2005年08月23日

占領下の日本映画 長崎の鐘の謎

◆小倉・黒人米兵集団脱走・暴行事件

−経緯−
昭和25年7月11日深夜、国鉄・小倉駅から南へ4キロメートルにある米軍・城野(じょうの)補給基地から完全武装した黒人米兵が4〜5人ずつに分かれて基地の金網を乗り越えて200〜250人が集団脱走した。この黒人米兵は前日の10日、岐阜から移送されてきたばかりで近日中に朝鮮戦争(前月の6月25日に北朝鮮軍が38度線を越境し韓国側に進撃した)の最前線に送られることになっていたため黒人米兵は極度の緊張と不安、恐怖の中にあった。

折りしも、小倉市では「祇園祭り(7月12日〜13日)」の準備で街の中心から祇園太鼓の《ドンドコドンドコ》という太鼓の音が基地にまで聞こえてきた。このリズムが黒人米兵達に刺激を与えたのだろうか?基地から脱走し逮捕されれば軍法会議で極刑もあることを知りつつ集団脱走を敢行した。

−小倉市民は恐怖のどん底に−
集団脱走した黒人米兵は太鼓の音がする街中とは反対の方向へ逃走した。完全武装した黒人米兵は土足で民家になだれ込み略奪、傷害、夫・子供の前で婦女暴行の限りをつくした。一方、米軍基地では集団脱走が発覚するとMP(米軍警察)が現場に急行し翌12日の夕方までに全員を逮捕し基地へ連行した。この黒人米兵は14日に朝鮮の前線に移送され、その殆どが戦死したという。

これだけの大事件でありながら警察への届は僅かに70件で、新聞などのマスコミも記事としては大きく扱わなかった。当時のGHQが報道管制をしたことは想像がつく。




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◆帝銀事件 米国に保護された政府に保護されている資本家に雇われた新聞記者達によって担がれる御輿(当初平沢有罪を煽ったのは新聞)。その御輿の中にある事件と平沢という男、それをとりまく主役無き空虚な祭り。歴史を検証していくうえで、さらにその事に対し自分なりに思ったことを述べるのに映像を用いなければいけないという制約が付いた状況で、打破し、進み、完成しきった熊井啓の思いっきりの良さ。無条件降伏です。


◆日本の熱い日々 謀殺・下山事件

死後轢断→生活反応無し→東大発表 国労左派の仕業 政府見解 95000人の首切り成功
慶応→自殺
ghqの捜査 →進行方向と逆の地点に血痕反応 共産党の扇動 k
シベリア帰り 歓迎会は人民大会 筋金入りの革命戦士
ドッジラインによる経済合理化政策 国鉄大量首切り



戦後60年特別企画 太平洋戦争と日本映画◆第3部:「独立」への道

1949年(昭和24年)7月6日 下山事件発生 GHQの関与が囁かれる
政治的な思惑が絡んだ歴史的殺人事件の真相に迫った実録サスペンスドラマ。当時の朝日新聞記者・矢田喜美雄の「謀殺 下山事件」を原作に、熊井啓がメガホンをとった。アメリカの占領下にあった昭和24年。国鉄労働者の大量人員整理をめぐって、国鉄と労組が緊迫した局面を迎えていた7月、線路上で下山国鉄総裁の轢断死体が発見される。自殺説と他殺説に分かれる中、昭和日報の記者・矢代(仲代)は他殺の線で執拗な取材を始めるが・・・。

出演 仲代達矢/山本圭/浅茅陽子/岩崎加根子 監督 熊井啓 原作 矢田喜美雄
脚本 菊島隆三 製作年 1981年 上映時間 132分 カラー モノクロ










★犯罪者は誰か

監督:田中重雄 脚本:村上元三 出演:阪東妻三郎 平井岐代子 小松原重政
1945年 大映 76分 モノクロ

大映東京撮影所の戦後第一作目の作品。日本を戦争へ引きずり込んだ元凶として軍閥が厳しく糾弾され、一方、それに対抗した主人公が賞賛されるという、その頃の人々の思いを集約した作品。

