February 03, 2007

池内 了(いけうち さとる/総合研究大学院大学教授・宇宙物理学/東京新聞2月2日夕刊)

『1990年に日米合意(いわゆるスーパー301条)によって衛星等の無差別入札方法が採用されたために、日本の宇宙関連産業が苦境に陥った。日米の技術差が大きいため入札に敗れ、日本の宇宙産業は壊滅状態になった。その失地を回復するために、宇宙のミリタリゼーションに踏み込み、“国は安定的な需要創造などを通じて宇宙産業の国際競争力を強化”せよというわけである。なりふり構わず国家に寄生する経済界の浅ましさを見る思いがする』


 宇宙空間における技術開発で日本は軍事化への道を開こうとしている、と指摘する池内センセイ。京大理学科で林忠四郎教授の下で宇宙物理学を学び、1980年代は国立天文台で研究活動をされ、現在は葉山にある総研大の教授、兄上は温泉好きのドイツ文学者でエッセイストの 池内 紀センセイだ。

 1967年の国際的な宇宙条約で、月その他の天体はもっぱら平和目的のため利用することと定められた。不十分ながら(使用禁止は大量破壊兵器のみ等)、技術の軍事利用に歯止めをかけようとした条約だった。日本は、この宇宙条約を批准し宇宙開発事業団の発足(1969年)に際し、「宇宙の開発および利用は平和の目的のために限り」(衆議院決議)と、「かつ自主・民主・公開・国際協力の原則の下にこれを行う」(参議院付帯決議)とを定め、宇宙開発は非軍事の態度を堅持した。

 しかし、昨年から自民党が中心になり、宇宙開発の軍事利用を画策する「宇宙基本法(仮称)」制定が急ピッチで進められている。直接的には、解像度の高い情報収集衛星や早期警戒衛星の開発・保有を目指そうとしているようだ。自衛隊の海外派遣を本来業務とする防衛省の発足と軌を一つにするのではないか。
 
 このミリタリー傾倒を後押しするのが経済界で、国際競争力を失っている日本の宇宙関連産業を、軍事利用の特需によって活性化しようと計画している。行き着く先は、アメリカのごとき軍産複合国家で、軍事機密という名で秘密主義が横行し国際的信用を貶めるものだ。

 ★池内センセイは、技術の軍事利用という重大な問題を抱えながら、あまり知られないまま制定されてしまう恐れがある宇宙基本法に、多くの人々の関心と議論を期待したい、と結んでいる。「宇宙に軍事は似合わない」「せめて日本だけでも宇宙の平和利用に徹し、人々に夢を送り続ける対象であってほしいと思う」「宇宙産業もその方が真の実力を発揮できるだろう」と、宇宙物理学者らしい理念を説く。聞く耳を持つ経済人は残念ながら少なそうだ。「国際競争力」という魔力を備えたコトバに「宇宙の平和利用」は、いまのところ勝てない。

◆内閣に「宇宙戦略本部」を置く…自民党骨子案

◆親は早くいなくなった方が、子の自立が促される…センセイが語る生い立ち

◆1969年決議「非軍事」の足枷を取れ…経団連の提言(2006年6月)たしかに利益拡大を露骨にもくろむ文意あり

◆越後松之山 森の学校「キョロロ」…池内センセイが相談役

懐手して宇宙見物


(12:20)

January 29, 2007

イビチャ・オシム(サッカー日本代表監督/日本経済新聞1月26日)

『日本に来てサッカー観が変わった。が、日本に感化され同化したという意味ではない。ともに働きながら、日本人の面白さに感じ入った、ということです。何というか…日本のアンビバレントなポリバレント性に。民主主義を原則としながら天皇制があるみたいな。みんなを尊重するやり方といいいますか…』


ご存じのようにオシム監督は、1964年の東京五輪で選手として初来日。2度目は1991年のキリン杯で、ユーゴのクラブ・パルチザンを率い日本代表と対戦。2002年にはFIFA技術研究班として日韓W杯を分析。翌2003年に当時のジェフ市原に懇請され監督となった。1年のつもりで来た日本にハマった理由のひとつが「日本人の面白さ」だと。

 オシム監督は「驚いたことのひとつは、負けたチームにサポーターがブーイングではなく“次はがんばれ”と励ますことだった。どうもこの国には結果だけにとらわれない文化があることに気付いた」と。ヨーロッパの結果がすべてビジネス(金)がすべてのサッカーよりも、日本サッカーの方がずっといい。

 だが、周囲を見つめ自分を見極める客観性と現実性がチームにも個人にも欠け、過大評価と過小評価に振り回される。典型例はドイツW杯での日本の敗北と、そのリアクション。「負けがショックだったのか、負けに対するあまりの備えのなさがショックだったのか」と、監督は問う。

 二律背反に見えるものを無理なく同居させてしまうアンビバレント性は、よく言えば懐の深さ、悪く言えば論理を重んじないアイマイさ。ポリバレントは、化学用語としては、原子が他の様々な原子と結びつき、様々な機能を発揮することで、サッカーでは複数ポジションをこなす多様性、タイプの異なる選手とも連携協調できる特性を讃えるコトバだそうな。つまりは、無定型で変わり身の早いことか。

 「日本(チーム)を日本化したい」と語る監督は「サッカーというゲームの要素は非常に複合的で常に変化する。個々の技術やスピード以外に、国の伝統や文化なども含まれる」という考えだから、二律背反性や変わり身の早さをもっとプレーとゲームに活かせとの仰せのようだ。

 ★オシム@ジャパンという月1回シリーズ連載の第1回。日経の記者(武智幸徳)は、監督の意を汲んで“守備はマンマークを徹底しながらボールを奪うやどこからでも誰からでも攻めに出る、融通無礙な変わり身の早さ。勤勉な守りと攻めを共存させるために「走れ!」”と書いている。敵味方の行動に何かを感じ、それを自分に生かし、走り続けるニンジャサッカー。相手の予測がつかない裏をかく襲撃。それは強かろう。そう願いたい。

◆ Polyvalent … 英辞郎によると、化学用語で「多価の」との訳。Valenceが「価数、原子価」だがValentという単語は使われない。polyvalent interactionで、多価相互作用。オシム監督の意味するのは、このあたりか?

◆ Ambivalent … こちらは、「心が不安定な、心情的に相反する、葛藤的な、両面価値の、あいまいな、反対感情の併存した」との訳。メリアム・ウェブスターによると、1.simultaneous and contradictory attitudes or feelings (as attraction and repulsion) toward an object, person, or action 2.continual fluctuation (as between one thing and its opposite) 。

オシムが語る


(16:00)

January 21, 2007

志村ふくみ(染織家/東京新聞1月20日)

『(仕事中はズボン姿が多く)私も間違っているんですよ。でも、日本人の立ち居振る舞いは、着物から生まれてくる。衣装は命や心を包む布なのに、私たちはファッションにすり替えてしまった。いま若い人たちが着物に関心を持ち始めたようですが、それもファッション。そこから入ってもいいけれど、民族衣装というのは民族が守ってくれる知恵の深いもの。民族を意識しなかったら、着ても何もなりません』


 京都・嵯峨野に居と仕事場を構える志村さん。82歳で紬折りの人間国宝。自然から糸や色をいただいて織物として表現する。人間は自然から無限の恵みを受けている。植物染料で染めた手織りの着物を着ることは自然の恩恵を体感することであって、だから「命や心を包む布」となる。

 けれども志村センセイは「自分たちが仕事をして、草木が美しいとか色が美しいとか、そんなことを言っていていいのかしらと思うんですよ」とも。若い人たちが目標を失ってどう生きていけばいいか悩んでいる、小学生も毎日本当に沈んだ感じで登校している。そんな様子を見ていると「自然から無限の恩恵」「植物の命を織物として身に纏う」「どんな小さな裂(きれ)にも命が宿っていて捨てられない」などの訴えが、どこまで届くか。大正13年生まれ、17歳で初めて母上から機織りを習い、31歳から染織に専心。創作と研究を重ねて来た大家でさえ、そんな自問をする。

