四回〜四神相応〜

四神相応を作り出す


風水上好ましいロケーションと云うのは、先にも述べた様に東西南北(中国では東南西北)に青龍・白虎・朱雀・玄武の四神を象徴する物がある状況であるが、それもアイテムで無理矢理作り出す。

いずれの写真もめんどくさいので四神がセットになった物の紹介。
置き方
[方法一]家の中心に立ってメインの入り口の方を向き、其の方向を南、右手が西、左が東、後ろが北と考えて夫々の像を置く。
[方法二]上の方法を、方位磁石を用いて正確に東西南北を割り出して、正確な方角に置く。
どっちの方法がいいかは状況に依るらしいので、両方試すといいらしい。

普通は四神相応にしたら其処でやめるんだろうが、一番上の表に示した様に、東西南北の中央にだけ聖獣が居ないので、便宜的に麒麟を配する考え方も有る様だ。だからといって四神相応の状況を作り出すのに、部屋の中央に麒麟の像を置いたりはしないだろうが、一応麒麟の像も紹介しておく。
ペア麒麟
麒麟は雌雄同型で、それをペアで置く。一体、亦は三体で置く事も有る様だ。リビングに置けとか玄関に置けとか、指示が定まらない。


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2009年06月03日

風水を考える 第三回 アイテムを考える〜龍穴〜

アイテムを用いる

風水上好ましくないと判断された箇所には、
「アイテムを置く事で、無理矢理帳尻を合わせちまおう」
と云う発想が生まれる。
例えば自分の位置が「木」の要素を持ち、自分に対面する何かが「金」の要素を持って居る等の場合は、(金克木)と成るのでこちらに都合が悪い。そこで、金と木の間に「水」の要素を持つ、例えば金魚鉢等を置く事で「金は水を生じ(金生水)水は木を生ず(水生木)という相生の流れが作り出せ、且つ赤色である金魚は「火」の要素を持って居るので、こちらに害の有る金の要素に対して(火克金)、つまり金の要素を打ち消す効力を持つので、其処で生じる悪影響を解消出来るという論理だ。
道具、アイテムで「無理矢理何とかする」方法を、ケース毎に見ていこう。  

龍脈を作る

風水上好ましい地形の場所が、どうしていいのか?と云うと、そういう場所には結果的に「龍脈」が走って、「龍穴」があるからだという。「龍脈」と云うのは龍の通り道である。
中国乃至は中国文化の影響を受けた圏内での「龍」は最高の神通力を持った存在であり、吉祥の象徴である。
道教の神々が増えて来ると徐々に「龍王」の地位は低くなっていったんだろう(例えば封神演義での龍王の三男は哪咤に背筋を引っこ抜かれ、西遊記での龍王は悟空に虐められ、挙句に天界の宴席の料理に龍の肝が乗っかっていたり する)が、兎に角、「龍脈がねえなら作っちまえ」といった発想で用いるのが此処に紹介するアイテム群だ。

先ず龍脈・龍穴を作るのにどうするかというと、「龍の置物を置こう」という安直な考えに至るのは人情か。其の為のアイテムがこれだ。
オーソドックスな龍。
龍の爪は三本なのが庶民の龍。以降増えていって、五本爪なのが皇帝に許された龍なのだとか。
昇り龍の方が猶良いと云う話も。
陰陽相俟ってどうこう・・・。
もう一発。
五本指のやつ。同じ昇り竜でも、山を登るデザインのがいいらしい。
然も「五本指のやつなら床の間に置いてもいい」という。床の間は上位の者が居座る場所なので、三本指の龍如きが居ちゃイカンのだそうだ。併しそもそも床の間なんてものは日本のもので、中国の風水師が本当にそんな事言ってたんかよ!と思えなくも無い。

龍一般の注意点として、龍は水を好むので、近くに
こんなやつに水を入れて置いておかねばならないらしい。
逆に龍は水の生き物なので電磁波を嫌う。随って龍の置物はテレビや電子レンジの傍に置いちゃいけないという。

注※何で「水の生き物」だから「電磁波を嫌う」のか皆目解らなかったが、多分電子レンジが水を温める事から、「電磁波は全部水を温める」と勘違いした人が言い始めたものか?
実際に水の温度に影響を与える電磁波は赤外線やマイクロ波だけらしい。「電磁波なら何でも駄目」というんであれば、日に当ててはいけない。可視光や紫外線だって電磁波だ。

赤外線やマイクロ波は電気的に偏りを持つ分子や、三つ以上の原子から成る分子を振動させる。其の上電子レンジの出すマイクロ波(ミリ波?)は2.45GHzで、水の振動数に合わせてあるので、水の分子を効率的に振動させて運動エネルギーを与える=温度を上げる。らしい。

一方テレビ放送の電波はVHFで30〜300MHz。UHFで3GHz。確かにUHFならマイクロ波(極超短波)と言い得、水の分子を振動させて、温度を上昇させてしまうかも知れないが、併し、3GHzと云うのは電波の送信側の周波数であって、テレビ受像機自体の発する電磁波の周波数じゃないんじゃないかい???
電磁波の強さで言おうとすると、ボルトメートル(電界)だとかガウス(磁界)だとか単位が変わるんだろうが、単純に周波数で言えばTV画面から出る電磁波は17kHzだったとかいう話がある。それプラス、日本の電源の周波数が50〜60Hzなんだから、TVから出る電波の周波数なんて、それ位のもんなのではなかろうか?

同じ3GHzとは云え、レンジとTVでは出力(ワット数?)が違うだろうし、距離に因る電磁波自体の減衰も考慮しなきゃならんだろうから一概にどっちが危険とは言えんが、TVが電子レンジと同様の脅威であるといった主張が正しいとして、電磁波が洩れない様にシールドをくっ付けてある電子レンジと同じ周波数の電磁波が、シールドも付けていないTVから仮に出ているとしたら、これは恐ろしいし、第一、電子レンジと同じ電力量を食う様な電化製品を丸一日点けっ放しにしていられるわけが無いんじゃないかとも思える。

兎に角、TVに受信させる為に放送局から発されている3GHzの電磁波は、其処にTVが有ろうと無かろうと、我々の体を通過している筈である。という事は、龍の置物(銅製)を何処に置こうが、放送局からの3GHzの電磁波は、龍の置物を貫通しているんではないのか。


龍穴を作る

それから龍穴を作り出すのに、こんな物を使う。

いずれも、水の力で乗っかっている「龍珠」を回すという代物。
●水を好む龍
●水が循環するから新鮮な気が循環する
等のキーワードをイメージすると理解し易いか。
中国だか香港だかの企業のビルの玄関先に、これのもっと巨大な物(2トンの大石を回すものも有ると云う)が置いてあるらしい。

因みに変わったところでは、財神の足元で龍珠が回るタイプの物も有る。
 文財神関羽
関羽も関帝聖君と云う神様として信仰されているが、武神としてと同時に武財神としての一面も有る。
龍珠が回る事で龍穴を作り出し、猶且つ財神の恩恵も受けようと云う発想。

また、

上記の様な、所謂「羅盤」を用いて場の気を安定させるのにも使う。
「羅盤」とは、風水師が風水の良し悪しをみるのに使うコンパス付きの道具だが、使わない時は置いておくだけで周邊の気を整えるらしい。
一番右のは「羅盤」じゃなくて「気の安定盤」か?


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2009年06月02日

風水を考える 第二回 理屈への突っ込み

用地の検証

以上、大雑把に風水の特徴を述べたが、よく考えてみるとこれ等の理論は細部の根拠に疑問が残らないでもない。
例えば風水の理論で最高のロケーションとしてよく挙げられるものに、

「南に面した丘の中腹で、家の傍らに川が流れ、其の流れが家の前を通って地下に潜る場所」

というのがある。
丘の山頂が家の背後、つまり北にあって玄武を象徴し、家の前を通る川が朱雀を象徴しているだとかいった理屈なんだろう。
手元の風水書には、このロケーションが理想的である事は理屈で考えれば解ると書いてある。即ち、南に面しているから日当たりが良く、丘に遮られて北風が家を直撃しない。丘の中央に居を構える事で泥棒の接近も難しくなる。家の裏手から忍び込むには反対斜面を登って来なければならないからだ。家が麓に在る場合、洪水の危険に晒される可能性もある。丘の頂上での水の入手は難しいが、家の横に川がある事でその問題もクリアし、更に汚水も地下に流れるので文句無しだという。

丘の中腹に家が在る事の利点にばかり殊更に目を向けて、欠点を徹底的に無視しているだけの様に聴こえなくも無い話だ。
先ず家を建てるのに普通わざわざ斜面を選ぶだろうか。家を建てるのにこれ程不安定な場所もあるまい。田畑を作るにしろ牛や豚等の家畜を飼うにしろ不適当である事も云うを俟たない。
「生活必需品は麓の村で買うからいい」
と言っても、生活必需品を持っての上り下りは大変だろう。
斜面に住む事で一番危険なのは土砂崩れだ。日本でもよく「九死に一生スペシャル」等で再現フィルムが流されるが、斜面全体が崩壊して大量の土石流に家が押し流されるアレだ。
大雨が降って地盤が緩んだ後の地震などはビクビクものだろう。
其の上、「家の横〜前に川が在って、家の前で地面に吸い込まれる」様な場所は、地上に見えている川の他に、家の下の地下水脈の存在も疑われる。決して堅固な地盤とは言えまい。
惣じて丘や山の山頂から45度の角度以内に家など建てるべきではない。

理屈の検証

先ず「形態派」の考え方の基本である五行相生、相克の考え方を振り返ると、これがそもそもこじつけの様に聴こえる。
例えば五行相克、つまり五行が打ち消し合う状況を考えると、「土は水に克ち(土克水)だが、逆に水が土を押し流すとも考えられるし、「
火は金に克ち(火克金)も、「火は木に克ち(火克木)」でも何らおかしくはないし、それに別段金に克つのは火ばかりとも言えまい。酸素と結合し易い金属なら水に触れると錆びるから「水克金」でも良かろう。「水は火に克ち(水克火)だって火を消すには水ばかりでなく土をかけたっていい訳だ。
実際に別の説では、
「水克金―金克土―土克火―火克木―木克水」
というパターンも有るらしい。どうとも考えられる訳だ。

逆に五行相生、つまり五行が互いに生じ合う状況では、「木は火を生じ(木生火)」木は腐って土になるのだから「木生土」でもいい訳だし、「金は水を生じ(金生水)水は木を生ず(水生木)と云っても、液化した金属を木が吸う訳ではない。
鉄筋コンクリートの建物を風水的に検証したケースで、
「鉄筋コンクリートは金と土の要素を持っており、これ等は五行相生の関係土生金にあって創造を促すので幸運を齎す。随って此の組み合わせは富と経済的な成功を保証する」
と云う一文が有ったが、五行相生の関係にあれば何でもくっ付いてていいのかと云うと、どうもそうは思えない。
例えば水生木だからといって、木造住宅の壁内に完全防水加工した上で水を溜めたとしたら、
「水と木は五行相生の関係にあるので、流動性と発展性を意味する。随って臨機応変に困難を克服し、発展する事が保証されます。」
とか何とか云う解釈をされるかも知れんが、其の前に壁の中の木が腐って家が倒壊するものと思われる。
「木の要素と水の要素を一緒にすると腐ってしまうから、其の時は木か水のいずれかの要素を、それを象徴する物で代用するのです」
等と云われたとしたら、それこそ「こじつけの上に、理論の欠陥の誤魔化し」である事を白状している様なものだ。
同様に金生水・・・錆びる)(木生火・・・燃える)も一緒にしたくない組み合わせだ。

だがそれはそれで目を瞑るとしても、だからといって、「水克金」と云う論理を其の儘、
「水の用地に金の建物を建てるとマズイ」
と現実に当て嵌めてしまうのもどうかと思える。
五行相生、相克の根拠自体が恠しいのに、
周囲の建物が水っぽいから、金っぽい家を建てると錆びるから駄目だよ」
と云うのは滅茶苦茶ではないか。現実の社会はそんなに単純なものではあるまい。
例えば水を象徴する不規則な形やガラス面の多い住宅が立ち並ぶ住宅街に、金を象徴する円形のショッピングモールが出来たら、其処が成功するかどうかは商品量と周邊の人口密度と住民の家族構成、地域性。それと競合他社の多寡が大きく左右してしまうだろうから。

挙句の果てに風水では、其の建物が五行のどの要素に属するかに依って、其処に住む人にどんな職種が合うのか迄口を挟まれる事に成る。
例えば
「土はレンガの材料になるから堅固なイメージだ。随って平らな形状の土の要素を持つ建物は堅固で長持ちするのでトンネル掘りの職業に向いている」
とか、
「水の要素はコミュニケーションを象徴するから、水の要素の建物に住む人は郵便、通信、広告、コンピュータ言語、電子工学等の職業が合う」
だとか、本当にそれを信じて就職するには勇気が要りそうな論理が展開される。
「コミュニケーションだからコンピュータ言語」
だと云うのなら、
「コミュニケーションだからトンネル」
と云う論理も成り立つ様な気もする。
「電子工学をコミュニケーションツールに使うから電子工学を学ぶ」
のと、
「トンネルをコミュニケーションツールに使うからトンネルを掘る」
のとでは、これも論法として同じ様な気もするが。
そもそも大概どんな職種もコミュニケーションを必要とするのではないかと思うのは私だけだろうか。

それから、先に
「西側に白虎を象徴する丘が在ったら、東に青龍を象徴する丘がなければならない」
と云う考え方も有る事を書いたが、風水理論では、
「青龍と白虎は切っても切れぬ関係であって、陰と陽の様に必ずペアになっているので、西に白虎があれば、必ず青龍がある筈だ」
と云う事になっている。
そうかぁ???一概にそう言えるかなぁ〜????

