もしも警察に逮捕されたら

さまざまな側面から「逮捕される」ということについて書いてきましたが、いったんここでまとめとしたいと思います。

本来は、その後、拘置所、そして裁判、とつづいていき、人によっては刑務所に行く人も、場合によっては無罪になる人も、執行猶予になる人もいます。

いずれにしても、どう考えても楽しいといえる体験ではありません。

また、こうしたことによって、家族がバラバラになったり、今まで住んでいたところを追われたり、職場を去ることになったり、社会復帰にはたくさんの壁があります。

私たちは、社会の中で生きていますが、治安を維持するということの大切さは言うまでもありません。

また、一方で、私たちは人間として様々な体験をし、判断をして生きていますが、時としてどうしても間違いをします。
また、誘惑に負けることがあります。

そして、どうしようもない状況におかれることがあります。

そこには、被害者が生まれてしまうこともあり、これはどうにかして救済されるべきものとおもいます。

また、同時に、犯罪に走ってしまった人間は、警察に捕まったとしても、刑務所に入ったとしても、また社会に戻る人が多数です。
自分自身での反省は、なにより大切なことと思います。

けれども、実際に社会に戻った時のどうしようもなさや、復帰の難しさは言うまでもありません。
なにか、「社会で生きていく方法」のようなものがなければ、負の連鎖を起こしかねないと思います。

幸い、私には家族がいました。
声をかけてくれる友達も残っていました。

そうした社会とのつながりを再生していくことも、おおきな力にっていくことと思います。

犯罪自体は、言うまでもなくあってはならないことですし、憎まれてしかるべき行為です。
では、そうしたことを減らすために、なにをしていけばよいのか、私自身も考えていきたいと思っています。

これまでも、これからも、たくさんの方が「家族が逮捕される」「大切な人が逮捕される」という状況に出くわすでしょう。

その時は、気持ちも動転し、自身が置かれた状況を恨み、大切だった家族も疎ましいような気持になるかもしれません。
社会からの目もあるかもしれません。

もちろん、人生は一回ですから、そのことを機会としてもう一度別の人生を、別の人たちと歩いていくという決意もあると思います。
一方、自身が少なからず関わってきた人がなぜそのようなことになったのか、「社会」というものが「人とのつながり」で編みあがる一枚の生地であるのならば、どこかのちいさなずれが、今回のことに繋がったのかもしれません。

「責任」というのは、引き受けるのは難しく、他人に任せるのは簡単です。

私自身のことを言えば、家族には本当に感謝をしています。
もちろん、さまざまな間違いや迷惑はこれからもあるでしょうが、犯罪という点においては同じ思いをさせないようにしたいと考えています。

こうしたブログにたどり着く方たちが、できれば再度、お互いの関係を見直し、せひ幸せな人生を歩けるようになっていただきたいと思います。

まずは、今、一日一日を、なんとか歯を食いしばって、乗り越えてください。

永遠に続くようなことでも、いつか、必ず終わります。

厳しい冬を越えて、あたたかい春の日が、皆様に訪れることを願っておまります。








繰り返しになりますが、逮捕されるということは、本人にとっても、家族や職場、友人にとっても日所に大きな出来事です。

もちろん、何回も逮捕されていたり、刑務所に何度も入っているという方もいないわけではありません。

けれども、とくに大きな出来事もなく、普通の暮らしをしてきた人にとっては、これほど人生の中でこれほどどん底を味わう機会というのも、少ないと思います。

私自身も
「これからどうしようか」
という以前に
「どうなってしまうのか」
「すべて投げ出してしまいたい」
という想いがかなり強かったと思います。

もちろん、そこから反省と謝罪や、今後に向けた動きをとっていくことが大切なのは言うまでもありません。

そうした思いを抱くまでにはずいぶん時間がかかり、また支えを必要とすると思います。

一方で、ただ誰かを頼りにするばかりではなく、自身の中でなんとか立て直しをしていかなければならないことも確かです。

今回は、留置所のなかで、ちょっと支えになった言葉やフレーズをいくつか紹介します。

「俺にいわせりゃ、人生なんて暇つぶしだね。生まれて死ぬまでの間を、どう上手に暇をつぶしていくかが人生ななの。いろんな人がいろんなヒマのつぶし方をする。それがたまたまサラリーマンであったり、自営業者であったり、大工であったりするわけだ」   
ミッキー・カーチス