 「時代の矛盾を意識しつつ、自分は何をすべきか考える。目覚めないと流されますよ」というコトバに、危機感のあいまいな流されっぱなしの我ら凡夫はハッとする。
 
★作品の一部…人間国宝ギャラリー(日本工芸会)
大岡信「言葉の力」…桜色の話、中学教科書に取られ有名になった

 いのちを纏う―色・織・きものの思想


(11:57)

December 29, 2006

定方 晟(東海大学名誉教授/東京新聞12月5日)

『“私”や“死”という言葉は人間の精神生活に対する最も大きな罠である。ひとは“私がある”と考えることにより“私”以外のもの、いわゆる外界・世界があると考える。言葉がひとり歩きすることによって生じる惑わしから自由になることを教えるのが空の思想である。』


 ひとは生まれた瞬間からコトバの海の中で育つ。そのため、コトバを疑うことを知らず、コトバは世界を忠実に写し取る、コトバがあれば必ずそれに対応する現実がある、と信ずるに至るが、これは誤りだ。コトバは盲信せねば大いに意義あるが、ある種の言葉は少なからず害をおよぼす。例えば、“有限”“無限”。会社の責任限度について適用しているうちは害がないが、これを宇宙にあてはめようとしたとき、コトバ盲信の域に入る。宇宙は有限でも無限でもないが、コトバがある(ひとが有限無限のコトバをつくり使っている以上)、宇宙はそのどちらかでなければならぬ。この考えは、まさに人間の暴挙だ。

 “私”や“死”も同様で、人間の精神生活への大きな罠となる。“私”というコトバを使い続けることで“私”の存在は自明の理と考えるが、それは疑わしい。ひとが考える“私”は「考えられた側の私」であり、ならば真の私とは「考える側の私」かといえば、その「考える側の私」自体が既に「考えられた側の私」に転じているのであって、眼が自身を捉えられぬごとく「真の私」も捉えられない。

 では、なぜに古来ひとは“私”があると考えてきたか。それは、“私”と外界・世界を区別し、2つの対峙する存在として信じてしまった故だ。コトバの“私”“世界”への盲信である。コトバは古語で「ことわき」と呼ばれたように、モノゴトを二分するのが本質だからコトバに罪はなく、誤りはひとのコトバへの盲信だ。

 “私”が“世界”から消失した光景を、ひとは“死”と考えるが、その考えは生きているからこその想像であって、真の死を捉えることは結局のところできない。死への恐怖とは、コトバを使って生活することになじみ過ぎて、コトバを盲信している状態に気づかない故に起きる。『般若心経』は、ここのところを「顛倒夢想を離れれば恐怖なく心平安になる(無有恐怖遠離一切顛倒夢想)」といい、コトバの惑わしから自由になれば「不生不滅」「無老死」そして「空」であると説く。

 ★インド哲学と仏教思想の権威であるサダカタアキラ先生、「仏教の言語観」について。コトバへの盲信、既存のコトバになじみすぎた因襲的状態から脱するには、集中力をもって『般若心経』のコトバになじむが良かろうと。すぐにはなじめずとも、なじむべき目標を見い出したという思いそれ自体が、すでにある種の安心感をもたらしてくれる、と実に有り難いアドバイスだ。

 2007年、コトバへの盲信を諌めようと思った、と書く“私”は、すでに真の私ではなく。顛倒夢想を離れるには、まだまだ修行が足らぬ。

空と無我―仏教の言語観


(11:13)

December 01, 2006

柴田 徳衛(東京経済大学名誉教授/東京新聞11月30日)

『いま公害問題は、地球温暖化などを含め「環境問題」へと広がり、研究者の数も若い層を中心に大きく増えています。これは大変結構と思いますが、とかく紙上のモデルづくりに終わり、宇井さんのように地獄の現場にひとり飛び込み「おかしいぞ」と、既存勢力と戦う空気が薄れている気がします。「環境研究が栄え、環境自身が悪化する」では困ります』


かつて東大の「夜の総長」と呼ばれた宇井純先生(11日逝去)を悼む文。宇井センセイは、都市工学科の万年「助手」の肩書きながら、1970年から1985年の長きにかけて自主講座「公害原論」を開いて名を高め、誰が呼んだか「夜の東大総長」となったわけだ。

 「現場をつぶさに見る」、「おかしいぞ」と思ったら声を上げる。これが、宇井センセイの基本だ。だからこう言う。「公害では専門家が出てきたら気をつけろ。全く新しい社会と自然の複合的な現象として現れてきた公害を、既成の専門家が出来合の尺度をもってあてはめる時、その尺度から必ずはみ出す部分がある。その、はみ出した部分こそ大事なのに、自称専門家は、そのはみ出した部分を切り捨てる。必然的に事件の過少評価や否定に流れてしまう」

 2000年代に入っても、宇井センセイの批判は衰えず、例えば沖縄の下水道処理場について「建設省や東大などのありもしない権威を振り回しているものでしかなく、彼たちが支持し評価している技術そのものが浪費の塊のような代物で…」として、石垣島の下水処理場に7億かけたが1千万で作れる、宮古の処理場は27億だが1億円で足りる、と現場ごとに具体的に説明したそうだ。

 ★74歳で亡くなった宇井純さんへの追悼として、元・東京都公害研究所所長の柴田先生が、実に明解に書いている。「既成の権威ある大教授が“それは教科書にない”と言い、偉いお役人が“前例にない”から「ナイこと」にしようと切り捨てるのに対し、宇井さんは敢然と立ち向かいました」「アスベストのように原因から30年40年かけて取り返しのつかぬ結果が出るような“新型”が次々と現れています」「新しく現れる環境破壊の現実に飛び込んで解決の戦いを進めること、これが宇井さんの霊を慰める最大の道と思われます」と。
 国際間で温暖化ガスの排出権を売買する。ひとつの方法ではあるけれど「現場」「はみ出した部分」は切り捨てられたままだ。宇井センセイの批判はいまも生きている。

日本の水はよみがえるか―水と生命の危機 市民のための「環境原論」


(12:23)

November 19, 2006

中村桂子(JT生命誌研究館館長/東京新聞11月17日夕刊)

『都会だって身の回りにはたくさん生き物がいる。通常はペットと動物くらいしか眼を向けないし、それも“生きている”ことを見るつもりで見てはいないだろう。しかし、“生きている”ことは、それだけですごいことなのである。これだけ科学技術が進んでも、生き物をつくり出すことはできない。生き物は生き物からしか生まれない。祖先を辿っていくと、すべての生き物は共通の祖先から生じたことがわかる。そこから38億年ものあいだ続いて来た生き物たち、その長い時間あっての存在だと考えただけで“たいしたものだ”となる』



 学校社会でなぜ命を絶つのが続くか。中村センセイは、「生命の大切さ」「いのちの尊さ」という言葉・メッセージが、おっしゃる通りごもっとも以上の気づきや行動を引き出すチカラがないのだと説く。いのちとは何か、それを尊重するとは何をすることか。はなはだ見えにくいのだ。金が大切で、それを得るには競争に勝つと刷り込まれれば、すぐ了解できて、金儲け仕事に忙しく「いのちとは何か」を考えるヒマはない。「しかし、本当に大切なのは生命のほうに違いないのであって、これをないがしろにする社会が長く続くなずがない」と。

 で、生命という名詞ではなくて動詞で考えたらどうか。それも「生きる」ではなく「生きている」をじっと見ようと、中村センセイは提案する。かつて文科省が「生きる力」と言い出したが、キーワードだけで何をすればよいかはわからぬままだった。「生きる」となると、生き方・よい生き方となり、さてどうすればよいか戸惑ってしまう。

 ゆえに、「生きている」を見つめよう。「生きている」を見つめていると、なにをボンヤリしてるのか、勉強しろ人生を考えろ将来設計を立てろ動け働けと言われてしまうのがモンダイだが、大人も子供とともに「生きている」を見つめましょうと中村センセイは提案する。

