猫の欠伸研究室(アーカイブ)

~淡々と飽きもせず……~ チベット・ラサの僧侶曰く、「人の生涯は猫の欠伸のようなものだ」

2018年01月

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 今日、平成30(2018)年1月31日は、皆既月食。天気予報では、曇りということで心配しましたが、何とか観察できました。冒頭の写真は、20時13分撮影(時刻は、カメラの記録によります)。撮影場所は、拙宅マンションの9階フロア(北側)。以下の写真も同じところ、もしくは、9階から10階への階段途中の踊り場です。撮影には、超望遠コンデジ(Canon PowerShot SX60 HS)を使用しました。三脚は使用せず、手持ちあるいは階段の手すりに肘などを固定して撮ったものです。
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 20時48分頃、左下から欠け始めるということでした。左の写真は20時50分ed424e06.jpg
に、また、右の写真は21時4分に、それぞれ撮影。日本で皆既月食が見られるのは、平成27(2015)年以来、ほぼ3年ぶりだそうです。寒いので、時々、外に出て短時間撮影するというのを繰り返しました。
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 4枚目は、21時19分に撮りました。かなり欠けてきていました。拙宅マンション、ほぼ東西方向に横長に建っていますので、時間帯によっては月は建物の陰に入ってしまい、見えなくなりますが、何とかすべて欠けるまで観察できました(建物から出て、住吉入江のところにでも行けば良いのですが、この寒さ
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 21時47分の写真。皆既月食となる直前の写真です。ほとんど一筋の光で、撮影にはかなり苦労しました。皆既月食になってからはさすがにもう撮れません(マニュアルモードで調整すると何とかなるのかも知れませんが、スキル不足と、寒さに耐えられなくなりました……苦笑)。本日は、これにて退散としました。皆既月食は、23時8分頃までおよそ1時間17分にわたって続くといいますが、その時間帯、わが家から、月は、マンション本体の陰になって見られなくなります。しかし、さすがに寒くて耐えられませんし、最近は遅くまで起きていられる自信もありません。

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 風もなく、日中は暖かくなっていますが、今朝も-3.1℃だったようで、九華公園の堀77fbc900.jpg
には薄く氷が張っていました。これにはカモたちも困ったようで、いつも集まっている九華橋の南あたりにはほとんどいませんでした。散歩は、8時40分から11時半、住吉神社、九華公園、京町、寺町と4.8�q。あちこちで話していたのと、鳥をじっくり探していましたので、割と短め。
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 しばらく姿を見ませんでしたが、今日は11時頃、セグロカモメが登場。二の6ed8d89f.jpg
丸堀の東、キッチン寿さんの北で魚を食べているところに遭遇。それまで管理事務所で話をしていたのですが、これが幸いしました(微笑)。見つけた時には、かなり食べ進んでいましたが、けっこう迫力がありました。
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 途中、こんな羽ばたきの様子も見せてくれ、サービス満点(笑)。右の写真、9c7fae65.jpg
これが本当の「ガル・ウィング」。実は今日は、昨日、一昨日に比べ、鳥が少なく、わずかに出て来たジョウビタキのオスも、うまく撮れなかったのですが、これで元気が出ました(微笑)。
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 さて、九華公園には久しぶりにアオサギが来ていました。よく見ると、嘴の根元あたりが、ほのかにピンク色を呈しているようです。これは、婚姻色。そろそろ繁殖期が近づいてきているということ。弥富や、治水神社のコロニーを一度見に行った方が良いかも知れません。
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 ゴイサギ、朝9時過ぎの時点で見えたのは、2羽。いつものように、鎮国守6a1e4940.jpg
国神社の社務所裏にあるクスノキ。太陽の方角を向いているのか、ここ(西側)から見ると、朝一番はたいてい後ろ姿となります。
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 近くのツツジの植え込みの影には、シロハラが1羽。最近、このあたりにいるのが、定着。ただし、今日は、すぐにこちらに気づかれ、この1枚しか撮れずじまい。
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 最近、九華公園で増えているのは、こちら、オオバン。半月くらい前までは、2~3羽でしたが、気づいたら少しずつ増え、今日は、10羽ほど。オオバン、九華公園ではけっこう活発に泳ぎ回りますので、きちんとカウントできていません。
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 カモたちは、氷が張った北側の堀や、九華橋近くを避けて、南西の、三之a40d7772.jpg
