猫の欠伸研究室(アーカイブ)

~淡々と飽きもせず……~ チベット・ラサの僧侶曰く、「人の生涯は猫の欠伸のようなものだ」

2012年02月

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 関東地方は、大雪で大変だったようで、申し訳ない気がしますが、桑名あたりは、雨も、朝9時過f836acc5.jpg
ぎには上がりましたし、気温も上昇し、15時には13℃を超えました。午後からは、風も止んできて、南向きのリビングでは、ぽかぽかと気持ちのよい時間を過ごしておりました。右は、日照時間のアメダス・データですが、午後からは、ずっと晴れが続いているのが分かります。

 さて、1月末は、この話題をスルーしてしまいましたが、昨年10月末日で退職致しましたので、退職して4ヶ月ということになります。本業は、「無職」であります。ときどき、バイトといいますか、頼まれ仕事をして、バイト代(謝礼)をいただけることもあります。給与所得はありませんが、この3月分までは、「傷病手当金」がいただけます。ちなみに、確定申告をしましたが、昨年の所得は、「ゼロ」でした。我ながら、笑えてきました。きちんとした収入がないのですから、本来ならば笑っちゃいられないのですが、笑うしかないとも思え、笑えてきたのです(笑)。

 もう一つ、ちなみに、「桑名発達臨床研究室」は、これまでのところ、看板を掲げただけで、学会発表をしたときと、市の会議に出たときの、単なる「肩書き」としてしか、今のところ役割を果たしておりません。

 臨床心理士の資格は、大学に転職したときに取得していますので、それを活かして、開業(業界では、「私設心理相談」と呼ばれていて、「開業」というのは、公式の呼び名ではないようであります)ということを考えておりますが、まだまだフルタイムで働けるほど体調・体力とも回復しておりませんし、「リアル相談室」を設けるとなりますと、初期費用も、ランニングコストも、それ相当のものを要しますので、インターネットを利用した形で、発達障害の心理アセスメント相談や、スーパーヴァイズ、研修などに特化したものをと考えているところです(一昨日、2/27の「逃げる」二月の終わりに、そろそろ開業と、うつ本の企画を考えよう
でも、そういった方向のことを書きました)。4月にはやれるところからと思っています。

 臨床心理士の資格は、持っていてよかったとは思うのですが、まだ国家資格ではありませんし、それ故、保険診療の制度には位置づけられておりません。したがって、世の中に知られてきたほど、また、それなりの人気職種ではあるものの、必ずしも、収入には結びつきません。

 大学の教員や、公務員、病院の正職員として勤務していればよいのですが、非常勤、嘱託、パートでしか働けない心理士も多数あり(その方が多いと思われます)、そういう場合、年収300万ということも普通のようです。知り合いで、公務員を退職していったん開業した方があるのですが、「仕事は来るが、儲からない」ということで、今は、私立短大の教員と兼ねてやっておられるようです。

 その一方で、5年ごとの更新制になっており、更新のためには所定の研修ポイントを5年間で15ポイント取得する必要があります(認められた学会への参加が、2ポイントなど)。つまりポイントを取得するためには、それなりの努力と費用を要するのであります。それに小生のような、療養中という立場からすれば、学会や研修会に参加するには、健康も必要なのです(笑)。実は、学会などへの参加費、バカになりません。最近は、1万円超えというのが、常識です。これらに出かけますと、当然、交通費、宿泊費もかかります。専門職」と位置づけておりますから、質の維持、向上は必須です。そのために費用と手間がかかるのは、当然ですが、無職で、体調不十分の身には、ちょっと厳しいところもあります。

 まぁ、これから先、確実なことは一つ。老いは進んでいく、ということであります。あまり手を広げるのは、得策ではなさそうです。これからは、拡大路線ではなく、少しずつ整理し、「隠居生活」を楽しむ方に力点を置くのもよいかと……。

 博士号も取得しましたが、こちらは、業界内では昔から、「博士号=足の裏(靴の裏、という話もあります)のご飯粒」が定説となっています。そのこころは、「取っても取らなくてもいいが、取っても食えない。けれど、取った方が気持ちがよい」であります(爆)。 

