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相撲部屋の未来

満員御礼が続く大相撲。チケットが入手困難
で寝込む方、立ち直れない方まで出るほどで
ある。過熱を通り越した異常事態である。
人気は最高だが、そうはいかない面がある。
新弟子である。七月場所は新弟子がゼロだっ
たのである。関取になれる確率が低いからか、
他のスポーツのほうが魅力的なのか、ある
いは少子化か。
180520八日目十両幕下以下 162
<五月場所新序出世披露>

時津風(元双葉山)理事長が幕内・十両の
削減を断行したのは、昭和42年五月場所で
あった。時津風理事長は力士数500人を理想と
していた。そのための少数精鋭と経費削減で
あった。七月場所の番付では力士数は683人
である。そのうち6人が引退した。時津風
理事長の理想500人よりは多い。

相撲部屋は47ある。部屋が活気づくには最低
でも20人の弟子がほしいところである。しか
し、その条件を満たす部屋は10にも満たない
のである。精鋭500人にすると相撲部屋は
淘汰していかない限り成り立たなくなる。
なお、関取がいない部屋は19ほどある。

弟子も数だけではどうしようもない。十両に
上がれる見込みがない者をいつまでも部屋に
とどめておくことが、いいとはいえない。
年齢も幕下以下で30歳以上になると、就職が
難しくなる。勝負の世界は当然のことながら
全員の幸福はないのである。
180530栃ノ心大関昇進 140
<騎馬にのる栃ノ心!春日野部屋の前で>

それにしても、新弟子減少はけして好ましい
ことではない。外国人と学生出身だけの大相
撲であってはならない。大相撲100年の大系を
考えるとゆゆしき事態であることは間違い
ない。

古い専門誌を読んでいます。
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関脇以下の優勝力士キラー8

平成初期その後から平成12年までの優勝力士
キラーをみていこう。ただし、横綱・大関と
対戦のない平幕優勝力士及び横綱・大関と
部分対戦の平幕優勝力士に勝った力士は、
対象外とさせていただいた。
平成4-6A
平成7-9A
平成10-12A
この時期は貴花田、曙、若花田が優勝し始め、
大関・横綱へとかけあがっていった。遅れて
武蔵丸が台頭し、大関・横綱へ昇進していっ
た。関脇以下の優勝力士キラーとして貴花田
は3度、曙・若花田・武蔵丸は2度に留まっ
ている。

関脇以下の優勝力士キラーとしてとてつも
ない記録をつくったのが、安芸ノ島(安芸乃
島)である。安芸乃島といえば、金星16個、
三賞19回受賞、ともに史上1位の記録保持者
である。それに加えて関脇以下で優勝力士を
倒すこと10度の記録を成し遂げた。
安芸
<安芸乃島>

千代の冨士、北勝海、霧島、旭冨士、小錦、
曙2度、千代大海、武蔵丸2度と多岐に渡っ
て倒している。そのうち6度三賞を受賞して
いる。平成元年七月場所から平成11年十一月
場所にかけて長期に渡って記録した。

平成7年一月場所から平成11年七月場所まで、
短期間に安芸乃島を追いかけた力士がいた。
魁皇である。関脇以下の優勝力士キラーと
して8度を記録した。貴乃花4度、若乃花
2度、武蔵丸、出島を倒している。三賞は
そのうち4度受賞している。魁皇は平成12年
九月場所に大関に昇進し、これ以上記録を
更新することはなくなった。
魁皇
<魁皇>

暑さがやわらいできてほっとしています。
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 知られざる十両優勝

七月場所千秋楽、十両で貴ノ岩対隆の勝の
優勝決定戦がおこなわれた。貴ノ岩が勝利し、
平成25年一月場所以来2回目の十両優勝と
なった。5年半ぶりの十両優勝であった。
優勝賞金200万円とともに貴ノ岩は来場所の
再入幕を決定した。
180722千秋楽十両 1041
<貴ノ岩と隆の勝の十両優勝決定戦>

協会が幕内力士の最高成績者を表彰したのは、
大正15年からであった。優勝第1号は常ノ花
であった。協会が十両最高成績力士を最初に
表彰したのはいつからか。実ははっきりしな
い。そもそも十両は昭和2年まで対戦数が
力士によってまちまちであった。6番しか
取らない力士がいたかと思えば8番取った
力士がいるという具合であった。また、幕内
は東西制だが、十両はそうではなかった。
ここでは便宜上昭和3年以降の十両最高成績
力士をみていこう。

昭和3年春場所以降平成30年七月場所まで
448場所経過した。優勝の分類は以下である。
全勝…10
1敗…40
1敗1分…1
2敗…96
3敗…144
4敗…119
5敗…37
6敗…1

15戦全勝は栃光、内田(後の豊山)、北の
富士、把瑠都、元小結ながら栃ノ心の5人で
ある。実力が僅差のなかで15戦全勝は驚異で
ある。

最多十両優勝は益荒雄の5回である。再十両
でⅠ回、2度目の十両陥落で1回、
4度目の十両陥落でⅠ回、5度目の十両陥落
で2回優勝している。まとめると以下である。
昭和60年七月場所
昭和61年三月場所
昭和63年十一月場所
平成2年一月・三月場所
最初の十両優勝から最後の十両優勝まで5年
近くかかっている。これに続くのが朝登、
播竜山、大錦、鳳凰、小城乃花、若の里の
4回である。
若花田
<若花田>

横綱で十両優勝を経験しているのは、以下である。
武蔵山
前田山
羽黒山
照國
東冨士
千代ノ山
米川(後の朝潮)
富樫(後の柏戸)
大鵬
花田(後の栃ノ海)
琴櫻
北の冨士
輪島
隆ノ里
保志(後の北勝海)
北尾(後の双羽黒)
若花田(後の3代目若乃花)
武蔵丸
白鵬
安馬(後の日馬富士)
ここには意外にも双葉山、栃錦、初代若乃花、
玉乃島(後の玉の海)、北の湖、千代の富士、
貴乃花、朝青龍という名は出てこない。
若秩父
<若秩父のブロマイド>

語り草となっている十両優勝決定戦がある。
昭和33年五月場所7人の若手若秩父、富樫
(後の柏戸)、北葉山、明歩谷(後の明武谷)、
若三杉(後の大豪)、冨士錦、玉響とそう
そうたるメンバーによる十両優勝決定戦で
ある。若三杉と玉響は新十両であった。これ
ほど豪華な十両優勝決定戦は2度とおこなわ
れないかもしれない。


