猫の欠伸研究室(アーカイブ)

~淡々と飽きもせず……~ チベット・ラサの僧侶曰く、「人の生涯は猫の欠伸のようなものだ」

猫の欠伸研究室(http://ogasawara.cocolog-nifty.com/ogasawara_blog/)の古い記事(2005年10月~2018年7月8日)を載せています。ブログの内容は、整備中です。

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 @niftyのココログを用いたブログ、「猫の欠伸研究室」の古い記事をこちらに移行しています。@niftyの「猫の欠伸研究室」は、2005年10月26日 (水)に始め(Blog事始め)、現在まで継続しています。しかしながら、niftyのココログで利用できる容量の限度が近づきましたので、古いデータをこちらに移行しました。

 2018年7月8日現在、2005年10月から2018年7月8日までの記事をこちらに移行しました。@niftyの「猫の欠伸研究室」の記事のうち、2005年10月から2014年12月までのものは、削除しました。

 2015年1月から2018年7月8日の記事は、当面、このブログと、@niftyの「猫の欠伸研究室」とで重複します。
 
 「猫の欠伸」の写真は、ブロ友であるひらいさんからいただいたものです。 

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 ようやく大雨特別警報も解除されたようですが、たくさんの方がこの大雨の被害に遭われました。亡くなられた方、行方が分からない方がたくさんいらっしゃいます。お見舞い申し上げます。お陰様でわが家のあたりは、今日は好天。なんだか申し訳ないような気がしています。
d2e9b217.jpg 揖斐川(手前)、長良川(中州の向こう)ともに、水量はかなり多く、中洲が水29ba0495.jpg 没しそうなくらいです。水も濁っていました。柿安コミュニティパーク西の堀にある石垣からは、水が噴き出していました。昨日もでしたが、あれだけ雨が降ると土の中にはかなりの水分がたまっているのだろうと思えます。
54c9d94c.jpg 遠征したい気もあったのですが、今日のところはいつも通りのコースへ。住吉神社、九華公園、京町、寺町、田町と5㎞ちょうど。火曜日以来の晴天で散歩する方も多く、あちこちで久しぶりに散歩友達の方に遭遇。散歩というより、おしゃべりをしに行ったようなものでした。
4de46f1c.jpg 九華公園でコゲラの鳴き声や、カワラヒワ、カラスなどを見たほかは、スズメ、ツバメくらい。セミは、クマゼミが、7月2日(月)から鳴いています。セミの写真もと思うのですが、まだ木の高いところにしかいません。左のスズメは、三の丸水門にて。今年生まれのスズメと思います。
31ef242c.jpg ツバメは、あちこちで巣立ってきたヒナの姿が見られます。これらの写真2e290201.jpg は、柿安コミュニティパークのところで。左の写真で、向かって右にいる、のど元が赤いのは親。燕尾服の尾が短いのでメス。向かって左はヒナ。右の写真は、このヒナ。ここにはヒナが4羽ほど来ていました。
a86d6e72.jpg 九華公園では、やっとウチワヤンマの姿が見られるようになりました。腹dda2546d.jpg 部の先端にウチワのような突起がついています。なかなかカッコイイと思っています。ウチワヤンマの写真を撮っていたら、スズメが近くに。このスズメさんは大人。250mmズームでノートリミング。
c358999b.jpg 奥平屋敷跡では、まだミドリガメが産卵のために上がってきていました。まだ赤ちゃんガメは見ていません。Wikipediaによれば、卵が孵るのに2~3ヶ月かかるといいますし、カラスがほとんどをほじって、卵を食べてしまう影響もあると思われます。
6c6070cb.jpg ツバメの巣も、昨日に引き続き巡回してきましたが、博物館と、田町の商83cc6f5d.jpg 店の2ヶ所は巣立ってしまったようで、いませんでした。左は、京町の呉服屋さん。右は、田町のパン屋さんの向かいのお宅。パン屋さんの向かいのヒナ、目は開いてきたようですが、まだよく見えていないと思います。人が通ったり、手を動かすだけで、ご覧のようにエサくれアピールをするからです。
ee7c40d4.jpg ところで、散歩の途中、七里の渡し跡近くで、作成中の「東海道パネル523fb0a8.jpg (仮称)」用の写真を撮ってきました。左は、船津屋さん。江戸時代、ここには大塚本陣がありました。塀のところに「歌行燈句碑」があります。明治の文豪・泉鏡花が大泉原村(現在のいなべ市員弁町)で講演するため、明治42(1909)年に来桑。ここ船津屋に一泊しています。このときの印象をもとに、小説「歌行燈」を書いています。昭和14(1939)年、東宝映画から依頼を受け、久保田万太郎は船津屋に泊まって、戯曲「歌行燈」を書き上げ、翌年明治座で上演されたのち、昭和18年成瀬巳喜男監督によって映画化されています。久保田が船津屋の主人の求めに応じて読んだ句「かはをそに 火を盗まれて あけやすき 万」が刻まれています。
5e473c15.jpg 「東海道パネル(仮称)」、江戸橋方面のお仕事が増えたこともあって、作業が遅れています。少々ねじを巻かねばなりません(微笑)。が、チョウトンボや、三ツ又池のカイツブリ、ハスの花なども気になりますねぇ(苦笑)。

