6f5fbafc.jpg  5月8日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第3回「富田~四日市」の本編その3です。その2は、光明寺という真宗本願寺派のお寺まででした。光明寺の先で東海道は、国道1号線と重なります。1号線に出て、金場延命地蔵(これは、八幡地蔵堂の地蔵と兄弟地蔵)、道標。その後、1号線から逸れて、多度神社と三ツ谷一里塚跡を経て、海蔵川を渡り、法泉寺、仏性院と回って行きます。

63f31b46.jpg  光明寺からすぐに東海道は、左折、右折を繰り返し、国道1号線に出ます。海蔵橋の手前までは東海道と国道1号線は同じルート。その途中、国道の東側に金場延命地蔵があります。交通量が多いので、西側の歩道から写真を撮ったのみですが、ここの地蔵は、その2で書きましたように、八幡地蔵堂の地蔵と兄弟地蔵。もとは、羽津の東海道の南端、二重川(ふたえがわ)にかかる堺橋のたもとの堤(今の金場町交差点付近)にあったのですが、昭和48(1973)年、市道拡幅工事で二重川が埋められたのにともない、ここに移転しています。

d0f66119.jpg 638dd49d.jpg  金場町の交差点は、5差路になっています。国道1号線と北から来る県道9号との間に道標があります。東海道と新濃州道の分岐点です。大正12(1923)年に建立された道標。南面には「右 四日市/左 大矢知道」、東面には「右 桑名/左 四日市道」とあります。金場延命地蔵と、この道標は、2019年3月24日の近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅2日目~ 東海道、旅人気分で間の宿・富田から四日市宿へ」で見逃したところでした(2019年3月30日:20190324近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅2日目~ 東海道、旅人気分で間の宿・富田から四日市宿へ」(その3)……「国寶元三大師道」道標、多度神社、三ツ谷一里塚跡、法泉寺を回り、嶋小餅店でみたらし団子を食べ、三滝川を渡る)。これでスッキリ(微笑)。

9f85622f.jpg  国道1号線から多度神社の方に逸れて行くところにも道標があります。「国寶元三大師道」の道標です。これは、垂坂山観音寺への道を示すもの。元三大師(がんざんだいし)は、平安時代の天台宗の僧・良源(りょうげん、延喜12(912)~永観3(985)年)。垂坂山観音寺は、御本尊に良源をまつり、「垂坂山のお大師さん」「元三さん」として信仰を集めており、約1,100年の歴史がある天台宗のお寺。この道標から、北西へ直線距離で約3.5㎞のところにあります。この碑は、大正4(1915)年7月に三ツ谷の森太吉という方が建立しています。森太吉は、「 賣藥界の覇者」と言われます。碑の右側には、「垂坂山観音寺是より二十三丁」と記されています。23丁は、約2.5㎞。

4e941e4a.jpg b844dee1.jpg この道標からすぐに多度神社があります。この神社は、その名の通り、桑名・多度にある多度大社から分祀された神社。それ故、主祭神は、天津彦根命(あまつひこねのみこと)。創立は、明治18(1885)年。明治40(1907)年、海蔵神社へ合祀されましたが、昭和25(1950)年に復興再建され、現在に至っています。

 cbb9b9b6.jpg 境内には、拝殿の東に南に向いて「慰霊」碑がありました。海蔵地区遺族会が建てたもので、戦没者57柱と戦災没者3柱を祀っています。昭和40(1965)年3月の建立。筆は、当時の田中覚・三重県知事。

7836e33b.jpg  多度神社の、これまたすぐ先(100m足らず)、海蔵川の土手を登る途中の左側に三ツ谷一里塚跡の石碑があります。東海道の三ツ谷には、かつて一里塚がありました。しかし、その場所は昭和20年代に海蔵川が拡幅された際に、川の中に取り込まれてしまいました。「東海道分間之図」(元禄3(1690)年)によると、三ツ谷の一里塚は東海道が海蔵川に突き当った辺りに記されています。このため、平成13(2001)年、東海道宿場・伝馬制度制定四百周年を記念して、海蔵地区地域社会づくり推進委員会がこの場所に一里塚跡の石碑を建てて、後世に伝えることにしたのです。三ツ谷一里塚は、日本橋からは99里。

8f59e537.jpg  旧道には橋がありませんので、国道1号線の海蔵橋に迂回します。海蔵川の堤防は、桜の名所です。海蔵川を渡ると、だんだんと四日市の町に入っていきます。

cfcd6f4d.jpg c4d77152.jpg  海蔵橋から200mあまりのところ、四日市市京町にあるのが、法泉寺。真宗本願寺派のお寺。四日市にあるのですが、ここは桑名の幕末の歴史を語る上では、外せません。明治元(1868)年、鳥羽伏見の戦いで敗れた桑名藩は恭順を決め、1月23日に先代藩主・松平定猷の嫡子・萬之助(後の松平定教)は家老を引き連れて、四日市の新政府軍陣営(真光寺:朝日町にある真光寺か)に出頭したのですが、実際に幽閉されたのは、ここ法泉寺です。萬之助は、法泉寺に100日間謹慎蟄居して恭順の意を表しました。当時の遺品が残り、寺宝となっているそうです。この時、萬之助はまだ12歳でした。法泉寺では人々の出入りが禁じられましたので、檀家も参詣できずに困ったといいます。