歯医者にいくことになりそうです。
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体重からみた旧両国国技館の英雄

現在は160キロ以上の重量級全盛の時代で
ある。小兵というと116キロの石浦、115キロ
の照強があげられる。それではひと昔前は
どうだったのか。旧両国国技館時代をみて
いこう。旧両国国技館は明治42年夏場所より、
戦後まもない一時期まで使用された。途中
何度か火災にあって、ほかの会場を使用して
いる。その時代4人の英雄を生み出している。
相撲は体重がすべてではないが、大きな要素
であることは間違いない。旧両国国技館の
英雄を体重の視点からとらえてみた。
常陸山谷右衛門
<常陸山のブロマイド>

幕内の平均体重は明治中期が97キロから98
キロ。明治後期から大正が100キロ前後で
ある。明治の角聖常陸山は相手に十分取らせ
てから料理した。常陸山は呼び込むように
して泉川にためこむ型があった。常陸山の
ような相撲こそ横綱相撲ととらえられたが、
誰にでもできることではない。常陸山ができ
たのは周りが100キロ前後の力士に対して、
常陸山が地力とともに体重が145キロあった
ことが大きかった。
大刀山・
<太刀山のブロマイド>

太刀山といえば45日の鉄砲で知られる強豪で
ある。45日は1月半=ひと突き半のシャレ
からきている。出足鋭く、太刀山の猛突っ
張りが出ると、対戦相手はまわしにふれる
こともできずに吹っ飛ばされた。四つに組ん
でも呼び戻しで相手を裏返しにした。その
太刀山は140キロと100キロ前後のまわりより
ひときわ大きかった。これが太刀山の強さに
影響したことは十分考えられる。なお、太刀
山は43連勝して1敗した後56連勝したとされ
る。だが、56連勝中に3度全休がある。
栃木山
<栃木山のブロマイド>

栃木山の出足鋭いはず押しは、すり足がレー
ルの跡のようについたといわれる。栃木山は
理詰めの相撲と考える相撲をとことん突き
詰め、実践した力士であった。栃木山は歴代
横綱のなかでは105キロと小さい部類に入る。
しかし、現役時代は周りが100キロ前後だから
特に小兵というわけではなかった。自身でも
「わしが相撲を取っていたころは、相手が
小さかったからな」と語っている。余力を
残し、3連覇のあと引退している。その7年
後の日本選手権では現役の天竜、玉錦を退け
年寄春日野として優勝したのは、語り草に
なっている。
双葉山定次
<双葉山のブロマイド>

双葉山といえば2枚腰、後の先、69連勝、
年2場所制で最高の12回優勝、「信念の歯車
がくるった」の言葉など多くの特徴・功績
などに彩られている。相手が立てばいつでも
立つ立ち合いは驚異としかいいようがない。
昭和は戦前で幕内の平均体重は104キロ、戦時
中になって112キロに増加していた。双葉山は
横綱になって、120キロから130キロと体重を
増やしている。130キロとなるとかなり重い
クラスにはいる。双葉山は体重増加が強さの
要因の1つであった。

現代の大相撲は、体重に関して今後どういう
方向にいくのだろうか。今のままだとケガは
深刻となり、毎場所休場者が続出することは
避けられそうにない。

暑いときは大相撲のデータ集計が取りずらい
です。
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問われる!稀勢の里8場所連続休場後の成績

横綱という地位をひとくくりにはできない。
ピンとキリには随分差がある。横綱中の横綱、
大横綱といういい方はあるが、別に定義が
あるわけではない。しかし、時代を築いた
横綱となるとイメージは固まってくる。その
対極にあるのが弱小横綱である。横綱として
は弱すぎる横綱である。その分類に入って
くるのが稀勢の里である。
170218稀勢牛久パレード 006
<牛久にある稀勢の里の手形の石碑>

同じ年6場所で弱かった横綱というと栃ノ海
が、あげられる。拝むように前褌を取っての
寄り。切れ味があった上手出し投げ。うまさ
は栃錦以上といわれた。栃ノ海は腰、腕の
けがで急激に力が出なくなった。栃ノ海は
横綱として優勝もしているが、昭和39年九月
場所から不成績に陥った。栃ノ海の横綱と
しての不成績が以下である。
9勝6敗
途中休場
3場所連続8勝7敗
途中休場
10勝5敗
途中休場
全休
10勝5敗
途中休場
2場所全休
場所中に引退
栃ノ海
<栃ノ海>

栃ノ海は28歳という若さで引退した。14場所
不成績ではあるが、それでも皆勤が6場所
ある。連続休場は3場所である。

千代ノ山が横綱返上問題をおこしたのは、
昭和28年春場所であった。2日目から4連敗
し、6日目から休場した。千代ノ山のふがい
ない相撲にヤジがとんでいた。なにより本人
のショックが大きかった。千代ノ山の不成績
は以下である。
4勝4敗7休
1勝5敗9休
当時は年4場所制であるが、2場所だけの
ことであった。
千代no
<千代ノ山のブロマイド>

これをみると稀勢の里の8場所連続休場が
いかに異例なことかがわかる。それを何も
いわない横綱審議委員会は普通ではない。
甘えの構造だけが浮き彫りになっているのが
現状である。貴乃花が7場所連続休場といっ
ても栄光に彩られたあとのことだった。しか
も貴乃花は7場所連続休場後で12勝3敗の
成績をあげている。

稀勢の里は現在夏の巡業中である。一昔前は
涼しい東北・北海道巡業だったが、最近は
暑い地域でけっこうおこなっている。昨年、
複数の東京巡業では力士は暑さに参っていた。
稀勢の里8場所連続休場の向こう側に何が
あるのか。答は九月場所に出される。

相変わらずネットは高いチケットが掲載
されています。
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関脇以下の優勝力士キラー7

