猫の欠伸研究室(アーカイブ)

~淡々と飽きもせず……~ チベット・ラサの僧侶曰く、「人の生涯は猫の欠伸のようなものだ」

カテゴリ: 寺院

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 お盆になりますので、寺参りに行ってきました。左は、真宗大谷派桑名別dddb334c.jpg


院・本統寺、右は真宗高田派・常信寺です。いずれも寺町商店街の西にあります。我が家は、オヤジの本家からしてお墓がありません。理由は聞かされておらずよく分かりませんが、今にしてみれば、時代の超最先端を行っていたのかと思ったりもします。




14ea0ec8.jpg 7時50分から散歩に出ました。5時過ぎに起きたときには、それなりに涼しいと感じたのですが、この時間にはいつものように蒸し暑いくらいでした。いつも通り、住吉神社、九華公園、歴史を語る公園、京町、寺町と5.2�q。この時期にしてはまあまあでしょう(と自己満足)。そうそう、忘れないうちに書いておきますが、三の丸公園でツクツクボウシの鳴き声を聞きました。




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 相変わらず野鳥は少なし。左の写真は、揖斐長良川の中洲。アオサギがよ9795ac7b.jpg


く集まるところ。肉眼では何も見えなかったのですが、写真で確認したら、アオサギが1羽写っていました。右は、柿安コミュニティパーク脇の堀端に北イソヒヨドリのメス。木陰でしたのでこんな色。イソヒヨドリ、この頃あまり見かけません。






3273f1e0.jpg 九華公園、お盆になるということもあってか散歩する方はいつも以上に少な93562cc8.jpg


し。バールフレンドのTさん、Yさん、鳥見の大先輩Sさんと他に2~3人。Tさんたちは、いずれも御年80歳前後、頭が下がります。九華公園にいたのは、スズメとムクドリ、カルガモ1羽。




15ba7f72.jpg 歴史を語る公園。九華公園から京町に向かう途中、南大手橋のところにあります。夏になると、ギンヤンマなどトンボがよくいたのですが、今年はサッパリ。この公園、東海道五十三次をモチーフにしています。








de7a091f.jpg 寺町商店街は三八市。大賑わい。花屋さんの店頭には鬼灯。お盆の風e45ce980.jpg


景と思って、撮ってきました。




0f16dc95.jpg 桑名別院・本統寺の池。睡蓮が数輪咲いています。撮っているときには気づかなかったのですが、端っこにイトトンボの姿があります。






b276ef75.jpg 桑名別院でお遊び写真。前にも載せたことがありますが、池の側に建つ照明灯の裏側にある反射板に写った景色。向かって右に山門と池、中央の木々の向こうには寺町商店街の建物(ただし、裏側)、左の方には鐘楼と同朋会館の建物。






6e6b7002.jpg セミの数が減ってきました。上にも書きましたが、ツクツクボウシの鳴き声が聞こえましたから、季節は進んでいると思えます。午後からはシエスタのあと、お仕事。来週の教研研究大会の資料読みと、話題提供の資料作り。暑いせいもあって、なかなか考えがまとまらず。






3de6487b.jpg 夜は、またナガシマスパーランドの花火。一昨日よりは多少マシになって来ていると自己評価。

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 7月14日に出かけた近鉄ハイキング「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて」のその2です。実はいったん書き始めたものの、再起動せざるを得なくなり、ガックリ(苦笑)。猛暑などもあって、しばらく続きを書こうという気力が戻ってこなかったのです。









53c8517e.jpg 伊藤手延製麺所の先の3差路を右折し、200mほど行くと、旧・大矢知(おおやち)村役場跡に出ます。現在は、JAみえきた大矢知があるところから道を挟んだ向かい側です。冒頭のコースマップでは、「記念碑」と書かれているところですが、他の参加者の方々は、見向きもされません(苦笑)。






69920e3a.jpg 大矢知村は、後で出てくる三岐鉄道三岐線・大矢知駅の周辺で、明治412a4211.jpg


22(1889)年4月、町村制の施行により、朝明郡垂坂村・西富田村・蒔田村・松寺村・大矢知村(枝郷山添を除く)・下之宮村・川北村の区域をもって発足。昭和29(1954)年7に四日市市に編入されました。ここには、昭和3(1928)年に建設された村役場が昭和63(1988)年四日市市大矢知地区市民センターの新築移転によって取り壊された跡地という石碑が建っています。




