以前の記事
道・最奥の集落「落合」と「榑ヶ畑」「男鬼」「武奈」
で、

鈴鹿山脈最北部の霊仙山、
その麓あたりの山中深くの
「霊仙落合」集落(多賀町霊仙)周辺の古道について
ご紹介しました。
 
kodou-4

その中身は

「榑ヶ畑」(米原市)と
「男鬼(おおり)」「武奈」「明幸」(彦根市)、
そして多賀町霊仙地区の
「落合」「今畑」「入谷」の村々は
山間部の同じ生活圏にあり、
「榑ヶ畑」から町部に出るには
南尾根越えで落合方面へ行き、
そこから
「男鬼」経由で鳥居本へと至るルートの
山道(彦根道)を使っていた

という内容でした。

kuregahata2011-3

現在、榑ヶ畑からは
上丹生を経て醒ヶ井に出るルートが
主要道となっています。
でも
かつては、その道はなく、
街に出るためには更に山奥の多賀方面へと向かい
そこから彦根の山間部を経て
鳥居本へと出ていたのです。

下の地図の赤色の破線が、その道です。

地図
※国土地理院電子国土WEBからのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示されます 

その時の
落合方面へと向かう尾根を越える峠を、
詳細な場所を濁しながらではありますが

「柾板峠(マサイタトウゲ)」

そのように、地図内では表示してあります。

今回は
その柾板峠に関するお話です。





じつは、この峠について
以前から疑問に思っていることがありました。
実際に歩いてみるとわかるのですが、
峠と思われるような所が2箇所あるのです。

落合から峠部までを示した(黒の破線)、下の地図をご覧ください。

柾板峠の地形図
 ※国土地理院電子国土WEBからのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示されます 

落合から登っていくと
標高467mあたりに一つ目の峠部(峠A)があり
そこから5分ほど、さらに北へ行くと
標高478mあたりに二つめの峠部(峠B)があるのです。 
そしてこの峠Bが
多賀町と米原市の境界にもなっています。 

いったいどちらが柾板峠?
それじゃあ、もう一つの峠の名称は?

ということで今回は
この疑問を探ってみました。
 

ちなみに
柾板峠について書かれている書籍はほとんどなく、
知る限りでは
ディープな鈴鹿登山者のバイブルともいえる
『鈴鹿の山と旅1(著:西尾寿一/ナカニシヤ出版)』に
少し書かれている程度です。

その柾板峠について書かれている部分を抜粋してみました。

「峠として完成された形を持っていて雰囲気のあるところもよい。
峠の頂上部は2ヶ所あって、
その一は汗ふき峠と五五五メートル独標間の
尾根を越えるもの、
その二は五五五独標から東へ向き
さらに南へ落ちる尾根を越えるものである。
いずれの頂部もよいが前者の明るさはすばらしい。
後者は本当に峠らしい形で県立彦根中学校の道標が建っている。」
(以上抜粋)


ここでいう「その一」は、地図上の峠B
「その二」が峠Aです。
やはり文中でも峠部が二ヶ所あることが
ふれられています。

そして本書内の略図では
峠B、つまり北側の峠が柾板峠と記されていました。

なお峠へ向かうこの古道
(最初の地図では落合から北へ延びるオレンジ色の破線)
ですが、
「落合」に人が住んでいた頃は
地元の人たちが山仕事でこの道を使っていたそうです。
ですから
彦根道としての役割を終えた後も
山を生業とする人たちの現役の道として
存在していたことになります。





では今回は、まず
霊仙落合からの道の実際の様子をご紹介します。
 
masaitayantawa-17

「落合」からの起点は
集落の東端の霊仙神社登り口を越えた所、
そこから峠に向かってのびる谷筋を
北へと登っていきます。

masaitayantawa-16

谷には杉が植林されており
常に薄暗い状態。
それだけに、木々の合間から差し込む光が
なんとも心強く感じます。

masaita-17

峠部の標高と「落合」との標高差は
140m程しかありません。
とはいえ今ではほとんど人が通らない道、
踏み跡もほとんどなく
落ちた杉の枝やゴロゴロした岩が多いので
歩きにくいです。
地図で位置を確認しながら進みます。

masaita-18

集落からしばらくは
随所に石垣などが見られます。
人々の生活の痕跡ですね。

masaita-19

masaita-3

それは
谷筋の水路であったり
畑の跡らしきものであったり
土砂の流出を防ぐものであったり、
いつの時代かに
「落合」の人々によって作られたものであることは
間違い無いでしょう。