「羅盤派」の考え方は、家の方位に依って、各部屋が六煞(凶)だとか伏位(吉)だとか禍害(凶)だとか決めるのだが、それはまあ経験則を根拠にしているとしても、そこに「生年数」というのが絡まってくると恠しくなって来る。この「生年数」の出し方であるが、生まれ年を基準に考えるのだが、何故か古えの中国文化に相応しからぬ西暦 を基準に考えるのだ。その西暦の下二桁を9で割って、其処で出た数を10から引くとか何とか、人の運命を算出するこの公式を考え出した偉人は、一体何を根拠にしたものだろうか。
古来、数秘術というのか、往古の易学者が考え出した「数の曼荼羅」の様な物は有ったんだろうが、この西暦基準の「生年数」を考え出した人は尠くともそんな昔の人ではなさそうだ。
其の上、こうして方角に五行や八卦、十二支、十干、二十八宿、生年数を絡めて割り出した風水的診断に出て来る言葉が、
「スキャンダルやゴシップの暗示」
だとか
「スポーツやゲームでの成功」
だったりするのだが、五行や八卦の持つ情報の何処から「ゲーム」だとか「ゴシップ」等という情報が引き出せるのだろうか。

因みに理気派とも羅盤派とも関係無さそうなのがDr.コパの風水だ。
と学会の本にも紹介されてたが、
「ヨーロッパの化粧品は恋人が欲しい時に効く」
「人間関係アップには麺類を喰え」
「肉じゃが・サンドウィッチは家庭運を上げる」
「フランス料理は恋愛運を高める」
「ウナギは高いが、運を引っ張って来る」

等、一体何処から出て来た法則なのか分からないアドヴァイスが続くが、と学会曰く、これは既存の風水ではなく、本のタイトルにもある通り、「Dr.コパの風水」であって、本来の風水とは別物と考えた方が良いとの事である。


tadatsuna at 00:21|Permalink

2009年06月01日

風水を考える1

本家のサイトにも書いたんだが、こっちにも書いとこう。
風水に突っ込みを入れる連続企画の第一回。まずは(分る範囲で)基本から説明しときましょう。

風水とは

とか何とか言った處で、別に私もそんなに知りゃしないんだが、風水にも何だか色々有る様で。
先ずは形態派(巒頭派)と羅盤派(理気派)というのが有るらしい。

形態派

「五行」ってのがありますな。「木・火・土・金・水」の五元素を元に万象が成り立っているという考え方・・・と云う事でいいのかな。で、以下説明し易い様に、先ず五行の各要素に何が関係するのかを一覧にしてみよう。

表






注※此の場合の「金」は、ゴールドではなく、金属一般を指す。


ざっと挙げると、上の表の様に、各元素が様々な物に配当されている。
さ、そこで形態派の風水がどう考えるのかと云うと、風水を調べる対象の建造物や周囲の構造物が、どんな形をしているのかを先ず見る。

円筒形なら木の要素。(木の幹っぽいから)
尖っているなら火の要素。(炎の先っぽっぽいから)
平らなら土。(地面っぽいから)
円形なら金。(お金っぽいから)
不規則な形なら水。(水は形を持たないから)


更に五行相生、五行相克の関係を考え合わせる。

(五行相生・・・五行が互いに生じる)
木は火を生じ(木が燃えて火を発す)
火は土を生じ(燃えた灰が土っぽい)
土は金を生じ(鉱石を土から得る)
金は水を生じ(金属は溶けて液体となる)
水は木を生じ(水が無いと木が育たない)・・・・・


(五行相克・・・五行が互いに打ち消しあう)
木は土に克ち(土の養分を貰う)
土は水に克ち(水を汚す(とほほ))
水は火に克ち(火を消す)
火は金に克ち(金属を溶かす)
金は木に克ち(斧などで木を伐る)・・・・・・


これ等を考え併せて風水師が出す結論は、例えば円筒形の建物が多い「木の気」の場所に、平らな屋根を持った「土の気」の家を建てると、
「周りの「木」に養分を吸い取られてしまうからよろしくない。」
と云う判断となる。大雑把に言うとだが。

亦、表に有る通り、五行は四神にも配当されるので、「四神相応」も併せて考えられる。例えば西に白虎を象徴する丘が在った場合、東に青龍を象徴する西よりも大きな丘が無いと駄目等と云う見方もする。白虎は凶暴なので、それを押さえ込む龍の力が必要だからだとか。
理想的なのは、これ等二つの丘に加え、南に朱雀を象徴する湖などが在り、北には玄武を象徴する高い峰が在る様な状況らしい。

ところで余談だが、西は五行で「金」。だから「金運を象徴する方角だ」と云うのは、苦しい言い分乍ら、何と無く分からんでもない話だが、「西に黄色い物を置くと金運が上がる」と云う話は、一体どっから出て来たものだろうか?
黄色は上の表で分かる通り、中央に配当される色なのだが・・・・。

羅盤派

一方の羅盤派の風水は、方角を重んじる様だ。
方角に五行や八卦、十二支、十干、二十八宿なんぞを絡めて、更にその人の「生年数」とか「太陽月」等という物を割り出して考え併せ、何処の部屋が「六煞」で何処の部屋が「五鬼」だ・・・等と判断する。細か過ぎて私には能く解らん。

今回はこれ位で。
次回以降、これ等を踏まえ乍ら突っ込み始めます。







tadatsuna at 00:17|Permalink

2009年05月06日

男女平等

男女平等、男女平等と言われる様になってから久しい。
古くは「関白宣言」と云う歌の内容にも、
「歌詞が差別的だ」
等のクレームが付いた由である。
男女平等が叫ばれて、様々な事が社会の中で変わっていった。

戦隊モノの男女比もそうだ。
男女雇用均等法の煽りだろうか、デンジマン辺り迄は、五人中四人迄が男だったものが、それ以後の、あれは何マンだか何ンジャーだろうか、それから五人中女が二人になって来た。
他にも「看護婦と言っちゃいけねえ」の「出席簿を男女別に作っちゃいけねえ」の「スチュワーデスと言っちゃいけねえ」のと、男女を平等に扱おうという動きは止まる処を知らない。
だがどうも、メディアでの男女の扱い方は、逆方向に向かっている様である。
逆方向と云うのは、男尊女卑ならぬ、女尊男卑の方へ、と云う意味に於いてである。

古い処では、「8時だよ!全員集合」がそうだ。
ドリフのコント中、裸で舞台を駆け抜けて行く子供が居たが、あれは必ず男の子であって、裸の女の子が駆け抜けて行く事など皆無であった。
まあ、あの頃は「男女平等」が今ほど五月蝿くなかった時代だったから良いだろう。
併し漫画の世界ではどうか。
「がきデカ」等に代表される、男性器を露出した男が主人公の漫画は昔から多かったが、一方でクリトリスやビラビラを剥き出しにした女の主人公が登場する漫画等皆無ではないか。
描く人が居ないのか、書こうとしても出版社が許さないのか。
クリトリスやビラビラはおろか、マンスジ一本表現する漫画も、尠くともジャンプや其の他の少年誌ではほぼ有るまい。
理由は「少年誌だから」だそうだが、では少女雑誌だったら有るのかと云えば、知らんが恐らく無いのではないか。(別に少女雑誌にそんなの無くても困らんが)
男性器を出す漫画が許されて、女性器を出す漫画が許されないと云う状況は、男女平等が叫ばれる現在、改善されているんだろうか?

亦、少年誌だからイカンと言うのであれば、少年誌に載っているそうした表現を少女が見てもイカンと云う論理も当然成り立つ筈だが、少年誌に載っているそうした表現を持つ漫画が、其の儘アニメ化されたりしているのはどういう事か?
少女に見せてはいけないであろう表現が、TVで男女の区別無く試聴出来る様に放送されてしまうのだ。

例えば「シティーハンター」。あれは「もっこり」と云う表現を世に広めた。
恐らく小学生の女なども喜んで当時使っていただろうと思われる表現だが、こういう表現が日常の女の会話に気軽に導入される様な状況を社会は別段「否」としないのに、女が興奮して愛液を出す事やクリトリスが勃起する事等を、男の子が日常会話に登場させる様な状況を「是」としないのは何故か。
漫画にそう云う事を隠さずに描かないのは何故か。
漫画の世界イコール子供の世界では、クリトリスの構造が陰茎の構造と基本的に変わらない事を隠している為に「勃起=男のみ」と云うイメージで固定させられてしまっている。
また、自然界に於ける「陰茎勃起」の対極として起こるべき「膣の潤滑液分泌」の事実も隠すから、「肉体的興奮状態が視認出来るのは男のみ」とも思わせられている。
「女は興奮しないもの」と男の子に思い込ませる社会的洗脳。これを女尊男卑と言わずして何と言おう。

「放送禁止用語」もそうだ。
昔、「影の軍団」と云う千葉ちゃん主演のTVシリーズが有ったが、其処で競演の樹木希林が、「きんたま」と言った。
ドラマだから別にアドリブで言った訳ではなかろうから、台本に書いてあったものだろう。
随ってそれは公然と許された訳である。
一方、「11PM」と云う深夜番組で、桂べかこ(現・南光)が「おまんこ」と言ったら謝罪させられたらしい。
「金玉」以外にも、TVで「ちんこ」等の表現はよく聞くが、「おまんこ」は駄目。御丁寧に「まんこ」に「御」を付けても駄目なのである。これが男女平等か。

(追記・・・お笑い芸人が敢えてシモネタを演り、それを女の審査員が評価するという企画の番組が有った。
芸人が、クリトリスとナントカ・・・と言ったら、見事に「ピー」音が入って消されてしまった。
TVでは「おまんこ」と言ってはいけないが、「ヴァギナ」と言ってもいいらしい。呼称が正式名称だからか、学術的だからか、そんな理由だったと思ったが、では「クリトリス」は正式名称ではないのか。
正式名称すらも言ってはいけないのか。
そんなに存在を隠蔽したいのか。
其の後、審査員の女に感想を訊いていたが、女曰く、
「何か放送禁止用語っぽい」
といった事を言っていた。
併し、其の後当の女審査員が「チンコ」と発言した。
いや、女が放送禁止用語との認識を有しながら言ったところで構わない。
問題は、放送局が「クリトリス」の音を消したのに「チンコ」の音を消さなかった処に有る。
一体、どんな基準で自粛を考えているのか理解に苦しむ次第である。)


バラエティ番組では、昔「スーパージョッキー」と云う番組で、たけし軍団の面々が熱湯風呂に入れられるコーナーが有ったが、たまに軍団の誰かしらが水泳パンツを下ろされて、肛門やら男性器やらが露出すると云うハプニングを、面白おかしく放映していたものである。
当然映像には「消し」が入って局部が見えない様にはなっていたが、あれはスタジオで観客を前にやるので、観客の女には丸見え状態だった筈だ。
そういった「男性コメディアンが性器を露出する」と云う類いの番組は、現在迄でも数多い一方で、女のコメディアンが性器を露出して笑いを取る番組は、これまた皆無に等しいのではないか。

私が見た限りで言うと、森三中の大島ナントカが転倒してパンティーが顕わになったハプニングが有ったのがパッと思い付く一例だが、其の時もたかがパンティーが映った儘放送されるのを恐れたか、パンティーに「消し」が入ってしまった。
別段彼女のパンティーが見たい訳では決してないが、男のコメディアンがパンツ丸出しで居るのを平気で放送するくせに、それが女になると画像を修正してしまう態度がおかしいと言いたいのである。

同じ映像にしても、ロバート・デ・ニーロ主演の「フランケンシュタイン」では、フランケンが起き上がるシーンで、本物かどうか判らんが男性器が映るシーンが有る。それをTVで平気で放送していたし、スピルバーグのナチ収容所物の映画でも男性器が映っていたが、それもTVで放送した。
一方で、外国映画でマン毛の映った作品をTVで放送する事は有っても、女性器を映した儘放送された事実を私は知らない。
フランス映画「エマニエル夫人」は本来女性器剥き出しらしいが、日本で上映・ビデオ販売・TV放送される際には修正されて、女性器が見えない様にされてしまっている。
古い映画だが、男女平等が叫ばれるこんにち放送されるなら、細部迄丸見えで放送するのかな?
デ・ニーロ=フランケンの性器が贋物だったとしたら、「贋物だからいいんだよ」と云う声が聴こえて来るかも知れない。だったら贋物でもいいから女性器を作って映画を作ったらどうか。

アフリカだとか南米奥地の、昔乍らの部族を取材したドキュメント番組でも同じ事が言える。
男性器の前に動物の角を付けた部族だとか、他にも似た様な部族の映像では、男性器が棒も袋も映されて放送されるが、女性器はどうだろう。
或いは正面からマンスジ程度は映すかも知れんが、実際は大抵マン毛で隠されてしまう筈で、仮に大股開いたとしても修正されてしまうだろう。兎も角も大陰唇から内側の映ったドキュメント番組を見た事が無い事だけは確かだ。
甚だしいのは半裸の部族の子供の映像で、男の子女の子共に10歳未満。いずれも木の板を踏みつける儀式に参加しているシーン。男の子は其の儘修正ナシで放送されるのだが、女の子の股間だけは修正されて見えなくされていた。
飽く迄同年輩の子供同士なのに、何故男はよくて女はイカンのだ?余りにも男女での扱いの違いが露骨なので苦笑してしまった。

「男用のエロ本が多い事自体が、男尊女卑の社会から脱し切れていない証左じゃないの?」
と云う意見も有るか。
併しエロ本・エロビデオ等と云う物は、普通家族団欒の晩飯の席で皆で和気藹々と観る物ではない。だがTVや漫画に出て来る男性器の形や「ちんこ」等の音声は、まさに家族団欒の時間に皆で鑑賞してもおかしくない状況に在るのが現状だ。
或る程度の年齢に達した一部の男性が隠れて鑑賞するエロ本・ビデオだって、女性器が映っている訳ではないが、TVや漫画の男性器は、其の儘棒も袋も映ってしまうか、絵で表現されてしまっているのであるから、特段「一定の年齢に達した女性が隠れて鑑賞」しなくても、TVや漫画の男性器は誰でも鑑賞可能な状態にある。これは不公平だ。

社会環境にしても、例えば電車の中で痴漢に遭ったと証言した女と、証言された男では、証言した女の意見が優先されると云う。御蔭で冤罪で苦しむ男性が多いらしい。
痴漢が居るなら痴女だって居よう。
TVの「警察24時」等では男の痴漢現場ばかりが取沙汰され、哀れな男性逮捕者の姿ばかりがクローズアップされるが、痴女の現場を取り押さえようと云う気概は無いものか。
痴女の件数が尠い為に現場を押さえる事が不可能なら、既に逮捕されている女囚を取材する位のバランスを取って欲しいものだ。
それとも
「女囚の人権は擁護されなければならない」
等と理不尽な事を言い出すつもりだろうか。

旅館の大浴場等に掃除のおばちゃんが入って来る等と云う話は聞くが、掃除のおじちゃんが入って行くと云う話は聞かない。大騒ぎする奴が出るのを恐れてだろう。
建物の便所掃除係りは、男便所におばちゃんが入って行くのは問題視されないが、おじちゃんが女便所に入って行くと問題視されると仄聞する。
男は貧弱な遮蔽物のみで用を足すが、女は完全に掩蔽された状態で用を足すにも拘らず、女便所に男の掃除人が入る方が問題だと云うのだ。

男女共同便所では男の方が不利だ。前述した様に、貧弱な掩蔽のみで用を足す男の横を、女が通り過ぎて個室に入る訳である。
男女共同便所を作るなら、男の方も個室にするか、さなくば女も生殖器丸出しで男と並んでする様に改造すべきである。