 余談ですが、大矢知の地名は、朝明(あさけ)川流域で最初の大きな谷地を形成することに由来するといわれます。古くは朝明郡に属し、中世には「大矢知御厨」がありました。「御厨(みくりや)」は、神領。伊勢神宮の神領を御厨、御園 (みその) と呼んでいますから、このあたりもそうだったと思われます。江戸時代に入ると、大矢知村は桑名藩領となりますが、文政6(1823)年には武蔵国忍藩領、天保13(1842)年に幕府領(近江信楽代官所支配)、安政元(1854)年に再び忍藩領となっています。




347cc6a6.jpg この跡地にはいくつかの石碑があります。まずこれは、「日清戦役従軍祈念碑」です。「陸軍中将男爵大鳥義昌書」と書かれています。大鳥義昌は、明治27(1894)年7月の日清戦争開戦時には、第9旅団を率いて朝鮮半島におり(朝鮮国の首都漢城(ソウル)市内に1,000、その郊外に主力の7、000が駐留)、本国からの命令一下、清軍といつでも戦闘開始出来るよう準備を整えていたといいます(こちら)。この祈念碑は、明治40(1907)年の建立のようです(こちら)。








e5a21c0b.jpg 日清戦役従軍祈念碑に向かって左には、「慰霊塔」が建っています。いのりむし文庫の説明では、「三重県遺族会『終戦50周年 三重県遺族会記念史』(平成7)によると、大正7年、帝国在郷軍人会大矢知村分団により設置され、1952年再建されたようです。かつては大矢知興譲小学校校庭にあったようですが、移築の時期・経緯は不明」ということです。大矢知興譲小学校は、ここから北西に100mほど。大正7年は1918年、1952年は昭和27年。








f030f648.jpg もう一つは、「西南の役 殉難碑」です。西南の役(西南戦争)は、明治fc2a2078.jpg


10(1877)年に鹿児島士族が起した、西郷隆盛を首領とする大規模な反乱ですが、政府軍としてこの地区からも多くの方が出征したといいます。11名の方のお名前我刻まれているとありますが、石碑そのものはかなり風化して読みにくくなっています。 元は観音山にあったあります(大矢知興譲小学校のすぐ西に観音寺がありますので、そこかと思います)。




7196ca43.jpg 大矢知の町の中を歩き、三岐鉄道三岐線の踏切を越えると写真の道に出ます。ここは、八風道。八風道の起点は、四日市市富田一色。すぐに東海道と交差し、ここ大矢知、平津を経て菰野町田光で巡見道と合流します。巡見道の西は、八風越の道が八風峠を越え、滋賀県に至り、近江八幡市武佐町(中山道武佐宿)まで続きます。なんとなく昔からの道というイメージ。ここを西へ。この先に楽しみがあるのです(微笑)。




b28a7e31.jpg それはこちら。亀屋佐吉という和菓子屋さん。2年前にここに来たことがあります(2016年7月3日:コアジサシの営巣地で給餌シーン……なばなの里ではコチドリが抱卵、午後からは龜屋佐吉で氷(苦笑))。このときは、「白玉和三盆金時みるく」を食べたのですが、今日もコースマップには「お茶の振る舞いと和菓子の販売」とあり、ひょっとしたらかき氷も……と期待していたのです。暑い中、3�q半ほど歩いてきて、汗だく&ヘロヘロになりかかっていましたし。




24a02b5d.jpg ありました! 「近鉄ハイキング限定200食 かき氷」です(微笑)。メニューに「白玉和三盆金時みるく(¥690だったと思います)」はなかったのですが、「和三盆みるく ¥280」があります。この中ではもっとも良いお値段ですが、もうこれをチョイスするしかありません。他の参加者の方は、ご存じないのか、イチゴやメロンを頼んでおられます。




6cce6caa.jpg こちらが、その「和三盆みるく」。白玉が入っていると、和菓子屋さんのものだけに絶品なのですが、今日はこれで大満足ですし、これが¥280なのですから、いうことなし。和三盆みるくを食べて、汗も引き、元気も回復。まさにかき氷パワーです。龜屋佐吉さんについたのは10時10分くらい、出発は10時25分。八風道をもう少し行きます。




940a9332.jpg 三岐鉄道三岐線・大矢知駅に入らなければならなかったのですが、またもやコースミス。少し行き過ぎました。歩きながら左後ろを振り返ったら、駅が見えて気づいた次第。他にも数名。慌てて戻って、正しいコースへ。駅の東を回って、裏に入り、大矢知幼稚園へ。






0d686ae5.jpg 幼稚園の前(南)に石碑が2つ建っています。向かって右のものは、「神26ba140e.jpg


社御旧蹟」とありますが、これはネット検索では情報が得られませんでした。ネット検索では調べるのに限りがありますねぇ。向かって左の石碑には、「白龍○神」と刻まれていると思うのですが、これも不明(最初の文字はたぶん「白」。間違っていたら、ご教示ください。3文字目は、縄で隠れた部分があります)。