aa7b6efd.jpg  法泉寺の境内には、太田覚眠師頌徳碑がありました。太田覚眠(慶応2(1866)~昭和19(1944)年)は、四日市出身で、真宗本願寺派の僧。法泉寺16世。明治36(1903)年、年西本願寺の開教師となり、シベリアに渡り、ウラジオストクに駐在。翌明治37(1904)年、日露開戦で強制送還されたが、講和条約締結後再びウラジオストクで布教に当たりました。

311c141e.jpg 70506f1b.jpg  法泉寺の先に仏性院。浄土宗。ノーマークだったのですが、ふと見たら山門が見えたのです。これは行かねばなりません(微笑)。割と小さなお寺。ネットで調べても、これという情報は得られませんでした。

3905ef98.jpg  境内にはお地蔵様。靖博地蔵尊という説明がありました。昭和19(1944)年1月21日、明野陸軍飛行学校(現在の陸上自衛隊明野駐屯地にある航空学校)北伊勢分教場(三重県鈴鹿郡川崎村(現在の亀山市北東部))を飛び立った複葉機(いわゆる赤とんぼ:日本軍の練習機は目立つように橙色に塗られていたことから別名「赤とんぼ」と呼ばれていました。その代表的な機種は、九三式中間練習機九五式一型練習機)が戦闘訓練中、接触事故を起こし、海蔵川周辺に墜落。林靖博少佐(名古屋市出身、当時27歳)が殉職しました。不憫に思った当地の有力者が発起し、婦人会などの協力を得て浜一色に地蔵尊を建立し、それが令和3(2021)年3月、ここに移転されたとあります。つまり、移転されたばかり。

de10fb5e.jpg 53e8af07.jpg  続いて、三滝川を渡ります。橋は、三滝橋。このあたり、道幅は結構広くなっています。この三滝橋、江戸時代は、東海道を往還する人馬でにぎわう土橋でしたが、明治10(1877)年に板橋(長さ42間、幅2.5~3間)に架け替えられ、さらに大正13(1924)年6月には、鉄構橋(長さ約72m、幅6.3m)になっています。橋梁の歩道には、萬古焼陶板で作られた祭の絵や古地図などがあります。

dc2453a6.jpg  ちなみに、歌川広重が「東海道五十三次」で描いた四日市宿は、この三滝橋あたりとされます。絵では、旅人が笠を飛ばされて慌てている光景が描かれています。遠景に船の帆柱らしきが立っていますので、上流側から見ていて、左が桑名宿の方と考えられています。土橋(どばし、つちはし、つちばし)は、一般には丸太を隙間なく並べて橋面を作った木の橋の橋面に土をかけてならした橋だそうです(城における土橋はこれと異なり、堀を横断する通路として設けられる土の堤)。江戸時代まで、日本の川にかかる橋のほとんどは土橋でした。広重の絵は、これとは違ったものになっていますが、実際にはどうだったのでしょう?

45858713.jpg  三滝川を渡るあたりから、詳細なマップはその4になります。いよいよ旧四日市宿の中心部へと進みます。第二次大戦の時の空襲で昔の建物は焼失してしまっています。建福寺、四日市陣屋跡、黒川本陣跡、問屋場跡、帯屋脇本陣跡、札の辻、道標と回ります。この道標のあたりから諏訪神社のところまで、短い区間ですが、昔の街道は失われています。諏訪神社からスワマエ商店街を出たところで、今日の東海道のコースは終了。

ee4d6311.jpg 729b0064.jpg  三滝橋を渡った先で旧・東海道は左折します。いささか余談めきますが、三滝橋を渡ったところになが餅の笹井屋本店があります。土蔵造りの建物。天文19(1550)年、戦国時代の頃の創業とされます。初代・彦兵衛が、勢州日永の里に因んでつくったというように、もとは日永に笹井屋はあったようです。あの藤堂高虎も足軽の頃、なが餅のおいしさに感動し「武運のながき餅を食うは幸先よし」と大いに喜んだという話があります。なが餅は、小豆餡を白い搗き餅でくるんで平たく長くのばし、両面を焼香ばしく焼き上げてあります。同様の餅は、東海道や伊勢街道沿いにたくさんあったようですが、現在は、この笹井屋の他、四日市市には太白永餅(金城軒)が、また、桑名には、安永餅(永餅屋老舗と、安永餅本舗柏屋)があります。画像は、永餅屋老舗さんのサイトからお借りしました。小腹が空いたときのおやつに最適です。個人的には、安永餅本舗柏屋さんのものが好みです。

 詳細なマップその4に入って、ちょっと中途半端になりますが、長くなりますから、その3はここまで。その4では、旧四日市宿中心部から諏訪神社、スワマエ商店街へ行きます。