丸町内側や、甲羅干しスロープ近く、二の丸堀の西側にいました。いずれも、日が早くから当たるところ。数は、合計55羽。ハシビロガモのオス1羽、メス1羽、ホシハジロのオス1羽とキンクロハジロ。
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 ユリカモメは、少なく、10羽ほど。平日は餌をくれる人はほとんどありませんので、野球場のフェンスの上や、二の丸堀などに浮かんで、時間つぶしというように見えます。
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 このほかは、シメや、ハクセキレイ。シメは、本丸跡にて。目立ちません01c16cbc.jpg
ので、近寄っていくのは小生くらい(苦笑)。ハクセキレイは、野菜のようなものを咥えて飛んできました。このほか、ジョウビタキのオスもいて写真を撮ったものの、画面の片隅に飛んでいく姿が、ピンぼけで(笑)。
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 カワラヒワたちは、鎮国守国神社の境内や、鳥居の近くに集団で降りて3474212a.jpg
きて、餌探し。ツグミも野球場のグラウンドや、神社の境内で見たものの、これくらいの写真。
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 鎮国さんにお参りし、稲荷社の参道から西を見て、ゴイサギを確認。3e93d29bb.jpg
羽、いました。いずれも宮司さんのお住まい近くですので、参道から庭木越しに見る以外に方法がありません。
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 もう1羽はかなり見えにくいところ。ピントもオートフォーカスでは合いませんので、マニュアル。この3枚、連続して撮影していますので、ゴイサギが3羽いることは間違いありません。ただし、この頃、ホシゴイの姿は見られません。
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 余談です。今朝の中日新聞北勢版によれば、桑名市は公園や歩道橋の命名権を売り出し、こちら、吉之丸コミュニティパークは、あの柿安さんが落札したというニュースが載っていました。「柿安コミュニティパーク」になるそうです。年間30万円で7年契約。まぁいいのですが、本社ビルの真ん前にあって、駐車場もついているところ。いろいろ勘ぐると、ホントに良いの?という気もします。

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 酒蔵みてある記“銘酒「三重の寒梅」丸彦酒造をたずねて”も、その3となりました。左の地図では、ようやく青丸をつけたあたりまで進んできました。スタートから4�qあまりを歩いてきたところです。伊勢三郎首塚まで見てきましたので、今日は、河島御厨神明神社から。
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 川島には、2つの神社があります。「河島御厨神明神社」と、「御園川島神社」です。この日訪れたのは、「河島御厨神明神社」の方です。こちらは、俗に「東の宮さん」と呼ばれているようです。「御園川島神社」は、700年ほど前、分村に伴って建立された神社で、「西の宮さん」と呼ばれています(こちらを参照)。
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 河島御厨神明神社は、「御厨」とありますように、伊勢神宮の神領でした。24ae6621.jpg
御祭神は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)、大山祇神(オオヤマツミノカミ)、大日?貴命(オオヒルメムチノミコト)。大日?貴命は、天照大神の異称です。重複しているように思うのですが、後述の事情によるのかも知れません。一の鳥居の奥、参道の途中に道が横切っています。
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 こちらが拝殿。拝殿には、江戸時代、3つの算額が奉納されていて、市指定の有形文d6f42f54.jpg
化財になっています。算額は、ご存じと思ういますが、数学の問題を解いて、神社仏閣に奉納した絵馬の一種です。このあたりの人たちが、和算を学んでいたことを示しています。
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 右は、もっとも古い寛政2(1790)年のもの。三重県最古のものだそうです38b06516.jpg
こちら)。寛政二年の額には3問が取り上げられ、第1問は『闡微算法(せんびさんぽう)』(武田濟美著、寛永3(1750)年)にある問題を解いたものだそうです(数学苦手の小生には、詳しい説明は困難です。こちらにこれを論じたものがあります)。第2問は、菱形に3つの縁を内接させた図形に関するもの、第3問は、直角三角形に5つの縁を内接させた図形に関する問題で、いずれも三平方の定理を繰り返し用いて、解答しているといいます。
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 左の天保15(1844)年の額は「當社産子 柳川安左衛門」の奉納で出題fc4071ee.jpg
した問題を門人の「清水中治」が文久4(1864)年に回答したことが裏面に記されているそうです。右の文久3(1863)年の額は、文久三年の額は清水貞信が出題したものですが、題意は不明ということです。