昭和最後から平成初期の優勝力士キラーを
みていこう。ただし、横綱・大関と対戦の
ない平幕優勝力士及び横綱・大関と部分対戦
の平幕優勝力士に勝った力士は、対象外と
させていただいた。この時期は千代の富士の
優勝街道を邁進中であり、弟弟子の北勝海が
台頭し、横綱に昇進していた。
昭和60A
平成初期A
昭和57年七月場所、朝汐が6度目の関脇以下
の優勝力士キラーとなった。この数字は新記
録となった。朝汐は横綱北の湖から3度、
横綱千代の富士から2度、関脇琴風から1度
勝利している。北の湖には特に強く、不戦勝
を含め13勝7敗の対戦成績を残している。
優勝力士キラーとして5回殊勲賞を受賞して
いる。自身が優勝したときは、鳳凰と北尾に
不覚をとっている。
朝
<朝汐>

昭和60年七月場所、大錦が優勝北天佑に勝っ
て3度目の関脇以下の優勝力士キラーになっ
ている。1度目は昭和49年九月場所だから
長期間にわたる記録となった。惜しむらくは
3度とも負け越していることだ。

北勝海は1度も優勝力士キラーになっていな
い。同部屋の千代の富士とは対戦がないと
いうこともある。その千代の富士も関脇以下
で1度も優勝力士に勝っていない。歴史は
ときには奇妙な結果をもたらす。
貴 
<貴花田>

平成にはいると安芸ノ島、貴花田、若花田の
藤島(元貴ノ花)部屋勢の名が登場してくる。
若貴ブームによる666日連続満員御礼は平成
元年十一月場所から始まっている。琴奨菊の
優勝以降大相撲は大変な人気だが、666日
連続満員御礼はケタ違いの人気であった。


荷物がようやく届きました。
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59年前の大関昇降基準アンケート

九月場所、御嶽海の大関取りが見所になる。
最近は3場所33勝以上が大関の目安とされて
いるが、これは相撲協会が公式に打ち出して
いる見解ではない。つまり大関昇進には、
はっきりとした基準はないわけである。また、
大関は横綱と違い、適格者がいなければ欠い
てもいいということにはならない。
180722千秋楽表彰 1155
<七月場所優勝した関脇御嶽海>

昭和34年、今から59年前の専門誌大相撲(読
売新聞社刊)九州場所特集号には各界アンケ
ートとして「大関の昇降基準」という企画が
掲載されている。マスコミ、相撲愛好家、
企業人、将棋・講談・政治家など各界の著名
人計49人が答えている。相撲愛好家の会と
してマニアックな方の集まり相撲趣味の会
からもアンケートに加わっている。この会は
現在もあるが、名前を聞く機会があまりなく
なっている。主な意見を集約してみた。

◆大関昇進に関して
●3場所連続関脇を保ち、その間平均11勝
以上。優勝なら関脇1場所でもいいが、準
優勝なら2場所はみるべきだ。
●大関は最高に近い地位なので、少なくても
10勝、11勝する力をもたなければ意味がない。
そこで関脇・小結連続4場所以上、勝率6割
6分7厘以上の成績をおさめることである。
●1.関脇で連続3場所以上勝ち越すこと。
2.大関昇進前2場所で12勝(11勝でも条件
次第で可)以上を続けること。3.関脇2場
所で推薦のときは23勝以上(直前の場所は
13勝以上、1場所のときは14勝以上)

●関脇か小結で優勝か準優勝した場合にはじ
めて、推薦資格をありとしたい。そして有
資格者を慎重に検討する。このように昇進
規定を慎重にして、はじめて特権を与える
価値がある。
●番付上不可欠の大関のこととて、昇進基準
を機械的に定める必要はない。たとえば大関
陣が充足されていればおそらく見送られたで
あろう今回の若羽黒の場合は、片大関の現状
ではむしろ昇進は当然と思われる。

数字で示された方、審議に重きをおく方、
現状のままでいいという方がいた。一番多い
方は数字による基準であった。その場合、
3場所33勝よりはるかに厳しい内容が多かっ
た。
大相撲
<若羽黒が表紙の大相撲(読売
新聞社刊)>

◆降格に関して
昭和33年、年6場所制にともなって大関の
降格は、2場所連続負け越しから3場所連続
負け越しに変更した。アンケートは以下の
結果となった。
3場所負け越し…17人
2場所負け越し…15人
1場所負け越し…3人
ほか…7人
見解判定できず…4人
無回答…3人

制度が始まって間もないせいか、3場所連続
負け越し大関降格が多かった。2場所負け
越しも急接近している。ほかとしては以下の
意見があった。
・3場所通算30勝以下
・大関の勝率が5割をきった場合
・10勝未満は大関の待遇をはずす
・3場所間全勝ち越し以外で10勝未満があっ
たとき
・6場所間に勝率5割をきった場合

大関の昇降は昔から様々な議論を生んでいる。
そこには現在の規定がはたしていいのか否か
を考えさせてくれる。


勧誘が多いです。
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横綱・大関の途中出場

七月場所4日目、白鵬が休場した。そのとき
大相撲中継で「再出場はまだようすをみて、
おそらく…どうでしょうか」とアナウンサー
が向こう正面で白鵬の師匠である宮城野(元
竹葉山)に尋ねた。「ちょっとまだはっきり
とはわからないですね」と答えている。驚い
たのは横綱の再出場は近年ないからである。
平成はもちろん、部屋別総当たり制が始まっ
た昭和40年以降、いや年6場所制が始まった
昭和33年以降もない。大関も同様である。

いや引退覚悟の再出場がある。横綱貴乃花が
平成15年一月場所、出場-休場-再出場ー
引退がある。厳密には再出場しきっていない
が、当時の貴乃花は限界であった。

横綱が再出場するメリットは見当たらない。
当然好成績は望めない。そういう意味でこの
質問は予想外のことであった。

それでは、横綱・大関の再出場はどれくらい
あるのか。国技館が誕生し、雨などで順延が
なくなった明治42年夏場所以降を調べてみた。
横綱・大関の途中出場は次の4つのパターン
があった。

1.出場-休場-再出場
2.初日から休場-出場
3.初日から休場-出場-再休場
4.出場-休場-再出場予定が休場
その一覧が以下である。
横綱大関の途中出場1A
横綱大関の途中出場2A
横綱大関の途中出場3A
横綱大関の途中出場4A
横綱・大関の途中出場の傾向は明治、大正、
昭和初期、戦後の混乱期を経た昭和20年代に
多く見られる。当然ながら若ノ花以外成績が
よくない。