 ★「生きる」の響きには、確かに「よりよく生きろ」とか「がんばれ」とか、強者の側からの押し付けめいたところがある。発言者の価値観がたっぷりと含まれている。けれど、「生きている」は、価値感から離れている。あるがままの状態を認めればいい。Do Your Bestじゃなくて、Be Here Nowか。下手でも不器用でも損な生き方でも、そんなのはロクでもない効率競争社会から見ての価値判断だ。生きているってのがすごい。死んだらすごくない。すごいんだから、誇りを持っていいのだ。

 「生きもの」感覚で生きる


(21:01)
篠原鋭一(成田市・長寿院住職/東京新聞11月19日、署名原稿:長久保宏美)

『今の若い人は“この世から消えてしまいたい”と言う。私は本人に“死ぬな”とは言わない。どうして死にたいか、をとことん聞く。そして“明日もう一度話そう”と。これを繰り返すだけ』


 シノハラさんは、死にたいと思う人がやって来る「駆け込み寺」の住職だ。寺は、千葉・成田市の森に囲まれた地(成田市名古屋)にあり、自殺志願者や家族を自殺で亡くした人々が噂を聞きつけ訪れる。

 シノハラ住職は、とにかく本人から話を聞く。どうして死にたいと思うのか。本堂の裏にある和室で本人に向き合い、時に話は深夜に及ぶ。「話すことによって生きていられる」と信じるからだが、「ものすごい根気とエネルギーが要る。だけど続ける。そういうキャスティングなんです。私は」と語る。

 兵庫県の貧乏寺に生まれたシノハラ住職、戦地から帰った父は病死、兄も栄養失調で死亡、絶望した母は乳飲み子だった住職を背負って川に身投げするも、なんとか助けられた。高校まで近くの寺で育てられ、駒沢大学で仏教を学ぶ。「葬式と法事」だけの仏教を嫌い、1979年からカンボジアへ。内線で仏教が否定された国の現実を知るべく、25年間カンボジア行きを続け、ポルポト政権によって消滅させられた仏教資料や教典復元に努めた。クモ膜下出血で倒れて大手術をして助かった。寺の裏山が大雨で崩れたときも間一髪で助かった。「私は三度死ぬはずだった」と。

 1991年、廃寺だった長寿院(曹洞宗)住職になる。同じ千葉の寺で住職をしていた無着成恭先生の勧めだった。「世界には生きたいのに生きられない命がたくさんある。“私なんかこの世にいないほうがいい”と思っている人は、こういうふうに考えてほしい。あなたは、ただいるだけでいい。いるだけで家族はうれしい。それから、時間のチカラを信じましょう。不幸も幸福も永遠には続かない」

 ★人は話すことによって生きられる。なるほど、そうかもしれない。話す相手も場所も見つからぬ人々が多いからこそ「駆け込み寺」が評判となるのだろう。娘が三十で自死した、その親夫婦は毎週やって来て娘の過去に遡って話すという。1年半かかって、話は幼稚園の頃まできたと。これは一例だが、確かに話を聞くだけでも根気とエネルギーが必要だ。寺では、毎月ボランティア主催でコンサートが開かれ、地元の人が集まる。農家が野菜や米を持ち寄る。「寺は生きている人が、生きているうちに使うもの」、言うは易し行うに難しを実践するシノハラ住職。こんな和尚さんもいるのだな。

「てるてるぼうず」…曹洞宗のお坊さんによる電話相談
一杯の日本茶…シノハラ和尚エッセイ

 8f998115.jpgみんなに読んでほしい本当の話―おしょうさんも泣いた25の生き方


(11:41)

October 18, 2006

ジェームス・ブリュックル(ドイツの囲碁ファン/東京新聞'06年10月18日)

『囲碁は、ひとつの“宇宙”です。碁盤に広がる星空は単純なようで謎に満ち、簡素にして奥深い。日本文化のスタイルとは、こういうものではないでしょうか』


 ドイツで囲碁が根付いている。もともと日本人留学生が持ち込んで石を打っており、二十年ほど前から本格的に広まり出した。ゆえに、中国発祥の囲碁ながら“GO”と呼ばれている。現在の「ドイツ囲碁連盟」は会員3千人、ベルリンなど都市部のほか、各州支部も活動し国内選手権が開かれている。(ちなみに中国語では「囲棋」Weiqi と)

 チェスではなく、なぜ囲碁に惹かれるのか?ブリュックルさん、その理由を2つあげる。「チェスはパターンに限りがあり手を多く覚えていた方が勝つ。囲碁は定石もあるがチェスより自由度が高く“考える”ことなしに勝てない。思考力を鍛えてくれる」が第一。「深く静かに考える。自分の打った手が相手に跳ね返り、どんな結果になるか見極める。それによって、人の精神が広がっていく」が第二。

 囲碁に親しんでいるのは大人だけではない。子供向け碁会が開かれ、指南役や解説書の助けを借りつつ碁石を握っている。ふだん教室で騒いでいる子供たちが、打ち始めると静かに座り2時間も集中している。見学に来た学校の教師が驚いた、と記事は伝えている。子供のファンが増えたのは、“ヒカルの碁”なる漫画がドイツで翻訳され読まれたのも一因という。

 ★10月から紙面刷新、本社も日比谷に移転した東京新聞。見た目も少し変わった。この記事は「日本の肖像画」という新シリーズ(たぶん)で、日本文化を再認識しようとの企画(たぶん)だろう。今回はベルリン駐在員が発信元だ。「奥深さ 思考力磨く」「人気定着 子供も夢中」との見出しで、良いことだけ書いてあり、日本人には、こそばゆい気もする。欧州他国については、どうなんだろう。囲碁はドイツ人気質に合っているのか、禅に対する興味関心と重なるのか。静寂の中、対局する二人の精神が行き交い、それを顕わすのは碁盤と石を打つ音だけ。瞑想しつつ思索する僧のようでもある。

 「思考の危機が叫ばれている時代に、人間力を試し開花させる点に、囲碁の魅力を見ている」の一文(やや大仰か?)にあるように、もともと自国にない文化のほうが、歴史伝統決まりごとが少ないだけに、その土地で羽を伸ばし人々の気質と溶け合いゆったり花開かせる可能性があると思う。日本では、定石、次の一手、トレーニング、テクニック、問題集…の本ばかり並ぶ。だから漫画ができたワケか。

◆なるほど、こういう旅行も…欧州囲碁親善旅行

◆不慮の死…ハンス・ピーチさん

欧州の碁普及女性棋士が活躍

ヒカルの碁 (1)


(09:33)

September 30, 2006

鈴木 邦男(民族派政治団体「一水会」顧問/東京新聞'06年9月29日)

『愛国心は普遍的に皆を慈しむ「愛」のはずなのに、他人も他国も愛さない。排外主義に結びつきやすく、集団になると暴走する。愛は相手を拘束し、時に暴力的になる。国家の愛も似てますよね』


 「反米反権力」を理念とする新右翼を代表する論客、スズキ先生。高校時代は仙台のミッションスクールで賛美歌を歌っていたが、早稲田の学生時代に全共闘に対抗すべく民族主義運動を始め、三島の市ヶ谷事件に影響を受けて1972年、毎月第一水曜日に集まる「一水会」を結成。これまでに右翼運動四十年となる筋金入りで、天皇を揶揄する左翼芝居があると聞くや殴り込みをかけ、自衛隊の基地祭でストリッパーを呼んだと聞くや怒鳴り込み、「日の丸」を揚げ「君が代」を歌うこと五千回という、自称「日本一の愛国者」だ。

 そのスズキ先生が、にわか愛国者の急増、愛国心教育の押し付けを憂いている。長く運動を続け何千万の愛国者を見てきたからこそ、愛国(心)の難しさがわかると云う。「愛国者だから何でも許される」という風潮に流されまいとしてきたと云う。

