前回の続きです。

前回は霊仙落合の奥、
榑ヶ畑(米原市)〜落合(多賀町)間にある山深き古道の
2つの峠の現況を報告しました。

ここでは
その2つの峠、
そして「柾板(マサイタ)峠」という名称について
確認していこうと思います。

A7R03849
↑「霊仙落合」

霊仙落合から古道を北へ向かい
最初の峠(標高約467m)を仮に峠A、
そこからさらに5分ほど北へ行くとある二つめの峠を
峠B(
標高約478m)としましょう。 

柾板峠の地形図(名称入り)
 ※国土地理院電子国土WEBからのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示されます 
 
前回にも書きましたが
『鈴鹿の山と旅1(西尾寿一/ナカニシヤ出版)』では
市町村の境界である北側の峠Bが
柾板峠と記されています。
 
A7R04598柾板峠40
↑ 峠A

そして、同書を参考にされたのでしょうか、
この春に訪れた峠Bには
下の写真のように「柾板峠」という表示板が
木にくくりつけられていました。

峠B-1
↑ 峠B

その「柾板」という名称ですが
『鈴鹿の山と旅1』では

『近畿の山と谷(住友山岳会/朋文社:昭和11年)』
において
「柾板峠」(本文中)、「柾坂峠」(概念図内)
という名が使われている


ということが書かれています。

また同じく同書内で

『山と渓谷(山と渓谷社:昭和31年12月号)』内の
水田健之輔氏の文中では
「榎坂峠」
という名が使われている

ともあります。
(いずれも要約)


どちらも
峠Bの名称として記されていたようです。

これによると
「柾板峠」「柾坂峠」「榎坂峠」
の3つの名が
それらの書籍では記されていたことになりますね。

kodou-2
↑ 榑ヶ畑から峠Bへの古道

その中でも、西尾氏は
現地に「マサイタ」という字名があることから
「柾坂」ではなく「柾板」が正式名称だろうと
述べられています。

さらに
3つめの「榎坂」という名は
その由来やその後については明らかではなく
謎に包まれたままであるとし、
間違いであろうということが示唆されています。

結果、同書においては
「柾板峠」が峠名として使用されています。


この3つの峠名は
その漢字がとても似ています。
つまり
出版に至るまでに
誤字、誤植が起きていた可能性も少なくなく、
それゆえ
周辺の小字名「マサイタ」と関連づけられる
「柾板峠」が
正しい名称と判断されたのもごく自然なことです。

また
より高所にあり、境界線上でもある峠Bの名称とされたのも
特に違和感はありませんでした。

A7R04568ヤンタワ峠10
↑ 峠B

ところが
ここで一つ疑問が・・・


『多賀町史別巻(平成7年発行)』の
各地域の小字を記した地図では、
標高555m地点から峠Bあたりまでを
小字「柳田」
 
そして 
「柾板峠」であるはずの峠Bが
「柳田峠」
と記されているのです。

さらに
そこより少し南(下)、谷が2つに分かれるあたりに
「マサイタ」の小字名が見られるものの
「柾板峠」の名は無く
峠Aあたりは「峠の下」と記されているのです。

整理すると
峠B  →「柾板峠」、「柳田峠」
峠A  → 峠名なし、「峠の下」
となります。

「いったいどうなっているの??」

これが
2つの峠について感じていた疑問の詳細です。





小字名が詳細に書き記された『多賀町史別巻』の地図は
現地の人々からの聞き取り調査で
念入りに作られたものと思われます。

そこで
モヤモヤしながらではありますが
この小字地図を元にして

峠B を「柳田峠」

masaitayantawa-14
↑ 峠B

峠A を「マサイタ峠」と、峠名を推測してみました。
いずれも小字の位置を根拠にしたものです。

masaita-12
↑ 峠A

それをふまえ
昨年、「霊仙落合地区での聞き取り調査」の際に
「柳田(やなぎだ)峠って聞いたことありますか?」
と地元の方に質問してみたのです。


ところが
「マサイタ」という名称はすぐに出てきましたが
柳田峠については
「いやー、聞いたことないなー」
というお返事。

やっぱり、わからなくなってしまいました。

やはり峠Bが「柾板峠」で、
峠Aは特に名称がなく
町史の小字地図の「柳田峠」は間違いであるのかも・・
もしくは
同じ峠でも落合と榑ヶ畑とでは呼び名が違い、
それぞれで「柾板峠」「柳田峠」と呼ばれていたのでは?