b8d6ce50.jpg 朝早い時間は、晴れ間も出ていましたが、8時過ぎにはこんな空。午前中は何とか降らないで済むだろうと思って、火曜日以来の散歩に行ってきました。途中、2~3度少し降られましたが、大したことはありませんでした。住吉神社、九華公園、京町、寺町、田町と5.9㎞。まぁまぁの距離でした。

62cc586f.jpg 大雨が続いています。被害もたくさん出ており、お見舞い申し上げます。明日くらいまではこの天候が続くということですから、気をつけなくてはなりません。写真は、散歩に出るときに撮った揖斐川から長良川、長良川河口堰の写真。上流部の岐阜県でも大雨のため、水量がかなり増えていますし、水が濁っています。河口堰のゲートは、水量が多いため全開。
feae5adf.jpg 九華公園は、7月2日(月)以来。ほとんど変わりなしでしたが、あのカルガモ207f59f3.jpg さんたち、2羽いたうちの1羽は、やはり姿が見られなくなっています。管理人さんにうかがっても、シルバー人材センターの方に聞いても、同じことをおっしゃいます。ハイブリッドの、大きい方がいなくなったのです。もう1ヶ月くらいになります。
21c6b726.jpg 峰崎部屋の朝稽古。今日は親方は不在。力士たちは、いつも通りに稽古を35ec5234.jpg 重ねています。雨に降られると嫌でしたので、今日は早々に次へ。右の写真、股割をしている力士。長年稽古を積むと、このようにほぼ180度の開脚ができるものなのですね。
f274a119.jpg 野鳥は少ないものの、ゼロではありませんでした。ハクセキレイは、三の丸07d152cf.jpg 水門にて。シジュウカラは九華公園で。シジュウカラは公園内の何カ所かで見られます。
67632386.jpg さて、ツバメの巣ですが、7月3日に市内の東海道を歩いたときに博物館021b7a5c.jpg の軒先にもあるのを見つけました。いつもは、北側から博物館に行きますし、この北にある京町交差点を通りますので、まったく気づきませんでした。まさに盲点(苦笑)。左の写真で左手が北で、京町交差点。ヒナは2羽。もう巣立ちそうな感じです。
c4cfa758.jpg こちらは、京町の呉服屋さんにある巣。2ヶ所あるうちの奥の方。3羽のヒナがいますが、親が来ないときは隠れている感じ。見ているときに親がやって来ると、エサを与えた後、警戒音を発し、隠れるよう促しています。カラスなどに襲われないようにするためでしょう。
d49834de.jpg 田町の商店の巣。先日見たとき、かなり大きくなっていましたので(7月 2