 では、どこがキケンでモンダイか。第一に、愛国心は個人ではなく集団の論理運動に結びつく。そこでは声の大きなヤツしつこいヤツ物事を単純化し過激な発言をするヤツが集団を動かす。粗暴な行動を止めるヤツはおらず、夢や理想を語るとツブされる。第二に、反省を忘れ過去を美化しがちで、歴史から学ぶことが少ない。第三に、愛国心で国が救えるというのは幻想であって、「素晴らしい民族だった昔の日本人は憲法と教育基本法を押し付けられ日本精神(愛国心を含む)を骨抜きにされ、ゆえに国がすさみ美しさを失った」というのはおかしい。責任は自民党(政治)とわれわれ家庭にあるのであって、憲法を変え愛国心を教えれば日本は良くなるというのは間違いだ。スズキ先生は、かように批判する。

 さらに、日本では愛国心を教えられない強制できないと云う。全国の先生に検定を受けさせ一級愛国士でもつくって教えるのか。地域社会で「愛国者」を自認し運動している人は、往々にして家族近隣地域から孤立し嫌われている。国を愛する前に家族を町を地域を愛し、その仕上げが国を愛することなのに、「オレは愛国者」だとパッと国家に結びつき声高にニッポンを叫ぶ。これは自己愛でしかないとスズキ先生は断じる。

 ★公立学校で「日の丸君が代」を強制するなら、まずそう思い命ずる者が国会で実行せよ。社民党や共産党を処分してみよと、さすが「反権力」右翼のスズキ先生である。高校で賛美歌を歌うことを強制されたのは嫌でたまらなかった。もし日の丸君が代を強制されていたら日の丸を破り捨てたかもしれない。「いいことでも強制されたら嫌になる」などのように、スズキ先生はじぶんの体験と反省のうえに語るので理解しやすい。

 私は「愛」という明治の訳語が、結局日本になじまなかったのだと思う。「愛」は、仏教では我執(エゴイズム)、儒教では最高徳「仁」の属性のひとつ(敬宮内親王の由来と発表された「仁者愛人 有礼者敬人、愛人者 人恒愛之 敬人者 人恒敬之」)、神道(古語)では「愛」概念がなくワタクシゴトの心情(かなし)だった。そんな中で「愛」は、明治以降盛んに使われ日本人を混乱させても来た。例えば、新島襄(同志社大学創設者)はキリスト教の根本は何ぞやとの問いに「真神之道 愛以貫之」と答えていたが、仏教的な「愛」との違いを人々に説明するに大いに苦労したという。

 普遍的に皆を慈しむ「愛」という理念を欠く「愛」は、エゴイズムに陥りやすい。スズキ先生も「愛ゆえの犯罪トラブルは多い。愛しているから俺に従え、愛しているなら言うことを聞いて、愛しているから地の果てまで付いていく、愛しているからほかの男に走ったら殺すぞ、それが「愛だろ」と強制する」と指摘する。まさに、愛は相手を拘束し時に暴力的になるのだ。

 最後にスズキ先生の結論。いわく「愛国心は国民一人ひとりが心の中に持っていればいいんです。強制されたり声高に叫んだりするものではない。どうしても言う必要がある時は小声でそっと呟けばいいんです」

Patriotism(愛国)の語源 … pater(父)、patria(祖国)、リペアやパターンも同根

◆神道は「かなし」…中西進 人間塾

◆愛国心の「騒音」が国土を溺れさせようとしている… 内村鑑三(『万朝報』明治31年)

聖書の「愛」…明治初期、中国語聖書からの翻訳時に「愛」や「神」を無反省に使用した?

◆鈴木邦男ウェブサイト…今週の主張

医と仁と愛…立派な理念だが

◆クリスチャン正田家の影響はあるか?…現皇室における「愛」と「仁」

愛国者は信用できるか


(15:38)

September 26, 2006

久保 大(元 東京都治安対策部長/東京新聞'06年9月25日)

『統計数値を根拠に、最近犯罪が増えているというのは一種の錯覚。犯罪認知件数は、被害者が届けるかどうか、警察が面倒くさがらず受付けるかどうかで増減する』


 クボさんは、30年以上都庁に勤め、2003年から警察出身の竹花前副知事(いま警察庁生活安全局長)の下で治安部長をしていた人。よほど恨み辛みがあったのか、定年退職してから批判を始めた。
 「治安の悪化」「犯罪が増えている」というのは、作り話・デマに近い。犯罪件数は氷山と似て全体の大きさは変わらないが、警察やマスコミが水位を上下させるため、水面に出て見える部分が大きくなったり小さくなったりする。かようにクボさんは指摘する。

 「治安悪化」という作り話。この作者は行政と警察、売り込み役はマスコミだろうとクボさんは云う。そして、背景にあるのは年金医療制度への懐疑やら所得格差の拡大やら雇用不安やら多くの外国人を身近に見かけるようになったことから来る日本人の「漠然とした不安・閉塞感」だ。世論意識調査では、約8割もが治安悪化を信じている。

 警察は犯罪への即効効果を追求し、行政は背後の要因の除減を追求すべきだが、クボさんが担当になった時は、警察によって既に施策が用意されているとの転倒が起きていた。少年や外国人やニートやらを次々にスケープゴートにし、そこへ人々の関心や社会への不満を向けさせる施策があった。異論や警察批判はまったくできなかったと云う。

 ★連日連夜ニュース報道される「飲酒運転」も、まさしく作者・警察、売り込み・マスコミの水位操作キャンペーンだろう。休日前夜通しあちこちで検問すれば、件数が増えるのは当たり前だ。
 永井荷風「墨東綺謂」に、夜ひとりでブラリ歩く主人公に巡査が「オイコラ」とばかり呼び止め尋問する場面がある。今じゃ好きな時間に散歩できるが、自分らを「おマワリさん」と呼び人の話を聞かず警察組織内部の考えを押し付けるパターンは昔も今も変わらない。
 『政策には必ず光と影がある。政策を担うものは両面を自覚し、その政策の当否を判断するプロセスを通じて公権力の「自制」が生まれる。しかし、こと治安となると、かような配慮は一顧だにされない。この結果、行政や法律が不介入を基本としていた倫理道徳の領域への規制指導が正当化される』とクボさんは云う。あちこち巡査が歩き回る街や公園に、散歩の楽しみなぞあるものか。

治安はほんとうに悪化しているのか


(21:13)

September 23, 2006

石川 九楊(書家・京都精華大学教授/東京新聞'06年9月22日)

『最近の学生の三人に二人は筆記具を正しく持てません。書くという行為自体が思考の現場であるにも関わらず、書くことなどどうでもいいという時代風潮の中で、横書きしているからだと思います。(箸と筆記具の)美しい持ち方は、長い歴史の中で生まれ、人間の生き方を象徴しています。箸と筆記具の持ち方がおかしいのは、単に躾がなっていないという問題ではありません』


 終戦の年に生まれ、5歳から書を嗜みつつ、弁護士を志し京大法学部で学んだイシカワ先生。「書」とは筆記具の先と紙との関係に生じる「劇」であり、両者の反発の中で言葉が紡がれるという「筆蝕論」を唱える。今時の若者や今時の社会風潮に苦言小言する、頑固で復古な数少ない存在でもある。

 イシカワ先生は、日本人が「縦書きの手書き」を失ったことが元凶と云う。それによって、日本人は精神停滞を起こし、社会が歪み、若者が荒れるのだと。まず紙と筆記具による「手書き」を捨てワープロキーボードに走ったのが良くない。「手で書く=思考する=物事を把握分析する」という訓練が疎かになるからだ。また、一人ひとり違う手書き文字の微差(行間を読むチカラ)を意識する訓練をしないため、じぶんと身辺風景他者との関係(間合い)がわからなくなった。