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 もう一つ、新しい算額もありました。四日市大学関孝和数学研究所が、平成29(2017)年に奉納したものです。「小川粋直門人六名」という名前になっています。6名の方が、1問ずつつくったようで、6問が載っていました。ただし、小生には理解困難(爆)。
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 御祭神に大山祇神がいらっしゃいますが、拝殿に向かって左に山神社がありました。ここの相殿神が、大日?貴命。神社検索のサイトに載っていた御祭神で、天照大神と大日?貴命(天照大神の異称)が重なっているように思ったのですが、山神社に相殿神として大日?貴命が祀られているためかと考えられます。
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 河島御厨神明社から200mほど行くと、浄土真宗大谷派の永角山西福寺があり4c4d20fc.jpg
ます。創立年代は不明ですが、もとは金剛寺といい、浄土真宗大谷派に改宗して西福寺というようになったそうです。こちらには、「一度焼かれたともいわれるものの、実際のことかどうか分からないとありました。
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 ここで一つ失敗(苦笑)。ここに伊勢三郎義盛の墓があることを予習していたのですが、雪と寒さもあって、見てくるのを失念してしまったのです。ここ三重郡川島村は、江戸時代初期には亀山藩領であり、藩主の石川昌勝の命によって慶安4(1651)年に、ここに伊勢三郎義盛の墓が作られたといいます(こちら)。中には宝篋印塔(宝篋印陀羅尼という呪文を収めた塔。のちに供養塔,墓碑塔として建てられた)が納められています。義盛の命日である6月25日には、義盛をしのんで義盛忌の俳句会が行われているそうです。
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 西福寺には、忠魂碑(明治39(1906)年3月)(従軍人建之)や、「真実之05b86479.jpg
利」という、太平洋戦争の戦没者98柱を祀る碑(川島地区遺族会建立)もあったのですが、これらも見逃していました。忠魂碑がもともと建立された場所が、「明治二十七年三十七年戦」の「記念康休園」(明治39(1906)年3月)であったことを示す門柱だけ写真に収めてきました。ちょっと中途半端でした(苦笑)。予習をしっかり行い、チェックポイントのリストをつくってハイキングに行くようにしなければなりません。
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 西福寺には、これら以外にも石碑などがいくつかありました。ただし、古aa420296.jpg
いものや、小生には容易には読めないものばかりで、取り敢えず、今日のところは2つの写真を載せるだけにしておきます。ちょっと余裕ができたら「解読」したいと思っています。
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 さて、西福寺を後にして、河島の町を進e138099b.jpg
みます。相変わらず雪は降っていますし、あたりの民家の軒先には雪解け水がつららになったものがありました。寒いのです。
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 古い町並みで、この間、町屋川に行った時以来(1月23日:町屋川第2回

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遠征(寄り道編)……神社、古い看板、ホーロー看板など)、古い看板が目につくようになってしまいました。右の写真の結納店の看板、桑名にもたくさん残っています。
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 西福寺から東へ500mあまり、ようやく本日の主たる目的地である松彦酒造66f7856b.jpg
さんに到着。歓迎してもらっていて、ありがたい限りです(微笑)。抽選会のところが空いていたので、まずはそこへ。右の写真、ちょっと見にくいのですが、その1にも書きましたように、「三重の寒梅」のワンカップが当たりました。下1桁が「1」番が当選番号。
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 ハイキング当日の晩酌にいただきました(微笑)。何度もくどいのですが、96571ded.jpg
当選番号は、右の写真。このワンカップは、アルコール分 15度、原材料は、 米(国産)・米こうじ(国産米)としか書かれていません。また、醸造アルコールも添加されています。やや端麗で、ほんのり甘みがありました。苦みとか、雑味といわれるものはないように感じました。
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 さて、ワンカップもいただけましたので、安心してこちらに進めます。甘酒66f988cc.jpg
は無料でいただけますし、「三重の寒梅 大寒しぼり」はコップ1杯100円で試飲できます。右の写真のように、けっこう賑わっていました。
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 甘酒、ちょっと冷めていましたが、それでも冷え切った体にはありがたい1d3ef344.jpg