酷いのは、男と女で便所が分かれているのに、男便所に大便器が無い場所が在った事である。どうせよと云うのか。

女尊男卑洗脳社会問題は、生殖器問題だけではない。
男女の力関係を、「平等」にするのではなく女の方へウェイトを持って行こうとする風潮も有る。

また漫画だが、昔はよく小さい男が「変態」等と呼ばれて異常行動をとる漫画が数多有った。前述の「がきデカ」もそうだが、「らんぽう」等も其の類いだ。
少年ジャンプの某漫画で、矢張り「変態」と称される小男が主人公の作品が有った。
其の主人公は抜き手でブロック塀を破壊する程の手練だったが、下らない事をちょっと口にしただけで登場人物の女に体が浮く程の打撃を喰らって居る。
これが女が主人公の漫画だったらどうか。小さい女が下らない事を口にして、体が浮き上がる程、男に打撃を喰らう。
そんな漫画が有ったら、即座にクレームの嵐だろう。其の前にそういう状況を惧れた編集部が掲載のOKを出すまい。
随ってそう云う漫画は描けないとしても、先の主人公がそれだけの力量を有して居乍ら女に対して反撃もしない処に問題が有る。
「男は女に理不尽な攻撃を受けても泣き寝入りして然るべき」
との印象を残してしまうからだ。
出版上、反撃させる表現自体も赦されないのだとしたら、そもそもそんな漫画は描かなければ良いのだが、こういう流れをストーリーに持つ漫画は挙げれば枚挙に遑が無い程なのである。

TVCMでもそうだ。何の脈絡も無く女が男にナックルを叩き込んで、男がダウンする、乃至は後方にすっ飛んで行く。女が男を引っ掴んで投げ倒すと云った様なCMが平気で流されている。
これだけそういうCMを流しても社会が何とも云わないのなら、逆に男が女を叩きのめすCMを作って流してみたらいい。それでクレームが来たら、
「女が男を叩きのめすCMが多いが、問題が起こったと云う話は聞かない。だから男女平等で逆もいいもんだと当然思いました」
と言ってやればいいのだ。

防虫剤のCMで、主婦風の姿をした中年女が数人集まって、
「亭主元気で留守がいい」
と皆で言うのがあった。
このセリフは流行になりこそすれ、批判されたという話はついぞ聞かない。一部で批判は有ったのかも知れないが、尠くともニュースで大々的に報道される程の批判ではなかったのは確かだろう。
これを逆に「かみさんが煩わしいから、永久にどっか行っててくんねえかな」等とやったら大問題だろうが、依然として此の類いの「主婦が亭主を疎かにする」事を推奨する様なCMは尠くない。

映画やドラマでは、「女が意味も無く強い」と云う描写が目立つ。
「ナントカ学園のナントカ戦争」か何か、題名は忘れたが、高校生同士で戦争が起こって、大小火器を撃ち合うと云う非現実的な話が有る。
其処でも主人公は女で、矢鱈に活躍する。
セーラー服を着た主人公は、弾丸の行き交う遮蔽物等何も無いだだっ広い校庭を、小銃を肩付けして射撃し乍ら無防備にも突っ立ってノソノソ歩いて前進していたが、敵弾が命中して重傷を負う事など無かった。

「少林少女」では何故か女を主人公に据えて、男よりも強いと云う設定にする。
そんなリアリティの無い設定の話を観て何が愉しいのか。

女性事務員が大きな事を言って上司を困らせる様なドラマもよくある。
大抵上司が「参りました」風だが、女性事務員にキツイ事を言われたんならキツイ事を言い返してやればいいのに。

妻が夫を殺害し、最終的に自白してめでたし・・・と云う様な二時間ドラマも有ろう。
背後から花瓶を持って接近して来た事を最後迄気付かなかったのならまだしも、振り向いて妻の様子に気付いたのにも拘らず、二秒位「わあああ」等と言い乍ら後ずさり、結局花瓶を頭に受けて死ぬ夫。
「殺してやる」等と言い乍ら数メートル先から包丁を構えてゆっくり歩いて来る妻を見て、「ま、待て」等と言い乍らこれも後ずさりの末刺される夫。
就寝中にネクタイで首を絞められ、気付いても何もせずに絞め殺される夫。
何故反撃せんのだ。何処でも構わない、骨折させる位強く攻撃したらいいだろうに。

日本の方向性が、西洋風にレディーファーストを目指しているんなら、別してこれまで書いた様な事が行われても文句は言うまい。
だが今目指しているのは「男女同権」「男女平等」なのではないか。
「男女平等は当たり前。其の上で女は弱いから護らなければならない」
等と言い出す向きも有るかも知れないが、こういう場合の「弱い」とは精神面を指すのであろう。では昨今「世の男は弱くなった」と言われる意味での「弱い」も精神面を指すものなのではないか。
したれば「男も弱いから護らなければならない」との観点に立たぬのは不自然なのではないか。

建前上メディアでの様々な女性擁護の施策をせねばならんのなら、建前上男性擁護の施策も採るべきなのではないか。
逆に男性擁護もしないのなら女性擁護も無用とすべきだ。

tadatsuna at 23:55|Permalink

2009年05月05日

営業マンを信じて良いか

物を売ると云う事は良かれ悪しかれテクニックが重要だと言えそうだが、そう云うテクニックを用いた販売の究極形が、営業マンの手口だろう。
訪問販売の手口で言えば、取扱い商品に依ってはターゲットを女に絞る為か、旦那の居なそうな時を狙って訪問するのも手口の一つだ。是は例えば「電解還元水を作る装置」を売り付ける場合等だ。「電解還元水」と云うのは「活性水素(原子状水素)が存在する水」らしいのだが、これがどんなに怪しい物かは化学に詳しい人なら一目瞭然だろうし、そうでなくともネットで調べれば直ぐに判明する。併し女性がこうした技術屋系の知識を持って居る確率は矢張り低そうだから、其処を狙ってのターゲット視なのだと思われる。

それから此方から出向くにしろ先方から訪問して来るにせよ、二人一組で対応して来るのも王道の営業手口だと言える。
栃木県小山市の某建築業者で有ったのが、
「私は無理に奨める積りは無いのだが、(アシスタントを指して)此の者が貴方(貴女)の熱心さ(知識、興味の強さ・・・等と置き換える事も出来る)は凄いから是非良い物を御勧めしたいと私を説得したものですから・・・」
等と猿芝居をする手口。こう云う心理戦を展開して来るパターンが有る。
此の業者は土地を探す際、
「私はプロとして恥ずかしくない物件を探して来ます」
等と言い乍ら、予算の低いのを言い訳にして滅茶苦茶酷い土地を探して来る様な、結局はいい加減な業者だった。

それから実際に体験した訪問販売だが、先ず、「私は売り付ける気は毛頭無い」「御得な情報を持って来ただけで、気に入れば買えばいいし、そうでなければ私は唯帰るだけ」「今日決めろ等とは絶対言わない」を連発。「兎に角話だけ聞いて欲しい」と云うから、話だけならと聞き始めてしまう。すると、「こんなに御得なのに何故やらないんですか。私が親戚なら怒りますよ」等と始まり、結局は「行政がらみの期限が有りまして、今日の何時迄なら此の値段でやれますがどうします?」と、結局直ぐに契約を纏めようとして来た。

初めにどんなに「今日売らない。得な情報を持って来ただけ」と言っていたとしても、こういう手合いは結局最終的に其の日の契約に持って行こうとするか、本当に其の日は売る積りが無くとも、連日押し掛けて来て契約を締結させようとするのだ。
其の日の裡に中に刻限を設ける目的は、速射砲の如きトークと計算された言葉のマジックでカモの思考力を奪って、考えたり調べる時間的余裕を与えない事に有ろう。
羞かしい話だが、此の営業マンのマジックには先ずかみさんが引っ掛かり、私に話だけでも聞いてくれと言って来たので、直に私が営業マンと対峙する事になったのだが、どんなにいい話でも絶対に其の場で契約しないと決心した上で話を聞いた処が、案に相違せず上の如き仕儀とは相成った訳だ。

「考えとく」の一点張りで営業マンを帰したが、「今日中に連絡くれ」と時間制限を設けて来たので、時間内に充分ネットや知り合いの情報で調べを付けた。其の結果、営業マンの言う「期限」も「期限であって期限でない」様なものであったし、営業マンの提示した金額も、「確かにやらないよりは得だが、同業他社の設定価格の相場と較べれば破格に高額」なものであった事が判り、契約しなかったのは言う迄も無い。
此の営業マンは既に老齢の域に達して居り、自信満々であった。
恐らく営業マンの世界では「達人」の域なのだろう。
処がやる事といえば此のザマで、最終的には速やかな契約締結が目的なのだ。初めからそう云う疑いの目で見ていれば、必ず相手の営業マンの目論見が何処かで散見される。「ああ結局言葉巧みに契約に持って行くのが目的か」と鳥渡でも思ったら、兎に角其の件に関しての調査の時間を設けるべきで、それを営業マンが赦さないのなら、どんなに魅力的な話でも絶対に契約しない方が懸命だ。

だが、
「私も人間ですから、今すぐに気持ち良くOKと言って下されば、私の方も気持ち良く、提示申上げた価格で御譲り致しますが、どうしますか?」
等と熟考する時間を与えない為の名文句を吐いて来る事だろう。併し雑誌の広告にしろTVCMにしろ営業マンにしろ、契約前に兎に角一度調べる事。契約後に調べて損をした事に気付いても後の祭りとなってしまうのだ。



tadatsuna at 22:32|Permalink

2009年02月19日

販売文句は信じて良いか

新聞広告で「低分子コラーゲン」がどうのと云う化粧液(?)を見たかみさんが、「買ってもいい?」とて当該広告を見せて来た。
「使用者」と称する人物の使用前使用後の写真が複数載って居たが、何れも恐ろしい変貌振りを見せて居た。何しろ五十代の皺くちゃババアが二〜三十代のツルンとした貌に変わって居るのだから、そりゃかみさんも欲しがる筈だ。値段がまた一万なんぼもする高級品である。
高度な画像処理技術や特殊メイクに就いての知識は持ち合わせないので、写真が加工されたものなのかどうか識る術は無いが、兎も角此の化合物自体何なのかを調べてからの話だ。

「買っていいか」とせがむ妻を落ち着かせ、「低分子コラーゲン」なる物が如何なる物なのかをネットで検索してみたら、「酵素分解して分子量を少なくしたコラーゲン」と云う事らしい。分子量を少なくして吸収率を上げたと云うんだろう。
で、それを皮膚に塗れば皮膚から吸収されるのかと云うと、どうもそれは無い様だ。
コラーゲンは蛋白質の一種である。詰り他の生物の体内で合成された蛋白質だ。と云う事は、其の蛋白質には其の生物の遺伝情報が入って居ると云う事で、夫れが其の儘体内に吸収されるのは臓器移植と同じ事になってしまうんだそうな。人間同士でも他人の遺伝情報が書かれた細胞を移植されれば拒絶反応を起こす。況してや牛や豚の遺伝情報が入って来たらどうなるか推して知るべしだ。
だから蛋白質は腸内で一度アミノ酸の形に分解されてから吸収されるので、皮膚からの吸収は有得ないのだそうだ。

では経口摂取でならコラーゲンを効率的に補充出来るのかと云うと、それも駄目らしい。
前述した様に、コラーゲンは一度体内で複数のアミノ酸の「部品」の形に分解されるが、バラバラの部品の状態では、他の蛋白質が体内で同じ様にバラバラの部品になった状態と変わりない。要は、コラーゲンを構成するアミノ酸の部品は、他の蛋白質をバラバラにして得られるアミノ酸からも得られると云う事だ。
コラーゲンを分解して得られたアミノ酸の部品から、特にコラーゲンだけが再合成される必然性は勿論無い。
然も、コラーゲンと云うのはアミノ酸バランスとしては頗る偏っていて、栄養価も高くないばかりか、そんな部品(アミノ酸)しか持たない食品を特段摂取する意義は低いと云う。

(結論)
幾ら分子の単位を小さくして吸収を良くしようとも、そんな物を食ってもしょうがない。
皮膚に塗れば皮膚表面に留まったコラーゲンが保湿作用を齎すらしいが、それは飽く迄皮膚表面での事であり、分子量が高かろうが低かろうが皮膚に吸収されないんだから結局同じだ。



それで思い出したが、ゲルマニウム商品でも似た様なケースがある。
結局何だ、あれは血行を良くするとかしないとか?
ゲルマニウムが皮膚から吸収されて血行を良くすると云う様な謳い文句が有るらしいが、こいつも皮膚からは吸収されない様だし、吸収されたとしたら逆に恐ろしい代物らしい。

ゲルマニウムには有機ゲルマニウムと無機ゲルマニウムが有り、人体に用いられるのは有機ゲルマニウムだけである。無機ゲルマニウムは毒性が有って、体内に入れば生死に関わる。有機ゲルマニウムの一部は肝炎治療等に用いられるらしいが、それも副作用を覚悟しなければならない。有機ゲルマニウムの経口摂取で死亡したケースも有ると云うから、下手な物を買って呑まぬ方が良い。

それと、ゲルマニウムは32℃以上になると最外殻電子の一つが「マイナス電子」となって飛び出し、それが人間の生体電流に干渉して治療効果を齎す・・・と云う宣伝文句も有るらしい。ゲルマニウムの人体への治療効果は科学的に証明されていないらしいが、そうした効果が有ると発見したんなら、学会へ発表したらどうなのか。「マイナス電子」の意味が解らんが。

ゲルマニウムの性質がどうだか知らんから、32℃で電子が一つばっかり飛び出すのかどうか知らんが、身に着けている物から電子が体に移動して来る現象てえのは、所謂静電気と言うやつではなかろうか。ゲルマニウムから移動して来た電子は人体に帯電し、その人が鉄や何かに触るとバチッと放電して終わりだったりして。

ボブソンの女性用(流石に対象とする客層を選んでいる)パンツで、「生地にゲルマニウムが練りこんであります」がウリの商品が有ったが、遉がにボブソンも慎重だったのは、其の効能をパンツに明示しなかった事だ。商品に付いていた紙をよく読むと、
「生地に練りこんでありますから、洗濯しようが何しようが半永久的に効果が持続します」
と云う様な事しか書いてなかった。
ゲルマニウムに何の効果があるか知らないけれど、効果があるとすれば半永久的にあるんでしょっ、多分・・・・と云った意味合いであったのだろう。

(結論)
治療効果が科学的に証明されていないから、ヤケクソでかドサクサに紛れてか、ゲルマニウムをラッキーアイテムとして販売している所もあるが、そういう意味合いで買うなら諦めも付くと云うものか。



宣伝文句に騙されるで思い出したが、何処のメーカーだったか、タイヤメーカーで、「雪国の」だったか、「東北の」だったか、
「雪国(東北?)の○○%以上のドライバーが此のブランドのタイヤを選んでいます」
みたいな宣伝文句のスタッドレスタイヤのCMを流していた所が有った。
まあ此の場合、「騙される」と言うと語弊が有るが、尠くとも「物は言い様」と云うやつなんじゃないのかと疑ってみる。

