このブログでは、京都や大阪、奈良の歴史の探索をはじめ、神社や数々の史跡、国宝や重要文化財など。また、観光に便利なホテルや旅館、観光地への交通アクセスなども紹介しています。「今度はココに行ってみたい」と思って頂けば、最高に嬉しいです。

写真は箸墓(はしはか)古墳倭迹迹日百襲姫尊命(やまとととひももそひめのみこと)の墓陵ですが、邪馬台国の女王・卑弥呼(西暦247年頃死去)の墓という説もあります。墳丘長約280m 後円部径約160m 高さ約30m 前方部幅約130m 高さ約16m 。3世紀に造られた前方後円墳。日本書紀には「日中は人がつくり、夜は神がつくった」と記載されています。
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奈良公園周辺
円窓亭
奈良公園の「浅茅ケ原」には、静かにたたずむ重要文化財の「円窓亭」があります。
鎌倉時代に建てられたこの建物は宝形造りでかやぶ き、四方の板に丸い窓がくりぬかれていて非常に珍しい建物です。
元々春日大社のお経の倉庫でした。明治27年に現在の場所に移築され、国の重要文化財にも指定されています。
浮身堂
又ここのすぐ横には有名な浮見堂があります。
大正5年に建てられたこの浮見堂は平成6年に再建されました。
昔は「浮御堂」と書いていたのですが、神仏と関係がないことから改名して「浮見堂」となりました。
鶯池に自らの六角形の黄金の影を落とす様は幻想的ですばらしく奈良では有数のデートスポットとなっています。
片岡梅林
片岡梅林は、奈良公園の「浅茅が原」の東の部分、
浮見堂の北側にある円窓亭(重要文化財)を中心として紅梅、白梅が春のお彼岸前に咲き揃います。約240本ぐらいあるらしいです。
写真は片岡梅林です。撮影した日は紅梅、白梅ともに満開に咲き競っていました。(2008.3.19)
交通アクセス:近鉄奈良駅から 徒歩で16分
市内循環バス7分「大仏殿春日大社前」下車徒歩5分
奈良町
庚申堂
庚申堂(こうしんどう)は、奈良市のならまちの中心にあり、「庚申さん」と呼ばれています。
庚申信仰の奈良の拠点であり、青面金剛像を祭祀する祠です。
堂内の中央に木造彩色の青面金剛立像が安置されて、毎年3月の第2日曜日と、11月23日(祝)「勤労感謝の日」に講の人達によって「庚申祭」が行われます。
また、町内の家々の軒先にぶら下がっている三日月形ぬいぐるみは庚申信仰の「身代わり猿」で、魔除けとして吊るされています。
これは、家の中に災難が入ってこないように吊るしているのですが、災いを代わりに受けてくださることから「身代り申」とよばれています。
背中に願い事を書いてつるすと、願いが叶うといわれ「願い申」ともわれています。
言い伝えによると、人のお腹のなかには「三尸の虫」という虫がいて、庚申の日の夜に人々が寝静まってから体からぬけだし、その人がしてきた悪事を天帝に告げにいくといわれています。
すると、天帝が天の邪鬼に命じてその人に罰を与えるので、人々は三尸の虫がぬけださないように寝ずに過ごしたというわけです。
人々は六十日に一度回ってくる庚申の日は、寝ずに「庚申さん」を供養したと言われています。
それでも心配な人は天の邪鬼が嫌いな「身代り猿」を家の中に吊るしたり、三尸の虫の嫌いなコンニャクを食べて悪魔を退散させるのです。
「庚申堂」から北へ行き、突き当たって右(東)へ曲がると直ぐの所に「奈良町資料館」があります。
ならまちに古くから伝わる様々な生活民具や古書、仏像、漆器等を展示し、「身代わり猿」を売っています。
月曜日から金曜日まで休館で、土、日祝日のみの販売です。
交通アクセス:近鉄奈良線近鉄奈良駅から徒歩15分
奈良公園周辺
春日大社
春日大社は、平城京の守護の為に創建された御社で祭神は、本殿向って右(東)から、第一殿 茨城県の鹿島神宮から迎えられた武甕槌命(タケミカヅチのミコト)、第二殿 千葉県の香取神宮から迎えられた経津主命(フツヌシのミコト)、第三殿 大阪府東大阪市枚岡(ひらおか)神社から、それぞれ春日の地に迎えられた 天児屋根命(アメノコヤネのミコト)、第四殿 比売神(ヒメガミ)、それぞれ春日の地に迎えて祀られています。