 横書きも良くない。先生は、日本文化ひいては日本国家は「縦書きする日本語」で醸成されたと考えるからで、縦書きが日本を壊すと云う。『縦書きは梯子の昇り降りと同じで、重力を感じ筆が踏みとどまることにより、文章の中に自省や自制が生まれます。一方、横書きは道を歩走するのと同じで、言葉は川のように流れていくだけ、自省や自制のチカラは生まれません』

 横書きは、戦後、官から広まり企業の効率化に後押しされたが、『社会を悪くした最たるものは、1970年代に定着した横書きの企画書』と、イシカワ先生は断じる。言葉は「だから」「しかし」など接続詞が大切だが、横書き企画書は箇条書きを並べ矢印で繋ぎ(実際は繋がらないはずの論を展開し)、右肩上がりのみの図式をつくり上げた結果、泡沫経済を招いた。『縦に書く精神と習慣が残っていれば、踏みとどまれたものも多かったはず』と云う。

 ★「社会や若いモンが悪いのは○○のせい」式の言説は論拠に乏しく流行らなくなっているが、たまには「決めつけ」もいい。そんな見方もあるのだと反応(感心する笑う怒る)できるからだ。
 中国および日本の書を探究し続けるイシカワ先生ゆえ、『日本の再生は手書きの縦書きから』と論ずるのは当然か。さすがに和紙と筆で書けとまでは云わぬが、洋紙とボールベンシャーペンでは重力を感じ自省や自制を働かせるは難しいだろう。先生の小中学生のインターネット利用は禁止すべしとの極論や、そのうち人間が機器をコントロールして要と不要の領域を棲み分ける社会になっていくとの楽観はドウカナと疑うが、紙と筆記具と縦書きによって考えや精神のありようが変わってくるという話はナルホドと頷ける。 
 自分がいままで生きて来た全部と、このように書いて(云って)いいのかという葛藤の中で、どうしてもコレダケはと出て来たものが「本当の言葉」ではないか?キーボード入力は、こうした葛藤やせめぎ合い無きまま言葉を流し出すだけではないか?手指で感ぜず臭いもなく美醜を宿さないモニター画面は、言葉を表現し相手に伝える「場」となり得るのか。そんなことを先生は問う。「横書き・インターネット記」発信よ、イイ気になるなというところか。

京都新聞コラム「一日一書」…2001年〜2003年の3年分。

縦に書け!―横書きが日本人を壊している


(11:37)

August 30, 2006

昇地 三郎(しいのみ学園 園長/東京新聞'06年8月29日)

『ふつうなら、エンヤラサと百歳になって御目出度いと言うだけで精一杯。そこで停滞するの、安住するの。私は百歳を踏み台にして、百歳を弄んで、百歳を振出しにする。常にフレッシュな気持ちでね』


 ショウチ先生は、ほぼ50年前の昭和29年、福岡市で知的障害者の教育施設「しいのみ学園」を私財を投じて創った。大学教授だったが、脳性麻痺で学校に通えない息子を持った経験から園長となって以来、自宅兼園長室で寝起きし、道隔てた向いの学校に行き来して働く。オルガンを弾き体操し給食を食べ子供らと遊ぶ。

 コトバもカラダも自由でない子供らの能力をいかに伸ばすか。教育経験80年のショウチ先生が、いま熱心なのは「手作りオモチャ親子教室」だ。大人(教員)と親と子がいっしょになり、空き缶や箱でオモチャをつくる。つくったものは宝物として大事に扱う。共同作業を通じて、子には感性と知恵がつき感謝の心も育つ。

 七十代で長男を、九十代で妻・次男・娘を見送り、いま一人暮らし。朝六時に起き体操し新聞を読み、八時に朝食。虚弱幼児だった頃からの母の教え通り、一口に三十回噛む。「五十年間受け手なかった健康診断を受けたが、なんでもなかった。自分は病気じゃなかろうかという“病感”、年老いたなァという“老感”を持たない。これが大事なんです」と。

 ★百歳過ぎても「ゴーアヘッド、前進せよ」と云うショウチ先生。「結婚は28歳、大学入学は30歳、同級生は皆死んだのに、落ちこぼれの私だけが生きている。いまだ成長が遅れている」と。六十過ぎて韓国語、九十過ぎて中国語を学び、いまだ新著を出し(現在百四十冊!)、ブログを書き、ハーバード大学をはじめ世界の都市を回って講演する。衰えることも成長。発達論では、そう教えるらしい。

 遅進児に限らず、子供は「3歳が人生の勝負どころ。3歳までの環境、特に母と子がいかに行動するかが、子の一生を左右する」が先生の説だ。夫婦ともども勤労する家庭では、やはり母がキッチリと時間をつくるべし、か。フレックス制やITによる自宅勤務が鍵だろうが、まだまだごく一部企業で試されるに過ぎない。先生の説を借りれば、父親の育児休暇なぞ、子の一生という長期に照らせば大した益を成さぬようだ。もっとも夫婦生活を長続きさせるくらいの効果はあるだろうが。

◆ドイツの百歳監督…自らダイビング撮影を編集し遺作に。レニ・リーフェンシュタール「Wonder Under Water」

◆先頃亡くなった高木東六も…百歳現役でコンサート

◆101歳と325日…三浦敬三

にっぽん百歳ファイル…NHK広島



ただいま100歳―今からでも遅くはない


(11:11)

August 09, 2006

鈴々舎 馬風(落語協会会長/東京新聞'06年8月8日)

『先輩を大事にして引っ張ってもらって、後輩に押し上げてもらうのが一番というのが、師匠 柳家小さんの教え。“人間を磨け、人間を磨け”って、二言目には人間のことばっかで、芸は教わっていない』


 ことし6月に新会長となった馬風師匠。17歳で小さん(五代目)に入門し、芸はどうしたか。「そういうのは盗めってね。俺(子さん)が高座でしゃべっているのを、袖で見聞きして盗めと。稽古は二人っきりでやるので心が入りきらないが、客の前では真剣勝負でやっているから、それを盗め」と。

 子さん師の教えは、もうひとつ。「売れてない芸人の噺も聞け」。若かりし頃の馬風、高座を聞き売れない理由を自分なりに探してみたら、答えは「すべて間にあった」。今でも「間のいい人は売れています」と指摘する。

 この記事、即興政治論という週1回定期連載であって、馬風会長に「総裁選の街頭演説で聴衆を引きつけるには?」と聞いている。答えは「間の取り方、つまり話に遊びをもたせること。話のノッケに“つかみ”を効かせ、おしまいの方に“人情話”で締める」。皆々キレイに真っ当にしゃべりすぎで、田中角栄の「まア、そのォ〜」や、大平正芳の「あァ〜、うゥ〜」は、この後なにをしゃべるのかと、聴衆に聞き耳を立てさせる。これがワザである。

 また、大きい会場でしゃべる場合、「ウソでも上を見て、普段より話すテンポを遅らせるべし」とアドバイス。さらに「はじめは、聴衆全部を引きつけようとせず、「誰か聞き耳を立てているヤツが必ずいるから、まず、そこをマークし攻めていけば、徐々に輪が広がって、終わる頃には全員が聞いてくれるようになる」とコツを披露する。

 ★入門から50年、真打ちになって30余年を数える馬風会長は、話芸はもとより人間心理を突くのが巧みだ。さすが「人間を磨け」と言われ続けて来ただけのことはある。殺伐として人情が薄らいでいる世の中だから「情のある話をちょこっと入れる。しかも、おしまいの方に」と。ボクシング亀田の試合にも触れ「負けたはずがチャンピオンになるのはオカシイと感じた連中も、最後に、親子の絆、抱き合うシーンを見せられて、まァいいか、となった」と分析する。馬風、あなどれない。

◆六代目小さん(三語楼)ほか、きみまろ、山田隆夫も…馬風一門

四代目小さん(昭和21年)⇒ 八代目桂文治(22年)⇒八代目桂文楽(30年)⇒五代目古今亭志ん生(32年)⇒再び文楽(38年)⇒六代目三遊亭圓生(40年)⇒五代目柳家小さん(47〜平成8年)⇒圓歌(8〜18年)⇒志ん朝(副会長)が没し(13年)⇒馬風に …落語協会の会長

