猫の欠伸研究室(アーカイブ)

~淡々と飽きもせず……~ チベット・ラサの僧侶曰く、「人の生涯は猫の欠伸のようなものだ」

2012年10月

 10月も終わりとなりました。あの、夏の暑かったのも、いつの間にかどこへやら。すっかり秋らしくなりました。今朝は、夜中に、ちょうど眠って1時間半くらいの頃、目が醒めてしまい、しばらく眠れなくなっていました。こういう日は、起きてから、困ります。というのも、うつから回復してきてはいますが、こういう睡眠不足、睡眠リズムの支障があると、アタがボンヤリして、飽和したような感じになってしまうのです。オマケに、歩くとフラフラします。午睡をとりますと(午睡というと聞こえは良いのですが、実は、爆睡です)、かなり元に戻るのですが、調子が狂います。

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 さて、こういうボンヤリ、フラフラではありましたが、日に当たって、運動をしてくれば多少は良いかと思い、9時半近くから、ほぼ2時間、いつものように散歩に出て来ました。コースは、書くまでもありませんが、住吉神社、七里の渡し跡から九華公園を往復という、4.5�q。七里の渡し跡では、旧知のWさんにお会いし、「センセイは、毎日歩くのかいな? 元気やなぁ」といわれてしまいました(苦笑)。なかなか自分で思うようには、元気にはなりません。

 出かけるのが少々遅れたため、公園内では、あまり野鳥は目にできませんでした。しかし、堀の外周を一回りしていますと、ちょうど南の端辺り、料亭・藤さんの裏にある、大きな松の木のところで、群れていました。

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 その群れの中に、ヒガラがかなりの数混じっていました。この松の木や、道を挟んで並んでいる桜並木を飛び交っていました。カラの仲間は、シジュウカラにしても、ヤマガラにしても、なかなかじっとしていてくれません。ヒガラも同様で、撮影には苦労しました。まさに、下手な鉄砲を数打ったのですが、あまり当たりはありませんでした(笑)。したがって、いつもながらの「証拠写真」風ですが、頭に冠羽が見え、尾が短めですので、シジュウカラではなく、ヒガラでしょう。

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 左の写真の個体もヒガラだと思います。何かの実を口に咥えています。f30ad437.jpg
右の写真では、よく似たシジュウカラとのツー・ショットが撮れていました(勝手に撮れたような書き方をしていますが、意図した訳ではなく、偶然の産物です)。右にいるのは、冠羽もなく、主長いのでシジュウカラです。左側の個体は、冠羽ははっきりしませんが、尾は短いので、ヒガラでしょう。これまでも、シジュウカラ&ヤマガラの群れに交じっていたかも知れません。明日は、もう少し早めに出かけて、また確認してきましょう。

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 この松の木には、そのほかにもいろいろと出て来ていました。まずは、カワラヒワ。久しぶりにかなり近いところから写真に撮れました。左は、松の枝も被ってしまいましたし、ピントも今ひとつで、少し残念です。

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 こちらは、カワラヒワの後ろ姿です。鳴き声は、ときどき書いていますが、「キリリリ、キリリリー……」という感じで、綺麗です。それもそのはずで、カナリアの仲間なのです。姿形は、もう少しスマートでしたら、鳴き声のイメージに合うのに、と私は勝手に思っています。色は、けっこう綺麗だと思います。

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 これは写真としてはよくありませんが、カワラヒワ(左)と、ヤマガラのツー・ショット。これまた意図した訳ではありません。ヤマガラは、餌か何かを咥えているように見えます。鳥相手の写真は、景色などと異なり、なかなか思うようには行きませんが、逆に、思いもかけないシーンも撮れますから、ついつい嵌まり込んでしまいます(泥沼に、かも知れません)。

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 群れの中には、コゲラも混じっていました。こちらは、確認できたのは1羽c9538176.jpg
のみ。これらの写真、私は、松の木の根元から数m離れ、料亭・藤さんの塀に身を寄せて、目立たないように撮っていました(右の写真、立ち位置は、松の木の向こう側でしした)。この松の木辺りの野鳥たち、11時くらいまで賑やかにしていましたが、その後、意地悪カラスが乗り込んできて、わめき散らしてからは、一気に静かになり、また、一部は他へ移って行ってしまいました。

