2006年01月
2006年01月31日
2006年01月28日
ふー 25歳
これは落ち着かせるしかない。 気分を落ち着かせろ 周平 マンピョ! 紅潮するが静まるんだ! んだ んだ んだ ふー
ここは電車。公だ。いきなり踊ったら不味い。 感情を抑えるんだ! だんだんと静まってきている。 ふー。 オレはこの間動いた 興味あることに。 就活もした。 ちょいと関心がある会社にもした。 まあ受かってもいかないだろうが 受験することで自分の趣向も見えてくるだろうと。 リクルートのR−cabも受けた 改めて自分はどんな奴かと。 忘れもんをする どうしようもないところと感情の起伏が激しいことは知っていた。 やはりフリーランス 俳優とかバイヤーとか何故か警察官がいいらしい。
しかしながら、面接で合格するという観点からはダメだった。 素直だった。 “相手の企業に合わせることをしなかった!” 自分はこう思ってるをだした。 どう考えても長期的に働くべきじゃないことも明らかだった。 求めているものが違った。 企業に合わせて自分をつくれば相手も好むだろう。 一切そんなことはしなかった。 (2社しか受験していないが)
青年海外協力隊にも応募した。 そんときは就活もしようかと思ってたから考えてた。 だけど友達に勧めれて受けた。 病院による厳しい診断で健康診断に良好と示されず、不健康が原因で落ちた。 何回でも受けられる どんまいだ。 注意(反省)すべきは健康診断の結果はその医者の判断に委ねられるので悪ければもう一度別の病院で再度受けてから協力隊に提出することだ。 そしてピースボートの通訳としても応募していた。 船の中で働く代わりに148万円の航海費がタダになるんだ。 試験が難しかった。 オレの英語は何気にハナクソだと思った。 逐次に訳すなんて全然ダメだった。 でも第3セクターとして社会に訴えるものが同じだったんだ。合格した。 たった今連絡を頂いた。 マンピョでしかなかった。 うん 文章で書くことにより落ち着いてきた。
今日は僕の25歳の誕生日だ。 わざわざスタッフの方も意図して連絡をくれたのだろう 感謝! 世界にマンピョ!世の中にチンピョ! なんか品がない だけど嬉しいんだ。 やはり曇ったらとにかく動くんだ。 この選択肢がいいか もう一度冷静に考える。 オーストラリアに友達といこうと話をしていてそっちにいくつもりで満々でチケットを調べていたんだ。両方の選択肢はスケジュール的にとれない。
気分は落ち着いた 船に乗ると帰国は7月だ。
2006年01月22日
ここは異国だ
群馬の西小泉にバングラデッシュボランティアのメンバーで一緒だったネパール人のインドラの奥さんが帰国するということでパーティーに参加した。
噂では日本一外国人が住む町といわれるがやはり数多くの海外の方が住んでいた。なんせパラソニックだのホンダだのの工場が多数設置されている。仕事を見つけやすいのだ。
パーティーでは参加者が披露していく。歌を歌ったり、踊りを踊ったりと面白い。盛り上がってくるとみんなも参加する。俺も混ざって踊らしてもらっていた。 会費は3000円でこのお金が帰国する人に渡されるという。
パーティーが終わるとどうやら怪しいおばさんが話しかけてきてくれてタイでの「ビジネスに興味がないか」と話ししてくる。「お前さんは見込みがある」などと煽てられてスナックに来てみろという。ついていった。 そこでもまた一緒に同席していたたくさんのネパール人がいてまた一緒にカラオケにあわせて踊り狂う。
早朝まで盛り上がってからネパール人の一人の家にお世話になる。工場の隣にある日本人ではとても住みたいと思えないような小屋である。そこで電車が来る時間まで泊まらせてもらった。どんな暮らしのなか彼らが生活しているのかがわかった。まだまだ日本は海外の人、特にアジアの人々に厳しい。
ちなみに右下の写真はスナックに飾ってあったヌードの写真だ。若干おなかが垂れているのが気にかかるが。。。尻、最高!^^
群馬太田に向かう
暇なのでブロる ちゅうかライブドアの社長もかましてくれた うまく逃げのびてくれるだろうと思いき、側近がどんどん死亡。ライブドアの株買いどき!?なんて思ってたのもつかの間でついに幕を閉じそうだ このブログどうなんだろう どっかが買収してシステムがどっかの会社に移るだけなんだろうな 今 館林で西小泉行きの電車が発車するのを待っている どうやら群馬の太田は外人が一番多い街らしい とくにブラジル人が多いという ダイナマイトボディをもつブラジル人が下車すると思いき お前ゲイだろっちゅうある意味ガタイのいいムチッとした外人が後ろに座ってるだけだ 今日は昨日の雪がウソのように快晴だ
写真は昨日の雪の模様と 本日のパーティーの模様。ネパール料理を食べ、ビールを飲みながらそれぞれの参加者が一芸を披露した。
2006年01月18日
日本語しゃべらないでよお!!