 ところで、開業するにしろ、無職=プ~太郎を決め込んで遊んでいるにしろ、健康というのは、必要条件となります。退職して以来、もろもろの制約や、ヘンなストレッサーからは解放されましたので、昨年までの同時期に比べ、はるかに調子はよいといえます。しかし、どうも、1月半ばから2月いっぱいくらいの、1年でもっとも寒い時期は、調子が低下します。今年も、今までほどではなかったのですが、「停滞気味」という感じで過ごしておりました。

 前々から思っておりましたが、大学の教員といい、臨床心理士といい、さほどつぶしの利く職業ではないな、という感を強くしております(笑)。

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 体調の方は、今週初めくらいから、梅も咲き始めましたし、やや暖かくなってきて、この1ヶ月あまりに比べますと、少し落ち着いてきて、元気も出て来たかなというところです。まだまだ、これから「三寒四温」の時期もありますが、暖かくなれば、もう少し体調もよくなり、元気や活気も出て、体力も戻るのではないかと期待しています。

 明日は、2週に一度の精神科受診ですが、この分では、これまで同様、レクサプロ半錠/1日でやっていけるものと見込んでいます。

 ということで、退職後4ヶ月を迎え、

本業は無職なるも、まれに、バイトもしくは、頼まれ仕事で小遣い稼ぎ
体調は、停滞気味から、脱し始めたとはいえ、動揺性めまい(ふらつき)は残る
体力はついてきているものの、やり過ぎはまだまだ禁物(アタマの飽和を来しかねません)
退屈はしておらず、読書、パソコン、デジカメ散歩で野鳥・花の撮影にそれなりに励む
専門の心理学、心理アセスメント、発達障害などの勉強は、細々と継続中
生活リズムは、まぁ良好

といったところであります。老化もしてきていますから、どこまでが老化で、どこからがうつの症状の残りなのか、判然としないところもあるように感じています。昨日(2/28)、マイブックスにあげました「大往生したけりゃ医療と関わるな」にも、「年を取れば、どこかに不調があるのは当たり前」、それ故、「“年のせい”と割り切った方が楽」と書かれておりました。あまり高望みせず、今の状態で何かを楽しむと考えた方が、メンタルヘルスにもよいかも知れません。

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 「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ(服部嵐雪)」という俳句があります。服部嵐Img_4662は、江戸初期の俳諧師で、芭蕉の高弟です。ここ数日,あちこちの梅が咲き始めたという写真を載せてきましたが、今日、寺町商店街に立ち寄りましたら、待望の「河津桜」が、一輪だけ咲いておりました。それがこちらです。右の写真は、少し引いて撮ってみたものです。小生にとっては、「桜一輪 一輪ほどの 暖かさ」という感じで、気分よく散歩から帰ってこられました(笑)。

 今日も寒いという予報でしたが、朝はさすがに-1.4℃と冷えました。正午には、6.4℃になっています。10時過ぎから散歩に出て、久しぶりに、住吉神社、七里の渡し跡、吉之丸公園、九華公園、貝塚公園、寺町、桑名別院というコース(4.8�q)を辿ってきました。昨日のエントリに、チーママさんからコメントをいただいて、その中に「啓蟄」ということばがありました。今年は、3月5日ということですが、「大地が暖まって、冬の間地中にいた虫が這い出てくる日」に小生もあやかりたいと思えてきました。

 と思いましたら、何だか少し元気も出て来たような気がします(笑)。

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 さて、思いがけず、河津桜が、一輪だけ咲いていた訳ですが、今日は、71686ae6.jpg
九華公園と,貝塚公園脳目を見てこようと思って、散歩に出た次第です。九華公園内の鎮国守国神社の本殿脇と、境内に梅の木があります。まず、ここからの3枚は、本殿のすぐ脇(西側)にある白梅の木です。数輪よりも多く、ちらほら咲きというところでしょうか。

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 これも本殿の脇の梅の木です。「梅は咲いたか 桜はまだかいな」というのが、確か、江戸端唄にありましたが、何ともなしにそれが、浮かんできました。端唄などというものは、それ以上、ほとんど知りませんが、こちらのサイトで試聴できるようです。フルコーラス(といってよいのやら?)の歌詞も、初めて知りました。知らないことが多いのに、改めて気づきます。

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 代わって、こちらは、貝塚公園の白梅です。こちらは、まさに数輪が咲き52336226.jpg
始めたばかりでした。香りは、まだまだという感じでした。貝塚公園には、紅梅の木もありますが、紅梅の方はまだ蕾堅し、でした。3月に入った頃からでしょうか?