 上の写真を撮る前に、堀の東では、7bae69d2.jpg
ヤマガラが2羽出ていました。低層のマンションがある辺りです。左の写真、これもたまたま撮れたのですが、ヤマガラが、三つ指をついて、丁寧にお辞儀をしているように見えます(爆)。「古くさい、オッサン」といわれるでしょうが、このヤマガラ、伝統的な大和撫子のDNAを受け継いでいるのでしょう。

 そして、これぞ、「超証拠写真」で、本来であれば、載せられるようなものではありません7ddef9c1.jpg
が……。 九華公園から立教小学校へ向かう、二ノ丸橋南にある電線に止まっていました。逆光で、25mほど先でしたから、このような写真になっています。レタッチソフトでかなり明るくして、ようやくジョウビタキのオスだと推定できました。これまでの冬も、九華公園では、堀の外周辺りに、ジョウビタキが出ていました。今年もやってきたと思われます。ジョウビタキは縄張りがしっかりしているといいますから、この辺りに定着してもらいたいと思います。

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 ところで、カモたちは、今日は、合計で30羽を越えていました。2~3つのグループに分かれているかと思うと、合流したり、あるいは、水面で休憩しているかと思えば、水中に潜って、餌探しをしたりと、それぞれ気ままに行動してくれますので、30羽ともなりますと、全体を把握するのは難しくなります。カイツブリは確認できませんでしたが、キンクロハジロが大半で、一部にホシハジロという構成でした。

 今日は、メジロは見られませんでした。9月から10月始めころよく見かけたサメビタキも、すっかりご無沙汰です。アオサギは、往きに蟠龍櫓の下の揖斐川沿いに佇んでいるのを見かけました。しかし、このあたり、最近は釣り人が入るようになりましたので、ほとんどアオサギは来なくなっています。公園内の新・旧「お立ち台」にもあまり来ていません。

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 代わって、アオサギたちは、ここ、揖斐・長良川の中洲(写真は、揖斐川)に集まっています。本日、11時43分の写真ですが、見える範囲では6羽のアオサギがいます。 グレーっぽく見えるのがそうです。黒いのは、ほとんどがカワウです。一部にカモがいるように見えます。

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 一回りしてきて、帰宅する頃になってようやく、日も上がり、身体も温まってきて、多少、調子も出て来たような感じでした。昨日は、曇天&寒いという気候で、テンションが上がりませんでした。これは、気分的、気持ち的な問題というよりも、もう少し身体的・生理的なことが影響しているように思われます。今日は、昨日に比べればマシでしたが、気温が低い間は、なかなか活動レベルも上がりません。「季節性うつ病」と行って、冬季になるとうつ病の状態になる病気がありますが、私にとっても、冬の天候をいかに乗り切るかも、課題のようです。

 今日、10月31日で、退職して1年を迎えました。今さら、「1年経った」などということは、むしろ、考えない方が良いかも知れません。「淡々と、飽きもせず」というモットーの一つに反するからです。

 まぁ、しかし、これから先に向かうに当たり、気持ちの切り替えという意味で、総括を行っておくのも悪くはないかと思い、簡単に現在の状況をまとめてみようという次第です。

 まず、体調について。1年前、退職の前後は、睡眠もしっかりとれず、また、必ずしも十分な体調で花田舎、退職に備えて、研究室の物品や図書の整理に勤しんでいたこともあって、不定愁訴のオンパレードという状況でした。その頃、退職して、諸々の制約から離れ、ストレッサーも減れば、半年、1年と立つうちに、かなり体調も戻るだろうと期待していました。