◆ミッキー・カーチス、内田春菊、団鬼六は「Bコース」…落語立川流

◆270席・50時間分を収録…ご存じ古今東西噺家紳士録

◆人情噺と世話噺…五街道 雲助ウェブサイト


会長への道


(15:06)

August 06, 2006

五十嵐 敬喜(法政大学教授/東京新聞'06年8月5日夕刊)

『ここ(高野町高野山)は、一切が空海です。空海が今も生きていると信じられている“奥の院”を最高の聖域とし、数多くの寺院が立ち並ぶ景観。宗教の営みと不可分な住民の日常生活。空海の存在が街の根源にあります』


 イガラシ先生は、都市政策が専門で「なぜ日本の街は醜いのか」を問い続け、野放図の公共事業、景観を無視した乱開発、全国どこでも変わらぬ没個性な表情の街づくりを批判してきた。その先生が、大学に国内留学の届けを出し、高野山大学の学生となって密教・インド思想・日本中世史を学んでいる。そして、空海は「優れた都市プランナーであった」ことを改めて確認する。

 1200年の歴史を持つ山岳宗教都市・高野山には、日本の都市計画が顧みて来なかった「美」がある、と先生は言う。その「美」の源泉こそ空海の存在であり、教義と景観と住民生活(自治)が不可分に結びついているからと見る。では、今もこの地に生きる空海の教えとは、何か?それが「総有」の考え方であり「寺領地」の制度だ。

 「総有」は、山林の入会権など、日本古来の土地共同所有の慣習。共同所有者の各人に持ち分はなく利益配分もない。みなで管理し分配する仕組みで、先生が「心の共同体」と呼ぶものを育み、街に秩序や個性をつくっていく。また、高野山は空海の土地であり、住民は今も本山・金剛峯寺から借地し生活する。建築物の外観には寺の承認が必要で、土地使用の細かな規則もある。これが「寺領地」制度だ。

 ★「街の美」とは?「美しい街」とは?イガラシ先生は「押し付けではなく、地域住民が共有する意識が反映された街である」と定義する。逆に「醜い街」は、他国に例を見ないほど強力な「土地建物所有権の絶対性」によって権利者の利益や機能が個々に過度に主張し表現された空間と考える。
 共有できるものは、第一に伝承された歴史文化だ。自然祭り踊り伝説慣習…、いろいろあるだろう。歴史がなければ、街づくりの構想(ビジョン)がそれに替わる。しかし歴史文化の豊かな高野町でさえ、人口減少および財政悪化の問題を抱えているそうだ。地方過疎地すべてに共通の悩みだろう。これから、退職する団塊世代が、第二第三の人生探しに地方へ拡散していく。旧住民と新住民が交錯するなか、新たな「心の共同体」をつくれるかどうか。それは、LOHASなど流行語を超えたところの価値観と主張と妥協と相互信頼と維持継続のモンダイだ。

◆日本の景観美の源は「祈り」…五十嵐先生インタビュー(2004年)

美しい都市と祈り
はじめに

(14:55)

August 05, 2006

小林 宏之(日航 機長/東京新聞8月4日)

『いつも心がけているのは、自分自身のコントロールです。特に離着陸の時、緊張し五感をすべて研ぎ澄まさないといけないが、かといって100%出し切ってはいけない。バランス感覚です。真面目すぎたりで、注意が一点に集中すると、全体が見えなくなる。ミスを引きずったりもする。飛行機は1分間に10数キロ飛ぶので、先を読めないと取り返しがつかない』


コバヤシ機長は、乗務歴35年。自社養成パイロットの1期生で、首相特別機や湾岸戦争時の邦人救出機の機長も務めた。危機管理の専門家で、自社の社員教育はもとより、宇宙飛行士や原発運転責任者の講師・試験官も歴任。定年間近だが、いまでも現役パイロットだそうだ。

 愛知生まれ、「地元ドラゴンズの選手になりたくて」中学までピッチャーだったが、身体が小さいのであきらめ、「外国へ行きたくて」商船大学へ。3年在学中に虫歯となり「船乗りは航海が長く医者に通えない」と、新聞広告で見かけた「パイロット訓練生募集」に飛びついた。たまたまだった。

 コバヤシ機長は「意外かもしれませんが、エンジン火災や停止は怖くない」と。何回も経験したが、残りのエンジンで飛び続けられるよう設計されているし、十分な訓練も受けているからだと言う。2007年のベテラン大量退職を迎え、どうするか?の問いには「暗黙知=文字に書き表しづらい知恵、の継承が大事。先輩から盗み会得したワザや、苦い経験から得た教訓、“温度が微妙にこう変わると、揺れる可能性が高い”などの感性部分、マニュアルには書かれない細かな知恵こそ、世の中の事故を減らす決め手」と考え、ベテラン社員から知恵を募り、DVDにまとめる予定と言う。
 
 ★「生まれ変わっても、やっぱりパイロットに」と語るコバヤシ機長。試験と訓練に明け暮れ、月の半分は家を空ける生活だが、離着陸のたび「自分のすべてを打ち込める素晴らしい職業」と言う。マニュアルにコトバでは書けない・伝わらない知恵。“映像”とベテランの“語り”で伝えるのだろうか。パイロットだけでなく、整備士にも、ぜひ。

 パイロットを目指す若者へのメッセージ。「お宮さんに行ったら“受かりますように”とお願いするのではなく、“受かります”と宣言する。それだけで心構えが違ってきて、実現可能性が高くなります」と。なるほど、その通り。神仏には「願い頼む」のではなく、みずから誓いを立て、それが叶ったら「ありがとう」と感謝すれば良い。

◆暗黙知とは何か?…マイケル・ポランニー「暗黙知の次元」(松岡正剛
 
機長のマネジメント―コックピットの安全哲学「クルー・リソース・マネジメント」


(09:40)

August 04, 2006

海老沢 泰久(作家/東京新聞 '06年8月3日 夕刊)

『江戸時代、神主は僧侶に追いやられ、神に祈ることもできなかった。…さらに屈辱的なのは、神主でありながら仏葬を強いられ、仏忌や盆や彼岸、それに先祖の命日は必ず墓参りをして僧侶の機嫌を取らねばならなかった。これが神仏習合の実態なのである。…戦死者の霊の分祀を求める人たちの願いを頑なに拒否するというのは、江戸時代の寺院が神主にしたのと同じことではないか』


 「江戸時代、各地の神社に神宮寺や別当寺が建てられ、神社の中を僧侶が闊歩していた。仏教による神道支配は、奈良時代後半に始まり、江戸期に頂点を迎えた」とエビサワ先生は書く。キリシタン対策の幕法により、百姓町人は、必ず寺院の檀家とさせられた。寺院は檀家に「寺請証文」を出し(しかも毎年更新)、それが非キリシタンの証明となり、奉公や旅も許された。普通の日本人が檀家の寺院から葬式を出さねばならぬとなったのも、これ以後だ。

 この檀家制度は、神主と言えど免除なく、ゆえに「寺院と僧侶に対する神主の恨みは深かった」と先生は続ける。そして、分祀を願う人の願いを拒否することは、江戸の寺の仕打ちと同じと断じる。その苦しみは神主がいちばん知っているはずだが、いま苦しみを味わっている人の気持ちを理解せずに誰がするのか!エビサワ先生は「ほかならぬ神道のために、そういうのである。分祀の願いに応じたくらいでビクともするものではないと思っている」と結ぶ。