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日:午前中は散歩の傍ら、またもや朝稽古見学……午後は市民大学講座へ)、もう巣立ったかも知れないと思ったのですが、まだまだ巣にいました。
670b7b26.jpg こちらは、商店近くの別の巣。ヒナは3羽います。まだ孵って間もないようで、目が開いていません。まだまだツバメのヒナで楽しめます。
d518ea2e.jpg ところで、拙宅隣の諸戸氏庭園。修復工事が進んでいまaac7af7e.jpg す。現在は、主屋を半解体修理中。諸戸氏庭園のFacebookによれば、そろそろ揚屋を行い、地盤を改良し、また下すのだそうです。9月頃には工事見学会も予定しているそうです。今度こそ見てみたいものです。

4133a2cd.jpg  6月9日に桑名で行われた近鉄ハイキング「桑名九華公園花菖蒲まつりと文化・歴史を知る」に参加しました。概要編は、当日、記事を書きました(今日は桑名で近鉄ハイキング……桑名九華公園花菖蒲まつりと文化・歴史を知る(概要編))。勧学寺、春日神社、住吉神社について、少し詳しく書いておこうと思います。今日はまず、走井山勧学寺

43fbe760.jpg こちらは当日、実際に歩いたルートマップ。勧学寺は、走井山公園に隣接しています。スタートの近鉄名古屋線・益生駅からは北西に直線距離で400mほど。三岐鉄道北勢線・馬道駅のすぐ側。公園内には、コースにも設定されていた「伝村正屋敷」もあります。
0aa1b5e5.jpg 現在、走井山公園になっているあたりには、矢田城がありました。室町時代に毛利氏の家臣山内俊行の子俊元が、国司北畠氏に属してこの地に築城して、矢田俊元と称しています。永禄年間(1558~1570)、織田信長の伊勢侵攻の際に落城し、天正2(1574)年に滝川一益が長島城主となると、矢田城は杉山左衛門・野呂孫右衛門に守らせています。天正11(1583)年、羽柴秀吉が滝川一益を北伊勢に追った時に矢田城も落城しました。
A7a1fb06s 公園の案内板に「伊勢湾を望む風景は絶景〉とありますが、まさにその通り。戦国時代、城を築くには好適の地だったと思います。左の写真は、2014年4月3日に桜を見に行ったときに撮ったもの(上野浄水場と走井山の桜、そして三岐鉄道北勢線)。勧学寺の鐘撞堂に上がって撮りました。東の方を見ています。赤い橋は、国道23号線の揖斐長良大橋。北勢線の電車を入れて撮りたかったのですが、あいにく時間が合わず。
ebb83b63.jpg こちらが勧学寺の本堂。聖武天皇の御代(724~749年)、行基菩薩の草創によるものと伝えられています。室町の頃(1390~1570年)までは走井山北麓にありました。同地内(現在の桑名高校付近)の海善寺が廃寺となり、本尊の千手観音立像が当寺へ移されてきています。走井山矢田城主の矢田市郎左右衛門は、この観音様を深く信仰していたといわれます。その後の経緯はよく分かりませんが、桑名藩主・松平定重公(1657~1710年)の時、現在地の矢田城跡に再建されました。明治の初め(1870~1880年頃)、いったん廃寺の憂き目に遭ったものの、近在の信者有志の尽力により再興されました。本堂は、松平定重公寄進のもので、市内に現存する寺社建築としては最も古いと推測されています。この写真ではわかりにくいのですが、久松松平家の家紋である梅鉢紋が屋根瓦に残っています。三重四国八十八箇所の第3番札所伊勢西国霊場の第31番札所。