植森 議員が徒歩で国会帰りに友人の軍人の車に便乗。
昭和16年11月の東条内閣成立に始まる。米ソの戦争。 しな事変は侵略戦争と米国帰りの若き科学者は友人の軍人と対立。軍人一家。腰抜けの政治家や外交官に何がわかる。造船所の視察。12月8日開戦。街の喜びの声に植森は暗い顔。労務管理がむちゃくちゃ。馬車馬の様に国民を戦争に駆り立てて、ナチスのように中世の暗黒時代にするつもり。次男は軍国少年。財閥の独占支配は甚だしく国民は唯長いものに巻かれている。陸軍大臣を検認する大臣は幕府的存在。反政府的暴論 言論封殺 皇国維新同盟 主張を変えねば唯では置かない サイパン陥落 このままでは日本は滅びる
ぐんと財閥が結託して国家の最高機関を壟断した 多々うべ駈らざる戦争 中江中将
憲兵に引っ張られる 自分の正しいと思う道を貫く 版妻が軍刀を持った憲兵におとなしく連行される 非国民の家の張り紙 アメリカから幾ら金を貰った 売国奴
法廷で調べろ 沖縄上陸 新聞記事で続々報道 東京空襲で妻死亡 アメリカの科学者は1人でも人の命を救うための科学兵器を作る努力をしているのに人殺しの兵器を作れと言うのですか 8月15日 自由主義者と軍国主義者 価値観の逆転
軍人の時代は終わった 植森代議士の揮毫額の復活 世界と国民の審判に正す
自殺は秘境です 御在所中はバンお気に召さないテンも多々おありだったでしょうが
何分職種故 国民は軍国主義の鎖から解放された。 今こそ新の犯罪者は誰かと追及する時が来た。















09月 14(水) 19:00 21(水) 13:00 30(金) 08:30









カラオケでたまに歌った曲に「長崎の鐘」がある。
歌っているときは藤山一郎の美声に負けじと辺りの迷惑を物ともせず大声を張り上げていた。
そのせいか歌詞の奥に潜む微妙な雰囲気をあまり気にしなかった。

「長崎の鐘」 作詞:サトウハチロー 作曲:古関裕而 唄:藤山一郎

1 こよなく晴れた 青空を
  悲しと思う せつなさよ
  うねりの波の 人の世に
  はかなく生きる 野の花よ
  なぐさめ はげまし 長崎の
  ああ 長崎の鐘が鳴る

しかし歌いながらもテレビの画面に映る歌詞を目で追いながら多少の違和感を感じていた。
この曲は昭和24年、我々が8歳の時のヒット曲である。
まだ戦後4年目、まだ戦後のドサクサと言った時代である。
曲の主人公の永井博士は長崎の原爆投下で奥さんを亡くし、自分も被爆で白血病と戦いながら数々のベストセラーを出した。
結局博士はその2年後に亡くなる。 つまりこの詩は原爆の凄惨な災害をモロニ受けた原爆被爆者を歌っている筈である。
しかしこの歌詞は何を言おうとしているのか。
念のため二番の歌詞を見てみよう。

2 召されて妻は 天国へ
  別れてひとり 旅立ちぬ
  かたみに残る ロザリオの
  鎖に白き わが涙
  なぐさめ はげまし 長崎の
  ああ 長崎の鐘が鳴る

3 つぶやく雨の ミサの音
  たたえる風の 神の歌
  耀く胸の 十字架に
  ほほえむ海の 雲の色
  なぐさめ はげまし 長崎の
  ああ 長崎の鐘が鳴る

やはり違和感は深まる。
これは賛美歌かキリスト教讃歌か。
歌詞を鼻歌で追いながら一つの疑問にぶち当たった。
この歌が作られた昭和24年だ。
この時代に私の疑問を解く鍵が密封されているのに気がついた。
念のため歌詞の4番に目を通した。