などと、思ったりもしました。







ところが、思わぬところで
この疑問が解決することになったのです。

ochiai-2
↑「霊仙落合」

この春、もう一度「落合」から峠まで歩いてみようと
訪れたところ
集会所前あたりで掃除をされている
お2人の地元の方の姿が見えました。
お母さんと息子さんとみられるその方々は
集会所や神社の掃除に来られていたようです。
男性の方は聞き取り調査でもお話をうかがった方です。

そこで、ご挨拶にうかがい
ついでに再び「柾板峠」と「柳田峠」のことを
尋ねてみたのです。

A7R03877
↑「霊仙落合」の落合神社

でもやはり、調査の時と同じで
「柾板峠」についてはすぐに出てきたのですが
「柳田(やなぎだ)峠」については出てきません。

それではと、2つの峠部のことをお話しし
「どちらが柾板峠?」とうかがっている中で
息子さんがお母さんに
「どっちがマサイタやった?奥やったかな?」
するとお母さんが

「奥はヤンタワやで」

kodou-1
↑ 峠B

「ヤンタワ・・・・

え!! ヤンタワ?!」

と思わず大きく聞き返してしまいました。

「どんな漢字を書くんでしょうか?」
と質問すると
「漢字は知らんなー。わしらはヤンタワって呼びよるけどな」

それこそ「柳田」のことでは??





ということで
帰宅後に『角川日本地名大辞典』を早速調べると
多賀町の項ではなく、
榑ヶ畑の小字の項に
「柳(ヤナギ)タハ」の名がありました。

これでスッキリしました。
「柳田」=「ヤナギタハ」=「ヤンタワ」
これは、ほぼ間違いないのではないでしょうか?

ちなみに「タワ」とは
「山のくぼんで低くなっている部分」「鞍部」「峠」
などの意味があります。



つまり、書籍等で

これまで柾板峠とされていた峠部は
実は「ヤンタワ(柳タハ)峠」標高約478mで、
それのすぐ南の峠が
「マサイタ(柾板)峠」(
標高約467m)

だったのです。


これが
小字の位置や現地の人のことばから推測される
2つの峠名の、ここでの結論です。

柾板峠、ヤンタワ峠1280
 ※国土地理院電子国土WEBからのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示されます 

この時の地元のお二人とのやりとりでは
「ヤンタワ」「マサイタ」という名で
いずれも呼ばれていましたが、
「ヤンタワ峠」「マサイタ峠」という呼び方は
出てきませんでした。
おそらく、それぞれの峠部のことを
地元ではずっとそのように言われていたのでしょう。

それを聞いた者が
地図上の峠の名称としてあてはめたものの、
二つの峠を十分に確認することなく
文字として書き記され、世に出ることになった。

さらに、それを参照にして
『鈴鹿の山と旅1』では、峠Bが柾板峠と記された。
そのような流れだったのでは?と感じます。

kodou-3
↑ 榑ヶ畑から峠Bへの古道

古い地図や書籍などでは
けっこう誤った記述が見られることがあります。
今の時代と違って
ボイスレコーダーやデジカメなど便利な道具や
十分な資料など無い時代、
現地の聞き取りや記憶をたどりながらでは
聞き違いや誤植などは普通に起こり得ること。

特に今回のように
地図に載ることもないような名もなき峠道であれば
なおさらでしょう。





ここでの結論が正しいのかどうか
それは言い切ることはできませんが、

「柳田(ヤンタワ)」と「柾板(マサイタ)」

A7R04587ヤンタワ峠29
↑ヤンタワ峠
A7R04597柾板峠39
↑柾板峠

この二つが
多賀、彦根、米原の交わるあたりに存在した
深い山中の古道の連なる峠部として
地元の人々に呼ばれ続けてきたのは間違いありません。
そしてそれぞれの位置を
正しく伝えて残していくことは
とても重要なことと感じた次第です。



近藤