南相馬ダイアログin東京という
イベントに行ってきた。

これは1年前に南相馬で開かれ
その後月一回くらいで継続されて
きた話し合いの場の東京版だ。

今回の東京での開催では、南相馬の
現状と問題点を訴え、今までの
実績や今後の計画を発表し、
それをふまえて、小グループで実際に
ダイアログ(対話)をするなど、
南相馬をあまり知らない人に
とっても、全体像を把握して
何か自分もかかわっていきたいと
思わせるような内容となっていた。

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いくつか気になることがあった。

そのひとつは、2年間突っ走ってきた
人たちに疲れがたまってきている
という話し。

これは、1月に坪倉先生の話しを
聞きに行った時にも、南相馬の方が
同様のことを話されていたし、
一昨日参加した「ケアとは何か」
という講義でも、被災者のみならず
それをケアする支援者にも疲労が
蓄積しているとの指摘があった。



僕が知っている範囲でもストレス
から仕事を休んだり、実際に倒れて
入院したりする人が出ている。

(震災によるストレスが直接的
原因かどうかは特定できないに
しても、目一杯がんばってきた
人たちであることには違いない)

気になったので、グループ対話で
そのことを質問してみたのだが、
ネットなどで誹謗中傷を受けるのも
こたえるとのことだった。



催しの最後に、飯館村で支援活動を
したために、低線量被曝でひどい体調
になり、そうしたことがこの場で
話されないことに違和感があると
言う人がいた。

(暗に福島で暮らすことを批判している
ように受け取れる内容だった)

自分でうつ状態で治療を受けている
とも言っていたので、その人の
健康状態が実際に被曝によるものか
ストレス(うつ)からくる症状なのか
判断のしようがない。

かといって、
低線量被曝の影響を軽視するわけではない。



ただ、言えることは、それが真実で
あったとしても、その話しの伝え方に
よっては、「言葉の暴力」と言う
放射能以上の悪影響を相手に与える
かもしれないということだ。

このブログでもこの「言葉の暴力」の
ことは何度も何度も書いてきた。

福島の人たちは他の地に赴いて
話をすると度々この「言葉の暴力」
に直面する。

ネット上ではとくにひどい。

99の応援の言葉より
一つの言葉の暴力が
深く突き刺さることがある。



人の人生は数値や金額によって
計算できるものではないし、
客観的には正しいと思われる
ことでも、主観的には正しくない
ことなどいくらでもある。

どこまでいっても外部のものは
当事者にはなれないのだ。

当事者が悩みに悩んで
(その先も悩みつづけて)
生きていく判断を外部のものが
とやかくいうことなど
傲慢でしかないと僕は思う。



その「1」をはね返したのは
最後のしめくくりに、実際に小さい子と
南相馬で暮らす女性の言葉だ。

その方は震災後、子供を1人で避難させた
ためにその子の心が壊れかけてしまった。

低線量被曝の影響も放射線防御の知識も
ひとかたならぬものを持ったうえで、
悩みに悩んで今は子供と一緒に
南相馬で暮らしている。

「残っていることを子供を虐待している
とか言われるたびに、私の心が殺され
そうになる」

しかし

「それでも、自分の生まれ育った
山や川や海を子供に残していきたい。
…そんな福島に暮らす人たちの話を
聞きに福島に来てほしい」

と力強く話された。

会場は万雷の拍手に包まれた。

1を消すことはできないが
99の共感があることが
示されたのだ。