4 こころの罪を うちあけて
  更け行く夜の 月すみぬ
  貧しき家の 柱にも
  気高く白き マリア様
  なぐさめ はげまし 長崎の
  ああ 長崎の鐘が鳴る

これはまるで懺悔の歌ではないか。
やはりそうだったのか!
詩人サトウハチローの苦悩が手によるように判った。
(続く)



三年殺し 永井 長崎の鐘 原爆碑文 バカ女 自虐の自縛
曲学阿世
インテリのポーズ 犯罪者は誰だ 最近封印時代の映画を見ている。

設計者は丹下建三東大助教授で、1952年8月6日に完成しました。

慰霊碑は、はにわの家型につくられており、犠牲者の霊を雨露から守りたいという気持ちをあらわしています。

そこに安置してある石棺には、姓名の判明した被爆死没者約10万柱(1983年現在)の過去帳がおさめられています。

 石棺には 当時の浜井信三市長は、「この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」と述べましたが、碑文は、この考えをうけてつくられたといわれています。

  碑文の主語は誰なのか。誰が過ちを繰り返さないといっているのか。「繰返しませぬから」か「繰り返させませぬ」かといったことが主な論争点でした。

 また、1970年には、「碑文を正す会」が、「碑文は犠牲者の霊を冒漬している」として、碑文の抹消・改正を要求する運動をおこしました。これに対して、「誤った民族主義・軍国主義の復活をめざす『碑文改正』は許せない。核兵器使用の悲劇を二度と繰り返さぬという人類の願いと誓いが碑文にはこめられている」とする「碑文を守る会」などの運動がおこりました。





原爆慰霊碑傷つけた男逮捕 碑文にハンマー
2005年 7月27日 (水) 13:18


 26日夜、広島市中区の平和記念公園にある原爆慰霊碑が傷つけられた事件で、広島中央署は27日未明、器物損壊容疑で同署に自首してきた広島市安佐南区祇園7丁目、右翼団体構成員嶋津丈夫容疑者(27)を逮捕した。

同容疑者は容疑を認めており「碑文の『過ち』の文言が気に入らなかった。過ちを犯したのは日本の一般市民ではなく、原爆を投下した米国ではないか」「警察へはタクシーで来た」などと供述しているという。

広島市は、被爆60年の平和記念式典が行われる8月6日までに慰霊碑の応急処置をする方針。

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〔蛇足〕昭和24年(1949)のヒット曲。敬虔なカトリック教徒で医学者だった永井隆を詠った歌。永井隆は昭和19年(1944)、研究中に誤って大量の放射線を浴びたため白血病になり、さらに長崎で原爆を被爆しました。それにもめげず、昭和26年(1951)5月1日に亡くなるまでの間、子どもたちの生活費を稼ぐため、数多くの本を書き、そのほとんどがベストセラーになりました。彼についての詳しい説明は、当サイトの『昭和20年代雑学読本』にあります。

 2番のロザリオはポルトガル語で、ローマカトリック教徒が使う数珠のようなもの。




昭和24年前後の日本。サトウハチローが「長崎の鐘」の作詞に呻吟していた頃。
日本はマッカーサーの三年殺しの効き目で従順な子羊となっていた。

それより四年時を遡る。
昭和20年8月6日と8日。 長崎と広島に原爆が投下された。
続く8月15日に発表された『終戦の詔書』でも原爆投下を批判した。
 「敵は新たに残虐なる爆弾を使用して頻に無辜を殺傷し惨害の及ぶ所真に測るべからざる至る」
天皇は「アメリカは残虐非道な新型爆弾を投下、罪無き人々を殺傷した。その災害の及ぶ範囲は想像を絶する状況に至ってい」と敵の犯した「人道上の罪」を批判している。

原爆の惨状は当時のマスコミにも想定外だった。
しかし新聞は「悪霊の町広島」「進駐軍に向ける憎悪のまなざし」などと克明に報道していた。
マッカーサーの動きは素早かった。アメリカは昭和20年9月30日より日本独立までの7年間、マスコミの原爆報道は禁止した。
それまでの原爆被害と被災地の状況は一切、掲載される事がなくなった。