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 ところで、住吉神社から七里の渡し跡に行く途中、旧・本陣である、船津127f6ed2.jpg
屋さんの裏手で、メジロが遊んでおりました。この冬、これだけきちんとメジロの写真が撮れたのは、初めてです(喜)。いやぁ、メジロ、いいですねぇ、可愛らしいです。ちょっぴりふっくらした個体です。

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 梅にメジロと来れば、いうことはなかったのですが、さすがにそこまでいっては、罰が当たるかも知れません(笑)。今日は、メジロ、梅、そして、河津桜が見られただけで、とてもラッキーだったと思わなくてはなりません。河津桜が満開になれば、そこに、例年ですと、メジロが花の蜜を吸いに来ますから、次は、それが楽しみです。もっとも、ヒヨドリ君達も、集まって来ますが……。

 ということで、風は少々あって、冷たかったのですが、散歩としては収穫も多く、帰りにはスキップを踏みながら帰ってきました(ウソです m(_ _)m しかし、気分としてはそれくらいでした)。

 最後にオマケ。なかなか貫禄十分でした(爆)。

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 正午過ぎ、南側を向いたベランダから撮影した、南の方角です。桑名市の61776849.jpg
南部から、川越町、四日市市の方向です。暖かそうな陽射しが感じられると思います。が、四日市のコンビナート地帯の煙突をズームアップしてみますと、右のように、煙突から出た煙が、真横にたなびいています。正午現在、気温は、6.9℃、風は、北の風、7m/sです。そうなのです、風が強くて、冷たいのです。

 午前中10時過ぎから、天気はよいので、「さぁ行こう!」と散歩に出たのはよかったのですが、空気が冷たくて、頬に当たる風の寒いこと。寒くて、涙がちょちょ切れるという状態でした(涙)。それにも負けず、三洋堂桑名店まで行って、新書を1冊、購入してきました。こうなると、根性あるのみです。が、どうもこのところの停滞感もあって、目眩といいますか、動揺性のふらつきがあり、ヨタヨタでありました(笑)。

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 さて、この風では、野鳥達はあまり、当然のように、おりませんでした。三洋堂の近くの水田で、ハクセキレイを見たのと、後は、福島地内で、やはり水田にいたケリに遭遇しただけでした。いつものカワセミも、出勤時間(?)の11時を過ぎても、あたりに姿は見当たりません。

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 福島地内、トウメイハウスの北の梅の木は、紅梅も、白梅もかなり咲いて4bbaeb26.jpg
きていました。かなり咲いてきたのはよかったのですが、この強風のお陰で、せっかく撮って来た写真を帰宅後、パソコンの画面で見ると、ピントがイマイチになっておりました。ピントは合うのですが、風で木が揺れて、結局ぶれてしまったという始末です(笑)。

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 仕方ないとはいえ(ISO感度を上げて、シャッタースピードを速くするとか、d103af87.jpg
対策は可能なのでしょうが、まだとっさにそういう対応がとれるほど、いまの新しい一眼デジカメの操作に習熟しておりません)、ちょっと残念です。まぁ、梅もかなり咲きました、というアリバイのような写真ですが、載せておきます。多少とも、春のご気分を味わってくだされば、幸いです。

 ところで、「二月は逃げる」といいますが、本当に早いもので、もう2月も27日になってしまいました。振り返ってみますと、毎年、この時期、つまり、1月後半から2月のもっとも寒い時期は、どうも体調も今ひとつのことが多いようです。ただ、今年は、昨年までのように「重症」ではなく、何となく「停滞気味」というところで留まっていますので、全体としてみれば、多少はよくなっているのだなと思っています。

 それでも、もう少し暖かくなってくると、また、調子も上向くかと期待しつつ過ごしています。それと、考えてみれば、そろそろ退職して、4ヶ月です。看板だけの「桑名発達臨床研究室」も、本格始動に向け、少しずつ準備できたらよいなとも考え始めているところです。今のところ、コストや、体調を考えて、「リアル相談室」は設けずにやる、という方向を考えています。ただし、近隣の方には、出張相談や、研修セミナーなども行いたいと思っています。

