現在幕内の人数は42人、十両は28人である。
平成14年十一月場所では幕内40人、十両26人
であった。平成15年から北の湖理事長が公傷
制度廃止を決定した。これは常に休場者が
出る現状に楔を打つためであった。その救済
措置として一月場所から幕内を2人、十両を
2人増員した。八百長による関取減のとき
一時的に幕内40人、十両26人になったこと
はあるが、その後幕内の人数は42人、十両
は28人で今に至っている。
140510夏初日前日 031
<北の湖理事長>

ところが、規模としてはこれ以上ない番付
大削減案が示された時代があった。昭和42年
三月場所前、時津風(元双葉山)理事長の
部屋別総当たりに続く大改革であった。実施
は五月場所からである。それが以下である。
幕内40人→34人
十両36人→26人
幕下約200人→120人前後

削減だけでなく、次のことが付け加えられた。
1.「初土俵から5年で幕下に昇進でき
なかった者は廃業か師匠の自費で養成」を
廃止する。
2.十両以上の退職金、幕下以下の場所手当
て、部屋の維持費の増額。
S42夏
<昭和42年大相撲 夏場所展望号 読売新聞社刊>

関取が一挙に16人マイナスという大幅減で
ある。とりわけ十両力士は残留か幕下陥落か
で深刻な状況であった。この事態に3月5日
の力士会は通常30分以内に終わるところが、
2時間近くかかった。その結果、以下を協会
に申し入れた。
1.場所数をかけて段階的に減らしていく
2.犠牲者の補償をする

しかし、力士会の申し入れは受け入れられ
なかった。そのため五月場所から実施される
ことになった。幕内は負け越した6人がその
まま十両落ちした。十両は16人が幕下落ちの
ため、過酷で悲惨な結果が待ち受けていた。
東8枚目小城ノ花7勝
東12枚目安芸の國8勝
東15枚目前田川 9勝
以上の成績でも幕下に落ちた。新鋭高見山は
十両東18枚目で10勝5敗の成績を残し、十両
尻の東13枚目に残った。
昭和42年夏
<昭和42年五月場所の番付>

小城ノ花は幕下に落ちて全休し、引退した。
前田川は1場所取って廃業した。ほかにも
幕下に落ちた天津風、清の盛、若杉山がやめ
ていった。昭和42年の五月場所後は引退・
廃業が56人にも及ぶ記録的な数字を残した。

時津風理事長は力士数500人を理想として
いた。そのための少数精鋭と経費削減であっ
た。ただほとんどの時代、関取数より年寄数
が多いというのは、どうにも理解しがたい
ところである。

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