猫の欠伸研究室(アーカイブ)

~淡々と飽きもせず……~ チベット・ラサの僧侶曰く、「人の生涯は猫の欠伸のようなものだ」

2005年11月

051130_060201 今日は,本格的な冬を思わせる寒い一日でした.起床時間がやや遅くなっていたのですが,昨日・今日と5時過ぎに起きています.写真は,朝6時頃の東の空で,やや明るくなりかけたかな,というところです.北日本には,北極からの寒気団が入ってきているというニュースもありました.ヨーロッパではこの寒気団でかなり寒く,雪も多く,事故や停電があるなどの被害が出ているということです.

 午前中は,年休を取って,定例の病院受診でした.ほぼ順調に経過しており,また近いうちに投薬量が減らせるでしょうということでした.桑名市郊外にある山の中の療養所というイメージの病院ですが(隣のトトロに出てくるような感じの病院です),受付の方も看護師さんも薬剤師さんも親切です.主治医は,私より遙かに若い先生ですが,きちんと話を聴き,説明してくださいますし,受診すると元気が出てきますので,不思議なものです.

 午後からは,自宅研修とさせてもらい,授業の質問回答を書いていました.あまりにもトンチンカンな質問は減ったように思うのですが,いろいろと傑作はあります.「反抗期は,子どもの自我が健全に発達していることを示すというが,少ししか反抗しない子どもより,反抗ばかりする子どもの方がより発達しているのか?」というのは,その第一でしょう.

 マイブックスにもあげておきましたが,「畑村式『わかる』技術」に,「授業がわかりにくいのは,エッセンスだけを正しく教えるからだ」という記述がありましたので,なるべく体系的に,背景にどのような変化があって表面にそれに対応する変化がみられるのか,それらの行動を獲得するとどういう意味があるか,ということなどに注意して説明したつもりでしたが,学生達全体にそれが理解されるのは,難しいことです.毎回,質問カードを読みながら,大笑いしたり,「聞いてないのか?」と腹を立てたり,「あんなに説明したのに」とか「考えて聞けよぉ」と思ったり,「低下しているのは,日本語能力だなぁ」と納得したりしています.

 学生達は,「具体例が知りたい」とよく書いてきます.具体例を聞くとわかったような気がするのでしょうが,具体例ばかりでは,個別事例の積み重ねにしかなりませんので,それと理論を結びつけたり,体系的な理解に導くためには,どうしてもある程度抽象化した話もせざるを得ないのですが,そういう話には,まさに“アレルギー反応”が出て,それこそ「パタッと」寝てしまったりするのです.学問自体が,ことばを用いて概念的な説明をするという特性を持っている訳ですので,具体的レベルに終始していては先に進みません.抽象化する際には,具体的な細部については,捨象される部分も出てくるのですが,そういったことの理解は,学部の学生達には難しいのかも知れません.

 ただ,あくまでも推測でしかありませんが,こういう現象の背景には,看護学部の学生達は,「看護師資格を取りたい」という動機で進学してくる場合がほとんどだということがあるように考えられます.私は,文学部の出身ですが,資格取得や就職ということはほとんど考えずに,「心理学を勉強したい」と思って進学しました.私などは一種のモラトリアム状態であったかも知れませんが,学問に対する態度とか,動機づけがかなり異なるように思えます(別に,文学部志願者が高尚であるとかそういう議論ではありません).看護学部の学生達は,「看護学という学問を勉強している」という感覚は非常に希薄で,「看護もしくは看護師受験資格に必要な授業科目(学問ではありません)を勉強している」という感覚ではないだろうかと思えます.

 この推測の背景には,人文社会学部のG先生がまとめられた調査で,看護学部の学生は,資格取得志向が強いということと,課題が明確なときには一所懸命取り組む傾向が強いという結果を報告しておられることがあります.もしそうだとすると,教員が,授業において学生に求めるものと,学生が授業(あるいは,教員)にもとめるものとは,ズレがあるということになるのでしょう.