奈良時代の神護景雲二年(768)、現在地に四所の神殿が創設されたのが始りで、藤原氏の氏神として有名です。
春日大社の「一の鳥居」は、安芸(広島)の厳島神社(宮島)、若狭(敦賀市)の気比神宮と共に日本三大木造鳥居の1つで、836年(承知3年)創建、昭和37年に補修されました。
ここから東側(奥側)が春日大社の参道になっています。また、 「一の鳥居」は重要文化財に指定されています。
交通アクセス:JR・近鉄奈良駅
春日大社本殿行バス8分終点下車すぐ、又は市内循環バス8分、「春日大社表参道」下車徒歩10分
奈良公園周辺
興福寺
藤原氏の氏寺
669年、藤原鎌足夫人である鏡女王が
京都山科寺の私邸に建てた「山階寺」が寺の起こりです。
その後、飛鳥に移って「厩坂寺」と称し710年に平城京遷都とともに藤原不比等によって現在の地に移され「興福寺」となりました。
興福寺は藤原氏の氏寺として栄華を極め、全盛期には大和の国1国を支配するほどの勢力を保持していました。
聖武天皇と光明皇后によって東金堂や五重塔が建立され、
奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられました。
1180年の平家の焼き打ちを始めとして、度重なる兵火や失火のために創建時の建物は失われ北円堂や三重塔は鎌倉時代に、又南円堂は江戸時代、五重塔は応永33年(1426年)にそれぞれ再建された建造物です。
また、仏教彫刻類は、天平時代の名品を数多く保存されています。
興福寺伽藍の北西隅に位置する国宝「北円堂」は、721年(養老5年)奈良朝初代と2代目、母と娘、元明太上天皇と元正天皇の懇願により、藤原不比等の1周忌に長屋王が創建しました。
が、治承の兵火で焼失し、今の建物は1210年(承元4年)頃に再建されました。
数々の国宝が安置されている事でも有名で、
四天王立像や弥勤仏座像は春と秋の数日間だけ特別開扉されます。
右近の橘、左近の藤が植わる西国三十三所第九番札所「南円堂」は、813年(弘仁4年)藤原冬嗣(ふゆつぐ)が空海の助言で、不空院の「八角円堂」を雛型として、父内麻呂(うちまろ)の為に創建しました。
その後4回焼失して、今の堂は、1741年(寛保元年)に再建され、木造不空羅索(ふくうけんさく)観音菩薩坐像」と「木造四天王立像」安置されて、いずれも国宝です。
采女神社
猿沢池畔の采女神社は、帝の寵愛が薄れたことを嘆き、猿沢池に身を投げた采女を祀っています。
中秋名月には采女祭りが行われます。
「猿沢池」は「興福寺」の放生池で、行基さんが亡くなった749年(天平21年)頃に印度の仏跡「瀰猴(びこう、大猿のこと)池」に模して築造された、周囲約360mの小さな池です。
猿沢池の東畔に「九重塔」と「采女地蔵」が立ち、その右側の柳が、采女が衣を掛けた「衣掛柳」です。
哀悼歌を柿本人麿と、采女を邪険にされた帝が、「藻の下にいるなら、水が乾けばよいのに」と嘆き、
我妹子が 寝くたれ髪を猿沢の
池の玉藻と見るぞかなしき 人麿
猿沢の池もつらしな我妹子が
玉藻かつかば 水もひなまし 帝
それぞれ詠んでいます。
交通アクセス:近鉄奈良駅より徒歩5分。
JR奈良駅から市内循環バスで県庁前下車。すぐ目の前(登大路を渡った南側)。
京都市
観光ガイド@京都・大阪・奈良〜ぶらり気ままに旅をするのTaekoです。
今日は永観堂をガイドしたいと思います。
永観堂は京都市左京区永観堂町にある浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院です。
平安時代初期に、文人・藤原関雄の閑居だった地を、彼の没後、空海の弟子・真紹僧都が寺に改めたもので、一般的には永観堂として知られていますが、正式名は禅林寺といいます。
永観堂の名は、平安時代中期に入寺した、永観律師に由来しているとのことです。
禅林寺(永観堂)多宝塔(昭和4年建立、下層銅板葺 上層柿葺、高さ13m)
釈迦堂前庭
勅使門の前にある市松模様を描く美しい庭です。この砂盛りは、昔、天皇の勅使がこの砂の上で身を清めていたそうです。