45b56fd1.jpg 大矢知から大矢知新町の住宅街を抜けて北に曲がります(左の写真)。d8a09649.jpg


ここで再び三岐鉄道三岐線を陸橋で越えますが、その手前から伊坂ダムが遠望できます(左の写真の中央)。右は、養雲寺跨線橋に差し掛かったとき、ちょうど西藤原行きの電車が通過。






262bc050.jpg 跨線橋を降りたところが、八郷小学校。八郷小学校は、八風道に面しています。ここには、石碑が合計3つありま6071f580.jpg


した。まず、校舎南側に2つ。西側の運動場入り口に1つ。校舎南にあった2つの内、向かって右は「平田翁頌徳碑」。


平田翁とは、八郷村村長を務めた平田武氏。こちらに碑文が載っています。昭和28(1953)年12月の建立。篆額は三重県知事の青木理題、村上国市撰、水谷潔書。




4edc7948.jpg 向かって左は、「島翁彰功碑」。「島翁」とは、島豊太郎氏。島氏は、江戸、明治、大正期の生涯を通じ、平津村村長、八郷村村長を歴任した方です。この碑は、大正8(1919)年8月建立。三重郡長従五位勲四等今村真福撰、斉木参渓謹書。八郷地区の広報誌に説明があります(こちらと、ここと2回)。




be83dc55.jpg 八郷小学校西、運動場への入り口にあったのは、「忠魂碑」。建立年は、不明ですが、「陸軍中将渡辺章 書」とあります。三重県遺族会のサイトには「英霊137柱を祀る」とあります。裏には、以下の戦没者を対象としたものであることが記されています。


明治二十七八年日清戦役戦没者2名


明治三十七八年日露戦役戦没者11名


大正七年起シベリア出兵戦没者1名


昭和十二年起日支事変戦没者14名


昭和十六年起大東亜戦争戦没者109名


abdc84e9.jpg 八郷小学校でスタートから5�q。かき氷パワーも長続きしません(苦笑)。というのも、この日四日市の最高気温は34.6℃、湿度は平均77%(こちら)。こんな日にハイキングなんか、来るんじゃなかったなどと思ったりしつつ、仕方なく歩き続け、朝明川を渡ります。







1ed96d10.jpg 朝明川を渡ったところに公園らしきものがあり、木陰も見えましたので、c8de138f.jpg


小休止することに。ここで水分補給、塩分補給。ベンチもあったので座って木陰で休憩。他の参加者の方々でも、休憩する方がありました。ここは、四日市市水道局水源管理センター分所でした。ここで10分ほど休憩し、11時再スタート。この水源管理センター分所のところで左折し、北西に向かいます。




24107b4c.jpg 地図では、「千代田町」とあるところ。ここから、伊坂ダムまではほぼ一直a8d252c1.jpg


線。水田地帯を進みますが、稲は青々としてきていて、それは気持ちよい景色なのですが、とにかく蒸し暑いことこの上なし(苦笑)。






9e64b78d.jpg お寺を見つけてしまったので、ちょっとだけ寄り道。浄土真宗本願寺派のde8be623.jpg


彼佛山円光寺というお寺を見つけました。山門と本堂だけ拝見。御本尊は、阿弥陀如来(こちら)。由緒などは、ネット情報には出て来ません。






eeddf634.jpg 円光寺から100mあまりで、東名阪自動車道の下をくぐります。ここは、もちろん日陰ですし、風が通って涼しいこと! 他の参加者の方も、帽子を取って、汗をぬぐっておられます。「今日はトンでもなく暑いね」などと話しながら、小休止。小休止ばかりしていますが、本当に暑くてしんどかったのです。




0bd3ee3c.jpg ここまで来ると、伊坂ダムは目の前。距離にして1�qもないのですが、ただし、ダムに上がるのに、坂を上らねばなりません。気合いを入れ直して進むことにします。




 今日は、ここまで。その3では、鶴澤神社、伊坂ダムを経てゴールの三岐鉄道三岐線・暁学園前駅までたどり着く予定。



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 今日も正午過ぎには35℃を超える猛暑日。熱中症警報は午後になってメールが来ましたが、暑いこと。若干迷ったものの、予定通り、近鉄ハイキングへ行ってきました(湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて)。ほぼ1ヶ月ぶり。前回は、6月9日に「桑名九華公園花菖蒲まつりと文化・歴史を知る」に参加しています。