 退職して半年ほど経った、4月中旬になり、抗うつ剤は飲まなくても、それなりに生活できるようになり、それは現在も続いています。その後、いくらか波はありましたが、梅雨や、真夏の猛暑も何とか乗り切ることが出来ました。また、9月には一次的に、うつが戻ったかと思われるような状態(頭重感、ボンヤリ感、フラツキなどが戻った状態)にもなりましたが、これらの状態は降圧剤を減らすことで、解消しました。睡眠も、普段は、途中覚醒があるとか、入眠できないとか、以上には役目が醒めるというようなこともなく、まあまあ眠ることができています。

 このように、身体的な面については、かなり改善されてきているといえます。ただ、子どもの頃から腸が弱かったということも尾を引いているのか、ときどき便秘傾向になるというのは残っています。

 それに対して、脳の働き、脳機能の方は、そのときどきの天候、気候その他の影響をまだ受けやすいようですし、「頭がスッキリと晴れた」状態は、未だ経験できていません。

 たとえば、昨日のような曇天で、しかも、気温が低い日や、しばらく前に台風が来襲したとき、おそらく気圧の低さに影響されてでしょうが、頭重感、ボンヤリ感が出て来て、それにともない、フラツキも感じられます。

 また、多少とも専門的な本や、少々難しい本をある程度長い時間読んだり、「うつ本の構想を練る」というように、ブレインワークに2~3時間、真剣に集中したりしますと、「アタマが飽和」して、ボーッとしてしまいます。こうなりますと、頭重感や、フラツキなども出て来ます。

 さらに、上述のごとく、アタマがスッキリと晴れたような感じは、未だ経験できていません。うつになる1年ほど前から、こういう感じはほとんどありませんから、もう8~9年くらい、スッキリしたアタマでものを考えるということはありません。

 うつが治りきっていないといいますか、治ったとしてもこれくらいの回復というところということがもっとも考えられるな、と自分では思っています。抗うつ剤も、7年3ヶ月ほど服用し続けましたが、服用をやめてもう半年経ちますから、その影響はもういい加減抜けていると思われますから。

 このアタマがスッキリしないというのは、普段の生活を送る上でも、困りますが、読書や、考え事をする、文章を書くなどが仕事の中心という生活をかなり長期にわたって送ってきまし、読書などは自分の好きなことですので、いやだな、困るなと思います。これが解消してくれれば、生活もかなり楽に送ることができるようになります。

 仕事の方は、臨床心理士の資格を活かして、「桑名発達臨床研究室」を開設してはいますが、リアル・オフィスを設けず、ネット上での開業という形態で運営していますので、予想通り、ほとんど仕事の依頼はありません(こういう予想は、外れないんですねぇ)。もちろん、ご依頼があったときには、丁寧、正確に対応させていただいているつもりです。

 最近も書きましたが(2012.10.23、雨で散歩は休み、そして、退職1年を前にしての若干の所感)、仕事はしたいとは思っています。教育や、研究の仕事はいやでもありませんし、嫌いでもありません。しかし、今の調子、体力では、フルタイムで働くのにはとても耐えられないでしょう。大学で再び教鞭を執るというのは、今の大学が置かれた状況や、教員の仕事の忙しさからして、小生にとっては、およそ現実的ではないと思っています。第一、こういう状態では雇ってくれるところもないでしょう。

 臨床心理士の資格と、心理学の博士号があり、看護学研究科でではありますが、博士後期課程の「○号」が文科省の大学設置審議会で認められていますので(博士後期課程の「○号」とは、博士論文の指導や、審査ができるということです)、特任や、客員の教員としてなら、勤まるかも知れませんが、「特任ナントカ」というのは、最近の「森口騒動」で、すっかりアヤシイイメージが行き渡ってしまいましたねぇ。

 活動水準を上げたい、長期的に見れば、その方が体調も改善するのではないかという気もしていますが、その一方で、こういうボンヤリしたアタマでは、遠方に出かけたり、長い時間・距離にわたって車を運転するのもどうか、という気もしています。とくに、何かアクシデントを起こして、他人様にご迷惑をかけるのは避けたいと思っています。