釈迦堂から、孔雀の襖絵と抜け雀の欄間がある小方丈、火除の阿弥陀如来を安置する瑞紫殿、長谷川等伯・狩野元信の襖絵がある方丈、法然上人像を祀る御影堂と順番に回廊を伝って行くと本堂にたどり着きます。
ここに安置されているのは、首を左後方に振り返っていることで有名な「みかえり阿弥陀」(重要文化財)です。
永観律師が念仏行道をしていると、突然、須弥壇に安置してある阿弥陀像が壇を下りて永観を先導し行道をはじめられました。
永観は驚き、呆然と立ちつくしたといいます。この時、阿弥陀は左肩越しに振り返り、「永観、おそし」と声をかけられたとか・・・。
永観はその尊く、慈悲深いお姿を後世に伝えたいと阿弥陀に願われ、阿弥陀如来像は今にその尊容を伝えると言われています。とても愛らしい御姿で京都六阿弥陀仏のひとつです。
また、古今集に「おく山の 岩がき紅葉 散りぬべし 照る日の光 見る時なくて」と歌われ、「モミジの永観堂」と呼ばれるように、東山随一の紅葉の名所で、晩秋の頃は、たいへん美しい景観を楽しませてくれます。
交通アクセス:JR京都駅より京都市営バス南禅寺・永観堂道バス停下車5分
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京都市
観光ガイド@京都・大阪・奈良〜ぶらり気ままに旅をするのTaekoです。
今日は知恩院をガイドしたいと思います。
京都観光があなたのステキな思い出の1ページとなりますように
知恩院(ちおんいん)は、京都府京都市東山区にある浄土宗総本山の寺院で、承安5年(1175年)法然上人が浄土宗の総本山として開かれました。
秀吉や家康の庇護を受け、現在の壮大な大伽藍が出来上がりましたが、特に徳川幕府は、何かあれば戦用の城郭に転用しようと援助を惜しまなかったとのことです。
元和5年(1619)に建立された我が国最大の楼門をはじめ、その広大な堂社は歴史的価値の高いものとなっています。
知恩院の境内は、三門や塔頭寺院のある下段、本堂(御影堂)など中心伽藍のある中段、勢至堂、法然廟などのある上段の3つに分かれています。
このうち、上段が開創当初の寺域であり、中段、下段の大伽藍は江戸時代になって徳川幕府の全面的な援助で新たに造営されました。
本堂へ向かう急勾配の石段の途中に西面して建つ三門と、三門をくぐり、急な石段を上った先の台地に南面して建つ本堂(徳川3代将軍徳川家光が建立)は国宝になっています。
〜知恩院に古くから伝わる七不思議〜
■鶯張りの廊下
御影堂から集会堂、大方丈、小方丈に至る廊下は、歩くと鶯の鳴き声に似た音が出て、静かに歩こうとするほど、音が出るので「忍び返し」ともいわれています。
■白木の棺
三門楼上に二つの白木の棺が安置され、中には将軍家より三門造営の命をうけた大工の棟梁、五味金右衛門夫婦の自作の木像が納められています。
■忘れ傘
御影堂正面の軒裏には、骨だけの傘が置いてあります。これは当時の名工、左甚五郎が魔除けのために置いていったという説と、このあたりに住んでいた白狐が、霊巌上人に新しい棲居をつくってもらい、そのお礼にこの傘を置いて知恩院を守ることを約束したという説があります。
■抜け雀
狩野信政作である大方丈の菊の間の襖絵に、万寿菊の上に数羽の雀が描かれていましたが、あまり上手に描かれたので雀が生命を受けて飛び去ったといわれています。
■三方正面真向の猫
大方丈の廊下にある杉戸に描かれた狩野信政筆の猫の絵で、どちらから見ても見る人の方を正面からにらんでいるのでこの名があります。
■大杓子
大方丈入口の廊下の梁に置かれている大きな杓子です。伝説によると三好清海入道が、大坂夏の陣のときに大杓子をもって暴れまわったとか、兵士の御飯を「すくい」振る舞ったということです。
■瓜生石
黒門への登り口の路上にある大きな石は、知恩院が建立される前からあるといわれ、八坂神社の牛頭天王が瓜生山に降臨し、後再びこの石に来現し一夜のうちに瓜が生え実ったという説があります。
交通アクセス:JR京都駅から
地下鉄東西線(烏丸御池駅乗換え) 東山駅下車 徒歩5分
阪急電車河原町駅から
|
徒歩15分。 知恩院前下車 徒歩5分
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