094f8740.jpg 今日のコースは、近鉄名古屋線・近鉄富田駅が受付(9時20分から)、十四450348d5.jpg


川堤、伊藤手延製麺所、亀屋佐吉を経て、伊坂ダムを半周し、三岐鉄道・三岐線暁学園前駅がゴール。案内では、約8�qということでした。桑名駅を9時1分発の五十鈴川行き急行に乗車。近鉄富田駅には9時8分に到着。¥260。駅前にはすでに数10人が集まっています。それも小生よりも高齢と覚しき方が大半。皆さんお元気です。今回は、いつものように予告編として、概要を記事にします。






5d0ddb74.jpg こちらは今日、実際に歩いたルートを距離測βで描いたもの。約8�qだったはずが、ほとんど寄り道もしていないのに、10.4�q。これに、我が家から桑名駅までの往復2�qをプラスすると、この暑さの中、12.4�q以上歩いたことになります。ひんやりグッズを首の後ろに貼る、水分補給をしっかりするなどの対策をしましたが、暑かったこと!




24531889.jpg 受付は、お馴染み近鉄名古屋線・近鉄富田駅。ハイキングでもう何度も来ています。地図を受け取り、あみま倶楽部のスタンプを押してもらい、9時25分にスタート。なのですが、いきなり道を間違えました(苦笑)。ただし、小生だけでなく、他にもゾロゾロ。その間違え方もいろいろ。早めに曲がったり、曲がらないまままっすぐ東に行ったり。今日の地図、わかりにくいところが多々ありました。他の参加者の方もおっしゃっていたので、小生だけではありません。




afb4ec5c.jpg 曲がるところを間違えて直進したお陰で今まで気になっていたものの、確かめていなかった富田駅東のお稲荷さんを見てきました。吉玉稲荷といいます。明治39(1907)年、伏見稲荷大社から勧請。境内には、「天地龍神」の石碑もありました。詳細はまた改めて。






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 吉玉稲荷の先の、旧・東海道まで出てコース間違いに気づきました(苦219dfd74.jpg


笑)。150mほど戻って、富田幼稚園、富田小学校の北西の細い道から十四川堤に出ます。十四川は、四日市の花見スポットの一つ。1.2�qほどに渡って、桜並木が続きます。




3ddbce7e.jpg 十四川沿いから1.5�qほど歩くと、国道1号線の北勢バイパスが見えてきます。このあたりには久留部官衙遺跡があります。奈良時代の役所跡で、国指定の史跡。伊勢国朝明郡の役所があったところ。最近、この遺跡を紹介する施設「くるべ古代歴史館」もオープンしましたので、一度見たいと思っています。




560a412c.jpg 北勢バイパスをくぐって300mほど行くと、今日、最初の立ち寄りポイントである伊藤手延製麺所があります。このあたり、大矢知は素麺で有名(大矢知素麺)。個人的には買いたいと思っていたのですが、「買ってこなくてよろしい」という指示でスルーしてきました。






33a0ab6b.jpg 伊藤手延製麺所の向かいに長倉神社の鳥居があり、昇格記念参道という石柱が立っていました。御祭神は応神天皇。他に木花之佐久夜毘売神など6柱の神様が合祀されています。ただ、神社は、この鳥居からさらに200mほど奥にあるようで、そこまで寄り道する元気、意欲がありませんでした。




5e245a81.jpg 伊藤手延製麺所の先を右に曲がって300mほど行くと、JAみえきた大矢388024a9.jpg


知に出ます。このJAの向かいに旧・大矢知村役場がありました。その跡地に役場の記念碑の他、日清戦役従軍記念碑、慰霊塔、西南の役殉難碑が建っていました。






f4d7cc24.jpg このあたりは、大矢知といいますが、その由来は、朝明川流域で最初の大きな谷地を形成することによるといわれれます。古くは朝明郡に属し、中世には、大矢知御厨がありました。江戸時代には、大矢知村は桑名藩領となりました。文政6(1823)年武蔵国忍藩領、天保13(1842)年に幕府領(近江信楽代官所支配)、安政元(1854)年に再び忍藩領となっています。JAみえきた大矢知から300mほどあるいて、昔の八風道に出ます(左の写真)。




f2e74d02.jpg 八風道に出てすぐに亀屋佐吉があります。ここは2年前にわざわざかき氷を食べに来たところ(2016年7月3日:コアジサシの営巣地で給餌シーン……なばなの里ではコチドリが抱卵、午後からは龜屋佐吉で氷(苦笑))。そのときに食べたのは、「白玉和三盆金時みるく」。今日も空いていたら、是非とも食べたいと思って、猛暑の中を歩いてきた次第。




