昼頃、少し雨が降りましたが、おおむね曇りという一日でした。体調は、可もなく不可もなくというところでしょうか。愚息が、昨日から明日まで、2泊3日で、自転車のロードレースの県予選と、合宿で留守をしていますので、何となく静かで、スローな生活です。こういう状態で思うと、善くも悪くも、愚息は、わが家の中心のようです。
さて、“月光仮面”といえば、昔のテレビ連続ドラマです。放映されたのは、1958年(昭和33年)からでした。私の実家は貧乏でしたが、父親は、新しい機械ものが好きで、テレビも比較的早く、記憶では昭和34年くらいに買ってきたと思います。当時、どこの家庭でも同じだったと思いますが、テレビには垂れ幕というか、布織物のカバーがかけてあり、観るときには、その幕を上げて、なおかつ、なぜか部屋の電灯を消して見ていた記憶があります。
その月光仮面ですが、作者が川内康範さんであったことは、例の森進一の“おふくろさん”騒動でよく知られるようになりました。川内さんは、今年の4月6日に88歳で亡くなられ、森進一もそのため、“おふくろさん”を歌うことができなくなってしまったのは、記憶に新しいところです。文藝春秋6月号の“蓋棺録”(p.440~441)に、川内さんの追悼記事が載っており、その中に月光仮面の由来が書かれていました。
それによれば、“月光仮面は月光菩薩から来ている。月光菩薩は薬師如来の脇仏。月光仮面も正義の味方であって、決して主役じゃないんだ”ということでした。昔から、月光仮面というのは、なぜ月光仮面というのかという疑問をずっと抱いていたのですが、月光菩薩に由来するとは思ってもみませんでした。ただ、先日から、平城遷都1300年記念「国宝 薬師寺展」が、東京・上野の国立博物館で開かれており、国宝の月光菩薩、日光菩薩が公開されているというニュースを見て、何か関係があるのかな、とボンヤリ考えていました。
ブリタニカ国際大百科事典では、日光菩薩は、あたかも日光が世界を照らすように、あまねく世間を照らすといいますが、月光菩薩にはとくにそういう説明はありませんでした。ちなみに、薬師如来は、衆生の病気を治して災難をしずめ、苦しみから救う存在です。
謎がすべて解けたわけではありませんが、いかにも、森進一の歌詞の改変に、「俺の志と違うものは歌わせない」といわれただけのことはあると思います。川内さんの父親は、菓子問屋を営んでいたそうですが、倒産すると出家して身延山で修行し、函館に寺を開いたといいます。川内さん自身も経文を読まされ、母親とともに貧しい人たちにお供え物を配ったのだそうです。
ちょっとしたトリビアで、とくに意味はありませんが、妙に感心した次第です。