ソコソコの街に棲んでいる人間がああいうCMを見ると、
「へぇ〜、雪国の人がわざわざあのブランドのタイヤを選ぶんじゃ、よっぽど性能がいいタイヤなんだろう」
と思うだろう。
これは無意識に自分が住んでいる環境を基準にして考えるからだ。タイヤ専門店は数多く、其の他にもオート○ックス等のカー用品店でもスタッドレスは買えるのだから、タイヤブランドのみならず、購入店の選択肢も多いものと無意識に思ってしまう。

私はよく高速道路ではなく、会津西街道、詰り「下」を通って東北に行く事が有るが、栃木県の県境から会津若松市の手前辺り迄の間の町並みの寂しい事と云ったら無い。
そう云う場所では人口密度も低いから、小売のチェーン店等怕くて出店出来ないのだろう。行けども行けども、カー用品店はおろか、コンビニに行き当たる事すら至難だ。
そうした地域でよく見掛けるのが、何十年もののガソリンスタンドで、申し訳程度にタイヤを陳列、販売している風景だ。ガソリンスタンドのそんな販売スペースでは、扱っているタイヤメーカーの種類等、そんなに置けよう筈が無い。否、置いたって地域人口の絶対数が尠いのだから在庫が余ってしまうだろう。

田舎と云うのは近所付き合いが喧しいから、恐らく買う方も「付き合い」でそうしたガソリンスタンドで買うに違い無い。街にわざわざ買いに行くったって、何十キロもの道程を雪道をおして買いに行くよりは近場で調達してしまった方が手っ取り早い。必然、特定のメーカーのタイヤばかりが売れる事になってしまうものと推測出来る。
東北は広い。東北全体でそう云う過疎地域はどれ程有ろう。それらが皆同じ様な販売方法を採っていたとしたら、東北全体でのスタッドレスのメーカー別売上グラフは、かなり偏ったものになってしまうのではなかろうか。

(結論)
雪国の何十%の人が同じタイヤメーカーのスタッドレスを履くのは、買いたくて買っているんじゃなく、選択肢が尠いからではないのか。



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2008年11月12日

朝起会

かみさんが近所のママ仲間に、「子育ての勉強会が有るから」と誘われて、付き合いで其の会場に出向いたんだそうな。
其の会合の名称が「朝起き会」。
普段は朝五時頃から会合をやってるそうだ。

で、かみさんが行った会合の会場はナントカ保育園。
如何にも「子育て」関連の話をしそうな場所で開催したもんだが、実際は別段保育園側が企画した会合でも何でもなく、「実践倫理宏正会」なる団体が保育園を借りて開催しただけの事で、紛らわしい事甚だしい。
(後で調べて判ったが、此の団体は道端で人に声を掛け、
「駅前の子育て支援センターで、子育てに関する講演会を×月×日×時からやっています。ぜひいらしてください」
等と、恰も「子育て支援センター」から来たと勘違いさせる様な言い回しで勧誘活動をする様だ。)

会合の様子だが、かみさん曰く、言ってる事が支離滅裂で、訳が解らんかったらしい。
例えば、会員のおばちゃんが皆の前で「自分が会の教えに由って救われた」経験談を発表するらしいのだが、或るおばちゃんは元々旦那さんを顎でこき使う様な最悪のババアで、其の結果夫婦仲は悪くなり、旦那さんも神経が参ってたのか会社を辞めてしまって、夫れが亦夫婦仲の悪さに拍車をかけてしまったのだと云う。
其処で会の、
「家で愛されない人は会社でも愛されません。だから旦那さんの靴を磨き、玄関の掃除をして、朝夕事有る毎に挨拶をしなさい」
と、まるで靴磨きが「まじない」であるかの様な教えに随って、旦那さんの靴を磨き、玄関を掃除し、旦那さんが起きれば「御早う御座居ます」。旦那さんが出掛ける時には「行ってらっしゃいませ」。帰って来たら「御帰り為さいませ」と言うという決め事をして実践した結果、晴れて旦那の仕事も決まって夫婦円満に成った。と、涙乍らに語ったと云う。

なんじゃそりゃ。
何故「家で愛されない人は、会社でも愛されません」なのか?
家で愛されないので性格が歪み、会社でも変人扱いされてしまうから・・・・・と云ったケースが考えられる(夫れも個人の性格に依るところ大だが)が、そうした間の経緯がどうなるからだと云う説明も無しに、まさに「風が吹けば桶屋が儲かる」式の言い様だったらしい。
それに靴磨きをすると会社が決まるのか。
然も段々聞いたら、身内の経営する会社で働かせて貰える事に成っただけだそうだが、それは「靴磨きの御利益」ではなく「親戚の誼」と云うやつではないのか。

亦別のおばちゃんの話では、息子が暴走族に入って半年程連絡不能なのだが、どうしたら良いでしょうか?と、会の幹部に相談したら、
「息子さんを信じて俟ちなさい」
とアドヴァイスされたので、其の言葉を信じて俟った処、果たして息子から連絡が有り、暴走族も辞めて仕合せな日々を送って居るんだとか。

何といい加減なアドヴァイスだろう。半年も家族と連絡がつかなかったら、万が一の事を考えないのか。私なら良くて失踪、悪くて事件に巻き込まれた場合を想定して、先ず警察に相談する。
勿論おばちゃんも其の事に考えは至ったんだとは思うが、幹部の方は「ひとごと」だから、そんな可能性迄考慮しない。
おばちゃんもおばちゃんで、そんな親身に成って考えて呉れるとは思えない人物に先ず相談して居る事自体がおかしい。
幸い大事無かったものの、これが殺人事件の被害者にでもなって居たらどうする積りだったのか。
それに暴走族を辞めたのは「息子を信じた」からではなく、時期的なものだとは思わなかったのだろうか。

こういう話を臆面も無く涙乍らに人前で語ってしまう非常識さ。
まさに思考停止状態の所にブレイン・ウォッシュの状態か。
まるっきり会の教えを信じ込んでしまっている。
下に此の会に就いての参考URLを示したが、参考URLのサイトの記事で此の会の勧誘員に対して質問を浴びせた人の話が有る。
夫れに拠ると、勧誘員はしっちゃかめっちゃかな事しか言わず、しどろもどろになって回答に窮していたと云う。
つまり会員も、会の教えを一度咀嚼して納得して居るんではなく、唯々丸暗記して納得した積りに成って居るに過ぎないのではないか。
一度でも咀嚼して居れば、咀嚼した段階で理論的におかしいかどうか解りそうなものだが。

参考URLを見れば判るが、此の会の母体は元々宗教団体だ。
徳光教(或るサイトでは「人のみち教」とも)と云う新興宗教団体から分派したPL教団と(社)倫理研究所の、後者の方から更に分派した実践倫理宏正会と云う会で、親団体の倫理研究所の人間からみても首を傾げるカルト集団だと云う。
カルト集団だとすれば、会員のおばちゃん達の被洗脳ぶりも納得だ。
参考サイトでは他にも痴呆症の老人から大金をせしめた等との記述も有るから、結局は金目的の団体だと思われるので注意した方がいい。


<参考URL>
http://moral.log.thebbs.jp/1084153812.html
http://okwave.jp/qa1382398.html
http://okwave.jp/qa2554875.html


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2008年08月29日

地域の防犯対策

私の子供の通う学校では、eメールアドレスを登録しておくと、登録したアドレスに不審者目撃情報を配信すると云うサーヴィスを行っている。
「何月何日、何処其処に於いて小学生の女児相手に下半身を露出した、どんな服装の幾つ位の男」
「何月何日、何処其処に於いて小学生男児に包丁を突きつけた、どんな服装の幾つ位の男」
等と云う情報が配信される。
欲を言えば、容疑者の推定身長・体重位は知りたい処だが、不審者の情報を地域ぐるみで共有出来ると云う点で、非常に有効な試みである。
目撃された様々な容疑者の行動やら所持する武器から、有効な撃退法を最大公約数的に推定する事も可能だし、容疑者と鉢合わせした時に、予めそうした人種が近辺にうろついている事を認識しているのといないのとでは、冷静に戦えるかどうかの差が大きく出て来る為である。

扨、この様な目撃情報配信も、長期間続くと、どうやら何でもかんでも気に成り出す様だ。
此の間の配信では、
「下校途中の女子高生の横に徐行した車が寄って来て窓が開き、中から男が顔を出して、『今一人?これから一緒に何処かに行こうよ。乗ってかない?』と声を掛けた」
との配信があった。

まあ確かに「君子危うきに近寄らず」。知らない人物には踉いて行かないのに越した事は無いが、此の場合、普通「ナンパ」と云うのではないのか。
「不審者情報」として配信する程の話か。
刺激的な恋愛を求めて「行きずりの恋」を求める若者達は、全て不審者か。

日本の人口は今1億3000万人程だろうか。
戦後様々な要因で人口増加があったのも確かだろうが、有史以来行われて来た「行きずりの恋」で発生した生命も、この人口統計の数字に大きく関係している事だろう。

やり始めると何でもかんでも神経質にストップをかける昨今の風潮。
喫煙制限然り、「看護婦」等の呼称然り、比喩を用いた政治家の言い回し然り。ヒステリックに何でもかんでも文句をつけてやめさせてしまう。
今後百年で人口は半減すると見られるが、こうした風潮に踊らされる素直な人々が「ナンパをする男は不審者だ!」等と言い始める事に由って、更に人口の減少に拍車をかける事になりはしないかと、密かに憂いてみる私であった。


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2008年05月21日

変な言葉を真似するな

TVで頻繁に使われる言葉を容易く日常会話に用いてしまう風潮が、数年前から気になって居た。尤も、私が気に成り出したのが数年前だと云うだけであって、そうした風潮は恐らくTVが一般家庭に普及して以降、常に有った事なのだろうが。

 兎も角も茲数年で気になった最初のHITは、「コラボ」と「モチベーション」であった。「コラボ」と云う言葉は一般人としては普通使うまい。「田中さんと尾形さんが」コラボ等とは云うまい。必然、個人でも有名人か、或いは企業間でしか使うまいが、それも今になって殊更意識的に使うべき言葉でもなく、かなり以前から何と無く目にした、耳にした言葉である。だが何かで此の言葉が陽の目を見たきっかけが有ったんだろう。以来頻繁に使われる様になった。
それはまあいいだろう。「●社と△社がコラボした」等と、使いたければ使うがいい。依然一般人には縁の無い言葉だ。
だが夫れを、「コラボの意味は?」等と会社の昇格試験の問題に使う企業が有るのはお笑いだ。一躍流行った言葉だから、企業間の提携関連の話では必ず此の語を使えと云う事か?流行ったから?どうも出題の仕方が、「今流行ってて、出題者たる私は此の語を知っているけれども、御前等は知らんだろう?」みたいな語調であったが、したり顔で左様な問題を今更出題する人間自体が、若しかして今迄其の言葉を知らなかったのではないのかと疑わせる。


「モチベーション」
どうも「看護師」にしてもそうなのだが、私は世間で急に「言い方」が変わった事に気付かないフシがある。気が付いたら「看護師、看護師」と病院で目や耳にするので、よもや「看護婦」と言ってはいけなくなったんじゃあるまいなと思って居たら、果たしてそうであった・・・等と云う事が多い。「看護師」自体は、元は何処のヒステリーが言い出したのか知らんが、結局法律で定められてしまった。随って公的な場では使わざるを得なくなってしまったのだから仕方が無いのだが。

扨、或る時話していた相手が、急に「モチベーション」と云う語を用いた。偶々直前に読んでいた本に同様の語が用いられて居り、其処では「動機」と訳されてあったのを憶えていたので、話している相手と話が噛み合わなくなった。併し段々聞いたら「やる気」の意味であると云う。サテも難解な語を日常会話に用いるものよ・・・と感心していたら、以降社内各所でもTVでも、しきりに此の語を耳にする様になった。

調べたら、此の語自体は日本でも70年代から使われていた模様である。初めの私と話していて「モチベーション」と使った相手も、後で聞いたらかなり以前から普通に使っていた言葉だったらしく(実際かなりのインテリだ)、私の耳に入れたタイミングが偶々時期的に悪かっただけだったらしいが、兎に角此の言葉は「流行ってる」。私が読んでいた本に此の言葉が使われていたのも、今にして思えば「流行っていた」からなのだろう。本の出版年は2003年である。流行っているのを知った後に社内で夫れを口にする者達を見るにつけ、トホホと嘆息せずには居られなくなった。
「遣り手」と称される社員が、真面目な顔して朝礼で(千葉辺りの気障なイントネイションで)「モチベーションを上げて」なんぞとやると、解り易く流行の用語を用いているだけだとも取れるが、最近知った言葉を、さも自分だけが使いこなせている様な気分で使って居る様に見えなくも無く、莫迦を晒すなよと助言したくなる衝動を抑えるのに精一杯な私である。


「加齢臭」も同様だ。是は先ずうちのカミサンが使った。「おんや?何処かで聞いた様な言葉だが・・・」と一瞬語意を計り兼ねたが、比較的意味を類推し易い言葉であったので、其の場は話を合わせる事が出来た。
次に同僚の家族がその語を使うと云う話を聞いた。さあ是以降、TVで聞くわ聞くわ。
調べてみると此の語は、2000年に資生堂か何処かが造った新語らしいが、これまた何かで今になって陽の目を見た言葉だろう。特に女が好んで使う様な観が有る。

是も「モチベーション」を「インテリを気取って使う」のを避けたいのと同様、「専門用語」、或いは「難しい言葉」を、「私は使いこなせてます」風に使うのは避けたい言葉だ。今ではバカでもチョンでも使うからだ。


「アラフォー」
「40歳前後」と云う意味から拡張されて「40代」と云う意味にも使われる。「アラウンド・フォーティ」略して「アラフォー」。
そう云う言葉が有ってもいいんだが、「必ず使わなくちゃならない」と云う様な強迫観念染みた使い方をするのは如何なものか。 TVで喋る人がそうなのはまだしも、客(芸能関係者の対極に在るのは飽く迄『客』だ)というか堅気の人と云うか、つまり一般人迄がそうした強迫観念に突き動かされる様に使うのも、日本人の右へ倣え体質が露呈して居る様で見苦しい。


「ぶっちゃけ」
カミサンに拠れば、此の言葉はドラマで木村たくや氏が使ったから広まったんだそうだが、ネットで調べたらナインティナインの岡村氏が火元らしい。
余りに皆が頻繁に使うので、こちらも、同じ意味の言葉を元々はどう表現していたか忘れてしまう程だ。慥か「ぶっちゃけた話」程度に使っていた様な気がする。
横山やすし氏はこうした場合、「正味の話」と表現していた。ちゃんと言うとしたら「有体に申さば」か。此の様に、夫れ迄違った表現を用いて来た我々ですら、元の言葉の使い方を忘れてしまう程である。況や是から言葉を覚える子供達は、元の正しい言い方を知らずにいきなり「ぶっちゃけ」は「ぶっちゃけ」だと認識してしまうのである。親はこういう言葉を覚えようとする子供の姿を見たら、先ずは「本当はこう言うんだよ」としつこく、身に沁みる迄教え込んでおかないと、後々恐ろしい事に成ってしまうとの認識で居たいものだ。