明治は大関駒ヶ嶽の名が目立つ。大正でも
1度登場している。合計4度登場している。
初日から休場-出場-再休場した大正3年
春場所限りで引退している。大正期に大関
朝潮の名が3度でてくる。この朝潮は2代目
で、後高砂となって前田山を育てている。
源氏山は後の3代目西ノ海である。一時期
井筒3兄弟の寺尾がこの四股名を名のって
いたことがある。
駒ケ嶽
駒ヶ嶽のブロマイド>
横綱前田山は連続途中出場している。昭和
20年代は複数の四股名が登場する。昭和25年
一月場所は蔵前に仮設国技館ができ、前人気
は高かった。ところが、横綱東富士・照國・
羽黒山が次々に休場して、たちまち横綱不在
になってしまった。協会は横綱格下げ論を
打ち出したが、世論の猛反対にあった。そこ
で横綱誕生を審議する横綱審議委員会が誕生
することになった。そんないきさつからか、
横綱東富士・羽黒山は途中出場している。
その後羽黒山再度、東富士にいたってはさら
に3度途中出場している。
東富士
<東富士のブロマイド>

昭和31年、大関若ノ花の人気は大変なモノ
だった。その若ノ花の長男がちゃんこ鍋で
亡くなるという痛々しい事故がおきた。秋
場所前のことであった。首に数珠かけて場所
入りした若ノ花は初日から鬼神のごとく勝ち
進んだ。12連勝と若ノ花ファンは熱狂した。
しかし、若ノ花の体を高熱が襲っていた。
ついに13日目は休場。千秋楽出場を予定して
いたが、体調は思わしくなく、再び休場で
不戦敗となった。
若ノ花
<若ノ花のブロマイド>

もう昔のことになるが、かつては横綱・大関
が再出場していた。そんな時代もあったので
ある。今後横綱・大関の再出場はおそらく
ないと思われるが、横綱・大関が再出場した
ことを記憶の片隅に留めていただければ幸い
である。

台風が心配です。
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 引退相撲思いつくまま

日馬富士の引退相撲のチケットが8月初めに
届いた。正式には「第70代横綱日馬富士引退
断髪披露大相撲」という。日馬富士が引退
相撲を9月30日におこなうという情報は、
五月場所開始早々耳に入ってきていた。とこ
ろがチケットはどうなっているかは定かでは
なかった。連絡先は判明したものの5月中は
通じなかった。後援会、モンゴルの関係者
などの席を確保した上で、一般に販売という
手順を取っているのだろうと想像した。
日馬
<日馬富士引退相撲の案内>

連絡が通じるようになったのは6月に入って
からであった。2カ月たってようやく届いた
ことになる。この間チケットの印刷や送る方
の名簿づくりなどがあったと思われる。時間
が少ないなかの準備は大変なご苦労が考え
られる。

引退相撲はマゲとの別れ、力士人生の節目で
ある。

忘れられない引退相撲がある。把瑠都の引退
相撲である。把瑠都の引退相撲は前売りで
全部自由席で7000円だった。一月場所後で
あったため、引退相撲の日に雪が降るとの
予報が出されていた。電車が止まる事態に
なれば大変である。筆者は前日錦糸町のビジ
ネスホテルに泊まって対応した。当日電車は
動いていたが、あくまで結果論である。
140208把瑠都引退相撲 1011
<夫人から花束を受け取る把瑠都>

これを知った琴欧洲は一月場所後を避け、
時間が短くなるなか九月場所後に引退相撲を
設定した。ブルガリアから父がはさみをいれ
にくるという引退相撲であった。琴欧洲父は
琴欧洲が初優勝のときにも来日し、優勝パレ
ードに「こんなセレモニーがあるのか」と
感心していたのを思い出した。
141004琴欧洲断髪式 434
<琴欧洲の断髪に父登場>

お騒がせ横綱朝青龍は役者が違った。引退
相撲で土俵にキスをした。こんなことは朝青
龍以外誰にもできない芸当である。また、
引退相撲後のパーティがホテルでおこなわれ
たが、これが誰でも参加できるというので
すし詰め状態だった。料理まで到達するのに
一苦労する状況だった。帰り際にお土産を
渡されるのだが、当然数が足りないありさま
だった。
101003朝青龍引退大相撲後半 607
<土俵にキスをする朝青龍>

旭鷲山のときは音楽が流れるなど工夫が見ら
れた。日馬富士の引退相撲はどんな内容に
なるのか。横綱の引退相撲はめったにない
だけにその日が今から待たれる。

暑さと大相撲チケットがしんどいと
メールがきました。
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 関脇優勝その翌場所4

関脇優勝4A
取口を変えて急激に強くなったのが、千代の
富士である。それまで投げが中心だった。
そのため、よく肩を脱臼した。8回も脱臼
すれば、あきらめの境地になっても不思議
ではない。しかし、千代の富士は鍛えぬき、
筋肉の鎧を身につけた。そして前褌を取って
寄る相撲に変えたことによって快進撃が始ま
った。
千代
<千代の富士>

昭和56年一月場所、張出横綱で1敗の北の湖
と東関脇で全勝の千代の富士が千秋楽激突
した。その背景には大関貴ノ花引退、大関
増位山は北の湖と同部屋で対戦なしという
事情が最高の舞台を演出した。本割りは北の
湖が勝って優勝決定戦になった。決定戦は
千代の富士が上手出し投げで初優勝を達成し、
相撲ファンは新しい英雄に熱狂し、歓喜した。
この優勝で千代の富士は大関昇進を決定的な
ものにした。

下の頃から将来の大関・横綱候補として注目
を集めていたのが、北天佑である。上下の
均整が取れ、骨太で筋肉質の逞しい体と甘い
フィーリングは、スターの要素であふれて
いた。十両昇進後9場所連続勝ち越している。
北
<北天佑>

昭和58年五月場所は千秋楽をむかえ、1敗で
関脇北天佑、2敗で大関隆の里と大関若嶋津
が追う展開であった。北天佑は関脇出羽の花
と対戦。この一場、北天佑の勇み足があった
のではないかと物言いがついた。優勝がかか
っている一場での物言いほどいやなものは
ない。結局取り直しとなり、北天佑が勝って
初優勝となった。3場所連続2ケタ勝利の
好成績で大関昇進を決めた。
 保
<保志のブロマイド>