8616498e.jpg 今日は、店舗前で近鉄ハイキング参加者向け、200食限定販売が行わ92a80b71.jpg


れていました。「和三盆ミルク」をチョイス。店内で食べると¥550のところが、¥280とかなりお得。亀屋佐吉まで約3.5�q、相当へばっていたのですが、これで元気回復(微笑)。歩き続けられます。






f2f36a9c.jpg このあとコースは、大矢知駅の前から大矢知新町に向かうのですが、駅0b65d447.jpg


に入るところがわかりにくくて、行き過ぎていったん戻るというミス(他にも何名かいらっしゃいました)。大矢知幼稚園の前には、「神社御旧蹟」他の石碑がありました。






f5c5c6fb.jpg 養雲寺跨線橋で三岐鉄道三岐線を越え、八郷へ。この跨線橋のところか14f3ef63.jpg


ら、遠くに次の目的地である伊坂ダムが見えます。右の写真でほぼ中央にあるのがそれ。








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 跨線橋を下ったところにある八郷小学校には、頌徳碑など3つも石碑が建っていました。詳細は、また本編にて(これから調べるのです……微笑)。








afc93aef.jpg 八郷小学校で5�qを過ぎ、朝明川を渡ります。かき氷パワーも切れそうに796ad63b.jpg


なって来ましたので、朝明川を越えたところにあった四日市市水道局の水源管理センター分所の公園でまた小休止。水分補給を行い、ひんやりグッズを交換。水源管理センターから左折し、伊坂ダムへほぼ直線。東名阪道をくぐってほぼ1�q。




6fcf8b52.jpg 途中で、浄土真宗本願寺派の円光寺というお寺を見つけました。ルート14bdf8be.jpg


からすぐでしたので、山門と本堂だけ拝見。その後、東名阪道をくぐります。右の写真で前方に見える山の右手から伊坂ダムに登って行きます。








98c8a504.jpg 伊坂ダムに登って行く道に入るところに、鶴澤神社。御祭神は、天照皇93c6ca52.jpg


大神。鳥居脇脇に手水場がありましたので、ちょっとお水を拝借。タオルを濡らしたりさせてもらいました。ここから先、上り道(苦笑)。今日の難所。






1f81a80f.jpg 伊坂ダム到着は、11時半。入り口あたりで、7.2�qほど。サイクルパーク43d1a3bc.jpg


管理事務所前の木陰&ベンチで一休み。来るときにコンビニで買ったお茶は、ホットになっている有様。自販機でスポーツ飲料を買って、一気飲み。ちなみに、伊坂ダムは、北伊勢工業用水の水源として昭和41(1966)年に完成。と書きながら思い出しました。ダムカードをもらい忘れました(苦笑)。




3596d128.jpg サイクルパークがあり、自転車をレンタルできますし、ダム湖周囲はウォf0b42da6.jpg


ーキングの方もたくさん来ます。過去に2~3回、野鳥観察に来ました。東南のあたりからは、四日市港や、ポートビル、ガントリークレーンなどもよく見えます。今日は、ダム湖周囲をほぼ半周。ちなみに、今日のテーマは、「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて」でしたが、ほぼ無風でした(苦笑)。




ac29544a.jpg ダム湖の北西には、近くにある県立桑名西高校カヌー部の艇庫があり6051273d.jpg


ます。今日もたくさんの生徒たちが集まっていました。ここまで来ると、ゴールまではあと1�qほど。少し上れば後は、ほぼ下り坂。ただし、木陰がないので、暑いこと。








4917aea1.jpg 坂を下りてくると、西には鈴鹿山脈が見えます。御在所岳のロープウェイ3470ed0f.jpg


は、改修工事が終わり、ゴンドラも新しくなって、床がシースルーだそうです。今の時期頂上まで行くと、涼しいだろうななどと思いながら、暑さに耐え、修行をするかのようにゴールを目指します(笑)。再び朝明川を渡りますが、ここでアオサギ1羽と、ダイサギ(?)1羽を目撃。




c3843833.jpg 12時少し過ぎ、三岐鉄道の跨線橋からゴールの暁学園前駅が見えてき0fea5844.jpg


ました。ようやくゴールできそうな実感。12時10分に到着。スタートから2時間45分かかりました。暑くてヘトヘトであります。






ec6f3fc0.jpg 切符を買っていたら、12時11分発の近鉄富田駅行きの電車がちょうどホ8457acf8.jpg


ームに入ってきて、ラッキー。2両編成でしたが、何とか座れ、エアコンも効いていて快適。富田までは、平津、大矢知の2駅。近鉄富田駅着は、12時21分。鉄ちゃんではありませんので、詳しくはないのですが、乗ってきた車両は西武鉄道から譲り受けたものと思います(たぶん西武の401系、クモハ105でしょうか)。