「〜ぢゃね?」
 2ちゃんねる風に書くとこうなのだが、御分かりになるだろうか。
何処の若造が言い出したのか知らんが、こういう事を声を大にして言い出すのは若年層だろう。夫れをTV関係者が無理矢理TVで広めようとする。TV出演者達も真似をするが、彼等の大半は恐らく初めに是を言い出した若輩者よりも年長だろう。年長者が何処の馬の骨とも知らぬ若輩者の真似をして不名誉に思わんのか。

扨こうした事をTV出演者達が遣り出すと、TVを見ている大半の人間は、是がナウいと思い込む。併し是は元々茨城のイントネイションを真似たものだとの説が有る。どうだか知らんが、昔は北関東の人間を、東京の人間は莫迦にしていたもんじゃないのか。今だって根本の處ではそうだろう。それが一説に過ぎんが北関東のイントネイション説の根強い此の言い方を東京人が真似するのだ。別にいいけど。

だが矢張り一番見苦しいのは、いい母ちゃんや父ちゃんが真似をする。亦は、北関東の人間が逆輸入で是を真似る。と云う事だろう。そのいずれもが、「自分は現代人だから、自然にこうなってしまうのだ」風の顔で言っているのが見苦しい。


「うざい」
今迄「うざったい」と言っていたんなら、若造の変な言い方を真似するな。因みに「やばい」と云う言葉。東海道中膝栗毛の中で登場人物が、「あいつはヤバな奴だ」と云う様な使い方をしていたから、元々「ヤバ」は有った言葉で、江戸弁か何かだったのだろう。「危険な奴だ」と云ったニュアンスか。
それを恰好付けて現代人が「やばい」と言い換えたが、其の時には「おっといけねえ」「まずいなこりゃ」程度の「やばい」に変化していた。其処から意味が拡大し、「あいつヤベえよ」となると「あいつは危険な奴だ」と云う事も意味し出し、何の事は無い、元の意味に戻っていたりするから面白いものだ。


「すごい」
「すごい大きさだ」はいいが、「すごい大きい」はダメだ。「すごく大きい」だ。


「ありえない」
「有り得ない」と云う表現は昔から有ったが、無論「現実には(理論的には)存在し得ない・起り得ない」と云う意味で使うものだ。併し最近のミーハー達の用法では「かなり・結構」と云った程度の事柄にも、恰も形容動詞の様に使ってしまう。

例を挙げれば「かなりデカイ顔」と云う言葉に対しても使うので、面倒臭い事に、使用する際には「ありえない大きさの顔」と言い換えて使う必要が有る。面倒臭いのも去る事乍ら、これも子供達が大人に成った時のこの語の使い方に大きく影響してしまいそうなのが怕い。
また、外国メディアからインタヴューを受ける様な立場の人間が、外国メディアのインタヴューに答える時に、調子に乗って(日本人向けのアピールでしかないが)こんな表現を使ったとしたら、「ありえない」を英語に直訳して字幕を作成しようとする向こうの人間も訳が解らなくなる事必至だ。

似た表現に「チョー」と云う表現が80年代後半か90年代初頭から使われ始めたが、これもそもそも、特定の事柄が「通常の状態」から「MAX前後の状態」になり、更に極稀に「それ以上の状態」になった場合のみに使っていた言葉だが、現在では「通常の状態より若干上回る程度」にでも使ってしまう。


 「俺的には・私的には」
「個人的には」だろう。「それは彼的に駄目らしいっすよ」等と使う。
亦、例えば「軍事的な」「科学的な」「経済的な」等、「〜的」と云う言い方を一般に使う語と、似た様な意味乍ら「〜の様な」と表現する語があるが、そんな区別も一切無しに何でもかんでも「的」を付ける。

恐らく従前なら「〜的」を付けた方が知的に聴こえるだろう的な発想であったものが、最近は「〜的」を付けた方が垢抜けて聴こえるだろう的な、従前より更にトホホな方向への打算に変わって来ているのが嘆かわしい。其の裡北京語風に「好的」「別的」とか言い出すんじゃないか。


最後に関西圏の言葉を使う他地域人。
「こういうゆったりした時間を・・・」と言うのに、「こういうまったりした時間を・・・」と表現する奴があるが、本当にそういう用法でいいのか?解ってて言ってんのか?

関東人なのに「おれら」「わたしら」を「うちら」と言う。「うちら」と云うのは女言葉だろう?お前ら男も女もじゃりんこチエか!?
母ちゃんを「おかん」と言い、「滅茶苦茶」を「めっちゃ」「めちゃめちゃ」と言う。「遅せぇ!」「臭ぇ!」を、「おそっ!」「くさっ!」と言う。「カチンと来る」を、関西の漫才師の真似だろうが、「イラッとする」と言う。
挙句の果てにはイントネーション迄テキトーな関西弁風を用いる奴がある。其の事で何か得があんのか?カッコいいのか?「何故か私関西弁出ちゃうんだよね〜(´-`)」とでも言いたいのか?そんなワケねえだろう?
「ヤンキー」ではなく「ツッパリ」若しくは「不良」と言え。
「ぶたまん」ではなく、「肉まん」と言え。
拳銃は「チャカ」ではなく、「ハジキ」だ。

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2007年12月12日

クリスマスが今年もやって来る

クリスマス時季には有線で必ず、
「クーリスーマースーがー今年もやーあーってーくーるー」
と云う歌が流れるが、毎年思う事が有る。

歌詞の中に、
「クリスマスは誰にもやって来る。若し一人ぼっちでも寂しがらずに、心に棲むサンタに呼び掛けて、幼い頃の夢を思い出して御覧よ。」
と云う一文が有るのだが、これがどうにも物寂しい。

一人ぼっちのクリスマス。非常に寂しい状況である。
しょうがないので心の中のサンタのイメージを呼び起し、子供の頃に感じた、何とも言えぬ幸せだった雰囲気を思い出して我慢せよと云うのだ。
これは酷だろう。
世間では恋人達や家族が、幸せなクリスマスを謳歌している。仕方ないので子供の頃の幸せな雰囲気を思い出す。世間の幸せな連中も羨ましければ、記憶の中の幸せだった自分と、今の己の置かれている状況のギャップも激しい。

架空の男を一人想定して欲しい。
渠は仕事で大失敗を犯し、先月には離婚も成立していた。健康な人間でも鬱を発症して可笑しからぬ状況である。
でっぷり太って丸眼鏡、四十がらみの渠に、最早恋人の出来る望みは薄い。
今日はクリスマス・イブ。渠は決心をして、会社の屋上へと足を向けた。
フェンスを乗り越え、靴を脱いで揃えると、渠は屋上から見える下界に目を遣る。
視界の中には幸せなカップルや家族が、クリスマスソングの流れる街中を愉しそうに歩いている。其の時渠の耳に聴こえて来たのは、竹内まりあの「素敵なホリデイ」。今回の主題の歌である。
「クリスマスは誰にもやって来る。若し一人ぼっちでも寂しがらずに、心に棲むサンタに呼び掛けて、幼い頃の夢を思い出して御覧よ。」
子供の頃の愉しかった思い出を走馬灯の様に脳裏に巡らせた渠は、虚空に向かって寂しく笑ったのを最期に・・・・・・・・。

あ"あ"〜、やだ。
そんな寂しい事を想像させる様な事を言わないで呉れ。

因みに、此の曲の中には
「穏やかな毎日が続くぜいたく」
と云う歌詞も有るが、
「穏やかな毎日が続くぜ、いたく(非常に)」
と云う文節で区切って読むべきか否か、迷う次第である。


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2007年11月22日

成績順位に固執する余り

近所の子供A男と、近所の子供B子は、同じ小学校に通っている。
A男は神経障害が有るが、B子より成績がいい。
B子の母親は、A男が居る為に、自分の子供が成績でトップになれない事が悔しいらしく、B子をけしかけてA男を虐めさせて居ると云う。A男は今言った様に精神障害が有る為に、虐めに抵抗する術を持たない。

成績一位になれないのは他人が居るからではなく、自分の問題であろうと思うのだが、母親はそう思わないのだろうか。
例えばA男は毎回100点を取るが、B子は偶に98点を取る事があるので一位になれないと云うのであれば、それは能力差か、子供の勉強時かテスト時の集中力が不足しているからだろう。であれば、母親が責める対象はA男ではなくてB子だ。

そもそも「自分の子供が一位でなくては気が済まない」と云うのも、子供にとっては迷惑な話である。それも子供の将来を考えての事であれば未だしもだが、唯単に「一位が好きだから」と云った偏執的な考えだとしたら、そんな精神異常者の様な親に付き合わされる子供こそ、いい面の皮だ。
どう仕様も無く子供を一位にさせたくて仕方が無いのなら、子供の向上心を伸ばしてやる努力をするに留めるべきだ。

それに、誰が何点取ろうが気にする事自体が傍迷惑である。
A男が独り努力して100点取ったのを、他人がとやこう言う筋合いではない。
A男が何点取ろうが、B子(の母親)は気にせずに、自分(の子供)の学力を上げる努力をすればいいだけだ。努力すれば努力しただけの成績が踉いて来るのだ。
それを、自分の努力が足りないのを棚に上げて、自分より成績のいい人間を攻撃してリタイアさせる方向にしか考えが及ばないと云うのは、正に野蛮人以外の何者でも無い。まるで漫画だ。

こう云う人種は、仕事中に訪問して来て法外な金額の物を売りつけようとする訪問販売の奴等と何等変わる所が無い。人の平穏な人生に干渉して来て被害を齎す社会の屑だ。
自然災害か暴動かクーデターか戦争か、そんな事情で無政府状態か極度の治安悪化が生じた場合、そんな人間は、どさくさに紛れて平時、被害に遭っていた人間から真っ先に狙われるだろう。

この親子と同じ様な事を言っていた韓国人が居た。

「私は今迄何もかも一番だったが、アイツが現われると同時に、容姿も成績も一番ではなくなってしまった。私はアイツを殺したい。悪い考えであるのは解っている。併しこんなに人を憎んだのは初めてだ。」

韓国人は過度の儒教病の影響で、常に人と優劣・上下関係をはっきりさせ、優位に立ちたがり、李氏朝鮮時代の科挙の悪弊を引きずって、エリート志向が強いので、恐らくこうした価値観が生まれるのだと思う。其の上、1800年代末の西洋人コリアン・ウォッチャーも指摘している様に、朝鮮民族は「我慢」が出来ない。一たび怒ると喚き、泡を吹き、激しく嘔吐して卒倒する程怒る。赤ん坊の「憤怒痙攣」の様だ。
在中国朝鮮族三世の人が韓国人と喧嘩したのだそうだが、その人は「私は金輪際韓国人と喧嘩すまいと思った」のだそうだ。何故なら「相手が怒りの余り、私を噛み殺すのではないかと思った程だったからだ」とか。
こうした性情だから、人を殺そうと迄考えてしまうのだろう。

件の親子は、まるで朝鮮民族、殊に韓国人の様だ。
日本人なら先ず「慎み・謹み」と云う事を知るべきだろう。


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2007年05月22日

考えて質問しよう

実際にあった話だが、洋服を買う時に、店員に妙な条件を提示して洋服を選ばせようとする奴が居る。

子供服というのは、MやLといった表示ではなく、90センチとか100センチとかいった表示がされているのだが、婆あが、
「孫が六歳なんだけど、何センチのを買えばいいの?」
知るか!
六歳の平均ならこんなもんだというのはあろうが、あんたの子供が異様にでかいか小さいか知らんし、異様にデブだったらどっちにしろ着られねえよ。その前に孫のサイズを計って来い!


普通のプリントTシャツというのは、まさか子供服ではあるまいし、どらえもんだとかあんぱんまんみたいな柄のものが置いてある訳ではない。極一般的な柄があるだけだ。そのプリントTシャツコーナーにて、
「息子が高校一年生なんだけど、どの絵柄がいいかしら」
知るか!
何か?高校一年生だと絵柄よりも文字プリントの方が好きだとかいった統計があるのか?このサイズの絵柄よりも、一回り小さい絵柄が好きだとかいった研究結果があるのか?高校一年生は丸っぽい柄は好まず、四角っぽい柄を好んだりするのか?そんな研究は聴いた事もねえし、あったとしたっていちいち知るかそんな事。
挙句の果てに、文字列のみのTシャツを比較して、「筆記体がいいかしら・・・」なんて知らねえっつーの!高校一年生はゴシック体が嫌いな可能性でもあるのか!?


四十過ぎの婆あが、飾ってある服を取ってくれというので取ってやったら、
「でもこっちの色も可愛いのよねえ」
と、もう一色持って来て鏡の前で比較し、
「ほら、青の方が可愛くない?」
知るか!
単に「どうです?」ってんなら「顔が映えますね」とか何とか言い様もあろうが、何だ「可愛いでしょ」ってのぁ!
リアルな猫の顔でもしてりゃあ可愛いが、四十過ぎた婆あに「可愛いです」なんて、嘘臭くて言えるか!

「私が可愛いってんじゃなくて、服の色が可愛いでしょって言ってんの」
と言われたとする。
私は「頭が痛い」「胃が痛い」なら解るが、「頭が重い」「胃が重い」というのが理解出来ん。それと同様に「靴が可愛い」「色が可愛い」も理解出来んのだ俺ぁ。
繰り返すが、リアルな猫の顔をしていれば、靴だろうが色だろうが可愛い!だが婆あは可愛くない!


年寄りは大抵、
「Lサイズは何処にあんの?」
と訊いて来る。
何か?全商品、LはL、MはMで纏めてあるとでも思ってんのか?
店内を見渡して、そう見えるか?そうは見えんだろう?
同じ柄のTシャツが、そうそう色んな所にサイズ別に分けてあるか?一箇所にしかねえだろう?
ではその一箇所にしか無い特定の柄のTシャツは、Mばっかりが重ねてあったりLばっかりが重ねてあったりするとでも思ってんのか?
然も、
「いえ、そのアイテム毎にMもLも重ねてあります」
と説明した処で、あんたらは全然人の話聞いてねえだろう。
突然、
「こないだM買ったら恰度良かったんだ」とか「白がいいんだ」とか言い出して、何の事はねえ、唯探すのがめんどくせえから探してもらおう魂胆に過ぎねえ癖に。

で、結句「この柄の白のMが欲しい」という話でしかなかったりするんだが、そのMが無いと、是亦、
「Mは無いんだね」
「ええ、切らしちゃってます」
ここで諦めるのが普通だが、年寄りは、
「いやねえ、こないだ買って物凄く良かったもんだからねえ・・」
とか何とか言い出して帰ろうとしない。
こっちも、
「はぁ・・・」
と相槌打つしか無いんだが、更に、
「いや、此処は近いからよく買いに来んのよぅ・・・」
「あは、有難う御座居ます・・」
「白がいい、白がいいって、うちの爺さんが言うもんだからねえ・・」
「はぁ・・・」
「Mは無いもんねぇ・・・」

って、しつけぇんだよ!
どうやったって、逆さに振ったって出て来やしねえんだっつーの!
幾ら粘ろうが、せびろうが、ねだろうが、ねえもんはねえ!どうしろっつーんだよ全く!