関脇優勝後大関昇進がはたせなかった力士が
いる。保志(後の北勝海)と武双山である。
一昔前なら大関昇進だったかもしれない。
昭和61年三月場所、一人横綱千代の富士は
途中休場。大乃国・北尾・朝潮・北天佑・
若嶋津の5大関は優勝を争えない状況。そん
ななか関脇保志が堂々の13勝2敗で優勝。
翌場所12勝3敗の好成績をあげ、文句なしに
大関に昇進した。平成12年一月場所、横綱
武蔵丸と若乃花は休場。関脇武双山は横綱
貴乃花、小結雅山と優勝を争い、貴乃花に
勝ち、最後まで2敗を守って優勝した。翌
場所12勝3敗の好成績をあげ、晴れて大関に
昇進した。

七月場所関脇優勝の御嶽海は、九月場所どん
な成績をあげるのか。保志・武双山に続き、
大関昇進を決めることができるのか。九月
場所の大きな注目点になる。 

(終わり)

高校野球特集のテレビを見ています。
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 平成30年九月場所チケット事情

九月場所の前売りが始まった。七月場所の
平日分チケットはけっこう長期に渡って販売
され続けたが、九月場所はそうはいかなかっ
た。コンビニでは最初から回線がつながら
ないありさまだった、という。特に土日祝日
は秒殺というくらい、短時間でなくなった。

今回各相撲仲間は、土日祝日をなんとか購入
できた方が多かった。それでも1日がやっと
というありさまだった。もちろん席は選べ
ない。当然だめだった方も数名出た。前回、
東京場所のチケットで14日目をねらった2人
はまったくかすりもしなかった、と書いたが
今回はそういうことはなかった。それでも
数秒でなくなった。キャンセル待ちで時間が
過ぎ去るのを待つ方もいた。初日、7日目、
8日目、祝日9日目も似たような展開であっ
た。
九月場所案内
<九月場所の案内>

今回も東京場所の平日マス席は前半からなく
なる傾向は変わりがなかった。前半しか見ら
れない横綱がでると読んでのことだろうか。
チケットの原則が崩れている。相撲仲間の
連絡では、1人は2日分がねらったマス席が
購入できた。ほかはねらったマス席は半分
だけであった。それも後半であった。なか
には3日分なにも買えずに終わった方が出た。
原因はよくわかっていない。平日の購入も
油断できない状況は五月場所のチケットと
同様変わりはない。

九月場所のチケットは、五月場所同様最近の
東京場所では最も過酷なチケット戦争であっ
た。これが純粋な相撲ファンによるものなら
問題はない。そうでないところに大相撲の
抱える問題点がある。それは相変わらずネッ
トダフ屋及びにわかネットダフ屋が暗躍して
いるとのことである。彼らは大相撲のチケッ
トをもうけの手段としかみていない。彼らの
高額なチケットに手を出さないこと、これが
健全なチケット販売につながっていくことは
言うまでもない。


暑いさなかのチケット戦争でした。
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 希善龍の苦悩

七月場所、栄光は御嶽海に初めて輝いた。
その一方でまたも達成できなかった勝ち越し
に苦しむ十両力士がいた。希善龍である。
成績は6勝9敗だった。希善龍はこれまで
9場所十両に在位しながら、1度も勝ち越せ
ないでいる。さすがに9度という数字になる
となぜ、という思いとともにがんばれ希善龍
と言いたくなってくる。これまで希善龍は
十両でどのような成績を残してきたのか。
それが以下である。
希善龍A
130512初日十両 146
<H25年5月 木村山から新十両初勝利>

希善龍の新十両は平成25年の五月場所である。
前場所幕下で全勝優勝している。つまり希善
龍は約6年かけて十両勝ち越しをかけて、
まだ達成できないでいるわけである。最高位
は十両11枚目である。十両の成績は47勝85敗
3休である。1場所平均5.2勝である。

希善龍が十両で負けている対戦相手は誰か。
今年の七月場所の番付を基に見ていくと、
十両以下で0勝3敗の対戦成績は2人いる。
誉富士と天風である。対戦がもっとも多い
力士は北はり磨の2勝3敗である。目下3連
敗中である。彼らと再び十両で対戦するかは
定かではない。
150915三日目幕下 560
<H28年9月希善龍の土俵入り>

希善龍が十両で最も負けている力士が、七月
場所番付で幕内にいる力士である。

阿炎 2勝1敗
阿武咲  3敗
旭大星  3敗
琴恵光1勝3敗
石浦 1勝2敗
ほか 2勝9敗

希善龍は阿炎に勝ち越している。しかし、
阿武咲・旭大星には3敗している。ほかに
栃ノ心・千代の国・大栄翔・正代・大輝(後
の北勝富士)竜電に1敗している。千代丸に
2敗している。錦木に1勝1敗、佐藤(後の
貴景勝)には1勝している。希善龍が勝ち
越すためには将来幕内に上がる、あるいは
定着できる力士にある程度勝つことが条件に
なってくる。
180717十日目十両 256
<H30年7月 剣翔に敗れ、負け越し>

希善龍は現在33歳である。次回こそ十両の
勝ち越しをつかまないとチャンスと時間は
いつまでもあるわけではない。希善龍の健闘
を祈ってやまない。

熱帯夜が続いています。
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関脇優勝その翌場所3

関脇優勝3A
 大鵬から年6場所制である。比較的現代の
制度に近づいてきている。大鵬は入幕した年
に関脇優勝している。驚異の新人であった。
成績も11勝-12勝-13勝優勝だから文句なし
の大関昇進であった。大鵬は関脇で優勝しな
がら三賞が1つももらえなかった。関脇以下
の優勝で三賞なしは、朝汐についで2例目で
あった。この後は例がない。大鵬は優勝して
当然の逸材であり、その将来は横綱間違い
なし、という見方がされていた。大鵬の期待
の大きさが窺われる。
大鵬!
<大鵬のブロマイド>

佐田の山の関脇優勝は2度目の優勝であった。
初優勝は昭和36年五月場所の入幕3場所目で
あるが、平幕優勝で横綱・大関との対戦は
皆無であった。おまけに十両優勝の清ノ森に
負けており、幕内優勝者は十両優勝者より
弱いと言われた。平幕優勝者は大関になれ
ない、というジンクスがあった。佐田の山は
これを破っての大関昇進であった、次の栃ノ
海をみてもわかるように昭和30年代、関脇
優勝は即大関昇進のムードがあった時期で
あった。
佐田の山
<佐田の山>