途中、炭焼き窯の跡も見られました。
周辺を見てみると
今でも炭が・・

masaita-16

杉林の谷の底を流れる水路は
ほとんど水がなく枯れていますが、
水が溜まっている所も、わずかですが
ありました。

また途中の水溜りには、たくさんの卵!
ガマガエルですね。

masaita-14

masaitayantawa-15

大雨の際にはこの谷全体に
多量の雨水が押し寄せるのでしょう。
その痕跡というか、
根こそぎ倒れている杉の木の姿も・・

masaita-15

それにしても杉の根は本当に浅い!
大雨の時に多くの水や土砂が流出するのも納得です。


15分ほど歩くと谷は二つに分かれ、
峠へ行くには右の谷を登っていきます。
すると急に勾配がきつくなり
視界に入る空の面積が広くなってきます。

masaitayantawa-1

1つめの峠Aが近づいてきたのです。

masaita-6

このあたりでは広葉樹が増え、
これまでと雰囲気が少し変わってきます。
生活道として現役の頃は
きっと、広葉樹が中心の明るい峠道だったのでしょう。

masaitayantawa-3

そして最後の勾配を登りきると
峠部(峠A)に到着!

masaita-12

しかし峠には何の表示も無く、
また峠によく見られる
石仏や地蔵さんなどの姿もありません。
先出の『鈴鹿の山と旅1』に書かれている
彦根中学校の道標も見当たりません。
この道が
今ではほとんど使われなくなっている、
そのことを実感します。

ただ峠部に生える木の根元あたりに
やや不自然とも思える形の石が倒れていました。

それを起こしてみると
何の違和感もなく峠の石仏に見えてくるような??
でも
その石が何か意味のあるものだったかどうかは
わかりません。

masaita-13

さらに、峠のすぐ横に
大きく掘られた(えぐられた)ような跡が残っていました。

炭焼き窯の跡??などと思いましたが
それらしい石積みなどは見つけられませんでした。

masaitayantawa-6

もしかすると
この道が生活道として頻繁に使われていた頃には
旅の安全を願う小さな祠のようなものでも
あったのでしょうか。
ちょうどそれくらいの規模のくぼみでしたが
今となっては、それもわかりません。

masaita-19-2

峠を少し東側に行くとひらけた景色が広がり
霊仙山が見えます。
残念ながら木々が遮るため
スカッと見える!
ということはないのですが、
望遠レンズで覗くと
尾根を歩く登山客の姿も見ることができました。

masaita-9

この日は天候も良く、
登山客が様々なルートで山頂を目指したことでしょう。

また、小さな可愛らしい紫の花の姿も!
スミレの仲間でしょうか。

masaitayantawa-9

聞こえてくるのは小鳥のさえずりだけ、
そして非常に爽やかな空気と時折通り抜ける風に
心癒されるスポットといった雰囲気の
峠Aの様子でした。


少し休憩の後、
峠Bを目指して出発します。

masaitayantawa-11

そう起伏の無い山道を進むと
5分程で峠Bに到着します。

masaitayantawa-14

雰囲気でいうと
先の峠Aの方が峠らしい感じがしましたが
現役で使われていた頃は、今のような杉の植林もなく
もっと明るい峠の風景だったはずです。

masaitayantawa-12

ふと見ると
「柾板峠」と書かれた板が吊るされています。
おそらく古道歩きの方がつけたのでしょう。
以前に訪れた時には
このような標示はなかったので
最近になってつけられたものと思われます。

簡単ですが、以上が
「落合」集落から峠A、そして峠Bまでの
現在の古道の様子でした。





おおまかに時間など紹介しておくと
ゆっくり寄り道したり写真を撮りながら歩いて
落合〜峠Aまでが30分ちょっと
峠A〜峠Bまでが5分ほどでした。

距離は落合〜峠Bまでが約900mほどでしょうか。

いずれにしても
健脚の方であれば30分もかからず
2つめの峠Bまで行けてしまうと思います。
でも、せっかくの古道歩き、
かつての人々の痕跡など探しながら
ゆっくりと歩いてみるのもいいかもしれませんね。


それでは、いよいよ
2つの峠の名称と
柾板峠についてなのですが、
長くなってしまったので
次回にそのことを書こうと思います。



近藤