飲み物でした。そして、「大寒しぼり」の試飲。右の写真のように、有料だということもあってか、コップにかなりたくさんついでもらえました(微笑)。ここにも書きましたように、辛口で、ややフルーティ。後口を引かず、美味しいお酒でした。
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 試飲で気に入りましたので、その1にも書きましたように、この「三重の寒梅 大寒しぼり」を土産に買ってきたという次第。即売会でいろいろな種類の酒を売っていましたが、たいてい、試飲したものを買ってきます。他の方を見ていると、何本も買っていく方もありますが、小生は1本限定。まぁ、大酒飲みではありませんし(たぶん)、少しずつ楽しめれば良いと思うのです。
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 ちなみに、小生が松彦酒造さんにいた頃の混み具合は5af6518a.jpg
これくらい。ただし、小生は立ち寄りポイントをけっこうしっかり見てきますから(中には、素通りという方もたくさんあります)、遅めの時間帯ということになります。右の写真のように、つまみを用意してきて、その場で試飲の1杯や、即売会で購入されたお酒で楽しんでいる方もけっこうありました(笑)。
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 目的を達成し、試飲で体も温まりましたので、後はゴールを目指すのみ。94c098b2.jpg
河島の昔からの町を通り抜け、三滝台という30年あまり前に開発された団地を歩いて、近鉄湯の山線・伊勢川島駅へ1�q半弱。
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 ゴールの伊勢川島駅。12時5分に到着。スタートから2時間20分。歩いたfde68750.jpg
のは、実測で7.1�q。雪も降って、冷えた中でしたが、お陰様で今回も完歩できました。12時16分発四日市行き普通電車に乗車。四日市で名古屋行き急行に乗り換え、桑名には12時41分着。帰りは、¥420。右の写真、奥が四日市方面。
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 ほとんど余談ですが、湯の山線の電車には、「湯の山温泉開湯千三百年」のヘッドマークが付いています。この4月から1年間にわたってイベントが開催されるようです。湯の山温泉は、養老2(718)年、浄薫和尚が薬師如来のお告げにより発見したと伝えられ、傷ついた鹿が傷を癒したという伝説から別名「鹿の湯」とも言われています。
【付記】 読み直して、誤りや誤解を訂正するかも知れません。また、西福寺の石碑など、もう少し調べて、追記することもあります。

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 相変わらず寒いというか、冷える日が続きます。今日も最低気温はマイナ04f6bd09.jpg
ス、最高も6℃ほど。わが家からの眺めは良くなりましたが、藤原岳の積雪を見ると、寒さが募る感じがします。大規模修繕工事のシートがなくなってから、寒さが厳しくなった気がします。目障りでしたが、保温効果はあったようです(苦笑)。右は、三の丸水門から見た景色。雪雲のようで、見るからに寒そうでした。
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 寒さにめげず(苦笑)、まるで仕事に行くかのように(爆)、今日も散歩であります。午前中に動き、午後からは読書や、あれば仕事というのが日課です。8時40分から11時半にかけ、いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、京町、寺町と5.9�q。
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 このところ、揖斐川ではあまり鳥たちを見なくなりました。一段と寒くなって6e0fcdbc.jpg
からのことです。そういう中、今日は、住吉神社のすぐ前でカンムリカイツブリ1羽。このほか、オオバンが1羽飛んでいくのも見ました。以前は翌アオサギがいた、揖斐長良川の中州は、この頃アオサギはまったく見ません。
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 七里の渡し跡、久しぶりにヒドリガモのペア1組と、コガモ6羽が来ていましe91f63cc.jpg
た。年が明けてから、ここにも、赤須賀の漁船が入ってきて、シジミ漁をしていますので、カモたちには嫌われたのかも知れないと思っています。
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 蟠龍櫓から三の丸水門あたり、今日は、ツグミ2羽と、ハクセキレイを見たのみ。ヒバリや、ホオジロの姿はありません。厳しい寒さのせいかと思えます。
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 九華公園の北門を入ったところで、シロハラがお迎え。最近、北門を入っ48392782.jpg
たところから、土俵の近くにいます。北門を入ったところの堀には、オオバンやキンクロハジロもいましたが、ハシビロガモのオスの連れがいました。容姿も、動きもなんとなくシンクロしていて笑えます。が、一体どういう関係なのか、気になります。