 現在の状況には、決して満足はしていませんし、先行きに希望を失っているわけでもありません。しかしながら、高望みして、また体調を崩しては何ともならないとも考えています。1年前の状況では、無理を押して復職したとしても、すぐに体調を崩して、悪くすれば過労死に至っていたかも知れません。「生きているだけで、儲けもの」とか、「命あっての物種」と思う方が、正解でしょう。

 10月23日も書きましたが、まだまだ、「悠々自適」という年齢でもありませんし、「隠居」としゃれ込めるような身でもありません。しかし、社会的に見れば、半分以上は「引退」したようなもの です。今の状況では、それもやむを得ませんし、それが合っているのだろうとも考えています。それ故、当面は、現在のように、世間様、一般社会からは、少し距離を置 いて、あまり複雑なことには巻き込まれないよう、静かに暮らしているのがちょうど良いのでしょう。

 生まれて大学院を修了するまでが24年。そこから働き始めて、56歳で退職しましたから、ほぼ32年半、働きました。現在57歳。父親と一緒の年齢まで生きると仮定して、それまで22年あまり。五木寛之さんが、かつて「林住期」という本を書いておられました。古代インドの人生のとらえ方に基づく内容で、人生を「学生期」「家住期」「林住期」そして、「遊行期」の4つに分けます。このうち、林住期は、社会人としての務めを終えたあとに迎える、もっとも輝かしい第三の人生であるといいます。「輝かしい」かどうかはきわめて疑問ですが、そういう生き方もあるかという気もしています。

 まとまりませんが、簡単に結論が出ることを考えているわけでもありません。あれこれと考えというか、妄想を巡らしているようなものです。上に書いたように「静かに暮らす」ことと、次第に「小さな生活」を目指すのも悪くはないかとも思い始めているところです。

【付記】
 このあと、退職1年を契機として、うつや、うつの治療、うつと共に生きる生活、仕事、大学や大学の教員というようなことについても、私なりに経験や、思うところをまとめてみたいと思っています。しかし、何しろアタマの働きが低下しております故、いっぺんにというわけにはいかないでしょう。

 いつも書いていますが、ここで議論をする積もりはありませんし、それによって結論のようなものを出す気持ちもありません。しかし、ご経験を教えていただいたり、ご示唆、ご助言、ご感想をいただくことは歓迎致します。それによって、お互いに得るところが少しでもあれば、望外の喜びというところです。コメントでも、「メール送信」がありますから、それを利用していただいてのメールでお寄せくださってもと思っています。

 正午くらいからは暖かくなってきて、15時にはようやく19℃ちょうどになりましたが、今朝は、最低気温9.8℃(4時&5時)と、10℃を下回っていました。オマケに、午前中は、曇り気味。こういう日は、やはりテンションが上がりにくいようです。ブロ友のチーママさんとのコメントのやりとりで、「ソーラーパワーで動いているかと思う」というのがあったのですが、自分もそうかも知れません(笑)。

 これから、秋が深まり、さらに冬を迎えますと、こういう天候の日が多くなるかも知れません。梅雨の気候、夏の暑さに続いて、こういうどんよりして、気温の上がらない冬の天候をいかに乗り切るかも、課題かも知れません。

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 さて、今日は、駅前で所用があり、それを済ませて、さらに銀行に立ち寄って、と幼児が続きましたので、いつもの散歩はなしとしました。その代わりに、桑名市博物館で始まった“コンドルのディテール”展を見に行ってきました。この展覧会は、わが家のすぐ北にある“六華苑(旧諸戸清六邸)”が、創建100年を迎えるにあたって、記念特別展として、10月27日から12月2日まで開催されているものです。六華苑は、イギリス人建築家ジョサイア・コンドルの設計によります。4層の塔屋をもつ木造2階建て天然スレート葺きの洋館、和館や蔵、池泉回遊式庭園などがあり、和洋の様式が調和した明治・大正期を代表する貴重な文化遺産とされます。国の重要文化財に指定されています。