昭和47年は誰が優勝するか、まるでわから
ない混戦の時期である。そのなかで関脇優勝
をしたのが、長谷川である。長谷川は3場所
30勝しているから大関にしてもいいのでは、
という見方があった。春日野(元栃錦)は
「輪島だって11勝-10勝-9勝と30勝なん
だよ」と牽制したものである。混乱の時期と
星数に決定力がなかったことで、長谷川の
大関昇進の機会は永遠に失われた。
長谷川
<長谷川のブロマイド>

輪島の優勝は昭和47年五月場所であった。
混乱の時期の優勝は長谷川同様、輪島も
変わらなかった。翌場所大関をかける場所で
8勝7敗とチャンスを逃したように見えた。
ところがそのままにしておかないのが、輪島
の輪島たる所以である。8勝の翌場所13勝を
あげ、おまけに千秋楽、関脇貴ノ花と大熱戦
の大相撲を取り、貴乃花と同日昇進ムードで
大関に昇進したのである。
輪島北湖
<輪島(左)と北の湖>

昭和48年十一月場所、関脇北の湖は9勝2敗
と好調な成績で勝ち進んでいた。ところが、
12日目足首を骨折する重傷に陥り、13日目、
14日目と連敗し、9勝5敗で千秋楽に臨んだ。
対戦相手は大関大麒麟であった。ケガは思わ
しくなかったが、最後の一番で大麒麟に勝っ
て10勝目をあげた。この10勝がやがて大きな
意味をもつことになった。

北の湖は上位での最高成績が10勝で、まだ
優勝候補にはあげられていなかった。年が
明けた昭和49年一月場所、東正横綱輪島と
東関脇北の湖が初日から対戦した。そして
なんと北の湖が勝ってしまったのである。
これを皮切りに北の湖の快進撃が始まった。
連戦連勝が続き、14勝1敗で優勝してしまっ
たのである。先場所の10勝がモノをいって
場所後大関に昇進できたのであった。

(この項目続く)

早寝早起きの生活です。
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 4場所経過した平成30年年間最多勝レース

鶴竜と栃ノ心がハイレベルで争っていた年間
最多勝が、両力士が途中休場したことによっ
て、にわかにあやしくなってきた。4場所が
経過した年間最多勝レースはどのように変化
したか。4場所までの経過をまとめてみた。
それが以下である。
年間最多勝1A
年間最多勝2A
なお、対象は4場所幕内に在位した力士と
させていただき、単なる数字の比較ではなく、
横綱大関の対戦率によってクラス分けさせて
いただいた。今までは10%台を1クラスに
してきたが、19%と10%では開きがあり過ぎ
るとの指摘があり、今回2クラスに分けさせ
ていただいた。1ケタ%も同様にした。

七月場所で横綱・大関が4人休場し、いっそ
う横綱・大関との対戦が減少傾向にある。
横綱・大関対戦率で30%台はもう昔のことに
なり、20%台でさえわずか4人しかいない。
千秋楽結びの一番で横綱同士の対戦は今年
わずか1回しか実現していない。
180713六日目幕内 824
<七月場所玉鷲戦で負傷した栃ノ心>

4場所経過した年間最多勝争いは、七月場所
途中休場した栃ノ心と鶴竜の争いに変化は
ないという結果が出た。栃ノ心42勝、鶴竜
41勝と現在栃ノ心がわずかにリードしている。
フル出場した力士の最多勝は七月場所優勝
した御嶽海で37勝23敗である。あと2場所で
5勝差を縮めるのは簡単ではない。ただ栃ノ
心に勢いが止まり、鶴竜が再度休場するよう
だと、御嶽海にもチャンスが出てくる。
180722千秋楽表彰 1184
<七月場所優勝の御嶽海は現在年間37勝>

御嶽海に続くのが、逸ノ城と魁聖の35勝25敗
である。特に逸ノ城は横綱から2勝あげ、
大関戦は5勝2敗の成績を残している。三賞
と無縁であり、ときには抵抗なく負ける印象
があるが、底力はあるという証明である。
朝乃山も35勝だが、まだ横綱・大関戦が1度
もない。

2横綱の低迷は続いている。休場が多くなっ
た白鵬はEクラスの最下位である。白鵬は
今年まだ優勝がないのが気になる。連続8場
所休場中の稀勢の里は今年わずか1勝しか
できず、最下位である。稀勢の里の1勝は
誰からか覚えておいでだろうか。一月場所
2日目、北勝富士からである。
180115二日目幕内 1454
<稀勢の里が北勝富士から1勝>

年間最多勝レースはまだ2場所残している。
どのように展開していくか、頭の片隅におき
ながら本場所を観戦するのも大相撲の楽しみ
方の一つである。


先行予約の結果が出ています。
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関脇優勝その翌場所2

東西合併後年4場所だった大相撲は、昭和
8年から年2場所制に戻っている。この時期
関脇で優勝した力士は翌場所皆大関に昇進
している。
関脇優勝2A
男女ノ川の関脇優勝は実は2回目の優勝で
ある。男女ノ川は昭和7年におきた春秋園
事件で協会を脱退していた。復帰した昭和
8年春場所、番付に四股名がなく、急遽別席
として本場所に参加した。その場所、横綱
玉錦、大関清水川・武蔵山を倒して優勝して
いる。2回目の関脇優勝の翌場所大関に昇進
している。ただし、この関脇優勝が男女ノ川
最後の優勝になった。
男女ノ川
<男女ノ川のブロマイド>

双葉山は関脇で唯一の全勝優勝を達成して
いる。11戦全勝。15日制とは比較できないが、
11日制であるのは時代の限界というしかない。
このときすでに69連勝は始まっていた。これ
まで第一人者であった玉錦は以後双葉山に
勝てず、優勝もできなかった。双葉山の関脇
優勝は覇者交代の場所となった。
双葉
<双葉山のブロマイド>

系統別総当たり15日制の関脇優勝力士をみて
いこう。
関脇優勝3A
栃錦。入幕時は80キロに満たない軽量。気迫
と勝負への執念と技能が栃錦を支えていた。
昭和27年秋場所の関脇優勝時は年3場所制で
あり、5場所連続技能賞を受賞していた。
これまで上位の最高成績が10勝5敗だった
栃錦が初日から勝ち進み、14勝1敗で見事
初優勝の栄誉に輝いた。栃錦は感激のあまり
涙が止まらなかった。この優勝で栃錦は大関
昇進を成し遂げた。
栃錦
<栃錦のブロマイド>