 看護学の場合,学部のレベルでは「職能教育をしている」という考え方が強く,それはそれで妥当なのだろうと思います.しかし,学問としてみた場合,学問として看護学をとらえて,それを学ぶのが,大学院修士課程のレベルからということになっているように思われます.それとともに,「研究」のスタートも,大学院レベルからということになっています.このあたりは,看護学の学問としての発展にも関わってきているように感じています.

 学部学生の質問についての話から,妄想のように,看護学の学問としてのあり方にまで話題を広げてしまいましたが,「戯言(「ざれごと」と読んでいただいても,「たわごと」と読んでいただいても構いません)」として,読み流して頂ければ幸いです.「一見アカデミック風な漫談(雑談?)」ですので,ご容赦下さい.

 さて,明日は木曜日で,人文社会学部の授業と,博士前期課程の演習です.教科書原稿も仕上げて,編者の先生にお送りしなければなりません.寒くなりそうですから,体調管理に気をつけなければなりません.1年ほど前には,調子が悪く,気管支肺炎になりかけたこともありましたので.

 気がついたら,またまた長くなってしまっていました.昨日の反省が生きていないか,あるいは,大人になっていないため,反省がポーズだけで本当の反省になっていないのでしょう(いわれる前に,書いておきます).

 だんだんと気合いが入ってきてしまったのか,長い文章が続いてしまいました.いつも学生や院生には,簡潔明瞭に,1つの文は短く,何を書きたいか整理してなどといっている身としては,反省せざるを得ません.「反省はサルにもできる」という声が聞こえてきそうですが,サルには反省はできません.本当に自分のこととして受け止め,反省できるためには,大人になっている必要がある,と思っています.

 さて,今日は火曜日で,午前中は1年生の基礎ゼミ,午後は,打合せが1件でした.秘書のMさんが来て下さる日でしたので,以前このBLOGにも書きましたが,教科書原稿用の図表の整理などをお願いしました.こういった仕事をお願いする以外にも,もろもろの相談にも乗ってもらったり,考えをまとめるのに話し相手にもなってもらったりしていますので,私にとっては必要不可欠である,貴重な人材です.

 明日の水曜日は,午前中は定例の受診日で,午後からは自宅で仕事をしようと予定しています.月曜日の授業の質問カードの回答作りを済ませ,その後は,いよいよこの間の教科書原稿を最終的に仕上げて送る準備です.編者の先生からのご依頼である「章末問題」を整理し,文章を最終的に修正し,さらに,引用文献リストを作成してできあがる予定です.教科書原稿が仕上がると,依頼された仕事に就いては,一区切りがつきますので,自分の研究用の文献読みや,データ整理を始めたいと計画しています.

 昨日の研究指導では,一人の院生から,「今朝は,『有意差,有意差』ということばで目が覚めました」といわれました.Web日記で,「先生が夢に出てくるんです」という話題を書いたことがありますが,こういうのは,私のせいなのでしょうか,それとも,院生の方が熱心すぎてこうなっているのでしょうか(?).なかなか検証困難な疑問です.それにしても,院生とはいえ,他人様の夢にまで登場しているとは,どおりで疲れるはずですねぇ(爆).

 今日は,月曜日でしたので,午前中は学部2年生の「発達心理学」の授業でした.幼児前期の話で,ことばの広がり,基本的生活習慣の形成,対人関係の広がりというテーマを中心に話をしました.表面に現れた行動の変化だけではなく,それに関わる背景要因や,それを獲得することにともなう意味などについても話すようにしましたので,多少はわかりやすかったのではないかと思っていますが,まだ質問カードを読み終えていませんので,何ともいえないところです.

 午後からは,M2の方の研究指導と,夕方は,M1の院生の研究倫理委員会への申請書の確認をしていました.

 さて,今日のタイトルは,研究室としました.われわれはふつうに「研究室」といっていますが,よく考えてみると,研究室って何?ということがあろうかと思った次第です.「研究室」という場合,2つの意味を含んで,使っています.