 ★いまの神主宮司禰宜が、いかほどに屈辱の記憶を留めているかは疑問だが、先生の説は正論だろう。ただ「神道は、奈良時代から仏教の後塵を拝してきたが、それでも今なお生きている」というのは、ちと厳しすぎやしないか。また、長い神道の歴史からすれば、戦死者の霊(魂)を祀るというのは「国家神道(主義)」という特殊形態であって、古来の神々を祀る「神ながらの道」とは別モノだ。靖国神社(旧 東京招魂社)は、戦前においては神社行政総括の内務省ではなく陸軍省海軍省によって共同管理される特殊な存在であったし、現在も神社本庁に属さない独立の存在(単立神社)なのである。

 合祀分祀うんぬんだが、この語の使い方が曖昧かつ定義がバラバラなまま政治家マスコミ等々が使っており、受け取る方は混乱するばかりだ。例えば分祀の「分」とは「一旦抜き取り去って(廃祀)し、他所へ移す(take away)」ことか「一部を分けて他所へ移す(separate)」ことか。前者は神社側として無理と答えるのは当然だし、後者は件の英霊を広め祀ることにも通じる。そう考える。分祀案や靖国国立化案は、もとは中国韓国が「政治家の靖国参拝」を外交に使うという悪しき言動によるもので、そのもとは靖国参拝を公約に使うという首相の悪しき言動によるものだ。どちらも政治による宗教利用だ。そう考える。

 さて、話転じて、人霊は祭神となり得るか?これも両論あるが、神道史から見ると、一般戦死者の霊ないし魂が時を置かず神格化されることはない。神道研究の権威であった國學院大教授の故 宮地直一 (宮地堅磐水位宮地嚴夫と同族)は、古代には人間を神として祀った例はないと書いている。「神道の古い信仰には、人霊が直ちに神として祀られるといふことは一切なかった。換言すれば、人霊はどこまでも人霊であり、すぐには神となり得ないものと考へた。からして、それが神社の祭神となるためには、相当長い期間の経過を必要とした。併して、長い期間を経過すれば、すべて人霊が神となり得たかといふに、さうではない」(神道史 下巻)。「死んだら仏様」はあっても「死んだら神様」は文化伝統ではない。
 同じく國學院大教授の故 西田長男は、三橋健との対談集「神々の原影」(平河出版社 1983、宮地直一の文も同書より孫引き)のなかで、大筋こう語った。『人間が神として祭られるようになったのは、豊臣秀吉を阿弥陀ケ峯に祀った頃からのことで、それを受け継いだのが徳川家康(東照宮)。キリシタン宣教師は布教理由上から「神道の神は人に過ぎない」と語り、江戸期になると新井白石が「神は人なり」と言う(神は人也。我国の俗、凡そ其の尊ぶ所の人を称して加美といふ。古今の語相同じ。これ尊尚の義と聞えたり。今字を仮用ふるに至りて神と志るし、上と志るす等の別は出来れり。-古史通-)。明治に入り、「神社に奉斎する神々は日本人の祖先であり、神道は祖先崇拝である」という考えが国民道徳として広められていく。祖先崇拝は重要だが、しかし、神道の意義はそれだけではない』
 今回のヤスクニ、毎日新聞が特集で追っている。


◆靖国合祀は原則戦死…陸軍大臣東条通達(陸密第2953号)、祭神となるか否か、軍人役人が決定する?
◆合祀不承派のツクバ宮司が建立か…靖国内にある鎮霊社
◆官軍は祀るが、賊軍(旧幕臣)は祀らない…明治の嘉永六年(1853年)以来の国事殉難者を祀る東京招魂社(浅田彰
◆靖国は神道にあらず、陽明学と朱子学(水戸学)の合体…小島 毅 「近代日本の陽明学」
◆靖国社は「屈辱と怨恨との記念」…石橋湛山(日蓮宗僧侶の息子)の「靖国廃止論」
冤枉罹禍(えんおうりか)とは?…勤皇の志士と旧幕臣の関係、東京裁判・戦争犯罪人の扱い 
◆招魂・不招魂の境…招かれなかった魂は一万余り(跡見女子大 奈良先生)
◆第一回合祀(明治2年)、初の女性は秋田藩士の妻…祭神二百四十六万六千余柱のうち、女神は五万七千余
北関大捷碑、朝鮮に帰る…略奪なのか?秀吉時代に遡る話だが、送り還したは昨年10月
別当寺と本地垂迹…弁財天(本地)=市杵島比売命(垂迹)
◆白石とシロウテ…西洋紀聞から


神と仏―仏教受容と神仏習合の世界


(08:32)

July 31, 2006

室岡 一郎(桜美林大学「文章表現法」講師/東京新聞7月31日夕刊)

『携帯メール、掲示板、ブログ、SNS。それらには会話のような文章が溢れ、新しい言文一致の波が押し寄せているかにみえる。…だが、文章としての正確さ、メッセージの質、発信者の自覚と責任に疑問を抱くケースも多い。桜美林大学では2002年度より「読む・書く・話す」のトレーニングを基礎演習科目に組みこんでいる…。2003年度からは、1・2年生全員を対象とする必修科目となった』


ムロオカ先生は、1961年東京生れ、中央大卒で、前職は演劇制作業と記事にある。海外演劇の訳・台本作成だろうか?授業で学生に多くの文章を書かせ、そこで見た「おかしな表現」の原因は、言語生活の中心が「音声コミュニケーション」にあると考える。「弄ぶ⇒もて遊ぶ」「理解が疎か⇒おごそか」など学生が作成した文を例にあげ、これは耳で覚え正しく理解しない(辞書を引く習慣がない、言葉を覚えるという意識が希薄)でアウトプットしているからだろう、と言う。

 ムロオカ先生は結びとして、「おかしな表現はむろん避けたいが、もっと警戒すべきは、慣れ親しんだ人間関係」に依存してしまうことだと論じる。同世代の友人との交遊のほか、両親・学校の先生・バイト先の先輩や店長といった特定の大人とだけの会話から一歩踏み出すこと。閉ざされた対人関係に逃げ込み甘えていたら、明晰な文章も力強いメッセージも生まれないと指摘する。

 ★文章とは何か。記事を読むかぎり先生は「不特定多数の、世の中すべての人にむかって、記した文だけですべてを伝えきる」という覚悟を持つ人間の書いたものこそ、文章の理想としているようだ。目の前にいる、多くは親しい人と簡単な事柄について話す日常会話は、その場で発言を確認しあえるから「少々いいかげんでもよい」と。

 先生、そんなに歳を取っていないが、ずいぶん「文章が優、会話は劣」という頭ができあがっているようだ。「不特定多数の、世の中すべての人にむかって、記した文だけですべてを伝えきる」覚悟なぞ、われわれ一般人には要らぬ。この先生も「だれにむかって何をどう伝えるか」を教えていると自分で書いている。文は必要があり書くのであって「世の中すべての人にむかって」という高邁な意識は要らぬ。それよりも「日常会話では発言が確認できる」とすれば、自分が書いた文がどれだけ伝わりどれだけ誤解されたかを「確認する作業」の方が大事だ。落度なく理論正しく書いたと自分で信じる文は、往々にして相手に真意が伝わらず誤解を招くからだ。もちろん先生の論で良いと感ずる点もある。それは、「世の中すべてを相手にする」ような覚悟の文を書くトレーニングを積むことで、特定の閉じた交流関係から抜け出せ、というメッセージである。

 しかし、ともかく驚いたのは、大学で日本語の「読む・書く・話す」トレーニングを必須としていることだ。小学校で英語を教え、大学で読み書き云々を教える。大学は、もはや学問研究の場ではなし。とうとう、ここまで来た。


   (著書 不明)


(21:43)

July 30, 2006

対本 宗訓(医師・僧侶/東京新聞7月28日)

『“なぜ人を殺しちゃいけないんですか”と聞かれたとき、昔なら命の尊厳を訴えれば済んだのですが、いまは誰も説得力ある答ができない時代です。お坊さんこそがソコをきちんと説かなきゃいけないのに、教義教理からの引用では何ら説得力がありません。脳死や臓器移植にしても、見解を問われると、決まって仏典の言葉に照らし合わせてしまう。現代の僧侶に必要なのは、仏典の言葉を一回かなぐり捨て、自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心で感じ取ることではないでしょうか?』


