442c83c4.jpg

 近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”、その3です。2回の記事でようやく、2km地点にある八幡神社まで見てきました(苦笑)。ここからは、「早春の鈴鹿山脈を眺め」ながら、田園地帯を歩いて行きます。地図にありますように、三岐鉄道北勢線の線路に沿って1km半。
6ed22e98.jpg
 北勢線の電車を撮影したり、八幡神社に寄り道したりしていましたので、他cc123856.jpg
の参加者の方から遅れ、最後尾かと思われました(苦笑)。藤原岳を目標にひたすら歩きます。道沿いの藪からは鳥の鳴き声も。ホオジロのオスのようでした。田んぼには、ツグミやムクドリの姿も見られます。この日、上天気で暖かく、汗を掻いてきましたので、このあたりでダウンジャケットを脱いで、長袖シャツ姿貳なりました(苦笑)。
8d8c7b39.jpg
 員弁川の支流・山田川の手前で北勢線の線路をくぐって右(北東)へ。山田1840c942.jpg
橋を渡ります。「昭和貳拾五年四月竣工」とありました。この山田橋からわずかな区間は、昔の「員弁街道(濃州街道)」のはず。濃州街道は、桑名市三ツ矢橋町から、東員町鳥取、いなべ市員弁町笠田、いなべ市北勢町阿下喜、いなべ市藤原町川合などを通り、いなべ市藤原町山口で巡見道と合流します。ちなみにこの写真に写っている後ろ姿の女性、途中で一緒になったのですが、御年80歳過ぎとのこと! 歩くペースもけっこう速く、最敬礼しました。お元気です。
5a2fbd2c.jpg
 山田橋から坂を登って、500mほど行ったところ、昭和電線の南側に次の目2e7ea311.jpg
的地である、麻績塚古墳と、久保院八十八ヶ所道がありました。いささか息が切れています(苦笑)。広場のようになったところの南へ。
59a84ab7.jpg
 古墳などへ入るところには、「祈念碑」があります。「陸軍大将桂太郎72b619b7.jpg
書」と刻まれています。桂太郎といえば、明治時代の軍人、政治家(弘化4(1848)~大正2(1913)年)。明治34(1901)年には、総理大臣も務めた人物ですから、この祈念碑、もともとは相当古いものと思われます。
e96cec5b.jpg
 祈念碑の側にまだ新しい石碑があり、そこに説明が書か16c94afe.jpg
れていました。西南の役に秘始まり、日清・日露戦争、満州・日支事変、太平洋戦争の戦没者2,005柱を合祀してあります。員弁郡遺族会が、昭和54(1979)年12月に大修理をするとともに、合祀したとありました。
31a8eba3.jpg
 碑の南に案内板がありましたので、それにしたがって、鬱蒼とした森の中へと進みます。久保(くぼ)院は、笠田村和波九十郎氏の二男、久保(ひさやす)氏(明治12(1879)年~明治29(1896)年9月没・当時18歳)の追善供養のため、私有地に寺院建立と霊場を作る事を発願し、近隣、同志に呼びかけ篤志浄財(郡内14大字区、個人133名)により明治31(1898)年9月に完成しました。第1番札所鳴門市の霊山寺から88番まであり、石仏だけだったり、石室内におさまっている仏様だったり、色々な表情の仏様に出会えるとあります(こちらにある「ふるさとの紹介」、p.15を参照)。
a54ea80f.jpg
 こちらが和南山久保院。阿弥陀如来像、薬師如来像、弘法大師像があるといいます。真言宗のお寺なのですが、現在は無住となっており、境内はかなり荒れてしまっていて、残念でした。北勢線の魅力を探る会が、2013年4月7日に主催した“第20回北勢線の魅力を探る 「再発見!魅力ある北勢線沿線 楚原駅~阿下喜駅」”の報告書に詳しい説明があります(こちらのpp.6~10を参照)。前の写真に「清少納言ゆかりの」とありますが、それについての説明は見つかりませんでした。
2c815465.jpg
 和波久保之碑。久保は、三重県尋常中学校(現在の三重県立津高等学校)4年在学中の明治29(1896)年7月、夏休みで伊賀に帰省する友人らとともに、荒れ狂う雨の中、徒歩で伊賀に向かっています。一昼夜を要して友人宅に到着。2泊して体を休めた後、友人と二人で高野山を目指して、さらに旅を続けたのですが、帰途、和歌山から津までの船賃がなく、結局徒歩で戻っています。この無理がたたって、体調不良を訴え、9月に息を引き取りました。この「和波久保之碑」は、明治31(1898)年11月2日に建立されています。この碑の背後には、家族の墓3基がありますが、割れて倒れているものもありました。
544dc06a.jpg
 明治39(1906)年4月7日、四国八十八ヶ所の土をもらい受けて、新四国7e9e0bd9.jpg
八十八ヶ所霊場を設けています。開眼供養は、真言宗御室派管長で仁和寺35世門跡の泉智等(1849~1928)を招いて執り行われました。しかし、朽ち果てた御堂や、倒れてしまった碑も多くなっています。
cb2d8ce9.jpg
 久保院の境内には、麻績塚古墳(オミヅカコフン)と呼ばれる2基の古墳c16877c9.jpg
があります。ここ麻生田は、古来、伊勢神宮領として、麻の栽培や紡織が盛んだったそうです。この2つの古墳は、埋葬された人物の名をとって「麻績塚古墳」と呼ばれます。伝承によると、麻績氏の首長墓で、神麻績連が被葬者とされます。1号墳は全長43mの前方後方墳、2号墳は直径16mの円墳です。4世紀中頃のものと考えられています。
002d8ad2.jpg
 余談ですが、コースマップの注意事項のところに、「野生の猿が出没する場合があります」と書かれていてビックリ(苦笑)。幸い、猿には遭遇しませんでした。この久保院でほぼ4km。このあと、阿下喜の町に入るまでにはさらに4kmほどを歩かねばなりません。途中、一度コンビニに立ち寄って、お茶とおにぎりをゲット。
c4df377f.jpg
 これは、きわめてローカルなネタで恐縮ですが、コンビニからハイキング・コースに戻る途中の小屋に「扇會館」の看板を発見。九華公園の北、現在は柿安の本社ビルになっているところにあった総合結婚式場なのです(といっても小生は、話を聞いただけで実物は知りません)。「鎮国守国大神奉祀」と書かれています。
1501deb4.jpg
 途中から、北勢線の線路に沿って歩きます。阿下喜から来た西桑名行き76fd1c5b.jpg
の電車。レトロカラーの200系。一度乗ってみたいと思いつつ、まだその夢は果たせていません。この日のハイキングでなんとかと思ったのですが……。7km半ほど歩いたところで、ようやく「阿下喜」の地名表示板。歩いた距離は、帰宅後確認していますので、この時点では、「ずいぶん歩いたな」と思っただけ。
fdff5d38.jpg
 阿下喜駅の北の交差点で右折(北へ)。ここから阿下喜の町中へ入りま081b0299.jpg
す。「あげきのおひなさん」では、メイン会場のウッドヘッド三重には、800体ものひな人形が飾られた大ひな段があります。それ以外にも、手作り作品や吊し飾りなど、阿下喜の町の商店、民家、寺社など約100軒でもひな人形が飾られていて、自由に見られます。
68edc1cf.jpg
 阿下喜の町では、お雛様も見てきましたし、相願寺、大西神社、イチガミ神社、西念寺なども回って来ました。それは、その4にて。その4で完結予定です。