e436e31f.jpg  ご本尊は、千手観音立像(せんじゅかんのんりゅうぞう)。平安時c53b3541.jpg 代後期のものとされています。像高165.3cmの樟の一木造り、三重県文化財。秘仏だったのですが、保存状態が悪かったため、昭和39(1964)年に京都国立博物館内美術院国宝修理所で解体修理し、復元しました(こちら)。右の写真は、ご本尊修復に際して、修復奉賛会が掲げた説明板。
f7eee80b.jpg 本堂天井に描かれた「水飲み龍」です。『桑名の伝説・昔話』(近藤杢・平岡潤編、昭和40年9月発行)の中に、勧学寺の天井に描かれた龍について「走井山観音堂附近の井戸に、或る夜、堂の天井に描かれている龍が動き、抜け出して、井戸の水を飲みに来た。そこで龍の目に大きな釘を打ちこんだと言い、今にその釘が残っている。名画や名工の作品によくある伝説の一つである。」と記されているそうです(こちら)。ただし、現在は釘は残っていません。
c05c96f5.jpg 桑名市教育委員会の文化財のサイトには「船絵馬や俳諧札、算額などa59762df.jpg が本堂に奉納されている」とあります。左の絵馬?には、「元禄六年」とあります(元禄6年は、1693年)。
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 一通り写真は撮ってきたものの、説明はなく、よく分からないというのが、6db8d65a.jpg 正直なところ。こちらのサイトには、「奉納された『大絵馬』伝説なども知られている」とあるのですが、この伝説は、ネット検索では不明。
09f8a703.jpg 左の写真のようなものなども掲げられていますが、読めません(苦笑)。崩し字の読76e682b9.jpg み方を習いたいと思いつつ、そのままですし、分かりません。最後の文字は、「畏」でしょうか? 右の写真は、天女のように見えますが、何でしょう? 知らないこと、分からないことばかりです。
15967991.jpg 太子堂です(写真は、今年4月14日のJRさわやかウォーキングの時に撮影したもの)。本堂横にあります。もとは、明和年間(1764~1772年)に桑名惣大工中が寄進したものです。しかし、平成2(1990)年2月、火災のため焼失。平成3(1991)年、市建築組合の手によって再建されています。
d2582d31.jpg 左の写真は、鐘楼。4枚目の写真は、ここに上がらせてもらって撮りまし61ca60cc.jpg た(微笑)。右は、仏足石(2013年4月2日に撮影:走井山勧学寺の桜と、三岐鉄道北勢線のナローゲージ電車、そして私の好きな三猿の庚申塔)。江戸末期の作で、分類上「勧学寺様式」ともいわれる特殊な福輪相図(足裏の絵)が精密に刻まれていて珍しいとされます(市指定民俗資料の説明板による)。
1a485390.jpg  勧学寺境内には、地蔵堂もいくつかあります。左の写真のお地蔵様は、鉢巻地蔵。鉢巻地cf9d9f6f.jpg 蔵は、太子堂のすぐ側。右は延命地蔵。他にも、水子地蔵もあります。
05e1c96c.jpg  江戸時代の地誌「久波奈名所図絵」にも