ツシモト先生は、京大哲学科を卒業し、嵯峨嵐山・天龍寺(世界遺産)で15年禅修行、欧州等で指導講演にあたり、39歳で臨済宗一派の管長となるも、2000年に帝京大医学部に入学、管長職を辞し、医学を修め、ことし医師国家試験に合格した。めざすところは「僧医」だと言う。

「僧侶本来の役割は、生老病死に直接かかわること」と考える先生は、臨床現場では、苦痛や悲嘆が患者の耳や心を閉ざし、僧侶の説法が届かぬことを身をもって知る。この時代、生老病死に直接かかわるには心や魂(精神)の側面だけでなく、肉体(物質)のことを知る必要があると痛感し、医学を習得した。「どのように死を迎えるか」が重要なテーマとなる終末期医療・緩和ケアの医師を志し、肉体と精神の痛みを和らげたいと言う。

大部分の医師は忙しすぎて「生」や「死」について考えを深めるゆとりがない。一方、終末期の臨床では、宗教者がチーム医療に加わり役割を果たそうとする動きが出てきている。そこで、カラダとココロの両面を見通す役割として「僧医」なるものを目指すのが、ツシモト先生だ。

★先人のいない道、仏教者としては異色である。医学部に入った6年前は「坊主が医者のマネをする必要はない」と否定的な声が多かったが、医療関係と仏教各派で講演を続けるうち、肯定的な意見が多くなってきたそうだ。

「仏教は先人の叡智の集大成であり、仏典には素晴らしいコトバがたくさんあるが、それを実践していかなければ“教えの深意”を体得し日常に生かすことは難しい」。こうしたツシモト先生の話は、葬式と法事と墓で「生計」を立てている住職さま方には、ちと耳が痛いだろう。また、人生観や生死観を自ら考える余裕(と使命感)の欠けた病院の先生方を、チクリと刺すだろう。ただし、日本社会のなかで、自分たちの役割はどこで、どう行動していけば良いか、しっかりと自問を続けておられるお坊さまお医者さまが、どれほど多いかは知らない…。

◆非戦不戦を貫いた真宗大谷派の僧侶…竹中彰元,高木顕明河野法雲

禅僧が医師をめざす理由


(07:17)

July 23, 2006

柴田 元幸(翻訳家・東大教授/東京新聞7月22日夕刊)

『“世界に必要とされている”という確信が、まるでなかった。その体験は今も自分の中に堆積されている。世間的には大学教授で翻訳家で、偉そうなオヤジである51歳の自分の中に10歳の自分がまだいて、そちらの方が今の自分より存在が濃いのです』


1954年生まれ、高度成長とともに育ったシバタ先生は『幼い頃は、いつも明日はもっと良くなるものと思っていた。それが今はなく、学生を見ていると“良くなる”という思いを知らずに育っている』と感じており、その背景を『正解のない時代』に求める。『これが正しい答えだ、正論だと言うのがどこか気恥ずかしい時代であり、何を言おうとしても口ごもらざるを得ない。無理に権威があるように振る舞おうとすれば、小泉首相やブッシュ大統領みたいに単に野蛮なだけになってしまう』と。

かっては「正しいこと=偉いこと」であったが、何が「正しいこと」かアヤフヤだから「偉いこと」もヘナヘナで滑稽にすら見えてしまう。ゆえに、『作家の高橋源一郎さんを講義に招いたら“今ほど偉いオトナになれない時代はない”と言っていた。僕だって気が付いたら51歳で年齢的には成熟しているはずなのに、およそ大人らしくない。いつの時代も51歳が51歳らしく振る舞うのは照れくさく、嘘っぽかったと思います。でも、権威ある大人あるいは権威そのもののふりをするのが、実に嘘っぽい時代になった』と云う。

では、この時代にあって確かなこととは何か。思い当たったのが、子どものころに感じた『心細さ』であって、『世界に必要とされているという確信が、まるでなかった』と冒頭のコトバへ続く。シバタ先生による初小説集「バレンタイン」でも、グリコのおまけをめぐる追憶や、タイムスリップして少年時代の自分とマンガを奪い合うなどの奇想が連なる。みずから、小説集の欠点を『他者が登場しないこと、他者なんて全然興味がないので書けない。だから本来的には小説ではない』と。

★「正解のない時代」とはハヤリ言葉だろうか、よく目にする。「正解のある時代」なぞ、いつどこであったのか?と問いたくなる。ま、ソレは良しとして、いまの時代で確かなことを「自分のなか」に求めると、これは他人と共有しがたくなる。同じ年代と育ちをした人間とは強いシンパシーで結ばれるが、世代や育った地域環境が異なった場合、共通の趣味や金銭的利失の関係がないと、ギャップはかなり大きいものとなろう。

教育によるところ大ではないか。つまり、高度成長期以降の日本では『試験の点がいいだけじゃ駄目さ、しっかり勉強して世間さまから尊敬されるようなヒトにおなんなさいよ』という教育をする場が極端に少なくなった。その心細さを埋めるのに、テレビ・漫画・プラモデル・オマケ・レコード等々が役立った。

しかし、シバタ先生、『長い間、翻訳しながら文章の勉強をさせてもらいましたから“アメリカ文学の影響で亜流みたいなものを書いているんですね”と言われても構いません。買って読んでくれた人に“お金を損した”と思われなければいい。翻訳も講義も創作も、自分が得た情報をいかに多く伝えるかという“サービス業”なんだと思っていますから』とは、さすが、わかっていらっしゃる。

短篇集 バレンタイン


(06:14)

July 20, 2006

小栗 康平(映画監督/東京新聞7月18日夕刊)

『二日遅れで新聞を読み続けていると、不思議なことに気付いた。新聞に向う「私」に、なにやら余裕のようなものが出来て…、新聞の見出しは「大変だ!」の連続で、それが大文字で躍っているのが常だ。二日遅れると、この見出しに興味を失う。出来事としては、もうすでにテレビやネットで知っているから、驚かない。となると、関心は「書かれている中身」になる。余裕というのは、このあたりで、「あなたは知らないだろうからコレを伝えます」という関係から「私が何を知りたいのか」と順序が逆になる』


オグリ監督の住む地には、ほかの地方郡部と同様、夕刊は配達されない。そこで、掲載紙は、二日遅れ郵送で届く。この遅れ新聞を読むうちに気付く。『いつもより(新聞を)落ち着いてよく読めている、という感じがするのである。朝刊もそのように読んでみると、それがハッキリする。遅れているから用を足さないかといえばそうでなくて、かえって、その遅れがイイ方へとはたらく』

監督は、さらに続けて『新聞は速報を旨としているから、その速さに合わせ、読み手も急ぐ気持ちを持っているのかもしれない。まず、そこから自由になる』と言う。そして『新聞紙面はニュースだけでなく、生活・文化・スポーツ・案内などテンコ盛りだ。ここでも「遅れ」は、その量に負けず、何が必要なのかを考えさせる』と。

★「遅れてる〜」という流行語があったのは、二昔前か。オグリ監督による、遅れ(あるいは意識的な時間ズラシ)のススメ。いままで新聞を「読まされていた」のであって、自ら「読んでいた」のではないとの気付きにも近い。日本ではまだ「2日も新聞を読まないと不安になる」人も少なくなかろうが、一因には配達制度がそれを支える。新聞を日常的な「情報餌付け」とすると、そこに依存が生まれる。毎朝通勤電車に乗るビジネス人間と、毎朝配られる日経新聞が相性のいいのは当然だ。

「リアルタイム」と人はよく口にするが、分刻みで行動指示される時間を生きていたら、その人にとって「リアル」な時間とはなるまい。何日かかろうとモノゴトを自ら納得して仕上げた場合にこそ「リアルタイム」とのカタカナ語を使いたいと思う。

時間をほどく


(11:38)