27f2c352.jpg それと三岐鉄道の乗車券は、今でも、いわゆる硬券が使われています。小生は桑名までの乗車券を買いましたが、三岐線内のみのものと少しタイプが違うようです(こちら)。今では大変珍しいものです。ちなみに、暁学園前から近鉄桑名まで¥460でした。






90a460cf.jpg 三岐鉄道三岐線は、近鉄富田駅に乗り入れています。近鉄名古屋線の下り(四日市、津、伊勢、大阪方面)が1番線、上り(桑名、弥富、名古屋方面)が2番線。三岐鉄道は3番線となっています。12時33分の名古屋行き急行に乗車し、桑名着は12時41分。という次第で、猛暑ではありましたが、無事に完歩し、帰宅いたしました。お付き合いくださり、お疲れ様でした(微笑)。詳細は、またいつものように何編かに分けて書く予定でいます。



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 午後1時過ぎに32℃を超えました。梅雨明け、猛暑とお約束の通り(苦笑)。冒頭の写真のように、バス停におります。この間から時々書いていますように、九華公園の次の展示パネルの準備中。「桑名の東海道(仮称)」です。パワーポイントでパネル原稿をつくっているのですが、写真を撮り忘れていたり、どうも今ひとつという写真しかなかったりということが起きてきます。そこで、今日は、七曲見附跡と蟠龍櫓の再撮影。バスに乗って出かけ、その後は歩いてこようという算段。




886467ef.jpg 寺町商店街近くの寺町バス停から長島温泉行きのバスに乗車。このルー6e360880.jpg


ト、ご覧のように「アンパンマンバス」が走っています。なぜかというと、ナガシマスパーランドに「名古屋アンパンマンこどもミュージアム&パーク」があるからです。このバス、よく見かけていましたが、乗車は初めて。もっとも内部は、ごく普通のバスでした(笑)。




634ae75e.jpg 寺町バス停を8時38分に発車。5分で目的地の萱町バス停に到着。¥180。505fd1f3.jpg


たかだか1.4�qほど(苦笑)。歩いてももちろんいけますが、この暑さの中、全行程を歩くのは大変と思ってのことです。目的地の七曲見附跡は、旧東海道にあった桑名藩の見附跡。今は、日進小学校と、道路を挟んだ消防団の車庫のあたりにありました(右の写真)。ここも枡形になっていたのですが、今はありません。右の写真で、向かって右手奥から来て、写真からは外れますが、左の方で奥に曲がるルートになっていました。




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 東海道上に七曲門(または釘貫門)があり、桑名城下南端の見附。この名前は、七里の渡しから7度曲がったところにあるからといいます。小学校の敷地内に左の写真のような案内板があります。7月3日に市内の東海道を歩いた記事は、7月4日のブログに載せました(桑名市内旧東海道を歩く(その2)……天武天皇社から十念寺まで【七曲見附跡などについて追記しました(7/5)】)。




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 ここから九華公園まで歩いたのですが、その前に一ヶ所立ち寄り。日進0a64b8ac.jpg


小学校のすぐ北に日蓮宗自栄山顕本寺があります。もとは天台宗で、大泉寺といい、三の丸付近にありました。永正6(1509)年、日蓮宗に改宗。慶長の町割の際、現在地へ移転。




8d2e448b.jpg 今回の「桑名の東海道」には載せませんが、ここは檀家に桑名藩士が多く、桑名藩ゆかりの人4de52c57.jpg


物のお墓があるのです。中でも、吉村又右衛門宣充、水谷九左衛門光勝の墓は桑名市指定文化財に指定されています。今まで見たことがありませんでしたので、今日、立ち寄って来ました。




2ecb35b7.jpg まずは、水谷九左衛門光勝(みつかつ)の墓(市指定文化財)。左の写真で向かって右がそれです。水谷光勝は、伊勢塩浜あたりの出身と推測されています。徳川家康最大の難とされた、本能寺の変の際の「神君伊賀越え」の折、伊勢から三河への渡海の案内をしました。その後、四日市代官、名古屋城築の作業奉行、山田奉行などを歴任しています。




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 もう一基、市指定文化財になっているのは吉村権左衛門宣充(よしむらごんざえもんのぶみつ)の墓。宣充は福島正則に仕えて、多くの戦功を挙げたものの、福島家が取り潰され、浪人となってしまいました。あちこちの大名からの誘いがあったのですが、彼は一万石を要求したので、なかなか引き受ける大名はありませんでした。桑名藩主となった松平定綱は彼を寛永20(1643)年に、名目五千石、実質一万石で招きました。 その後の吉村家は本家、分家の二家系とも松平家の家老として代々勤めたのです。宣充は慶安3(1650)年に没し、ここ顕本寺に葬られました。