 それから、以前、冗談半分&本気半分で、「うつ本の出版」ということを書きましたが、実は、オファーを一つ、いただいております。そろそろこれについても、本格的に企画を考えよう、考えたいと思っているところです。このブログを読んでくださっている方の中には、うつの当事者の方や、親しい方でうつの方がいらっしゃるということも多いかと思います。うつについてお知りになりたいこと、日々の生活で困っていらっしゃること、あるいは、こういう本を読みたいということがありましたら、是非、お知恵とお力をお貸しください。すべてに答えられるとは思いませんが、当事者や、ご家族の方にとって真に有用で、かつ、単なる体験本ではないものを作りたいと考えておりますので。

 「学生相談からみた看護学生の心理的健康」を3回シリーズでご紹介してきましたが、その最終回です。今回は、この論文の最後、全体的な考察の部分をお示しします。

 今回の内容も、一般の大学生にもある程度共通した傾向があるものと考えています.その意味では、現在でも多少は、有用性のある内容かと思います。もし参考にしていただける部分があれば、幸いです。

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�W.討論
 本稿では、学生相談に来談した学生の面接結果をとおして、面接での主題やカウンセラーの役割、看護学生の心理的側面について検討してきた。以下、主要な点について総合的に考察するが、そこに示された見解は、学生相談に来談した学生からみたものとはいえ、現代看護学生の心理的特徴や心理的問題が反映されていると考えられる。

1.来談学生にみられた心理的問題の特徴
1)解決困難な問題をもつ学生

 来談学生数は、年度によって変動があり、一定の傾向は認められなかった。しかし、問題はそうした来談学生数の多少ではない。むしろ、�@平成7年度以降、前年度から継続して来談する学生が見られること、また、�A平成12、13年度は1人あたり50回、100回という多数回の面接を行った学生があることである。すなわち、解決困難な問題を抱え、継続的に面接を行ってフォローしなければならない学生がみられるようになったことである。

 実際、これらの学生では、摂食障害、パニック障害、抑うつなどの精神障害や、重度の性格障害が考えられ、心理学的な方法での対応には限界があった。1、2回から多くても5回程度の面接で一応の解決をみる、比較的軽度の問題を抱えた学生も多い一方で、こうした解決困難な問題を呈している学生が存在することには十分留意し、大学としても適切な対応方法を検討する必要がある。

2)相談員、教員に依存的な学生
 前項でふれた学生の中には、1日に2度、3度と来談したり、直接来談はしないものの、電話やメールで頻繁に相談、連絡をしてくる者もみられた。自分がつらく、苦しくなってくると、あるいは、不安が非常に高まってきたりすると、それを何とかしてもらいたいと思って来談したようである。このタイプの学生では、相談員が不在の場合、他の複数の教員のところを回って同様の訴えをしていることが多かった。しかしながら、こうした学生は依存的傾向が強いものの、相談員や教員からの助言や指示にしたがえないことが多く、問題解決が困難である。これは、過度の依存傾向がある一方で(あるいは、それとともに)、自分の問題を自分で抱えきれないというある種の未成熟な状態にあるためとみることができる。最近、学生の多くで依存的傾向が強まっている印象があり、こうした学生は今後増えていくのではないかと思われる。

3)自らの内面に対する気づきの悪い学生の増加
 面接において内面整理に取り組んだ学生は、18名と多かった。そのうち、内面整理が可能であったのは14名であったが、なかには内面に対する洞察が深まりにくい学生が見られた。また、内面整理が進まず、内面整理回避型と考えられた学生が4名あった。このタイプでは、自らの内面に直面することを避けていると考えられた。成長援助を行った学生でも、自分自身がおかれた心理的状況や、問題点についての気づきがよいと比較的少ない回数の面接で、内面整理が可能であったのに対し、そうした気づきが悪い学生では、内面整理に時間を要していた。このように、最近では、自分の内面に対する気づきが悪い学生が増えていると考えられる(小笠原,1993)。内面に対する気づきや洞察が不十分であると、それが過剰適応となり、それが心身症的な訴えや疲労感につながることも見受けられる(小笠原,1993)。高野・下山(2002)も、学生相談の経験から、「悩めない」心理障害のために自分の問題を認識できない学生が増えていることを指摘している。悩めない、あるいは、内面に対する気づきの悪い学生では、面接においての心理的作業も深まらず、そのため、学生自身の問題も解決できず、面接に対する満足度も低下することが多く、学業に対する阻害要因ともなりうる。これらの学生では、パーソナリティの発達や、自我形成など発達課題の達成を促進するような援助が必要である。

