今年(平成30(2018)年)中に出かけた、「勝手にハイキング/ウォーキング」の記録です。独断と偏見に基づいて選んでおります故、ご了解下さい(笑)。いずれも、元の記事へのリンクをつけてあります。





1.2018年1月16日:高田本山専修寺と一身田寺内町散歩 7.5㎞




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 1月11日に近鉄ハイキングで「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」c3cc7f1c.jpg


に行ったのですが、高田本山で見てきた範囲が限られていたのと、一身田寺内町がなかなか興味深いところだったので、もっと見て回ろうと考えたのです。それと、小声で言いますが、「御非時」、もう1カ所でも食べてみたいという気もありました。




 近鉄高田本山駅から一身田寺内町、専修寺を回って、JR紀勢線一身田駅まで。予告編はこちらにあります。




2.2018年2月28日:四日市市立博物館から作家丹羽文雄が生まれた崇顕寺 2.7㎞




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 四日市市立博物館で「なつかしいくらしと昭和の元気な子どもたち」展を6641d8a6.jpg


見に行ってきました。展覧会は、学習支援展示でしょう学生向けなのですが、楽しめます。ここで鉄道図録とマンホールカードをゲットし、ちょっとだけ足を伸ばして、作家丹羽文雄の生家である仏法山崇顕寺を見てきました。こちらをご覧ください。




3.2018年3月14日:林性寺の涅槃図と稲荷大師堂(津市榊原町)




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 「勝手に」シリーズに入れて良いか迷いましたが、歴史散227225e4.jpg


歩の一つとしてカウントします。 大龍山林性寺は、かつてこの地を治めていた榊原氏の菩提寺として、天正16(1588)年に開基。天台真盛宗。このお寺には日本に3幅しかないといわれる、猫が描かれている涅槃図があります(室町時代の画僧兆殿司による)。毎年3月14~16日に開帳されるので拝観してきたのです。記事は、こちら。お寺には「稲荷大師堂」があり、お稲荷さんと、弘法大師様と、鯖大師様が同居しておられます。




4.2018年4月23日:近鉄名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など 8.8㎞




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 津にある松菱百貨店で「夢のメダカの祭典と山野草・盆栽展」を覗くつい2494207f.jpg


でに、近くを独りで「近鉄ハイキング」してきました(微笑)。津藩主・藤堂家にかかわる「寒松院」、浄明院(ここには江戸川乱歩が建てた、彼の実家・平井家の墓もあります)、大門商店街、津観音、津城跡・お城公園、藤堂高虎公を祭神とする高山神社を巡ってきました。お昼は、あの千寿の「天むす」でした。予告編は、こちら










5.2018年6月24日:朝日町天神山、苗代神社、縄生廃寺跡から東海道を江場まで 6.6㎞




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 この日は、三重郡朝日町の天神山とその近くにある苗代神社(左の写真)と縄生廃d6ccf0ed.jpg


寺跡(右の写真)を見たのち、旧東海道を桑名市江場あたりまで歩いてきました。往きは近鉄、帰りは三重交通バスを利用。こちらをご覧ください。正式な(?)「勝手にハイキング/ウォーキング」シリーズとしては、第3弾。






6.2018年7月 3日:桑名市内旧東海道を歩く 8㎞




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 次の九華公園のパネル展示を「桑名市内の東海道案内」にしようという9af39dfc.jpg


ことで、そのための、いわば取材ウォーキング(パネルは、現在「桑名の東海道」として展示中)。市内の東海道はずいぶん前に歩いていますが、パネルを作成するに当たって、写真を撮り直すのと、以前と様子が変わったところがないかを確認するため歩いてきたという次第。町屋橋跡から七里の渡し跡に向かって歩くことにしました。三交バスで城南口まで行き、京町見附跡あたりまで歩いてきました。本当は、七里の渡し跡まで行く予定でしたが、時間切れ。「京町見附跡」まで歩いて、その後は寺町を通り、帰宅。記事は、その1その2その3の3本立て。左の写真は、町屋橋(国道1号線)。右は、桑名城の文が移設されたという了順寺。






7.2018年7月10日:東海道旧蹟撮影 5.3㎞




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 この日は、「桑名の東海道」パネルの補足取材のため、七曲見附跡と蟠f27a8002.jpg


龍櫓の再撮影。猛暑でしたので、寺町から、七曲がり見附跡最寄りの萱町までバスを利用(アンパンマンバス、ナガシマスパーランド往きです)。たかだか1.4㎞、所要時間は5分(笑)でした。撮影場所は、七曲見附跡、顕本寺、蟠龍櫓の3ヶ所。途中、九華公園にも立ち寄っています。




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 顕本寺は、桑名藩ゆかりの人物のお墓がいくつかあります。吉村又右衛門宣充、水谷九左衛門光勝の墓の他、服部半蔵の墓もあります。服部半蔵は、それを通称の名乗りとした服部半蔵家の歴代当主。3代目服部半蔵・正就は父と同じ石見守を名乗り、桑名藩主・松平定勝公の娘・松尾を妻としました。仔細あって改易を申し付けられ、岳父である松平定勝の元で蟄居となっています。その弟・正重は、兄を継いで服部半蔵を襲名し、徳川秀忠の小姓や家康の近侍、佐渡金山同心を務めたものの、のちに改易となり、その後、桑名藩主・松平定綱公に年寄の身分で召し抱えられ、二千石を得ています。これによって桑名藩の家老として服部半蔵家が存続したのです。また、正就の系統は、上述のような血統から藩主一族の扱いを受け、重臣たちが住まう丸の内にひときわ大きな屋敷を与えられるなど、服部半蔵家以上に優遇されました。写真は、服部半蔵を名乗り、家老となった系統の服部家の墓。現存するのは、正重(伊豆守)、正啓(正賢)、日記(内記)、正義。