首長族が観光者のために生活が虐げられていることは前に説明した。
村の営業時間中は常に観光者が出入り写真を撮りながら興味深々に注目してくる。あまり住んでいる人にとっては気持ちのいいものではないだろう。
彼女たちは伝統工芸品である布を織っていた。昔ながらに一編みずつ 首には太いリングが埋め込んであって長くなっていた。この長さが美しさの象徴と呼ばれるらしいが今でもその見方は村の中で浸透しているのだろうか。それとも政府から強いられているのか。
彼女たちはなんと日本語がとてもうまい!! 僕の首長族に抱いていたイメージなガラガラと崩れ去った。 どうでもいいかもしれないけど、彼女たちとっても美人だ。村は少人数で全部でも25人くらいしかいない。
ここにはいないけど、その一人と仲良くなって ごはんをご馳走になってしまった。その子とは市街でもまた再会することになる。
出稼ぎにいってはそこに住む妹や親のもとへ帰っていた。
どこか新しくチャレンジングな首長族ガオリーの人の生活を垣根見た。
僕はこういった原住民の人の生活に関心がある。彼らの全く異なった生活形態にとても興味があるんだ。パプアニューギニアやオーストラリアのアボリジニ、そしてアラスカなどに住むイヌイットの生活を体験してみたい。たぶんもっとも生活に入り込みやすいのは自然の恵みが豊富なカナダのイヌイットの生活であろう。ワーホリなどで訪れたときに是非訪問したい。
地球探検隊 中村隊長
熱い人シリーズ>>「地球探検隊 中村隊長」
尊敬している人にはやっぱり会いたい。アメリカのトレックと提携を結び、世界各国で世界中のさまざまな国の仲間と生活を共にし、大自然を歩き、語り、笑い、こころ通い合える驚きと感動に満ちたツアーを企画・運営している地球探検隊。 旅の分野で活躍している方だ。 派遣のお仕事が新宿だったので昼休みの貴重な1時間を費やしてダッシュでオフィスを訪問させて頂きました。とても気さくな方で短い時間でしたが熱い話をしてくださいました。また訪問させてください。
地球探検隊HP>http://www.expl.co.jp/
中村隊長のブログ>http://expl.ameblo.jp/
首長族ガオリー民族の村でトムソーヤを発見!!
「首長族と呼ばれる
ガオリー民族の村へ」
2004年 学期の合間にメーホーソンへ旅行を計画した最大の目的は民族の人々に会うことであった。特に一番したかったことは首長族と呼ばれる人々の生活を体験させてもらうことであった。一緒に生活をすることで見えてくる部分を発見したかった。
テレビ番組「ウルルン滞在記」なんか大好きでとっても憧れる。一度レポーター一般募集があったときはもちろん応募させて頂いた。観覧にもいったことがある。徳光さん宛てに「俺を出演させてください」と書いてある封筒片手に観覧席でずっと番組を見守っていた。 渡すチャンスをうかがっていて いて いてチャンスを逃してしまった。 今でも出演の機会は常にうかがっている。
とまあ 話を戻すと 首長族の暮らしに関心があった。しかしながら、話に聞くと彼らは完全に観光のため隔離されながら生活をさせられていて 観光者がいくことでまたそういった生活を助長しているという現実があるらしい。 その現実をきいた以上、その一観光者になってしまうのは気まずいがいってみて 自分の目で見てみないとわからない。
とにかく 足を運んだ。 3,4時間バイクで走った。かなりの距離だったが村に到着した。そこはミャンマーとの国境であり兵士が見張っていた。過去に日本人旅行者がその国境を無視してミャンマーに密入したので銃殺された話を聞いた。
その村は噂どおりに完全に隔離されていた。その兵士が生活をしっかりと監視しているようであった。旅行者は登録と200Bくらいの見学費を払って村の中にはいっていく。かなりの数の旅行者が村を見学している。その見学のために村では伝統工芸品をつくって観光者に販売していた。
こんな風景を見に来た理由ではなかった。しかしながら、これが自分の目でみた現実であった。
彼女たちはこの居住区から抜け出して普通の生活を営むことができるのだろうか そういった権利をしっかりと保障されているのだろうか ミャンマーから亡命してきた彼らはしっかりとした権利を保障されているのか 詳しく知りたい。
おっと 写真はその村にいた少年達だ。 村の埃にまみれた家の間には生活用水が流れており衛生的にとても悪い状況だった。実際問題、この豊かさに慣れた日本人にとって暮らすのはとてもしんどいことだと感じた。
しかし、そんな中でも小さなトムソーヤのような3人の少年がはしゃいで遊んでいた。裸足なのに山の中にはいっていっては虫を見つけに川にはいったり野を駆け回る。その後姿を子供にかえったように追いかけた。
どこの世界も子供の遊びを楽しむ才能は無限大だ。
素晴らしき伝統☆ ソンカン 水かけ祭り!!