話を「長崎の鐘」の昭和24年に巻き戻そう。
永井博士だけがなぜ例外的にアメリカ占領軍の下で原爆被災者の代表のような立場で報道されたのか。
永井博士はカトリック信者であった。
長崎原爆についてもその著作では落とした側のアメリカに対する憎悪は全く記されていない。
この永井博士の、原爆を落とした側への批判は行わずに、すべてをあるがままに受け入れ、すべてを赦そうといった視点が、その後の★日本人の原爆観を決定付けた。

現実の被災者の中にはアメリカへの憎悪の念を燃やす人は少なからずいた。
ただアメリカ占領軍は数多くいる原爆被災者の中で永井博士の言説だけを特別に報道許可したというのは、そこに政治的な意図(三年殺し)が介在していた。

原爆投下を今でも正当だったと主張するアメリカにとって永井博士の言動は願っても無い宣伝媒体だったのだ。
永井博士は自著で次のような主旨を述べている。
「原爆が神の御心ならば、それが以下に辛いことであっても試練として、自分はそれをそのまま受けいれる」

マッカーサーの厳しい言論統制(三年殺し)と「原爆は神の御心には関係なく、人類が犯した最大の悪業である」と言う人間の本音の狭間で詩人サトウハチローは悩み苦しんだのか。
そしてあのような原爆被害に対する曖昧な歌詞を捻り出したのか。
ここにもマッカーサーの三年殺しの秘技を見る。
これはその後の日本人の原爆観に引き継がれる。
昭和27年日本独立の年に建立された広島の原爆碑文にその証が刻み込まれた。
碑文を書いたのは被爆者のひとり、雑賀忠義広島大学教授で「安らかに眠って下さい/過ちは繰返しませぬから」という碑文が刻み込まれている。
この碑文には過ちを犯した(原爆を投下した)主語が書かれていない。
1952年11月、極東軍事裁判の弁護人であったインドのパール博士はこの碑を訪れて、「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」と発言した。
このことがきっかけとなっていわゆる碑文諭争がおこった。

原爆投下についてのマッカーサーの三年殺しは「長崎の鐘」から「広島原爆碑」と受け継がれ平成の世になっても日本の内臓を破壊し続けている。
一昨日の「TVタックル」でのバカ女・田島洋子の意見に遺伝子を受け継いでいる。
(★9月7日投稿より添付―「同じ戦争の残酷さでもアメリカの原爆投下は上空高くから投下したので落とした敵の顔が見えないから残酷さを感じない(から許せる)」
「しかし日本が大陸で行った残虐行為は面と面を合わせながら撃ったり斬ったりしたので残酷で許せない!」

驚嘆すべきかな米国の占領政策!
恐るべきかなマッカーサーの三年殺し!
サトーハチローの詩心を惑わし
怒れる狼を従順な子羊に変えた

時を乗り越え
その秘技はヒロシマの原爆碑に深く刻印された
それよりなお深く子羊の心に刻み込まれた

彷徨えるマッカーサーの怨念は
平成のマスコミをも占拠した
平成のバカ女の口から
いずれの時にまで引き継がれていくのか
ア〜ア〜! 今も長崎の鐘は鳴る


偉大なるX
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監督:大庭秀雄
原案:岡田日出男
脚本:新堂兼人
出演:宇佐見淳 津島恵子 清水一郎 杉村春子
1948年
松竹
82分
モノクロ
売れない小説を書き続け、常にアパート内で笑いの的となっている九木文夫は、現在書いている小説「偉大なるX」という題名の理想の人間を書いているうちに、「美しい理想、明るい希望、それを胸に抱きしめた人間だけが健全な社会を作り上げていく」という主人公の理想を現実に生かすべく実行にうつそうと決意する。それには、まず同じアパートに住む人々を説き伏せようと努力するのだが・・・。