 さらに、これは桑名の方でもあまりご存じないと思うのですが、服部半蔵の墓も、顕本寺にあります。「半蔵」は、服部半蔵家の歴代当主の通称の名乗りです。2代の服部半蔵正成は、上述の神君伊賀越えの際、家康を助けた功で伊賀忍者を束ねることとなり、晩年は大名格の一万石を与えられました。




 その二人の息子が桑名藩に関係したのです。兄正就は父と同じ石見守を名乗り、桑名藩主・松平定勝公の娘・松尾を妻としました。仔細あって改易を申し付けられ、伊賀同心の支配の役目を解かれ岳父である松平定勝の元で蟄居となっています。




 弟正重は、兄の後を継いで服部半蔵を襲名し、徳川秀忠の小姓や家康の近侍、佐渡金山同心を務めました。のちに改易となり、その後、桑名藩主・松平定綱公に年寄の身分で召し抱えられ、二千石を得ました。これによって桑名藩の家老として服部半蔵家が存続したのです(大服部家)。




 なお、正就の系統は、上述のような血統から藩主一族の扱いを受け、重臣たちが住まう丸の内にひときわ大きな屋敷を与えられるなど、服部半蔵家以上に優遇されました(小服部家)。




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 顕本寺には、服部半蔵を名乗り、家老となった系統の服部家の墓があります。現存するのは、正重(伊豆守)、正啓(正賢)、日記(内記)、正義です。








d7f68aa4.jpg 九華公園には9時20分過ぎに到着。思ったより早く着きました。大雨の影a72ace0a.jpg


響で揖斐川の水が濁っており、堀に導水できない状態が続いています。そのため、堀の水位はかなり低下。右の写真のように、露出した岩にカメたちが乗って甲羅干し(いつもの甲羅干しスロープは、水面から10cm以上高い位置になってしまい、登れません)。




6bc16e4a.jpg 九華公園内はいつものように一回り。この暑さなのに、散歩友達の高齢者の皆さん、元気に歩きに来ていらっしゃいます。蟠龍櫓に立ち寄って撮影。いつもは西側(三の丸公園側)から撮ってしまい、このような揖斐川の方からの写真(左のもの)は、あまり撮りません。こちら側の屋根に「蟠龍」が乗っています(写真中央あたり)。「蟠龍」は、天に昇る前のうずくまった状態の龍のこと。龍は水を司る聖獣ですから、航海の守護神としてここに据えられたものと考えられています。




52f904d1.jpg ということで、我が家から寺町バス停までと、萱町バス停から我が家までとをあわせて5.3�qの散歩でした。アブラゼミの声が賑やかになって来て、いかにも夏を思わせます。時節柄、皆様にはご自愛ください。

4133a2cd.jpg  6月9日に桑名で行われた近鉄ハイキング「桑名九華公園花菖蒲まつりと文化・歴史を知る」に参加しました。概要編は、当日、記事を書きました(今日は桑名で近鉄ハイキング……桑名九華公園花菖蒲まつりと文化・歴史を知る(概要編))。勧学寺、春日神社、住吉神社について、少し詳しく書いておこうと思います。今日はまず、走井山勧学寺