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走井山が載っています。走井山については、「当山は寺内に桜の木数株ありて、花の時幽艶なり。桑城の地境纔(わずか)に離て山に傍て清閑の地なる故、雅客来て常に吟詠す。七月十日の縁日には暁天より四来の参詣年々に増加せり。(俗に十日参りといふ)」と記しています。
 最近の関連記事は、次の通りです:

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 5月26日のJRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」、とうとうというか、やっとというか、その5で完結編を迎えられそうです。その4では、旧長谷川邸を見たところまで。スタートから約7㎞。
1be47a23.jpg 魚町通りから本町へ。県道24号線に面して、松阪市産業振興センターがあり、この中に松阪もめん手織りセンターが入っています。松阪もめんは、天然藍の先染め糸を使い、「松坂嶋(まつさかじま)」と呼ばれる縞模様が特徴の松阪地域で生産される綿織物です。江戸時代、松阪もめん(当時は伊勢木綿、もしくは勢州木綿と呼ばれた)が大流行したそうです。このセンターは、松阪もめんを普及させようという目的で作られました。松阪木綿の反物や商品が売られており、また、6台の体験用機織り機があり、機織り体験もできるそうですが、ざっと一通り見ただけ。商品は、こちらのリンク先をご覧ください。
38cf8a76.jpg 松阪もめん手織りセンターの東隣、本町交差点の角にあるのが、豪商ポケea935f76.jpg ットパーク。ちょっとしたイベントなどができるようです。四阿は、かつての三井家に存在した建物の2階部分の屋根をイメージした「寄棟」。四阿の前には「来遠像」が鎮座。来遠は、ライオン。三井家と松阪市の歴史と未来をつなぐ象徴として、三越伊勢丹ホールディングスから市に寄贈されたそうです。三越の前にいるライオンさんです。
ff0cd31a.jpg この日のさわやかウォーキングのテーマを忘れそうですが、この松阪撫子です。豪商ポケットパークにも飾られていました(微笑)。この豪商ポケットパークは、上述のように、三井家との縁でここにできています。というのも、このすぐ近くに三井家発祥の地があるのです。
6c4ad2b0.jpg 豪商ポケットパークの東は旧伊勢街道。伊勢街道を少し北に行くと、このd4edf0dd.jpg 三井家発祥の地があります。江戸時代屈指の豪商であった三井家は、松阪本町から、天下に飛躍していきました。豪商三井家の創業の祖は、3代高利(たかとし)(元和8(1622)~元禄7(1694)年)ですが、ここには白粉町(おしろいまち)来迎寺より移した初代高安と2代高俊の墓、高利の長兄らの供養碑などがあります。また、高利の産湯に使ったという伝承のある井戸や、発祥の地の記念碑も建っているそうです(ただし、内部は非公開。こちらの三井広報委員会のサイトをご覧ください)。
9a194185.jpg 三井家発祥の地から、旧伊勢街道を北へ100mあまりのところに、松阪商48395142.jpg 人の館があります。江戸で紙や木綿を手びろく商いしていた豪商・小津清左衛門の邸宅です。小津清左衛門については、パスしてしまった歴史民俗資料館で企画展を開催していました。格子と矢来のある質素な外観ですが、内部はかなり広く、土蔵も2つ残っています。
35922ac1.jpg 左の写真は、内蔵。18世紀初頭の建設で、木造二階建て。現在、内部はc29eff44.jpg 資料室として、小津清左衛門や松阪商人についての資料を公開(内部は撮影禁止)。右は、台所にある竈。主屋は、17世紀末から18世紀初めにかけて建てられ、明治期まで数度にわたって増改築が施されています。見世の間、奥見世の間、勘定場など15の部屋があります。
e56c68ee.jpg 旧長谷川邸にも展示されていたのかも知れませんが、ここで千両箱万両箱を発見。どちらもこの状態で、ケースに入れて展示されていましたが、千両箱は時代劇などで見るものとイメージがかなり違っていました。松阪商人の館に着いたのが13時35分、15分ほど見学して次の目的である岡寺山継松寺に向かって、旧伊勢街道を南に向かいます。
e3c79958.jpg こちらが旧伊勢街道。南を向いて歩いています。伊勢街道は、日永の追分(四日市市)で東海道から分岐し、ほぼ伊勢湾沿いに津、松阪と南下し伊勢へと至る街道です。歩きながら、ずっと前の方を見ますと、「和田…」という大きな建物が見えてきました。ひょっとして、これは……。
baecba72.jpg やはりそうでした。あの和田金です。言わずと知れた松阪肉の名店。「松e6b29c61.jpg 阪肉元祖」ということばが店名の前についているくらい。明治の創業以来130年あまり。牛銀本店よりも古い。寿き焼きコースのお値段は、松が16,700円、竹 14,600円、梅は12,200円となっています。ここも縁がありませんが、昔々、家内の友人のご両親から和田金のお肉をいただいたことがありました。