 その1つは,物理的な存在としての研究室です.大学の場合,講師以上の専任教員には,「個人研究室」が与えられます.確か「大学設置基準」に「研究室は,専任の教員に対しては必ず備えるものとする」という規定があります.広さについての基準もあったと思いますが,記憶が定かではありません.大学によっては,教授になると,広さが倍になるという話も聞いたりしますが,うちの大学ではそういうことはありません.ただし,今はどうか分かりませんが,前身の短大を設置したときには,教授には,「両袖の事務机」と「教授用椅子」を置くことになっていたようです(このあたりが,いかにも公立大学で,お役所だなぁと思ったものです).私が短大に着任したときの職位は,助教授でしたが,教授の先生の後任でしたので,それらが備えられていました.しかし,研究をするという点では,「両袖の事務机」は,必ずしも便利ではありませんでした.というのも,両側に引き出しがついているのは良いのですが,当然それらは固定されていますので,使い勝手としてはあまりよくありません.また,「教授用椅子」も,座り心地はそれなりによいのですが,「仕事をする椅子」ではなく,私にとっては,「昼寝には快適な椅子」といった方が良い感じのものでした(もちろん,値段はそれ相応なのでしょうが……).さらに,研究室には応接セットも入っていました.応接セットよりは,本や資料を広げられる広さのテーブルの方がありがたいと思ったものでした.

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 その後,両袖の事務机はそのまま使っていますが,椅子はOAチェアに代えてしまい,応接セットも事務室に引き取ってもらって,大きなテーブルを入れてあります.とくに最近は,パソコンが必需品ですし,院生の研究指導を行うようになりましたので,この方が便利です.写真は,ことしの8月に撮影したものです.ここに写っている部分は,「共有スペース」として,院生・学生・研究員の方が使えるようにしてあります.手前側(奥になります)が,私のスペースで,そこは,仕事上,秘密を守るべき書類などもあったりしますので,「専有スペース」で,私以外は「立ち入り禁止」としてあります(ただし,共有スペースの1/3位の広さです).きれいに整理された状態で写っていますが,これは,かなり大規模に古い書類や本,不要になったものを処分して,本の整理・整頓を行ったあとのものです.この作業には,研究員兼非常勤私設秘書のMさんの貢献が大でした.あまり大きな声では言えませんが,ものを処分する際には,女性にお願いした方がきれいになるようです.というのも,女性の特性の1つとして,自分のものはなかなか捨てないようですが,他人のものになると相当大胆に捨ててくれるからです.少し前に,女性の著者が書いた「捨てる技術」というようなタイトルの本がベスト・セラーになっていましたが,そこにも「夫のものは捨ててしまえ」というようなことが書いてありましたので,偏見ではないだろう,と私自身は密かに確信しています.

 さて,話を元に戻しますが,「研究室」の意味のその2は,組織としての研究室です.ただし,これは「通称」と言うことで,何かの規則に書いてあるわけではないのです(確かめていませんが,おそらく間違いはないでしょう).教員がいて,そのゼミに所属する学生や院生を含んだ総称としての「研究室」という意味です.「小講座制」であれば,教員には,教授,助教授,講師,助手が含まれますが,私のところは,「学科目制」とでもいうシステムですので,教員は私のみで,院生が,現在は博士前期課程の4名(1名は休学中),研究員が2名ということになります(研究員のうちお一人の方に,非常勤私設秘書をお願いしています).博士後期課程も,院生を取れるのですが,今のところは,私の指導する後期課程の院生はいません.学部の1,2年生については,それぞれ10名ずつ指導担当学生がいますし,1年生の指導学生については,「基礎ゼミ」という科目を担当していますが,彼・彼女らは,ふつうは研究室のメンバーには含んでいません.いつもこのBLOGに登場するI助手は,正式には,学部の精神看護学の助手で,大学院については,精神保健看護学分野の助手です.したがって,私に関わる場合は,大学院の精神保健看護学の助手としてということになります.