43fbe760.jpg こちらは当日、実際に歩いたルートマップ。勧学寺は、走井山公園に隣接しています。スタートの近鉄名古屋線・益生駅からは北西に直線距離で400mほど。三岐鉄道北勢線・馬道駅のすぐ側。公園内には、コースにも設定されていた「伝村正屋敷」もあります。
0aa1b5e5.jpg 現在、走井山公園になっているあたりには、矢田城がありました。室町時代に毛利氏の家臣山内俊行の子俊元が、国司北畠氏に属してこの地に築城して、矢田俊元と称しています。永禄年間(1558~1570)、織田信長の伊勢侵攻の際に落城し、天正2(1574)年に滝川一益が長島城主となると、矢田城は杉山左衛門・野呂孫右衛門に守らせています。天正11(1583)年、羽柴秀吉が滝川一益を北伊勢に追った時に矢田城も落城しました。
A7a1fb06s 公園の案内板に「伊勢湾を望む風景は絶景〉とありますが、まさにその通り。戦国時代、城を築くには好適の地だったと思います。左の写真は、2014年4月3日に桜を見に行ったときに撮ったもの(上野浄水場と走井山の桜、そして三岐鉄道北勢線)。勧学寺の鐘撞堂に上がって撮りました。東の方を見ています。赤い橋は、国道23号線の揖斐長良大橋。北勢線の電車を入れて撮りたかったのですが、あいにく時間が合わず。
ebb83b63.jpg こちらが勧学寺の本堂。聖武天皇の御代(724~749年)、行基菩薩の草創によるものと伝えられています。室町の頃(1390~1570年)までは走井山北麓にありました。同地内(現在の桑名高校付近)の海善寺が廃寺となり、本尊の千手観音立像が当寺へ移されてきています。走井山矢田城主の矢田市郎左右衛門は、この観音様を深く信仰していたといわれます。その後の経緯はよく分かりませんが、桑名藩主・松平定重公(1657~1710年)の時、現在地の矢田城跡に再建されました。明治の初め(1870~1880年頃)、いったん廃寺の憂き目に遭ったものの、近在の信者有志の尽力により再興されました。本堂は、松平定重公寄進のもので、市内に現存する寺社建築としては最も古いと推測されています。この写真ではわかりにくいのですが、久松松平家の家紋である梅鉢紋が屋根瓦に残っています。三重四国八十八箇所の第3番札所伊勢西国霊場の第31番札所。
e436e31f.jpg  ご本尊は、千手観音立像(せんじゅかんのんりゅうぞう)。平安時c53b3541.jpg 代後期のものとされています。像高165.3cmの樟の一木造り、三重県文化財。秘仏だったのですが、保存状態が悪かったため、昭和39(1964)年に京都国立博物館内美術院国宝修理所で解体修理し、復元しました(こちら)。右の写真は、ご本尊修復に際して、修復奉賛会が掲げた説明板。
f7eee80b.jpg 本堂天井に描かれた「水飲み龍」です。『桑名の伝説・昔話』(近藤杢・平岡潤編、昭和40年9月発行)の中に、勧学寺の天井に描かれた龍について「走井山観音堂附近の井戸に、或る夜、堂の天井に描かれている龍が動き、抜け出して、井戸の水を飲みに来た。そこで龍の目に大きな釘を打ちこんだと言い、今にその釘が残っている。名画や名工の作品によくある伝説の一つである。」と記されているそうです(こちら)。ただし、現在は釘は残っていません。
c05c96f5.jpg 桑名市教育委員会の文化財のサイトには「船絵馬や俳諧札、算額などa59762df.jpg が本堂に奉納されている」とあります。左の絵馬?には、「元禄六年」とあります(元禄6年は、1693年)。
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 一通り写真は撮ってきたものの、説明はなく、よく分からないというのが、6db8d65a.jpg 正直なところ。こちらのサイトには、「奉納された『大絵馬』伝説なども知られている」とあるのですが、この伝説は、ネット検索では不明。
09f8a703.jpg 左の写真のようなものなども掲げられていますが、読めません(苦笑)。崩し字の読76e682b9.jpg み方を習いたいと思いつつ、そのままですし、分かりません。最後の文字は、「畏」でしょうか? 右の写真は、天女のように見えますが、何でしょう? 知らないこと、分からないことばかりです。
15967991.jpg 太子堂です(写真は、今年4月14日のJRさわやかウォーキングの時に撮影したもの)。本堂横にあります。もとは、明和年間(1764~1772年)に桑名惣大工中が寄進したものです。しかし、平成2(1990)年2月、火災のため焼失。平成3(1991)年、市建築組合の手によって再建されています。
d2582d31.jpg 左の写真は、鐘楼。4枚目の写真は、ここに上がらせてもらって撮りまし61ca60cc.jpg た(微笑)。右は、仏足石(2013年4月2日に撮影:走井山勧学寺の桜と、三岐鉄道北勢線のナローゲージ電車、そして私の好きな三猿の庚申塔)。江戸末期の作で、分類上「勧学寺様式」ともいわれる特殊な福輪相図(足裏の絵)が精密に刻まれていて珍しいとされます(市指定民俗資料の説明板による)。
1a485390.jpg  勧学寺境内には、地蔵堂もいくつかあります。左の写真のお地蔵様は、鉢巻地蔵。鉢巻地cf9d9f6f.jpg 蔵は、太子堂のすぐ側。右は延命地蔵。他にも、水子地蔵もあります。
05e1c96c.jpg  江戸時代の地誌「久波奈名所図絵」にも

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走井山が載っています。走井山については、「当山は寺内に桜の木数株ありて、花の時幽艶なり。桑城の地境纔(わずか)に離て山に傍て清閑の地なる故、雅客来て常に吟詠す。七月十日の縁日には暁天より四来の参詣年々に増加せり。(俗に十日参りといふ)」と記しています。
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