 このコンドルは、鹿鳴館を設計したことで有名ですが、生涯に70余の設計を行っています。そのほとんどは、東京都内およびその近郊にあり、東京以外では長崎ホテルと諸戸清六邸が地方で建設されたものだったそうです。しかしながら、現在、長崎ホテルは、すでにないということで、六華苑が地方に残された、唯一のコンドルの作品だということです(展覧会のサイトの説明から)。

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 最初の2枚の画像は、展覧会のパンフレットです。市博物館では、コンドルをテーマにした展覧会は2回目です。第一回は、六華苑がオープンした平成5年に、その記念として「コンドルとその周辺展」が開催されています。このときは、主に、コンドルが手がけた個人住宅の設計図や、その弟子たちの設計図などが展示されていました。今回は、六華苑の創建100年ということもあり、コンドルのデザイン性や芸術性などに注目した展覧会を企画したということです。桑名での初公開資料、何と54点を含む91点の資料が出ていました(資料一覧は、末尾につけます)。

 コンドル(1852~1920年)は、ロンドン出身の建築家で、1877年(明治10年)に、工部大学校造家学教師および工部省営繕局顧問として、来日しています。いわゆる「お雇い外国人」の一人です。政府関係の建物の設計を手がけた他、工部大学校(現・東京大学工学部建築学科)の教授として辰野金吾ら、草創期の日本人建築家を育成しました。辰野金吾といえば、9月末にリニューアルされた東京駅の設計などで有名です。これらの活動を通して、明治以後の日本建築界の基礎を築いた人物です。

20121019143021  もともとイギリスにいた当時にも美術学校で学んだことがあったようですが、日本に来てからも、1881年(明治14年)からは、河鍋暁斎に師事して日本画を学び、1883年(明治16年)には、暁斎から「暁英」の号を授かったそうです。仕事だけではなく、趣味に生きた人でもあったといえそうです。今回の展覧会にも、サイン入りの設計図、自筆の見積書(No.44)や著書に加えて、コンドル自筆の水彩画(No.15)や日本画(No.14)も出展されており、興味深く見てきました。左の画像は、コンドルが描いた、“日光東照宮拝殿内部”です(東京芸術大学所蔵)。

20121019141516  こちらは、“三菱一号館(三菱地所設計所蔵)”の立面図(南面)です。1890年(明治23年)、臨時建築局が廃止されたのにともなって、官庁勤めを辞め、三菱の顧問となっています。この三菱一号館は、いわゆるオフィス・ビルの走りで、1894年(明治27年)に完成しています。ゴシック系とクラシック系の中間のジョコビアン様式だといいますが、何といいますか上品な美しさが感じられます。

 ところで、こうした政府の建物や、大財閥の邸宅、オフィスビルの設計をしていたコンドルが、なぜ桑名のような地方都市にある“旧諸戸清六邸(六華苑)”を設計したのか、疑問に思われるでしょう。今となっては推測の域を出ませんが、この展覧会の図録には、概略次のように書かれています。

 初代諸戸清六(1846~1906)は、現在の桑名郡木曽岬町に生まれ、父の代に夜逃げ同然で桑名に移住してきたといいます。船宿・米穀商を始めましたが、借金が1,028両もあったといいます。18歳で家を継いだ後、米の売買で利益を上げ、わずか3年で借金を完済したそうです。

 初代諸戸清六が、これほど商売を大きく伸ばした陰には、大隈重信との出会いがあったといいます。その出会いについては、諸説があるようですが、いずれにしても、大隈重信の知己を得たのは事実で、また、員弁郡から出ていた貴族院議員木村誠太郎、川崎造船創始者川崎正蔵などとも取引があったことも貢献しているようです。さらに、西南の役(1877年)のときに、三重県令であった岩村定高と組んで、軍用米の調達を行い、その成功を足がかりに東京へ進出し、大地主、山林王となっていったといいます。

 このような中、1885年(明治18年)より前から三菱海運と取引があったようで、それを通して、三菱の岩崎家とのつきあいが始まっようです。初代清六は、一流人物と面会するとき、息子たちを同伴していたようで、若き日の二代目諸戸清六と大隈重信が収まっている写真も残っているようですし、二代目と岩崎久弥が交わした書簡も残っています(今回、この手紙も展示されています)。