2.学生相談から見た看護学生の心理的健康度
 面接結果からみると、来談した52名の学生のうち、心理的には健康と考えられた者は30名(57.7%)と半数以上を占めていた。また、神経症的・軽度抑うつ的と思われ、健康度が比較的高いと考えられる学生は、14名(26.9%)であった。このように、大半の学生は心理的には健康あるいはほぼ健康であり、一時的な葛藤、あるいは自我形成上、多少の困難を生じていたと考えられる。しかし、看護学生も含め、現代学生では他者志向が強く、他者からの評価によって自己信頼感や情緒の安定性が変わりうると考えられている(小笠原・鈴村,1996)。また、青年期の発達課題である自我の形成状況をみると、自我同一性を達成している者は少ない一方で、積極的モラトリアムと自我同一性拡散の中間タイプが多く(小笠原・鈴村,1997)、全体的には自我形成は遅れている。これらの所見は互いに関連しており、表面的には安定しているものの、その背後に心理的発達の上で何らかの問題を内在している学生も存在していることが想像される(小笠原,1993)。したがって、心理的問題ではなく、学習上の問題を訴えてくる学生においても、表面的な訴えにとらわれずに隠れた問題がないか、よく見極める必要性がある。

 一方、�W.1や2で指摘したように、性格障害や精神障害など、心理的な健康の上で解決困難な問題を抱えている学生もみられるようになってきた。これらの学生では、専門医による治療が必要であり、心理学や精神看護学専攻の教員がいるとは言え、その立場からの援助には限界がある。現代の社会状況から考えると、こうした学生は今後増加するのではないかと推測されるので、学部・大学としても、組織的に対応できる仕組みを作り、それを充実していくことが必要である。

3.学生の心理的健康の維持・向上への取り組み
1)心理的健康の維持・向上および心理的問題への予防的取り組み

 前項で見たように大半の学生では、心理的な健康は保たれていると思われるが、心理的発達の上で何らかの問題を内在している学生も存在していることが想像された。また、自我形成も、全体としては進んでいるとは言いがたい。看護学部の学生のほとんどは、将来、看護職に就くことを考えていると思われるが、看護職はある意味で、対人援助の専門家ということができる。対人援助が適切にできるためには、自我が確立し、大人として行動できることが望まれる。仮に自我が確立していなくとも、それに向けて、主体的、意識的に自己探求に取り組んでいることが期待される(小笠原,1998)。このように考えると、学生の心理的健康を維持・増進し、また、自己探求から自我形成を促すような取り組みが必要である。

 看護学部のカリキュラムでは実習の占めるウェイトが高い。実習では学生達はさまざまな困難にも遭遇するが、それらに積極的に取り組めば、実習は心理的に発達する好機ともなる。実習はまた、学生が教員と密接に関わることができる機会でもある。そうしたなかで教員が学生の心理的な発達を視野に入れて関わることで、自己探求や自我形成を促すことにもつなげられよう。また、看護学部では指導教員のシステムがあるので、学生委員会を中心として、指導教員システムがより実質的に機能するよう取り組むことで、学生の心理的健康の維持・増進や、心理的問題に対する予防的な関わりにもつながると考えられる。

2)学生相談体制の実質的な充実
 以上のような、学生の心理的健康の維持・増進や、心理的問題の発生を予防するような取り組みが必要である。それに加えて、性格障害や精神障害のような、解決困難な心理的問題を呈する学生も少なからず存在しており、これらへの対応も重要度、緊急度は高い。N市立大学では、Y保健室において臨床心理士による学生相談が実施されているものの、他のキャンパスでは学生相談は実施されておらず、また、相談に応じる曜日・時間帯も増加したとはいえ、限られている。大学としても、学生相談体制を充実するとともに、さらに進んでメンタルヘルスも含めた保健管理体制を整備していくことが期待される。看護学部においてもこうした問題に取り組み、同時にそれが大学の学生相談システムとも有機的かつ実質的に連携できるように運営する必要がある。

�X.文献
1)小笠原昭彦:学生相談から見た本学学生の精神健康,名古屋市立大学看護短期大学部紀要,9,165-171,1993.
2)鶴田和美:来談学年から見た大学生の個別相談事例の心理学的特徴,名古屋大学学生相談室紀要,5,3-29,1993.
3)倉光修:臨床心理学,現代心理学入門5,岩波書店,東京,1995.
4)高野明・下山晴彦:学生相談室から見た学生,IDE現代の高等教育,No.438(2002年4月号),20-25,2002.
5)小笠原昭彦・鈴村初子:看護短期大学学生の自己意識,名古屋市立大学看護短期大学部紀要,8,145-154,1996.
6)小笠原昭彦・鈴村初子:看護短期大学学生の自我同一性地位と対人関係,時間的展望および職業選択の関連,名古屋市立大学看護短期大学部紀要,9,87-96,1997.
7)小笠原昭彦:現代学生気質の理解と指導法,主任アンド中堅,7,84-88,1998.