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2007年05月20日

例の本屋

以前紹介した勘違い古本屋に行ったら、今度は兎か何かの着ぐるみを着て作業をしてるバイトが居た。
セール中だからなんだろうが、着ぐるみを着たからセールが盛り上がるとの判断は余りにも短絡的だ。
そんな扮装をして黙々と商品を陳列する姿は、薄ら寒いものでしかない。
ミーティングと称して楽しそうに相談する彼等の様子が眼に浮かぶ。
如何にも真面目人間の考えそうな事だ。
一見「常識破りで自由な発想」に思える(尠くとも青写真の段階ではそう思えたんだろう)んだろうが、実に企業的束縛の感じられる発想だ。
思い切って斬新な事がやれない悲しさ。

更に彼等の御馴染みの「コメント末尾の復唱」。
「只今何々が幾ら幾らポッキリで〜す!」
「ポッキリポッキリィ〜!!」
その方が客が安いと感じるとでも思うのだろうか?
「只今何々がどうこうで〜す。どうぞ御利用下さいませ〜!」
「下さいませ〜!!」
何で其処だけ復唱する?
「騒げば盛り上がる」これは確かだろうが、併しこの場合盛り上がってんのはあんたらだけだ。客が一緒に盛り上がると思う神経が信じられん。
「あんたらが盛り上がる」のと「客の購買意識が盛り上がる」のとは全く別の問題だ。客の立場になって考えろと教わらなかったか?

「先ず自分達が盛り上がらないと、御客さんに伝わんないでしょ」
等と云う理屈でやってるのかも知れんが、例えばそう、「ライブで盛り上がろうとして会場に入る客と、客を盛り上げようとするミュージシャン」或いは、「祭りの神輿で騒ぐ客と祭りの主催者」の様な関係になぞらえて考えてやしまいか。だとしたら、そういう状況とは事前の諸条件も客の目的もまるで違う事を考慮しているのだろうか。

祭りもライブも主催者側は事前に大々的に宣伝しているし、何より客は「愉しもう、騒ごう」と云う気概で以って会場に足を運ぶのだ。
本屋に来る客は普通「探して、買おう」というのが目的だが、古本屋に「愉しむぞ!騒ぐぞ!」等と云う動機で足を向ける奴がどの程度居るだろうか。
ゆっくり本を探そうとして来ている客に「盛り上がりを伝えた」ところでどうなるというのか。それで「買おう」という気にさせるつもりなのか。第一、商品は「本」なのだ。これは興奮したからといって買う気になるものではない。

こういう事は本部にやらされてんのなら解るが、あれは多分彼等が自分達(大抵店長の一存に反対意見が出ずに決定されてるだけだが)なりに考えてやってる事だろう。
またそれを見て、企業の幹部連中が喜ぶ。そして店長は「努力賞」か何かを貰うんだろう。如何にも「やり手の女店長」風を吹かせそうなのが店長だったが。
幹部連中というのはオヤジだ。随ってオヤジが喜ぶ発想なんだから、店内の殆どを占める若い客が喜ばなきゃならん謂われは無い。


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2007年02月02日

報道

2007年1月、柳沢厚生労働相が「女性は子供を生む機械だ」と発言したという報道が為され、大きく問題視された。
問題の発言シーンをチラッと見た(んだったかアナウンサーが吹き替えてんのを聴いたんだか)が、聴いている限りでは左程問題なさそうな発言振りだったのだが、インタヴューされてる街中のオバちゃんやら政治家のオバちゃん達は、異常に憤慨していてアホかと思ったのだが、ウチのかみさんも女だから憤慨するかと思って何も私は言わなかった。
併しニュースを見終わったかみさんは、
「何であんなに怒るんだろうね。単なる言い間違いみたいなもんじゃん」
と、意外に冷静に状況を受け止めていたので吃驚した。

「言い間違い」というのとはちょっと違うだろうが、単なる譬えに過ぎんとは言えよう。
報道其の儘に受け取ると、あたかも
「女は子供を生む機械だ!」
としか言っていない様に取れるが、後でネットのニュース記事なんかを確認してみたら、
「15から50歳の女性の数は決まっている。生む機械、装置の数は決まっているから、機械と言うのは何だけど、あとは一人頭で頑張ってもらうしかないと思う」
と言っていたのだ。これが噛み付く様な発言か?
男の事を同じ様に「人間以外の物」に、しかも巫山戯半分で譬えても大した問題にされなかった事なんて腐る程あったと思うが、女に対してだと、こうも噛み付くか。

上で下線を引いたが、「機械と言うのは何だけど」と其の場で断りを入れてるし、聞くところに依ると「機械と言って申し訳ないけど」「機械といって御免なさいね」等ともフォローしながら喋ってた様なのに、ニュースになると「女は子供を生む機械である」になってしまうのは何故だ。フォロー部分を一切カットしてしまった上に「・・・である」等と断定的な語尾に脚色されてしまっている。

野党がこれを問題視して叩くのは戦術上当然だろうが、身内の女議員迄腹を立ててどうする。柳沢発言をちゃんと全部聞いてから言ってんのか。
うちのかみさんでも分かる様な事を、頭のいい女議員達がわからんワケもなかろうから、世の中の女性一般の意見をしょうがなく代弁してるだけなのかも知れん。


も一つ。NOVAの講師六人(?)が麻薬だか覚醒剤を買って捕まったというニュース。
或る局のニュースでNOVAの受講生にインタヴューをしているシーンを流した。受講生は、
「街中で遇っても、踊りながら挨拶してくる様な明るい人物」
とコメント。次いでナレーターが、
「・・・という明るい人物であると話した。併しそれは昼の顔でしかなかった!」
では夜は一体どんな異常性を発揮したのかと思っていると、近所の人へのインタヴューが流れる。
「夜はドタバタと騒いでいる事もたまにありました」
「ゴミの捨て方が悪かったみたいです」

・・・・トホホ、なんじゃそりゃ。
外国人なら騒いで陽気に過ごすやつも居るよ。そこら中に・・。日本人だってそういう奴等は居るし。
ゴミの捨て方も、分かんなかったか、国や地域に依っては日本程ゴミの捨て方を重く認識していない所もあるかも知れん。ドイツ人が見たら、日本人だってゴミの捨て方のマナーがなってないと視られるかもよ。第一、男なんだから、ゴミの捨て方が多少悪い事だってあらぁな。
全っ然昼の顔が明るい事と比較の対象にはならん。
麻薬を買う時だって明るかったかも知れん。昼の顔の儘麻薬買ってたらどうすんだ。

全く報道の仕方には苦笑する。


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2006年10月30日

人間性の形成

人間関係というものは煩わしいものである。当然不満を感じる事もあれば、怒りすら覚える事もある。
それを尠くとも表面上は平常心を保っている様に見せる、つまり「人間出来てんなあ」と思われる程度に寛容さを演じられる様になるには、ひいては本心から憤懣や怒りを覚える事無く、純粋な「寛容」の塊になるにはどうしたら良いか。

手段の一つとしては仏門に入る。中でも禅宗ででも修行するという方法があろう。
精神的な何かを得る為に座禅を組む・・・なんという解決法は、漫画やドラマや小説などで、この日本では腐る程採り上げられている、認知度の高いポピュラーな方法だ。
そうした方法の実践者たる禅僧のイメージも、漫画等では、一般人の及ぶべくも無い程の人格者として描かれる。
禅僧に限らないが、実際の僧達も、TV等で話す台詞や口調を聞いていても、そうした「人格者」に見える様な事を言う。

併し彼等「僧」達が、還俗して一般企業に入った時、果たして其の「人格者」振りを、どの程度迄保って居られるのだろうか?
複数の部下に仕事をさせる。女共が徒党を組んで問題を起こし、亦下らない事を大袈裟に問題化して申し立てを起こす。取引先や上司に嫌な事を言われる。仕事上の失敗を犯して叱責されるなら未だしも降格させられたり左遷を申し渡されたりする。亦単に嫌な性格の奴と付き合わなければならない等々。
これ等の諸問題に精神上冷静に対処出来る様になる為には、其の場でそういう経験を何度と無く積まねばならない。
然るに僧たる人々には殆どその様な経験は無かろうと思われる。にも拘わらず「悟りを開く」=「完全な人間になる」=「仏となる」為に修行を続ける。其の修行とは、ひたすら座禅を組んで、いわば「イメージトレーニング」をし、人間の書いた「成仏マニュアル」=「経典」を読んで理解する事だけだ。
これでは戦争シミュレイションゲームをやって、「自分は歴戦の勇者だ」と言うに等しいだろう。
と、私は常々思って居た。

最近はTVや本等でもこうした考え方を眼にする事が多い。矢張り皆考える事は同じか。
人間的に寛容になるには、矢張り様々なシチュエイションの人間関係の中で揉まれなければならないのだと思う。

さて、では具体的に、どんな職種が「寛容さの形成」に最も効率的に効果を発揮するだろう?と考えると際限無くなるので、逆にどんな職種が最も非効率的か。と考えよう。
併し乍ら、これも考えていくとキリが無い。併し唯、鳥渡考えるに、多分落語家という職種は非効率的なものに属するのではないかという様な事を思ったりする。

以前、私はさる落語家を酷評した知人(当時六十歳)の言い分を、これまた或る落語家さんに言って、どう思うか?と訊ねた事が有る。
そしたらこの落語家さん、即座にキレた。
知人に対してと云うより、私に対してだ。
爾来其の落語家さんとは絶縁状態となっているが、余りに堪え性の無いヒトだと思ったものだ。
此の人一人を以って落語界全体がそうだとは言えまいが、落語家で得られる人間性というものは、どうも様々な一般の職種で揉まれて得る人間性よりも、数値で表せればの話だが、量的に尠いものなのではないかというイメージを持ってしまったのも否めない。

さて、それで思い出したが、全く関係無い話である。
と或る霊能者が、
「人間は最終的に神に近付こうと修行をする。その霊性向上に最も効率的なのが、この人間界で揉まれる事なのである」
と、概略斯様な事を言っていた。
仏教で言えば修行して「仏=如来」になるという事がそれなのだろう。
如来の持つ能力の一般的なイメージは、「全て御見通し」「やる気になれば自然の法則も無視した奇跡を起こせる」みたいなものではないか。つまり神に最も近い存在とも考えられる。

神は凡そ160億年前、真空のゆらぎから大爆発を起こしてこの宇宙を作りたもうた。私には何のこっちゃ解らない。物理学者は理論的には理解出来ようが、実際にどうやったらそんな事が出来るかは解らんだろう。
初め宇宙には光しかなかったらしいが、其処に電子が生まれ、クウォークが生まれ、更に様々な素粒子が出来上がっていって、そこに重力やら電磁力やら色々な「力」が働いて今の宇宙の様な形を形成する。その結果人間が発生し、神や仏に近付こうとする。人間が発生したのは神に近付いていく様成長させる為に神が計画した事なら、これは宇宙創世の時から今に至る迄の、様々な物理現象が元々計算ずくだった事になる。
重力の度合い、光のスピード、素粒子の質量等の物理法則、更には遺伝子変異の偶然性等々、どれひとつ狂っても、今の人間は居ない筈だから、それらを神は全部緻密に計算して居た訳だ。
更に、全宇宙の質量がどれ位か知らないが、譬え1gの質量を作るにしても、電力に直して2500000kwhの熱量が要るという。言い換えれば1000whの電気ファンヒーターに2850年間(損失分を含めてか?)送電し続けないといけないらしい。これから考えると、地球一個を作るにしたって相当な熱量が必要な筈であるが、神は全宇宙の質量を調達したワケだ。
私にはどうやったらそんなことが出来るか解らないし、科学者だって出来ないだろう。

是だけの事をするのが神であって、夫れに近付こうとするのが人間。で、
「神に近付く為には人間界で揉まれるのが一番いい」
というが、果たして人間界で揉まれるだけで、こんな事が出来る様になるのかどうか、甚だ恠しく感じてしまうのは私だけだろうか。
もっとハイレヴェルな修行をしないといけない様な気がするのだが如何だろうか。


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2006年09月09日

馬鹿女

私の会社はビルの中の限られたスペースを借りて営業している。所謂間借り人であるが、こういう間借り人であっても外部から見ると、どうも味噌も糞も一緒で「ビルの関係者」=「ビルの管理責任を持つ者」と「ひとからげ」に見られる様だ。
併しそれは大きな間違いであって、繰り返すが我々は只の間借り人でしかないのだから例えばビル自体にエレベーターが無くとも勿論我々のせいではない。

乳母車を押して来た母ちゃん(二〜三十代)が、「エレベーター無いんですか?」と訊いて来る。無いので「御座居ません」と答えると、
「じゃあ、どうやって上へ上がったらいいんですか!?」
となじる様な口調で詰め寄って来る。「?」ではなく「!?」である。
知らねえよ。俺等の所為じゃねえ、担いで登りゃいいやな。
こういう手合いは、「私共は此のスペースを借りて居る者に過ぎませんので」とか言っても、「何て無礼なのかしら!」と怒り出す。「上迄乳母車を運んでくれてってもいいでしょ!」ぐらいに思うのだろう。実際「運んでくれ」という奴も居た。
だが残念乍ら私共の借りてるスペースを一歩出たら他の会社、或いはビルの管理者の管轄であるので御免蒙りたい。

ビル内で落し物をしたと、女(三十代)がやって来た。
だが落し物として私達の許に届いている物は無い。その旨告げると、子供の様に口を膨らませ、顔を傾けて怒り出した。
何処で落としたか判らねえのに俺等のせいにすんじゃない!
其の上「何とかしてくれて然るべき」みたいな事を言う。
しょうがないので、ビルの管理室に電話して訊いてやったが、向こうにも届いていないという。夫れを言ったら亦怒り出した。
「ねえから、ねえから」言って宥めてたら諦めて帰ったが、バカか。何故話が通じんのだ。