世界で唯一の平和国家を作ろう。非暴力。惰眠から覚めて愛と正義を貫こう。
ガリレオになってやりぬく。秩序と平穏の世界。講演会を求める。悪の無い刑務所の無い社会。誇大妄想今狂の片棒担ぎ

食料は内 住宅はない 現実を見よ 霧の中に住む






◆日本の熱い日々 謀殺・下山事件 にほんのあついひび ぼうさつ・しもやまじけん
人民大会 革命前夜 死後轢断 他殺

官公庁系100万人の首きり ドッジライン 朝鮮戦争に具える
32年の手紙 堀内一男 革命は近い キャンプスコット 総裁融解の手先 台湾行き 逃亡

戦後60年特別企画 太平洋戦争と日本映画◆第3部:「独立」への道

1949年(昭和24年)7月6日 下山事件発生 GHQの関与が囁かれる
政治的な思惑が絡んだ歴史的殺人事件の真相に迫った実録サスペンスドラマ。当時の朝日新聞記者・矢田喜美雄の「謀殺 下山事件」を原作に、熊井啓がメガホンをとった。アメリカの占領下にあった昭和24年。国鉄労働者の大量人員整理をめぐって、国鉄と労組が緊迫した局面を迎えていた7月、線路上で下山国鉄総裁の轢断死体が発見される。自殺説と他殺説に分かれる中、昭和日報の記者・矢代(仲代)は他殺の線で執拗な取材を始めるが・・・。

 


出演 仲代達矢/山本圭/浅茅陽子/岩崎加根子
監督 熊井啓
原作 矢田喜美雄
脚本 菊島隆三
製作年 1981年
上映時間 132分
カラー モノクロ
2005年09月05日(月) 10:30
2005年09月10日(土) 06:00
2005年09月15日(木) 17:30
2005年09月23日(金) 08:50


 

 




1948年(昭和23年)1月26日 帝銀事件発生 GHQの関与が囁かれる
アメリカ占領下の1948年1月。東京の帝国銀行椎名町支店で、白昼堂々行員12名を毒殺、18万円余を奪った凶悪事件として日本中を騒然とさせた“帝銀事件”。その犯人として、獄中で無実を叫び続けた死刑囚・平沢貞通(1987年に獄死)の姿を通し、真実とは何かを訴えた熊井啓の初監督作。GHQの関与も囁かれたこの事件を取材した新聞記者たちの目を通して、ドキュメンタリータッチで綴られる。犯人のモンタージュ写真と似ていたことから、テンペラ画家・平沢貞通(信)が逮捕されるが、首実検で彼を犯人と言い切る者は一人もいなかった。しかし、ただ1度の自供によって死刑が確定してしまう。
◆「進駐軍に捕まったら沖縄へ送られて強制労働だぜ」
「戦犯、戦犯というな アメリカの原爆は戦争犯罪ではないのか」
「はっきり者が言えるあなた方がうらやましい」水戸黄門が大佐。
傷痍軍人。ギター。アコーディオン。
逮捕された平沢を護送スル汽車の中。
刑事に汽車が「人権蹂躙だと叫ぶ」混雑した車内で床に寝かした事。刑事驚く。 


出演 信欽三/内藤武敏/井上昭文/笹森礼子
監督 熊井啓 脚本 熊井啓 製作年 1964年 上映時間 110分


 
◆書評】『抹殺された大東亜戦争』勝岡寛次著
巧妙に隠されたGHQ検閲

 戦中の新聞や雑誌が言論統制下にあったことはよく知られているが、戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が実施した検閲の実態はあまり知られていない。GHQの検閲指針によって、メディアは検閲を受けていること自体を報じることが禁じられ、言論弾圧は一般国民には分からないかたちで行われたからだ。明星大戦後教育史研究センターに勤務する著者は、巧妙に隠匿されたGHQの検閲によって、日本人が気付かないうちに忘れさせられた日本人の主張を丁寧に発掘している。