337af076.jpg さて、与太話はともかく、この日最後の目的地は、岡寺山継松寺(おかでらさんけいしょうじ)。高野山真言宗のお寺。ご本尊は、如意輪観世音菩薩。通称「岡寺さん」。天平15年(743年)に聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建したと伝わっています。東大寺建立の大事業が無事成功することを祈願するために建てられた寺院でした。元来は市内石津町にあったが、江戸時代初期の慶長17(1612年)年、時の松坂藩主古田重治により現在地に移転されました。到着は、14時。
0de1fd71.jpg 継松寺は、厄除け、開運の観音さまとして知られていますし、もう一つは、3月の初午大祭で有名です。初午大祭は、3月初めの午の日を中心に前後3日間に渡って行われ、県内の仏教寺院としては最大の規模だそうです。厄年の男女、特に振袖で着飾った19歳の女性で賑い、厄落としと称してハンカチを境内に落としていく習わしがあります。
88acdc67.jpg この日は、「第12回松阪撫子どんな花?祭り」を開催していましたが、継1dc3dfc3.jpg 松寺では、撫子姫大茶会や撫子市が開かれていましたので、けっこうな賑わい。振り袖のお嬢さん方や、侍に扮した男性などもいたりしました。
28f33192.jpg 本堂には、奉納された絵馬がいくつかありました。いずれもかなり古そf33fac53.jpg う。右の写真の絵馬には、「江戸 岩城屋」と書いてあります。調べてみたら、「岩城屋江戸店」の絵馬でした(こちら)。もとは近江商人で、麹町に江戸店があったようです。寺宝もいろいろとあります。それらはこちら
8a2d171e.jpg 岡寺さんで目についたもの。まずは、「千度拝標石」といd1b0a86b.jpg うのが、山門をくぐってすぐ右手にありました。「お百度石」はあちこちで見ますが、「千度石」は見たことがありませんでした。もう一つはお寺の筋塀(すじべい)。白い水平線が入った土塀で、御所や門跡寺院などに用います。格式により数が増え、5本が最高ですので、岡寺山継松寺は格式の高いお寺ということ。継松寺も一度は来たかったところで、念願が叶いました。今度は、初午大祭の時にでもと思うのですが、大賑わいらしいのでちょっと迷います。
329e4e98.jpg 伊勢街道から岡寺山継松寺への道は、「観音小路(かんのんしょうじ)」とe6fecb78.jpg 呼ばれます。ここで、文政2(1819)年創業という店がありました。伊賀屋。「さわ餅」が名物。さわ餅は、松阪・伊勢志摩で身近なお餅。四角に切ったのし餅に餡を挟んだシンプルなお餅で、白とよもぎの2種類があります。いやぁ、買ってくればよかった。
f16b139c.jpg 観音小路から旧伊勢街道へ出て300mほど。鯛屋という旅館がありましcdd3f6f2.jpg た。由緒がありそうでしたので、写真を撮ってきて、調べたら創業220年とか。ネットで調べると、リーズナブルなお値段でも泊まれるようですし、女将などのおもてなしもいい感じだそうです。泊まってみたいものです。鯛屋旅館の先の日野町交差点を左折(東へ)すると、スタート&ゴールのJR松阪駅までは400m足らず。
1f814f9c.jpg 途中でお寺を見つけましたので、ちょっとだけ寄り道。浄土真宗高田派の龍渓山願證寺。近江国日野から移築したと伝わるそうです(こちら)。本堂裏の墓所には小泉家歴代の墓があり、その一角に宣長の歌碑があるのですが、これは後から調べて分かったこと(苦笑)。予習をしないと、こんなことばかりです。
06f0491b.jpg JR松阪駅到着は、14時20分。スタートから4時間5分、歩いたのは9.4㎞。bf765502.jpg この日は蒸し暑くて大変でした。14時54分の、これまた近鉄急行名古屋行きに乗車して帰宅。桑名駅着は、16時2分。今までのJRさわやかウォーキング、近鉄ハイキングの中でもっとも疲れた気がします。
ee12ec97.jpg  JRさわやかウォーキングのスタンプは、5個目をゲット。近鉄ハイキングに比べスローペースです。近鉄ハイキングは桑名やその近くでもかなり頻繁に開催されるのに対して、JRさわやかウォーキングJR東海のエリアで広く開催されますので、遠方には行っていないからです。
 5月26日に出かけ、記事が完成するのに1ヶ月と10日ほどもかかってしまいました。もう愛想を尽かされたかも知れません(苦笑)。見落としたところや、行かなかったところもありますので、城下町・松阪、もう一度出かけたいと思っています。
 ところで、JRさわやかウォーキングは、7、8月はお休みだそうです(こちら)。さすがに〈さわやか〉とは行かないからでしょうねぇ(微笑)。それに、開始以来参加者が500万人に達したということです。

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