まず、過去を捨て、それか前にすすみなさい。
フォレスト・ガンプ

運命というものは、人をいかなる災難にあわせても、必ず一方をあけて、そこから救いの手を差し伸べてくれているものよ。
ドン・キホーテ (セルバンテス)

行き詰まりは、展開の一歩である。

過ぎてからの不幸を悔やむのは、さらに不幸を招く近道だ。
オセロ(シェイクスピア)

どんな日々も、人生の確かな一部なのだ。
光り輝く日、重い雲に覆われた日、体の芯までしみる氷雨の日。
そうした日々が折り重なっているからこそ、時々ヒットを放てる日が光ってくる。
齋藤茂太

人生を賭けるような仕事や対象は、最初は違和感や戸惑い、時には明らかな不安や不快があったりする。

出会ったら、必ず別れは来ると腹の底で承知しておく。
伊集院静

人間は正しい答えを見つけるために生きているというけれど、正しい答えなんてあるのか?
「答えは育むものなんです」
答えというのは、自分が答えにしたいことをね自らの手で作り上げていくことなんだ。
尾崎豊

裁判でも取り調べでも、「人が人を裁く」ということ自体は否定できませんが、その手続きが機械的であることは感じられます。

社会の秩序を守るということは、それ自体大変重要なことです。

一方で、被害者、加害者、一見して被害者が見えない薬物使用などの犯罪も含め、どのくらいその心情や、社会的課題の改善に向けた修復が働いているかといわれると、微妙だといわざるを得ません。

昨日の新聞では、警察の取り調べ調書の改ざん事件について、起訴猶予だったかと思います。

これはダメでしょう。

また、痴漢の冤罪判決が出た例で、警察の警部補が証拠となる写真をねつ造したとか、このあたりもやはりおかしい。

ただ、一方で、なぜそのようなことになったのか、ということはきちんと解明するべきなのです。
それが、社会のひずみであることは明らかで、機械的な作業からは結局見えてこないものです。

「微笑む人」という書籍が出ています。

微笑む人

ストーリーはあるエリート銀行員が関わる妻子の殺人事件を、ドキュメンタリー風に書いた小説です。

この書籍のある一文をご紹介しましょう。


「人は、わかりやすいストーリーを聞いて安心する。とショウコはいった。
複雑な背景を単純化して分かったつもりになる。
私のこの解釈もまた、自分が納得できるように事態を単純化しただけなのではないか。
本来はとても他人には理解できない部分を切り捨てることによって、すっきりした気分になっているだけではないか」

この部分だけ読んでも、よくわからないかもしれません。

ただ、人というのは、一部のちょっとかわった人を除いて、犯罪を犯したいなどとは思いません。

できれば、平和に、安定して、楽しく、仲良く、社会に認められながら生きたいと願うでしょう。

初詣に行って、今年こそは不幸になりますように、と願う人はいません。

では、なぜそのようなことになってしまうのか。

その人その人の個人的な弱さはあるかもしれませんが、さまざまな背景があって、到底他者には理解できない状況で、犯罪はおきています。

私も、今思えば、後悔と反省ばかりが残ります。

しかし、一方で、ありきたりな単純な言葉でわかったふりをする人には、やはりいらだつものです。

マスコミの犯罪報道などというものはほとんどはエンタメ化していますし、それに過度に反応したりする「識者」や「有名人」と言われている人、それも商売なので仕方ないでしょう。

「心の闇」なんていう言葉は、「わからない」ということを「わかったふり」をするための常套句てすが、ぎりぎりの状態にあったり、通常では考えられない心情で、犯罪というものが生じている側面があることもやはり知っておいて、面会等の際には、反省を促すとともに、できれば耳をかたむけてみてほしいと思います。

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