朝汐は2回関脇優勝という稀な記録をもつ。
最初の優勝は、9勝-9勝-12勝優勝で大関
昇進は翌場所にかけることになる。ところが、
翌場所は8勝で大関昇進はならなかった。
2度目の関脇優勝は8勝-8勝-13勝優勝と
成績だけみると、物足りなく見える。ところ
が、朝汐は2回目の関脇優勝のとき、三賞を
受賞していないのである。つまり朝汐なら
優勝ぐらいやってのけて当然と見られていた。
勝つときは圧倒的な強さ、破壊力を発揮した。
2回目の関脇優勝でようやく朝汐は大関昇進
をはたした。
朝潮
<朝汐のブロマイド>

(この項目続く)

暑さで疲れが残ります。
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御嶽海、15日間の戦いを採点する

七月場所、横綱・新大関があいついで休場
するなか、御嶽海はまさかの快進撃で前半を
全勝で折り返した。常にトップに立ち続け、
最後まで譲ることなく突っ走り、14日目に
優勝を決めた。

立ち合いからの当たり、常に前に出て相手に
圧力をかけ、安定した相撲をとり続けた。
まさに七月場所の救世主だった。負けた高安
戦は相撲に勝って勝負に負けた一番であった。
また、負けた豊山戦は大熱戦で白熱した名
勝負であった。13勝2敗の優勝は新たなヒー
ローの誕生であった。その御嶽海の相撲内容
を検証し、15日間を採点してみた

採点の基準は、自分の力をどれくらい土俵で
発揮したかである。勝ち負けではない。点数
は1点から最高5点までとし、小数点0.5まで
区切って採点した。
180708初目幕内 650阿炎
<初日 阿炎 5点>

180709二日目幕内後半 218勢
<2日目 勢 4.5点>

180710三日目幕内 639貴景勝
<3日目 貴景勝 4.5点>

180711四日目幕内 703玉鷲
<4日目 玉鷲 5点>

180712五日目幕内 662松鳳山
<5日目 松鳳山 5点>

180713六日目幕内 650正代
<6日目 正代 5点>

180714七日目幕内 653琴奨菊
<7日目 琴奨菊 4.5点>

180715八日目幕内 838千代の国
<8日目 千代の国 4.5点>

180716九日目幕内 680大翔丸180717十日目幕内 1059輝
<9日目 大翔丸 5点>                         <10日目 輝 5点>

180718十一日目幕内 1016魁聖
<11日目 魁聖 5点>

180719十二日目幕内 1229高安
<12日目 高安 4.5点>

180720十三日目幕内 1107豪栄道
<13日目 豪栄道 4.5点>

180721十四日目幕内 1018栃煌山
<14日目 栃煌山 5点>

180722千秋楽幕内 931豊山
<千秋楽 豊山 4.5点>

トータル71.5点、1日平均4.8である。これが
七月場所の御嶽海の相撲内容の採点である。
御嶽海は2つの敗戦を含め、15日間を通して
最高に近い相撲を取ったといえる。来場所
大関をかけることになるが、どんな相撲を
取るか。対戦相手の御嶽海を見る目が違って
くる。また休場の横綱・大関が戻ってくる。
御嶽海の新たな戦いは続く。


旧友S氏に会います。
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関脇優勝その翌場所1

七月場所関脇御嶽海の優勝の余韻を残す場所
後である。いつの時代も初優勝はどこか感動
的である。御嶽海は関脇で優勝しながら、
大関は来場所かけることになる。三月場所
7勝8敗、五月場所9勝6敗では無理からぬ
ことであった。
180722千秋楽表彰 480
<NHK金杯を受ける御嶽海>

関脇優勝は26例25人いる。実は26例中18例が
関脇優勝直後大関に昇進している。かなり
高い確率である。御嶽海のケースは少数派
といえる。それではこれまでどのようなケー
スで大関に昇進し、あるはチャンスをもち
越したのかみていこう。
関脇優勝1A
東西合併後、昭和2年から東京-西日本-
東京-西日本と年4場所が開催されるように
なった。当初、東京場所は東京場所で、西日
本場所は西日本場所で番付をつくっていたが、
同じ力士が東京場所と西日本場所であまりに
地位が違いすぎるケースが出てきた。その
ため、昭和3年夏場所より、東京場所と西日
本場所の合計の成績で番付を出すようになっ
た。年4場所でも番付は2回発表になった
のである。そのため、関脇優勝した玉錦と
清水川は現代とはかなり異なる事情となった。
清水川
<清水川のブロマイド>

玉錦も清水川も東京場所で関脇優勝している。
番付は東京場所と西日本場所の2場所で決ま
るから、東京場所の関脇優勝だけでは変化は
ない。清水川は翌場所の3月場所で8勝2敗、
合計16勝2敗で大関に昇進した。
玉錦
<玉錦のブロマイド>

しかし、玉錦は翌場所の3月場所、9勝2敗、
合計19勝3敗をあげながら大関昇進はなかっ
た。結局、玉錦が大関に昇進したのは、関脇
優勝後から6場所後であった。大関2場所目
から3連覇しながら、横綱に昇進できない
などの扱いは、玉錦の素行と小部屋の悲哀に
よるものだといわれている。

(この項目続く)

星取表を購入しました。
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 続旧貴乃花一門は呼称なしのその他に分類

決まり手係だった親方がかつてこう言った
ことがある。「マスコミの決まり手が正式な
決まり手になるのではありません。協会が
決定した決まり手が正式な記録になるのです」
これは報道されたことは必ずしも日本相撲
協会の見解や決定ではないということを表し
ているエピソードである。
180520八日目幕内 012
<貴乃花親方>

貴乃花親方が一門の名称に「貴乃花」を返上
する旨を申し入れていたことは、周知の通り
である。すでに立浪(元旭豊)、常盤山(元
舛田山)が離脱し、貴乃花親方までが離脱し
旧貴乃花一門は5人という少数派に陥って
しまった。

貴乃花親方が旧貴乃花一門を離脱し、無所属
になったときの報道を振り返ってみよう。
1.残されたメンバーを阿武松グループと
表記したもの
2.呼称についてはなにも表記しなかった
もの