 こうして、二代目清六は、当時三菱の社長であった岩崎久弥を通じて、コンドルに邸宅の設計を依頼したものと推測されます。二代目が、23歳の時に設計を依頼したようで、コンドルに依頼した施主としては、もっとも若いのではないかと考えられています。旧諸戸清六邸は、1911年(明治44年)に洋館が着工され、1923年(大正2年)3月に竣工しています。

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 今回、この諸戸邸の設計図18葉も全て出品されています。ただし、実際Dsc03936 に設計図を描いたのは、コンドルの助手であった桜井小太郎といわれます。諸戸邸は、ルネッサンス様式を基本としています。和館が当初から併設されていますが、いずれもスッキリとし、余分な装飾はあまりありません。これは、諸戸家の方針または、施主の意向によると考えられています。コンドルの他の作品とは若干趣を異にしています。左は、六華苑の洋館を東から見た正面図です(図録から取り込みました)。右は、ちょっと古い写真ですが、このブログの“マイ・フォト”に載せたものから、左の図面とほぼ同じところを写したものを選びました。マイ・フォトには、“六華苑”、“六華苑(その2)”のシリーズがつくってあります。

20121019141406  今回の展覧会は、「コンドルの家族」「コンドルの芸術」「鹿鳴館」「コンドル設計」「諸戸邸の設計」「コンドルの日本研究」「絵で見るコンドルと弟子たち」という展示構成になっています。コンドル関係の資料の他、小生にとって面白かったのは、この絵です。こちらは、三輪勇之助画「館の揺椅子」というタイトルの絵で、旧諸戸清六邸(現在の六華苑)です。三輪勇之助(1920~1990)は、三重県四日市市出身の画家で、“ダブルイメージの画家”として知られています。多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)出身で、二紀会に所属。「古い建物や仏像が二重に重なり、それらの形を作り出す線条が遠近感を作り出すと同時に、作者の心情を投影している独特の世界を描いている」と、図録に書かれています。この絵は、1968年(昭和43年)の第22回二紀展に出品されたもので、近景にベランダ、中景に椅子を、遠景に初代諸戸清六の屋敷などが配されています。不思議な魅力がある絵です。ぜひクリックして、大きくしてご覧ください。

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 左は、今回の展覧会の出品リストです。コンドルや、建築設計に興味のある方はもちろん、六華苑に興味のある方など、地元の方にも、若干遠方の方にもご覧いただければと思います。入館料は、300円ですが、六華苑の入場券を持って行くと、50円(わずかですが)割引になります。会期は、すでに書きましたように、12月2日(日)まで。アクセス、休館日などは、こちらをご覧ください。今回は、図録も作成されています。1冊1,200円で、小生も買ってきて、午後から眺めておりました。

 昨日は終日雨で、夜には雷様までお越しになりました。「これ幸い」と散歩はお休み(有り体に言えば、公然とサボることができました……笑)。その代わりに、かねてから懸案の「うつ本」の構想を、ひねり回していたのですが、3~4時間も考え続けますと、さすがに「脳疲労」を来たし、午後からはボンヤリ気味でした。体調はかなり回復したと思いますが、脳の方は、まだまだかも知れません。やはり、小生の感じでは、うつは、脳の病気であります。

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 さて、本日は、朝から晴天。北西の風が強いという予報に違わず、5~6m/s8c4ae5d5.jpg
の、割と強い風が吹いています。陽当たりは良いのですが、日陰や、風が強く通るところでは、さすがに少々寒く感じられます。しかし、めげてはいられません(笑)、という訳でもありませんが、晴「歩」雨読です。寺町堀、貝塚公園、九華公園、七里の渡し、揖斐川堤防と、いつものコース、ちょうど5.0kmを、2時間半ほどかけて、ブラブラ散歩してきました。