 大学院の精神保健看護学分野には,精神看護学専攻の教授の先生がもう一人いらっしゃるのですが,研究指導については,独立して行い,修論発表会などは共同で開催するという関係になっています.私の方は,臨床心理士であり,発達臨床心理学が専門ですので,看護学分野で心理学的なテーマを研究したい院生の方が集まっています.以前に「修士論文中間発表会(11/2)」で書いたように,今のところ大きく2つのテーマにまとめられる研究が進められています.研究指導は,どうしても個別の指導になりますが,私自身の院生時代の経験からは,院生同士で相互に研鑽し,切磋琢磨をはかり,刺激し合うということが意味があると考えていますので,学年が異なってもなるべく顔を合わせて,どういう研究に取り組んでいるかや,どういう手法を使っているか,どのくらい進んでいるか等が分かるようにしたいと思っています.さらには,先輩・後輩・研究員の間でのつながりも大切にしたいと思っています.

 今年度後期は,M2の方の研究指導がいずれも月曜の午後に入っており,また,月曜の夕方はM1の院生も授業の前に立ち寄ったりしてくれますので,こういう機会に交流を図ったり,お茶を飲んだりという場をもっています.女性がほとんどですので,賑やかになりますし,おいしいお菓子があるとたちまちのうちに消費されるのですが,まあ,楽しく,かつその中にも,学問的には厳しくやりたいと願っています.

 

 先ほど,Blogをずっと読み返していてようやく気づいたのですが,このBlogをスタートしたのが10月26日(水)でしたので,1ヶ月が過ぎたことになります.この間,毎日記事を書くことができましたが,それは,1日あたり平均30名の方が読んで下さっているという事実のお陰です.感謝申し上げます.

 自分のストレス解消のための戯れ言や与太話にこんなにたくさんの方を付き合わせてしまって良いのかとも思ったりもします.しかし,枕草子第135段に,「つれづれ慰むもの 碁,双六,物語.<中略>男などの,うちさるがひ,ものよく言ふが来るを,物忌みなれど,入れつかし」ともありますし,当面はこの方針を継続し,「つれづれなるまま」書き連ねていくつもりです.

 お読み下さっている皆様も,コメントやトラックバックで感想をお聞かせ頂いたり,関連情報をお示し下さったりなど,是非ご参加下さい.

 今日は,久しぶりに家内の実家へ一家揃って行ってきました.台所,リビングなどをすべてフローリングに改築したということでしたので,それを見るのと,子どもたちも祖父母にしばらくあっていませんでしたので,顔を見せにというところです.祖父母にとっては,孫が来てくれるというのは,何とも嬉しいようです.

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 実家は,最近は「三重 久居 榊原温泉」とテレビコマーシャルをしている,榊原温泉の裏手にあります.通りに出ると,写真のように,青山高原にたくさん設置された「発電用の風車」が見えます.ちなみに左手の大きな建物が,温泉旅館の1つです(PR料をもらっているわけではありませんが,“湯元・榊原館”というところで,屋上露天風呂などもあります).ちなみに,榊原温泉は,その昔は,「七栗の湯」と呼ばれ,清少納言の「枕草子」にも,「湯は七栗の湯,有馬の湯,玉造の湯」といわれた名湯です.アルカリ単純泉で,肌触りがぬるぬるしています.美肌効果も高いということで,「美人の湯」として宣伝されています.

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 実家のあたりは,山の中の田舎で,紅葉もきれいでした.これも写真を載せておきます.裏山からは,サルや鹿が現れてくることもあります.実家の庭で,大根などの野菜を作っていたときには,サルが集団で盗りに来て,何匹ものサルが小脇に野菜を抱えて山に帰っていく光景が見られたといいます.義父が,「コラッ」と怒ってやったら,サルが一斉に振り返って,にらみ返してきたそうで,それがなかなか恐ろしかったと両親がいっていたことがありました.

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 今年は,あちこちでスズメバチがたくさん発生したというニュースがありましたが,実家の裏庭側の屋根にも知らないうちに,大きな巣が作られていました(写真).また,庭の木には,すでに「蓑虫」が1匹ぶら下がっていたのも見つけました.秋は,確実に深まって来ていました.

 ということで,この頃の休日は,いつもゆっくりしているのですが,今日は,田舎のゆったりした時間と風景の中で過ごすことができ,いつも以上に休養になったような気がしています.

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