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 鎮国さんの社務所裏には、取り敢えず、ゴイサギ1羽の姿。例によって例のごとく、保温姿勢。一度間近で見て、どのようになっているのか、確認したいと思っていますが、まぁ無理でしょうね。
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 カモたちは、九華橋の南あたりに集まっていました。寒いとここにいるよう8f8e4efd.jpg
な気がします。カモ、今日は合計60羽。ハシビロガモのオス3羽、メス2羽、久しぶりにホシハジロのオス1羽(右の写真)と、あとはキンクロ。ユリカモメは、冒頭の写真にも写っていますが、今日は40羽ほど。
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 今日もさまざまな小型野鳥が姿を見せてくれ、楽しめました。まずは、ジョウビタキのメス。奥平屋敷跡から二の丸跡へ飛んだのですが、二の丸跡で撮れました。そっと、うまく近づくと、数mのところまで行けます。
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 モズのオスは、公園内の野球場のフェンスから、近くの木へ移動。超望遠コンデジで、65倍ズームの画像です。こんなに綺麗に写るとは、感動ものです。この写真、1360mmズームで、ノートリミングです。ちなみにこのモズ、管理人さんがすぐ近くでブロワーを使って落ち葉を集めておられたのですが、それには頓着しないようでした。
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 昨日と同じメンバーが続きますが、シメは、今日も本丸跡で食事に専念しc638c043.jpg
ていました。笑えます。いつもムシャムシャですから。同じく本丸跡や、鎮国さんの境内では、今日もカワラヒワが集団で降りてきて、餌探し。昨日も書きましたが、今頃は鳥たち、毎年、餌探しに苦労しています。
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 餌といえば、メジロも苦労しているようです。花の蜜が好みなのですが、a91f01a8.jpg
今日は、松の木に来ていました。木についたままの松ぼっくりのあたりでウロウロ。何か食べられるものがあるのでしょうか。コゲラも、公園内のあちこちを移動して餌探し。右の写真は、神戸櫓跡近くで木をつついて、餌を探しているところ。
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 ジョウビタキのオスも、昨日と同じく、神戸櫓跡のところに出て来ました。9bc94e70.jpg
割と人懐っこいので、ソーッと行くと、かなり近づけます。鳥に近づく時は、ゆっくりゆっくり行くか、姿勢を低くしていくかです。近くの植え込みのあたりでは、シジュウカラも餌探し。
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 社務所裏をもう一度見に行くと、ゴイサギが2羽に増えていました。稲荷f71a40cf.jpg
社の参道から見ると、もう1羽がいましたので、ゴイサギはやはり3羽いるのは、間違いなさそうです。
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 このあと、貝塚公園へ。まずは、ムクドリ。パンくずのようなものを咥えて6d89f12c.jpg
いました(小生が与えたのではありません)。そして、シロハラ。こちらには、パンを与えてみました。それを前に首を捻っていて、「食べ物か?」と迷っているような感じでした。
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 貝塚公園、今日もジョウビタキのメスが1羽。あちこち移動はしますが、たぶん1羽です。かなり遊んでもらいました。ここで、いつも散歩の途中で出会い、挨拶を交わすだけだった男性から、「良い写真が撮れるか?」と声をかけられました。野鳥を撮っているのはご存じだったようで、ご自身がご覧になった鳥について、あれこれ聞かれました。ここにシロハラやジョウビタキがいるのはご存じでした(ただし、名前までは承知していらっしゃらなかったようです)。
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 京町から寺町のあたりでも、ハクセキレイを何羽も見ました。餌探しで、こ2c7511e8.jpg
ういう町中にも出て来ていると思われます。このハクセキレイは、住吉入江まで戻ってきた時に見かけました。パンくずを咥えていました。ハクセキレイを見ていたら、住吉入江にカモが2羽飛来。ヒドリガモのペアです。ここにヒドリガモが来るのは、滅多にありません。
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 このところ毎日、行く度に鎮国守国神社の梅を確認していますが、まだまだつぼみはこんな状態。去年は、1月27日に白梅が咲き始めていました(九華公園へ「なぁんちゃって散歩」(笑)……ジョウビタキのメス、シメ、シロハラなど)。開花が待ち遠しいところです。
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 余談は旅ネコさん。ご覧いただくとお分かりになるかと思いますが、何かを狙っているような雰囲気。実は、視線の先には、ちょっと元気のないヒヨドリがいたのです。九華公園の旅ネコさんたち、野生も取り戻しているようで、時々小型の野鳥を狙っているところを見ます。管理人さんの中には、カモを咥えて走って行くところを見たとおっしゃる方もあります。鎮国さんの大奥様に伺うと、飼い猫が鳥を捕まえたのを見せに来たことがあったそうです。たくましく生きているようです。