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 この風で、どちらの公園でも、小型の野鳥はほとんど見られませんでした。カラの仲間の鳴き声は聞こえてはいたのですが、「声はすれども姿は見えず」で、その点は少々残念。やむを得ず、普段は撮りませんが、ヒヨドリ君の姿を「たまには」ということで。ちなみに、アオサギも、「新お立ち台(九華公園北口)」は、枝が風にあおられていたこともあってか、ご不在でありました。

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 代わって、今日のナンバーワンは、こちら、カイツブリです。普通、カモの仲間は、種類が異なっても入り交じって、群れていることが多いのですが、このカイツブリは、離れて行動しています。岸にもあまり近寄ってこないので、写真が撮りにくいのですが、今日は、遠目からも、「ひょっとしたら、カイツブリかも知れない」と思えましたので、木陰伝いに20mあまりのところまで接近。そこは、実はトイレの陰なのですが、250mmズームで撮ったのが、この左の写真です。

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 さらにトリミングしたのが、こちらです。ほぼ間違いなく、カイツブリです。「生きもの出会い図鑑 日本の野鳥(久保田修、学研)」には、「留鳥。つがいや家族でいることが多い」とありますが、ここ九華公園では、これまで、冬にしか見たことがありません。また、いつも単独で行動しています。いつも同じ個体なのかどうかは、分かりません。今日のカイツブリは、何となくふっくらしていて、若いのか?という気もしました(確かではありません)。

 このカイツブリ、漢字では「鳰」と書くようです。日本製の漢字で、「水に入る鳥」を意味す13a1c15d.jpg
る会意字。また、この和名「カイツブリ」は、水を「掻いて潜る」が転じたか、潜る時の水音が「つぶり」に転じたとする説が有力だといいます(Wikipediaによる)。古名は、「ニオ」というようですが、この名称は、水に入る鳥が転じたのが由来。九華公園ではつがいでいるところも、巣も見たことがありません。どこか近くから出張してきているのでしょうか?

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 一方、他のカモたちですが、さらに数が増えていました。2つの大きなグ71d3aa78.jpg
ループに分かれていましたが、合計で、キンクロハジロが20羽、ホシハジロ8羽と、もう1羽、別の種類かホシハジロのメスがいました。全部で、29羽でした。揖斐・長良川の中洲などと往復していたりするかも知れませんが、昨日、雨が上がってからは北西の風が吹いていますので、それに乗って新たにやってきたと思いたいところです。

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 こちらは、ちょっと遊んでみたのですが、日の光が、風で波立った水面にa790d7be.jpg
反射して綺麗な中にカモたちが遊んでいましたので、何とかうまくとれないかと試みました。しかし、そう簡単に思うようには行きません。ISO感度やら、絞りやらを調節しないといけないですね(笑)。そうこうするうちに、小生に気づいて、餌がもらえるとでも思ったのか、カモたちの一部が、こちらへ寄ってきました。カモたちにも、誰か餌を与えているのでしょうねぇ。

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 ところで、九華公園の中を歩いているとき、頭上を白っぽい鳥が飛んでいくのが見えました。慌ててカメラを向けて、シャッターを切ったのですが、かろうじて、画面の端っこにこれが写っていただけでした(鳥の部分だけをトリミングしています)。飛び方、飛び姿からは、カモメの仲間のように見えたのですが、ユリカモメであれば、40cmくらいの大きさ。それよりも小さいように感じました。この写真では、小生にはちょっと同定は困難。新たなる宿題です。

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 ちなみに、三の丸公園近くの揖斐川堤防から、揖斐長良川の中洲の先83ea88a8.jpg
端(右の地図で、黄色い丸をつけたところ)の写真を撮ってみますと、さすがに500m以上ありますので、詳細は分かりませんが、ウミネコのの他に、ユリカモメのように見える鳥や、他にも白っぽい鳥がいるのが確認できました。カモメの仲間たちがやってきているのかも知れません。