【お断り】 N市立大学の学生相談の状況についての言及がありますが、これは、論文執筆当時の状況であり、現在もここに記載した状況と同じではないと思われます。

 雨は早くから上がりましたが、陽が当たらなかったことと、気温も変動がなかった(7.1~9.8℃)こと、それに風がけっこう強かった(6m/s)ことから、何とも寒い感じの1日でした。またまた、散歩をサボって、「蟄居生活」をしておりました。ただし、一応は、それなりに「お勉強」も致しました。ちなみに、その「お勉強」というのは、高機能広汎性発達障害の認知特性に関わる論文なんかを読んでおりました。

 国公立大学の前期日程入試も、1日目が終わりました。1日で終了というところも多いかと思いますが、受験された皆さんは、いかがでしたでしょう? 東北大や福島大などでは、大雪の影響で試験開始時刻が繰り下げられたといいます。

 そういえば、昨年は、京大でケータイ・カンニング事件があり、大騒ぎになりました。京大受験生は、「ずっと試験官が歩いていました」とコメントしていましたが、小生が勘ぐるに、去年までは、京大の先生達は、あまりマジメに監督していなかったのではないかと……(小声でしゃべっているつもり、です)。

 さて、2週間ほど前、冨高辰一郎先生の「うつ病の常識はほんとうか(日本評論社)」を読んでいるというエントリを書きました(プラセボ群のプラセボ効果?……抗うつ薬とプラセボ効果)。この本は、すでに読み終え、マイブックスにもあげておきましたので、お気づきの方もおありかも知れません。今日は、この本の内容から、私自身も興味がある「薬の適切な用量はどうやって決めるのか」を取り上げることにします。以下、小生による要約ですが、薬については、もちろん専門外ですので、思わぬ誤解、勘違いがあるかも知れませ。ご興味をもたれて方には、是非元の本をお読みください。

 日本の精神科医療では、多剤大量処方が問題とされるが、一部の精神科医に大量処方の傾向があるのは事実である。20年前、著者が精神科研修医の頃から、これは問題となっていたが、現在も続いており、2010年12月には、うつ病学会など4学会が、会員に向け、向精神薬を適正に使用するよう注意喚起をしている。

 こうした多剤大量処方が生じるのは、それなりの背景がある。実は、精神科で使う薬の適切な投与量を決めるのは難しい。例えば、糖尿病や高血圧の薬では、血糖値や血圧という客観的指標を見ながら、量を調節できるが、精神科の場合、即効的に数字として効果がフィードバックされず、精神状態の改善として効果が現れるにしても、時間がかかり、また、主観的な評価に頼らざるを得ない。うつ病の場合、「ハミルトンうつ病尺度」などで効果を測定することも多いが、それとても、自然経過としての変化と、薬の効果との判別は分かりづらい。

 副作用という点から見ても、適切な投与量を決めるのが難しい点がある。精神科の薬では、便秘、嘔気、眠気、口渇という軽い副作用を持つものが多く、半数くらいの人がそれらを訴える。このため、精神科医は、副作用の訴えに慣れてしまっている面がある。これは、逆に鈍感になっている危険性もあり、気が付きにくいことが考えられる。

 また、精神科の薬の副作用は、病気の症状と似ているものも多い。焦燥感、倦怠感、眠気といった症状は病気の症状なのか、薬の副作用なのか鑑別が困難である。副作用を病気の症状と判断してしまうと、さらなる薬の追加、増量を招くことになる。

 多剤大量処方は、次のようなパターンで進行することが多い。うつ病と診断された場合を例とすると、

  1. まずは、標準量を処方する
  2. 一部の症状が続く、あるいは、副作用が起きるなどで、患者は気になる、辛い症状を訴える
  3. 主治医も、患者のつらさを何とかしようと考え、また、症状が続くということは、薬の効果が不十分であるとみなし、薬の追加処方に踏み切る
  4. これらのプロセスを繰り返す
  5. あっという間に多剤大量処方に陥る