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 酒蔵みてある記“銘酒「三重の寒梅」丸彦酒造をたずねて”の2回目です。その1では、伊勢松本駅をスタートし、松本神社、建正山正一位稲荷大明神あたりをウロウロして終わってしまいました。松本神社その他を調べるのに労力を使い果たしてしまったということです。その1は、左の地図で、緑の丸をつけたあたりで、実は、1�qも歩いていません(苦笑)。
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 その1の終わりでは、この写真まで載せました。9時45分にスタートして、10c215f762.jpg
時頃です。ここからは、鹿化(かばけ)川に沿ってというか、つかず離れずで、3�qほど歩きます。右は、常磐西小学校や常磐中学校の北あたりの水田。まだけっこう雪が残っていました。ひたすら歩きます。
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 鹿化川沿いにで500mほど、松本の3差路のところに、「上布田遺跡(じょう6bec7b2b.jpg
ふでんいせき」という看板が立っていました。「常磐のまちをかんがえる会」が立てたもので、須恵器、土師器、山茶碗などが出土したそうです。土師器は、古墳時代に属する可能性があるようですが、他は、平安時代後期から鎌倉時代にかけての遺跡と考えられています。「上布田」というなは、松本御厨(松本町付近にあったと推定)から、神宮に納められた「上分米(じょうぶんまい)」を収穫する水田を意味すると考えられているということです。ただし、この看板があるだけで、いわゆる遺跡らしきものは見当たらず、また、ネットで検索しても、詳しい情報は出て来ません。
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 鹿化川沿いには、桜がずっと植えられています。「鹿化川千本桜」といい、d3aff4e3.jpg
鹿化川沿いに約5�qにわたって、本当に千本の桜が植えられているそうです。春には、桜まつりも開催され、ライトアップされます。「鹿化川の清流と千本桜を守る会」が平成13(2001)年に立てた看板によれば、20数年前(ということは、1980(昭和55)年より以前に行われた改修工事の時、老人会が千本の苗木を植えて以来、丹精込めて育てられたものだそうです。
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 桜の季節にもう一度来ると、見事な桜並木を楽しめそうです。しかし、今ddf41337.jpg
の季節は、想像するしかありません。想像しながら、雪の残った田んぼを見つつ、ひたすら歩きます。鹿化川というと、ブロ友のひらいさんが鳥見に行かれますが、それは、四日市港に注ぐあたり。この川沿いでは、ツグミ、3種のセキレイ(ハクセキレイ、セグロセキレイ、キセキレイ)そしてメジロが見られたくらい(写真は割愛します)。
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 途中、「カワセミが住む鹿化川」という看板があったものの、カワセミの影14e7b8c6.jpg
も形もありませんでした。このあたりまで、空は晴れているものの、西の方には、雪雲らしき雲が出て来ています。ちょっとヤバいかも知れません。
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 ここでリタイアしては何もなりませんから、そのまま進みます。鹿化川沿c82f37bd.jpg
いに出て2�qあまり進むと、今日の目的地である「丸彦酒造」の裏手を通りました。この「三重の寒梅」と書いてあるのが、そうです。先日の高田本山の近鉄ハイキングでもそうでしたが、目的地を見つつ、大回りするというのが、定番のようです(苦笑)。鹿化川、ところどころにコイが集まっていました。かなり大きく、見事なコイもいます。これに励まされ、さらに西へ。
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 鹿化川に架かる橋のいくつ目でしょうか、「玄若(げんじゃく)橋」に来まし48c27f07.jpg
た。川島小学校の東方一帯の古い地名に由来するようです。これもネット検索では情報が出て来ませんが、看板によれば、「玄若」のあたりは、昔、別名を「スズカ谷」あるいは「玄谷(げんに)」と呼んだといいます。「玄」は「クロ」であり、畦(くろ)とか、奥深いところや、田畑の境にあるしきりを意味します。「若」は、この村としては、新しい(若い)開墾地であることを示すということでした。
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 途中、こんな風に、「つらら」ができているのを見ながら、「さくら公園(7fa1fbb5.jpg
山二号公園)に到着。このあたりに来る頃には、雪がかなり降ってきました。傘を差すかどうか、迷うくらいの降り方です。
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 公園内には、「名勝地 鹿化川千本桜 美しい自然を未来につなごう 祝市制百周年」という石碑も建っていました。四日市市の市制施行は、明治30(1897)年8月1日です(全国で45番目)。この石碑は、平成9(1997)に立てられたということ。