 この本の書名が表すように、特に「大東亜戦争」という用語は徹底的に抹殺され、タブーとなり、代わりに米国製の歴史観が込められた「太平洋戦争」という呼称を与えられた。戦後六十年がたった今も、日本政府が正式に閣議決定した大東亜戦争という用語を使う新聞や教科書があると、それだけで右翼とレッテルを張られるありさまだ。

 GHQの検閲対象は多岐にわたっており、極東国際軍事裁判(東京裁判)に対する一切の批判は封じられ、国民が裁判に対して感じたごく当たり前の違和感や不当意識はなかったことにされた。著者は、進歩的文化人の牙城とされる雑誌「世界」も、昭和二十一年には東京裁判を批判した評論を掲載しようとして、全文掲載禁止処分を受けていたことを発見している。

 また、直接戦争と関係なくとも、十六世紀以来の西洋による植民地支配への批判は「西洋冒涜(とく)」として掲載禁止に。オランダによるインドネシア搾取の記述は「連合国批判」として削除された。さらに、日本の封建制度に一定の評価を与えた文章は「国家主義的」として、アヘン戦争に関する研究論文は「英国批判」として削除されるなど、GHQが容赦なく日本独自の物の見方、歴史観を闇に葬ってきたことがよく分かる。

 現在、政財界の中枢を、このGHQの“洗脳”を最も強く受けた世代が占めている。謝罪外交がはやるはずである。(明成社・一九九九円)

 政治部 阿比留瑠比




◆戦争と平和 せんそうとへいわ


©東宝

戦後60年特別企画 太平洋戦争と日本映画◆第3部:「独立」への道

1945年(昭和20年)9月〜 戦地からの引き揚げ開始
夫・健一(伊豆)の戦死を知った町子(岸)は、夫の親友・康吉(池部)と再婚するが、突然の健一の帰還で二重結婚の悲劇に見舞われる。妻子を奪われた健一の絶望、二人の夫の間での町子の葛藤、健一と町子の仲を疑う康吉の苦悩・・・。強制疎開や食糧不足で苦しむ中、戦争で人生を狂わされた三人の男女を描いたヒューマンな反戦映画。

 

出演 池部良/伊豆肇/岸旗江/菅井一郎
監督 山本薩夫/亀井文夫
製作年 1947年
上映時間 101分

平成17年8月30日 11時より
中華民国の子どもたちにこんな想いをさせたのいは誰。
中国の歌を子どもたちに復唱させる授業。平和教育の原点。
地下道で餓死した人の手帳に陛下への「上申書」陛下へ日本の現状・惨状の責任を問うものでは有りません。忠良なる私はスト、闇を働く不逞の輩には組しません。
3人の不幸は何十万人の不幸。これをもたらしたのは極東裁判で裁かれた犯罪者。
教育映画の印象。 短調の音楽を背景に陰気な雰囲気。
戦後僅か二年目に製作された映画で背後に占領軍の監視の目を意識した映画。
戦争の被害を受けて「戦争に勝つまではお互いにひどい目に遭いますね」
戦争に行った息子が預金を残していった「これだけあれば5年は持つと言ったが高物価があがっちゃ半年も持たない」
中国街角の反日落書きや中国人の反日演説を字幕入りで延々と紹介。
東京裁判の新聞売りの

◆ 七つの顔の男だぜ
 片岡千恵蔵の演じた探偵・多羅尾伴内の名ゼリフ。
 「ある時は片目の運転手、ある時は謎の中国人、ある時は多羅尾伴内、ある時はパイプの画家、ある時は手品好きの粋な紳士、またある時はセムシ男、しかるにその実体は!? 愛と真実の人、藤村大造だ!」
 一部差別的表現が含まれておりますが、1960年当時のセリフそのままということでご勘弁を。しかし、"愛と真実の人"って自分で云うかね。