ビル内のどっかで痴漢に遭ったという女(二十代後半・不細工)がやって来た。しかも言い方が、
「痴漢に遭ったんですけどっ」
と、殆どクレームを言いに来たかの様な口調だ。
「あんたらがしっかり管理してないから痴漢に遭った」
みたいに言う。
管理室に電話したら、
「直接警察に言った方がいいんじゃないんですかぁ?」
と、こちらに押し付けて来やがった。何で俺達が仕事そっちのけでそんな事しなきゃならん!?言い方も気に喰わねえ。
しょうがないから「警察に電話しますんで」と当人に言ったら、
「何分くらいかかりますぅ?」
と不貞腐れた言い方。ムッカアァアァ!知るか!警察に訊け!
で、警察に電話したら「これから行く」と云うので、当人にそう言ったら、「十分くらいですよね。じゃ、其の辺ブラブラして来ます」
と、どっか行っちめえやん・・。警察呼んどいてどっか行く奴があるか!
加えて、
「(痴漢に遭ったので)チョーやだぁ」
じゃあるか!!どっちがチョーやだだと思ってんだ気持ちわりい。


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2006年04月24日

取立て

アイフルの取立てが問題になっている。
「手前ぇを潰すのなんざ訳ねえんだぞ。バーカ、バーカ!」
という脅し文句のアレである。
顔面の手前数cmの所迄顔を近付けて来て睨めつけられたという話もある。
同社を退職した女子社員の話では、同社男子社員同士で、どうやって脅したとかビビらせた等と云う自慢話に花を咲かせていたと云う。
詰まりは只のサラリーマン取立屋なんだろうが、脅す事に由って恰も背後に暴力団でも控えているかの様なイメージを与えようというのだろう。

確かに昔の「サラ金」なんてのは、本当に背後に暴力団が控えていたのかも知れない。併し実際、現代の一流企業たるアイフルの背後にも、今も暴力団は控えて居るのだろうか?
借り手の不安も其処に有るのではないか。
アイフルばかりではない。私の実体験だが、サンワファイナンスもそうだ。

私の借金ではないが、と或る事情でサンワファイナンスの取立屋が来た事が有る。
白いダボダボのスーツを着て、慇懃無礼な態度。
名刺を渡されたので、見るとサンワ○○店の「支店長」とある。
話があるからと、わざわざ自分の車に連れ込まれた。威圧感を与えようというのだろう。
私が諸般の事情で「法的に払う義務は無い」と主張すると、「では一万でケリを付けよう」という。

是より先、私は友人との雑談の中で、取立屋につけ込まれた人物の話を聞いていた。夫れに由れば、其の人物は矢張り「一万でケリを付けよう」と持ち掛けられたのだと云う。彼は「一万でケリが付くなら」とOKしたのだそうだ。
それが運の尽き。一箇所に一万支払った事に由り、借り入れのある全ての債権者に支払う義務が生じてしまった。其の人物は結局数百万支払う事になったのだとか。

「一万でケリを付けよう」と言われた時、咄嗟に其の事を思い出した私は「支払えない」と突っ撥ねた。
何だかんだ話した挙句、其の時は「後で連絡する」と取立て屋は帰って行った。

さあ、次の連絡が来る迄、こっちは不安でしょうがない。
弁護士に相談すれば、「一万払っても、夫れ以上請求されない様、一筆書かせれば良い」と言う。
併しヤクザ者を使って脅し掛けられたら、そんな約束は反故にされてしまうかも知れない。
親戚に、嘗て「組」を構えていた「其の筋」の者が居るので相談すれば、「何処の金融業者だ?サンワ?サンワだったら大したの来ねえから心配ぇすんな」
おいおい(^^;、どういうのが「大した事ねえ」んだか知らんが、そんなテキトーな・・。

そうこうする裡、こちらの肚も固まったので、先方に連絡する事とし、教えられた携帯電話に電話してみる。
プルルル、プルルル、ガチャ
「もしもし(私の名)ですが」
「(ドスを効かせて)ああ"?」
「いえ、あの(私の名)ですが」
「ああ"?あーあー、どーもどーもぉ」
といった対応。
客に教えた番号の携帯電話に着信が有ったのに、出方に事欠いて「ああ?」は普通有るまい。
恐らく携帯電話は二台用意されていて、一台は客用、もう一台は普通に使用する為のものであって、客用の方にはそうした出方をする様に決めてあるのだろう。

私の支払いがどうなったかは此の際どうでも良いが、この様にTVCMを流す様な会社でも、社員にヤクザ紛いの行動を採らせる金融業者は居るのだという御話でした。
皆さんどうぞ御注意を。


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2006年02月01日

別に反面教師じゃないが

東横インの条例違反。社長の会見。正直でよろしい!
悪いとも思ってない癖に、俯いて「反省してます」を口にする様な嘘吐きより私は好きだ。大きに反省・後悔するんなら、初めから悪事など怖くて出来ん筈だ。発覚した後で「自分の犯した事の大きさに改めて驚いて・・・」なんぞと嘘吐け!そんな嘘吐くんなら、むしろ東横の社長みたいに自分の思った通りの事を言う方が気持ちいい(私は)。

だからといって条例違反はしちゃイカンのはイカンのだが、どうもニュースでの扱い方が、「対震強度偽造」なんかと同様の扱いなのが個人的に気にかかる。
「同様でいいじゃあねえか」
という意見も尤もだが、「人命に拘わる程の危険性」と「障害者への気遣いの無さ」を同日に論ずるのにも違和感アリ(私は)。

ニュースなんぞというのは、その公共性からか警察当局の威嚇の委任もあるのか「悪い事は悪い事。処罰は厳正にせんと無法社会となってしまう。」「悪事はバレると怖いんだよ。」という観点から報道されている様に感ずる。それはそれでいいだろう。チト中国共産党の中国国民への情報操作を彷彿させるが。
だが観てる方がそれに乗っかってどうする。
ネット上で「東横問題」を検索すると、社長の会見の内容に危機感を抱く様な一般の人々の見解が多く見受けられるが、誤解を恐れずに言うと、正直「東横問題」なんぞはニュースで観た時、「けっ、しょうがねえな社長も(苦笑)」程度の感想で終わる事じゃないのか。
それをわざわざ一般の人迄そんなに大騒ぎする事も無かろうと思うのだが。

TVニュースでそういう形で報道されると、どうしても観てる方は「酷い人」という印象を持ってしまう。
昔あったが、プロ野球選手が数人、麻雀やってて金を賭けたという話。
文章で書くとそれだけだが、ニュースでは恰も極悪人の様に報道されてた。法律上悪い事は悪い事だが、極悪人じゃないだろうよ。それがまるでレイプ犯の様な人非人的扱いだった。
例えば一般人が同じ事をしてても通行人に苦笑されて終わりだが、有名人が立小便してたのが発覚してニュースで報道されたらどうだろう。
アナウンサーが真面目な顔してこの事実を告げ、VTRで有名人の会見の様子が映され、反省・謝罪する有名人の姿が放映されれば、人々は麻薬不法所持の犯人と同レヴェルの極悪人と錯覚するかも知れない。

今回の「東横事件」では、条例違反があったのは事実であるから、社長は司法に処罰されて然るべきだろう。併し、身障者への冷たい態度が有る反面、一般客の利便を考えた行為である事も、一般人は考慮して好き嫌いを判断しても良いのではないかと思ったりする。
「わたしはあの社長をもう信用しない」という前に、「危険な状況に人々を追いやる」事をしたからなのか、「行政を騙して一般客に便利な様に造り替えた」からなのか、もうちょい熟考すべきではないか。
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2005年12月25日

選挙で「特定の党に入れる習慣」に縛られてる人達。

政策関係なしで票入れんなよ。
私は一度、ネッ友に「何処其処党に入れて」と言われて断った事が有る。其の事を憾んで書く訳ではない事をあらかじめことわって置くが、「特定の党に入れる習慣」に縛られてる人達がまた、「一人ノルマ何人」なんぞと決めて、知り合いに「誰それに入れて」「何党に入れて」なぞと言いに行くのがある。
中には殆ど脅迫紛いの「御願い」もあろうに、是が選挙違反でない事自体驚きだが、そんな風に集めた票で当選した人間が信用出来るか?
だって純粋に人気で当選したんじゃないんだよ?
候補者→少数の「知人」or「信奉者」or「利害関係者」→多数の無思想な人々
というピラミッド式の命令系統ならぬ「御願い系統」で集まっただけの票だよ?
私は他にも、親戚に「誰それに票入れたいから名前貸して」と言われた事が有るが、やっぱり断った。そんな見ず知らずの人間の為に俺の名前が出されたんじゃ気持ち悪くっていけねえ。
そういう悪習はやめないと、日本も進歩しないよ。
中身が滅茶苦茶な政策であっても、「是迄此の党に入れてたから」「頼まれたから」という理由だけで投票してたら、いつまで経とうが、野党が幾ら正論を主張しようが「、与党と野党の票の割合が変わらない。「日本も変わんねえかな」と期待してる人達も報われないわい。

思うに、頼まれて断れないから其の党に投票するんでしょ?
断れないなら「おう、いいとも。合点だ」とか言っといて、投票所では別の人間に入れたらいい。
誰が誰に入れたかなんて判りゃしねえやい。

向こうは「よし!これだけ票が集まりそうだから一安心♪」なんて言ってて、いざ開票されてみたら其の三分の一にも票が満たなかった・・・なんて事になったら愉しいぞ!
「あなたアレだけ御願いしたのに入れてくれなかったの?」
なんて訊かれても、「いやいや!俺は入れたよ!」とか言ってればいい。
飽く迄涼しい顔をしていて、他の候補に入れ続けたらいい。


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過ぎたるは猶及ばざるが如し

チェーンで客商売をしている様な会社というものは、色々考えるものだ。
何を考えるかというと、「御客様の為」を根底に置いた「演出方法」であるのだろうが、其の実、一体「誰の為」で、「そうしたからどうなの?」という演出が多い。

主にこういうのを考える人間は、所謂「優秀店長」と呼ばれる人種であったり、或いは本部の営業課長やら部長であったりする。
前者は往々にして初めて任された店舗で好成績を挙げたのを機に、「自分はどんな店舗ででも売り上げを上げる事が出来るのだ」と思い込んでいるタイプ(事実そういう特殊な才能を持ち合わせてる人間も居るには居るが、売り上げと云うものは大方は立地や商品の量や種類の多さで決まるのだ)で、張り切り過ぎる余りに、常に「御客様の為」を念仏よろしく唱えて、終いには自己暗示の様になってしまい、
「休日だったので御客様の個人情報を基に、其の御客様の御自宅付近迄行ってみました。そして『嗚呼こんなに遠くからいらして下さってるんだ』と感動し、感謝の気持ちをまた仕事への熱意に変えるのでした。」
等というアブノーマルな作文をしたためたり(ストーカーじゃない?それじゃ)、其の日の接客で嬉しかった事やらを、わざわざ自分の「接客HP」で記事にしたりする人種が多く、後者の場合、「分析」と称して仕事もせずに会社で経済新聞を読み耽り、いいなと思った新聞記事を各店にFAXするなどという暇な事をしてみたり、デスクで鼻糞をほじくり乍らボケェっと、「売り上げを上げるには商品量や種類の多さではなく、接客だ(しつこい接客は嫌われるのに)、笑顔だ(笑うだけで客が来たら苦労無し)、清掃だ(其の前に店舗の壁やら柱がボロボロなのを放っとく癖に)!」
等と机上の空論を展開した挙句、
「御客様に商品を御渡しする時、『大切に使って下さいね』の一言を付け加えましょう。」
等と云う、どう考えても「余計な御世話」でしかない様な事を、命令文書として回覧させて来たりする人種なのだ。

扨、そうした人種が考えた「店舗での演出方法」が上層部で評価される(どういう基準で評価してんだ)と、全店同じ事をやらされるハメに陥る。
例えば、私が客として某古本屋チェーンに行った時、突如店員がマイク放送を始めた事が有る。
「本日は(会社名)○○店に御越し戴きまして誠に有難う御座居ます。只今当店では・・・(以下ウリ文句が続き)、どうぞ此の機会を御見逃し御座居ません様御利用下さいませえ」
其処迄言い終わった時、店内に分散している店員達が声を揃えて、
「御利用下さいませえ〜!」
と復唱した。
これに一体何の意味が有ると云うのだろう?皆で復唱すると清々しいイメージになるとでも思ってんだろうか。単純に異様な光景でしかなかったのだが。
更に続けて、
「計算御待ちの○○様、計算が終わりましたのでカウンター迄御越し下さいませ〜」
とアナウンスされた。
何の事は無い、古本を売りに来た客を呼び出すのに事寄せて「ウリを宣伝した」訳だ。併し此の手法では、何の関連性が有って「客の呼び出し」と「ウリの告知」を同時にしたものだろう?
更にこれによって得られる対客効果とでも云うべきものを、会社サイドでは「御客様もこれで御気分が宜しかろう♪」とでも思っているのだろうか?