「メーホーソーンで水をかけろ!!」
はじめて2004年にソンカンというタイの新年(4月)に行われる水かけ祭りを体験しました。水かけ祭りは地域によって異なるけど3日から1週間位の間行われて、水をかけまくります。面白くそして恐ろしい事実としてソンカンの期間は 交通事故の数も特別に多いらしいのです。 水も不足しているというのにこの国は楽しむことにはケチりません!昔ながらの伝統文化を思いっきり楽しむのです。
バイクに乗っている人にも バスに乗っている人にも とにかく思いっきり容赦なく水をかけます。バッシャアと 気合が入っている人たちはトラックの後ろに水がたっぷり入ったドラム缶を2缶ずつとたくさんの子供を乗せて 町を走ります。 そして道行く人にかけまくるのです。 僕もその期間、バイクをレンタルして走っていたのですがあまりに大量の水を前からかけられるのでスピードを出していると少しハンドルをとられちゃう! 交通事故を多発する原因を身をもって知りました。
美人でちょっと透けるようなシースルーの服を着ていたら もう当然第一ターゲット!!水を容赦なくかけまくって 「オウマイゴーーーード!!」 パッキンみたいな
子供たちに混じってその日は一日中水をかけて楽しんでました。その期間に外を歩かないといけない旅行者はしっかりと防水ができるようにビニール袋に貴重品や家電製品を入れて行動するのです。 それを知らずに濡れて壊れてもそれは知らなかった人が悪い!ということらしいですよ。
日本の渋谷とかでやったら絶対楽しいだろうなあ 大人も子供も関係なく思いっきり掛け合う どう??
タイで300円で免許を取得しよう!
タイでは日本の1/1000の価格で車の免許がとれます!正確にいうとタイ免許を日本の免許を切り替えるときに日本で切替試験を受けないといけないので最低でも4200円+300円で4500円かかるんだけど うん 何がいいたいかって免許は海外でとれるならとるべきってこと
試験の難易度もその入る門により全く違う。ちょうど大学の裏口入学と正式入学の難易度が違うように(別に俺、裏口入学してませんよ)
車なんてゲームセンターでしか触ったことなかったからいきなり試験を受けた俺は2回落ちて 「ダメだ こりゃ」って前期これっきり一度も受けることはなく、誰かに路上で教えてもらうことの必要性を認識した。
んでもってタイの友達にお願いするも「なんかわりいなあ」という思いからあんまりプッシュできなかったせいもあってそのまんま
後期にはいって 留学期間も残りわずか Immigrant Visaをもっているものしか取得できないので 再度チャレンジ。
バックの駐車ができない。前の人の見よう見真似で超スローでやって3回くらい切替しをしてはいった。「うーまんぼー!!」
日本でも三回目でやっと合格 苦労したよ〜 日本では免許をもっていないのでちょっと隠れて練習とかしたりする人もいるということですね〜
タイで取得後、6ヶ月はタイ国にいないと日本免許に切替はできないんで注意です。 俺はその条件を満たすためにまたタイにいってしまいました>< ということで結局8万位かかっちっち。。。