◆多羅尾伴内
七つの顔


1999/01/06 大井武蔵野館
チャンバラを禁じられた千恵蔵が生んだ不死身の名探偵。
昭和22年製作の記念すべき第1作。by K. Hattori


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 GHQによってチャンバラ映画を禁止された片岡千恵蔵が、剣をピストルに持ち替えて、名探偵・多羅尾伴内として活躍する人気シリーズの第1作目。映画の冒頭に「隣近所で力を合わせて祖国復興にはげみましょう」といった字幕が現れるところに、敗戦直後の時代色が出ている。苦肉の策として登場した多羅尾伴内は、その後、片岡千恵蔵の当たり役として、全部で11本の映画が作られている。怪我の功名、瓢箪から駒である。千恵蔵の変装は、同時期に作られていた名探偵・金田一耕助でもお馴染みだが、もともとこの人は戦前の『赤西蠣太』などでも極端なメイクによる変装を見せている。戦後の千恵蔵には『遠山の金さん』という人気シリーズもあし、彼は手のものが得意なのでしょう。

 劇場の火事騒ぎの中、ステージ上の歌手が何者かに誘拐され、身に着けていたダイヤのネックレスを奪われるという事件が発生する。ネックレスの貸し主から責任を追及され、困り切った歌手のもとに突然現れたのが、多羅尾伴内と名乗る私立探偵だった。彼は得意の変装を駆使してありとあらゆる秘密を暴き出し、宝石盗難事件の裏にある巨大な陰謀を白日のもとにさらすと、いずこともなく去って行く。荒唐無稽な話と言えばそれまでですが、内容は決して子供だましなものではない。意外にもきちんと作られていて驚きました。

 主人公の多羅尾伴内こと藤村大造は、かつて東京中を荒らし回った悪名高き怪盗です。そんな彼が前非を悔い、罪滅ぼしのためにこの世の悪と対決するという設定が、そもそも浮世離れしていておかしい。でもこの映画が作られた終戦直後には、戦前戦中の過去を捨てて、新生日本で新たにスタートするのだという時代の気分があったと思う。何もかもなくして、ゼロから新しい人生を歩み出そう。欲得だけにとらわれず、理想に向かって新しい日本を作って行こう。そんな気風があればこそ、多羅尾伴内というヒーローが日本中で受け入れられたのだと思う。たぶん、今の時代に同じ設定で物語を作っても、まったく相手にされないでしょう。

 この映画で多羅尾伴内に窮地から救われるのは、政治家だった父親の跡を継いで、知事に立候補しようとしている男です。(演じているのは、やはり戦前のチャンバラスターだった月形龍之介。)今の日本では、政治を志す男なんて、どこかウサン臭く見られるのがオチですが、この時代には、政治がもっと夢のある世界だった。政治家という職業が、男子一生の仕事だと尊敬されていた。だからこそ、多羅尾伴内が彼を助けることに、観客は拍手喝采できるのです。当時は日本国民全体が、政治の世界に理想と夢を見られる時代だったのです。

 オープニングが華麗なレビューで始まるなど、戦後風俗の明るい面を全面的に押し出した演出。製作者側は楽しい娯楽作品を作ろうとしていただけだと思うが、千恵蔵の脱チャンバラという点も含めて、日本の戦後が色濃く塗り込まれた映画だと思う。

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七つの顔 (1946)


メディア 映画
上映時間 81 分
製作国 日本
初公開年月 1946/12/31   全11作
ジャンル サスペンス




監督: 松田定次
企画: 松山英夫
原作: 比佐芳武
脚本: 比佐芳武
撮影: 石本秀雄
美術: 角井平吉
音楽: 西梧郎
 
出演: 片岡千恵蔵
月形龍之介
轟夕起子
喜多川千鶴
服部富子
原健作
月宮乙女
丸山英子




小学校時代に心踊らして観た映画の思い出を一席つきあってください。
この映画はシリーズもので最初に観たのは3、4年生の頃「国際劇場」か「平和館」のどちらかで見た。

場面は客の引けたキャバレーか遊技場。
悪の親玉と十数名の子分達が捕らわれの身の令嬢を脅す。
令嬢の悲鳴! 親玉が「殺(や)っちまえ!」と命ずる。
令嬢に迫る危機。
其処へフラフラと1人のお馴染みの人物が現れる。
八の字髭にロイドめがね。 ソフト帽子にくたびれた背広で悪漢の前に立つ。
今までの騒音は一瞬沈みかえり、一同は動きを止めてこの男を凝視する。

