第一回 団鬼六賞 大賞受賞作「花祀り」読了

なんとドロドロしてるんでしょう。

女性がカクとこうなるのか?


愛憎渦巻く性に溺れていく人たち。

それは一気呵成に迫ってくる。



俺は官能的なセックスに愛なんていらないと思っている。

そこにあるのは所有欲であったり独占欲、肉欲。


相手を強烈に求める気持ちがどんな事情にせよ必要不可欠であり、それは愛ではなく愛憎である。


非常に屈折した精神状態であるとも言える。


逆を言えば非常に正直な事でもある。


ハダカになってるのに、キレイ事言ってるようでは超えられない境地というものが確かにあるのだ。


自分と相手との摩擦にこそ超え得るヒントがある。


摩擦が生じないようにスムーズに事を運ぼうとすればするほどスカスカのまんこになっちまう。

摩擦を求めるからこそレッツピストンなわけで、摩擦を必要としないならばそれはある意味とてもつまらなく、崇高ではあるが。


崇高なセックスが悪いってんじゃない。


崇高なセックスには摩擦は必要ないと言ってるだけだ。


そして崇高なモノに官能はない。


それは神の領域であり、カミさんとしてる領域ではない。



イイセックスとは不思議なモノで、てかなんでもそうかもしれないけれど次々ヤッたそばから忘れていくのだ。

だから何度でもシタくなる。


理性が感知しないからこそ記憶の領域でないところにて行われているフシがある。


記憶とは感知したものの記号化であり、漫然とした状態での記憶は曖昧になりがちなんだ。


意識と言う記録者がいて初めて記憶なりうる。


そしてイイセックスの時には意識は半ばいない。

もうどっかで昼寝してるのかコンビニで買い食いしてるのか、そこに見当たらないのだ。


ヒトは理性を追いやるために酒を飲みドラッグに溺れ、感情をむき出しにしようと試みる。

しかし所詮は理性的に理性をなくそうとしているときには実は理性はそこにあり記録をしているのだ。



俺がイイセックスだと感じてたのは事もあろうか元カミさんに対してだった。


そりゃあもうバトルな毎日で、お互い相手を殺しかねない感情の権化だった。


しかしそんな状態でするセックスはもう摩擦係数が異常に高く、最高に気持イイのだ。


肉欲のみで言えば、こういうシチュエーションが最高なんである。


もう頼むからセックスに愛なんて持ち込まないで欲しいって切に思うもん。





ハナシが逸れたが、人間と言うモノはモノでない。

感情の生き物なんだ。

興奮状態というのは感情的なっていなくては喚起されない。


当たり前の事だがこの当たり前な状態になる様々なタブーというか琴線に触れる行為こそエロなんだ。


エロいセックスはただピストンすればイイってもんではなく、カラダの反応を超えた感情の産物であり、その蜜の味を知ってしまえばそこから抜けられなくなるのは必至。

果たして満足とはそういうもんであり、キリがなく続く無間地獄のようでもある。


そして連綿とループする。


そんな花房観音の力作が本書である♪




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太賀麻郎の近著

「無重力セックス」

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