ということである。

 精神科の薬ほど過剰投与になりやすい薬はない。多剤大量処方を減らすには、医師が精神薬理の知識をしっかり持ち、総合的に患者を診ることが重要である。また、多剤大量処方が減らない背景には、精神科の薬の投与に関する考え方が、一部の臨床医に理解されていないこともあるかも知れない。「薬の量や種類を増やせば増やすほど、効果も増加する」というイメージで処方している医者も少なくないかも知れない。

 意外に思われるかも知れないが、薬の適正使用量の決め方まできちんと説明している精神医学の教科書は少ない。せいぜい薬の標準投与量を示し、「十分量投与することが必要である」という表現でお茶を濁していることがほとんどだ。適切な投与量をどう決めるか、その原理や概念はあまり説明されていない。「十分量を投与する」というのは、「前向きに対処する」と同じくらい、官僚的な表現であり、もう少し具体的に薬の適正使用量の決め方や、間違いやすい点を説明した方がよい。

 とここまでで、まだ、この章(20ページ)の1/3似も達しません。当事者の方や、ご家族の方には、驚きの事実かも知れません。以下、ちょっと端折りますが、当事者も理解しておくとよいと思われる、キーとなる概念(専門用語)を、冨高先生の記述から抜き出しておきます。

1.用量依存性
 量を増やすほど効果が高まり、副作用は変わらないという薬は、現実には存在しない。一般に、投与量と効果の関係は比例することが多いが、投与量を増やしても、効果が頭打ちになるところがある。砂糖を加えるほど料理は甘くなるが、ある一定のところでそれ以上甘さが強くならなくなるところがある。薬学の専門用語で、薬の量と効果との関係を用量依存性(dose-dependency)と呼び、非常に重要な概念となっている。

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 用量依存性は、薬によっていろいろのタイプがあるものの、大きく分けてこの図表5-1の3タイプがある。Aのように正比例するタイプは分かりやすいが、Bのようにあるところで効果が頭打ちになるものや、中には、Cのように減衰してしまうタイプもある。薬の適正量を決めるには、効果と副作用、それぞれの用量依存性を理解することが大切である。

 容量を増やすと、効果だけでなく、副作用も増えることが多い。そうなると、効果を上げることを重視するのか、副作用が出ないことを重視するのかを考えることが必要となる。効果が高く、副作用が低いことが理想だが、現実には両者が最適となることはないので、バランスを考えて決めることになる。

2.効果の用量依存性
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 抗うつ薬の効果の用量依存性を調べるため、いっての基準を満たす論文を集め、解析した結果(これをメタ分析といいます)が、図表5-2である。うつ病の急性期治療において、さまざまな量の抗うつ薬を投与して、どれくらい効果があったかを、1日あたりの用量ごとに比較したものです。種類の違う抗うつ薬が使用されているので、イミプラミンに換算して容量が計算されている。抗うつ薬の量として、100mg未満は少なめ、100~200mgが抗うつ薬の標準投与量、210~250mgは多く、250mg超は大量処方にあたる。

 詳細は割愛するが、プラセボでの改善率は35%であるのに対して、抗うつ薬投与の4群は、約半数が改善している。標準投与量の100~200mgがもっとも改善しているが、それ以上投与しても、改善率は上昇しないどころか、むしろ低下していた。

 ただし、SSRIについては、抗うつ薬の用量依存性を調べると、標準量のピークがはっきりしないという報告もあるという。たとえば、「気分障害治療ガイドライン」などによれば、「SSRIの投与量あるいは血中濃度と抗うつ効果との結果は十分に判明していない」とされている。「十分に判明していない」というのは、要するに用量に関わらず、効果が変わらないということである。つまり、セロトニン取り込み阻害作用を強化しても、従来の抗うつ薬と比較して、抗うつ効果は変わらないということである。

 さらにいえば、標準量以上の抗うつ薬を投与しても、効果が増強することはないといえる。

3.副作用の用量依存性
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 メタ分析では、抗うつ薬の副作用の用量依存性についても調べている。1週間あたりの有害事象の回数や脱落率を、副作用の指標としている。臨床試験では、患者が頭痛や吐き気のような不快な症状を訴えた場合、有害事象と呼ぶ。副作用といわないのは、薬との因果関係を証明するのが難しいからである。しかし、一般的には、有害事象が多いということは、副作用が多いことを意味すると考えてよい。