亦、同古本屋では年末、「買った客にクジを引かせて当たったら割引券」みたいのをやってた様だが、それが酷い。
私が本を物色して居ると突如レジの方から、
「当たりでぇ〜す!御目出度うございま〜す!」
の声と共に、ベルやらパフパフやらの鳴り物の大音響。更にマイク放送で、
「今当たりが出たから、皆さんも買ってみてくれ。」
という様な意味のアナウンスが流れる始末。
冷静に考えると、カウンターに立っている「買ったら当たってしまった客」は身の置き所が無い位羞かしい思いをしているんではなかろうか。
目立ちたがりの人間なら知らず、尠くとも私なら、然も夫れが一人で買いに行ってたのだとしたら、当たるのが恐くて迚もの事にレジに商品など持っては行けない。
そういう「シャイな」人間が居る事も、そうした演出を企画会議にかける際、おエラ方は考慮しなかったものだろうか。

こういう過剰な(というより、それを通り越して意味不明になってしまった)演出によって得られるメリットがどの程度のものかという事は、そりゃ企業として実施する以上、或る程度予測してあるんだろうけれども、それによって失ってゆくものも係数として予測に組み込んであるのかどうか、其の一点が不明なんであります。


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別に自分の経験談ではないが

「高ぇなあ。マケねえかい?」
「何ぃ?冗談言うない!これだけの鯛をマケろだと?手前ぇの様にものの判らねぇ客に売る鯛なんざ有りゃしねえや!おととい来やがれ!」
等という会話は、昔なら「何と無く有りそうな話」という感じも有ったが、現在では迚もの事に現実的な話だとは思えなくなって来ている。
上の例は些か極端に過ぎるやも知れんが、それにしたって最近の、客へ対しての「媚び・へつらい」の追求は、度が過ぎやしないか。

だが、それは企業側の姿勢であり、他社と差別化を図ろう意図の元に勝手にやっているだけの事であるから、別段文句を言う筋の話ではないし、やりたけりゃやらせておけば良い。
問題は・・というか、疑問に思うのは、それに慣れてしまった客の傲慢さ(?)から生じる「怺え性の無さ」である。

何処から何処迄を「怺え性が無い」と判断するかは人に依るから、こういう話をし出すとどうしても私の主観的価値観を基準に話を進めてしまう事になるが、ま、読み進んで戴こう。
例えば70年代、個人経営の古本屋に入ると、店の奥に座ってるオッサンは新聞を広げてコチラを一瞥するだけだったりした。
此処迄はいい。例えば其の後、本の事を訊こうとしてオッサンに話し掛けると、ぶっきらぼうを通り越して、半分怒った様な口調で面倒臭そうに応対されたとしたら、これは頭に来る。

「コチラを一瞥しただけ」である事は、気分良くは無いが、ほぼどうでも良く、其の後「横柄な態度を取られた」事に腹を立てるというのは、尠くとも私の年代の男であってみれば、そうそう変な事でも無い様に思われる。
「コチラを一瞥しただけ」に腹を立てぬのは、「それが一般に広く有った事」であるからで、慣れているからだろう。

ところが現在は、「横柄な態度を取られた」等は言わずもがな、「コチラを一瞥しただけ」で「いらっしゃいませ」を言わない事で既に腹を立てる「怺え性の無い」奴がある。
先にも言った様に、そもそも企業側が「いらっしゃいませ、今日は」等と言い出したのは、客に媚び・へつらって「ウチを贔屓にして貰おう」とのコスイ考えから出たものであり、客の方から求められて始めたものではない。
随って客は、そういう企業の態度が気に入れば再度当該店舗に出向けば良いし、それがうざったかったらもう行かなければ良いだけの事なのであるが、「いらっしゃいませ」の後に「今日は」を、然も笑顔で大きな声で言うのが一般に定着してしまうともう、そうでなくては「自分が疎かにされた」という被害妄想を抱くに至り、結果、当該店舗の本部等に「あすこの店では何時行ってもいらっしゃいませを言われない」等という苦情を持ち込んだりするのである。

あんなに気持ちの籠ってない「いらっしゃいませ」が、そんなに嬉しいか?亦は「いらっしゃいませ」を言われないと我慢ならないか?
何時からそんな我儘になってしまったんだキミは。
甚だしきは、「あすこの店は元気が無い・活気が無い」等という申し立てをする奴があるが、なんじゃそりゃ?
元気が無いのが気に入らなければ行かなけりゃいいだろう。それをわざわざ本部に訴えを起こし、改善して貰って迄買いに行きたいのかキミは。
元気が有る様に見せかける事に成功しているかどうか。それを遵守しているかどうかをチェックし、且つ其の事自体が企業の方針としてどうか(例えば洋服屋なのに八百屋の様な大声出していいのかとか)という是非を云々するのは本部のエライさんのする事で、貴方は只単に「それが自分の気に入るかどうか」を判断して、数多有る小売店舗を取捨選択すれば事足りる話だろうに、何で一体そんな事を一々チェックして廻らなければ気が済まなくなってしまったのだ?
大体元気が有って嬉しいのか?「あすこは元気が有っていいから買いに行こう」等と云う判断基準を本当に設けているのかキミは。
そりゃ常軌を逸した険悪なムードが漂っているよりはいいか知れないが、基本的には、私なら店の「綺麗さ」と「品揃え」で店を選ぶが。

話が逸れた。
先の古本屋の主人の態度で此の世の中を生き残っていけるかどうかは我々にはどうでも良い。自然淘汰されて閉店に追い込まれても、それは自分の選択の結果であるから、消費者が云々する必要は無い。それと同じで、何度も言うが、店が気に入らなかったら行かなきゃいいだろう?それを何故わざわざ本部に「改善要求」という形で意見したりするのだ?
「大きな御世話」プラス「意地悪して脳内麻薬物質に酔う野蛮人」以外の何者でも無い行為でしかないな。

「意地悪」という訳は、こうした世の中だと企業側としても「御客様が白と言えば、黒も白」的姿勢であるから、客がどんな些細な事でも、有る事無い事本部に言い立てれば、本部としても何らかの処分を当該店店長に対して取らざるを得なくなる。それを逆手に取った手段であるという意味でである。

電子メールという手段が発達した現在、こうした「讒言メール」は後を絶たないというから、企業としてもイチイチ本気にはしないだろうが、それでも名指しで苦情が来た店舗にはそれなりの対応をするだろう。
人間、どんな些細な文句でも、面と向かって<苦言>をされれば嫌な思いもする。況んや気にする性質の人は、それで禿げたり、胃に穴が開いたりするかも知れない。
たかだか「自分が気に入らなかった」だけの事で、こうした結果を引き起こす事を想定して讒言に及び、脳内麻薬の悦楽に浸るなんというのは、テクノロジー面は言うを俟たず精神面での発展をも求めて来た人間の、是迄の功績に逆行する原始的衝動であると言えよう。


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嫌いな理由

「子供好きぃ?」
とか訊かれる事が有る。
「嫌い」と答えると、当然其の理由を聞きたがって来る。
「自制心が極端に弱いから」
と答えてやると、必ずと言っていい程、小莫迦にした様に、
「当たり前じゃん!」
と来る。当たり前だから何だ。だったら訊くな!
ほんじゃ何か?
「納豆が嫌いだそうなが、なにゆえ?」
「臭いから」
「当たり前じゃん!」
か!?
普通、臭いのがイヤなんじゃないんかい?え?じゃ、納豆の形状が気に入らんとでも言えば気が済むのかい?

或る特定の物事を嫌う理由と云うのは、往々にして対象となる物事の「際立った特徴となる部分」が気に入らないからではないのか。
仍ち「当たり前」な特徴が「嫌い」となって当然と言える訳だ。

実際の所、情け無さそうに「納豆の匂いが好かないんだ。」と述懐すれば、「ああ、あの匂いねえ・・。」と同情を匂わして来る位のモンであろうが、これが殊、子供の事に成ると、「其の大きな特徴」が嫌いである事を、世間は認めたくないらしい。
飽く迄子供の「自制心が極端に弱い」部分が嫌いである事を声を大にして主張し続けたとしたら、世間の当方を見る目は恰も人非人を見るが如きものになるだろう。

だがひとつ考えてみて欲しい。自分が嫌いなものを幾つか挙げて、その嫌いな対象を生物と無生物に振り分け、其の中の特定の生物が嫌いな理由と、特定の無生物が嫌いな理由とで、根本的に同じ論法が当てはまる対象同士が有るか無いか。
そりゃ一見理由は違うだろう。「あいつは自慢話が多くて嫌いだ。」というのと「あの石は角が多くて嫌いだ。」というのとでは。
併し、此の場合は先に言った様に、「対象の大きな特徴が嫌い」であるという点で共通の理由とは言えまいか。(他にどんな共通の理由が有るか探してみるのも楽しいぞ!)
人間の判断基準とは根本の所ではそんなものではないのか。自分も同じ理由で好き嫌いを言っていないか考えてみよう。
エラそうに人の嗜好を責めるべきではない。


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運転中

運転をする時は前方を中心に、様々な角度に対して一寸ずつ注意を払って居らねばならぬ。然るに、
 道路脇で事故車が有り、警察が検分していたりすると、わざわざ減速して事故状況を見ようとする奴がある。
甚だしいのは、夜夜中、走っているのは前方の車両一台と後続の私の車だけ。前の車が一時停止地点で停まった。折悪しく一時停止標識の辺りで事故車が難渋して居る。
さあ猿(「ましら」と読もう)の如く好奇心の強い前の車のドライバーたる姉ちゃん、気になって気になって仕方が無い。暗闇の中を事故車の状況を見ようと目を凝らして居るのか、却々発進しない。
後続は私の車が一台だけ。明らかに特定個人(後続の一台)に迷惑をかける様な状況下でも一切御構い無しで、欲求を満たす爲だけに事故車の方を注視し続けた。
そんなにして迄、後続車に迷惑をかけて迄事故車を見て、一体どうしようというのか。考えたら何にも成るまい。それどころか後続車に迷惑はかける、事故車方向以外の方向への注意の欠如等、マイナス面の方が多かろう。大体無残な血まみれの屍体でも見てしまったらどうするつもりなのだ。※1

◆運転中、突如前方を車が横切ったとか、兎に角危険な運転をするドライバーにひやっとさせられた時、去り行く其の車の方を見乍ら不服そうな顔をするばかりか、いつ迄も見やっている奴がある。勿論不服を表明する爲に、自分の車の速度は落としている。後続車は大迷惑だ。※2
いいから早く行け。いつ迄も感傷に浸ってるんじゃない。そんなもの見てたってしょうがないじゃないか。時間の無駄以外の何物でも無い。それとも、減速している時間が長ければ長い程、強い怒りを表す事に成るのか。亦は間が長ければ長い程、自分は強いんだぞという示威行動を強調する事に成るのか。
見ているだけならまだ良い。去った車に対して吼えてる奴がある。凄い顔して。
勿論窓を締め切って居れば、更に言えば双方共車内であってみれば、何を言っているんだかさっぱり分からない。音声を発しているかどうかすら分からない。
仮に其の様を見乍ら、コチラで「ワンワンワンワン!」とアテレコをしてみても一向に違和感が無い。
斯様な事はみっともないばかりでなく、事故にも繋がるからやめたが良い。


※1・・・事故等のハプニングに対して、人間の「知りたい」衝動が起こるケースは室内でも有る。
窓の無い建造物の中に居て、壁の向こう側の道路を緊急自動車がサイレンを鳴らし乍ら走り去った時がそうである。
窓が無いのである。
にも拘わらず、渠等はサイレンの音のした方向の壁を見る。
透視能力者か、あんたらは。

※2・・・車の速度を落とすと「怒ってます」を表現する事になるという約束事が出来上がって居るというのも可笑しいが、怒り乍らも其の約束事に従って怒りを表明しているというのも几帳面だ。
こういうのは他にも有る。
「バンパーを大きくしたから不良です。喧嘩を売らないで下さい。」
とか、
「マフラーが大きな音を発する様に細工してありますから・・・以下同文。」
とか、此の類いでは往古には、
「タイヤを車体に斜めに取り付けてあります(シャコタン)仍って以下同文」
等があった。
面白いのは、
「ブレーキランプの形状を、恰も『怒って居るかの様な目の形』にしました。こういった形のランプを付けてしまう程私は豪胆ですので、煽らないで下さい。」
というも有る。


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きょうでぇ

私は一人っ子であるので、兄弟が居るという感覚を知る事は出来ないから言える事なのかも知れないが、小さい頃はよく、綺麗な御姉ちゃんが居たらなぁ〜と思う事があった。

「綺麗な」が付くんだから、矢張り異性を求める本能に由来する欲求なのだろう。

併し、実際姉妹が居たとしたら、果たして肉親に左様の気持ちを抱く事が出来るのだろうか。

例えば母親に対して、そういう気持ちは抱かない。寧ろ、そういう気持ちを抱くかどうかを考える事自体が不快である。
そう考えると、姉妹が居たとて、肉親である以上は矢張り気持ち悪いのが先に来る事になりそうである。

併しである。
以前、部下の女性が、
「私の弟は野球をやっているが、サッカーの方が恰好いいから、サッカーをやって欲しい。」
と言っていた。

サッカーブームの最中の事である。
彼女のミーハーの是非は別として、姉たる身がサッカーをやる弟を「恰好いい」と思った處で、どうなるもんでもなかろう。
「恰好いい男」を何故弟に求めるのだ?
弟に異性を意識して、気持ち悪くは無いのだろうか。

次の例は、バイトの女性の話である。
或る夜、深更になって帰宅した彼女。暗い敷地内を歩いていると、田舎の事とて敷地内に井戸
跡が有る。それに気付かず迂闊にも井戸跡へ嵌り込んでしまった。
やっとの事で抜け出して、其の場で「えーん」と泣いたという。
其の音を聞きつけた彼女の弟が、「すは何事か」と庭に出て来て、彼女の泥を落とし、「兎に角家に入りなよ。」と「言ってくれてぇ〜・・。」

と、まるで白馬の王子様に扶けられた話の様に、自慢氣に話して呉れた。

例えば路上で鼻緒が切れて、難儀をしている處へ、二枚目のいなせな男が現れて・・というシチュエイションなら自慢し度い気持ちも分かろう。
併し此の場合は弟である。

そりゃあこのバイトの女性は性格が悪く(性格の悪さに就いては後日の投稿に譲る)、今年32にもなるのに彼氏も居ない程、男旱である。
が、夫れにしたって弟に扶けられた話を、こうもロマンティックに語るというのは何事か。

異性の姉妹を持たない私には、永遠の謎である。


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実在する変な人

ウチの店の客の話。其のおっさんが店内を物色している時に携帯が鳴った。
電話の相手はどうやら其のおっさんの客らしいが、初っ端からおっさんは客に対して「こうこうなんですよ。わかりますぅ?」とか横柄な態度。挙句に、
「分からない人ですねえ。いい加減怒りますよ!」
と怒鳴る。
電話を切っても、ぶつくさ一人で言っていた。
おっさんが大量に商品を持ってレジに来た。
「昨日も爰で買い物したんだよ。背の高い、スカートを穿いた女性に御願いしたんだけど。」
というので、てっきりウチのスタッフにそういう女が居ると勘違いしている。つまり他の店と勘違いしているものだと思って、
「いえ、ウチにそういう者は居りませんが、何処か他の御店では?」
と訊き返したら、やにわにおっさんが怒り出した。
「なんでそう栃木の連中は自己中心的なんだ!その女性に頼んで買いに来て貰ったと言ってんだ!いい加減怒りたくなるよ!あんたB型だろう!さっきの電話の相手もそうだ!自己中心的なんだ!」
ヤケに「自己中心的」を連発する。マイブームか。
然も根拠が「B型だから」「栃木だから」。
そしてこちらが、おっさんの買った商品をレジに通そうと仕分け(レジ以外に一時置いたりした)していたら、
「先ず!先ずはここ(レジ台)に全部置けよ!」
置いたからってどーなるんだ?
ウチのスタッフがおっさんの出した金を数えていたら、
「これでいいのね!?足りるのね!?」
と喧嘩腰。
おっさんの買った商品が大量で、袋がパンパンになってしまったので、袋の口を締めようとしても、ちょっと締め辛くなってしまった。すると、段々目が据わってきたおっさん。
「この口を紐で縛ったらいいだろう?」
と凄む。併し縛るよりはと、
「袋御分けしましょうか?」
「いいから縛んなよ!」
何故か「縛る」事に拘るおっさん。
で、紐を出した時、床に落ちている環状になった布の切れッ端を見つけたおっさん。
「其の紐じゃなく、その布でいいよ。」
「いえ、幾ら何でもこれでは・・。」
「いいからその環ッかになってんのを切って出しなよ!」
どうも環状布切れが気に入ったらしい。
で、渡したら自分で縛って持って帰った。
自分の説明不足を棚に上げて、それを理解できなかった相手にいちいち怒っていたら、みんな「栃木のB型」にされてしまうだろう。
一人で盛り上がって帰っていったおっさんであった。


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