この2つに分かれる。1は協会関係者の話に
よればとか今後は阿武松グループとして結束、
活動…という表記が目立つ。ここには日本
相撲協会の正式見解はない。言うまでもなく
日本相撲協会の見解が、旧貴乃花一門をどう
とらえるかの正式の扱いになる。そうでない
ものは自称とか、便宜上になってしまう。
ただ、こういう書き方をしたマスコミがあっ
た。「阿武松グループとして申請し、承認
される見通しである。」
180722千秋楽表彰 098
<阿武松(元益荒雄)>

だが、7月26日に発売された日本相撲協会
機関誌によると変わらず「呼称なしのその他
に分類」なのである。そしてこれが日本相撲
協会の正式な見解なのである。

メールを出しまくりました。
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 初優勝御嶽海、栄光のグラフ

3横綱・新大関が休場するなか、御嶽海が
堂々たる相撲で昭和55年一月場所の三重ノ海
以来の優勝を出羽海部屋にもたらした。

関脇の優勝は平成27年五月場所の照ノ富士
以来で、25人目である。朝汐が2度関脇で
優勝しているのを1人として数えている。
なお、最初の関脇優勝は玉錦である。

御嶽海が上位であげた最高成績は、平成29年
一月場所、前頭筆頭の11勝4敗だった。それ
が一挙に13勝で優勝したのだから急成長で
あった。御嶽海優勝の栄光をあらためて写真
で追ってみた。
180722千秋楽表彰 090
<八角(元北勝海)理事長より賜杯を受ける御嶽海>

180722千秋楽表彰 110
<優勝旗を阿武松(元益荒雄)より
受ける御嶽海>

180722千秋楽表彰 148
<内閣総理大臣賞授与式>

180722千秋楽表彰 220
<優勝インタビュー どんな15日間でしたか
の質問に 暑かったですと答えた御嶽海>

180722千秋楽表彰 563愛知県知事賞
<愛知県知事賞を受ける御嶽海>

180722千秋楽表彰 578
<さらに特大サイズの花束を愛知県知事より贈られる>

180722千秋楽表彰 624名古屋市長杯
<名古屋市長杯を受ける御嶽海>

180722千秋楽表彰 652中日新聞社
<中日新聞社賞の授与式>

180722千秋楽表彰 778奈良県知事賞
<奈良県知事賞の表彰>

180722千秋楽表彰 808CBC
<CBC賞を受ける御嶽海>
180722千秋楽表彰 843東海テレビ
<東海テレビ放送賞の表彰>

180722千秋楽表彰 1079
<優勝パレード 旗手は栃煌山>

御嶽海はこれまで関脇以下で最強だった。
それが一躍大関をねらえるまでに成長した。
高齢化がすすむ横綱・大関陣に若くて勢いが
あり、新たな戦力となる英雄の誕生を願って
やまない。

暑さがいくぶん和らぎました。
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平成30年七月場所総評

★七月場所の相撲人気について
七月場所は珍しく、発売日即日完売になら
なかった。土日祝日13日目は完売だが、平日
は、けっこう最後まで残った。もっとも発売
日即完売は、ダフ行為が要因の面はある。
高値のチケットは購入しないようにしない
限り、ダフ行為はなくならない。

★今場所千秋楽休場の千代翔馬を含め関取
8人が休場した
相変わらず休場者は多い。特に今回は3横綱
と新大関含みだからダメージは大き過ぎた。
相撲熱が冷めるほどの規模だった。関取休場
者が多いのだから、打開策を打ち出さないと、
毎場所繰り返される。
180721十四日目幕内 495
<多すぎた休場者>

★稀勢の里の8場所連続休場について
稀勢の里に万全はあるのだろうか。毎場所、
稽古で下位に苦戦する傾向からいっこうに
脱却できないでいる。稀勢の里はいくら時間
をかけても解決に向かっていない気がして
ならない。
7月星取りA
★優勝争いについて
3横綱・新大関が休場するなか、関脇御嶽海
が、よく奮闘し優勝した。これまで関脇以下
最強であったが、乱戦・混戦を防ぐとともに
一気に開花した。本当の意味で優勝争いらし
い優勝争いにならなかったが、場所の限界
だった。来場所は大関昇進チャレンジ場所に
なるが、一気に決めてほしい。
180722千秋楽表彰 1138
<御嶽海の優勝パレード 旗手栃煌山>

★大関について
豪栄道10勝、高安9勝。横綱不在のチャンス
でも優勝争いがまったくできずに終了した。
両大関の限界を露呈した場所になってしまっ
た。上位で勝ち越す力が大関ではない。9勝
を何場所繰り返しても大関には昇進できない
のである。大関に求められるのは、大関に
昇進できない成績をあげることではない。

★上位勝ち越し力士について
両大関、優勝者御嶽海と対戦して勝ち越した
関脇以下の力士は、御嶽海、玉鷲、勢、貴景
勝、魁聖と5人出た。横綱・大関が手薄だっ
たことが原因である。なお、逸ノ城対御嶽海
の関脇同士の一番はついに実現しなかった。
その上で逸ノ城は勝ち越した。

★三賞について
殊勲賞は御嶽海である。殊勲賞を関脇以下の
優勝者とするのは、場所を盛り上げたという
解釈からくる。高見山が優勝したときこの
基準が導入された。だが、必ずしも関脇以下
の優勝者誰もが殊勲賞を受賞しているわけ
ではない。敢闘賞豊山は高安、御嶽海に勝っ
たことが大きい。朝乃山は上位戦貴景勝一人
だった。両大関を倒した貴景勝は評価され
なかったということになる。技能賞御嶽海は
妥当なところである。
180722千秋楽幕内 883
<千秋楽 御嶽海と豊山の死闘>

★その他気がついた点
13連敗した嘉風への声援は凄まじかった。
なかなか勝てず観客をやきもきさせたし、
わかせた。勝ったとき観客は喜びを爆発させ
た。平成21年五月場所、豊真将が初日から
14連敗した。千秋楽の相手が嘉風で、豊真将
が勝ったときの館内はわいたという経緯が
あった。嘉風はまさか豊真将に近い立場に
なるとは思っていなかっただろう。
180721十四日目幕内 555
<14日目 嘉風、明生から1勝>

★最後に場所の採点を
62点。

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