 図表5-3の通りである。プラセボでも1週間あたり0.22回の有害事象の発生を認めている。この数値に驚くこともいるかも知れないが、うつ病の臨床試験としては驚くような値ではない。

 グラフから分かるように、プラセボ群と100mg未満群とでは、有害事象の発生率にはほとんど差がない。しかし、用量が増えるにつれ、有害事象の発生率は上昇している。250mg超では、50%である。つまり、有害事象(副作用)に関しては、用量依存的に上昇するのである。副作用は、薬を増やせば増やすほど増えるといえる。

 また、量を増やすほど、脱落率(なんらかの理由で薬を中止する率)も上昇する。用量が増えると、有害事象が発生するので、脱落率も増えると考えてよいだろう。つまり、副作用が増えるので、薬の服用を続けられない人が増えるということである。

 ちなみに、グラフで示されてはいないが、100mg未満群では脱落率は25%、100~200mgは22%、201~250mgは28%であるのに対して、250mg超では35%と上昇していたという。過剰投与になると急激に脱落率が増えると考えられる。

4.適切な投与量
 うつ病にどれくらいの量の抗うつ薬を処方すればよいか、利益、リスクのバランスから考えてみる。

 利益、つまり効果で見れば、標準量投与することが望ましい。それ以上投与しても、効果は上昇しないので、大量処方しても意味がない。

 リスクから見れば、薬の量が増えるにつれ、副作用の発現率が高くなっている。したがって、副作用の観点からすれば、薬は少ない方が望ましいといえる。

 利益とリスクを総合的に判断すると、抗うつ薬の大量処方は、行うべきものではないと言える。これに関しては反論する人はいないだろう。

 標準量投与するか、あるいはやや少なめの投与を行うかについては、議論がある。メタ分析では、標準量を投与すると改善率は上昇するが、副作用はやや高くなる。投与量がやや少なめだと、改善率は少し下がるが、副作用の発現率は低くなっている。これは、利益とリスクの最適量が、それぞれ異なるためである。ここに、鳥らを重視するかという点で、医師の裁量部分があると思われる。前述のように、SSRIは用量依存性がはっきりしないとガイドラインにも書かれている。つまり、やや少なめでも標準量でも効果は変わらないということである。それなら、やや少なめでもよいのではないかと考える人もいると思うが、議論があるところである。日本の精神医学の教科書では、「十分量投与する」と書かれていることは、すでに述べたが、標準量よりも、やや少なめでよいかも知れないと書かれている教科書もない。

 なお、三環系抗うつ剤の投与量を解析したメタ分析の結果では、標準量よりやや少なめの方が、利益とリスクとのバランスを考えると、有益性が高いと報告されている(Furukawa McGuire, Barbuil,2002,BMJ)。

 抗うつ薬の投与量に関しては、少量で開始して標準量には達していなくとも,うつ病が改善しているなら,あえて標準量まで抗うつ薬を増やす必要はないと考える精神科医もいるだろう。一方で、本人がさほど副作用を訴えないなら、標準量まで必ず増量するという考え方の精神科医もいるだろう。

 このあたりは医師の裁量によるだろう。現在手に入れられる情報の範囲では、どちらが確実に正しくて、どちらが間違っているとは言えない。効果と副作用、何を重視するか等によって考え方は変わってくるからだ。しかし、多剤大量処方については、それを正当化する論拠はない。大量処方しても、リスクが増える割には、効果は高まらない。

 ちょっと専門的に偏る内容で、長くなりましたが、うつ病の当事者の方々や、ご家族など関係者の皆さんにとっても、重要で、意味のある情報であると考えて、このエントリを書かせていただきました。最後の結論部分は、もちろん、途中の「用量依存性」の考え方、また、その「用量依存性」は、効果と,副作用(有害事象)とでは現れ方が異なるというところは、ご理解のうえ、ご自分に処方された薬の効き具合や、副作用の出具合、また、それらの時間的な変化についてよくご覧に鳴る音、さらに、それらについてきちんと主治医にお伝えになって、よくご相談いただくことが大切であると考えられます。

 以上、ご参考まで。ご興味のある方は、もとの冨高先生の本をお読みください。「うつ病の常識はほんとうか(日本評論社)」です。

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