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 「さくら公園」の北に「悠彩橋」という木製の橋が架かっています。ここから818b6cc2.jpg
進路を北にとります。「悠彩」というのは、この南、四日市市別山にある団地「悠彩の里」に由来する名前です。橋のたもとにある説明板には、「悠とは、里山ののびやかな風景と人々の穏やかな心。彩とは発見・工夫・驚き・不思議。
暮らす人訪れる人を楽しませるまちの魅力。この新しき地を「悠彩の里」のなにふさわしいまちに育てていきたい。そんな思いが込められています。
そしてこの橋が古きまちと新しきまち、古き人の心と新しき人の心の
かけはしとなることを願って。」とありました。
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 悠彩橋の北東、100m足らずのところに浄土真宗大谷派の歴明寺(れきf6448424.jpg
みょうじ)。10時48分に到着。ここは、由緒書、案内看板など葉見当たりませんでしたし、ネットで検索してもめぼしい情報は出て来ません。
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 写真をよくご覧いただくとお分かりになりますが、かなり雪が降ってきました。本堂の軒先を借りて一休みしつつ、持参した折りたたみ傘を用意。傘を差しつつ、カメラも持って撮影というのは、なかなか難儀でした。
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 この歴明寺の山門の脇には、神社のあとと思われる鳥居などがありましc19772a0.jpg
た。石碑が建っていたのですが、フェンスの奥にありましたし、古びていて今ひとつ鮮明ではありません。「二貴神社[E:#x26F94]跡」と彫られているように見えます(間違っているかも知れません)。
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 鳥居も、ご覧のように、額束や貫がなくなっています。フェンスの中にありましたし、雪も降っていましたので、これだけ写真を撮っただけでした。ちょうど、ここを調べていらっしゃる方がありましたが、「神社の跡です」というお返事でした。
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 この神社跡の横、かわしまふれあいセンターのところには、「表忠碑」がありました。三重県遺族会のサイトにあるリストによれば、川島地区遺族会が建立されたもののようです。「第三師団長大庭二郎書」とありました。ちなみにここは、歴明寺の境内のようです。このあたりからは、川島町の昔からの町の中に入っていきます。JAみえきた川島などの前を東へ進みます。
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 ほどなく「伊勢三郎首塚」のところに出ます。道沿いにあ7ac8fab0.jpg
るのは、説明板。左の写真にあるように、皆さんこの説明板は見て行かれるのですが、「首塚」があるのは、ここではありません。右の写真のように、説明板の南の水田の中にあるのです。ほとんどの方は、それに気づかずなのか、面倒なのか、首塚の方はパスして行かれます。
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 伊勢三郎(?~文治2(1186)年)は、小生も不勉強で、このハイキングの1dcb715b.jpg
下調べをするまで知りませんでした。平安時代後期の武士。源義経の家来で、四天王の一人と言われたのが、伊勢三郎(伊勢義盛)です。屋島・壇ノ浦の戦いなどで活躍し、平宗盛・清宗父子を生け捕りにしました。源頼朝と不和になった義経の西国落ちに随行するが、途中でわかれ、のち伊勢守護の首藤経俊(すどうつねとし)を襲撃したものの、敗れ、文治2(1186)年7月に自害したといいます。出身は伊勢とも上野(こうずけ:群馬県)ともいわれるようですが、ここの案内板には、「平安時代末期に三重郡郡司・俊盛の子として、菰野町福村に生まれた」とあります。三郎は、通称で、名は能盛とも書きます。戦に敗れて自刃した伊勢三郎の首を家臣の川島村の者が生地に持ち帰り首を埋めたとのことです。
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 首塚のクローズアップ。首塚は、その後、「雑草に覆われ、群蛇続出したという。甚だ気味悪く、この墳墓を傷つけし者、祟りありと、そのまま放置されていた」そうですが、「慶安4(1651)年、時の領主で亀山藩主・石川主殿頭昌勝(のちに憲之と改名)が耕地整理を行い、この三郎塚を発掘、中より五輪塔などを発見した」そうです。それにしても、数百年に渡って、地元の方々がお世話をしてくださっているようですから、頭が下がる思いです。
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 「伊勢三郎首塚」のすぐ間近に、河島神明御厨神社があります。神明社ですので、御祭神は天照大神。ここには、文化財に指定された算額が3点あります。それを見ていくと長くなりますので、その2はここまで。また明日以降。

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