 ということで、カイツブリを確認することができましたが、白っぽい、カモメのような鳥という宿題ができました。

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 帰りがけ、吉之丸コミュニティパークで、若いママと男の子を見かけました。我が家も、子どもたちが小さい頃には、ここや九華公園によく連れてきました。隣の三の丸公園で、二人とも自転車に乗る練習をさせたことなどが思い出されます。それが、いつの間にか、子どもたちというよりも、「大ども」たちに成長してしまい、屁理屈ばかり言うようになってしまいました(爆)。

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 少し前のことですが、10月24日の散歩の時に、桑名リバーサイドボウル&寿司道場の跡地に、ご覧のようなテントが張られて、何やらセレモニーを行う準備がされていました。

 翌日・10月25日の中日新聞・北勢版で報じられていましたが、国営木曽三川公園の拠点のSitiribunka2 一つとして、「七里の渡し地区(仮称)」で、「文化シンボルのエリア」の起工式が行われたということです。写真は、中日新聞から勝手に借りました。手前から二人目が水谷元桑名市長、三人目が鈴木英敬三重県知事ですが、鍬入れをして、工事の安全を祈っている場面です。けっこうミーハー的部分があります小生としては、鈴木知事のご尊顔を拝してみたかったですねぇ。


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 さて、こちらが、その完成予想図です(これも、中日新聞からです)。国営木曽三川公園は三重、愛知、岐阜県にまたがる日本一広い国営公園ですが、とくに知られているのは、展望タワーや大花壇のある“木曽三川公園センター”や、一宮の名前にちなむ展望タワー「ツインアーチ138」がある“138タワーパーク”、ややローカルですが、“船頭平閘門”のある“船頭平河川公園”など。計画された13拠点のうち、これまでに11拠点ができているそうです。七里の渡地区は現計画で最後の着工拠点になり、工事費は約45億円にのぼるといいます。一部には、老朽化した伊勢大橋を何とか早く架け替えて欲しい、という意見もあります。

 「七里の渡し地区」の広さは、伊勢大橋から九華公園までの揖斐川沿いの約9.6ヘクタールです。ここには、七里の渡跡や桑名城石垣などが含まれます。ということは、小生の散歩コースが、丸ごとこの文化のシンボルエリアになるというわけです(喜)。

 今回工事が始まる、「文化のシンボルエリア」は約1ヘクタールで、国の重要文化財で江戸から明治の歴史を残す六華苑、諸戸氏庭園に隣接しています。これまた、ということは、我が家のすぐ目の前に、この公園が姿を現してくれるのであります。

 六華苑、諸戸氏庭園に隣接するため、周辺の雰囲気に合わせた景観をつくる計画だそうで、たとえば、せせらぎを設けたり、六華苑と諸戸氏庭園の所有者だった諸戸清六氏がつくった諸戸水道の共用栓を復元して配置したりするということです。先日、諸戸水道の遺構調査が行われていましたが、このためだったということです。

 完成予定は2015年度だということですが、待ち遠しいです。

 ついでに小生的な要望を書けば、せっかく「文化のシンボル」として、歴史を活かした整備をするのですから、惣構堀(諸戸水路)を始め、旧・桑名城の堀、石垣などをさらに整備し、たぶん不法に係留されている船舶を撤去し、堀(水路)を綺麗にし、水が流れるようにしてもらいたいと思うのであります。桑名市も、「水郷のまち」というキャッチフレーズを用いていたように思いますが、それを実質的なものにしてもらいたいのです。これによって、市民にとっても憩いの場になるでしょうし、観光に来ていただく方への、絶好のアピールポイントになるはずです。

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 こちらは、この工事が行われる辺りを、わが家のマンションから見下ろした写真です。わが家のちょうど東、いつも散歩の行き帰りに通るところです。楕円をつけたところ(諸戸氏庭園の向こう側になります)が、桑名リバーサイドボウルの跡地で、現在、ここでは整地工事が進んでいます。ここが、公園になります。県道の向こうに住吉裏休憩施設&駐車場がありますが、駐車場は北側(写真では、左)へ拡張されます。ということで、楽しみですし、このマンションで良かったと思っております(10/29、この部分追記し、写真も追加)。

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