8.2018年11月21日 :四日市市楠町でバードウォッチング 9㎞




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 ブロ友のひらいさんのお勧めもあ、四日市市楠町方面へ野鳥観察に出ce3ab13f.jpg


かけてきました。四日市港の潮汐表を確認したら、干潮が10時37分でちょうど良いということもあってです。名付けて“20181121勝手に「近鉄バードウォッチング(笑)」in四日市楠町”。近鉄名古屋線楠駅を下車し、町内を歩き回り、北楠駅まで。記事は、こちら






9.2018年11月25日 千代保稲荷神社 




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 これもこのシリーズに入れて良いか迷いましたが、歴史散歩の一環としadd9fa47.jpg


て。迷った理由は、家内の母親を連れての気晴らしだったからです。海津市にある千代保稲荷神社は、この地方では、「おちょぼさん」という愛称で親しまれています。商売繁盛・家内安全のご利益があるとされ、正月の他、月末もたくさん参拝する方が訪れます。毎月末(晦日)から翌1日にかけては、「月越参り」ということで、境内は夜通し多くの参拝者が来られるそうです。






d5455932.jpg おちょぼさんの南には、「荷席(かせき)稲荷大明神」がありました。隣にある早川家の先祖が創設したものです。早川家は、第59代宇多天皇(887~890)に源を発し、佐々木源寺として近江国に栄えたという家柄。9代目の子孫・早川兼明左近が弘治元(1555)年、この地に来て、地頭地主となりました。その守り神として、以前は別のところにあったものを農地解放後、ここに移設し、早川家と地域社の守護神として祀られているということですから、まぁ歴史散歩もしてきたというワケです。記事はこちら




10.2018年12月11日 :伊勢神宮・外宮参拝、神宮暦を入手 4㎞




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 最近伊勢神宮にお参りしていないということと、もう一つ、ある方のブログ9e33139b.jpg


で知った「神宮暦(神宮司庁発行)」を入手したいと思って、伊勢まで行ってしまいました。外宮にお参りにするには、JR・近鉄伊勢市駅が最寄り。ただし、桑名から近鉄でも、1時間半弱、¥1,200かかります。けっこう遠い(笑)。伊勢神宮・外宮のご正宮、別宮などにお参りし、無事に神宮暦を入手。




7669421b.jpg せっかく伊勢まで来ましたから、伊勢グルメ。まずは、赤福。赤福外宮前c7f35125.jpg


特設店で「赤福盆」をいただいてきました。¥210。昼食は、行く前から伊勢うどんに決めていました。黒く濃厚なつゆ(タレ)を、太い緬に絡めて食べます。麺は長時間かけて柔らかくゆで上げられています。具やトッピングは少なく、薬味の刻みネギだけで食べることが多いのですが、入った店のおすすめということで、卵の天ぷらをトッピング。¥600。元の記事は、こちら。補遺編もあります(ここ)。




オマケ:伝馬公園遺跡発掘調査説明会 




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 12月8日午後、桑名市内の伝馬公園遺跡発掘調査説明会が開催され、89899844.jpg


参加してきました。伝馬公園では市の公共施設整備計画がありますが、市教育委員会が行っている遺跡発掘調査で、江戸時代、桑名城下町に全国6番目に整備された上水道管が初めて敷設状態で見つかったのです。我が家からは、南へほぼまっすぐ。徒歩で1.7㎞、20分あまりで行けますので、歩いて往復。伝馬公園は、16世紀末頃からこの地に所在した浄土真宗の寺院「願証寺」の境内の一部であったと伝わります。願証寺はもとは長島にあり、東海地方の浄土真宗の中心として、門徒10万人余を擁する一大勢力を保っていました。本願寺が織田信長と対立したとき、願証寺も信長に反旗を翻したのですが、天正2(1574)年に信長に滅ぼされました。しかし、江戸時代、桑名に再興し、約1万坪(約33,000平方メートル、野球場3個分くらい)に及ぶ境内を有していましたが、正徳5(1715)年の高田派への宗旨替えで内紛が起こり、廃寺に至ったといいます。元の記事はここにあります。




078ab799.jpg 左は、町屋御用水の遺構と考えられたもの。上水道管は途中で途切れed1c32b0.jpg


ていますが、手前側(東側)には、割れているものを含め5本、向こう側(西側)には3本が、それぞれつながった状態で見つかっています。右は、墓地の後と思われるところ(人骨が写っていますので、ご注意ください)。倒壊した多数の墓石の下に、甕棺や木棺などに埋葬された人骨がたくさん出て来たそうです。遅くとも18世紀中頃には墓地として利用され、19世紀以降廃絶したと見られるといいます。




 以上、正式な(?)JRさわやかウォーキング、近鉄ハイキング以外に、歴史やバードウォッチングその他で、自分の興味に関わって出かけた記録であります。ハイキングやウォーキングを入れると、週に1回くらい、あちこちウロウロしているようです。活動は、振り返ってみると気づかなかったことが見えてきそうです。