沈黙を破って親玉が怒鳴る。
「お前は誰だ!」

待ってました! ここでお馴染みの極め台詞!
「七つの顔の男だぜ。」

勿論演ずるは時代劇のヒーロー(だった筈)の片岡千恵蔵。
悪の親玉はこれも時代劇の悪役進藤英太郎。
子どもの頃よく見た「七つの顔の男 多羅尾判内シリーズ」の名場面である。

蛇足ながらこの後、七つの顔の男は拳銃を各自持っている悪漢の群れを前にして延々と自己紹介を始める。
「ある時は片目の運転手、ある時は謎の中国人、ある時は多羅尾伴内、ある時はパイプの画家、またある時はセムシ男、しかるにその実体は!? 正義と真実の人、藤村大造だ!」
変装の達人と言う設定らしいが如何みても知恵蔵がバレナレというのに当時の狼魔人は何の疑念も持たず手に汗を握った。
自己紹介がやっと終わると、今度は事件の謎解きを解説する。
何故かその間悪漢の群れは手に拳銃を持ったまま凍りついたように動かない。

長い解説が終わった頃合を見計らって進藤親分が又しても怒鳴る。
「殺(や)っちまえ!」
それから拳銃の乱射戦で入り乱れる。 ・・・が何故か悪漢の弾は一発も当たらない。 窓ガラスは派手な音を出して割れるが。
ところが千恵蔵の拳銃は確実に敵を倒していく。
大方勝負がついた頃パトカーのサイレンが鳴り、警官隊が現場に雪崩込み残党を取り押さえる。
救出された令嬢が我に返って警部(何故かいつも間抜け)に尋ねる。
「あの方は?」
一同が辺りを見回すと既に「あの方」の姿はない。
警官の1人がわざとらしく叫ぶ。
「警部! ここにこんな手紙が!」 さすがに手紙の内容までは憶えていない。
七つの顔の男は一枚の置手紙を残して何処(いずこ)へともなく去っていく。
去りゆく男の背中に「完」の文字。

この映画は全部で11シリーズあって第一作は終戦の翌年の1946年に作られている。
私が始めて見たこのシリーズは第三作目の「三十三の足跡」というタイトルだった。
生昨年は

マッカ―サーはフィリピンで日本軍に敗れ[I shall return]という捨て台詞を残してオーストラリアに敗走した。
その屈辱を晴らす為日本に乗り込んだと前に書いた。
マッカーサーが最も恐れたのは日本の武士道だった。
武士道の象徴ともいえる日本刀を振り回す時代劇映画も「焚書」の対象になった。

マッカーサーによってチャンバラ映画を禁止された片岡千恵蔵が、刀を拳銃に持ち替えて、名探偵・多羅尾伴内として活躍する人気シリーズが「七つの顔シリーズ」だった。
苦肉の策として登場した多羅尾伴内は、その後、片岡千恵蔵の当たり役として、全部で11本の映画が作られている。
日本占領が1952年に終わった時点で4作目だったが、このシリーズの思わぬ人気に以後も作られ11作まで続いた。
怪我の功名、瓢箪から駒である。
さすがに11作目の作られた1960年には戦後15年も経過しており千恵蔵の黒いソフトに拳銃姿はバカバカしくなったのか人気も消えた。

とにかく「七つの顔シリーズ」は千恵蔵の脱チャンバラという点も含めて、マッカーサーの「焚書」、そして日本の戦後が色濃く塗り込まれた映画だと思う。

余談だが以前に青春談義を巻き起こしたウルマンの「青春の詩」はマッカーサーの愛唱の詩であり戦時中常にこの詩を携帯していたという。
彼は一度退役してその後軍人として高齢で戦線に復帰した経緯を見ると





taezaki160925 at 11:27│Comments(0)TrackBack(0)

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